その日も美神令子は裏帳簿をつけていた。
横島もおキヌも無事高校を卒業して、事務所で働くことになったのだ。
それでも、まだアルバイトであることは変わりはない。美神美智恵は令子に対して再三正社員として扱うように言っているが、令子にはまだそのつもりはない。
最近は美智恵も諦めたようであまり言わなくなってきている。
アルバイト待遇でも本人たちがそれを受け入れているのであれば、契約上何ら問題はないのだ、と美神令子は考えていた。
しかし、時間はいつの間にか過ぎていく。
それは誰も知らないうちに。
大抵の場合、気づいた時には手遅れになっている。
ノックの音に入室を促すと、タマモの姿があった。
「令子、突然だけど、お別れを言いに来たの。ここにいたのも社会勉強のためだけだし、別にいなければならない義理は最初からなかったわけだしね。あ、それから美神美智恵にはちゃんと話はつけているから」
タマモの後ろにはメガネをかけた文系の青年が入ってくる。スーツケースを片手にして令子に挨拶をする。令子の脳裏には最近週刊誌で見たことがある最近ヒット作を出ししている小説家の顔が浮かぶ。
……あたしの知らないところで関係が進んでいるのね。別にあたしに断る必要もないしね。
美神令子は二人を事務所の前にまで見送る。
青年はタマモを自動車に乗せると、自分も乗り込み、自動車を出す。
「それじゃ、元気でね」
「令子もね」
手を振るタマモをに手を振って返す。
立ち去るタマモの自動車を見送る美神令子。
「タマモが男と一緒になって独立とはね……なんか時間は確実に流れるんだ、っていうことが実感できるわね」
令子が部屋に戻ると、そこには荷物をまとめた犬塚シロがいた。
「拙者、里のほうからすぐに帰るようにと連絡を受けたでござる。ゆえにおいとまを頂戴したいと思う次第でござる」
「そう、いきなりね。里の人にはよろしくね」
窓の下に勢い良く走り去る犬塚シロを見送る令子の胸中には胸騒ぎが起こる。
ノックとともにドアが開き、横島忠夫とおキヌが入ってくる。
「美神さん、今までお世話になりました」
「いきなり何を言うのよ!」
横島の言葉に驚きを隠せない美神令子。
「お義父さんがいきなり倒れてしまったのです。そこで神社の方では男手がいなくなって、そこで横島さんに話してみたら、自分が神社を継ぐと言い出して……」
恥ずかしげに語るおキヌ。
その左手の薬指には質素なシルバーリングが光っていた。
「ど……どういうこと……」
「すみません。美神さん、今まで黙っていて。言い出せなかったんです。……あのとき、あまりにも可愛くて……今ではもう三ヶ月で……」
……横島くん……あなたが言っていること、よくわからない。たぶん、これって悪い夢よね……いつまでも一緒にいるって、言ってくれたじゃない……どうして……
事務所の前にはいつの間にかタクシーがまたせている。
二人はタクシーに乗り込む。
タクシーは静かに走りだす。
呆然としながら、横島とおキヌが事務所を立ち去るのを見送る美神令子。
横島とおキヌの姿が視界から消えた時、美神令子の世界が崩れる。
なぜ今まで何もしなかったのか。
今から何かをすれば取り戻せるのか。
二人が高校を卒業しても、いまの生活には何も変わらないと思っていた。
そんなことはあり得ないと、心のどこかで思っていたはずなのに。
横島くんがいつまでもおキヌちゃんに何もしないわけないじゃない、と言っていた母親の美神美智恵の声がいまさらのように心に響く。
後悔の中に溺死しそうになる。
可能性を求めて上に向かってあがこうとするが、後悔の海は心に冷たく、魂を凍てつかせる。
声にならない叫びを思わず上げる。
目を覚ますと、そこは自室のベッドの中だった。
胸の谷間には冷や汗が一筋流れる。
そうだ、横島もおキヌもまだ高校を卒業していなかったんだ。
隣を見ると、いつも一緒に寝ているおキヌの姿がない。
一瞬パニックに陥るが、今晩は六道女学院の除霊実習の日だったと想い出す。
「そっか、まだできる事があるわよね……」
美神令子はベッドから降りると、アンティーク事務机に向かい、デスクライトを灯す。引き出しの中から一枚の羊皮紙を取り出し、必要事項を書き込む。
ホテル・プランクトンはディナーで有名である。
「本当にいいんっすか、こんな高級なところで食事とか」
横島は疑惑の目を美神令子に向ける。
「いままで頑張って貰ったんだから、これぐらいのお礼はしないとね」
令子のいつもとは違う表情に気づく横島。
「それに……」
「それに?」
ワイングラスを揺らす美神令子をそれとなく促す横島。そこには今まで共にいくどもの死線を乗り越えて来たものだけが持つ洞察力があった。
「……ん、ま、いいじゃない。今晩は飲み明かしましょう」
横島のグラスにワインを継ぐ令子。
無理に明るくしていると感じるのは気のせいだろうか、横島がそう感じた。
横島と令子。ほどよくワインの瓶が空になる頃、美神令子はエスカルゴを相手に苦戦するおキヌと、ステーキを取り合うタマモとシロを横目で見ながら、バッグの中から羊皮紙を取り出し、横島の前に差し出した。
「前からママが横島くんを正規採用しなさいって、ウルサイのよ。それにGS資格としてはもうGS協会が公認済みだから問題ないって。だから、この……ここにサインして。あ、おキヌちゃんの分はちゃんと書いてもらっているから」
令子は横島に万年筆を渡す。
横島は半分酔った眼差しを名前記入欄に落とし、外泊証明書にしては大きすぎるとおもいつつ、サインを入れる。
ディナーが終わり、美神はタクシーを呼んだが、おキヌとシロ、タマモの四人では一台では横島が余ってしまう。
横島は、自分はアパートだし方向が違うから歩きながら酔を冷ましますよと、彼女たちに別れを告げる。
それが本当の別れになるとは、まだその時は横島も気づいていなかった。
数カ月後、横島忠夫は砂漠の空で戦闘機に乗っていた。
「ドチクショーっ!!こういうオチだったんかいっ!!」
横島がホテルから出てくる時を見計らって、黒服の男たちが横島を拉致し、交戦中の砂漠の某国家に連れてきたのだ。
そこで横島は尾翼に馬が描かれた三角翼の戦闘機に乗り込み、前線を駆け抜ける。
絶え間なく打ち上がる対空ミサイル。
機体を豪雨のようにかすめる敵機の機銃掃射。
横島は常人をはるかに超えた運動神経を持って、それら攻撃を間一髪でかわしていく。
横島はミサイルを発射するが、打ち上げ花火のように途中で爆発して使い物にならない。
「マッコ……厄珍の三発まとめて五ドルの空対空ミサイル、まったく役にたたねーじゃねーかーっ!!」
突然、前方から見慣れたパイロットの機体が攻撃を仕掛けてくる。
「て……てめぇ、サ……西条っ!!こんなところで何をしているッ!!」
なぜか額にはバツ印の傷をつけ、サングラスをかけ、もみあげを長くしてオールバックにした西条がF22戦闘機で追撃してきているのだ。
「私はきみのようなやつを知らないが、令子ちゃんはちゃんと守るから安心して撃墜されたまえ。ちなみに私のミサイルは悪霊も撃墜できるが、戦闘機も撃墜できる」
「てめぇ、知っているじゃねぇかーッ!!」
西条機の攻撃をかわし続ける横島機。
横島は背後を取ろうとするがなかなかうまく行かない。
戦闘機の機動性に差がありすぎるのだ。
横島の住む木造アパートの壁は薄い。
隣に寝ている花戸小鳩の耳にも否応なく横島のうめき声が聞こえてくる。「ちくしょー、あの女、ゼッテー許さんぞ!」「絶対に日本に帰ってやる!」という声が聞こえてくるのだ。
小鳩は寝ぼけながら横島さんのGSのお仕事も結構大変なんだ、と気遣うのであった。
西条の執拗な攻撃についに横島機も火を吹く。
コックピット内部は煙に覆われる。
横島は脱出を試みるが、射出装置が壊れたようだ。
急いで文珠を取り出す。
「出ろ、水ッ!!機械の消火、いや、消火用泡だっ!!あわあわわわわわわ……」
墜落直前、尾翼に描かれたナイトメアがニヤリと笑った。
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