10歳の時、彼女の両親が死んだ。
引き取ってくれた叔母とはそりが合わず、彼女は家を出た。
家出少女が生活するには、盗みをやるか体を売るしかなかったが、彼女はどちらも嫌だったので自分の才能を生かすことにした。
気がつけば、彼女は殺し屋になっていた。
そして二十歳も過ぎた今――彼女は“一流の殺し屋”だ。
エミさんのお仕事
「ソハ何者ナリヤ!
――ソハ我ガ敵ナリ!
我ガ敵ハイカナルベキヤ?
我ガ敵ハ――滅ブベシ!」
小笠原エミは呪言とともにナイフを等身大の人形に突き立てた。
ターゲットの髪を仕込んだ人形を媒介に、巨大な呪いの魔法陣を利用した呪殺。全てが上手くいっていれば――彼女はそう確信しているが――ターゲットの麻薬密売組織の幹部は、今頃ナイフが刺さったのと同じ場所、心臓がいかれて死んでいるはずだ。見た目は普通の心臓発作とそう変わらない様で。
彼女が使った魔法陣は直径数メートル規模のもの。このタイプの呪いはあまりにもターゲットと離れると効きが悪くなるので、都会では場所の確保しやすい、今エミがいるようなビルの屋上に描くことになる。描くのに細かい作業と長い時間が必要とはいえ、確実性や安全性が高いためにエミは気に入っているのだが、気まぐれで手伝いを申し出た同居人はぶちぶちと文句を言っていた。
最後に可燃性の人形に火を放つと――最初からこれをやるとターゲットが派手なことになると思うが、まだ試したことはない――用意しておいたバケツとモップで、元がなにか分からない程度には魔法陣を消していく。手早くやればそれほど時間もかからずに終わるし、呪殺の証拠を堂々と残すのは彼女の好みではないのだ。もちろん、依頼人がそういった注文をつけてきて、応じても良いと思った時は別だが。
彼女が引き受ける依頼は基本的に時間指定ではないが、どうしてもとそういう依頼をされた場合は、条件に雨天順延とつけるかもしれない。エミは流れて消えていく魔法陣を眺めながら、くすりと笑った。呪殺魔法陣を描くのにも、エミほどの知識があれば様々な材料を利用できるが、簡単に水で消せることを優先すると、当然に雨には弱くなる。
十分ほどでビルを出ると、そこにはすでにタマモが待っていた。
「相変わらず見事ね。レストランは大騒ぎだったわよ。
でも、どうせならデザート食べ終わってからにして欲しかったな」
「どうせ、化けてるからって騒ぎに乗じてお金払って来なかったんでしょ。必要でもない確認作業に自分から志願しといて文句言うんじゃないワケ」
これは単にタマモの性格ということで、彼女に節約の趣味があるわけではない。
エミの方でもなんとなく相棒のようなものと頭で考えることはあるが、別に彼女に給料を払ったり、依頼料を分け合ったりしているわけではない。たまにタマモがせびってくるたびに、言われるままに小遣いを与えるだけだ。
大きな金額の時もあれば、文字通り小遣い銭の時もある。何に使うのかエミが訊くときもあれば、訊かないときもあり、タマモの方でも答えるときもあれば、はぐらかすときもある。それはどちらも金額の多寡によるわけではない。
「あら、あんな騒ぎがあったのに、客からお金をとろうなんて厚かましいことをレストランが考えてるわけないじゃない。誰かさんのせいでひどい事件が起きちゃって、かわいそうだなと思ったから、私は謝罪なんかで余計な手間を取らせないように、救急に紛れてそっと出てきて上げたのよ――これ、お土産」
「はいはい、それじゃ帰るわよ」
手渡された高級ワインを受け取って、エミはタマモとのんびりと帰路についた。
「……楽な仕事だったわね」
早速にTVをつけてくだらないバラエティを漫然と眺めながらソファでくつろいでいたタマモが、ほとんど独り言のようにつぶやく。
彼女が別の意図も込めているのかは分からないが、今日の仕事のように相手がクズ――とエミが考える人間――だと仕事終わりの気分も悪くない。
まあ、依頼した側も同じようなクズでそいつらを利しているという可能性も当然にあるのだが、それはそれである。
道具を片付け終え、念入りに手を洗いながら「そうね。私にも良心の欠片みたいなものが、まだ残ってるみたいだわ」とエミは珍しく素直にタマモに返す。これも気分がいいからだろう。
「ふーん。……でも別に良いんじゃないの? 殺し屋はこうでなきゃいけないっていう資格マニュアルがあるわけでもなし」
世の中には職業訓練を受けた殺し屋なんていうのもいるのかも知れないが、少なくともエミはそんな存在を知らなかった。軍人や政府関係者というのは殺し屋とはまた別の存在だ。
彼女の場合では、気づいたら殺し屋だったとしかいいようがない。才能を持った人間なら意外とたくさんいるのかも知れないが、きっかけはほとんどの人間に訪れることがないだろう。
以前はエミも、感情を排した機械的な殺し屋になるべきかと考えたこともある。だが、あるときから無駄なことに労力をつぎ込むのはやめてしまった。変に自分ではない誰かになろうと足掻き続けるよりも、自分を受け入れることの方が生き残っていくために重要だというのが、エミのこしらえた自分への言い訳である。
そう。良心や仏心が思わず出たことが原因でしくじりでもしたら、最後の息で「あーあ」と苦笑すればいいだけだ。矛盾した考え方? それが何よ。
そもそも自分を曲げて生きられるような性格なら、エミは殺し屋なんかになりはしなかったのだ。
エミは湯を止めてタオルで手をしっかりと拭うと、それを洗濯機に投げ込んだ。そして新しいキレイなタオルを取り出してラックにかけておく。
――この手を洗うという行為も受け入れたことの一つだ。
タマモに「あれ、潔癖症なんだっけ?」と何気なく指摘されるまで気づかなかったが、仕事を終えた後には必ず、彼女はかなりの時間をかけて手を洗い流し続ける。まるで手にこびりついた血を洗い流そうとでもいうかのように。
「長いこと殺し屋やってきて、未だに割り切れてないのか私は――いや、それ以前にずっと自分では意識もしなかったってどうなの?」と、エミは最初少し落ち込んだが、考えてみれば別になにも問題があるわけではない。
ちょっと心理学の専門書でも調べれば、こういった行為について長々と詳しい説明がされているのだろうが、エミが考えたのは、この行為にいくらかでも助けられているなら、わざわざやめる必要はないだろうということだけだった。
少なくともここ何年も、始末したターゲットのことで精神的に悩まされたり、夜の寝つきが悪くなったりしたことはない。いつから丁寧に手を洗うようになったのかは、意識さえしていなかった行為だけに思い出せないが、これが精神衛生上好ましいものであるなら、なぜやめる必要がある?
それに、手をきれいにしておくのが良いことなのは誰だって知っている。
小笠原エミは、きれいな手をした殺し屋なのだ。
電話が鳴る。
ダークブラウンの書斎机で呪術関連の古文書を訳しながら読んでいたエミは、椅子を少しずらし、呼び出し音を鳴らし続けるそれを見つめる。
電話。
かけてくる相手はたった一人しかいない。厳密にはそれと鬱陶しいセールス電話の群れ。墓地の売り込みがかかってきたときには、なにか皮肉で気の利いたことが言えそうな気もしたが、結局は自分だけが面白いものになるだろうと思い直し、無言で電話を切ったものだ。
ずるずると音を立ててカップうどんをすすっていたタマモが、うるさいから早く取りなさいよ、といった迷惑そうな顔を向けてくる。少しテレビの音量を下げてくれてはいるが、自分で出る気はないらしい。たしかに彼女にかかってくる心当たりなど一つもないだろうが。
……電話。
また仕事の話だろうか。
――だとしたら早すぎる。
仕事をしたくないわけではない。この仕事を始めるのが早かったために、贅沢三昧をするのでなければ、エミの貯えでも暮らしていけないことはないが、隠退という言葉が真剣に頭に浮かんだことはないのだ。
そもそも隠退する殺し屋なんて本当にいるのだろうか。
エミは殺し屋というのは、いつか同業者の手か自分のミスで消えていくだけなのではないかと思うことがある。彼女自身、すでに数名の同業者を手にかけているのだから。
ともかく、仕事自体に文句をいう気は彼女にない。だが一仕事終えたその夜に、すぐに次の仕事の依頼となると、これはやはり早すぎる気がするのだ。
平均してみれば、普通は数週間の間隔が仕事と仕事の間にはある。そしてその頃になると、長期休みの終りが近づいてくる子供の気持ちがわかるような気がしてくる。小学校に通っていた頃のエミが宿題をぎりぎりまで溜め込むタイプだったというわけでもないのに、成長した今は「なんとなく好ましくないが、避けられないものが近づいてくる」、そんな気持ちがわかる気がするのだ。
もっとも数ヶ月も何もなかったときは、つい自分から仕事はないのかと訊きに行ってしまったこともある。嫌ではないが、別に積極的にやりたいわけでもないはずなのに。
「ねえ――」
苛立ちを含んだタマモの声に、やっとエミは「はいはい」と腰を上げる。
留守番電話にしておくことを考えたこともある。だがエミがどこかで事件性のある死に方でもした場合に、そこにメッセージが残されているのはよろしくないのではと思ってしまったのだ。それは相手を気遣ってのことではない。プロとしてのエミの気分の問題だ。
もちろん電話をした記録は残るだろうが、それと残したメッセージでうっかり馬鹿げたことを口走っていたなどというのでは、問題の大きさが違う。
仕事に関してはきっちりしている相手なので、ほぼ無用の心配なのだが、どうしても口の軽そうな男というイメージがエミは拭えないでいる。
「はい?」
受話器を取り上げ、多少の不機嫌を隠さない声で応答する。
「やあ、エミちゃん。シャワーでも浴びてたあるか?」
「用件は?」
「相変わらず、つれないネ。暇があるときに、ちょっとうちに寄って欲しいあるよ」
「そう、わかったわ」
会話はそれだけ。これなら仕事の話ではないだろう。少なくとも、急を要する仕事の話では。
「ねえ、タマモ。明日、時間とれる?」
「大丈夫よ」
すぐれた耳で電話の内容を聞きとってタマモが――意識の方は放送中の料理番組に9割方行っていたが――軽く頷いて同行を承諾する。
タマモを伴う理由はある。とはいえ、それ抜きでもエミが彼女と一緒に行動することは以前より増えた。
お互いにドライな関係のつもりではいるが、段々と友情と呼べるものが育ち始めているのも事実なのだ。
もしも今、タマモを――つまり“九尾の狐”を――殺せという依頼がきたら自分はどうするだろうか?
エミの調べた限りでは、九尾の狐は「除霊済み」となっているが、こうして元気でお気楽に暮らしているという事実がいつか知られないとも限らない。
無意味な自問なワケ、とエミは苦笑して頭を振る。真剣にIfを考えておいても、実際にその状況になれば、どうなるかなんてわかりはしない。
今のところ、答えは同居が始まった頃と変わっていないつもりではいる。いったん依頼を保留してタマモにそのことを教え、次の日にでもそれを断るだけだ。
でも、その後のことはどうだろうか。
エミはあえて考えないようにしているが、これはタマモが「じゃあね」と出て行く前提のものだ――その時に家の中のものが二、三消えているというのがさらに望ましい。
一緒に暮らすうちに、エミはタマモのアンバランスさを理解するようになった。前世の記憶がもたらす深遠な知識と狡猾さ、新たな生と子狐・少女の姿に引きずられた子供っぽさや無邪気さ。混ざり合ったそれはタマモを不思議な存在にしている。
もし彼女が危険に陥ったときにエミを頼ってきたとしたら、それは多くの人間を手玉に取ってきた計算によるものなのか。それとも純粋にエミとの間に絆を感じているからなのか。
きっとそんなことはタマモ自身にもわからないだろう。
「まあ、私だって自分のことを100パーセント理解してるわけでもないしね」
そんなエミの独り言を聞きつけ、訝しげな顔をしているタマモに、「寝るわ」といってエミはさっさと寝室に引き上げた。
服を脱ぎ捨て、ベッドに横になる。微かに聞こえる海外の陽気な通販番組の声に、勝手に注文をしないように釘を刺しておくべきかと、エミはちょっとの間考えたが、決断を下す前に心地よい眠りの海が彼女を飲み込んでいった。
入り口から覗いて中に客がいないのを見て取ると、エミは勝手に営業中から準備中に札をひっくり返し、厄珍堂の店内へと入っていく。
カウンターの下に置かれたテレビに夢中になっている店主の厄珍の注意を、ドアを乱暴に閉めることで引く。
「それで?」
エミたちを見た厄珍は、にやりと笑って卑猥なビデオを消し、頑丈なダイアル錠のついた棚から一巻きの巻物を取り出してきた。
「これをエミちゃんに見せたかったあるよ。掘り出し物ネ」
「たぶん」と厄珍が小声で言ったのをエミは聞き逃さない。もちろん厄珍もわかってやっているのだ。
「とりあえず見せてみなさいよ」と、厄珍が足元の引き出しから取り出した特性の軍手――古物を傷めないためと、呪いなどの呪術的なものをある程度防ぐ――を自分もはめて最初の方をカウンターに広げてみる。
中国の古い時代のものとはわかったが、あまりエミの得意な分野ではない。
「内容は?」
「さあ? ただ、いくつかの貴重なオカルト品と一緒に出てきたものネ」
厄珍の言い方からして、どこかの盗掘品なのだろう。というか、その中ですぐにさばけずに残ってしまったものを売りつけようとしているに違いない。
エミが期待を込めてつついてみたタマモも肩をすくめる。「ちっともわかんないわね」
「役立たずなワケ」
「可愛い子狐になにを期待してるのよ」
「古代中国はあんたの故郷でしょうが」
「何回転生してると思ってるのよ。故郷というより単なるルーツよ」
そんなやり取りをしつつ、「サービスするあるヨ」と厄珍が数字をはじいてみせた電卓にちらりと目をやって、エミは顔をしかめる。
「たしかに一見ボイニッチの模造品みたいに見えたアレは、ホントに掘り出し物だったけど……これは、どうかしらね」
厄珍堂では呪術関連の道具や材料を購入するとともに、その分野の文献も時たまエミは手に入れている。価値はわからなかったものの、時間をかけて地道に解読していった結果、ある種の薬草学の貴重な文献であることがわかったものもある。それには実際にエミの仕事へ応用できる部分も多々あったのだ。
古い時代の――特に文字が支配者や宗教など特権階級のものだった時代の――ものは、貴重な情報を含んでいる可能性も高い。
だが目の前のこれは、古語であるというだけでなく、暗号化されたもののように思える。それだけ貴重な情報を含んでいる可能性も高まるものの、そもそも解読できるのかというリスクも含んでいる。タマモも大して役に立たなそうであるし。
「お代のことなら、一つちょうどいいお仕事がなくもないアルよ」
その言葉を聞いたタマモが、そこにつなげたかったのかという苛立った視線で厄珍をねめつけるが、エミは「そういうことじゃないわよ」と軽く手を振ってそれを否定する。
厄珍と彼女の付き合いは長い。厄珍はエミのような人間への仕事の斡旋もやっているが、そういったあれこれは、あくまでいろいろなところへ目と耳を持っておきたいがためのつながりに過ぎず、すべては本業――オカルト・ショップのためのものなのだ。
「まあ、一応どんな仕事かは訊いとくワケ」
「……実は別の人がしくじった仕事あるよ。二流の呪い屋でも使ったのか、呪殺されそうだってターゲットに気づかれたネ」
「呪いが返されでもしたの?」
「それも怖くて、さっさと降りたそうあるよ。
最初の失敗で相手に一流のGSを雇われてしまったネ。今や標的は、組員たちが厳重に警備する屋敷の奥、しかも呪い封じの札に囲まれた部屋に閉じこもってるらしいヨ」
「それでもエミの強力な呪いなら破れるんじゃないかって?」
「そういう細工や反撃準備がされてるとわかってれば、エミちゃんならやりようも――」
「あるけど、遠慮しとくわ」
「……残念ネ」
厄珍のため息は、エミが引き受けなかったためでなく、巻物が売れそうにないためだ。
「ずっと売れ残ってたら、そのうち気が変わるかもしれないわ」
「すぐに売れちゃって、あの時に買っとけばと後悔することになるヨ」
「じゃあ、別にエミが買わなくても何も問題ないわね」
そんな軽口を叩きながら、せっかく来たのでいくつかエミの呪術に必要な小物を物色していく。タマモもその間に店内のオカルト・グッズをひやかしていくが、興味を引かれているのは、イタズラくらいにしか使えないような怪しげな効果のアイテムが多い。
そんなタマモが妖狐であることは両者とも別に隠さなかったためか、厄珍はエミの注文をそろえながらさり気なくカタログを開いて、発火封じや耐火の札などを見せたが、エミはあっさりと首を横に振った。
「……いらないわ」
「必要にならないとも限らないあるよ?」
エミにそれを否定する気はない。それでも怪しげな巻物がたいして欲しくないように、今そんなものは欲しくないのだ。
「必要になったら買いに来るワケ」
エミ同様、その時にはすでに手遅れだろうことがわかっている厄珍は、結局これも売れないのかと苦笑しながら今日の買い物の分の代金を受け取った。これだけでも一般人からすれば充分に大金なのであるが。
「やっぱり欲しかったの? それとも仕事の方?」
厄珍堂を出てから少しぼうっとした表情で歩いていたエミに、タマモが訊ねる。
「どっちも違うわよ。
いいえ、少しは関係あるかしら。ちょっと師匠の相棒のことを思い出してたのよ。いけ好かない奴だったけど、今あいつがいたらどうだったかしらってね」
タマモには以前、本格的な殺し屋になる前に呪術師の下で修業していた時期があるという話をしているが、詳しいことまでは教えていない。
「ふーん、どんな人だったの?」
「人じゃないわ。低級悪魔よ。――呪縛してある間はね」
「……契約で縛ってあったのかしら」
「そんなところ。
それである時、師匠が私に言ったのよ。自分に何かあったら、その悪魔との契約を私に引き継がせてくれるって」
「なるほど。そしてすぐにエミがその師匠をヤることになったわけね」
わけしり顔で頷くタマモの頭をエミは軽くはたく。
「私をどんな人間だと思ってるのよ」
「どんな人間って、“殺し屋”でしょ?」叩かれた頭を両手で大げさに抱えながら、タマモが不思議そうな目でエミの顔を見上げる。
「まあ、そうだけど……そういうことじゃないってわかるでしょうが。私が独り立ちした時も師匠はぴんぴんしてたわよ。だからそいつともそれっきり」
もっとも、あの悪魔との契約は数年内に切れるはずであったし、そのことに師匠がどう対応したのかはエミの知るところではない。契約切れの瞬間に殺されているかもしれないし、上手く立ち回ってさらに99年の契約を手に入れているかもしれない。
「それで、その悪魔が今いたらっていうのは?」
「荒事にも使えるのよ。一時的に力を解放してしまえば、そこらの人間なんか何十人いようと――たとえ重火器で武装してても――足止めにもならないわ」
「ああ、どんなに相手が厳重に引きこもってようが、関係ないわけね」
「邪魔する連中は全員あの世行き。私はわざわざ自分の手を汚すまでもなく、仕事を終えられるってね」
そういってエミは声を上げて笑ったが、すぐに肩をすくめた。
「でも、それは殺し屋の仕事とは違う気がするワケ。力押しで正面から相手を叩き潰す。スマートさも計略もなく、派手に殺戮ショーを繰り広げるようなのは、それこそマフィア同士の抗争よ」
「成功率に差はあっても、まるでヤクザの鉄砲玉みたいなものかしら。威力で言ったらロケットランチャーとか?」
霊力は人間のトップクラスなんだし、エミなら使役する悪魔なんかいなくてもやれそうじゃないかしら、などとタマモは物騒なことを言い出す。
「私は安全第一よ。それに、殺し屋のプライドがどうこう言い出すつもりはないけど、殺し屋を雇うような人が期待する殺し方ってやっぱりあると思うワケ。プロなんだから、その辺はきちんと考慮しないとね」
「そういう殺しを心がけてれば、万が一、エミが動く前にターゲットがぽっくり逝っちゃっても、さすがは一流の呪い屋だってことになるしね」
「一度はそんな楽をしてみたいもんだわ」
「……そこはプロとして、正直に依頼人に言わないんだ」
「あくまでプロの殺し屋の仕事らしくないターゲットの死に方が好ましくないと思ってるだけだもの、私は」
「――というような話を、しばらく前にエミから聞いた気がするんだけど」
「……ええ、したわね」
やれやれと呆れたようにタマモが頭を振る。
「しょうがないじゃない! これは不可抗力なワケ!」
「自分で私にやれって言ったのに?」
「それでもよ。こんなつもりじゃなかったし」
そう言い切ったものの、にやつくタマモと一緒に燃え盛る別荘を見上げているうちに、自然とエミの口元にも笑いがこみ上げてくる。どう言いつくろっても、これが彼女のミスなのは確かだ。それに皮肉にも、以前に殺し屋のあり方について話題にした時とよく似た状況下でのことなのだ。
エミのターゲットである政界のフィクサーがこの別荘にいることは事前に分かっていたが、その部屋に金に糸目をつけずに呪い封じの札で構築した結界があるとは知らなかった。エミにも一筋縄ではいかないレベルの結界を用心に構築してあるなんて、「こいつはパラノイアの気があるんじゃない」と思わず零してしまったものだ。実際にエミが依頼を受けてここにいる以上、先見の明があったというのが正しいのだろうが。
おそらく手がけたのはかなり腕の立つGS。定期的にメンテナンスをすることも考えると、莫大な金をかけているはずだ。そんな別荘を毎シーズン使うわけでもないというのだから、うらやましい限りである。
そんな金持ちぶりにエミが腹を立てたというわけではない。ただ、静かなリゾート地の瀟洒な木造別荘という見た目と裏腹に、邸がしっかりした耐火構造になっていることも調べてすぐにわかったので、軽い気持ちでタマモに頼んだだけなのだ。
ちょっとしたぼや騒ぎを起こして、少しの時間、結界のある部屋から出てきてもらおうと考えて。
いざその時のために呪殺の準備もきっちりしていたのに、すべては無駄になってしまった。
「狐火だしね。それは普通の火とは違うに決まってるワケ」
しかも妖狐の頂点に立つような存在が放ったものだ。耐火構造だけでなく、別荘全体を耐霊構造にでもしておかなければ、防げる火ではないのだ。結界の部屋は少しは耐えたかもしれないが、焼け死ぬか、蒸し焼きになるかの違いくらいだろう。
「まあ、結果オーライということで」
もはやターゲットが生きていないことは明らかなそこに背を向けて歩き出すエミに、「まったくエミの仕事らしくないけどね」とタマモがからかいを投げてくる。
だが、火が驚く勢いで山荘に回っていったときは呆気にとられていたエミも、すでに落ち着きを取り戻している。
プロフェッショナルとして、彼女は平然とタマモに説明する。
「確かに以前の私の仕事らしくはないかもね。昔、私の友達は“魔法と呪いだけ”だったもの。
だけど、今は違うわ。こうして私を助けてくれる“大切な友達”がいるんだから」
「いや、そんな大切な友達に殺しの片棒を担がせるって――」
「タマモはお腹空いてない? 帰りに良いお店で狐うどんでも食べようかと思ってるんだけど」
「――だからエミって好きよ。間違いなく私の心友ね」
あっさりと食事に釣られて腕に抱きついてくるタマモと共に、エミは火事場を後にする。
こんな言い訳や軽口で口にされる友情がどれくらい真実なのか、本当のところは二人にもわかっていない。
でも、お互いにこんな関係が心地よく、それができるだけ長く続いてくれればいいとは思っている。
それを二人ともが知っている。
今はそれで十分なのだ。
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昔のメモを見たら、タマモが真友くんと友達になって、その一方で真友くんの両親がお互いへの暗殺依頼をそれぞれエミに持ち込んでくる……といった展開も考えていたらしい。
メモは見なかったことにした。