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いつか、過去に届けばいい 1

 部屋には三人の人間がいる。
 二十台前半といっても通用するような容姿の女がひとり。
 その後ろに隠れちらちらと顔を覗かせる少女がひとり。
 ふたりの視線の先の少年は、先の少女より更に幼い。
「おばさんの名前は〜六道冥利。あなたのお名前は〜?」
「……」
「あなたのお名前は〜?」
 再三にわたる問いかけにも答えは返って来ない。
 すでに三十分以上は同じことを繰り返しているが進歩はない。
「あなたの、お名前は〜?」
 それでも、腰を落とし椅子に座った少年と同じ目線で辛抱強く冥利は繰り返す。
 しかし少年はこたえない。
 それもそのはずで、答えを持つべき少年は猿轡を噛まされているだけに留まらず、手は後ろ手、足も椅子の足にしっかりとロープで縛られている。
 冥利はそっと溜息をつく。
 どうにも埒があかない。
 少年は先ほどからずっと娘の冥子に視線を送り、こちらを見ようともしない。目線を合わせようにも、自分を通り抜けて冥子を見ている。もしかしたら自分の声は聞こえていないのかもしれない。
 何か反応を見せてくれたなら、戒めなどすぐにといてやれるのに。
 ただ、既視感ともいうような、言いようのない曖昧模糊とした霧がそれを躊躇させる。霊視には何もおかしなところはない。けれど、第六感ともいうべき勘を、彼女のような霊能力者は時になによりも重要視する。
 興味があるのか、冥子は自分の影に隠れては見て、見ては隠れてを繰り返している。影に隠れた式神の様子からおびえているようではないとわかる。少年が冥子を見ているから、単純に恥ずかしいのだろう。
「冥子。あなたやってみる〜?」
 数秒思案するように視線をさ迷わせた後、こくり、と頷く。
「あたしは〜六道冥子〜。あなたのお名前は〜?」
 苦笑する。本人は至極真剣なので表にはだしたりしないが。
 やはり、子供は親の行いをみて育つものだと実感する。
 いや、それだと娘が式神を自在に扱えないことに説明がつかない。
 猿轡のこすれる音に思考を消去する。
 今はこの少年のことだ。
 少年は今初めて猿轡に気づいたように、不快感もあらわに眉をひそめる。
 冥子がそれをみて戒めに手をかける。
 ノックの音。
「奥様」
「なにかしら〜?」
「その少年の両親だとおっしゃる方が見られてますが、いかがしましょう」
 娘、少年、と視線を動かし、
「応接間に通しておいて〜」
「かしこまりました」
「まだなにもしちゃだめよ〜?」
 娘が頷くのを確認してから、冥利は応接間へと足を向けた。



 はたして、そこにいたのは三十前後と思しき一組の男女であった。
 子供の年齢を考えるならば、自分と同じか少し下だろう、と冥利は考える。
「忙しいところ、申し訳ありません」
 立ち上がり、硬い顔で男女はそう頭を下げた。六道にくるものは、皆少なからずそうだ。特に、今は屋敷に大穴が空き、復旧作業にてんやわんやの大忙しである。その渦中で倒れていたのがあの少年であり、目下のところ第一容疑者でもある。
 男女はそれぞれ名刺を差し出し、冥利の反応を待っている。
 受け取り、目を通す。どこかで見た名前だ。だが、名前で用件がわかるほどの相手ではない。顔にも見覚えはない。少し、あの少年に似ているといえば、似ているような。
 その程度。
「それで、ご用は〜?」
「この敷地に、小さな男の子が入り込んでいると思うのです」
「身長は120cm、体重は23kg、黒い髪で、少し癖毛。これが写真です」
「あら〜?」
 間違いなく、あの少年である。やはり、どこかでみたような既視感。
「どうして、ここに〜?」
「これです」
 男が差し出したのは、リモコンのような手に収まるような機械。そういった道に疎い冥利にはそれがなにかまではわからない。
「これは〜?」
「息子の服には発信機を埋め込んであります」
 発信機? はて。
 その疑問に母親が答える。
「息子はそれなりに有名で、私達も何度かテレビに出たこともあります。けれど、お恥ずかしい話、テレビ用にそう見せかけているだけで、実際は奇行の目立つ子で何度もふらふらといなくなってしまうのです」
 そこで既視感の正体に思い至る。
 6歳にして高校卒業以上の知能を持った、おそらく日本で一番有名であろう天才少年。ふたりが言うように、何度かテレビや新聞で目にしたことのある顔だ。
 話を聞いてみるに、確かに奇行の目立つ子のようである。
 喜怒哀楽を見せることは滅多になく、
 いきなり片腕を使わなくなったり、
 言葉を話さなくなったり、
 かと思えば何も無い空間を注視したり、
 何も入っていない鳥かごを部屋に飾ったり、
 どこから拾ってきたのか、古ぼけた木片を大切に保管していたり、
 先ほど語ったように、家に帰ってこなかったり。
 そういうことが頻繁にあったらしい。
 今回は、ふたり揃って東京へと来る必要があったためつれて来たのだが、目を離した隙にいなくなったのだそうだ。
 ふむ。男と女の話はわかった。既視感の正体も納得できる。
 何故あの少年がここにいるのか。謎はそれだけである。  
 どこかの病院へ連れて行ったことは。
 その問いにふたりは顔をしかめた。
 そうするには、義務教育が始まったばかりで高校卒業以上の知識を持っているなど、少年は将来が有望すぎた。施設に入れて、入院させて、矯正させて、それが本当にこの子のためになるのか。自分達の価値観を押し付けて、それが本当に少年の幸せに繋がるのか。そもそも、医者なんぞに浮世離れしたこの子のことがわかるのか。親の欲目は否定できない。けれど、どうしてもそう思えてしまうのだ。
 おなじ、子を持つ親としてその気持ちはよくわかった。
 もしかしたら、あの子も、本当は自分の跡を継ぎたいなど思っていないのかもしれない。もしかしたら本当は、式神など継がず、普通の子供のように普通に育てたやったほうがあの子にとって幸せだったのかもしれない。
 今更、そんなことはできないとしても、考えたことは幾度もあった。
 しかし、そんなことよりも気になったことがある。
 彼らの言う、少年のその奇行は、自分達にとって身近にあるものではないか。
 霊能力というものが血に大きく左右されるとはいえ、基本的にはだれしもが持っている力である。違いは強弱があるだけ。
 かつて、そういった力に優れた血筋が繁栄しつづける時代があった。その歴史の影で消えていく名前も知られていない少女達。身ごもった彼女達の血が続いているなら、突発的な能力の発露はありえる。しかし、現実にはそういった過程を辿った霊能力者は少ない。何故なら、大抵は世に出る間に死んでしまうからだ。
 突発的に力を持った人間はその力の使い方をよく知らない。教えるものがいないからだ。そして、普通の人間よりも力を持っているからこそ、狙われやすい。目につく。栄養価の高い、食事として。
 少年が喜怒哀楽を表さないのも、知識をもっているのも、何かに憑かれて――。
 冥利はその考えを否定する。
 あの少年には何も憑いてなどいない。先ほど霊視したばかりだ。
 しかし、気になる。
「あの……」
 が、考えていても仕方が無い。霊能力に目覚めているかどうか、それは試せばわかることだ。
「多分この子で間違いないと思うわ〜。今娘が見てるからよければついてきてくださいな〜」
 ついて来いといわれたらついていくしかない。大事な息子なのだから。

「ちょっと待ってね〜」
 ふたりを廊下に残し、冥利は部屋へと入る。勿論、戒めをとくためである。
 が、すでに約束と共に戒めも破られていた。
 ふたりはインダラの背に乗り、その後ろを十一匹の式神がついて回る。出来の悪いメリーゴーランドのようである。
「あ、おか〜さま〜」
 ふたりを乗せたインダラがとことこと近づいてくる。叱ろうとも思うが、何も起こっていないし、もとより解くつもりだったのだからいいだろう、と結論付ける。
 インダラを除く式神を影の中にしまい、両親だというふたりを呼ぶ。
「失礼します」
 緊張の面持ちで扉をくぐったふたりは一様に驚いた表情をみせた。インダラも勿論だが、息子が初めて安らかな顔を見せていたからである。
 インダラの首にしがみ付き、安心したように頬を緩ませている。冥子が後ろから髪を梳いているのにあわせて、気持ちよさそうに目を細めている。
「た、タダオ?」
 少年はタダオというらしい。
 親の声に反応は示すが、すぐに興味を無くしたように目を外してしまう。
「タダオちゃ〜ん」
 冥利に名前を呼ばれ、振り向いた鼻先で精霊石が揺れる。護身用にいつも首からかけているものである。
 興味を引いているのを確認してから石に力を込める。淡い輝きを放つ石を左右に振ると、体ごとそれについていき、インダラから落下した。
 これには流石に冥利も焦った。
 泣くかと思った。
 しかしタダオはすぐさま起き上がり、誘蛾灯に群れる蛾のように纏わりつき、跳躍。
 跳ぶ跳ぶ。
 見せろ、見せろ、とせがんでいるようなので、素直に渡してやる。
 自分の予想が正しかったようだ。
 霊能力に目覚めているのは間違いない。どうも、霊力の強いものに興味を惹かれるようだ。当初、冥子にばかり視線をやっていたのもそのせいだろう。潜在能力だけでなら、冥子は長い六道の歴史の中でも5本の指に入る。その力を使いこなせていないので頭を悩ませるのだが。
 冥利の手を離れ輝きを失っていた精霊石が輝きを取り戻す。それも、冥利の手にあったときよりもはるかに眩い。
 軽く驚く。
 こんな子供が、力に指向性を持たせることも可能だとは。
「気に入った〜?」
 頷く。
「欲しい〜?」
 冥利と精霊石を交互に見て頷く。
「それじゃあ名前教えてくれる〜? おばさんは冥利っていうのよ〜」
「……忠夫。横島、忠夫」
「ありがとう〜。それじゃあ〜それは忠夫ちゃんにプレゼントよ〜」
「……ありがとう」
 これになにより驚いたのは両親のふたりである。息子が自発的にお礼を言うのを初めて聞いた。今まで、どれだけの玩具を買い与えても礼を言ったことも喜んだこともなかった。が、この日一番の驚きは冥利によってもたらされる。
「あの、いいのですか? よければ買いとらせて頂いても」
「いいえ〜ほんの5億ですもの〜」
「「ご、5億!?」」
 財布を手に、男は崩れ落ちた。


「すみません、取り乱してしまって」
 場所は最初の応接間。大人三人がテーブルを介して向かい合っている。
 子供ふたりといえば、インダラの背に乗り、忠夫に至ってはクビラを頭に乗せ、
「デュア!」
 などと目を光らせている。その様子が急に変わる。
 胸の精霊石が点滅しはじめたのだ。
「デュア、デュアデュア!?」
 ひとりごっつにご満悦な忠夫に三人の目は釘付けである。
 ふたりは始めてはしゃぐ息子のせいで。ひとりはその潜在能力の底に。
 これは早いところ話をつけたほうがいいだろうと判断する。
「どうやら、忠夫ちゃんは霊能力に目覚めてるみたいなの〜」
「霊…能力……ですか? GSとかいうような?」
「忠夫ちゃんの近くには、霊能力者がいないんじゃないかしら〜」
 両親――横島大樹・百合子は頷く。近くどころか、親戚中捜してもみつかるまい。
「早いうちに、どこかで修行させた方がいいと思うわ〜。GSにしないにしても、力の使い方を知らないと危険だし〜。なんならウチで預かってもいいわ〜」
「危険…とは?」
 冥利は話す。
 霊に憑かれること、霊に狙われること、力の暴走のこと。
 大樹と百合子は顔を見合わせ、年相応にはしゃぐ息子を見て、そして頷く。
「お願い、できますか」
「今は大阪ですけど、すぐにこっちで仕事も見つけますから」
「あら〜それなら、ウチにくればいいのに〜」
 またもやふたりは顔を見合わせ、先ほどよりも長いアイコンタクトのあと、やはり頷き、そしてテーブルに頭をこすりつけた。
「なにからなにまで、お世話になります」
「気にしないで〜」
 もちろん、冥利とて善意だけでそう言っているわけではない。それだけのことをする価値が、横島忠夫という6歳の少年にある。
 そう確信しているのだ。5億の精霊石さえ、惜しくは無い、と。
 もっとも、その両親からして、数年後には六道グループの業績躍進の要となる伝説の企業戦士になるほどなのだが、それはまあ、別の話。
初めまして。ヒジカタ ワタベといいます。
初投稿で至らぬ点が多いとは思いますが、完結できるよう努力しますので、よければお付き合いください。

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