雀の囀る声が、まだ朝早い住宅地区の空に小さく響く。
この時間帯の道路は職場に向かう企業戦士や学校へと向かう学生の姿で溢れていた。
夢や希望に満ち溢れ、笑顔を振りまく小学生達。
一方、学業及び営業の成績不振による心労で顔色の優れない高校生&企業戦士。実に様々である。
そんな毎日のように繰り返される朝の一コマ。
だがその日はいつもと違っていた。
道路の真ん中を何かを捜すように歩いている4人組。
先頭は老人でそのすぐ後ろに20代半ば〜30代初め位の男。さらにその後ろに妙齢の女性と子供が一人だった。
某ご家族御一行様としか見えないが、先頭二人のいでたちと身に付けている物を見た者は好奇の視線を送りつつ自然と避けて通っていた。
そんな風変わりな集団は十字路に差し掛かると歩みを止め、先頭の老人がキョロキョロと左右を見渡す。道を捜しているように見えた。
暫くの間周りを見渡していたがやがて諦めたのか、ふぅと小さく溜息をつき探すのを止める。すると後ろにいた男が声を掛けてきた。
「どうでしょうか、長」
渋みのある低い声でそう尋ねる。
尋ねられたほうの老人は首を横に振りつつ、ぼやく様に答えた。
「駄目じゃな、こうも匂いが色々あっては」
再び溜息をつきつつ、左右に視線を送る。
"画一化され整然と立ち並ぶ住宅地区は機能的ではあっても決して美しくない"そう思った。
人間が生活する上で生じる生活臭。
文明の発展と共に生じた自然界には無い匂いが数多くある。
また生活をする上での利便性を追求したためか、風の通り道を阻害しているためにどうしても匂いが篭ってしまう。
そうなると嗅覚の利くという利点は無いに等しいものと実感する。
すでに何度か訪れた場所ではあるが、とても慣れそうにはない。
また慣れるまでここに滞在したいとも思ってもない。
「やはり電話で誰かを呼び出したほうがよろしいのでは?"たうんぺーじ"なる物ですぐわかるそうですが」
「じゃが、こちらからかけても誰が出るか選べんからのぅ。美神殿が出た場合はどうするつもりじゃ?」
「・・・確かに勘の鋭い美神殿のこと。言い訳しても不審がられるでしょうな」
事務所の電話番号は調べればすぐわかるだろう。なにせ事務所の紹介を見開き・巻頭カラーで丸々使っているからだ。
だが今まで事前に連絡して訪れていたのに、今回に限って事前連絡無しで来たら誰だって疑問を抱くだろう。
「やはり直接赴いたほうが良いのではないか?」
「しかし、それは・・・」
異を唱えた男は、自分達の後ろにいる人物に顔を向ける。
3歩程後ろから付いて来ていた女性は、怖い物を前にして一歩も動けなくなった猫のように体を硬直させていた。
悲痛で強張った表情を見せ付けられて居た堪れなくなったのか、男が沈痛な表情で再び顔を向けた。
多分自分の表情も同じようなものあっただろうが。
「それは酷というものではないでしょうか。あの様子は見るに耐えません」
「その気持ちはわかる。だが他に方法がなければのぅ・・・・・む?」
「どうしました?長。ん?・・・これは」
男も気付づいた様だ、自分達の五感をくすぐる存在がこちらに向かってきているのを。
右手の方角から来ているようだ。
向こうが此方に気付いているかどうか定かでないが、こちらに敵意を向けているわけではなさそうだ。
男が目配せして自分が行くことを目で伝えてきた。
それに対し、決してこちらから先に手を出さないよう視線で伝える。
男は浅く小さく頷きながら対象が近づくのを待って息を潜めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その日のタマモは上機嫌だった。豆腐屋のチヱさんの所に遊びに行ってたからだ
朝早くから迷惑なのでは?と思われるかもしれないが、豆腐屋の朝は早いのである。
それに前もって尋ねることを伝えていた。
それだからだろうか。可愛らしい常連客であるタマモを歓迎して至れり尽せりな豪勢な朝食がタマモを出迎えていた。
どれも手の込んだ油揚げ料理だった。わざわざタマモの為に用意してくれたのだろう。
そんな気遣いに感謝しつつ心ゆくまで堪能した。そんな様子を優しい笑顔で皆が見つめていた。
その場に居合わせなかったのはチヱさんの旦那さんと、豆腐家を継いだチヱさんの次男さんだった。
前者は大豆の仕入れに、後者は豆腐の配達に出たらしい。
他にも議員をやっているという長男と、嫁いで北の王国(半島じゃないですっ!)に住んでる次女さんが居るらしい。
二人とも忙しくてなかなか実家に帰ってこれないらしい。そのことが不満だとチヱさんが食事の席で零していた。
『ばるみらんだぁ』の女マスターこと、長女の春子さんも同席していた。
旦那さんは海外に単身赴任で、一人息子は独立済みで結婚もしているという。
春子さん目当てでやってくるお客さんも、まさか子供がいてそれも独立しているなどと思いもよらないだろう。
見た目が実年齢(推測)に比べとても若く、二十台半ばと言っても通用するからだ。
今日は週に一度の定休日らしいのだが、これから明日以降の店の仕込みやら清掃等があるらしい。
『なんだかんだいって休めないですね』と苦笑しつつも、今の仕事は充実していて楽しいとのこと。
食事が終わった後もそんな他愛も無い会話をしていたら、あっという間に時間が過ぎていった。
これ以上長居しては迷惑が掛かる。名残は惜しいが家に帰ることにした。
またいつでもいらっしゃいね、と暖かい言葉を掛けられながら豆腐屋を後にした。
手にはお揚げ料理の入ったお土産をぶら下げながら。
ルンルン気分で家路についているその時だった。自分の同じ人外の者が複数いることに気付いたのは。
ちょうど50mほど先の十字路の交差点の、左に曲がった道路上でこちらを伺っているような感じがする。
でも殺気のようなものは感じられない。
面倒ごとはごめんだと、脇を通り過ぎるだけのつもりだったのだが・・・・
「待て!そこの妖狐。なにゆえ人の町をうろついているのか」
だが面倒ごとは向こうからやってきた。
時代掛かった言葉遣いの男の姿は着物を着ており、腰には刀が差してある。
それだけを見るとまるで時代劇の撮影現場の俳優に見えなくも無い。
だが口元の大きく発達した犬歯とお尻の辺りから生えている尻尾が全てを否定している。人狼だった。
人狼が妖孤をあまり快く思っていない事などわかる。だがそんな事など自分にとって何の問題もない。
別に好きになってもらわなくても結構だからだ。
しかし、いきなり頭ごなしにこちらの存在を全否定されたら流石に腹も立つ。
自分とて決して長くはないが人間世界に溶け込んでそれなりの期間を過ごしてきたつもりだ。
それをいつもは結界を張った森の片隅で、ひっそりと生活を営む御上りさんに言われたくはない。
というか、このご時世に刀を腰に差して歩き回っているほうが遥かに怪しいだろう。
よくここまで来るのに銃刀法違反で捕まらなかったものだ。この国の警察はナニをやっているのか!
どちらが怪しいかとなると言うまでもない。
折角こちらはノータッチでいようとしていたのに、向こうから敵意剥き出しで突っ掛かってきたのだ。
心穏やかでいられる筈もない。
だからつい反応して突っ掛かってしまった。
「フン、腰に物干し竿を差してるあんたの方がよっぽど危険人物に見えるわよ。あ、それとも新手の物干し竿売りなのかしら」
身長はこちらが低いのであるが、見下したかのような目でせせら笑うように挑発した。
人狼の男の顔が一瞬強張り、怒りを湛えたものとなった。
「フン、口だけは達者な女狐だな」
「あんたのデカイ態度も野良犬にしてはなかなかのものよ?」
「女狐!貴様、侮辱するか」
ウゥッっと低く唸り声を上げながら睨み付ける。だが剣呑な眼光に怯むことなくタマモの口は滑らかに動く。
「アラ、こんなところでやろうっての? 躾が行き届いていないわね」
「・・・よほど切り刻まれたいとみえる。よかろう。望みの通りにしてくれよう」
「弱い鰹武士ほどよく吼えるって奴ね。あらごめんなさいね、犬の間違いだったわね」
「許せん!」
男は右手を刀の鯉口に掛け、腰を落として重心を下げて、いつでも飛びかかれる臨戦態勢を取っている。
殺気がビンビンと伝わってくる。
ちょっと調子に乗りすぎたかも、とタマモは思い始めていた。
最初こそはこちらも怒りを感じていたが、男がそれ以上の怒りを表したせいか急に冷めてしまった。
逆に出会ったばかりのシロのような、面白いくらいに過剰な反応に初々しさを感じ、懐かしく想いついついやりすぎてしまったようだ。
だが謝罪するつもりも、またこれ以上付き合うつもりも、ましてや本気で殺り合うつもりも毛頭もない。
幻術で惑わしてからさっさと離脱するつもりだ。
狼の狩りは徹底しているが、主にチームプレイを利用したものだ。
目の前に人狼は二人いるが実際に動くのは若い方だけだろう。
嗅覚に頼った彼らが、自分でさえ慣れるのに苦労した人間の発する様々な匂いの中で全力を発揮出来るとは思えない。
追われても振り切れる自信はあるし、嗅覚で追跡される心配もない。
この広い大都会だ。道を知っている自分の方が格段に有利である。
地の利は我にあり。
そんな緊迫した空気の中で、最初に動いたのはタマモでも男でもなく、後ろで事の推移をずっと見ていた小さな子供であった。
恐れているような感じはなく、しっかりとした足取りでタマモの前に立った。
怪訝な表情を浮かべるタマモに構うことなく鼻をひくつかせている。
そして、そのままタマモの体に抱きつき顔を押し付け、腰に腕を回す。
「ちょ、ちょっと・・・」
"動けないじゃない"、と言いかけたタマモだったが
「このお姉ちゃん、兄ちゃんの匂いがする」
くんかくんかと顔を押し付けて匂いを嗅ぐ子供の呟きを聞き、タマモは言いそびれる。
そしてタマモは腰にしがみつく子の言葉を反芻していた。
『チヱさんの家には今日は男手がいなかった。最近身近に接した男っていったらヨコシマしか該当しないわね』
正面の男から気を逸らさないまま、しがみ付いている子供の母親らしき女性に視線を向ける。
疲労と、一触即発の雰囲気に不安を滲ませた表情を浮べながらも整った顔立ちだ。一言で表すなら"別嬪さん"である。
そして自分とは比べ物にならぬ程"ボイン&キュッ"なプロポーション。恨めし・・・もとゑ、羨ましい。
正にヨコシマが嬌声を上げ踊りだしそうな程の美女。そしてその子供。
子供連れ→子連れ狼→しとしとぴっちゃん しとぴっちゃん
『ってまさか・・・』
聡明なタマモの頭脳は、やがて一つの可能性を導き出した。
「まさかヨコシマの隠し子!?」
少し錯乱がかっていたタマモに自覚はなかったが、声に出して叫んでしまっていた。
そんなタマモを余所に、しがみついてる子供の頭とお尻から、先程まで隠されていた可愛らしい猫耳と尻尾が小さく揺れていた。
――――――――狐少女の将来設計 第6話 「Boy? or Girl?」
「ほっほっほっ。どうやら横島殿の知り合いのようじゃの」
「ッ!!!」
すぐ傍で発せられた声に咄嗟に反応し、横に飛びのく。
しがみついていた子供が突然の動作に「わわっ」と声を上げるがかまやしない。
この私が臨戦態勢にまで気を高めていたにも拘らず、全く気配を感じ取れなかった。
いくら正面の男と女性、そして今もしがみついている子供に気を遣っていたにも拘わらずだ。
声を出されていなかったら最後まで近くにいることに気づかぬままだったに違いない。
それは即ち、この老人は私を殺そうと思えば簡単に殺せたという事だ。
達人は斬る直前まで殺気を殺せるという。だから斬られる寸前には殺気は感じ取れるかもしれない。
でも気づいた次の瞬間には、何かを考える暇も無いまま昇天しているであろう。
ツゥ、と冷や汗が流れた。
「そう警戒せんでもええ。別にワシらは対立する為にここに来た訳ではないからの。うちの若い者が失礼した」
「長! そもそもこ奴が・・・」
"最初に挑発をしてきた"と言いたかったのだろうが、老人から向けられた鋭い視線に口を閉ざした。
「ギンよ。いくら不慣れな土地で道に迷い苛立っていたとはいえ、いきなりあの言い方も失礼じゃろう。あれではこちらからケンかを売っているようなものじゃ。何事にも、どのような状況下でも平常心を乱してはならん」
「も、申し訳ありませんでした。長」
そういって頭を垂れるギンと呼ばれた男を、へへーん ザマーミロなんて思って見ていたが、こちらにも射るような視線が向けられる。
「お主もじゃ。挑発を挑発で返してどうする。たしかに不快にさせたことは詫びるが、いたずらに騒ぎを大きくしてなんとする」
「うっ」
調子に乗っていたのは確かだ。
冷静になって考えれば、人狼は人間の前に滅多に姿を見せないばかりか、接触を図ることもまず無い。
となると目的があるからに他ならないのだが、この周辺で人狼との繋がりがあるとすればシロか美神の関係者しか無いのだ。
よく考えればすぐに分かっていた事だ。
「なにか言うべきことが有るのではないかな?お二人とも」
さっきまでの雰囲気と打って変わって、老人は悪戯っぽく笑いかける。
だが威圧感は先程から全く衰えていなかった。
「・・・・悪かったわね。散々悪態ついて」
「・・・いや、拙者も道に迷ってイライラしておったのだ。当たり散らして申し訳ない」
結局お互い謝る事にした。お互いこの老人には逆らえそうにないようだ。
「ほっほっほっ 仲良き事は 美しき哉。じゃな」
愉快そうに話す老人に、"アンタが威圧するからでしょ!"と、思わず叫びたかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「で、あんたたちシロか美神に用が有るんでしょう?事務所の場所は知らないの?」
しがみついていた子供は母親らしき女性が諭して引き離してくれた。
ようやく人心地ついたので、いつも通りの口調に戻し事情を聞くことにした。
事務所の所在地を調べる方法などいくらでも有るだろう。良い意味でも悪い意味でも日本一有名な除霊事務所なのだから。
「いや、美神殿の事務所は知っているのだ。実は・・・」
「待って下さいギンさん。私から説明させてください」
神妙な顔つきで語り始めた"ギン"と呼ばれた男を遮り、女性が前に出る。
「はじめましてお嬢さん。私の名前は美衣、そしてこの子はケイと申します。先程は大変失礼しました」
「私の名前はタマモよ。気にしてないから謝らなくていいわよ」
軽く会釈をする"美衣"という女性は物腰柔らかく、落ち着いた雰囲気を醸し出してる。
自分には無い大人の女性というものを感じた。
「実は、私達は横島さんに用件があったのでここに来たんです」
「ヨコシマに?つくづく人外に縁深いわね、アイツは」
シロといい、この親子といい、私といい。なんでアイツの周りに集まってくるのだろうか。
変なフェロモンでも出しているんじゃないだろうか。
「お気づきの通り私達は猫の変化です。実は横島さんにまた助力をお願いしたくて来たのです」
「また?以前にもなにかあったの?」
「はい、実は・・・」
美衣さんから聞いた話を要約すると、ヨコシマとは以前美神の除霊の時に知り合い、その際命を助けてもらったらしい。
ゴルフ場開発の為に住処を追われそうになり、美衣は開発の妨害をしていたという。
土地の所有者が美神達を雇って祓いに来た際、事情を知ったヨコシマは美衣とケイを護るため美神と対峙したそうだ。
そしてヨコシマは見事美神を打ち倒した。結局工事の遅延によりゴルフ場開発計画は白紙となったそうだ。(詳細は15巻を見てねっ♪)
「へー 結構骨あるじゃない」
その話を聞いて、私はかなり感銘を受けた。
どうやら私のヨコシマを見る目は間違っていなかった様だ。
「それで、私たちは平穏な生活に戻れる筈だったのですが・・・」
「また何か起きたのね?」
「・・・はい」
ゴルフ場開発の話は流れたが、景気の上向きに伴い土地の需要が増したらしい。
美衣の住む山もキャンプ地や避暑地として開発の対象となってしまった。
悪霊に住まわせる土地はないと言うが、妖怪に住まわせる土地もない。
前回、日本一のGSに頼んだにも拘らず妖怪退治に失敗した為、同じ徹は踏みたくないと今度はオカルトGメンに依頼を要請した。
本来なら長い長い順番待ちだったのだが、日本一のGSである美神ですら失敗したという事実を前面に出して訴えた為か、頼れる限りの伝手を使いまくった為か分からないが優先順位が上位になった為、すぐ来てくれる事となった。
オカルトGメンの基本は説得である。
只でさえ人手が少ないため、なるべく隊員を傷つけずに済ませたい。怪我による戦線の離脱は戦力の大幅な低下に繋がるからだ。
また先の大戦を戦訓とした装備の一新により、年度内の調達分の予算を使い切ってしまったため新規調達分が手に入らない可能性が出てきた。
要するに銭が無いのだ。節約していきたい。
美衣は圧倒的多数のGメンに自宅を囲まれたのを目にして、抵抗を諦め交渉に応じることにした。
少し前に悪霊が大発生した時は、それほど強力な悪霊は出てこなかったため美衣は撃退することが出来たが、今度は自分たちを狩ることを目的とした集団だ。敵いそうにない。
また下手に逃げて追われるより、交渉して少しでも有利な条件を引き出したほうがまだマシの筈だ。
Gメンの現場指揮官は、比較的人外に理解力のある人物が就かされていた為、土地を離れるというなら危害も加えないし尾行もしないと確約してくれた。
「ですが私達が住処を追われることに違いはありませんでした」
それからは放浪の始まりだったという。
住処を追われた妖怪はなにも美衣親子に限ったことではなかった。
そうでなくとも先の大戦以降、幽霊や妖怪への風当たりは非常に強い。
似たような境遇の妖怪は、美衣親子と同じように安住の地を求め彷徨っているのだった。
その為か土着の妖怪たちは、自らの生活圏が侵されないかピリピリしていた。
確かに美衣は猫の変化だから、同じ猫の変化の男の元に嫁げば問題はない。溢れる美貌を持つ女性を一族に迎え入れたいたいと思うものも決して少なくは無いだろう。
だが、その場合ケイはどうなるのか。
ライオンの群れは、雌が数匹と雄が一匹のプライドと呼ばれる群れ(ハーレムのようなもの)を形成するが、雄が入れ替わると新たに君臨した雄によって前の雄の子供は全て殺されるという。
喩え殺されなくとも、血のつながりの無い連れ子であるため冷たくあしらわれる可能性がある。
一人で生き抜く術も、そのための土地も無い以上、ケイを待ち受けているのは"死"のみだ。
美衣に残された手は刺激を与えないようテリトリーの隙間を縫い、新天地を目指すより他は無かった。
そんなある日、山犬の大群に襲われた。
人間が飼っていた犬が身勝手に捨てられ、野性化していたらしい。
次々と襲ってくる野犬を相手にケイを守りつつ撃退していたが、やがて限界が訪れ圧倒的多数の犬に囲まれた。
美衣は道中テリトリーに気を配り神経を磨り減らしており、また慣れない長旅だったため疲労困憊だった。
『自分がどうなろうともケイは守ってみせる』
かつて、横島という人間が自分達を庇う為に戦った時もこんな気持ちだったのではないか、と考えながら野犬に対峙する。
死はとっくの昔に覚悟していた。
そんな時だ。自分達を中心に囲む野犬達の外周側から、野犬の悲鳴が聞こえてきたのは。
「そこで、拙者と出会ったのだ」
それまで黙っていたギンが続きを話し始めた。
天狗の下で実戦形式さながらの剣術の修行を終え、里への帰りの道中に興奮した野犬の群れを見て何事かと思ったギンが駆けつけると、なんと女性と子供が追い立てられているではないか。
そこでギンは野犬どもを蹴散らし、美衣親子を助け出したという。
そこまで話を聞いたタマモは思わず身震いしてしまった。
『シロでも目で追うのがやっとだったと言ってた天狗と対等にやりあうなんてね』
あの時止められてなければ、逃げ切ることも叶わず殺されていただろう。
『あの爺さんには感謝、かな?』
あの爺さんには頭が上がりそうにない、とタマモは考え始めていた。
境遇を知り、同情したギンは美衣親子を里へと招待した。
村の衆も美衣親子の境遇に同情して、親子の滞在を挙げて諸手で賛成した。
それからしばらくの間、人狼の村でやっかいになってたらしい。
だが、第二の問題は意外な所から出てきた。
それは人狼の村の女衆からだったのだ。
天狗に挑めるというのは、村の中でも1・2を争うほどの剣の使い手なのだ。
人狼の世界では、やはり強いものがもてはやされ女性の熱い視線を一身に受ける。
人間世界で言う人気アイドルや俳優のようなものだ。
勝手が知らぬとはいえ、美衣親子はギンの家でまだ独り者のギンと同居していた。
それがまた反感を買った。
種族の違う『猫』。にもかかわらずギンも決して満更でもない様子だった。
不機嫌になるもの無理はない。
誇り高き人狼の女の中に、陰湿なイジメなど起こす者などいない。
だが、やはり女性は女性。美衣親子に冷い態度を取ったりする者が僅かながら出始めた。
問題はそれだけに留まらなかった。
中には旦那が居るにもかかわらず、やきもきする者も出始めたのだ。
自分の妻が、自分を差し置いて他の男にやきもきする様をみて不機嫌に感じない者はいない。
村の中は、だんだんとギクシャクし始めていた。
尤も、美衣も責任を感じなかったわけではない。
このまま自分が居ては、和が乱れると感じた美衣は村を出ることを決意した。
だが黙って出て行くのは助けてくれたギンと、逗留を許してくれた長老に申し訳ないと事情を話したのだった。
勿論二人は反対した。村を出たからといって行く当が無いのであれば、またこの間のようなことがあるかも知れないからだ。
だが、だからと言って良い回答が生まれるはずもない。
ギンはかつて助けてくれた男を訪ねてみてはどうか?と提案する。
美衣もそれは考えてはいたが、それはあまりにも身勝手で図々しいと思い外していた。
長老はその話は初耳らしく詳しく教えてくれと美衣に言い、美衣は事の次第を話し出した。
そしてヨコシマという単語が出てくると
「おお、横島殿か。いまはシロが世話になってるそうじゃ。」
ギンはヨコシマの事を知らなかった。ポチと八房の事件の間は他の人狼の村への武者修行に出ていたからだ。
また事件の内容も、仲間があまり話したがらなかった為、人間の名前を聞いてはいなかったのだ。
結局、横島の所に行ってそこで意見を求めようという事になった。
長老は横島の事を知っていたし、ギンもシロが師事を仰いでいる人間というのであれば人格者に違いない、と勘違いはしていたが賛同の意を示したのだった。
「それで美神殿への挨拶とシロの様子見も兼ねて、わしらも一緒に出ることのになったのじゃよ」
「なるほどね〜。そりゃ事務所に行けない訳だ」
「そういうわけでタマモちゃんや、横島殿となんとか連絡を取り合うことは出来ないかのぅ」
「た、タマモちゃん?」
「お主生まれて間もないじゃろう?そこのケイよりも幼いはずじゃが。違ったかの?」
違ってはいない。寧ろその慧眼に敬服させられる。だがだからといって・・・
「ちゃん付け・・・まぁいいわ。ちょっと待って連絡してみる」
美神から支給された、通話機能にのみ特化された携帯を取り出す。
メールやカメラなどの機能など無い、いわゆるシニア向けというやつだ。
基本料も通話料も安いのが取り柄である。
『おぉ! あれが"ケイタイデンワ"なるものか』
『いえ長、"ぴーえっちえす"とも聞きますぞ』
『"とらんしーばー"というものとどう違うんでしょうか?』
『母ちゃん、糸がないよ?』
そんな意見を無視しつつダイヤルを押す。
こんな携帯で3つまで番号は登録できる。
一つは事務所、もう一つはシロ、もう一つはチヱさんのところである
ヨコシマの番号は登録してない。すでに頭の中にインプットしてあるからだ。
登録しない理由は、何かのきっかけで登録していることがばれて勘繰られたくなかったからだ。
ヨコシマへの思いはまだ誰にも知られたくない、邪魔されたくない。
ヨコシマ宅の番号をプッシュ終え、ヨコシマが出るのを待った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
横島忠夫は惰眠を貪っていた。勿論学校なんて知らないプーである。
だがそれは、昨夜遅くまで除霊があったから致し方のないところだ。
まぁだからといってそんな言い訳が学校に通用するわけが無いのだが、最近美神は裏業を使っている。
Gメンからの要請で出勤ということにしているのだ。そうすれば国家の為に働いているということで学校の休みはサボりでなくなる。
美神なりの気遣いだった。残念ながら横島は気付いちゃいなかったが。
ジリリリリリリィ!!!、と時代遅れの黒電話が鳴り響く。
黒電話であるが横島は懐古主義者でも、アンティーク収集家でもなんでもない。只の古物であり替えるための金が無いからである。
いつまでも鳴り止まない電話を止めるため、潜り込んでいた布団の中から腕だけを出し受話器を上げる。
「お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりませ・・・・・」
『おそーい。電話が鳴ったらさっさと取りなさいよね』
「あー タマモか。・・・そーかそーか、それは悪かったな。じゃあな」
そういって受話器を再び戻し、電話線を引き抜こうとしたがその前にまた電話がなった。
仕方なく再び取った受話器からは怒声が響いてきた。
『まだ何も言う前に切るなバカッ!』
「もう言っているだろうが。というより俺が何時に寝ているか知っているだろう?だいたいお前が昨夜俺ん家出たの何時だと思ってるんだ?」
『まだ寝ていたの?だらしがないわねぇ〜。私なんか全然平気よ?』
「お前は日中昼寝しているからだろうがっ!・・・もう分かったから早く言え。聞いたらさっさと寝るからな」
ナニを言っても無駄だと直感した横島は、とりあえず話は聞いてやることにした。
『なによ、そっけないわねぇ。大変なことが起きたっていうのに』
「どうせ油揚げがトンビに攫われたって言うんだろ?」
『あんたを訪ねている美女がいるというのに?』
「マジかッ!」
『きゃん!』
可愛い悲鳴を挙げてタマモは思わず耳を押さえる。横島の声があまりに大きかったからだ。
「ちょっと!急に大声出さないでよね」
『あ、ああ。スマン。で美女って言うのは本当なのか?しかも俺に会いたいって?』
「ええ。いま、会いにゆきますって言っているわ。今から行って大丈夫?」
『もちのロンです!我が方はいつでも歓待するであります』
「じゃあ今から行くわね」
『Aye,ma'am!(アイ マム!)』
「ふふっ でもねぇ・・・」
つい意地悪を考え付いた。アイツはどういう反応を示すだろうか。
「その人子供づれなのよ。何故かしらねぇ〜」
『―――はぁ?』
「だ−かーらー、子供連れだって言っているのよ」
『ま、マジか?じょ、冗談じゃあ無いんだな?』
「ホントよ、一体誰のかしらねぇ〜」
『・・・・・・・・・・・・・・・』
?おかしい。反応が無い。てっきり"お、俺は知らないんだぁ!"とか"どチクショー、野郎がいるんだなー!"とか叫ぶものだと思っていたのだが。
これはこれで不気味だ。
「おーーい よこしまー。どうしたー」
『ん? ああ、タマモか。もうすぐ連れて来るんだろう。待ってるから早く来いよ』
「う、うん分かった。じゃあ切るね」
そういって私は通話を切った。逆にこっちのほうが動揺させられてしまった。
なんだか今回の私、らしくないぞ。
「ひとつ聞いて良いかの」
「ひゃっ!」
いつの間にか爺さんがまたすぐ脇にいた。気配全く感じられなかった。
心臓に悪いわ、この爺さん。
「横島殿とタマモちゃんとの関係、どういったものなのかのぉ」
「・・・別に。ただの同僚よ」
顔が赤くなりそうになるがそれを堪えて、冷静に平常心を保ちワザとそっけないように言った。
「ほぅーほぅーほぅー」
「・・・なによフクロウの真似なんかしちゃって」
「べぇーつぅーにぃー。ささ、皆の者。横島殿のお宅へレッツらゴーぉじゃ」
意地の悪い笑みを浮かべながら皆を先導して歩いていく。横島の家から逆方向に向かっているけどね。
「はぁ〜」
思わず溜息が零れ出る。ほんっと、この爺さん喰えないないわね。
このモヤモヤはヨコシマをからかって何とか晴らそう。
そうタマモは考えていた。
一方、横島宅では・・・・
「ふはははは!我が世の春が来た!!」
なんだかエキサイトして、歓喜に身を打ち震わせていた。
「ふっふっふっ。親父ぃ、とうとう年貢の納め時が来たってやつだなぁ」
横島はタマモの言から、父親である大樹の浮気相手が子供の養育費の事で来るものだと自己解釈していた。
横島の脳内思考はそれだけに留まらず、親父が母・百合子に八つ裂きの刑に処され、悲しみにくれる未亡人の女性を優しく慰める自分という構図が出来上がっていた。
そして生まれる愛と肉欲の性活、もとゑ生活。
「おいしい、おいしすぎるぞ!このシチュエーションは!」
カーッカッカッカと悪魔超人ッぽく笑う様は、阿修羅男に劣らず邪悪だった。
一頻り笑い終えた後、横島は再び黒電話の受話器を取り、ジーコージーコーとダイヤルを回す。
別にア式蹴球の某監督でも消費者金融のCMに出てたあの人でもない。
『はい、横島です』
「お袋か。俺だよ!とうとう親父の浮気の尻尾を捕まえたぜ。これから子供を連れてここに来るんだ。詳しい事が分かったらまた連絡する。じゃーな」
チンッと受話器を置く音が鳴る。一息に言い終えた横島は言い知れぬ達成感を感じていた。
「ふー、関係各所に根回しも終わった」
根回しといっても、一箇所だけだが。
もうすぐ来るとのことだから手早く部屋の片づけを実施する。といっても押入れに突っ込むだけだが。
「ふっふっふっ、これで新しい情報を提供したら情報料もらえんやろか。もし貰えたなら人生薔薇色じゃー」
きゃほほーいと嬌声を上げながら掃除を始めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「なんだったんだい?今のは」
久々に息子から電話が掛かってきたかと思ったら、向こうが一方的に話して終わってしまった。10秒掛かっただろうか。
「まぁそれはともかく・・・」
問題は内容だ。浮気がどうとか、子供がどうとか言っていたが。まぁつまりそういう事なのだろう。
忠夫が情報収集して連絡するとは言っていたが・・・
「直接聞いたほうが早いからねぇ・・・」
ニヤソと笑い、クックックッと嗤いながら夫をいたぶる方法を考え始めていた。
夫をしばくのが密かな楽しみなってきたというのは秘密だったりする。
『夕暮れの空に響く無情の叫びは、自覚なき浮気男に下された天誅なのか――!?全日本国民よ、刮目して次号を待て!』
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