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ぼーるぱーく・らぷそでぃ(その2)

 『エースで四番』―― この言葉は、野球ファンにとって深い憧憬とそれに半ばする嫉妬……そして、僅かばかりの郷愁の影を背負って、支持され続けている。

 故に―― 『四番、ピッチャー・“ポチ”!』―― このアナウンスが流れたことによって、嵐の如き叫びが東京エッグドームを揺るがしたことも、無理からぬことだ。

 だが、当の『エースで四番』その人はというと―― 。
「アホかー!?あんなバケモン相手に、俺にどないせーっちゅーんじゃーっ!!」
 常識外れの超人野球を目にして、すっかりヘタレきっているのであった。




 【ぼーるぱーく・らぷそでぃ(その2)】




「まずいな……横島君……すっかり萎縮してしまっているようだ」
 
 “ポチ”に扮したまま、腰の引けた状態のまま打席につく横島の姿に、唐巣の口からも不安の声が上がる。

 横島忠夫という少年は、このメンバーの中で最も遅く霊能に目覚めた。

 確かに、ポテンシャルという面では最も大きな器を持ち、いざとなればこのメンバー中でも特に抜けた力を引き出してきたことは間違いない。

 その“器”があったからこそ、師匠である美神を超える爆発力を示し、アシュタロスを相手にした際にも決定的な役割を果たしたのだが、これも母親と雇い主の教育の賜物であろうか……本能的にはかなりのビビり症である上、なまじ反則級の万能アイテムである“文珠”の圧縮精製能力に目覚めてしまったことで、修行とは縁遠い生活を送っていることもあり、平時引出すことが出来る力にはムラが多く“スイッチ”が入らなければその高いポテンシャルをろくに引き出すことすらも出来ないまま、という事態を引き起こしてしまっているのだ。

 その“スイッチ”を入れるものが『突然襲い来るピンチ』であり、『桁違いの煩悩』なのだが、試合形式というやり方では、この試合の裏に流れる『生命のやり取り』という要素を薄めて感じさせてしまうし、こういった『公衆の面前』という場所で横島の煩悩を満たしてくれるようなサービス・ショットを期待することも出来ない。

 つまり、横島という不安定な『切り札』の力は、今この時点においてはゼロに等しいと言い換えても良いのだ。

 横島の動揺を一旦落ち着かせるべく、タイムをかけるべきか―― 唐巣が逡巡している間にも打席に立つ横島は弁辺の投げた大跳躍魔球を見逃し、カウントは1ストライク。

『どしたい?ビビって手も足も出ねぇ、って訳じゃないんだろ?』

 口調、そして、それとともに爪弾かれる三味線の音色にも、強敵とやりあえる―― そういう喜びをありありと感じさせる弁辺に『あんな剛速球に、一般人が手も足も出てたまるかっ!!お前みたいな奴は雪之丞を相手に超人野球でもやってりゃええんやッ!!』と、内心で横島は毒づき、気付いた。

 『雪之丞、か。そういえば、雪之丞は「当てて転がしさえすればいい」ってピートに言ってたな―― 待てよ?』

「―― タイム!」とりあえず『それ』を実践するための布石を打つべく、セカンドベースに佇むエミを手招きする。

 が、数秒の後、バッターボックスから二塁へと駆け出す横島―― どうやら、『用があるならおたくが来るワケ』とでもジェスチャーで返されたのだろう。端から見たら情けないの一言だが、周囲からの印象とは裏腹に、セカンドベース上でエミと二、三のやり取りを交わした後に、打席に戻る横島の顔には確たる自信が漲っている。

 その『一発やらかそう』という気配に満ちた横島の表情を危険と見たのだろう―― 『まずいぞ。ここは一球外せ』とサインを送るキャッチャー・八幡平だが、弁辺は首を横に振ると『アニキ、そんな弱気じゃこいつには勝てねぇ!迷ってる時には、強気で押すのが一番だ!』と応じる。

 そんな細かいサインがあるのかどうかはさておき、弁辺は振りかぶると同時に高々と跳躍―― そして、さらに球威を増すべくその矮躯を三日月の如くに反り返らせる。

 エビ反り大跳躍魔球―― 大跳躍魔球の『高さ』で増した球速と球威を、全身のバネを投球動作に連動させることによって増幅させた上、その身体をブラインドにすることによって、ボールの出所を隠すという効果も持つ、大跳躍魔球の進化形であった。


 しかし、そこまでの威力を生み出すために必要とした大仰な投球動作は、幾つかの『死角』を生み出す。

 その一つが、“走者への死角”―― ごく普通のワインドアップ・モーションでもゆうゆうと盗塁を許す程の隙を孕んでいるというのに、ワインドアップよりもさらに大きなフォームである大跳躍魔球ならば、エミの足でも三塁を陥れることは難しくない。

 ましてや、威力を重視して『エビ反り』という動作をも含めた投球である。そのモーションが生み出す隙は計り知れない。

 かといって、三塁まで半分の距離に近づこうとしているエミの姿を逆さに映る目の上端に映したところで、走られることを事態を想定していなかったため、今更牽制球に変更することも出来ない。

『これがお前の“作戦”かっ!!セコいぞ、“ポチ”!!』
 投手の意識をかき乱す、足を絡めた卑怯な作戦に、憤りとともに叫ぶ弁辺だが―――― 横島のセコさはそれどころではなかった。

 上体を起こした弁辺の視界にまず飛び込んだのは―― 神通バット……そして、それを握る光り輝く鉤爪!
『なっ?!』

 驚愕の叫びを上げる弁辺だが、もはや投球動作は止まらない。

 左手からボールが離れる。

 ほぼ同時に起きた鈍い音とともに、ボールがマウンド脇に弾んだ。

 投球と同時に撃ち落とされたボール―― そのバウンドの勢いを減殺するには、人工芝とコンクリートの地面はあまりにも硬すぎ ――ボールは追いかけるセカンドの頭……そして、差し上げられたグラブをも超えた。

 フォローに走るライトがボールを掴んだ瞬間、横島の姿はやや一塁寄りの一、二塁間を全力で疾駆していた。

 無理な走塁―― そう判断したライトは二塁を守るショート目掛けて返球する。

 矢のような送球は過たずにグラブに収まる―― が、その頃には横島の右手を包む『光り輝く鉤爪』こと《栄光の手》はエビ反り大跳躍魔球を破った時と同様、瞬時に伸びて二塁を陥れていた。


 無論、横島の『ライト前ツーベースヒット』により、エミは楽々ホームインしており、スコアボードには燦然と『1』の数字が輝く。

 弁辺の大跳躍魔球が持つ『もう一つの死角』―― 対抗手段を持っている打者の動きに対しては無防備という最大の弱点を突くことで挙げた得点に、ドームが揺れた。

 その内訳は、6割が『ヒキョーだぞ、てめぇ!!』『手足が伸びるなんて、やっぱり悪魔の手先だ――――っ!!』“ポチ”の卑怯な行為への罵倒……そして、残る4割が、『よーし、ええぞ――!その調子や――っ!!』『す、すげ――――ッ!!ワクワクしてきたぞっ!!』魔球に負けず劣らずの『超人野球』を繰り広げている横島を含んだGS達への驚嘆である。

 だが、卑怯といっても、横島の身体自体はバッターボックスにあり、バットを投げた訳でもないため、反則打法としてアウトをコールすることなど出来るはずもないし、走塁についても、《栄光の手》はしっかりとベースにタッチしているため、アウトがコールされるはずもない。

 というよりもむしろ、『腕を伸ばしてピッチャーの目の前でバットを振ってはいけない』『腕を伸ばして塁にタッチしてもいけない』と表記するルールブックがあったらお目にかかりたい。

 混沌とした歓声の中、師匠譲りの反則スレスレのやり方でタイムリーヒットを放った横島は呟く。
「ふー、どうなることかと思ったけど、ヒットになってくれて助かったなぁ―― さて、次は……」

 呟いた横島はネクストバッターズサークルに目をやり、がっくりと肩を落とした。

『五番、ライト・六道冥子!』

「な、何でよりにもよって五番が冥子ちゃんなんや?」
 今更落胆しても、アミダクジで決めたのだから仕方ない。


 その冥子はというと「えっと〜、これはどうすればいいんだっけ〜?」――やはりルールそのものも把握していなかったようだ。

 横島の落胆の通り、冥子は『?』マークで頭を埋め尽くしている間に直球三つであっという間に三振……1回の表はそうして終了した。




 
「横島君……変化球の―― 特に、フォークとスライダー、それとシュートの投げ方は知っているかい?」

「あー、まぁ……ガキの頃にはたまにピッチャーやってましたから、ちょっとは」

 地元のリトルリーグに行くほどではないものの、『遊びとして』の野球にはのめり込み、ご多分に漏れず図書館で借りてきた野球入門を片手に、幼馴染とともに変化球の真似事にも熱中したという、ごくありがちなシンパンティーガースファンの子供時代を送ってきたこともあり、怪訝そうにではあるものの頷く横島の答えに唐巣は満足そうに微笑むと、続ける。
「じゃあ安心だ。当時の変化球といえば、大半がカーブで、今のようにフォークやスライダーは多投されていないから、うまく使いこなせば内野ゴロの山を築くことが出来るはずだよ。
 なにより、サイキック・ソーサーの遠隔操作はやったことはあるだろう?どの方向に曲がるか、というイメージさえ出来ていれば、サイキック・ソーサーの軌道を変えるのと同じ要領で変化を増幅させることも出来るはずだよ」
 爽やかな笑顔とともにボールを手渡し、唐巣はマウンドからベンチへと下がっていく。

「内野ゴロ……ちゅーてもなぁ。肝心のファーストを守ってるのが……」不安混じりの呟きとともに、ちらりとファーストを見やる横島。

 その視線の先には、シンパンファンである横島の嗜好に合わせてだろう、白黒の縦縞ユニフォームを纏って守備練習を行うおキヌの姿がある。

「……おキヌちゃんだしなぁ」
 セカンドの西条からの送球もお手玉している辺り、不安もはなはだしい。

 ベンチにいる美神か唐巣と交代していれば、その守備の穴も埋まることは間違いないだろう。

 しかし、その一生懸命な姿からも、『横島の力になりたい。苦境に陥った横島を助けたい』というおキヌの想いは『友人を助けたい』というピートやタイガーのそれと同じく高いことは窺い知ることが出来る。

 想いの奥底にある『肝心な感情』そのものには気付かないという、流石の朴念仁ではあるものの、それでもなお伝わってくる想いを無下に出来る横島ではなかった。




 『一番、センター・シバタ!』

 場内アナウンスが歓声を呼び起こし、歓声に背中を押されて霊体のバッターが打席に入る。

 小市民の性分が横島の中で首をもたげる。

 だが、一塁キャンバス付近から“横島さん、頑張って下さい!”という強烈な想いがこもった視線を感じている以上、逃げたくとも逃げるわけにはいかない。

 

「まぁ、しゃーないか」
 自らの因果な性分に苦笑しながら―― 横島はタイガーの手にあるキャッチャーミットを見据えた。











 直球かと思わせたボールが手元で急激な変化を見せ、左打者の胸元に食い込む!


 切れ味鋭いシュートが、ボールを芯で捉える軌跡を描いていたバットの先端へと滑るように逃げる!


 二人の打者にたった二球でセカンドフライとショートゴロ―― 事は唐巣の見立て通り運んでいた。


 不安と思われていたおキヌの捕球も、多少危なっかしいところはあったものの、辛うじてアウトを取ることが出来、ツーアウトランナーなし。

 霊力を駆使しているとはいえ、素人であるはずの横島が伝説のV9戦士を簡単に料理していることは、ある意味奇跡といえた。

 だが、続いて打席に立つのはそれまでのカキワリ選手とは別格の、世界のホームラン王こと……『三番、ファースト・ワンちゃん!』―― 正しくは、その姿を模した霊体なのだが―― いかに横島が霊力で変化の度合いを増幅しようとも、奇跡がそうそう通じるようなヌルい相手ではない。

 となると―― 横島のやることは一つ。


 グラブで指示を出し、タイガーを立たせる。


 ツーアウトランナー無しで敬遠―― ドームを揺るがす大ブーイングを無視して躊躇なく逃げを打つ、実に横島らしい判断であった。
 

 だが、変化することのないハーフスピードの敬遠球は、この試合ではじめて横島が投げたごく普通の投球であるといっても過言ではない。

 そして、多少無理な体勢であっても、気の抜けた直球にバットを当てること自体は、『世界のホームラン王』にとって、けして難しいことではなかった。

 一球目で球筋を見極め、二球目でタイミングを計る。

 そして万全の状態で待ち受けていた三球目……さながらスクイズのようにボールに喰らいついた、『ワンちゃん』のバットがボールをかすめた。



 白球が宙を舞う。


 無理矢理喰らいついただけで、振り抜いてもいない……体勢も不充分な『ただ当てるだけ』の打撃。

 だが、倒れこみながら差し出されたバットに当たっただけの打球はゆるい放物線を描き―― ライトスタンド最前列へと飛び込んでいったのだ。


 異様と言わずして、なんと言えばよいだろうか?

「ちょっ……ちょっと待て――――ッ!!バントがホームランって、おめーはどっかの野球ゲームかー―――っ?!」
 あまりの非常識ぶりに、横島が思わずツッコミの叫びを上げるのも、無理からぬ話である。

 確かに、この東京エッグドームという球場には『ジャイアンズの攻撃中に限って空調設備に細工を施して上空に風を起こし、気圧もごく僅かにではあるが高めに微調整することによってホームランを出しやすくしている』という噂がまことしやかに囁かれている。

 しかし、先程の敬遠球に喰らいつくスクイズのそれに近い打ち方では、そのような高いフライを打つことすらできない。

 何らかの霊的後押しがないと不可能な打撃であることは間違いなかった。


「横島君……大丈夫か?」好調を断ち切られ、同点にされたことで動揺しているであろう横島を落ち着かせるとともに、対策を講じるべくマウンドに内野手を集めた西条が尋ねる。

「昔から言うことだが……『当たればホームラン』とはよく言ったものだな。
 僕も俄かには信じられられないが、今の当たりで確信したよ―― 彼には……そして、恐らくは今から対戦する『チョーさん』選手にもだろうが、『バットに当てさえすればホームランに出来る』という能力があるようだ。それほどまでに、彼らの―― 彼らの霊力の源である、ファンの『ホームランへの期待』は大きいんだろうな」

「だからどうしろってんだよ?まさか、敬遠球にまで霊力を込めて操作しろってのか?」
 絶望的な推論を述べた西条に、横島はやざくれた口調で応じる。

 だが、その言葉に西条は首を横に振って返した。
「いや―― 逆だよ。彼らにだけは打たれて構わない。
 君がいかに変化をつけようとも、かすっただけでもホームランになるんじゃあ、結局のところ安全に敬遠出来る率よりも遥かに疲労やリスクの方が大きいし、サイキック・ソーサーよりも消耗の大きい《栄光の手》や、数に限りのある文珠で局面を打開しようにも、君に負担がかかりすぎる。第一、あまりにピッチングで霊力を使いすぎては、攻撃面で役に立たなくなってしまうだろう?
 それならいっそのこと彼らの一発は最初から織り込んだ上で、打ち勝つことを考えるんだ。その方が、僕らに勝ち目がある」

 あくまで冷静に、勝てる確率の高いであろう方策を説く西条だが、その隣に立つ男は明らかな不満を口に出す。
「そんなハナっから腰の引けたやり方なんざ趣味じゃねぇよ。真正面から勝負して、その上で捻じ伏せりゃいいだけのことだろ」

「それは君のやり方だろう。第一、全国のテレビの前のファンも含めた人々の念の集合体に、一人の人間の力が太刀打ち出来るわけ無いだろう!ここで無理をして霊力切れを起こし、無駄な失点を重ねるよりも、失点を最低限計算出来る範囲に押さえ込んだ方がいいに決まってるじゃないか」
 不満を込めた横槍を入れる雪之丞に、西条は呆れと憤りを織り交ぜた口調で応じる。

横島コイツ一人に背負わせる心算はねえよ。横島の霊力が足りなくなりゃ、俺も投げりゃいいだけの話じゃねえか!」
 強い感情の混じった雪之丞の言葉がざわめく球場内に響く。

 西条の『正論』とは交わることのない、しかし、雪之丞の一本気な覚悟と想いを感じさせるシンプルなその言葉に、真新しいジャイアンズのユニフォームを纏う長髪の青年は舌鋒の穂先を緩めると、ちらりと横島を見る。


「よし。じゃあ……任せたッ!!」
 言葉とともにさっさとショートの守備に着く横島の姿がそこにあった。

 なんというか―― 台無しと言うより他ない光景であった。

「よ、横島君……君ね」
 がっくりと肩を落とし、多分に呆れを伴う感情を滲ませて呟く西条を、雪之丞はグラブで制して言う。

「いいじゃねえか。やる気を前面に見せるよりも、よっぽどあいつらしい」侠気溢れる笑み―― そして、その笑みに覚悟を滲ませながら続ける。「第一、俺達が今あいつのために出来ることといったら、最後の最後で切り札になってくれるあいつを最大限に活かすための捨て石になることと……露払いぐらいのモンだしな」
 雪之丞は信じて疑わない。負けたら生命を失うかも知れないという霊能対決に挑む戦友とものために自分が出来ることは、横島の霊力の消耗を出来るだけ抑え、同時に実戦の中でしか計れない『目の前の強敵がどれほどのことが出来るのか』……『どれほどのことまでしか出来ないのか』というものを計る物差しとなることなのだ、と。

 横島の降板―― ショートの雪之丞との交替に、場内からは怒涛の如きブーイングが巻き起こる。

 『あんなチビに何が出来る』『ポチが打たれるところが見たいんだ、お前なんかどうだっていい』『でしゃばるな、引っ込め』―― 四方からの罵声にこめかみをひくつかせながら、雪之丞はボールを握り潰さんばかりの迫力でタイガーの構えるミットを睨みつける。

 ワインドアップから、小柄な体躯に似合わぬオーバースローで一球を投じる。

 ぱぁん―― 外角低目一杯にコントロールされた直球が、乾いた音を立ててミットに収まった。

 スピードガンが示した球速は158km/h。

 観客にとって『脇役のチビ』でしかなかった雪之丞が見せた、本格派ピッチャーに匹敵する直球に、ドーム内に充満していたブーイングが潮が引くかのように消えていく。

 言葉ではなく、実力で……たった一球で罵声を抑え込むことに成功した雪之丞だが、その表情はまだ苦りきっている。

 渾身の速球を見せてもなお、打席に立つ『チョーさん』の顔には微笑みすら浮かんでいるからだ。
 そのバットはぴくりとも動いていない。

 反応出来ない、というのであれば苛立つことはない。

 だが、『チョーさん』はというと、雪之丞の投げる直球の球道を目で追い、二、三度頷いた上で笑みを浮かべているのだ。

 さながら『ああ、この程度なら充分ホームランに出来るよ。いつでもおいで、ボク?』と言わんばかりの余裕の表情である。

「てめぇ……後悔なら今のうちにしとけよ?」雪之丞のこめかみにうかぶ怒筋が感情的な動きを見せ―― ワインドアップから快速球が投げ込まれる。

 コースはインコース高め……胸元を襲うかのようなえぐいボールだ。

 が、『チョーさん』はスタンスをオープンに変え、厳しい内角球を叩くべく体を開いていた。

 『挑発すれば、容易くそれに乗ってくる』―― たった一球のやりとりで雪之丞を弁辺と同じ性質の持ち主であると見抜いたのかどうかは判らないが、最初からインコースの厳しいところをついてくる、ということが判っていたかのような応対である。

 胸元に食い込む直球を待ち構えていたかのように、バットが動き出す。

 

 静から動へ―― 緩から急へ……それまでの弛緩した立ち姿からは想像も出来ない爆発的なスイングスピードが、軽いテイクバックと言うごく自然な前振りを経て生み出されていた。


 引き絞られた弓から矢が放たれる様を思い起こさせるスイングに、ホームランは間違いない―― バットを振る『チョーさん』はもちろん、観客までもがそれを確信した瞬間、ボールが斜めに『跳ね』た。

 

 使い手の霊力コントロールによって軌道を変化させる―― サイキック・ソーサーの遠隔操作の応用であった。

 無論、スピードをつけている以上、変化の幅は最初から変化させることを念頭に置いた横島のそれと比べて小さい。

 しかし、『落ちる』『沈む』という通常の変化球の見せる変化と違い、150km/hを上回るボールがその軌道を『跳ね上げる』のだ。
 いかに伝説的な打者とはいえ、初見でこれに対応出来るような打者などいようはずもない。

 このままボールに当たってもスイングを取られてしまう以上、止めるに止められない中途半端なスイングのまま避けることを選択せざるを得なくなった『チョーさん』は大きく体勢を崩して空振りを喫し、カウントはツーナッシング。

 しかし、カウントの上では追い込んでいても、雪之丞はその実追い込まれていた。

 ボールをサイキックソーサーに見立てての変化球は確かに強力だ。しかし、この変化球はあくまでも『追い込んでから』見せるべき切り札であり、『追い込み、カウントを取るため』のボールではない。

 ましてや、相手は『ジャイアンズ』という枠にとらわれることなく、“ミスタープロ野球”とまで呼ばれるに至った名選手『チョーさん』に対する、懐古趣味の強い野球ファンの理想が形を取った霊体である。見たばかりの球種ではあっても、続けて同じ変化球を投げたところで対応し、当てることそのものは難しいことではない。

 そして『当たればホームラン』という反則極まりない能力を持っている。

 攻め立てているはずでありながら、雪之丞が袋小路に追い込まれてしまうのも無理はなかった。

 そして、『切り札』の切り所を過った痛恨に歯噛みしつつ雪之丞が投じた三球目は―― センターを守るマリアのロケットアームすらも弾き飛ばし、バックスクリーンに突き刺さる逆転の一発となった。



















「……くそっ!」
 ベンチにグラブを投げつけ、雪之丞は怒りを露わにする。

 続くバッターを三振に切って取ったものの、逆転のホームランを打たれたことに対する怒りは収まらない。

 いや、『打たれたこと』というにはやや語弊があった。

 確かに打たれたこと自体は痛恨に違いない。

 だが、マウンドに上がる前にはホームランを打たれることは半ば覚悟していたというのに、窮地に追い込まれた時、結局何の対策も講じることなく苦し紛れの速球を放っただけだった。
 その自分に対しての怒りが雪之丞を苛立たせているのだ。

「その感情のぶつけ方は、感心しないね」
 渾身の力と苛立ちを乗せて叩きつけられたグラブを拾い、持ち主に手渡すと、唐巣は普段の温和さを窺わす視線を真剣な色合いを強く含んだものに変え、諭すように言う。
「今君がやらないといけないのは、疲労の回復と魔球投手・弁辺勉の攻略の糸口を掴むことだよ。1イニングという短い時間の中で出来ることをなるだけ多くやらないといけないのに、体力と時間、集中力に至るまで八つ当たりで浪費しているようじゃあ、君にマウンドを……いや、どのポジションも任せることは出来ないよ」

 正論であった。

 だが、正論に押し黙りはしたものの、雪之丞の目には未だぎらつく不満の光がある。

 過去の自分にも確かにあった、若者特有の半ば理不尽な反発の意志を多量に含む眼光を見て取ると、唐巣は軽い嘆息とともに促す。
「何はともあれ、ちょうど西条くんの打席だ。彼の打席を見れば、今の君に足りないものがなんなのかが判るんじゃあないのかな」

 その言葉を受けて雪之丞はグラウンドに向き直る。

 唐巣と雪之丞のやり取りの間にも投球は続いていたのであろう―― 電光掲示板に記されたカウントは2−1を示していた。

 鈍い音を立てて転がるボールに、追い詰められている西条は笑みを浮かべ、追い詰めているはずの弁辺はその幼い顔に苛立ちをうっすらと滲ませる。

『こっの……野郎!』
 力を込めて投げ込んだ直球―― だが、190km/hを超える直球は西条の短く持ったバットに捕らえられ、鈍い音を立ててファールグラウンドに弾んだ。

「……?西条の旦那、調子悪いのか?いつもの剣の振りと比べて力がねぇ。あの程度だったら、俺ならいつでもヒットに出来る―― 」

「ああ、西条くんの実力ならば、その気になればヒットを打つことも簡単だろうね」
 雪之丞の言葉に被せる形で唐巣は言う。
「だけど、今やるべきことを掴んでいる西条くんはそれをそうそうはしない。ああやって、ファールで粘ることで球数を引き出し、疲労を伴うと同時に誘っているんだ―― 君達がそうだったように、集中力と霊力を大量に消費する……魔球をね」

 ―― ガッ!

 唐巣の言葉に併せるかのように、六球目のファールが今度はバックネットを叩いた。

 俗に言う、『タイミングが合っている』という状態である。

「野球というのはチームスポーツ―― ホームベースを踏んでやっと得点が入るゲームなんだから、ヒットを打っても単発じゃ意味がない。かといって、向こうのように確実にホームランを打って得点を挙げることが出来るバッターがウチにいるかといえば、それもまた違う。
 しかし、このチームもいかに伝説の魔球投手といえど、一人で投げ勝てるほど甘いチームじゃないことは、このメンバーを見たら判るだろう?」
 言われて雪之丞は頷く。

 何をしてくるか、というよりもむしろ、『何をしでかすか判らない』横島や冥子、カオスに、その気になれば『ルールの向こう側』からでも遠慮なく攻撃する美神とエミという面子が揃っている。

 幾分の照れ隠しの意味合いを込めた舌打ちとともに、不機嫌そうな顔をごく僅かに和らげると、雪之丞はベンチに座り、言った。
「お説教はもういいよ。やらなきゃいけねぇことが一杯あるんだろ?」
 言葉とともに真剣な眼差しで、魔球投手の一挙手一投足に目を配る。

 “足りないもの”―― 『チームプレイに徹する意識』を念頭に置いての言葉に、唐巣は薄い笑みをこぼした。



 一方、グラウンドでは実に十七球目となるボール球が投じられていた。

 カウントは既に2−3―― 見逃せばフォアボールとなり、出塁することが出来るそのボールを、しかし西条はカットしていた。

 投球が十球を数えてから繰り出し始めた大跳躍魔球やエビ反り大跳躍魔球も、バントの構えから一旦バットを引いた上でヒッティングに出るバスター打法を織り交ぜての西条の粘りのバッティングにはファールの山を築くだけで精一杯であった。

 いや、バントの構えによってボールの軌道と目線を合わせることでバントと同様に軌道に『置いてくる』スイングを可能とするバスターならば、魔球とはいえ、蓋を開けてみれば直球でしかない二種類の大跳躍魔球を捉えることも難しくはないだろう。

 『次の魔球』を待っていることはもはや明確であった。

『仕方ない―― これ以上付き合って疲労することもない……敬遠するぞ』
 そのサインとともに立ち上がるキャッチャ・八幡平。

『アニキ、それは違う!コイツは今ここで捻じ伏せておかないと、後が厳しくなるだけなんだ!!それに、これだけ粘った相手には全力で応えないと……侍とは―― 漢とは言えねぇだろっ!!』
 しかし、サインに首を横に振ると、弁辺は大きく振りかぶりながら―― 跳躍した。

 大跳躍魔球とは違う、捻りが加わった跳躍。

 高さはないものの、捻りによって生み出された回転を伴ったその跳躍に、西条はフィギュアスケートのアクセルスピンを思い出していた。

 超竜巻魔球―― 高速回転によってスピードを加算するとともに、投球のタイミングを不規則なものにすることによって引き起こされる、ある種のチェンジ・オブ・ペースで打者のタイミングを崩し、討ち取る魔球であった。

 大跳躍魔球と類似した初動から繰り出される、異質の魔球にタイミングをずらされ、ボールを上手く捉えることが出来なかった西条のバットが空を切る。

 充分なデータを引き出せずに三振に討ち取られた―― その悔恨が西条の心を支配する。

 しかし、悔恨は一瞬で霧散する。

 タイミングをずらされて中途半端なバッティングで三振した西条同様、敬遠のために立ち上がった八幡平の捕球体勢もまた、充分でなかったのだ。

 ミットがボールを弾き、バックネット方向へと転がっていく。

 ボールに追いついた八幡平の送球がファーストの『ワンちゃん』のミットに収まったその時には、既に西条の両手は一塁キャンバスを掴んでいた。

 振り逃げ―― スマート且つエレガントをモットーにしている西条には似つかわしくない、あまりに泥臭い出塁だった。





 ―― 『七番、センター・マリア!』

『気にするな!今から抑えていけばいいだけだ』
 言いながら、打順を逆算する八幡平。

 今から抑えていけば―― この言葉が意味することは大きい。

 逆を言えば、一人でも抑えることが出来なければ、再び打順は一番に返る、ということになる。

 生前にも連投に次ぐ連投を繰り返してきた弁辺にとって、イニングの合間合間に回復することはそれほど難しくはない。

 だが、イニング中での回復はそうも行かない。のらりくらりと泥仕合に持ち込む老獪さを持っているならば話は別だが、気持ちを前面に押し出して投げ込む弁辺のこのイニングでの疲労は、西条に粘られ、魔球も一種類をさらに見せたことで大きくなっている。

 その疲労が重くのしかかる状態で打順がトップに返るのはあまりにも危険―― それを踏まえての言葉であった。

『アニキ……今からは全球魔球で行くぜ。あいつら、もしかするとコメリカ大リーガー以上の相手だからな―― 出し惜しみしていて勝てる相手じゃねぇ』
 八幡平の言葉を受けて、強い言葉で返す弁辺。

『……勉、お前!?』
 ―― 死ぬ気か。
 そう続けようとして、気付いた。

 彼ら二人はもとより死人だった、ということを。

『そうだな―― 判った』
 気付いてしまった以上、異論を飲み込む以外に出来ることはなかった。

 そして、異論を飲み込んだ以上、死してなお魂を残すまでに愛するジャイアンズの勝利のために八幡平が出来ることは―― 『さぁ来い、勉!お前の全力は俺が受け止めてやる!出し惜しみなく投げて来い!!』弁辺勉の投げる全力の魔球を受け止めることであった。



 そのやり取りを経て投げ込まれた超竜巻魔球を、しかしマリアの長大なバットの一振りは無情に打ち砕いた。


 アンドロイドであるがために霊力を持っていないマリアは、他のチームメイトと違って霊能勝負に持ち込み、霊力で弾き返すことは出来ない。

 だが、魔球とはいえ、あくまでストレートはストレート―― そして、ストレートである以上、マリアの頭脳に搭載された演算機能によって正確無比な弾道予測が瞬時に下される。

 いかにマリアの打撃が霊力を帯びていないとはいえ、200km/hを上回る剛球に押し負けないだけのパワーと、レギュレーションギリギリの重さと長さを兼ね備えたバットを手にしたマリアのスイングは霊力の無さを補って余りある。そのスイングに弾道予測による完全なタイミングが融合した打球がレフトスタンドに突き立つのは、もはや必然であるといえた。

 根性論ではどうにもならない圧倒的なパワーとスピード、そして精密さとが融合した打撃がもたらしたホームランにより、スコアは3−2―― 身も蓋もない逆転の一打であった。








「雪之丞!お前なら打てる!この回で一点でも多くとって、少しでも楽にしようぜ!」

 大跳躍魔球と超竜巻魔球を織り交ぜたピッチングを前に八番に座るタイガーと九番に入るおキヌとが見せ場無く三振に切って落とされたものの、続くバッターは瞬発力ならばピートと並ぶであろう雪之丞―― ベンチに座って戦況を見つめる横島の心に安堵が広がることも当然であった。

「いや、そう楽な戦いにはならないだろう。マリアのホームランは確かに大きかったけれど、まだ厄介な魔球が残っている」
 しかし、安堵とともに雪之丞に声援を送る横島の背後から掛けられた唐巣の声は、重さと硬さを孕んでいる。
「大跳躍魔球にエビ反り大跳躍魔球、そして超竜巻魔球―― 今まで彼が投げた魔球だが、この他にも彼の会得した魔球にはもう一種類あってね……その魔球を攻略出来ない限り、我々の勝ち目は限りなく低いままになる。
 あまりに体力の消耗を強いたがために彼自身の生命を奪うに至ってしまったほどのその魔球は……」
 唐巣の言葉とともに、マウンドに立つ弁辺の姿が―― ブレた。

 勝ち越したことで余裕に満ちた眼差しをマウンドに向けていた横島が―― いや、唐巣以外の全てのGS達が自分の目を疑うのも無理はなかった。

 マウンドでは四人の弁辺が投球フォームに入っているのだ。

「……残像分身魔球―― 小竜姫様や韋駄天の使う超加速には及ばないとはいえ、通常の人間には太刀打ち出来ない高速移動を細かく繰り返すことによって残像による分身を生み出すと同時に、マウンドを動き回ることによって土埃を巻き起こし、その土埃ごとボールを投げ込むことで正確なバッティングを封じることが出来るという、恐るべき魔球だよ」
 フルスイングも虚しく空振りした雪之丞の眼が―― 驚愕に見開かれていた。

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