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【御題】来んキツネ

 駅からかなり離れた場所にその建物はあった。
 軽量鉄骨のモルタル3階建てという外観は、アパートと呼ぶにもマンションと呼ぶにも中途半端・・・
 だから彼女はその場所のことを「彼の部屋」と呼んでいる。



 ―――――― 来んキツネ ――――――




 ――― 十字路に立つと未来が見えるって何処の迷信だっけか?

 私はそんなコトを考えながら、彼の部屋を見上げていた。
 今立っている十字路の周囲には高い建物が無く、電柱の影に隠れるようにして私は彼が部屋にいるのを確認する。
 「ドアを開けると空が見えるのが気に入った」その部屋に決めた理由を彼は笑って説明してくれた。

 本当は家賃と間取り、それと最も拘った風呂付きという条件を満たす為の妥協の産物でしょ?
 折角借りた部屋に本当に一人で暮らすつもり?
 一言、「部屋に来ないか?」って言ってくれさえすれば、お泊まりセットをもって参上するのに・・・
 君にもその空を見せたいってどういう事?
 誘っているの? それとも唯の強がり?
 ハッキリ言ってくれなきゃ分からないわよ!
 十字路で立ちつくす私にまだ自分の未来は見えて来ない。
 すぐにでも彼の部屋に行きたいのに、私には勇気が無かった。





 彼の部屋に行くのは簡単だ。
 階段を16段上り、外に面した通路を歩くこと5m。
 後は呼び鈴を押すだけでコトは済む。
 でも、ドアを開けた彼に何て言えばいいの?
 迷惑そうな顔でもされたら立ち直れない。
 私は慎重に言うべき台詞を考える。


 ―――フン! たまたま近くに来ただけなんだからね! アンタに会いに来た訳じゃないのよ!!


 ダメ! コレは絶対にダメ!
 前世での因縁があるならともかく、いきなり訪ねてコレを言ったらタダの危ない女だ。
 思わず想像してしまった雇い主のような台詞を、私は慌てて頭から振り払う。





 ああ、もうっ!
 なかなか踏ん切りが付かない自分に苛立ち、私はその場で地団駄を踏む。
 紺のフレアスカートがヒラヒラはためき、臙脂色のニーソックスとの間で私の腿が絶対領域を作り出す。
 彼がこのスタイルに弱いのはリサーチ済なのに、彼の部屋にいく理由が思い浮かばない。


 ―――お掃除にきました! 野菜も食べなきゃだめですよ! 


 ダメ! これは私のキャラクターじゃない!
 ある場所では非常に支持率が高そうだけど、私は尽くすんじゃなく可愛がって貰いたいの!!
 思わず想像してしまった世話好きな同僚のような台詞を、私はそっと頭から振り払う。





 そうよ! 私は彼に可愛がってもらいたいのよ!
 自分の気持ちがハッキリと分かると、いくらか胸のモヤモヤが軽くなった。
 少しネクタイを緩め、シャツのボタンを一つ外してから大きく息を吸う。
 だんだん気分が活動的になってきた。


 ―――サンポ、サンポにいくでござるよ!


 絶ェッ対に、ちっが―――うッ!!
 私は電柱にゲシゲシ頭を打ち付け、馬鹿犬のような台詞を完全に頭から振り払う。



 ダ、ダメだ! 身の回りにはいい例がない。
 何か・・・何かいい台詞はないの? 数多のラブラブを成し遂げた偉大な先輩たち、お願い、私に力を・・・


 ―――ダーリン! ウチと結婚するっちゃーっ!!


 ああっ! もう、何がなんだか・・・
 私は十字路に崩れ落ち、力なく頭を抱えてしまう。
 ザワザワというざわめきに後ろを振り返ると、通行人が遠巻きに人垣を作っていた。
 先程からずっと見られていたのだろう。
 可哀想なモノを見るような視線の先には、当然のことながら私の姿があった。
 臨界点を越える恥ずかしさに、私の顔がメルトダウンする。


 ―――死のう・・・


 私はその場に立ち上がると無言で膝についた砂を払った。
 通行人と視線を合わさないように踵を返すと、突然、脳裏に彼の笑顔が浮かぶ。


 ―――そうだ・・・どうせ死ぬんだったら彼に会ってからよね!


 私は台詞も決めずに彼の部屋へと走り出す。
 その場が十字路の中心だったことに気付いたのは、ずっと後のことだった。




 ドア横の呼び鈴を押すと部屋の中で気配が動く。
 いるのが分かっているのだから当然のことだけど、私の心臓は破裂寸前だった。
 気配がどんどん近づいてくる。ドアまであと3メートル、2メートル、1メートル・・・
 ドアノブが回転し、私の目の前でドアが開いた。

 「来ちゃった・・・・・・」

 これが咄嗟に出た私の台詞。
 開いたドアの向こうにいる彼の反応を見る勇気はない。

 「えと・・・・・・その・・・・・・

 ・・・・・・来ちゃダメ・・・・・・

 ・・・・・・・だった?」

 視線を伏せたまま、口にする台詞はどんどん尻すぼみになっていく。
 ああっ! もうっ!! 
 何か言ってよっ!! 気まずいじゃない・・・

 「いらっしゃい。来てくれて凄く嬉しいよ・・・」

 そうよ、そんな風に・・・え!?
 私は驚いたように彼の顔を見上げる。
 ドアの向こうに立つ彼の笑顔は、先程浮かんだ笑顔と同じだった。








 様々な逡巡を乗り越え、少しだけだした勇気が彼女の背中を押した。
 小さな一歩、しかし大きな意味をもつ一歩。それを踏み出した彼女の背で黒塗りのドアが閉じ、彼女と青空を切り離す。
 こうして彼女は「彼の部屋」に来た・・・

 イクにはもう少し時間が必要である。




 ―――――― 来んキツネ ――――――


           終
 「来ちゃった・・・・・・」(意味不明) 

 えーっと・・・お久しぶりです。
 諸々の事情で長編を終わらせるまで広場に活動の場を限定していたのですが、
 終わらせることが出来ましたので、末席にでも加えていただこうと企画に投稿させて貰いました。
 こんなしょうもないネタで恐縮ですが、お願いです・・・石を投げないで下さい。

        m(_ _)m

 ご意見・アドバイスいただければ幸いです。

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