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【御題】お気に入りの場所


「えと……その……
 ……来ちゃっダメ……だった?」
「ああ、今すぐ尻尾巻いて帰れ。
 九本もあれば、巻くのに苦労しなかろうて。」
「……。」



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      【お気に入りの場所】

注)本作品は、【御題】の一文を交えつつも、小生の前作「下着青年」「水蛍」から継続した話になります。
  既読でいられない方も読めるようには書くよう心がけましたが、時間に余裕があるようでしたら
  そちらからお読み頂けたら幸いです。  
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「ちょっとぉ!
 この寒い中、わざわざ来たのよ?
 部屋くらい入れてよ!」
「ふざけんな、雪之丞と言いお前と言い、俺の部屋は、腹減り難民の配給所じゃねーんだよっ!」
「きぃぃっ
 開けなさいっ、今すぐこの扉を開けないと、狐火で――」
「これは俺の大切なカロリーなんだぁぁああっ!」

喧々としたやり取りが深夜の街に響く。
それはどこか仲の良い二人がじゃれているようにも聞こえたが、そんな事は彼女には関係ない。
彼女は、今は彼のアパートが一望できるビルの屋上に一人、そのやりとりを眺めていた。
一進一退、と言えばいいのか、じれったいと言えばいいのか……
とにもかくにも、まどろっこしい二人のやり取りに、

「ウザイ……」

発した声、その声と同時に彼女が手にしていた双眼鏡がピキッと壊れる音がし、
それで、もう傍観者を気取るのを辞めたのだろう。
彼女は、ビルの上から、その小さな身を宙へと躍らせると、

「こうなったらアタシが――」

小さな決意を漏らすと、その姿を消した。





   ピンポーン♪


何かしらの音楽が流れるわけでなし、古めかしい普通のアラーム音が横島に来客を告げる。
彼は今部屋に一人、結局、夜食を共にした、というよりも三日分の夜食を全て奪われてしまった彼だったわけだが、
ともあれ、それで満足したのか、かのキツネ少女はお帰りになられた筈だ。
そうなると、こんな深夜の来訪者など彼には思い当たらなかった。

 (しいて言うなら、小鳩ちゃんがまたお米を切らせた、とかならあり得そうだが……それもこんな時間ってのはなぁ、)

しっかし、あの貧乏神。福の神になったという割にはロクな事しねーんだよな。
そう一人ごちりながら、彼は己が部屋のドアのロックを外し、開かれた扉、その向こう――

「ずっと前から愛してましたぁぁあああっ!!」
「な、なんでぇえ!?」

その扉の向こうにいたのは、金髪のボディコン美女で、当然の事、条件反射の域まで昇華された横島のダイブが彼女を襲う!
その女性は、横島にとっては初見で、見知った人ではなかったのだが、そんな事は今の彼には関係は無い。
目の前に美人が居る。彼が飛び掛るのにそれ以上の理由が必要だろうか? いや、無い。
これがあの美神令子だったのならば、彼が抱きつくよりも早く光ったり轟いたりする拳が彼の顔にめり込んでいたのだろうが、

「やわらかいなぁ、きもちいーなぁ」
「ひ、ひぃぃぃぃっ!!」

常人にそんな返し技が出来るわけも無く、飛びつかれたままその豊満な胸に頬摺りしだした彼を止める術は、もはや無い。
哀れ餌食となった女性に出来る事と言えば、世も終わりのような悲鳴をただあげる事のみ――なのだが、

「――っ!ってお前っ?!」

不意ににやけ切っていた彼の顔が引き締まり、バックステップ。
その抱きついた体から感じたのは人が持つ気配ではなく――妖怪やそれに類するが持つ独特の妖気。
すかさずポケットの中よりストックの文珠を取り出し構える。

「お前……何者だ?」
「一分近くもスリスリしていて、今更かぃ……。」

緊張感溢れるシーンも、どっと疲れた気配濃厚な女性の声に流され、

「アタシは、ホタル。
 横島 ホタルよ、今日から暫くやっかいになる事にしたわ。よろしく、パパ。」

そう言い、どろんっ、という擬音語と共に、ボディコン女性が、12,3歳の少女へと姿を変えた。
その姿は、どこかタマモを更に幼くしたかのように見え、

「いやー、パパのタイプの女性じゃないと、部屋に入れてくれないと思って化けてたんだけど、
 気色悪い目に遭っちゃったねー。」

そう言いつつも、まんざらでもないような笑顔を見せながら少女版タマモは頭を掻き掻き

「ってなんじゃそりゃぁぁあああああ!!!」




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「ってことで、これでアタシがパパとママ、タマモの娘だって事は納得できた?」

一晩経ち、次の日の午前中。
幸いにして日曜日だった為、学校がなかった横島は、今、己が部屋で、自称娘と名乗る少女より説明を受けていた。
少女が、自分の娘として提出した証拠物件は、紛れも無く文珠。

 (とゆーか、またか?!またなのかっ!!)

ガラス窓の向こうに広がる変哲も無い景色に目を向け、どこか死んだような目をしている横島を無視して、
少女版タマモ――小タマモ――は続ける。

「まぁ、そういうわけで、ちょっとしたママの悪戯心とパパのスケベ心で私ができちゃったワケなのよ。」
「出来ちゃったとかゆーなっ!」
「……過ちっちゃった?」
「そんな日本語はない!」

横島の元に、彼の娘、と名乗る者が現れるのは、何もこれが初めてではない。
といっても、今までも沢山あったとか言うわけでもなく、これが2度目となる。
前回現れたのは、横島 蛍、と名乗る少女で、その少女は、自らを横島の同僚のおキヌと、そして彼の娘だと言った。
見てみれば確かに、その少女には、おキヌの面影が伺えたし、本来彼しか使えぬはずの文珠を出せた事より、
彼女を自分の娘と信じるに足りた。
と、いうか、あの事件。
実はアレからが横島にとっては大変だったのだ。
蛍の言った未来の於いて世界を滅ぼす危機は取り払った。しかし、それは同時に、横島とおキヌを結びつける一つの起因に
なっており、結果、少女はその存在をこの世界から消してしまう事となった。
それは、彼を一人間として、一枚皮を剥けさせる事件だったのだが、

「知ってる? ずるりと剥けた皮が元に戻っても保険はきかな――」
「お前は少し黙れ。」

ふと、数ヶ月前の出来事へと思いをはぜる横島に、少女版タマモ――小タマモがちゃちゃを入れるが、それはスルー。
ともあれ、あれから本当に大変だったというのは、横島、彼自身が変におキヌを意識してしまった、と言う事だ。
先述の通り、横島とおキヌが結ばれる起因となった事件を前もって対処してしまった事で、彼女と彼の関係は、ただの同僚。
それでも、そうなった未来を知ってしまった横島に、それを意識しないというのは余りにも酷で、注意していないと、
食器を運ぶ仕草、彼の視線に気づく度に少し照れたように微笑み返すその笑顔に、彼の心は正直高鳴った。
除霊の際に彼女が着替える巫女服に妙な色気を感じてしまったり、美神令子がアタッカーを務める際、彼に任されたおキヌの
小柄な体は、油断をしてしまえば抱きついてしまいそうな程に愛おしく、
――それでも、今の彼と彼女の関係は、ただの同僚だった。
少なくとも、横島自身はそう感じていた。
だから、彼は努めて彼女を避けた。
だが、そんな彼の態度はおキヌにとっては辛いものだったらしく、幾度と無く怪訝な顔をされ、終いには夜のアパートに
まで押しかけ、「私、何か嫌われる事、しちゃいましたか?」等と泣きながらおキヌに言われた際には、
「寧ろ、しちゃいます。」とか答えそうになるくらいヤバかった。
まぁそれも早数ヶ月前、なんとか元の状態へと、二人の関係は戻りつつある。
顔を合わせても変に意識する事なく、仕事場で交わす言葉は除霊に関する事や、昔のような時事ネタや笑える失敗談で……。

 (やっと元通りになってきたっていうのに、)

「あれ?
 パパ、この本ガビガビで開かないよー。あはは――」

 (――つか、なんなんだ、コイツの軽さは!)

 そんな事や、また、先の蛍の悲痛な決心の事も知る横島には、今、彼の部屋にある使い古された愛書を手に取り、
うっかりぶちまけてしまった禁断のページをこじ開けようとしているこの小タマモをどうしても信用できないできなかった。
だから、横島は聞く事とする。それが万が一少女の琴線に触れるような事だとしても。

「お前も未来から歴史を変えに来たんだよな?
 分かってるのか、その意味を、歴史を変えちまうと、最悪お前は――」
「知ってるよ。多分、99%の確率でアタシ消えちゃうって、ヒャクメ様も言ってたし。」

 少女は、どうしてもガビガビの本の中身が気になるのか、横島に背を向けたまま、やっぱりあっけらかんと答えた。
だが、その行動が、逆に横島の琴線に触れた。

「知っててどうして――!」

ルシオラにしても、蛍にしても、出来る事ならずっとずっと生きて居たかった、存在して居たかったに違いない。
だからこそ、あの時の自分は、あれ程までに己が無力を悔いたのであり、また涙を流したのだ。
だというのに、この少女は、己が生きた未来の消失をなんの憂いもなく言って見せた。
それが彼には許せなかったのだ。
けれど、ようやくガビガビの本を諦めた少女はそれを傍らへと投げ捨て、横島へと向き直り、そんな彼のらしからぬ激昂を
笑いながら受け止めると返した。

「わかっててここに来たんだもん。
 それに、未来じゃアタシ、パパと過ごした記憶ないんだ。
 だから、今、こうやって話せるだけでも、すンごい幸せなんだよ?」

その笑顔は、本当に邪気が無く感じ、面食らった横島は言葉を失う。
結局、彼にはこの時代に来るまでに、どれほどまでに彼女が悩み、苦しんだかなど計る手段もないのだ。

「じゃあ、未来を変える手順を説明するね、パパ。」

目の前で笑う別のホタル。
横島にできたのは、ただ、頷く事のみ。




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「――で、俺のこの格好にどれ程の意味があるんだ?」

寒空の下、最悪雪が降り出しそうな天気だというのに、横島はパンイチという漢装備で、裏路地、街行く人から隠れながら
凍えそうな体を必至にガチガチと温めていた。
裏路地から見える真正面の電気屋からは、自動ドアが開くたびにあったかそうな暖房器具が見え、
その都度全てを投げ出し、飛び込みたい衝動に駆られる。
だが、現状の彼の格好で飛び出しでもすれば逮捕されることは請け合いで、

「何、アタシの昨日の説明聞いてなかったの?」

同じく裏路地に隠れているホタルが呆れたような声を返した。

「覚えとるわぃ! ようするに俺とタマモの仲が今までよりも悪くなればいいって事なんだろ?」

要約するとそうなる。
詳しく話すと下記の通りだ。
タマモの悪戯の前、ブレーキが故障した横島はそのまま事故。
しかも当たり所が悪かったのか良かったのか、ともあれ困惑する周囲を他所にタマモは小タマモを出産する。
それをきっかけにブチ切れた横島は、次々と周囲の女に手を出し、すさまじい事に全弾命中。
挙句の果てに産まれてきた子供は、若干の誤差あれ、全て文珠の生成が可能だった。
未来に於いて大量の文珠使いが出現してしまう。
それにより人界、神界、魔界のバランスが崩れた。
アシュタロス没後の調整がまだ終わってなかった世界は一気にパワーバランスを崩し――

「すんごい最低系ね。」
「お前がゆーな。」
「でも、いいんじゃないの?
 別に、ヒーローってわけじゃないんだし、パパ。」
「……慰めになってねーよ。」

 ともあれ、最初のその起因を潰すべく、彼は小タマモの指示の元、この場所で素っ裸でかれこれ二時間待機中なのだ。
いかにゴキブリ並みの耐久力を持つと言われている彼でも、いい加減限界が近づいてきていた、と。

「来たわ! ママよ!」

不意に表通りの気配を探っていた小タマモが小さく叫んだ。

「作戦は大丈夫ね。アタシが指示を出したら飛び出し――」
「まぁ……この格好で飛び掛られたら誰だって引くわな……」

己の姿格好を見つめながら涙を流す横島。
だが、世界の滅亡を救うにはその方法しかない!(らしい)

「――今よ!」

小タマモの声が彼の耳に届き、彼は全てを、特に、これからの人生とか後で確実に事務所で受けるであろう折檻等を
頭から振り払い路地を飛び出す。
と、彼とタマモの間に割り込む黒い影があった。

「おい、ねーちゃん。待ったらんかい!」
「……何よ?」

それは近くの高校の学生服を羽織った何故か髭まではえたいかにも悪人顔のおっさんで、

「ウチの舎弟が、ねーちゃんに可愛がられたゆーてのぉ」
「舎弟? ああ、あのひょろ長いの?
 あんたの舎弟なら、小中学生から金せびるよーな馬鹿だったっていうのも納得できるわね。」

どうやら何らかの因縁があるらしく、メンチを切りあったりしていたりする。
と、まだ彼女らのところまで少し距離のあった横島には気づけた。
只今絶賛メンチ切り合い中のタマモの背後、ヒゲ学ランと同じ学生服を身に纏い、スキンヘッドで風邪引きの際に口に付ける
マスクをした男が、気づかない彼女の頭部目掛け木刀を振り下ろそうとしている事に。

「危ない、タマモ!
 忠夫キィーック!!」
「ぇ!?」

タマモが回避行動を取るより早く、横島のとび蹴りがマスクハゲの頭部に炸裂する。
完全に虚を付いたその攻撃はマスクハゲに命中、直撃を食らったマスクハゲはもんどり打って電信柱に叩きつけられ気絶。

「ぇ?ぇ?
 今、横島の声がしたよーな。って、何コイツ?! 背後から私を狙おうって?
 大の大人がこんな美少女相手に卑怯じゃない!」

だが、タマモが振り返った時には、マスクハゲを昏倒させたと思われる横島の姿は無く、

「俺ぁまだ高校生現役だ!」
「何よ、やる気ぃ!」

そんな声を背中に聞きながら、横島は、蹴り飛ばした拍子に再び転がり込んでしまった裏路地。

「さ、寒い。……死ぬ。多分……死ぬ」

どうやら限界が来たらしくピクピクと痙攣していたのであった。




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「先ほどの作戦には、致命的欠陥がありました。」
「おう、俺も、そんな気がしてたぞ。」

作戦会議である。
今二人は、横島が部屋に戻り――互いの頬をつねりあっていたりするのだが、それはそれ。

「へはふぎのさくへんをへつへいしはふ(では、次の作戦を説明します)。」
「はちこーい(ばちこーい)。」

これで会話が成立する辺り、親子なのだろう。

「……って事でミッション2」
「これなら楽勝だな、よっと、」
「あっ。ちょっと、一人で先々行かないでよ。」
「ん、あそこはもう一つ右のレンガが、そう、それが出っ張ってていい感じ。」

かくして二人は深夜のロッククライミング、ならぬ、ハウスクライミングの真っ最中である。
もちろんその家とは現在の美神令子の事務所兼住居でもある人工幽霊の憑く曰く付きの物件である。
凹凸が僅か1cm足らずの垂直斜面。
そこにはザイル(ロープ)も無ければクラック(岩の弱点でカムデバイス等を打ち込む)もカムデバイス
(ロープをかける所)もない。
そんな場所を横島は慣れた手つきですいすいと昇ってゆく。
対して、そんな技術は皆無の小タマモであったが、横島は、そこが彼女にはまだ難関だと分かれば手を貸し、
また逆に、簡単なルートだと思えれば手を貸さず暖かく彼女の頑張りを見守った。

「ホタル、あと少しだ。」
「うんっ! うんっ! もう少しでパパの所まで――あっ!」

クライミングにおいて、油断は死に直結する。
あと少し、その瞬間、小タマモの中に芽生えた油断は、明らかなミスを誘い

「危ないっ!」

間一髪、伸びた横島の手が細い小タマモの腕を掴んだ。
けれども、その時横島が確保していたガバ(岩の大きな出っ張り)は、二人の体重を支えるにはいささか小さすぎた。

「く……そ、」

いかに、横島が力を入れようとも、いや、力めば力むほどに、彼の手より滲み出た汗が、二人の体を秒間ミリ単位で死の谷へと
追い込んでいく。
それでも彼は粘った。
粘りに粘った。
それでも終わりは来る。
もはや限界は近い、そう悟った小タマモは一つの決断を下す。

「パパ……」
「大丈夫だ、俺に任せろっ!」
「ううん。もう……いいの。
 だから、その手を……離して。」

 一人分の体重なら、また自分を掴む手の自由を取り戻せば、彼女の父ならもう一度状態を立て直す事も不可能ではない
はずだ。
けれども、

「――断る。」

 強い意思の篭った言葉。
そうするしか、助かる道は無い。だからきっと父も承諾してくれるだろうと思っての小タマモの声に返ってきた答えは真逆。

「でも、それじゃこのまま二人とも――」

 ――死んでしまう。
その言葉は、未だ諦めぬ父親に対し発する事を憚れ、小タマモはその続きを飲み込んだ。
けれども、そんな甘い考えではやはり二人の先には死しか待ち受けていないことは確かで。
ならば、自らの手で振り払う、と上げた視線の先、

「俺は、もう絶対誰も犠牲になんかしないっ!」

 それは決意なのか、それとも信念なのか。
小タマモの瞳に飛び込んできたのは、流れる汗をそのままに実に男らしい表情を浮かべた横島の顔で、、
その向こう、にこやかにバケツを構えた女性……そう、あれは、確か美神令子。

「こらぁぁ、横島ぁぁ!
 こんな時間に何やっとるかぁぁぁっ!!」
「「あ〜れぇぇえええ」」

彼女の叫びと同時にぶちまけられた水の直撃受け、二人は谷底に仲良く転落していった。




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「ミッション2は失敗しました。」
「まぁ、分かりきってた事だがな。」

作戦会議である。
今二人は、横島が部屋に戻り――互い見事にクロスカウンターを決め合っていたりするが、それはそれ。

「まぁミッション2はホントに失敗だったので、次は真剣に、」
「ん?」




「――どうしたの横島?
 シロと散歩にも行かずに私を呼ぶなんて珍しい……って、何その格好?!」
「い゛や゛ぁ、風゛邪゛引゛い゛ちゃ゛っ゛て゛さ゛ぁ゛。」


 ミッション3の内容はこうだ。
《情けない姿を見せよう。》

『はぁ?そんなんでいいのかよ?』
『まぁ、パパが情けないのはデフォだから、普通のやり方じゃダメね。』
『ヲィ』
『そうだ! ゴキブリ並の生命力を持つパパが風邪ひくっていうのはどうかしら?』
『……』



「――それで私?」

開口一番、疑わしそうな瞳を剥けられ横島はたじろぐ。
だが、それも無理は無い。
通常ならば、この手の役周りはおキヌちゃんの仕事だ。
それは彼女がヒーリングを使える、という事もあるが、なにより困っている人を放っておけないのは彼女の性分。
例えば横島が大怪我をした際も回りの面々は基本的に放置だが、横島の人知を超えた再生能力を知っても尚、
彼女だけは優しく彼を介抱しようとしてくれていた。

 (ああ、そういやシロもヒーリングしてくれるが、あれはちょっとなぁ……)

等と考えていると、

「まぁ、いいわ。少し聞きたい事もあるし、」

タマモが横島の部屋へと上がりこむ。

「氷は冷凍庫にある?
 後、氷枕は? 何よ、何もしてないじゃない。
 ほら、突っ立ってないで病人は寝る!」
「あ、ああ……。」

言われたとおり横になり、横島は布団の中、横目にて、てきぱきと動く金色の尻尾を眺めていた。

 (馴染んだものだ。)

そう彼は思う。
ふと、昔、まだ彼とタマモが出たった時の事が彼の脳裏を過ぎる。
あれはそう、まだタマモが人間を全然信用出来ていなかった時の頃。
彼女に騙され風邪を引いてしまった横島とおキヌの元へ、原材料のまったく不明な風邪薬が届けられた事があったのだ。
それはおおよそ誰が届けたのかは察しがついてはいたが――

「そういえば、あの薬って何が材料だったんだ?」
「ん、葛の根っこ。こっちじゃ葛根湯《カッコントウ》って言えば聞いた事あるんじゃない?」

確かにその名はテレビのCMか何かで横島も耳にしたことがあった。
しかし、投げた問いは別に本当に薬の原材料が知りたかったわけなんかではなく、
ちょっとした悪戯心、

「へー、やっぱあれお前だったんだ?」
「ぇ、あっ!」

どうせ素直に聞いても答えてくれまい。
ならば、と使った絡め手が功を奏し、冷蔵庫の前、少し頬を赤らめ横島を睨むタマモ。
その様に、

 (へぇ、改めてってわけじゃないけど、こいつ時々可愛らしい顔す――って、いかんいかん!
  コイツは妖怪で、しかもまだガキじゃないか。
  それに、これじゃ俺がタマモに惹かれ――)

「……横島ってさ、たまーにずるいよね。」
「……へ?」

思考を遮られ横島、
視線を戻した冷蔵庫の前には、既にタマモの姿は無く、キッチンの方からはガラガラと氷枕に水を詰める音。
それはすぐさま止み、狭い部屋。氷枕を持ってきたタマモの頬はまだ少し赤く。

「……頭に来たから出て行っちゃおうかなぁって、考えたんだけど。」
「うん……」
「風邪、……一人じゃ心細いんでしょ?」

普通の枕と氷枕を取りかえる。
実際のところ、それは、風邪でもなんでもない横島にはちょっと冷たく、
胸がちくりと痛んだのは、善意で側に居てくれるという彼女を騙している事に対する罪悪感か、
それとも、未来から来た娘の願いとは反対の方向に進みつつある、そんな気がするが故の感傷か――

「ほら、起きてなくていいから、」

 毛布からはみ出していた横島の手をタマモがそっと握った。
それはとても暖かく、柔らかくて――先日の夜更かしが祟ったのかもしれない。

「……そういやさ、この前、商店街でさ、私が変なおっちゃんに襲われていた時、
 横島、あんた私を……って、横島? あれ……?」

学校を強制的にサボらされて手に入れた穏やかな昼前の時間。
鈴のような声をBGMに横島は静かに寝息を立てていた。

「……もうっ」

肩透かしを食らい、どこか怒ったような、それでも何故か幸せそうなタマモの声が、二人っきりの部屋、眠る横島を起こさ
ぬよう、静かにその傍らに添えられた。




「……作戦成功。」

そんな彼の部屋を、遠く見守る小さい影。
その影の正体、小タマモはニヤリと微笑んでいた。




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「ミッション1,2,3、続く4,5,6……も、ことごとく失敗。
 貴公は無能な豚か、パパ?」
「サー・イエス・サー」

作戦会議である。
今はタマモは帰り、横島が部屋に二人――互が互いの鼻に指を突っ込みあっていたりするが、それはそれ。

「これより最終ミッションに入る!」
「おおおっ!!」

高らかに宣言する小タマモに、場を盛り上げようと必至に拍手する横島。
ともあれ、物語は架橋に入る。



「ちわーっす」
「先生、風邪の方はもう大丈夫なのでござ……」

穏やかな昼下がり、3日ぶりに美神除霊事務所に姿を現した横島。
事務所のドアを開け中に入ってきた彼に、いの一番に気づいたシロが駆け寄り――言葉を失った。

「あ、横島さん。3日ぶりです。
 もー、風邪なら私を呼んでくれたらよかった……ぇ、あれ?」

事務所の片づけをしていたらしいおキヌは、運んでいたファイルを戸棚に戻すと、横島を振り返り、彼女も同様に言葉を失い
周囲へをキョロキョロと見回した。

「あ、横島クン。この2日分の給料しっかり引いておくから――ね?!」

三番目に彼の姿を見、言葉詰まらせたのはここのオーナーでもある美神令子だ。
一応、最年長者ということもあり、不測の事態にも対応が早かったのは三人の中では彼女。
彼女は、その事務所内のソファーで今は気持ちよさそうに眠る金色の毛玉へと目をやると、

「タマモ……はここで寝てるし、横島クン、それ……何?」
「い、いやぁ……あははは。」

美神は横島の頭の上に居座る物体を指差し確認する。
もちろん彼が浮かべた微妙な苦笑程度ではごまかしてやる気などは毛頭も無く、

「い、いや、なんというか。その……そこで拾ってきちゃいまして……ダメだった……かな?」
「そ、それはちょっと――」
「これ以上、女狐が増えるのは勘弁でござる!」
「捨ててきなさい。」

三者三様に彼の頭の上にのっかった物体を拒否する声。
だが、彼の頭の上、ちょこんと居座るソレ、小タマモ子狐バージョンは、つんっと顔を彼女らから背けると、そんな声を無視。

「ぬ、無視するとは、やはり狐は生意気でござる。」
「あはは……」

第一印象は最悪。
こんな所まで母親に似なくとも、そう思い横島に出来た事はやはり苦笑することだけで、

「……もう〜、何よ。
 騒がしいわねぇ……」

そうこうしているうちに、ターゲットが遅い目のお目覚めのようだ。

「よ、」

横島はここ3回の失敗を省み、努めてそっけなく挨拶をする。

 (やっぱ親しくしすぎないほうがいいよな……)

それは、そう思っての事だったのだが、

「って、横島、それ……何?」
「何って、今、それで拾ったんだけど……」

 流石にかけたれた声を無視できる程、彼も酷くはなれない。

「狐じゃないっ!」
「……そうだけど。」
「なんで?」

 ソファーから跳ね上がり、詰め寄った横島の側、ぎんっと彼に向けられた瞳は鋭利なナイフぬ劣らぬが程に鋭く、
それに気おされるように彼は一歩後ずさった。

「な、なんでって?」
「ちょっと、あなた。そこをどきなさい!」

横島では話にならぬ、そう言わんがばかり、視線を横島から彼の頭上で丸まる子狐へと移し、タマモは叫ぶ。
だが、当のその子狐はタマモを一瞥しただけでそっぽを向いた。
その仕草に神経を逆撫でされたタマモが更に怒る。

「その場所は私の場所なの!
 いいから、――ほら、どきなさいっ!!」

 荒々しく言い放たれた言葉。
周囲の人は、何故彼女がそれほどまでに苛立っているか理解できずに居るし、彼女自身もたかが普段の定位置を一度取られた
くらいで、これほど迄に声を荒げているか理由が分からない。
けれども、タマモの中、どうしようもない苛立ちが込み上げてくるのだけは事実で、

「どうしても退かないのね、
 ……なら、力づくで――っ!」
「ぉ、おい、タマモ――」

 タマモの手が乱暴に横島の頭上へと伸ばされ、流石にそれを止めようと制止の声を上げる横島。

   ――どろんっ

 瞬間、白い煙と、そんな爆発音が事務所に響き、

「ぇ? えっ?!」
「うわ、ソイツも妖狐でござったか!!」
「……ああ、だから横島クンに懐いてたのね。」

横島の静止を振り切り、タマモの伸ばした手が空を切ったのと同時、彼らの前に、一人の美女が姿を見せた。
それは、本来の小タマモの姿とは違う、最初、横島の自宅を彼女が訪れた際の化けた姿であったが、横島を除き、
初見の彼女らにはそれは分からない。

「――妖……狐。」

 タマモの瞳がより鋭く目前に現れた女性へと向けられ、対する小タマモはそんな彼女に嘲るような微笑みを返すと、

「そーゆーわけで、アタシ、彼、気に入っちゃったから、貰っていくわ。」

そう宣言した。

「ええええ!?」
「な――っ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

既に、半ば外野と化した女性陣3名が、流石にその声に慌てふためくが、それは横島にしても同じ。
彼には、小タマモの行動が何一つ知らされていなかったのだ。
伝えられていたのは、ただ、小タマモを連れて美神除霊事務所へ向かえ、という指示だけで、

「お、おい、ホタ――ってどわっ!?」
「――殺すっ!」

 唐突な展開に、戸惑う横島が小タマモに問いだ足すよりも早く、タマモが発現させた狐火が横島もろとも、
小タマモの側で炸裂した。
続いて、

  ガシャン

 という、ガラスの割れる音。
咄嗟に目を覆った横島が次ぎに感じたのは、誰かに首を捕まれる感覚と、不意に足場が無くなる――浮遊感……じゃなくて
これは……

「って、空だぁ!?」
「黙ってて、パパ。
 舌、噛むわよ!」

 小タマモの声は背後からした。
なんとか頭と目線で背後を見ると、彼の襟首を掴み、小タマモは空を飛んでおり、

「――待ちなさいっ!」

声に振り返れば、怒りの形相露に小タマモ同様に空を駆け、こちらを目指しているタマモの姿で、
その向こう、既に遠くなりつつある美神除霊事務所から上がる白煙が見えた。
その時になって横島は、ようやく今自分がかなりの速度で空を飛んでいる事を知る。

「うわたたたっ!
 戻せぇぇ、俺を戻せぇぇぇっ!」
「暴れると、落ちちゃう!
 後、今、戻ると多分パパが美神さんに――」
「ひぃぃ!!
 死ぬのは嫌ぁぁぁああ!!」

慌てて己の襟首を掴む小タマモの腕にすがりつく横島。

「こらぁぁ!
 横島、ソイツから離れなさぁぁい!!」
「無茶言うな!
 離すと、落ちちまうだろうがぁぁああ!」

若干の緊迫感を損ないながら、二本の金色の光が冬の空を駆ける。




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「さ……寒い。」
「さて、どうしよっか。パパ?」
「無計画かよっ!」

場所は、とある雪山の登山道。
奇妙な逃避行の終着点は、何故かそんな場所だった。
周囲の天候は吹雪と悪く、これ以上の飛行は不可能と判断した小タマモは逃走手段を陸路へと変更した。

「もーダメだ、
 歩けん……。」
「ちょっ、パパ!
 こんな所で眠ったら本当に死ぬわよ?」
「く……くそ……」

振り返った横島に二人を追いかけてきたタマモの姿は見えない。
けれども、小タマモはその存在を感じているのか、頻繁に背後を伺っていた。

「ほら、見て!
 あそこにロッジがあるわ。
 あそこまで頑張りましょう?」

情けない事だが、所詮は人間。妖怪とは体力のケタが違う横島は、小タマモの肩を借りると山道に建てられた、
登山者が利用するおんボロのロッジを目指す。

「しかし……これに意味あんのか?」

目指す道中、横島は気になっていた事を聞いてみる事とした。
小タマモの目的は、未来を変える事。
自分という存在、また自分の兄弟が産まれるのを未然に防ぎ、滅亡に危機に瀕した未来を救わんが為にこの時代に来たはず
だった。
それの手段として有効なのがタマモに嫌われること。
全ての起因となった、横島とタマモの子供たる自分の存在を無くそうというのが、彼女の目的だと、最初にそう聞いていた。

「大丈夫よ。
 現に、ママ、今すっごく怒ってるじゃん?」
「そ、そりゃ怒る事は怒ってるが……
 いや、そもそもその未来を変えるだけなら、俺を殺す方が早――」

馬鹿馬鹿しい話だが、それは真理の様に横島には思えた。
そもそもが小タマモの取ろうとしている未来を変える為の手段は、非常にまどろっこしい。
己が命を絶つ程の決意、自分と言う存在を消す程の覚悟だ。
ただ、父親だからという理由で、なぜそこまで彼女がそんな手段を選ぼうとしているか彼には分からなかった。と、

「うわっと。」

不意に自分を支えてくれていた小タマモの力が失せ、横島はつんのめり雪の中へと頭から突っ込んでしまう。

「な、なにを――」

なんとか頭を抜き、小タマモを振り返った横島。
文句を言おうとしたその口が言葉の途中で止まる。
それは、今、彼の正面に立つ小タマモの表情に気圧されたからで、

「なら――死ぬ?」

小タマモ――ホタルは、彼と居るときはずっと笑っていた。
『ミッションだ!』と一緒に馬鹿をやり、時に成功し、また失敗し、しかしながら、どんな時も彼女は楽しそうに微笑んで
いた。
けれども、今の彼女は違う。
横島が見上げたその彼女の顔には、おおよそ表情と言うものは伺えず、ただただに無感情に、冷たい瞳がじっと彼を見つめ
ていた。
けれども、横島はその瞳を知っていた。
幾度と無く、目にした事があったからだ。
それは――全てを捨てても護りたいものがある。
そんな覚悟をした者の瞳。

「く……。」

その瞳の前、横島は返す答えを持たない。
彼自身、まだ生きていたいという気持ちが強い。
そもそもが、他者の死にを何度も目撃する事はあっても、己が死ぬと言う事だけは真剣に考えた事などなかった。
他人の死を見、己が死を明確に想像する等、彼がいかに優秀な霊能力者であろうとも、その点においては一般の高校生と
なんら変わることは無い。
だからこそ彼は、まだ彼のオーナーより正式な独り立ちできるゴーストスイーパーとしての証明を貰えていないのだ。

「アタシは、全てを覚悟してここに来た……」

 ざっと、雪を踏みしめる音と共に、ホタルが彼に一歩近づいた。

「……」

 未だ地面に座ったままの横島は、それを見ても、逃げる事も答える事も出来ないまま。

「未来に於いて、パパの血を継ぐもっと優秀な文珠使いも沢山居たわ。
 けれどもアタシがこの任に選ばれた……。
 何故か分かる?」
「……。」

 一歩、一歩。雪を踏みしめる音が横島の耳へと届いてくる。
それでも彼は動けなかった。何一つ、この場に相応しい言葉が思いつかなかった。
迷走する思考。
ホタルの細い指が横島の喉にそっと添えられた。

「アタシは、ここに来た時言ったよね?
 パパとの思い出が無いって?」

 添えられた指に、ぐっと力が込められた。

「パパは私を捨てたの。
 分かる? アタシはパパに見捨てられたのよ。
 だからね、アタシはね、殺そうと思えば、誰よりも迷い無くパパを――」

 指に込められた力は強く、横島の頚動脈を締め上げ、

「――そこまでよ!!」

 不意に飛びのいたホタルの居た場所を、紅く燃える狐火が通り過ぎた。
その声はタマモのものだった。

「タ……タマモ……、」

 飛びのいたホタルと横島の距離は5メートル程、その間に割ってはいるようにタマモが飛び込んできた。

「もうっ、横島の馬鹿!
 あんたに色目使う妖怪なんか、何か企んでるに決まってるでしょうが!」

 タマモに先ほどの会話は届いていなかった。
ただ、彼女がようやく逃げた二人に追いついた時、目にしたのは、横島が先ほどの妖狐の美女に首を絞められている
そんなシーンで。

「待ってて、今、あいつ追っ払って……」
「だ、ダメだ、タマモ。……あ、あいつは――」

 割って入った時のまま、タマモは既にその両手に狐火を灯し、臨戦体制にある。
腰を深く構え、正面に対するホタルが一歩でも動けば、その狐火を投げつけるのは目に見えていた。

 (この戦いだけは避けねばいけない――)

母が子を、子が母を。
知らずといえ、まだ未来の事だとはいえ、それを知る横島には、それだけは阻止せねばならぬ事だと感じた。
だからこそ凍えた喉を張り上げ、彼はその戦いを制止しようとしたのだが、

「別に、母親でも構わないのよ――、」

 凍りついた。
音量では遥かに勝るはずの横島の声が、ホタルが漏らしたその一言にかき消され

「死になさい――」
「まだ完全に力が戻ってないとはいえ、私は金毛白面!
 ただの狐風情が勝てるなんて思い上がるんないで!」

そして、戦いが始まった。




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 圧倒的な戦いだった。
いや、それは寧ろ戦いだとは呼べるものではなかったのかもしれない。
一方的な私刑。
少なくとも、それを目にしていた横島はそう感じた。

「ふんっ!」
「きゃぅ――!」

戦力の差は絶望的だった。
まだ霊力が戻りきっていないタマモと、既に未曾有の危機に瀕した未来を生き抜いてきたホタル。
しかもホタルには母親譲りの強大な霊力と、父親譲りの文珠を使いこなせるのだ。
タマモの繰り出す攻撃はことごとく回避され、時に文珠により防がれた。

「――っ!
 まさか……横島以外に、文珠なんて裏技仕える妖怪が居たなんてね……」

それは戦力を見誤り、劣勢にある我が身への言い訳か。
ホタルの攻撃を防御し、それでも横島の側、吹き飛ばされてきたタマモがポツリと漏らした。

「横島、動けないの?
 大丈夫?」

 そこでようやくタマモは横島を振り返ると、未だ起き上がり戦闘に参列しない彼に、声をかける。
いかに基本が逃げ腰の横島でも、タマモが知る限り、このような時まで逃げはしないはずだった。
だから、横島が起き上がってこないということは、あの首を絞められる前に、既になんらかの負傷を負わされたのではないか、
そう思ったからだ。

「……、」

けれども、そのタマモの声に、横島はやはり返す言葉を持てない。
戦いは既に始まってしまった。
もはや、それを止める事は出来ない。
いや、止める事だけなら出来るだろう。
しかし、それを止めるには、彼が自らの答えを出す必要があった。
それはつまり、己が死ぬか、タマモが死ぬか。

「――危ない!」

 咄嗟に横島の体をタマモが突き飛ばす。
その瞬間、タマモの足元に、無数の霊波砲が突き刺さり、爆発。
激しい雪埃が舞い、それでもなお辛く回避したタマモが、その雪埃を付きぬけ、上空を浮遊するホタルへと四連撃の狐火を
見舞う。
 だが、虚を突いたと思われたその攻撃すら、ホタルの周囲を飛ぶ三つの光る文珠によって掻き消され、反撃の霊波砲が
タマモを捕らえた。

「う……く……」
「タマモ!!」

 既にタマモは満身創痍だ。
それでも尚立ち上がろうとする彼女の様に、横島は堪えきれず駆け寄った。

「横島……無事だった……の……ね。」
「お、おう!」

 地に横たわるタマモを抱き寄せその体を看る。
なんとか防御だけは間に合っていたらしく、致命傷となるようなものは見受けられ無かったが、それでも既に戦えるような
状態ではない。
それでもタマモは、

「……離して、……横島。
 早くしないと、……こんなの……いい、的。」

未だ戦おうというのか、彼女は抱きしめる横島の体を押し離れようとするが、その力すら弱々しい。

「もう止めろ、タマモ!
 こんなっ、こんな戦い――」

横島は、そんなタマモの手を強く握ると、彼女の小さな体を己が体で包み込むよう強く抱きしめた。
 言葉がまどろっこしかった。
寒さゆえか、それとも学校の授業をサボりがちだった為か、咄嗟に彼の脳裏に浮かぶ言葉は、どれもタマモを制止するに
不十分なように思え、彼は、その想いを両腕に込めた。

 想いが通じなかったのではなかろう。

「……ありがと、横島。
 でもね、私、気づいちゃったから。」
「ぇ……?」

 それでも横島の制止を拒絶するタマモの声に、一瞬緩む横島の腕。
その隙を突き、転がるように腕の中より逃れたタマモは、震える両脚に鞭打ち尚も立ち上がってみせた。
よろよろと、再び横島とホタルの間に陣取るように歩き、その手に狐火を出現させる。

「そう、私……気づいちゃった。」

横島の目の前、背中越しにタマモの声が聞こえた。

「私、最初、……どうしてこんなにイライラしてるか全然分からなかった。
 横島が妖怪に好かれるのはシロ見て知ってたし、別にあんたが誰が好きだとか、どうせも良かった……」
「……。」

上空を浮かび二人を見下ろすホタル。
彼女は、この大きな隙を見逃すつもりなのか、一向に攻撃する気配は見せない。

「ううん、違うね。
 どうでも良いって思おうとしてた。
 でも、それでもどうしても……
 どうしても我慢できなかった!」

 タマモは横島を振り返った。
タマモは泣いていた。
それは、悪ふざけに失敗して、美神やおキヌちゃんに怒られた時に見せるような涙とは違い類のもの。
横島は、無言でタマモの言葉の続きを待つ。
見つめあい、ややあって、タマモは口を開いた。

「私は妖怪……、貴方は人間。
 あまり覚えていないけど、昔みたいな失敗はもう嫌。
 でも、だからこそせめて、私は……」

 そっと伸ばされたタマモの手が、横島の頭に触れた。

「私は、きっと、この場所だけは……
 誰にも譲りたく、なかったんだと思うの。」

 瞬間、横島が動いた。
物憂げな表情を浮かべるタマモを引き寄せ、反動そのままに後ろへ放り投げる。

「……ぇ?」

 突然の行動に、横島の意を測りかねたタマモだったが、まだ体が宙にある中、彼女が目にしたのは、先ほどまで自分が
立っていた場所へ、霊波刀を振りかざし迫り来るホタルの姿。


「横島!
 ダメ――っ!!」


 タマモの悲痛な叫びが、雪山に木霊する。




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「――いや、正直、ワケわかんね。」
「ぇー、ホントにパパって頭悪いよね?」
「ほっとけや!」
「もー、もう一回だけ純を追って話すからね?」

 未来少女。
横島ホタルの最終ミッションの全貌を話すには、彼女の真の目的に触れる必要がある。

横島ホタル。
彼女の目的が、絶望的未来を変える事にあるのは間違いない。
しかしながら、彼女は、己が存在まで消失してしまうのを受け入れたわけではなかった。
未来が変われば、確かに、今の自分の記憶や、見たもの、経験、そういったものは全て失われてしまうかもしれない。
それは、実際に未来を変えてみないと分からない事で、そして、変わってしまったなら主観的には観測できないという、
まぁ、非常にややこしい問題となってくる。
故に、そこの部分は割愛する。
ともあれ、彼女は、おとなしく自分が消えてしまうつもりはなかったのだ。
そして、また同時に、滅び行く未来を救わなければならなかった。
 全ての元凶は子種を植えつけまくった横島にある。
けれども横島ばかりに非があるわけではない。
タマモ自身にも問題があったのだ。
ホタルを授かり、出産して後、しばらくしてから彼女は横島の元を自ら去った。
それの真意は生憎ホタルは知らされなかったが、そもそもの狐は生態的に子育てを母親が行う節がある。
父親が子供の世話をするのは、子供が適度に成長するまでの間で、だから、タマモもそれに準したのかも知れない。
 母親からの愛情に偽りを感じた事はホタルには無かった。
だからホタルは十分幸せだった。
ただ、タマモは、横島の事をあまり多くは語ってくれなかったので、人が『愛』と呼べるものが、二人の間に無かった
のではなかろうか?
ホタルは、年を追うごとにそう感じるようになっていった。

「元々が過ちっちゃった子供だしねぇ」
「……だから、そーゆー事、言うなって」

 時は流れ、神・魔・人の間で三つ巴の戦闘が始まった。
原因は不明、けれども敵は襲ってくる。
横島忠夫は神・魔からの両陣営から真っ先に狙われ殺害された。
それは、これ以上文珠使いが人の中で増えぬが為の措置だったが、それを当時の人類が理解したのはもう少し後になってから、
人界に住まう者の半数以上が死に、若干十代の若者達が、文珠と呼ばれる霊力の道具を使って、戦いの先陣を切るように
なってからの事。
 戦いは激化して行く。
例え文珠が如何様に強力でも、人界の劣勢に変わりは無い。
それでも、そこまで戦えたのは、人界の戦力には、神・魔族より離反した者達が加担していたから。
その中には、小竜姫やヒャクメも居た。
『文珠使いの増えすぎによる神界・魔界・人界のパワーバランスの崩壊』
それによるい神・魔界よりの粛清と言う名の侵略を、彼女らは良しとしなかったのだ。
だが、彼女らの助力を得ても尚、神・魔族の攻撃は人界へ尋常ならぬ被害を残していく。
そこで、誰かが提案したのだ。
『誰かが過去へ戻り、元凶、横島忠夫を抹殺してしまおう』と。
その案には誰もが反対した。
時間移動を可能とする霊能力を保有する一家は、その作戦を一蹴したらしい。
Drカオスは、痴呆の進行が進み、それほどの機械は作る事は不可能。
そして、残す最後の手段。文珠による時間移動は、現存する全ての文珠使いが横島忠夫の息子、娘であったが為、
大半の者はそれを拒み――

「その任務を承諾したのは、アタシだけだった。」
「……。」

 ガタガタと、ロッジの外、吹雪く風が木造のドアを叩いた。
暖を取る為にくべた薪が、パチパチと音を立て黒くその色を変えていく。
 今、そのロッジに居るのは三人。
横島と、ホタル。そして、あの瞬間、意識を失い倒れ、今は静かに眠っているタマモだ。

「他のパパの子供達はアタシを責めた。
 ホント、皆、パパ似の性格してたわよ。
 このままだと私達は終わりだって分かってるのに……ね。」
「……。」

 焚き火の向こう、顔を朱色に照らされたホタルは、苦笑を浮かべながら続けた。

「その任務に赴く前、アタシに一週間の時間が与えられたの。
 だから、私はどうしても気になっていた事を確認しに行ったの。栃木まで。」
「……栃木?」
「ああ、アタシとママは栃木の田舎に住んでいたのよ。」

 ホタルは任務の前日、廃村間際の傾いた民家に一人住む、タマモの元へと訪れた。
タマモにその神・魔・人間の戦争に参加する意思は無く、また戦闘地域となる事もない田舎でひっそりと暮らしていたのだ。
そんな母の元にホタルは訪れ、一つの質問をした。

  ――ママはパパの事を愛していたの?

「……こ、答えは?」

 先の言葉より、長い間を置き黙るホタルに、横島は我慢しきれず問い、ホタルに意地悪な笑顔が浮かんだ。
けれども、それで十分だったのか、

「ママの答えは、『分からない』
 ただ、パパが死んだって聞いて、いろいろやる気が失せたって。
 もしかしたら本当に好きだったのかもしれない。
 でも、それを意識するには、私達には時間も環境もなさすぎた――って、そう言ってた。
 だから、アタシ決めたの。」
「……何を?」
「過去に戻って、ママがパパの事、本当は好きなんだって、自覚させよーって。」

 それで全部。
そう言わんがばかりにホタルは三角座り、一度はにかんだような笑顔を横島に向けると、すぐさま己が膝の中へと顔を隠して
しまった。

「……俺の気持ちは無視かよ。」
「うん、無視。」

 そんな横島のぼやきは一蹴。

「……やれやれだな。」
「やれやれだね。」

 そして二人は笑いあう。
ホタルに浮かべられたのは、実に達成感に溢れるような微笑で、
対して横島に浮かべられたのは、ちょっと引きつったような微笑で。




*****************************************************************************************************************




 吹雪は止んだ。

「じゃぁ、そろそろアタシ行くね?」

山間より上る朝日を背に、ホタルが言った。

「行くって、お前、どうすんだよ?」
「とりあえず、十五個の文珠まで、あと5つだから、できるまで霊力回復させて、未来へ戻るの。」
「……未来は……変わったのか?」

 ホタルを追って、まだ眠ったままのタマモを負ぶり、ロッジより出てきた横島が問うた。

「さー? 戻ってみれば分かるんじゃない?
 私、消えない未来にするのが目的だったわけだし、だから、もしかしたら起因を作った私だけが蚊帳の外って事も
 考えれるでしょ?」
「……ええ加減やなぁ。」
「パパ譲りですから!」

 実にあっけらかんと。
もしかしたらそれが後生の別れになるかもしれないというのに、それでもホタルは出合った時の笑顔のままでそう言い。

「なら、さっさと帰っちまえ。
 ほら、餞別の俺の文珠。」
「うわー、オリジナルだぁ。
 持ち帰ったらプレミア付くかな?」
「……判別つくのか?」

 片手で横島が投げて遣した文珠は5つ。
これでホタルが未来に戻るのに休息は不要となる。

「じゃ、お幸せにぃ〜。
 バイバイ、パパ。いつか、未来で――」
「って、もう少し――って、行っちまったか……」

 夜露が陽光に解けるよう、
空へと浮かび上がったホタルは、太陽の中へと姿を消した。
横島は、その方向を目を細め暫く見つめていたが、やがて振り返ると、背にタマモを負ぶったまま山を下っていく。
背中に感じる重みは、普段、80キロ近い除霊道具を運ばされている彼には、なんら負担にならなかったが、
それでも、重い――とくん、とくんと伝わってくる鼓動は、命の重み。

と、背中の鼓動がすぅっと離れ、

「あ……あれ?
 ん、……横島? ふぇ……さむっ
 ここ……?」
「寝ぼけてるのか?
 ここは昨日――ふげっ!」

 努めて穏やかな声で話そうと試みた横島の脳天にタマモの拳が炸裂する。

「って、なんであんたなんかが、私を背負ってるのよ!」
「はぁ?! そりゃ、お前が何時までたっても起きないから――!」
「起きないからって、事務所からここまで何キロあるの!?
 こんな人里離れた場所で私に何しよーと――!
 ああっ!今日は折角横島の家に、キツネうどん食べに行ってあげようって思ってたのに、やっぱり人間って信用できない!」
「……キツネうどんって、あれはこの前お前が全部食っちまっただろうが?」
「はぁ? ……横島、それ何時の事言ってるの?」

 肩越しに突き出されていたタマモの顔がきょとんとする。
その表情に、横島は、さぁぁと血の気が引くのを感じ、

「……お前、今日が何月何日か言ってみろ?」
「はぁ? もちろん――」

 それは確かに四日前の日付で、






「……ホタル、
 未来、大丈夫か……?」




 振り返り見た太陽は燦々と、輝いていた。
兎にも角にも、まぁ、今日は晴れ、らしい。





                  《終》
どもっ、ヴォルケイノです。
前回投稿から随分時間が経ってしまいました。
また、御題モノ、という事もあり、前回の話から継続させるかどうか迷ったのですが、
折角思いついた話だったので、継続させていただきました。
同系列の話、あと二つ程考えておりますので、機会がありましたら、またその時にでも――

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