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いつか、過去に届けばいい 3

 ひと言で言い表せないくらい色々あっ冬休みが終わり、忠夫は霊能科のない椎名学園付属小学校へと通うことになった。椎名小学校はスポーツも勉学も取り立てて言うべきところのない学校である。強いて挙げるならば、自主性を重んじる自由な校風がウリ(パンフより抜粋)である。
 学力に不安がないことと、型にはめるにはまだ幼い事が入学の理由であるが、何より六道邸から歩いて通える距離であることが決め手であった。
 集団から突出した人間は攻撃され、つまはじきにされる。集団が未熟であるほどその傾向は強い。
 その中で忠夫はずば抜けた学力と霊能力を持って生活していく。それは火薬庫に松明を持ち込むにも等しい。そのため、大樹や百合子はできるだけ傍に置いておきたいと思っていたのだ。
「横島忠夫です。大阪から来ましたよろしくお願いします」
 両親の不安と期待を伴った忠夫初めての集団生活はそうして始まった。


 恩師との出会い。友達との出会い。スポーツとの出会い。勉強との出会い。夢との出会い。死との出会い。人を変えるのはいつも出会いだ。
 神童と呼ばれる少年との出会いは、教え子達へのカンフル剤となり生徒たちをよき方向へと導いてくれるだろう。磯田真奈美(25)はそう思う。
 そして、忠夫の存在はまさにそのようにあった。
 両親の危惧した集団生活は、危惧すべき”普通”が守ってくれた。
 ”普通”のこどもたちにすれば、GSというのは特撮ヒーローとなんらかわらない存在である。事実そのようなGS番組も存在する。霊能力者は、テレビの中に存在する生き物なのである。霊能力の強さなど、誰にもわからない。
 転入生という珍しさも手伝い、忠夫の周囲には常に人がいた。忠夫は心を許していく。そしてまた人が集まる。夏休み前に比べ、生徒たちは明らかに笑顔が多くなった。磯田はそのように感じる。
 ところで、磯田真奈美とは、児童心理学を専攻し高校時代には野球部のマネージャーも勤めた、若くて真面目で生徒のことを第一に考える、少し熱血の評判のいい教師である。忠夫の転入したクラスの担任を受け持っている。


「答え合わせをするから、宿題を机の上に出してー」
 全員がノートを出したのを見計らい、机の間を進みひとりひとり採点を済ましていく。
「松井くんは…よくできました。
 沢田さんは…よくできました。
 野村くんは…ここだけ間違えたね。先生みんなのところ回るから、その間にもう一回やってみようか。
 横島くんは…」
「綺麗だろ……やってないんだぜ、宿題」
 磯田は唇が釣りあがるのを感じる。ビキビキ
 笑顔だ。笑顔を忘れてはいけない。真っ白なノートは確かに綺麗だ。純粋な子ども心からの言葉なのだ。宿題を忘れたのだって遊ぶことに夢中になったせいに違いない。幼年期にはよくあることだ。隣の席の本田千恵が「たっちゃん(忠夫)……」などと呟いているが、それだってただのあだ名で、忠夫に気を寄せている本田が心配してのことにすぎない。きっとそうだ。断じて、憧れの南役を奪われたわけではない。そう思うことでなんとか心の平穏を取り戻す。
 実際は朝の子ども劇場から仕入れた知識なのであるが、授業の予習や花壇の水遣りのために朝早くから出勤している磯田がその答えにたどり着くことはない。
「そ、そうかぁ…次はちゃんとやってこようねぇ…」
 なんとかそう搾り出すだけで精一杯だった。

 
 そんな磯田にまたしても試練がやってくる。
 クラスの人気者・横島忠夫が原因である。
「どうして遅れて来たのかな?」
「自転車に乗り遅れました」
 よくありそうな言い訳なのだが現在は6時間目なのである。磯田は唇と同時にこめかみがピクリと動くのを感じた。昼休みが終わっても帰ってこない忠夫のために学校中を走り回っていたのである。警備員に任せて授業をすることもできたが、そもそも自分の不注意でもあるしなにより心配で授業どころではなかったのである。
 結局見つからずどうしたものかと一度教室に戻ると、横島忠夫はさも当たり前のように椅子に腰掛けていたのである。
「ほ、ほんとはどうしてたの…かな? かな?」
「寝てました」
「ねっ寝て!?」
 思わず声が漏れた。叫びながら走り回り、下着まで汗まみれにしたというのに、そんな清々しい笑顔で寝てました、だなんて!
 実際悪気はないのである。清々しかったのである。ぐっすり眠って元気ハツラツだったのである。
「こ…今度からは気をつけようね……」
「はい。ごめんなさい」
 と、これまた清々しい笑顔であったのだが、今度は特に怒りもなかった。あまりに清々しすぎていっそどうでもよくなってしまったのであった。
 嗚呼、教師というのはなんてヤクザな商売なんだろう。磯田がそう思ったかどうかは謎である。


 放課後は、たいてい帰り道の近いもの同士が集まり帰ることになる。そのグループは往々にして仲がよい。
 家の近い忠夫は徒歩通学のグループに所属して、他愛のないおしゃべりをして家へと帰る。それはテレビのことであったり体育のことであったり夕食のことであったり、次の日になれば忘れてしまうような些細なことである。
 学校から離れるほどにグループは小さくなり、最終的には忠夫と本田千恵のふたりとなる。
 本田千恵は、担任の磯田が見るようにそこはかとない淡い思いを忠夫に向ける、好奇心旺盛な少女である。どうして1+1が2になるのか、などという質問をして親を困らせたこともある少女にとって、妙な知識を持っている忠夫は実に魅力的な存在であった。わからないことは何でも忠夫に聞いた。
 

「たっちゃんたっちゃん」
「ん?」
(小児科の看板を指差して)
「これなんて読むの?」
「コジカ」
「こじか?」
「うん。ちょっと近づくとコニカになる」
「コニカ? カメラ屋さん?」
「カメラもある」
「そっかぁ」
「うん」

 といった具合である。思いを寄せる忠夫がやたらと意味の無い嘘を好むというのは、千恵にとってトラジディで以外のなにものでもない。
 地球が丸いのはロマンがあるからだし、女の子がスカートなのもロマンがあるからだし、横断歩道の白いところだけ踏んで渡れたら幸せになれるし、忠夫と話すと胸がドキドキするのは不整脈持ちだからだし、犬がワンと鳴くのもロマンがあるからだし、関西人がお好み焼きとご飯を食べるのだってロマンのためだし、小児科はこじかと読むと当然のように信じている。なんだかロマンが多いが「ロマンは大切な物だよ」という言葉もよくわからないが信じている。

「そういえば、昨日から始まったゴーストソルジャー(今後GSと表記)シャンゼリオン見た?」
「見た見た! 凄かった!」
「でも、ちょっと怖かった…かな」
「確かに、博士が研究のために屋敷を抵当に入れるっていうのはちょっと怖かった」
「そ、そこなの?」
「え、違う? こないだ冥利さんも知り合いの借金の申し入れを断ったって言ってたし、やっぱりお金の貸し借りはよくないんだよ」
「そうなんだ……」
「うん。なんかトボトボ帰ってった。あーいう背中の大人にはなりたくないなって思った」
「たっちゃんだったら大丈夫だよ」
「あんがと。そういえば、GSで思い出したんだけど、俺も見えるんだよ。ほら、あそことかあそことか。どうしたらいいと思う?」
「眼科に行けばいいと思う」
「だよNE!」

 長く一緒にいるからか、忠夫はクラスの中で本田と最も打ち解けていた。最近では、日を追うごとに反応のよくなる少女との帰り道を、学校の中で一番の楽しみにしているといってもよかった。やたらと思いつきで話してしまう癖を治さなければと思うが、このままでもいいかとも思う日々であった。
 そうこうしている間に千恵のマンションにたどり着く。分譲の高層マンションである。
「あ、今度、たっちゃんの家に遊びに行ってもいい?」
「んー聞いといてみる。ばいばい」
「うん、ばいばい」

 別れを済まして本田千恵の姿がエントランスの奥に消えると、忠夫は「よし」と大きく息をついて気合を入れた。顔つきが、歳相応ではない戦士のものとなる。そうして、ある目的地へと足を進めた。

 ところで、忠夫はここ数日ダイエットをしている。給食はほとんど食べないし、主食のパンも残して持ち帰っている。それも全てこのときのためなのである。
 本田のマンションから六道までの区画はいわゆる高級住宅地であり、その中の家のひとつにやたら大きな犬がいる。海外の狩猟犬と思しき、もはや子馬と言った方がしっくりくるくらいの大きさの犬だ。
忠夫はここ最近なんとかこのジョー(忠夫命名)に乗ってやろうと思い試行錯誤を繰り返しているのである。
「ジョー、今日こそは乗ってやるからな」
 忠夫がそう言うとジョーは身を低く構えて威嚇の唸り声を上げる。毎度毎度来ているので警戒心ばっちりなのである。犬は頭がいいのである。
「そう警戒するなよ。ほら、今日は土産があるんだ」
 やきそばパンである。給食のやきそばとパンで作ったのである。前日、普通のコッペパンに見向きもされなかったので空腹に耐えて決死の思い出作ったのである。ジョーは興味津々にクンクンと匂いを嗅いでいる。食べる気になり、伏せの体制をとるのをじっと待つ。
 失敗続きの忠夫の心中は穏やかではない。
 いいとこのボンボンだから、きっと厳しく躾られているはずだ。畜生、コッペパンを馬鹿にしやがって。まあ犬畜生なんだが、やきそばパンを馬鹿にしたら絶対に許さんからな。というか、なんで関東の人間はお好み焼きでご飯を馬鹿にするんだろう。いや、俺は食べんが。炭水化物同士って意味なら、やきそばパンだって似たようなもんなのに。くそ、納得いかない。酢豚のパイナップルくらい納得いかない。
 という按配である。
 ジョーは忠夫と置かれたやきそばパンを交互に見つめ、やがて伏せの体制を取る。 
「っし、所詮は飼いならされた家畜か」
 伏せの状態のジョーに腰掛け、ニヤリと笑い、叫んだ。

「立て、立つんだジョーーーっ!!!」
 
 それが言いたかっただけちゃうんか、と突っ込みが聞こえてきそうではあるが、幸い忠夫には何も聞こえなかった。

 結果として、忠夫のたくらみは今日も失敗に終わった。擦り傷だらけの体で、ぶつぶつと反省点を口にしながら歩く。やはり、振り落とされたあと食事中の背中に手をかけたのがマズかった(食事中は気が昂ぶっているので大変危険です。真似しないでください)。
「ん? 慰めてくれんの? ありがと」
 何もない空間に話し掛けるのは、変な目でみられただろうから、周囲に人影がないことは幸いだった。
「んー、でも大丈夫。必殺技も出来たし」
 勝負はこの次。
 気持ちを切り替え、晴れやかな表情は赤い。
「あ、もうこんな時間か。じゃ、また明日」
 手を振って、家へと駆けていく。
 夕日が出たらまた明日。
 両親の望んだ通り、横島忠夫は実に健全な小学生であった。


文化祭と入院で結構な時間が空いてしまいました。楽しみにしてくれていた方、申し訳ありません。
これから頑張ります。補習のせいで冬休みがほぼ潰れるのが痛いですが。マスコミは、時々でいいので、進学志望でないのに補習を受ける僕たちのことを思い出してください。
話は変わりますが、胃カメラというのはまだあるんですね。カプセルを飲んで胃内を撮影するものとばかり思っていたので、驚きました。実に辛い診察でした。皆様、健康には気をつけて下さい。

>しんくすさん
いい感じと言ってもらえると嬉しいです。これからも頑張ります。

>レゴさん
人間関係等はまさにそうです。受け入れられたならいいな、と思います。

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