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盾と弾丸(3)

前回までのあらすじ
チルドレンが中学生になった春、皆本と賢木は”財団”からの情報を元に(非公式ではあるが)ブラック・ファントムとも関わりが深いとされる<インビジブル>と呼ばれる密出入国仲介組織の調査に取り組んでいた。
同じ頃、自分の超能力に問題が出始めていることに気づくバレット。偶然、拉致された女性を救った女性−ウェレス・館梨と出会う。
 彼女は元B.A.B.E.Lの特務エスパーで、ブラック・ファントム時代のバレットが重傷を負わせた人物であった。





サルモネラ大統領暗殺未遂事件から三ヶ月。<ザ・シールド>の一人、超度6サイコキノ御畑 敏(みはた びん)に退院の許可が降りた。



‘今日でこのベッドともおサラバか!’口に出さず御畑は吐き捨てる。
これから先、ベッドから解放されるが、代わりに車椅子に縛られる身の上。以前は自分の足で歩く事は元より空すら自在に飛べたのに。



ブラック・ファントムによる狙撃。
超能力により死をもたらす銃弾。命中のコンマ・ゼロ数秒前、わずかに弾道が変わり頭蓋骨がえぐられただけで済んだ事とその後の適切な超能力治療のおかげで、超能力と腰から下の運動機能を失うのと引き換えにかろうじて命は取り留める。
 主治医である女たらしの名医の診断では気長にリハビリを重ねれば歩行機能も超能力も回復する余地はあるらしいが、それを真に受けるほどお人好しでもない。



ピンポーン! 憂鬱な気分にピリオドを打つチャイムの音。
返事も待たず入ってきたのは同じ目に遭い、同じく今日退院の許可が下りた恋人にして婚約者。
 退院の今日、事件の死者の墓参りを申し合わせている。



まず最初の犠牲者の墓を訪れ今は亡くなった隊長の墓前。

 希少な超度6のテレポーターという以前に常に重い責任を負う<ザ・シールド>のリーダーを手堅くこなしただけでなく、人生の先輩としてチームの面々の相談役を務め、さらには二男一女の良き家庭人であった人物はもう記憶の中にしかいない。

こみ上げてくる感情は様々なものが入り組み形容はできない。自分が生きていることに後ろめたさを感じ墓標から目を逸らすと、そこにはずっと手を合わせたまま無言で佇む婚約者。
未だ取れない頭の包帯が、その沈んだ表情と共に痛々しさ‥‥そして、不謹慎ではあるが美しさを感じさせる。

「ウェレス‥‥」と御畑は女性の名前を漏らす。

 この女性−ウェレス・館梨と交際できるとになった時、1ヶ月分の給料が周りの”騒音”対策に費やされた。そして半年後のプロポーズ。

『いいわ、あなたとなら本気で夫婦喧嘩ができるもの』
 というのが、求婚に対する答えだった。

‘婚約‥‥ か’御畑は苦々しく単語を繰り返す。
超能力を失ったばかりか下半身が麻痺し車椅子なしには動く事もできない今、(例え、相手にその気はなくとも)婚約は解消するつもり。
それも含め、一発の銃弾が奪ったモノの大きさに、改めて慄然とする。

 これを埋めるものがあるとすれば‥‥



顔を上げたウェレスが御畑に向き直る。黙祷を捧げた時の儚さはなくなり、硬質セラミックを思わせる堅さと冷たさが全身を覆っている。
 それは自分の守るための”鎧”であると同時にわき上がる激情を閉じこめる”拘束具”でもあるに違いない。

 婚約者に気後れする自分に御畑は本来すべき話を避け
「左目の具合はどうだ? 見えにくくなっているって聞いたが」

「視力はどんどん落ちているわ、あと半年もすればほとんど見えなくなるでしょうね」
と素っ気ない返事、少し濁りが見える左目を瞬きさせ本題を促す。

「‥‥ 局長から知らされたんだが辞表を出したって? 君なら超能力がなくても現場運用主任か教官として立派に仕事を続けられるはずだろ」

「引き留めるように頼まれたの?」反問に敵に向けるような鋭さが込められる。

「直接じゃないが、キミの判断を俺に話した以上、期待はしていると思う」
 御畑は最高上司の懇願するような顔を思い出す。他の思惑はどうであれ熱血最高上司が彼女の未来を心から気にかけているのは間違いない。
「俺としては一度”だけ”それに乗ってみてもいいかなって思って、こうして口にさせてもらった」

「そう、なら返事は一度だけで済みそうね」婚約者は冗談めかして笑う。
「もちろん辞表を引っ込めるつもりはないわ! B.A.B.E.Lにとって終わった事件でも私の中では始まったばかり。犯人に責任を取らせるまで幕を引くつもりはないから」

「判っているよ、キミがそう言うのは」と御畑。
 本来は言葉にしてもらう必要がないほどそれは自明のことであり、それに自分がどう応えるかも自明のことであった。



盾と弾丸(3)
 1
壁や柱に染みついた汚れから長い間なおざりなメンテしか行われていない事が判るフロア。テニスコート半面分ほど広さで、空間の大半は安物スチール棚とそこにぎっしりと押し込まれた本とファイルに費やされ移動のためのスペースすら十分に取られていない。
ちなみにフロアの出入り口脇にスチール机なら三つも入れば一杯の小部屋があり、そこに『資料課第十三分室』のプレートが大層に掲げられている。

B.A.B.E.Lを構成する様々な課にあって、資料課は超能力について情報を収集・整理・保管する事を任務にしている。
 もっとも、ほとんどの情報がデジタル化されている現在、情報の99%はメイン・コンピューター<ザ・タワー>が処理、課の人間が扱うのはデジタル化されない資料だけ。そしてそうした資料のほとんどは残す価値があるのか疑われる物ばかり。

 そうしたものを扱うだけのこの課を人は『B.A.B.E.Lの盲腸』と呼び、仕分けの結果、廃棄一歩手前と判断された資料の置き場となっているこの分室を高度成長時代の最終処分場にちなみ『夢の島』と呼ぶ。



フロアの片隅、あちこちをパズル的に組み合わせてギリギリ稼ぎ出したスペースに置かれたスチール机。
 机の上には時代物のパソコンがあり、それに向かう電動車椅子の男−御畑敏。実年齢は二十代後半だが、四角く張った顎と前後左右に幅のある体つきで歳よりは老けて見える。

 やや疲れた顔でパソコンに向き合っていたが、一瞬、顔をしかめるとてきぱきとした動きでコンピューターに接続されていた機器を外しポケットへ納める。
 画面を切り替えたところで背後から
「コンチ、こんな狭いところでお仕事ですか?」と呼びかける声。

御畑はいっぱいいっぱいの広さにもかかわらず慣れた感じで車椅子を半回転させる。
「知り合いから頼まれた調べごとさ。勤務中だから服務規定上問題だが、まさかチクる気はないだろう?」

「まさか、しませんよ。俺だって知り合いに頼まれ事を仕事中にやることは普通にありますから」
と答えるのは賢木、実際、この訪問は仕事ではない。

「それで、センセイとしてはどういう風の吹き回しでこの”夢の島”に?」

「ちょっと探したい資料(モノ)があったもんで。あとは昼休みだし、気分転換の散歩ってトコですか」
 賢木は掛けられた年代物のアナログ時計に目をやり答える。

 つられるように御畑も時計に目を向け
「何だ、もう昼休みか。なら言い訳の必要はなかったな」

「それにしたって静かですねぇ 本部にこういう所があるって知らない人も多いんじゃないですか?」

「別に知らなくたって誰も困らんさ」と形だけの笑い。

「そういう言い方はないでしょう。そりゃ、ハデな活動ができる部署じゃないですが『縁の下の力持ち』って言葉もあるでしょ。ここもB.A.B.E.Lの一つ、欠かせないセクションだと思います」

「あからさまなお世辞、ありがとよ」
そう答えた御畑は立ち話もアレだと車椅子を動かし小部屋に移動する。

「本気なんですがねぇ」スペースの関係で車椅子に押し出される賢木。
 小部屋へ戻ると人が座った様子のあまりない椅子に腰を掛け
「そういえば、先日、<ザ・タワー>にインストールされた資料検索プログラムの改良版、あれって御畑さんが組んだんですよね?」

‥‥  唐突な話題に御畑は怪訝な顔をするが、すぐに挨拶としての雑談だと察し
「まあな。元からあったヤツに幾つかの付加プログラムを付け加えただけだが」

「それでも良く欠点を修正してあるって設計者が言ってましたよ」

「ほう、あの天才クンが認めてくれるとは。俺もまんざらじゃないな」

「謙遜はよしましょうや。独学で情報処理とかプログラム関係の資格をずいぶんと取ったとかも聞いてますよ」

「極めつけに暇な部署で歩けない人間ができるのは勉強だけってコトさ」
 御畑は自嘲を隠さず答える。
「さて、前置きはそれくらいでいいだろ! そろそろ本題に入ったらどうだ?」

「だから、資料探しですって」

「冗談はよせ。忙しい医療課のエリートがここのアナログ資料を必要とする事なんかあるものか。まあ、それは口実でアルバイトの娘(こ)にコナを掛けにきたっていうのなら納得するが」

「へぇ〜 ここにアルバイトが入っているんですか?」
 賢木は一目で見渡せる広さの部屋をわざとらしく手をかざして見回す。

「名目上の室長はいるんだが、実質、ここに詰めているのは俺一人だからな。この体だと不便なことも多いんで清掃と資料整理のアルバイトを入れてもらっている。今日は午前中の勤務なのでもう帰ったが」

「そりゃあ、残念! 今度は時間を合わせますから、その時は紹介してくださいね」

「で、用は何だ?!」素っ気なく本題に入るよう促す。

賢木も雑談はここまでと表情を締め
「実はあなたに内密で伺いたい事がありまして。時間はかまいませんか?」

「さっきも言ったが時間だけはたっぷりとある部署だ、ここは」
 御畑の台詞に”棘”が含まれる。
「ただ話の前に確認したいんだが、その『伺いたい』こととやらは医療課の医師としてなのか? それとも局長直属特務エスパー<ザ・イクスプロレイター>としてなのか? どっちだ」

‥‥ 一瞬、答えようとする賢木だが結局無視する形で
「少し前、ウェレス嬢を見かけまして。その時は声をかけ損ねたんですが、元主治医として今はどうしているのかなぁ? って。人事課には退職したって記録しかなく、それで<ザ・シールド>の同僚で恋人のあなたなら知っているんじゃないかって思いお邪魔しました」

「『同僚』も『恋人』も昔話さ」乾いた口調で訂正する。
「質問の答えもそういう事だ。連絡先は聞いてないし連絡をもらった事もない」

「そうですか。先に家族の方にも問い合わせたんですが、似たような返事でして。退職の日に入った『家には戻らない。死んだと思って欲しい』のメッセージ最後だとか。親御さんも撃たれた日に死んだものと思ってあきらめたって言っていました」

「確かにあの日、あの事件でウェレス、いやチームの全員が死んだようなものだからな」

「そういう言い方は気に入りませんね。助けても助けなくても同じだったという風に聞こえるんで」

「そうだな。命の恩人の前で言う台詞じゃない。すまん」御畑は発言を撤回し率直に謝る。
「で続きは? ちらりと見かけたくらいで退職した局員の動向を調べて回るほどヒマじゃないだろ」

「実はですね」賢木はわざとらしくきょろきょろした上で声を潜め
「見かけたのがB.A.B.E.Lが関わった事件の現場だったもので。どうしてそこに元特務エスパーがいたのか? あなたも気になりませんか?」

「『事件』? それはまた穏やかじゃないが、どんな事件の現場だったんだ?」

「それは勘弁してくださいな。解決後ならともかく、今はまだ捜査中の一件なので」
とはぐらかす賢木。個人的な動機で動いていることもそうだがバレットの経験はおいそれと話せる性質のものではない。
「まあ、たまたま居合わせたっていうのなら良いんですが。そうでないとしたら‥‥ 辞める時にB.A.B.E.Lとひと悶着あった事も耳に届いていますし」

「『ひと悶着』‥‥ こっちはチルドレンが確保したブラック・ファントムがどんなヤツかを教えろっていう上申書を出しただけだぜ」

「そこの聞いてます。しかし断られるたびに再提出、都合、五回っていうのはどうなんでしょうか? 又聞きですが、最後の方じゃあの事件で伏せられたコトをマスコミに暴露するって脅したって話ですし」

「それが悪いのか?! 俺達が全滅、それはいい。後遺症とかも我慢しよう。それが覚悟の仕事だからな。しかし、その捕まえた犯人の情報については蚊帳の外だっていうのは何の冗談だ?! 任務を通じて何度も国を救った俺達への評価はその程度なのかって言いたくなって当たり前だろう?!」
初めこそ抑え気味だったが最後は怒りを隠さない。

「教えられない事情については‥‥」

答えようとするのを御畑は片手を上げ制する。
「(上申書を)突っ返されるたびに聞いたよ! 犯人は強力なヒュプノの影響下にあって当人の責任は問えない。加えて未成年だから当人についての情報も明らかにできない、ってな! けれど俺達にはそれが本当かどうかは判らないし確かめようもない! 知っているか? 当時、B.A.B.E.L、いやもっと上層部がブラック・ファントムとの間で裏取引を行い犯人を釈放したって噂があった事を。未成年云々はその裏取引を隠すカモフラージュだってわけだ」

「何ですか、その噂は?!」悪意のありすぎる噂に賢木は絶句する。

「そうかな? B.A.B.E.Lの精鋭を全滅させられるエスパーを有する相手だ。対決より妥協って判断があっても不思議じゃない。実際、直後に湾岸線で報復テロと思われる事件が一件あっただけで、日本での奴らの活動は確認されていない」

「‥‥ それが取引があった証拠ってわけですか?」

ブラック・ファントムが日本を敬遠するのはウィザードリー級とされるヒュプノが施した洗脳を解除できるチルドレンの”力”−フォース・オブ・アブソリューション−があるわけだが、この情報もごく少数の者しか知らず、そこを辻褄を合わせようとした事がこのバカバカしい噂の背景になったのだろう。

「ああ、少なくとも俺はそう受け取っている」と断言、そこで苦笑を浮かべ
「まっ、それが事実だとしてもB.A.B.E.Lに喰わせてもらっている以上”黙る”しかないワケだが」

「今の仕事が口止め料と?」

「下半身が動かない人間でもできる仕事で給料を払うって話だからな」
 自分を突き放すように御畑は答える。
「ウェレスにも教官か現場運用主任で残るよう働きかけがあったんだが、あいつはそれを感じたから蹴ったよ。俺に黙って消えたのも”口止め料”をもらった人間が許せなかったんだと思う」

「どうも」賢木は申し訳ないと頭を掻く。
「嫌な話を思い出させてしまったようでね、すみません」

「こっちこそ、とうに割り切ったつもりなんだが、ついグチった」
 御畑は軽く手を振り終わった話だと語る。
「それよりもウェレスの事、興味がないと言ったら嘘になる。彼女について判った事があったら教えてくれるよな?」

「喜んで、貴方にはそれを知る資格はあると思います」と気楽そうに応じる賢木。
「それとこっちからもお願いですが、この後、もしウェレス嬢から連絡があればすぐに教えてくださいな」

「おいおい、これまで何の音沙汰もないんだ、これからもあるはずはないだろ!」

「それでも万が一ってありますから。まあ、男の勘ってヤツがこれから何か起こるって言ってるもんで」

「『男の勘』? ハズれて当たり前って感じの根拠だな、それは」

「アハハ‥‥ 確かにそうですねぇ とにかく、彼女についての情報があったら知らせてください、頼みましたよ!」
 自分の言葉を笑い飛ばす賢木だが最後の台詞には真剣さを込める。



 2
‘『湾岸線での報復テロ』‥‥か。あれがブラック・ファントム絡みって知っているのは限られた人間だけなんだよなぁ‥‥’
 医務課の棟に戻る途中、賢木は声にせず愚痴る。あの事件もバレットの一件と同じ理由で真相は一部の人間しか知らない。

場に出ているカードをデタラメにめくったのがいきなりジョーカーだったという流れ。勤勉に仕事を続ける運命の女神に『これは俺の仕事じゃない!』と文句の一つも叩きつけてやろうかと思う。
 そんな後ろ向きなことを心に浮かべている内にオフィスに着く。
 デスクを前にして半ば機械的に端末を操作すると局内メール二通が届いているのに気づく。

‘届いたのは出ている間か。一つは皆本‥‥ まあ、読まなくても内容は分かるが‥‥’

動いた自分と同じでウェレスのことが頭から離れないに違いない。

‘こうなると(皆本に)伏せた情報をどのタイミングで切り出すか‥‥’

これ以上、煩わせると本業に障ると考え、バレットの話をした時はうまく誤魔化したが、自分的には密出入国の手引きとエスパーの二つのキーワードから元特務エスパーと<インビジブル>との関わりも頭にちらついている。
 もちろん密入国に関わる=<インビジブル>ではないし救った女性がエスパーといっても超度2ではノーマルと変わらないわけで、杞憂と見なしても良いはずだが、直感は水平線の向こうに広がる黒雲を見ている。

幾ら考えても深みにしかはまらないので首を二度、三度左右に傾け気持ちを切り替える。
‘あと一通は‥‥ おいおい、送り主のアドレスなしでどうやれば局内メールを打てるんだ‥‥」
賢木は嫌な予感のバーゲンセールにうんざりしつつメールを開く。
「一応、送り主の署名はあるんだ‥‥ 『31(さんじゅういち)』ぃぃ?! おい、マジ”31課”かよ!」

B.A.B.E.Lは三十の課で構成されているが、まことしやかに三十一番目の課があると囁かれている。存在意義は組織防衛。そのためには超法規活動も辞さず、内務相直属で局長どころか管理官ですら実態は知らないと噂されている。

「やれやれ、B.A.B.E.Lの都市伝説を目の当たりにするとは思わなかったぜ。まあ、イタズラかもしれねぇが」
自分でも信じていない可能性を口にして内容に目を通す。
 そこに示されたのはさっき訪ねた人物が機密ファイルをハッキングしようとしている記録。もちろん試みただけで懲戒免職になる行為だ。

メールの意味をしばらく考えてみるが、答えは一つ。メールの差出人が目の前にいるような剣呑な口調で
「乗りかかった船からは降ろさねぇって事かよ?! いやまったく! 人生、幾ら美人が絡んでいても他人事に気安く首を突っ込むもんじゃねぇな!」




賢木を見送った御畑は、さっきも警報を発した対人センサーでこのスペースに第三者がいないことを確認。車椅子を半回転させ
「男の勘‥‥か 奴さん、どこまで知っていると思う?」とフロアに向かって声を掛ける。

「警戒しておいて損はないけど、たぶんほとんどはハッタリ、闇雲に藪を突っついている段階だと思うけど」
 と答えつつ女性が入ってくる。

 だぶだぶで汚れの染みついたつなぎにゴム長、軍手。中央司令室付けオペレーターの一人とタメを張れる瓶底眼鏡と左額に張られた顔を引きつらせるほどの大きな絆創膏。生活に疲れを表すようにくすんだ栗色の髪を無造作に、というよりだらしなく束ねた髪型。
 どこを取っても恐ろしいまでに見栄えはしない外見ではあるが声は紛れもなく昨日、廃ビルでバレットが出会った女性−ウェレス・館梨のものだ。

「そんなところだと俺も思うが、それこそ目撃でもされない限り賢木が君のことを思い出すはずはない。本当に心当たりはないのか?」

「B.A.B.E.Lのどこかですれ違ったくらいはあるかもしれないけど‥‥ 触れたのならともかく、ここに来る時の格好の私に気づけとも思えないし。他の職員だって‥‥」
記憶の底を探るような顔をするウェレス、ややあって
「待って! そうか! あの子、B.A.B.E.Lの特務エスパーだったのね!」

「特務エスパーがどうしたって?!」
 あまり関わりたくない単語を耳にした御畑の声が険しくなる。

「それ自体はすれ違った程度の話だから心配はないはずだけど‥‥」
と半ば独り言のウェレス。少し逡巡した後
「その話は後で。先に例のブツの話、うまく通話記録は取れた?」

「もちろん。パスワードまであるんだから簡単さ」
 御畑は賢木が来る前にポケットに納めた機器を取り出す。
昨日、ウェレスがチンピラから巻きあげたもので、よく見れば皆本が入手した情報にあった<インビジブル>のエージェントが使う情報端末であることが判る。

引き出しから取り出した同じ外観のもう一台と合わせ
「結果は、まあ予想通り‥‥ 拉致が誰の指示によるかは一目瞭然だ」

「ありがとう。これで次に進めるわ」
 ウェレスは受け取った二台をつをつなぎのポケットに入れる。

「あと、意外だったんだが、一台は君が使うのよりは上位タイプ、たぶん幹部が使うヤツだ」

「へぇ〜 そうなの。たぶんチンピラを信用させるために、あの女が持たせたんでしょ」
と興味なさげなウェレス。『あの女』とは拉致を指示した人物で、現状、敵としている人物だ。

「それで試しに<インビジブル>の記憶バンクにハッキングをかけてみたんだが‥‥」

 ここでいう<インビジブル>は組織のそれではなく、ネット内に構成された組織が持つノウハウとネットワークを統合して密種入国案件を処理する人工知能のこと、組織の通称がそのまま使われている形だ。

「えっ?! 勝手なことをしないでちょうだい! そんなところから足がついたんじゃこれまでの苦労が水の泡じゃない」
ウェレスが強く非難する形で遮る。

「俺も素人じゃない。ちゃんとバレないようにしたから心配ない。まあ、その分だけ手段は限られ防壁には手も足も出なかったが。まあ、ここの機材と俺の腕じゃ<インビジブル>のハッキングは無理なことは確認できたよ」

「そんなことは確かめなくったって判るでしょ! 使われている防壁は超大国の極秘ファイル並で昨日今日のにわかハッカーの手に負える代物じゃない」

「手厳しいがその通りだよ」御畑は気を悪くする風もなく認める。
「ただ『ここの機材と俺の腕じゃ無理』であって、ハッキングその物のは不可能じゃないってことも判った。一ヶ月、これを自由にできれば何とかできると思う」

「それは無理ね。手元に置いたままがバレたらこっちの身が危ない」

当然のことだが<インビジブル>に接続できる情報端末、それも幹部が持つクラスとなれば管理が甘いはずはない。

「それに、あなたの提案って連中の力を借りるってことよね?」

「まあ、そうだ。P.A.N.D.R.Aなら機材も人も十分にある。連中も<インビジブル>をマークしているから喜んで手を貸してくれるはずだ」

「私たちがここまで来られたのは連中の助けがあっての話なのは認めるけど、その提案は頷けないわ。ここでP.A.N.D.R.Aが絡んでくるとややこしくなるだけだから」

「思いつきを言っただけで拘るつもりはないさ」とあっさり取り下げる。

さすがに言下に拒絶したのを悪いと思ったのかウェレスは機嫌を取るように
「それに今回の件を上手くやれば間違いなく幹部の席が手に入る。そうなれば最低でもこれクラス、たぶんもっと上位権限の端末が使えるようになるし、何より機密度の高いファイルにも普通にアクセスできる。それを待つのが一番安全で早いわ」

「ようやくか‥‥ 事件から二年、君が<インビジブル>に潜って一年半‥‥ その間には色々あったな‥‥」
 近づく節目に御畑は過去を振り返り感慨にふける。

二人でスナイパーへの復讐を誓った後、動くことも十分ではない自分はB.A.B.E.Lに残り情報方面を担当。
 幸い(?)P.A.N.D.R.Aとのコンタクトが付き、当時、活動の中心を海外に移したP.A.N.D.R.AがB.A.B.E.Lの情報をハッキングするためのルート作りに協力するのと引き換えにそうした情報を手に入れるためのスキルやツールを手に入れる。
ちなみに元々体育会系の自分がB.A.B.E.Lのメインコンピューターに手を出せる至ったのもP.A.N.D.R.Aが用意してくれたテキストがあってのことだ。

その間、ウェレスは正体不明のスナイパーの足取りを公の機関にいたなら使えない手法で手繰って行く内に入国の便を図った組織の存在に気づく。そしてこれも公の機関の一員ではできないやり方で組織に潜り込み地位を上げていく。

狙いは<インビジブル>の取引記録。
 そこには二年前に日本に入国したスナイパーの記録が残されており、付加ファイルには書類を偽造する関係で個人を特定しうる情報が記載されているはず。

「そう‥‥ あと一歩ね」ウェレスも御畑と同じ思いらしく視線を漂わせる。
組織に潜り込んで以来、その性格上、極秘に属する取引記録に手を付けられる地位を得るためにどれだけ手を汚してきたか。今、手がけている事も二年前の自分が知れば反吐を催すに違いない。

「まあ、そこに着いても途は半ばだけど」と御畑は自分たちの楽観を戒める。

 それでも自分たちを狙撃したエスパーがすぐ隣にいてもそうとは判らなないことを思えば状況としてはずっとましだ。

「それで特務エスパーの話の方は?」

「どうも、こうも‥‥」ウェレスは廃ビルでの一幕を語る。

「その少年が特務エスパーだったというのか?」

「幾らエスパーでも行動とか考えが普通の少年じゃなかったから。まあ、それをP.A.N.D.R.Aあたりのエスパーだって思ったのは、今から考えるとピント外れも良いところなんだけど。たぶんセンセイが特務エスパーとしての少年を担当なんじゃないかしら。一応は口止めはしたんだけど、何かで漏らした結果、透視(メト)って気づいた‥‥ そんなところでしょうね」
おおよそ正鵠を得ているところをウェレスは推測する。
「ったく! こんなことになるんだったら口封じをしておくんだったわ!」

「‥‥ そうだな」御畑は少し躊躇った上で肯定する。
 かつての恋人が、その時点では無関係の人間の命を簡単に断ってしまえるとすれば、それはそれで辛いものがある。

「そういえばB.A.B.E.Lの人事関係ファイルだけど、そこの防壁は抜けたのよね?」

「ああ、ようやく”隙間”は作った。機密度の低いファイルなら何とかなる」

「じゃあ、登録されているエスパーの個人情報ファイルは?」

「課長級が見る程度の機密ランクならいける」

「乙種手続きで閲覧できる‥‥ 表向きのヤツね。まあそれで良いから出して」

「分かった」理由を尋ねたい御畑だが、それは飲み込む。
車椅子を半回転、パソコンの方に戻しキーボードに向かう。
 それにコードを打ち込み課長の端末にアクセス。さらに自分が作った検索プログラムに忍ばせたウィルスを通じて入手した課長のIDとパスワードを使い<ザ・タワー>に。”隙間”を辿るための数秒、求めたファイルが開かれる。

「‥‥ これに検索をかけるんだな?」
 ウェレスが出した幾つかの単語をキーにファイルを篩(ふるい)にかける。

やがて残ったデーター、肩越しにのぞく形でウェレスは画面をスクロールしていく。そして止めたところには黒い髪に黒い目、バンダナを巻いた少年の顔写真が。
「間違いないわ! この子よ、いたのは!!」

「日本人? いや、バレット・シルバーが名前だから違うな。コーカソイド系コメリカ人でどこかで日本国籍を取得ってところか‥‥ けっこう凛々しい感じで顔も悪くない。なるほど、甘くなった理由が分かった! こういうのって好みだろ?」
御畑は『冗談を聞く気分じゃない』と睨むウェレスに肩をすくめて見せると自分の頭に入れるようにデーターを読み上げる。
「‥‥ 超度4のサイコキノ ‥‥ 潜在超度は5弱、副超能力として超度1強のクレヤボヤンスを確認‥‥ 全般的な超度向上の可能性アリ‥‥ 開発訓練を受けるため、現在はB.A.B.E.L男子寮に寄宿中‥‥ 特務エスパーのカバーとしては定型、特務エスパーで間違いないな」

 例外はあるにせよ、一般に特務エスパーの正体は伏せられており、未成年者についてはこうした形になっている事が多い。<ザ・チルドレン>や<ザ・ワイルド・キャット>も表向きはこれに似た体裁になっている。
 ちなみに成年者の場合はB.A.B.E.Lの職員というのが一般的。<ダブル・フェイス>は一般採用の受付嬢であり、この場の二人もかつては総務第三課所属の公務員という形で書類が整えられていた。

「身元情報については全部でたらめとして‥‥ タイプを誤魔化すことはないから特務エスパーとしては超度5強以上のサイコキノ‥‥ ESPもあるからそれに相当する合成能力者ってところ‥‥」
半ば独り言を続けていた御畑はウェレスの顔が強ばり昏い影が覆うのに気づき口をつぐむ。

<ザ・シールド>の頃には決して見ることができなかった顔。最初はB.A.B.E.Lを去る直前の墓地、以後、何度か。

一番酷かったのは、後に漏らした言葉での推測ではあるが、どこかの公安機関に属する捜査官の死に立ち会った時。最近は目にすることはないが、それが立場が安定し汚れ仕事をせずに済むようになったせいか、それとも汚れ仕事を”汚れ”と思わなくなったせいか、尋ねる勇気はない。

続く沈黙に耐えられなくなって呼びかけようとした時

 表情のままのトーンで
「‥‥ 彼の身元についての情報、もちろん本当のだけど、手に入らない?」

「オイオイ、無茶を言うな! 特務エスパーの個人情報はダブルA、トリプルAクラス、その”スマホ”をハッキングするのと同じレベルだぜ」
 御畑は自分だけでもと極力明るく応じる。

その意味に気づいたのかウェレスは幾らかは雰囲気を緩め
「こめんなさい、簡単に言ってしまって! <ザ・タワー>へのハッキングがどれだけ危険なのかは判っているはずなのに」

素直に謝られたことで少しあわてる御畑。
「‥‥ できるできないは別にして、どうしてこの少年の個人情報が欲しいんだ?」

「限りなく直感なんだけど」ウェレスは額の傷跡を指でなぞる。
「この少年、私たちが追ってきたスナイパーじゃないかって気がするの」

「本当か?! 本当なのか?」と思わず叫ぶ御畑。
 事件以来二年、それぞれが”泥水”を啜(すす)って追った狙撃犯に出会ったとは偶然としても信じられる話ではない。

「あくまでも『気がする』という話だけど‥‥」
ウェレスは自分の考えを確かめるようにゆっくりと
「でも、良い線はいっている気がするの。狙撃犯もたぶん遠隔感知能力を備えたサイコキノ。それと記録では彼が超能力を見いだされたのはB.A.B.E.Lが管理するホスピスなんだけど、あそこって終末医療の施設で一般的なエスパー検査はしていないはず。それに時期がちょうど二年前、事件あった直後よ」

「宝くじの組と最初の二桁が一致しているから当たりくじかも、って話だな、それだけじゃ状況証拠にもならない」
御畑は率直な評価を口にする。

そこはウェレスも同じらしく、少し苦い声で
「だからこの子の本当のところが判らないかって話よ」

「仮にだ‥‥ 仮にこの少年があの時のスナイパーだとして、どうするつもりだ?」

質問自体が意外だという顔でウェレスは御畑を見る。
「もちろん、責任を”取らせる”。それ以外の答えってあったかしら?」

「いいのか、それで?! 少し大人びて見えるがまだ子どもじゃないか! 二年前なら下手をすると小学生‥‥ こうなってくると高超度ヒュプノによる洗脳で当人の責任が問えないって話だって一理ある気がするな」

「誰が引き金を引こうとそれで人が傷つき死ぬのは同じよ」
声は抑えているが触れるだけで切れそうな鋭さでウェレス、冷笑を添えて
「もしあなたが相手が子どもなので手を引きたいというのなら降りていいわよ。それを引き留めるつもりはないわ」

「そんなことは言っていない! ただ‥‥」

「『ただ』何なの?! 法律とか建前なんて私には何の意味もないわ! この程度で気持ちが揺らぐのなら、今頃、B.A.B.E.Lで後進の指導をしているでしょうよ!」
かろうじて押さえ込んでいた感情が煮え切らない相棒の態度に激発する。
 もっともここで爆発する無意味さは判るので、軽く目を伏せることで言い過ぎを謝罪する。

「すまない」御畑も下げる必要の無い頭を下げてそれを受け入れる。
自分の場合、復讐も目的だが、大切なのはウェレスの望みを実現することだ。

リセットされた雰囲気の中
「そうだ! 今、判る範囲で良いから彼の行動予定とかを調べてくれない? B.A.B.E.Lで開発訓練を受けているって設定ならそのスケジュールとかは掴めるはずよ」

「やってみるのはかまわないが‥‥ それをどう使うつもりだ?」
 意図が分からないと疑わしげにウェレスを見る御畑。

「何、当たり前の話よ。デートに誘うんだったら相手のスケジュールを知っておいた方がいいじゃない」

「『デート』って‥‥ まさか‥‥」

絶句する元恋人にウェレスは心から愉快だと笑いながら
「もちろん、この子と会うの、人となりを知るにはそれが一番じゃない」
 一ヶ月の公約がさっそくの2週間遅れの第3話です。今回と次の話は中盤に向けての情報を提示する回で、起伏もなく大枠は決まっているのですが伏線的な部分も含めどれだけ出すかのさじ加減が難しく、見直すごとに付け足す情報、削る情報が変わり、ずるずると遅れてしまいました。
 こんな感じですが、読み手の方々にはご贔屓をお願いします。

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