一夜明けて、六道冥利は横島忠夫を過小評価していたことを理解した。
昨日とは比べ物にならないほど霊力が満ちている。力強い波動は既にGSと比べても突出している。
おそらく、今までの忠夫は霊的欠乏の状態にあったのだろう。力のある霊能者もおらず、霊的に恵まれたわけでもない土地で生活するには、忠夫のもつ器は大きすぎたのだ。
霊的欠乏というのは飢えと同じだ。圧倒的な本能による欲求が心を覆い、感情や思考や意識を殺していく。両親を悩ませた奇行もこれである程度説明がつく。しかしぞくりと背骨が震えた。
満足な霊力を供給されない体を抱えて生きていくのは、どれほど辛いことなのだろう。
飢え続け、辛いことすら辛いとわからないかもしれない。それは、なんと呼べばいいのだろう。 だが霊的に整えられた六道でなら、飢えることもない。龍脈から流れ出る霊気が、四神相応の揃った地相により増幅されるからだ。
そのことは救いであると思う。
「おはよう〜。おばさんのことわかるかしら〜?」
「六道、メイリさん」
「覚えててくれたのね〜。おばさん嬉しいわ〜」
撫でる。
丁度いい高さに頭があるので、すこぶる撫でやすいのだ。
困惑しているが、嫌がる素振りはみせない。今まで感じたことの無い、霊能力者の波動を直に受けているからかもしれない。
「今日からここで暮らすことになったから、自分の家だと思っていいのよ〜。
玩具だって、なんだって買ってあげるわよ〜」
「ほんと!?」
「ほんとよ〜」
目を輝かせる表情は、まさに子供のそれだった。
子供らしい適応能力で、忠夫はあっという間に六道の暮らしに馴染んだ。
冥利の予想通り、霊的に充実した六道での暮らしで、忠夫は年相応の豊かな感情を表すようになった。
言うまでもなく、これを一番喜んだのは両親である大樹と百合子である。
子供特有の無垢な素直さ、打てば響くようなレスポンス、豊かな表情。どこの家庭にもある、ありふれた幸せを手に入れることができた。
仕事をしよう、と思った。
職場を変える以前、大樹の成績は取り立てていいものではなかった。いや、より正確にいうなら下から数えた方が早いくらいだった。やる気がなかったわけではないが、忠夫のことを考えると仕事が手につかないことが多々あった。百合子ひとりに忠夫を任せるわけにもいかず残業もできなかった。しかし、世話になりっぱなしの冥利の顔に泥をぬるような真似はできない。大樹は燃えた。休日出勤、残業、日帰りの出張などを繰り返し、メキメキと評価を上げた。
そして、忙しい中で暇を見つけては時間の許す限り忠夫と話をした。まるで、今までの遅れを取り戻すように。
「忠夫ー。父さんは今猛烈に幸せなんだ。なんでかわかるか?」
「さあ」
「父さんにもな、やっとできたんだよ」
「仕事が?」
「いや、ストーカーが」
「あんた馬鹿だな!?」
「馬鹿とはなんだ。ストーカーはモテ男の証明みたいなもんなんだぞ」
「親父の血が流れてるかと思うと、悲しくなるよ」
「お前も、いつかわかるときがくる」
「わかりたくねー」
「男になれば、な」
「意味わかんねえ」
「よしっ、わかるようになったら一緒に酒でも飲みにいくか!」
「話聞けよ」
「おっと、もう時間だ。それじゃ行ってくるからな」
「もう帰ってこなくていいよ」
そんな、男同士の会話もあった。
「忠夫、オヤツよ」
「ケーキでかっ」
「ここってキッチンすごいからつい張り切りすぎちゃうのよね」
「というか、ケーキに書かれた『生涯忠夫』の意味がわかんない」
「チョコレートソースよ」
「見たらわかるよ」
「食べたら、うわー忠夫うめーってなるわよ」
「意味わかんないしならないよ」
「なるのよ」(ドスのきいた声で
「う、うん、なるね」
そんな、親子の会話があった。
忠夫の変化を一番喜んだのが両親なら、誰よりも忠夫の六道邸入りを歓迎したのは冥子だ。
式神を恐れなかったというのも大きいだろうが、もしかしたら、ずっと弟や妹が欲しかったのかもしれない。手を引き、屋敷の生活に不慣れな忠夫の世話をした。
ふたりはいつも一緒だった。
さながら、仲のいい姉弟のように。
「たーくん。学校いきましょ〜」
「え…まだどこに通うか決まってないんだけど」
「大丈夫よ。一緒にいきましょ〜」
「いや、でも――」
「イヤ…なの? たーくんも冥子のことが……」
「そ、そうじゃなく――うおっ」(後ろから持ち上げられた)
「行きましょうお嬢様。忠夫様も飛び上がるほどに嬉しいと申しておられます」
「え゛?」
「……ほんと?」
「う、うん…ホント……かな」
「えへへ」
「……学校まで、ですよね?」
「…………」
「さ〜お風呂に入りましょ〜」
「い、いいよひとりで入れるから」
「駄目よ〜」
「や、やだ」
「……」
「……」
「た〜くんは、冥子のこと嫌い?」
「き、嫌いじゃないよ」
「じゃあ好き〜?」
「そ、それは……」
「た〜くんは冥子のことが嫌いなんだわ〜!!」
「ちょ、式神がっ!」
「ふぇ〜〜ん!!」
「は、入る入るから! 一緒に入るから!」
「ほ、ほんと〜?」
「インディアン嘘つかない。忠夫も嘘つかない」
「じゃ〜入りましょ〜」
「お嬢様。そろそろご就寝のお時間です」
「じゃ、じゃあ僕もそろそろ「は〜い」」
「な、なに?」
「どこいくの〜?」
「へ、部屋だけど?」
「一緒ね〜。じゃあ一緒に寝ましょ〜」
「大丈夫! ひとりでも大丈夫だから!」
「あっ」
「おやすみな――うわっ」
「逃がさないわ〜」
「離してくれビカラーーっ!」
「ど〜してそんなに嫌がるの〜?」
「そ、それは……」
「ぐすっ……」
「あ、あぁぁっ」
「た〜くんは冥子のことが嫌いなんだわ〜!!」
「ちょ、ビカラが僕を抱いたままですよーーー!!」
「うぇ〜〜〜〜ん!!」
「た、助けて冥子ねーちゃーーん!!」
「…………」
「…………」
「た、た〜くん……。もういっかい言って〜!」
「め、冥子ねーちゃん……?」
「……こらっビカラちゃん。たーくんを離しなさ〜い」
「(ごめんよ)」
「さ〜一緒に寝ましょうね〜」
……さながら、仲のいい姉弟のように。
忠夫はまだ学校には行っていない。
テストの結果、間違いなく高校卒業程度の学力を所持していることがわかったからだ。
学校とは勉強だけする場所ではないが、冬休みも近いし学校の評判もわからない。五年以上も通うのだから、休みの間にゆっくりと学校を絞っていけばいい。
それが大樹と百合子の判断だった。
「アルフレドーーっ!!」
横島忠夫、魂の叫びである。
六道にも慣れ、ある程度生活のリズムというものができてくると、朝のこども劇場をみるのが忠夫の毎朝の日課になった。
「ううぅ…ロミオちゃんかわいそう…」
泣いているのは冥子。場所はテレビの真正面。いいポジションである。
朝のこども劇場は冥子の日課でもある。忠夫に付き合いだったはずなのに、いつの間にか忠夫よりも真剣に見ているのだった。
冥子が次回予告にハンカチをぬらしている間に、忠夫はさきほどの絶叫は何だったのかと思うほど忠夫はテキパキとコースを組みあげていた。
冥利と百合子にせがんで買ってもらった巨大なミニ四駆のコースである。疾駆する愛機はペガサス号。アニメの影響である。感化されやすい子どもであった。
「今度はミニ四駆なの〜?」
冥子はこの遊びがイマイチ好きではなかった。どうも機械に執着するという気持ちが理解し辛いかったし、地を這うだけの道具の名前がペガサスというのはどうかと思うからだ。
忠夫はニヒルに笑って愛機のスイッチを入れる。今回のセッティングには自信があった。打倒インダラである。
あっという間であった。
唸りを上げるペガサス号の足が地面に接した瞬間、名の通りに宙を舞った。
がしゃーーん(ガラス)
「……」
「……」
ガラスが落下し終えると、音を立てるのはペガサス号だけであった。
無意味に後輪を回しつづけるペガサスは、裏返った亀がもがくように見えて哀愁を誘った。
がちゃりと音がした。
「お嬢様?」
フミである。
ガラスが割れてから約15秒。メイドの鑑である。
フミの目線は冥子からガラスに移りまた冥子に戻った。
忠夫はいち早く戸棚に身を隠していた。驚くべき霊勘の強さである。
冥子の名誉のためにいうと、彼女だって嫌な予感はヒシヒシと感じている。
どうすれば誤解が解けるか。どうすれば自分の話し方でそれを伝えられるか。そのようなことを考えてはみたが答えは出なかった。
残るのは挙動不審な自分だけ。結果的に悪印象である。
「あ、あの……」
「お仕置き……ですね」
「やっぱり〜〜〜!!」
ぱしん!ぱしん!(おしり)
古典的な折檻ではあるが、痛いし、なにより恥ずかしいので効果は絶大である。
「おしりが…おしりが……ぐすっ」
「本日は17時までここを使う予定はありませんから、それまでにガラスを片付けておきましょうね」
自分の失敗は自分で片付けることによって自分の責任というものをはっきりと理解できるようになる。それが六道のしつけであった。
しかし塗り衣であった。
「ご、ごめんね?」
フミが出て行ったのを見計らい、上目遣いでモジモジしながら忠夫が戸棚から出てきた。冥子が自分に甘いことを知っての行いである。
そ、そんな風にされたら……
バーン!!
「ごめんなさーい!!」
許すわけがなく。
仕方がないのであった。悪いことをしたら怒られる。当たり前のこと。これも躾、愛の鞭なのである。
しかし、「大人の私(見栄)でも痛いのに子供のこの子にとったら…」などと生来の優しさが立ちはだかり結局は三度叩くに留まる。まあ、いつものことである。
とはいえ、ただ遊ばせていただけではない。
知識の幅や深さ、霊能力の強さやその特色など様々な角度から忠夫のテストは行われた。
学力について、特に驚きはなかった。小学生が高校生の問題を解いていく姿に不思議なものを覚えたが、当初からそういう触れ込みであったからだ。それにしてもまさか、僅かとはいえオカルトの知識まで所持していようとは。
『なんとなくわかる』と、初めて見るはずの札や道具を使い、霊能の基礎でいきなり霊気の盾を作り上げてしまうなど、驚くなという方が無理であった。
忠夫の才覚に冥利の胸は年頃の乙女のように震える。まだ来ない未来を思い胸を奮わせるなど、いったい何年ぶりだろうか。
六道に生まれたものは、その力を持たぬ人々のために使う義務がある。
そう遠くない未来、きっとこの子は娘の横で支えてくれるだろう。
そんな予感がする。
しかしまさか、その将来有望な忠夫が、霊にとり憑かれてしまうとは一体誰に予想ができただろう。
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