その一撃は、そよ風の如くに軽かった。
拳を『当てる』のではなく、掌を『添える』だけの一撃。
しかし、その掌に宿る霊力は波の如くに浸透し、正中線を沿うように連なる霊的中枢を駆け抜ける。
「お前が人間を……お前を殺した奴を恨む気持ちも判らなくもねぇ。だから―― せめて、苦しまずに……極楽に逝きな」
霊力を収束することで生み出された赤き鎧を身に纏う小柄な青年の呟きとともに、炎を纏った片目の妖虎は眉間に添えらえた掌を見つめ―― ごく澄んだ声で一声鳴いた。
【くもゆき】
「『苦しまずに』―― か。俺も変わっちまったな」
今回の依頼―― インドの藩王(マハラジャ)からの依頼の元凶となった、虎の霊が取り憑いた紅玉の虎の像を拾い上げながら、俺は苦笑する。
まぁ、変わった理由は判っている。
メドーサの下についていた時には―― いや、香港の一件で本格的にあいつらと組むまで、俺が得ることが出来なかった『仲間』の影響だ。
メドーサの下にいた時は、目的のために何かを切り捨てていくことが『強さ』に繋がる最短の道だと信じていた。
そして、切り捨てたくないものを抱え込むことが『弱さ』になると信じ、俺は一匹狼を決め込んでいた。
だけど、それは『ママに認めてもらいたい。天国にいるママにまで届くように、強く、そして美しく』というこだわりを捨てきれない俺にとって、強烈な矛盾だった。
そして、その矛盾を矛盾として抱え込んだままの俺が、力を得るために人間を捨て、仲間を捨て、そして、最終的には自分自身までも投げ捨ててまで、ただ純粋に『強さ』を求めた勘九郎には―― その“覚悟”を伴った力に勝てるはずはなかった。
しかし、今なら判る。その強さは上辺だけのものでしかない、ということが。
何もかもを捨てる程度の覚悟で得る強さよりも、何もかもを抱える覚悟を背負って得る強さの方が、遥かに難しく―― そして、何よりも強くなれる、ということも。
今の俺には、背中を預けて戦った横島やピート、タイガーといったダチがいる。
おキヌや一文字、カオスのじーさんとマリアのように、無茶する俺達をサポートしてくれる奴もいる。
まだまだ未熟なガキでしかない俺達を纏め上げ、向かうべき方向を指し示す唐巣のおっさんや美神や小笠原、西条の旦那達といった先達―― 戦いの中で生まれた『仲間』という奴は、今、かつての俺には考えられないだけのウェイトを占めるようになっている。
そして、何よりも大きくなっている奴がいる。
男勝りの気性で気丈に振舞いながらも、放っておいたら折れちまいそうな危うさを持っている、そんな強さと弱さを併せ持つあいつ―― 弓のたまに見せる笑顔が、今の俺には何よりも大きくなっている。
それこそ、ママよりも大きく。
横島達と初めて出会った頃の俺から考えると、信じられないことだ。
―― ママ。最近、俺、ママのことを思い出すことが少なくなってきてるよ。
忘れてるわけじゃない。
けど、あいつらと過ごす時間は、ママを喪った悲しみに縛られ続けていた俺の心を軽くしてくれているんだ。
いつの日か、ママのことを……ママに拘り続けていたガキの頃の俺を、哀しみ以外の想いで思い出す日が、俺にもやってくるかな?
応える者の無い問いを呟き、俺は空を見上げる。
見上げる空高くでは、千切れ雲が東へと飛んでいく。
「さて、と……帰るか」
風に後押しされるように、俺は東へと……日本に帰るために、一歩ずつ歩き出した。
何故だか無性に仲間に会いたかった。
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