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『Lost report』

「……また会えるなんて思っていなかったよ」

 そう告げた彼は少しだけ苦しそうだった。
 暖かい微笑みは出会った頃と随分違う。
 私にとっては数年前。
 彼にとっては20年以上も前。

「私も。こういう風に会うなんて、思ってもいなかったわ」

 鋭すぎる視線は優しいメガネに隠され。
 無造作に伸ばしていた髪は短く切り詰めている。

「親子二代で貴方の弟子になっていたなんてね」

 先に帰した二人の令子。
 あの子が私にとっての未来で彼に師事し、独立したという話はついさっき聞いたばかり
だった。

「六道の女史は厄介事は全部私に押し付ければいいと思っているらしいよ。相変わらず」

 半ば諦めたような微笑みは記憶のままに。
 はじめて出会った日にも彼はこんな笑い方をしていた。



『Lost report』



 声を出すまでに少し時間が掛かってしまった。
 今の私より20も年上の彼の姿に戸惑ってしまったのだと思う。

「立派な教会を建てたのね」

 見渡せば広い礼拝堂。質素ながらしっかりとした作りの内装はその人柄を示すようで、
視線を合わせて微笑むと、彼は昔のような髪をかきあげる動作をした。
 見慣れた、照れた時の仕草。

「ああ、あれから10年かかったけどね。君の娘さんを預かるのには間に合ったよ」

 彼も少し戸惑っているようだった。
 令子の所のバイト君――横島君――が、禁欲生活の男やもめを人妻と二人きりにしては
いかん、とか何とか騒ぎ立てながら退場していったせいかもしれない。
 彼に限っては、そんな心配は必要ないのに。

「20年以上、現役か。さすが神父ね」

 礼拝堂の奥。
 事務室として使っているらしいスペースへ。
 きちんと整理された様子はあの家と変わらない。

「長いだけさ。弟子に実力で追い抜かされてばかりだよ」

「そんなこと無いわ。私、ずっと貴方を目指しているもの」

 独立して仕事を始めた時、師匠の名前がいかに大きなものかは思い知らされた。
 両親の汚名も、彼の弟子という肩書きに引っ張られたからこそ返上する事ができたのだ。

「神父のように、というのが私の目標なのよ」

 ふと、自分が当時の彼と同い年である事に気付く。
 ぶっきらぼうだった、私の師匠。

「光栄だね。お茶しかないが、いいかい?」

 薦められた椅子に腰をかけると、彼は再び扉を抜けた。
 私が、と声をかけたけれど彼は後ろを向いたままでひらひらと手を振り、それを制止する。
 初めて来る場所なのに何か落ち着いてしまうのは、ここが唐巣神父の部屋だからだろう。
 机の上には当時と同じ写真。
 ……ほとんど同じ姿の少年が、今の彼の弟子である理由は聞けるだろうか。

「懐かしいわね」

 はじめてその写真を見た日から、6年。
 あの頃から駆け足で過ぎていった日々が浮かぶ。
 あの人との出会い。
 チューブラー・ベルとの決別。
 令子が生まれて、魔族に追われるようになって。
 ……彼はその3倍以上の時間を過ごしているわけだ。
 髪をほどいてみる。
 抱いたとき、あの子が口に入れてしまうから仕方なく纏めた髪。
 下ろせば丁度あの頃の長さだった。
 写真立てに自分を映せば、あの頃の彼に並ぶ私。

「貴方に少しは追いつけた?」

 憧れつづけた年上のGS。
 無理を言って研修の最後だけ、六道家に渡りをつけてもらった。
 押しかけて、どうにかする気だったのだけれど。
 ……この写真。

「ショックだったわー」

 質素な部屋の中で唯一飾られていた二人の写真。
 試しに誘惑してみても全然乗ってくることは無かったし。
 ……聖職者に多い、と聞いてはいたけれど。

「何がだい?」

 いつの間にか戻っていた彼の声に思索を中止する。
 声は少しも変わらない、けれど振り向けば、違う時間に生きているのだと証明してくれる
彼の姿。
 イメージとのギャップに軽くダメージを受けてしまう。

「ちょっと、昔にね。……ね、神父はまだ結婚してないの?」

 両手の指で数えても足りないズレを埋めるためにいたずらな質問をしてみたけれど、

「ああ、せっかく破門されているのに残念ながら」

 神父は私の思惑とは違って落ち着いた言葉を返してくれた。
 昔のように狼狽する彼が見てみたかった私は少しだけ、不満。

「懐かしいね、その髪型も」

「こっちの方が楽なんだけどね。子供が居るとどうしても」

 口調が昔に戻ってしまうのを感じながら、彼を見つめる。
 最後に別れたのは、公彦を追いかけて行った空港だった。
 遠ざかる後姿は私が決めた結末だと思っていたし。
 ……それに不満があったわけでもない。

「もう会えないものだと思っていたわ」

「それは、どちらかというと僕の台詞だろ?」

 彼の過去。私の未来。
 辿れば、先に命を落とす運命にあるのは私らしい。
 彼からすれば数年前に永別を果たした人間が目の前にいるのだから、そんな言葉も当然
なのだろう。

「戻ったら、貴方に会いに行ってみようかしら」

「残念ながら君は、そうはしなかったよ。……記憶に無いんだ」

 まるで追憶のように。
 あるいは預言者のように。
 落ち着き払った言葉。
 ……理由も理解できるのだけれど。

「公彦は、元気?……私がいなくなった後に再婚とかしてる?」

「あまり連絡を取っていないな。再婚したって話は聞かないが……会いに行ってないのかい?」

「もう居ないはずの妻が突然現れても、困るだけだと思う。私には私の彼がいるし」

「……なるほどね」

 それから、令子の話を幾つか。
 今のアシスタントや幽霊の女の子について。
 あり得ない筈の再会に用意できる話題なんかたかが知れていた。
 六道家の跡取娘の話題を終えると、ちょっとした沈黙が生み出される。

「なんか、変わらないものね」

 私の時代は1980年代。
 あの頃、GSという職業が定着して注目されるようになってから、今は十数年。
 演じる役者は変わったけれど、演目は変わらないようだ。

「かもしれないね。人の本質は揺るがないという事だよ」

 お茶を飲む神父が一番変わった役者である気もする。
 いつもタバコを咥えて、飲み物はブラックのコーヒー。
 親切ではあるけれどぶっきらぼうで。
 きつめの言葉を選ぶ人だったのに。

「素敵ね」

「良い事ばかりではないけどね」

 わざと導いた言葉のすれ違い。
 私は結婚後も……多分これからも変わらないであろうあの人と、変わってしまったこの人と、
心の中で比べてみる。
 ……公彦との生活に後悔はないけれど彼がこんな風に優しく変わっていく姿を見ることが
出来なかったのは、少し残念かもしれない。

「ね、神父はいつから」

 彼と住んでいるの?と、さっきから心の中で渦巻く好奇心がやっと言葉になったのだけれど、
後半は無粋な音を立てる黒電話に邪魔されてしまった。
 言葉を制して受話器を取る神父。
 
「はい、唐巣です。……はい、詳しい場所をお伝えください。いえ、それはお会いしてから
 お話しましょう」

 受話器から漏れる半狂乱の声。
 ……仕事の依頼なのだろう、それも火急のようだった。

「すまない、美神君、出かけなければいけないんだが、君は」

 受話器を置いた神父は、私を見て言葉を止める。

「もちろん、一緒に行かせて。久しぶりの師匠の除霊。楽しみにしてるわ」

 続けた言葉は必要なかったかも知れない。
 たぶんこの人はわたしの微笑みで理解していたようだから。



 シェルビー・コブラ。
 二人きりでドライブした唯一の車。
 神父と除霊、という話は伏せて令子に借りて来た車。
 奇妙な縁に呆れるように、ハンドルを握る神父は行き先が成田だと告げた。

「公彦君が出国する予定でも立てていたら完璧なんだがね」

「あら、それなら神父は外にしがみついていなくちゃだめね」

 神父は慣れた様子でスピードを上げていく。
 あの後、成田でニュースになってしまったこの車は、結局令子が独立するまで、彼の
手元に残っていたらしい。

「彼女の独立の時にね、ちょっとした賭けをして巻き上げられたんだ」

 令子は期待通りの強い子に育ったらしい。

「繰り返すけれど、彼女は君に似ているよ。才能も、無茶苦茶な所も」

 苦笑交じりの言葉はどこか嬉しそうで、私は彼が望む言葉を探してみた。

「あら、心外だわ。私は良い弟子のつもりだったけど?」

 風は冬の風。
 賑やかになった道路脇の看板が季節を謳う。

「なるほど。そうしたら令子君も良い弟子さ」

「私が先に巻き上げておくべきだったわね、この車」

「君ね。――僕は最初の弟子の教育が足りなかったんだな」

 軽く落ち込む神父をなだめて、依頼の内容を確認する。
 詳しくはまだわからないけれど、簡単な依頼ではなさそうだった。

「地鎮も不十分なままに工事を進めた場所だからね。魔物を呼び込みやすいんだ。しかも
 日本の玄関口として世界に認識されているから悪い意味でも入口になってしまっている」

 空港から呼びつけられるのは初めてじゃないらしい。
 数少ない支払いの良いクライアント、だそうだ。
 ……それでも教えられた値段は驚くほどに安いものだったけれど。



 神父は聖書の詔に霊力を重ね退魔を行う。
 信仰心によって紡がれる善なる力は、些かの衰えも見せず紛れ込んだ妖魔を霧散させた。

「相変わらず見事ね」

 莫大な知識によって選び出される言葉。
 重ねる力強い霊力。
 被害が広がらぬように敷かれた結界。
 バチカンに破門された身であるにも関わらず『神父』と呼ばれ続けているのは、伊達
ではないという事だ。

「いやいや、時間ばかりかかるようになったよ」

 僅かに残った霊の残滓を祈りで導いて。
 彼は柔らかい笑みを。

「そろそろ引退も考えているのだけどね。最後の弟子が卒業するまでは、とずるずるさ」

「ふうん」

 名前を聞くのを忘れたのを後悔した。
 金髪の少年。魔の混じった彼を弟子として迎え入れるまでにどんなドラマがあったの
だろう。

「彼は優秀?」

「君ほどじゃない」

 即座の否定は意外だった。

「弟子としては不満ありなの?」

「そうだね。君も令子君も独立してすぐに僕を追い抜いて行ったけれど、彼は良くも悪くも
 僕の……あるいは神の言葉に縛られるだろう。優しすぎるんだ……彼は」

 私の訪問にあの男の子は困ったような笑みを浮かべていた。
 優しい優しいこの人が優しすぎるなんて言葉を使うのはよっぽどなのだろう。
 含まれる苦笑に隠される愛情。
 ……過去の写真には同年代のように写り、今は父と子のように過ごす。
 神父の想いを欲しいままにしている彼に元弟子としては軽い嫉妬を。

「手のかかる子ほど可愛いんでしょ?」

「どうだろう。……一番手が掛かったのは間違いなく令子君だが……」

 空港の職員が駆けてきて。
 右手で会話を遮った彼は事務的な手続きに没頭する。
 私じゃなかった答に再度の不満を覚えつつ、身勝手だなと吐息する。
 広い肩幅。
 髪をいじる癖は直ったようだ。
 変わりに、なのだろうか、時折めがねを抑える仕種。

「先生、お仕事終わり?行きましょうよ」

 報酬の交渉が終わったあと、社交辞令を交えた雑談になったのを見計らって、彼の腕を
引っ張ってみる。

「いつものお弟子さんと違うんですね」

 スーツの青年は揶揄するかのように笑ったけれど、

「ああ、一番弟子が久しぶりに来てくれたんだ」

 神父はそんな余裕の受け答え。
 わたしの行動に一喜一憂していた青年とはもう違うのだから。



 あの当時、GS唐巣という存在はちょっとした注目の的だった。
 若くしてバチカンの中軸に名を連ねながら、ただ一人の少女を救うために破門された
という逸話。
 キリスト教系からアジアの呪術まで通じた広い知識。
 そして整った容姿と依頼の成功率100%という実力。
 日本で民間のゴーストスイーパーという職業がこんなにも普及している理由の一つに
彼の名前を挙げて、異論を挟める者は居ないだろう。

「この後の予定は、お暇?」

 コブラに火を入れて。
 帰路に着いた彼に声をかける。

「ああ、予定はないよ。……まあ、一度教会に戻って留守中に何かなかったか確認しないと
 いけないけどね」

「ふふ、相変わらずマジメなんだから」

「親子だね、令子君にもまったく同じ言葉をよく言われるよ」

 連れてきた令子ではなくて。
 彼の元で育った令子。
 ……わたしよりも、彼と長い時間を過ごした令子。

「心外だわ、わたしの方がオリジナルなのに」

「それもそうだ」

 交差したわたし達の運命はこの車に乗ってこの道を行った時に別れていった。
 横顔に、想う。
 あの時、帰路があったなら。
 わたしと神父はもっと近くいられたのかも知れない。

「ね、神父」

「なんだい?」

「今のお弟子さんの名前はなんていうの?どんな関係だったの?」

 かつて望んだ。そして手放した、その席にいる少年。
 彼はあの写真の人物とどんな関係なんだろう?
 ……わたしのように彼から離れ、その子供をまた預けているのだろうか。

「ピート君かい?ああ、君も知っているだろうね彼は」

「……待って、ごめん、やっぱりいいわ」

 時間旅行が生んだ僅かな逢瀬に、彼の事を語る神父を付け加えたく無かった。
 あの頃と同じで、結局、わたしは臆病なのだ。

「きっと彼とも、出会うべくして出会ったんでしょう?」

「ああ、そうだね」

 わたしには公彦がいる。
 そして、彼にはあの写真の人が。

「あの時の出会いが必然なら、この出会いはきっと、ご褒美だから」

 わたしは、遠からぬ日に仕事中――おそらくは、令子を狙う魔族によって――命を落す。

「ねえ、神父。わたし、貴方が好きだったわ。心残りを無くすために教えて。あの頃の
 わたしに少しでも魅力を感じてくれていた?」

「君ね……それを僕に聞く必要があるなんてあるのかい?」

 狼狽する仕種。
 思い出のまま。
 だけど。足りなくて、わたしは言葉を足した。

「神父の言葉で聞きたいの。……あの頃、わたしは貴方が一番好きだったのよ」

「公彦君に出会わなければ、かな?光栄だね」

 公彦に対する想いは嘘じゃないから、違うという言葉は飲み込んだ。
 ……飾られていた写真の分だけ、絶対に届かないと知っていたから、隠し続けた想い。
 それも知って愛してくれたから。わたしは公彦を選んだのだけれど。

「もしも、出会い方が違えば……。あの時、こうやって君と帰り道に着いていたら、とは
 思う事がある。聖職者にあるまじき欲望でね」

 それで勘弁してくれ。と、メガネに手を当てて応えた神父は真っ赤になっていた。
 言葉はもういらなかった。
 そして、わたしは――公彦に心の中で手を合わせつつ――少しだけ、勘弁しなかった。



 偶然が生んだ出会いの必然を運命と呼ぶのだから。
 これも運命でいいのだろう。
 髪を再び結うまでの短い時間は、わたし達以外には失われた時間。
 別れの言葉を口にしないのがきっと、わたし達の流儀なのだろう。
10/25 誤字直し。これできるの嬉しい。

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