「へーーーっくし!!」
毛布を羽織り、コタツにあたっていた横島が、ひときわ盛大なくしゃみを放つ。
舌を噛みそうなほどの勢いに、カゴに盛られたみかんがひとつ、転がり落ちた。
「あんの・・・ クソ狐めーっ!!」
「み・・・みごとに化かされましたね」
横島は、二人して風邪をひく原因となった妖狐に悪態をつき、おキヌも半ば感心しながら鼻をかむ。
まだ冬の走りとはいえ、一晩中幻術を見せられて外に放置されたのだから無理もない。
逆にいえば、ただの風邪ですんだことに感謝しなくてはいけないかもしれなかった。
「ま・・・ すぐに仲良くなろうったってムリですね・・・」
タマモ、と名乗った仔狐のことを思い、おキヌは肩を落とす。
出会ったばかりの妖怪に心を開いてもらえるとは思わないが、それでも微かにでも期待していただけに心寂しい。
風邪のせいもあってか、予期せぬ客のいなくなった横島の部屋は、どこか寒々しく思えた。
ピンポーーーン
打ち沈む気持ちの中、不意に場違いなほど明るいドアチャイムの音が鳴る。
「ふぁい・・・!?」
こんな夜更けに尋ねてくる者もいないと思うが、横島はさして考えもせずにドアを開ける。
「あれ?」
開いたドアの向こうには、すっかり寝静まった夜の街並みがあるだけで、誰の姿もない。
さては誰かのイタズラか、子供の頃に自分がやったイタズラを思い出し、迷惑な、と怒ってドアを閉めようとしたとき、足元に置かれた小さな包みと、なにやら走り書きがされた紙に気がついた。
「なんだ、こりゃ?」
大きな葉っぱに包まれたそれを取り上げ、小首を傾げて部屋の中に戻った。
「おキヌちゃん、こんなものが置いてあったんだけど―――」
草のつるで蝶結びにされたところをつまみ、コタツにあたったままのおキヌへ掲げてみせる。
「あら? どうしたんですか、それ?」
「んー、なんかわからんが、ドアの前に置いてあった」
「誰から?」
「さあ? 開けたら誰もいなかったし」
寒む寒む、と、そそくさにコタツに入りながら、もう片方の手に持たれた走り書きに目を落とす。
家のポストにたくさん送られてくる、どうでもいいようなチラシの裏には、ただ一言「せんじてのめ。カゼ薬だ」とだけ書いてあった。
女子高生が書くような、少しくだけた字には見覚えはなかったが、心当たりとなれば一人しかいない。
「これ、タマモちゃんが?」
「うーん、たぶんそうなんだろうけど、どういうつもりなんだろうなー」
背中に走る寒気に震えながら、横島はぼやく。
ようやくに身体も暖まってきたというのに、またすっかり冷えてしまっていた。
おキヌは横島から受け取った包みを開き、中身を確かめてみる。
半ば予想したとおり、風邪の症状に効く様々な薬草が入っていた。
「たぶん、私たちのことを気にしてくれたんですよ、きっと」
「そうかなぁ? またなんか企んでいるんじゃないの?」
「もう。そんなこと言ったらダメですよ」
昨日の一件もあり、疑いを捨てきれない横島をおキヌはたしなめる。
友達にはまだなれなくとも、このタマモの気遣いは良い兆候だろうと思いたい。
「じゃ、さっそく煎じてみましょうか」
お台所借りますね、と言って、おキヌはゆっくりと立ち上がる。
軽くめまいでもしたのか、少しふらふらとしておぼつかない。
「だ、大丈夫? おキヌちゃん?」
「だ、大丈夫ですよ」
心配そうな横島をよそに、上掛けに袖を通しながら台所に立つ。
ほんの一枚のガラス戸をへだてただけなのに、火の気のない台所は足元から冷気が忍び寄ってきた。
たまらず空のやかんに水を張り、すぐさまに火をつけた。
ガスの燃える音に人心地つくと、タマモが持ってきた薬草の包みをより分ける。
民間薬としておキヌにも馴染みの深かったクマザサやシソ、ユキノシタに加えて、滋養強壮に効果のあるアマドコロやイカリソウなど。
そして、葉のあいだには、小さなひょうたんみたいな形をしたチョロギまで忍ばせてあった。
「こんなにたくさん採ってきてくれたんだ・・・」
量は多くなくとも、様々な種類の薬草におキヌは感嘆する。
摘まれた葉はどれもまだみずみずしく、森の香りがするような気がした。きっと、一日中走り回って集めてきてくれたに違いない。
薬草の中には乾燥させたほうが効果が高いものもあるが、ここはありがたく全部使わせてもらうことにした。
まずは軽く水で汚れを落とし、細かく手でちぎる。
口広の土瓶でもあればよかったのだが、あいにくと置いていないのを知っているので、やむをえずやかんで代用する。
その際、あまりぐらぐらと煮立たせないように、コンロの火を少し絞った。
別にしておいたチョロギは小さいコップに入れ、料理用に置いてある日本酒を注いで浸す。
二人とも未成年なので飲むわけではないのだが、美神のところから貰ってきたものなので、なかなかの銘酒だったりもする。
さして待つ時間もなく、やかんの湯が沸騰する。
出がらしの玄米茶が入ったままの茶漉しを空け、ふきんかわりのキッチンペーパーを敷いて、並べた湯のみの上に置く。
煎じたやかんの湯を、少しずつ円を描くようにちょろちょろと注ぐと、茶色い薬湯から独特の匂いが漂ってきた。
「横島さーん! できましたよー!」
「ふわーい」
いつもと違い、気のない横島の返事におキヌはくすりと笑う。
おいしいと食べてくれる料理ならともかく、薬だと思うと気乗りがしないのも無理はない。
「はい、横島さんの分。まだ少し熱いから気をつけてくださいね」
「あ、ありがと・・・」
礼は言うものの、横島はなかなか湯のみを口につけようとはしない。
「・・・これ、ホントに飲むの?」
湯のみを覗きこんだ横島は、おキヌのほうをちらりと見た。
濃く煎れたほうじ茶のような、それでいてアクの強そうな液体は、見ただけでも苦いのがよくわかる。
わざわざ飲むまでもなく、匂いだけでも口の中に苦味が広がってきそうな感じだった。
「何を言っているんですか。良薬は口に苦し、ですよ」
「でも、おキヌちゃんだって飲んでないじゃないか・・・」
「え・・・ それは、その・・・」
ぐすん、と鼻をすすりながら、おキヌも湯のみを前にためらいを見せる。
子供の頃は薬湯を飲むしか薬のなかったおキヌは、これがものすごく苦いことを経験で知っているのだった。
「じゃ、じゃあ、一緒に飲みましょうか? ねっ?」
「うーん、おキヌちゃんがそう言うなら・・・」
渋々と了承する横島と一緒に、おキヌは苦い薬に口をつける。
せっかくのタマモの好意なのだから、無駄にしちゃったら可哀想だった。
「うえぇ〜、まだ口の中が苦いよ・・・」
だらしなく舌を出して、横島がぼやく。
せめて中和を求めるように、コタツの上のみかんに手を出して一つ、二つと口に運ぶのだが、なんとも言えぬ渋みが消え去る気配はない。
「ちょっと入れ過ぎちゃいましたね・・・」
おキヌもみかんを口にするが、こちらも苦味が抜ける様子はない。
およそ三百年ぶりに味わう薬湯の味は、記憶していたものよりも遥かに強烈だった。
「でも、おかげで身体は暖まってきたじゃないですか」
「んー、そう言えばそうかもね」
果たして薬効が効いてきたのか、心なしか身体が楽になったような気がする。
すっかり全快、とはいかないが、もう上掛けを羽織る必要はなくなっていた。
それどころか、発汗作用のおかげか、うっすらと汗ばむほどに感じている。
「う〜ん、なんかもう、暑くて着ていられないや」
「そんなに慌てて脱ぐと、また風邪をひいちゃいますよ」
おキヌはパーカーを脱ぎ捨てる横島をやんわりと注意するが、その顔もまた、ほんのりと赤い。
「ふう。なんか、やっと落ちついたって感じだよ」
ほっとして横島は息をついた。
タマモを家に匿ってから、ようやくに人心地ついた。
部屋の脇にどけた時計を見ると、日付はすっかり変わっていた。
「やれやれ、もうこんな時間だよ。さすがに二日間も美神さんとこへ行かないと怒られちまうしな。今日はもう寝ようよ、おキヌちゃん」
何気ない感じで声を掛けるが、隣に座るおキヌからの返事はない。
「どしたの? おキヌちゃん?」
怪訝そうに見ても、おキヌからの答えはない。
それどころか、これ以上にないぐらいに顔を真っ赤にして俯くばかりだった。
さては熱でも上がったのか、と心配して横島がおでこに手を伸ばそうとすると、びくん、と身体を震わせて顔を上げる。
「あ、あの、私・・・」
「ん?」
「ふ、二日間も・・・」
「二日間もどしたの?」
「二日間も横島さん家にお泊まりしちゃったんですよね・・・」
消え入りそうなおキヌの声に、横島はあっ、と声をあげる。
いかに風邪をひいていたからといって、年頃の男女が、それも少なからず好意を持っている二人が一緒に過ごす。
今の今まで意識してなどいなかったというのに、その既成事実に激しく動揺してしまう。
「い、いや、でも、別に何もなかったわけだし・・・」
「でも、美神さんはそうは思わないかもしれないですよね・・・」
「そ、そ、そ、そんなことは・・・」
「それに私、横島さんとなら・・・」
「お、おキヌちゃん・・・」
ごくり、と鳴らす喉の音が、火照る二人の背中を、くいっ、と押した。
雲に朝焼けが映る頃、まだ人気のない街に一人の少女が舞い降りる。
空を滑空してきた彼女は無論、人ではなく、つい先日退治されたはずの妖孤、タマモだった。
昨夜、横島の家の前に薬草を置いて、一度は山に帰ったのだが、気になることがあってまた戻ってきていた。
野生の感と、おぼろげな前世の記憶を頼りに薬草を用意はしたものの、はたしてそれが正しいのかどうか気になっていた。
毒になるようなものはなかったはずだが、果たしてちゃんと効いたかどうか確かめたかった。
人間嫌いなのは一朝一夕ではかわらないが、それでも、助けてくれた二人には多少の恩義は感じていた。
狐の時に目にした風景と匂いを頼りに、横島のアパートの前にたどり着く。
朝日の元で見るアパートはことさらにオンボロに見えて躊躇するが、ここがあの部屋に間違いはない。
音を立てないように階段を昇り、安っぽいスチール製のドアの前に立つ。
見ればドアの前に置いた薬草は無くなっており、受けとって貰えたことに微かに安堵した。
コン コン
大きな音を立てないように、控えめにドアを叩く。しかし、中からは何の反応も無い。
もう一度叩いてみようと思ったとき、鍵がかかっていないことに気がついた。
ほんの少し迷った挙句、タマモは静かにそのドアを開いてみた。
「ね・・・ 風邪の具合はどう・・・?」
柄にもない、と思いながらも気遣いの声をかけて部屋の中を覗き込むが、ほどなく二人の寝姿を見つけてかき消してしまう。
僅かに逸らした視線の先には、仲むつまじく寄り添って眠る、男女の姿があった。
「えと・・・ その・・・ 来ちゃダメ・・・ だった・・・ よね?」
タマモは聞いてもいない二人に言い訳を告げ、ドアを閉めてそっと出て行った。
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