生き物相手の商売は、と言うのは良く使われる言葉だけれど、死んだ生き物相手の商売だって楽なものじゃない。
いつ出てくるかもわからない霊を何日も徹夜で待つような事も少なくないこの仕事は、お世辞にも年頃の女性には向いていない。
その上賭けるのは自分の命。他人はどうだか知らないけれど、私にとって自分の命は最大のベット―――いつだって運命の勝負。
……だったらたまにはこんな仕事があったって、不公平ではないでしょう?
「事務所を出てまだ――二時間よ、二時間。単純自給で4000万なんて……。本当、これがあるから辞められないのよね〜、この仕事」
「運と言うか、何と言うか……。半分涙目でしたよ、あのおっさん達。
ああ、もしあの秘書のお姉さんにその苛立ちの矛先が向くようなことがあったら……!」
ボクが守ってあげるから、さあ! なんて両手を広げる隣の少年に軽く左手を振って小突く真似をして。
運転席で上機嫌にハンドルを握る彼女、美神令子。美人の秘書から名刺をもらってご機嫌の助手席、横島忠夫。
大人数での仕事に備えて買った、対して手を入れていないステーションワゴン。いつもは苛立つその重さでさえ、今は気分が良い。
そんな、ちょっと幸せ気分の二人とは反対に
「本当、シロのお手柄よ。あの土地神の事は調べ上げたつもりだったけど……神様の恋愛事情なんて流石にね」
「美神どの、それはともかく……」
「ふふふふふふ、うふふふふふ」
「私なんてどうせ、どうせ……」
後部座席は混沌と化していた。
酔った時にはラーメンを
その日の仕事は大手ゼネコンからの依頼で、気難しい土地神の説得をするというものだった。
道路拡張工事の為に小さな社を移動させようと、それなりに体裁を整えた祭式を行って新たな居場所を設けた。
普段ならそれで済むところが、その地に宿った神は納得していなかったらしい。
事故に次ぐ事故。さじを投げる霊能者。
どうしても進まない作業に工期は迫り、ついに彼らは決断した。
この現場では赤字もやむなし、と。
そんなこんなで依頼を受けた美神令子除霊事務所。
その土地神をあらゆる面から調べ上げ、地域の霊能社会に詳しい妹分に聞き込みを頼み、丁稚には少し高級な対神縛縄を買いに行かせて。
万全の体制で臨むその作戦は――召喚陣で霊力に任せて呼びつけて説得、聞かないようなら縛り上げて首を縦に振らせる――力押し。
業界広しと言えど、本当の意味で神をも恐れぬGSなど彼女ぐらいのものだろう。
焦る先方の様子から、急ぎ終わらせれば報酬も色をつけてくれるに違いないと判断。翌日には決行。
それは学校から帰った二人を乗せ、居候二人を伴って現場に向かい
依頼主と共に待っていた秘書に飛び掛る馬鹿を蹴り飛ばした、その後だった。
直前までそんな気配は一切なかった。
「いつまでも倒れてないで、さっさとチョークの用意をしなさい。そろそろあんたもこれ位の……っ!?」
――覚えのある気だな――
予想外に強力な神通力は物理的な風すら伴って収束する。
実体化しようとする力の集合体に、しかし彼女は冷静だった。
「自分から現れるなんて、何に反応したの……? 気、覚えのある気なんて……っ、タマモの妖気っ!」
「わ、私っ!?」
「あんたの前世と何か関わりがあったのよ、きっと! 何とか説得しなさいっ!」
「説得って言われても、こっちは初対面よっ!?」
慌てる妖狐の肩を支え、形を成した神と対峙する。
「わ、わらしはきんもーはくめんきゅうりのよーこの……?」
必死に言葉を紡ぐ彼女を、彼の目は見ていない。
どこか熱を帯びたその視線の先には
「おぬし、月の女神の神気を帯びておるな。人狼族の月の巫女――何用だ?」
「な、拙者でござるか!?」
…
……
…………
「私なんてさ、名前だけ知られているけど中身はその辺の野良狐よね。それがでしゃばったりして……」
「タ、タマモ、今回はたまたまそういう巡り合わせであっただけでござって…」
昔の事件で一時的に月の女神を降ろしたシロには、アルテミスの神気が、その気配だけ残っていたようで
彼女を月の巫女だと勘違いした土地神はあっさりと引越しを受け入れた。
「わかってる、わかってるけど、こんな恥って……」
「タマモ……」
流石のシロでも、変化すらせずに本気で落ち込む子狐タマモをからかう気にはなれなかったらしい。
「シロの頼みに、構わんぞ! なんて即答だもんね。いつの時代に会ったんだか知らないけど、よっぽどベタ惚れだったのね」
「美神どの……それより……」
小さな瞳に涙さえ浮かべる相棒の頭を撫でつける女神の使いは
「おキヌどのは本当にこのままで平気でござろうか……」
「私は凄く大丈夫よ〜、シロちゃん? ふふふふふふふっ」
隣に座る、逆の意味で手のつけられない巫女さんをげんなりと見つめた。
新たな社に土地神を案内する美神に続こうとした彼が異変に気づいたのは、やはり女性の事だからか。
「おキヌちゃん? ……おキヌちゃん? どうかした?」
ぺたんと座り込んで虚空を見つめる彼女に駆け寄って顔を覗き込むと
「平気ですよ……ええ、凄く、いいです……。ふふふふふ……えいっ」
「お、おキヌちゃんっ!?」
力の抜けた笑みを浮かべた彼女が、すっぽりと胸に納まって。
それはもう暖かくて、柔らかくて、やさしい石鹸の香りがして。
「おキヌちゃん、そういうのは二人の時に……じゃなくてっ!
……ああ、でもおキヌちゃん案外胸が……でもなくてっ! みかみさぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」
ええのんかーええのんかーと叫びたてる本能に必死で抵抗した結果――上司が振り向く前に彼女を引き離すことには成功した。
「平気よ。おキヌちゃんは長い間地脈と繋がっていたから、親和性の高い土地神の神通力でちょっと酔っちゃっただけ。
時間を置けばゆっくりと抜けていくわ」
「そう言われても……」
「私、ちゃんと酔えたのって初めてなんです〜。凄く気持ちいいんですね〜」
「よ、良かったわね。……まぁ、少しはマシになってるみたいだし。本当に大丈夫ね」
アルコールで酔うのとは大分違うだろうと告げる気にはなれなかったけれど、にこにこと微笑む妹は自分と同じでご機嫌なようだし。
「丁度いい時間だし、夕食を食べて帰りましょうか」
この娘に夕食を作らせるのはあんまりだから、ちょっと寄り道をしてから帰ろうか――そう思ったのが
「ちゃんとした店に入れる服じゃないから……そうね、たまにはラーメンなんてどう?」
過去最も下らない騒動の原因になった。
「あんたね、お金を出すの、誰だと思ってるのよ」
「いやまぁそうなんですけど……今日はしょうゆの気分で」
「却下よ却下。北海屋の塩ラーメンで決定。ちょっと遠いけどね」
何かしょうゆラーメンに惹かれるもののあったらしい彼と、意外にも塩ラーメンにこだわりを見せた彼女。
いつもならここで終わる二人のやりとり。そして最後の一人が、今度作ってあげますから、なんて声をかけて。それで一件落着。
しかし今日は少し違った。
「美神さんっ、私は味噌がいいですっ!」
「……おキヌちゃん?」
「味噌ラーメンです、札幌軒の白味噌ラーメン食べたいですっ!」
「……酔ったおキヌちゃんって、こうなるんすね……」
普段大人しいとは言わないけれどわがままを言わない彼女の希望。
今は酔っているとは言え、何かと世話をかけている二人。一瞬のアイコンタクトで妥協する事に決めた。
決めた、のだが。
「なら拙者はとんこつラーメンをっ!福岡亭のとんこつラーメン!」
視線で会話する一瞬の隙を突いて参戦した四人目。
このまま二人が引けばおキヌ対シロの一騎打ち、どちらを推しても面倒になるに違いない。
ならばむしろ自分の希望を……!
引くことの出来ない戦いが始まった。
車を走らせ既に四半時。未だに熱い議論が交わされていた。
「やっぱり日本の味の味噌ラーメンがいいと思うんです〜!」
据わった目でゆらゆらと揺れる彼女はどう見ても怪しいが、その瞳は確固たる意思を感じさせる。
「疲れた後は少しこってりしたとんこつが一番でござるっ!」
主張すればする程にとんこつしか見えなくなっていくのは、やはりまだ子供だからか。
「まともに仕事なんてしてないんだから、あっさりした塩でいいでしょう?」
そもそも運転してお金も払う自分の希望を通すのが自然だというのは至極最もな意見ではある……大人気はないが。
「そこでノーマルなしょうゆなら全員から文句が出ないと思うんすけど…」
正直どうでも良くなっては来たが、根が関西気質の彼からしてこの流れに乗らない訳にはいかなかった。
(――と言ってもなぁ)
「タマモはどうだ?希望はないのか、何か」
そう、このまま千日手を続けるわけにも行かないのだ。ここでタマモに話を振ればきっときつねうどんと言ってくれる、そう予想した。
(うどんはダメだけど、和風って事で味噌ラーメンで手を打つ。
落とし所としては悪くないよな、まさに横島会心の一手!さあ、タマモ、いつものように…)
「……パスタが食べたい……」
「みんなばらばらだし、やっぱりしょうゆでいいんじゃないですか!」
「結果としてあんたの希望通りってのが気に入らないわ」
「せんせぇー、弟子の意向を汲み取って下されぇぇ」
「味噌〜、今日は絶対に味噌がいいんです〜!」
「イタリアン……いいもん、私なんて……」
完全に泥沼である。
「ほら、もう着くから。今日は北海屋って事で、ね」
しかし走っている以上どこかには向かっている訳で。それは当然運転手の目的地。
「ずるいっすねー。儲けた分ぐらいサービスしてくれてもいいじゃないですか」
そう言ってはいるものの、これで終わっておくのが無難だと
――そう思ったのは、残念ながら彼だけだった。
――ふぃ〜
「……え?え、え、ちょっと、何よこれっ!?」
「だぁぁぁぁぁぁ、何やってるんですか美神さんっ!」
塩ラーメンで有名な北海屋を目の前に、縁石を越えて突如Uターンするワゴン。
盛大なクラクションと怒声を浴びただけで済んだのは、どう見ても奇跡だった。
「今、一歩間違えたら俺がつぶれてましたよっ!?」
「だから違うってばっ……ハンドルがぁ…くぅ…動かないのよっ」
体重をかけてもまったく動かないハンドル。ワゴンは危なげに蛇行し、混み合う国道を駆け抜ける。
「どういうことよ、こんな事、人工幽霊一号ぐらいしか……っ!?」
――ふぃ〜
「お、おキヌちゃん……あなた……」
――ふぃ〜ふぃ〜ふぃ〜
後部座席を振り返れば、目を光らせて笛を咥える少女の姿。
ネクロマンサーの笛で人工幽霊一号に干渉して走らせているらしい彼女。
主が酔っているためか、その運転はとんでもなく危うい。
「その笛、止めなさいっ!!」
――ふぃ〜ふぃ〜
「止めなさいって言ってるのがわからないのっ!?」
――ぶーぶー
「馬鹿にしてんのっ!?いくらおキヌちゃんでも流石に怒るわよっ!」
「お、落ち着いて下さい。えっと、おキヌちゃん、人工幽霊も家族だし、ほら、無理やり操るなんてダメだから」
自分を殺しかけたことより馬鹿にされたことに怒る彼女を複雑な心境で抑えつつ人情作戦に出たのだが
「……大丈夫です、仕方がないですねって言ってくれてますから」
それなりに意思の疎通は出来ているらしい。
――ふぃ〜ふぃ〜
「シロ、おキヌちゃんから笛を……シロ?ちょっとシロっ!?」
「…………」
身体能力に優れる人狼なら容易に笛を奪える筈なのだが、彼女は何か考えるように動こうとしない。
「ああもう、じゃあタマモ、笛を……ってきゃぁぁぁぁ、タマモっ大丈夫っ!?」
「きゅぅぅぅぅ……」
Uターンからの蛇行の連続、さらにとびきりの揺れで足元まで転がってきたらしい子狐タマモを抱き合げて助手席に押し付けて
どうもおキヌは東京の土地勘はイマイチらしく、ワゴンは何度も無茶な軌道で道を変える。
「ああもう、直接行って、――え?」
突然車が速度を落として直進し始めた。
収まった揺れに逆にバランスを崩しながら後部座席を覗き込むと
柔らかい光を手のひらから放射するシロと、その光を浴びてぼんやりとするおキヌの姿。
「文珠、使ったのね。ちょっと勿体無いけど……今のおキヌちゃんを取り抑えるよりはいいかもね」
一つだけ持たせていた文珠を使って支配をといたのだろう。
見ると助手席の彼もタマモを抱きしめて目を回している。気絶したまま受け取ったのは、女の子を離さない本能なのか。
どちらにせよ今日はラーメンどころじゃないし、事務所に戻ろう。そう思ってハンドルを握って――
「全くもう……あれ? ハンドルが……」
動かない
「シロ? 文珠はちゃんと効いてる? 変な事考えると文字が変わったりするから……」
文珠は発動している
「……シロ、それは」
完全に車を覆う光の元は
「……とんこつ、今夜は譲らないでござる」
『操』
「いい加減に、ちょっと、ああ、もういやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「ほら、さっさと起きなさい。食べて帰るんでしょう?」
「ん……ぁ? 事務所……帰って来れたんですか」
「もう散々に苦労して、ね。それよりほら、顔でも洗って、冷める前に食べましょう」
抵抗するシロから文珠と見せかけて精霊石を奪い取り、転がった文珠を奪い合い、路上に止まった車を慌てて走らせ、事務所に戻って酷使された人工幽霊一号に使えるお札を探して……
――がりがり
「夕食は結局、これですか」
「もう何だってよかったわよ、本当に……」
そんなこんなで夕食なんて用意できるわけもなく。タマモの希望したイタリアンと言う訳ではないが、ピザになった。
少し元気を取り戻した狐娘は既に三切れ目に入っている。
――がりがり
お茶を受け取った横島に真っ赤な顔で頭を下げるおキヌはもう酔いも覚めて――可哀想に全て覚えていた。
――くぅーん くぅーん
「そりゃ命賭けてはいるけどね……こういうのは違うわ、絶対」
「……?」
「何でもないから、さっさと食べなさい。もう遅いし、送るわ」
――がりがり くぅーん
今日はちょっと行き過ぎだったけれど。
下らない事で大騒ぎになるのも悪くはない。
これはこれで、事務所の日常。
「覚えているでしょうけど、明日も夕方から大きいのが入ってるわ。四人全員で行くから、今日の疲れは残さないようにね」
「今なら美神さんが悪霊をしばきたがる気持ち、少しわかるわ」
「……はい……」
「ふぁーい」
ばらばらな返事でも、なんとなく気分がいい。
毎日楽しいんだから、ちょっとぐらい苦労しないと不公平かな。
やっぱりこの仕事、辞められないわね。
――くぅーん
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