「ちょっと澪、いる?」
「ブフォッ」
ノックも無しに男が自室に乱入してきた瞬間、澪を思わず口に含んだ野菜ジュースを噴き出していた。
それはそうだろう。
乱入してきたのはただの男ではなかったのだから。
過剰に露出された肌、異様にビルドアップされた肉体、そして独特の腰の動かし方。
見間違うことなく、その男は“鋼の錬筋術師”マッスル大鎌であった。
「なによ汚いわね」
「なっ、なによじゃないわよ!あんたこそ、ノックもしないで入ってきて。ビックリするじゃない」
「あら、ごめんなさい。私としたことが」
あっさりと自らの非を認めた、大鎌に拍子抜けとなり、澪のしかめ面がわずかに緩む。
「私のセクシーボディーを見たらビックリしちゃうわよね、ごめんなさい」
そう言うと、大鎌は両手を天に突き出し、ポージングまで決めた。
下半身も動いているようだが、それを直視するのは辛すぎる。
―そうじゃない。いや、大鎌自慢のセクシーボディーとやらを見てビックリしたのは事実だが、違うのだ。大鎌が言っているような「見惚れる」とかそういうニュアンスではないのだ。
そうは思ったものの、それを突っ込む気力は、怒りを通り越して呆れに到着してしまった澪には既になく、ただ帰ってもらいたい一心で、さっさと用事を済ませてもらおうと口を開いた。
「で、何の用?」
「あら、ごめんなさい。それでね―」
ありがたいことにポージングをやめて、ソファーに腰掛けてくれた。これで、無意味な暑苦しさからは解放される。しかし、澪が安堵のため息をつくことはなかった。
「澪、あんた今日の、って言うよりは最近訓練サボってるでしょ?」
澪はうって変わって真顔になった大鎌の、サングラスの下の瞳から目を逸らした。そんな彼女の態度に、大鎌は自分の言葉が事実であったことを確認した。
「訓練サボっていざって時に、困るのは自分自身なのよ、わかってる?」
「誰がチクったの?ああ、黒巻のやつね。あのガム噛み女、性格悪そうだもんね」
「あのね、誰がバラしたのかなんて問題じゃないでしょ?あんたがサボってるのは事実なんだから」
「そりゃそうだけどさ…、でもあの教官から何学べってのよ。あたしより、超度下なのよ?」
そんな澪の言葉に、大鎌が盛大にため息をつく。
訝しげな澪の視線に応えるように大鎌が口を開いた。
「あんた本当に訓練でてないのね。教官が口を酸っぱくして言ってるでしょ。超能力は超度だけじゃない、って。そんな言葉が出てくるようじゃ、何も学ぶことはないなんて言えないんじゃない?」
澪は反論しようとして口をつぐんだ。
事実、パンドラのエスパーの中でも、それほど超度が高くなかろうが任務をこなしているエスパーは存在する。無論、超度が高いに越したことはないのだろうが、知識と経験、それに基づく判断力も重要な要素であることには、変わりない。
沈黙する澪に、大鎌が諭すように続ける。
「知識とある程度の経験、それを養うのが訓練なのよ?あんたも実戦は何度かやってるんでしょうけど、それでもまだ十分じゃないでしょ?
それに、拾ってくれた少佐の恩にも報いないとね」
澪はなおも言葉を発さない。しかし、頬を赤らめてかすかに首を縦に動かした。
「そうでしょ?だからちゃんと訓練に出なさい。そうしないと、また“女王”に突っかかった時みたいに失敗……?」
“女王”という言葉を耳にした瞬間、俯いていた澪が急に顔を上げ、さらに立ち上がる。
「なんで、あんな奴の名前がここで出てくるのよ」
そんな澪に、大鎌は驚いたような、感心したような表情を浮かべる。
「な、なによ?そんな変な顔して」
「いや、あんたの“女王”嫌いって本当なんだなぁ、と思って」
腰を下ろし、バツの悪そうな顔で答える。
「当然でしょ。私達の未来のリーダー?冗談じゃないわ。あんなヤツに、そんなの任せられるわけないじゃない」
「まぁ、それを認めたくないのは、あんただけじゃないけどね」
「そうでしょ。それに、あいつ卑怯なのよ。1人で来いって言ったのに3人も仲間連れてきて」
「1人で来いって言われて、1人で来る敵しかいないんだったら、苦労しないわよ。大体、ザ・チルドレンは3人1組が常識でしょ?それぐらい予想しないと。やっぱり、経験不足ね」
言外に、だから訓練に出なさい、と含んであるのはバカでも分かる。
「あーあ、やっぱりそこに話がいくのね」
「そっ、私も訓練を欠かさないからこそ、このセクシーボディーを維持できるのよ」
そう言って再びポージングを決めた。
―また暑苦しいのが始まった。
そう思った矢先に、ポージングが解かれる。
「なによ」と澪が問うと、大鎌はさも重大なことのように問いを発した。
「そういえば、さっき仲間が3人って言ったわよね?」
「言ったけど?」
「もう1人って男だった?いい男だった?」
「男だったけど…」
「だったけど?」
「黒かった」
「何よ、それ。そんな情報、何の役にも立たないじゃない」
いかにも残念という風に大きく仰け反る大鎌。呆れたように澪が欠伸をする。
「別にいいでしょ。大体あんた少佐一筋じゃないの?」
「味見よ、味見。じゃ、私は上に提出しなきゃいけない情報があるから、そろそろ行くけど…」
「わかってるわよ、訓練に出ればいいんでしょ?大鎌オジサン」
「なっ、なによオジサンって。私はそんな年じゃないし、第一―」
「情報提出しに行かなきゃいけないんじゃないの?ほら早く行ったら?大鎌オジサン」
興奮して抗議する大鎌に、舌を出して追い払うような手まねをする。
「なっ、後で見てなさいよ。お仕置きしてあげるからね」
大鎌をようやく部屋から追い出すと、澪はベッドにゴロリと寝転がった。
「訓練か…ちょっと面倒だけど、まぁ、少佐のためだし、“女王”気取りの女に負けるのもヤだし、しょうがないか」
その後、澪は深い深い眠りについた。
だから、覚えていない。
―誰かに心配されることも、悪くないな。
と思ったことを。
そして、自分を拾ってくれた人、そしてメガネの優しげな青年が夢に出てきたことも。
『留守番電話、一件デス』
ピーッ
『あっ、コレミツさん?
私、マッスル大鎌。
澪にはしっかり言っといたから。
ちょっと生意気だけど、根はいい子だから、もう大丈夫だと思うわ
また何かあったら私に、ジャンジャンお願いしていいわよ。
コレミツさん、いい人だからドンドン頼まれてあげる。
で・も・ね
私に惚れちゃあ駄目よー。
私は少佐の物になるんですからね、
それじゃあねっ、フオーッ』
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