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【御題】つられて



 秋の夜長にとっぷりと月が浮かぶ。
 そろそろ寒さも険しくなっていく。冬支度の季節だ。
「うー、さむさむ」
 ぴゅうと北風、ふぶき、枯葉、舞う。
 思わず白い息。夜の冷え込みは日々、深まるばかり。
「まったくシロのやつ」
 タマモは屋根を飛び回っていた。向かう先はおなじみボロアパート。横島の所からシロが帰ってこないのだ。
 何をしているのだろうか、晩飯時になっても帰ってこないという、異例の出来事に誰もが一抹の不安を覚えた。まさかと思うが、ヤツ(横島)の事だから万が一があってもおかしくはない。美神は冗談めいて口にしていたが目が真剣だった。おキヌちゃんはおキヌちゃんであらぬ妄想が膨らんだのか、みるみる顔が青ざめている。そして、しばらくの沈黙の後、タマモに白羽の矢が立った。
 美神は彼女に生殺与奪の権利を委任した。
 おキヌちゃんはなぜか赤飯と共に彼宛の手紙をそっと手渡してくれた。受け取った後、こっそり中身を覗いてみた。
「見損ないました♪」
 と、書面にはなんともどす黒い赤の文字が荒々しく躍っている。危険を察知したタマモは静かに手紙を綺麗に折りなおした。
「やってらんないわ、もう」
 面倒くさいので、さっさと事を済ませてしまいたい。片手に風呂敷に包まれた重箱を持ち、夜空に駆けた。浮かぶは三日月、お月様はぱっくりと食われて、欠けてしまっている。
 さて。
 目的のアパートの一室では換気扇が回っていた。
「せんせー、まだでござるか?」
 部屋でシロが催促した。組み立て式のテーブルの上に顔を横たわらせて、空腹を耐えている。
「ええい、うるさいな。もう少し待てとゆうとろーに」
「だってー」
 台所には横島。珍しく料理をしている。ガスコンロには土鍋がぐつぐつ。鍋の中では薄口のだし汁にうどんが踊る。その上に、ありあわせの椎茸、かまぼこ、事前に甘辛く煮ておいた油揚げがたくさん乗っていた。ふたを閉じて、しばらく煮込む。
「先生が夕飯、ごちそうしてくれるというからずーっと待ってるのにいつになったら出来上がるのでござるか」
「もうすぐだ」
 そう言いながら、小ネギをざくざく刻んでいく。慣れていないのか、包丁の動きは慎重だ。
「さあ、出来たぞ」
 コンロの火を止めて、鍋をすばやく隣の部屋に用意してある鍋敷きの上に置いた。鍋ぶたを開けると、中にこもっていた湯気が湧き出す。だしの香りと、煮えた油揚げや他の具材のにおいが部屋中に広がった。
「いい匂いでござるなあ」
「今、割り箸と取り皿、持ってくるからな」
「はーい」
 湯気は部屋から換気扇へと逃げていき、外に出ていく。ごおごお音を立て回るプロペラの隙間よりいろいろ香りを乗せて、それは夜空に散った。
「ん、いい匂い。なにかしら」
 すると、横島のアパートにもうまもなくと言うところまでやって来ていたタマモの鼻がめざとく匂いを嗅ぎ取った。
 くんくんと鼻をひくつかせながらも、目的地へと目指す。近づけば近づくほどに匂いは強く、明確になっていく。それもそのはず、匂いの元は目的地より出ていたのだ。
「しかもこの匂いは……」
 うどんと油揚げと油揚げと油揚げと油揚げだったのである。
「それにしても、油揚げばっかりでござるなあ……」
 鍋いっぱいに敷きつめられた油揚げと申し訳程度のその他、具。シロは目を丸くしながら、鍋を見ていた。
「文句言うな、冷蔵庫見たら、何でだか知らんが妙にたくさんあったんだよ」
 二人の会話が玄関脇の窓から漏れてくる。タマモはその濃厚な油揚げの匂いにくらくらしながら、耳を立てていた。持ってきた重箱を足下に置いて、しばらく彼らの会話を聞く。話の様子からすると、美神たちの危惧しているような事はまったくなさそうだ。
「でも、こんなの見たら、誰かさんのよだれが止まらないでござるな」
 にひひと、シロが笑う。
「ああ、けどここにはいないだろ?」
 横島がすました口調で言った。すみません、います。
「うん、だから帰ったら、自慢してやるんでござる」
 何をだ。この馬鹿イヌ、ここにいるからいいものの、知らないところでそんなことしたらただじゃおかない。ああ、でも油揚げの匂いがたまらないっ。
「しかし、やっぱりちょっとこれ、入れすぎたかなあ、全部食えるか?」
 入れすぎたって、どのくらいなのだろう。鍋に山盛り?
「この程度だったら、問題ないでござるよ。本当に残念でござるなあ、あいつがいなくて。このぷっくらと汁気を吸った上手そうな油揚げが食えなくて、悔しがるさまが目に浮かぶでござる」
 シロはまた笑う。いつか殺す。タマモは拳を握り締めながら、ごっくんとつばを飲み込んだ。鼻腔から入ってくる香りに耐え難いものを感じる。今にも扉を開けて突撃しそうだ。
 油揚げ油揚げ。その、狐色の四角い、ぷっくらとした、甘辛く、かじるとじゅわっと汁がにじみ出る、油揚げ。食物の黄金四角形。それが鍋に山盛り。想像しただけで、卒倒しそう。食べたい。食べたい食べたい食べたい食べたい……油揚げ油揚げ油揚げ油揚げ油揚げ……。
 タマモの頭の中はすでに美神たちの指令よりも油揚げ帝国と化していた。
「でも」
 すると横島がぽつり。
「いたら、あいつにも食べさせてやるんだがなあ」
「本当!?」
 言ったが早いか、開けたが早いか。ともかく、その瞬間、横島の部屋の玄関で大きな音が鳴った。
「あ……」
 凍りつく間。首を玄関に向けながら止まる、居間の二人。ドアを勢い良く、外側の壁にぶち当てて固まるタマモ。部屋の真ん中のテーブルの上で湯気立つ鍋の中にこんもりと油揚げが乗っていた。
「えと……その……来ちゃダメ……だった?」
 タマモは顔を赤らめて、目を逸らし、顔をちょっとうつむけた。
 中の二人は顔を見合わせ、にんまり。
「タマモ」
 横島に呼ばれた。
「……なに?」
 タマモはおそるおそる聞き返した。
「ほれ」
 彼は箸でつまんだ油揚げをこれ見よがしに、タマモに見せ付けた。油揚げはぷっくら、汁が滴っている。
「うう!」
 たまらない。もう油揚げしか目に入らない。
「あーん」
 横島は口を大きく開けて、それを食おうとする。
「ああ……」
「なーんてな」
 食べる振りだった。なんだか、ほっとした。
「タマモタマモ」
 今度はシロがこちらを呼ぶ。彼女は取り皿に油揚げを入れて、近づいてきた。
「ほら、あーん」
 油揚げをこちらの口元に持ってきて、食べさせようとしてくる。いいところあるじゃない。と、思って、口を開いた矢先。
「なーんてすると思ったでござるか」
 油揚げはUターンして、一口でシロの口に入って行った。
「ああっ!」
「ははは、ざまあないでござるな」
 シロはこちらの騙された顔を見ながら笑い転げた。なんだか無茶苦茶悔しかった。
「まあ、冗談はこのくらいにしておいて。食べたいんだろ、こっち来て食べようぜ」
「そうそう、我慢は身体に毒でござるぞ、タマモ」
「……べ、別に我慢なんかしてないわよっ」
「そうか? ほれほれ」
 横島は油揚げを近づける。ごめん、やっぱり嘘です。
「あうー、やーめーてー」
「ほら、やっぱり」
「嘘はよくないでござる」
「な? ほら、中に入って」
「……はい」
 ドアは閉まる。そして、三人は仲良く鍋焼きうどんを箸でつついたのでした。
 秋の夜空は透き通るくらいの綺麗な星空だったとさ。


 しかし、タマモは忘れていた。その夜空の下、いまだ心中穏やかでない二人がいた事を……。
「遅い、遅すぎるわ」
「……ちょっと包丁、研いで来ますね」
「私も武器庫漁ってくるわ」
 ああ、横島の平穏の日々はいかに。
 それはともかく、タマモたちはおいしいうどんと油揚げを堪能した夜だったのです。
 これにて一巻のおしまい、おしまい。




イラストはこちら
http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gazou/imgf/0003-img20061001214500.jpg

GTY+には初めてお邪魔します。
お題にSSつけまshowGTY+に参加ということで、ひとつお祭り気分で書いてみました。
ゆるいノリですが、サスケさんのイラストとご一緒に楽しんでいただければ幸いです。
あと、遅れに遅れましたが、開設おめでとうございます(笑)
それでは失礼しました。

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