ヒュォォッと、耳の横を風が吹いている。
あたしはただ、青い空を眺めていた。
あたしが立っている場所とは不釣り合いなくらい綺麗な青い空を。
風が、髪を撫でる。短くなった赤毛。
あたしの耳には通信機器と、風に揺れるイヤリング。
そんな恰好で、あたしは戦場の真っただ中のビルの屋上で、ただ立っていた。
そして、皆本を待っている。
銃を持ってあたしを撃つ、皆本を。
他の皆はただ、あたしが戦場の指揮を執るためにここにいると思っているだろう。
あたしの死の予知。
それはほとんどの皆が知らないことだ。
知っているのは皆本、京介、ばーちゃん……きっと数えるほどだ。
(なんで、あたしはそれを知っていて、ここにいるんだろう)
あたしは眉をぎゅっと寄せた。
皆は戦っていた。
超能力者と普通人。
黒い幽霊。普通の人々。バベル。パンドラ。
色々な思惑が混じり合う、この戦いは混迷を極めていた。
誰もが、こんな未来を望んでいなかっただろう。
それでも、幸せになるために、ただ戦っているのに。
あたしは、どうしてこの場所で皆本を待っているのだろう。
(だって、皆本に会える)
きっとこれはあたしの我儘だ。
どうしようもない恋心の。
(そして、あの優しい人が、あたしを撃つ)
予知ではそうだった。あたしはそれを知っている。
戦いを途中で投げ出すようなその予知を受け入れること。
それが、どんなに無責任なことかってわかっているのに。
不毛で、そして皆を守るために諦めた恋が、最後の我儘を言っている。
抱き合いも、キスもできなかった。
女性として見てももらえなかった。
好きだとも、伝えられなかったそんな不毛な恋が。
(そうすればきっと皆本は、あたしの事を忘れないだろう)
皆本のそれが恋でなくても。
こんなあたしを知れば、紫穂も葵も、怒るだろう。
パンドラの皆も。
幻滅するかもしれないし、相変わらずバカだと叫ぶかもしれない。
だけれど、あたしにとっての皆本は、そのぐらい特別な人だった。
特別になれるなら、命を懸けてもいいと思えるくらい。
もちろん、命を投げ出すことに、抵抗がないと言ったらウソだ。
それは死ぬことが怖いというよりは、エスパーの皆を投げ出してしまうということが、怖かった。
皆を守れないまま、あたしはあたしの我儘で死のうとしている。
それが、どうしようもなくあたしの心を軋ませた。
「なんにでもなれるし、どこにでもいける」
あたしは小さく呟いた。
あたしを奮い立たせる、魔法の言葉。
皆本がくれたあたしの翼。
(超能力は物理法則を無視した力だ)
そう皆本は言った。そして。
(エスパーを束ねて、それを守る)
京介が、あたしの力について随分昔にそう言ったらしい。
あたしは直接は聞いていないけれど、葵や紫穂が言っていたから。
何故かずっと覚えていた。もう十年近く経つというのに。
それだけの力があると、皆本も、京介も言った。
言い方は違ったかもしれないけれど。
「どこにでも…」
もしそれが叶うなら。
あたしは、過去に飛んでいきたい。
本当にどこにでも行けるなら。あの優しい時間に今すぐに。
耳が遠くの爆音を聞き取った。戦闘が激しくなっているのがわかった。
「なんにでも…」
本当になんにでもなれるなら。
あの輝いていた日々を、こんな風に壊したくない。
皆を守る。
そのために、あたしは―――強くなりたい。誰よりも。
爆音。遠くで黒煙が見える。
またどこかでエスパーと普通人の衝突が起こったのだ。
でもあたしにはわかっている。
あたしにその力はない。
だからこんなところまで来てしまった。
(本当に?)
そこまで考えて、ふいにあたしの奥から声がする。
(本当にあたしにはその力がないの?)
声があたしに言う。抗えない力。
昔から、あたしの中には似たような何かがずっとあった。
皆が、危機に陥ったり、何か大変なことが起こったり、そういう時にあたしに囁きかける何か。
あたしを揺り動かす何か。
それがどういう意味だったのか、いつも終わってから気づく、あたしの中の声。
だからあたしは精一杯考える。
昔のように、もう子どもではないから、きっとそこにある意味を見つけることができるはずだから。
(あたしの、力―――超能力。今のあたしに足りないだけの力を得る方法―――)
ふと、何かが記憶を掠めた。
(負傷や極限状態で能力が強化されたり、増えたり―――そういう例がある)
その実例は、京介だったり、ばーちゃんだったり、グリシャム大佐だったりした。
そう、どこかでそういう説明を受けた。超能力について学んでいた時だったかもしれない。それとも飛行場の事故を起こそうとしたエスパーについて話していた時だっただろうか。
皆本がぽつりとそういうことを苦々しく呟いた時があった。
あれは京介を思い出してむかむかしてたんだろうか。
それとも、当時のエスパーのおかれた立場について苛立っていた?
避けられなかった戦争の中で、死に瀕したエスパー達の……。
(今のあたしには、確かにその力はないけれど)
あたしの中で何かが閃いた。細い一本の糸のような光。
(もし極限状態なら……死にかけるような、そんなことがあるなら)
ああ。
なんであたしが、今ここにいるのか。
やっとその理由がわかった。
あたしは強く自分の拳を握った。
手袋越しに爪が食い込む。
我儘な恋心。
それは確かにあたしの中にある。
だけれど、あたしは、あたしの中の声は言う。
皆を助けたい。こんな戦争なんて起こさせない。
そしてずっと皆と、紫穂と葵と、皆本と笑っていたい。
(―――あたしには、その力がある)
強い声だった。
物理法則を無視して、時空を無視して、過去に飛ぶ強い力。
でも、きっとあたしだけの力なら、足りない。
皆に助けてもらわないといけない。そうじゃないときっとこの世界を変えられない。
念動力以外の力。
エスパーを束ねるというあたしの力。
それで皆を過去に連れて行くことができれば、きっと。
でも、どうやって?
あたしの頭は急速に回転していた。
答えはとっくに知っている気がしていた。
あとはあたしが気づくだけなのだ、多分。
(像の中には歴代エスパーたちの魂がいっぱいデス。)
(残留思念……!!レアメタル結晶には思念波を記録する性質があるの…!?)
それはばーちゃん達と、インパラヘン王国に行った時の会話だ。
あんなに昔の話なのに、どうしてあたしは今こんなに鮮明に思い出すんだろう。
レアメタルの結晶にはエスパーの思念波が宿っていた。たくさん、たくさんの。
ヒュォォッとまた、強い風があたしに吹き付けた。あたしは思わず目を瞑る。
目を閉じたせいか、音が鮮明に聴こえる。
チャリッと何かが当たる音が、ひどくあたしの耳に響いた。
そしてあたしは、自分の耳で震える装飾を思い出す。
(―――悠理ちゃんの、イヤリング)
感傷と決意で、今までつけてきたのだと思っていた。
救えなかった、友達を忘れたくなくて。救い出したいと望んで。
だけれど、違った。
その気持ちももちろん確かにあたしの中にあったけれど。
だけれどこれは、高純度のレアメタルでもあったのだ。
あたしは僅かに震える手でイヤリングに触れた。
(あたしが、もし今以上の力を出せたなら、過去に行くことが出来るかもしれない。超能力が物理法則を無視するなら。皆をこのレアメタルのイヤリングに宿らせて……)
何もかもが。
何もかもが揃えられている。
あたしが気が付かない間に。
あたしが全てを揃えている。
(そして最後に力をくれるのは―――)
「動くなッ!破壊の女王!!いや……」
懐かしい声が響いた。
あたしの大好きな声が。
「薫ッ!!」
皆本が、あたしの名前を呼んだ。
それから、あたしが何を言ったのか。
あたしはあまり覚えていない。
ただ、挑発するような、どこか諦めたような、そんな声があたしの意識を無視してすらすらと出てくる。
懐かしい顔。ただそれだけを刻み込むように、あたしは皆本を見つめ続けた。
叶わないのに、永遠にこの人を見続けたいと願った。
そして通信が飛び込んでくる。
葵の叫び。そして途切れた声。爆音。
取り返しのつかない何かが起こったのだと、あたしは察した。
時間が来たのだと。
「もう…無理だよ」
このまま、もし戦いをやめたとしても。
あの優しい世界は帰ってこない。
誰もが傷つき、壊れ、大切なものを失ったから。
そして誰かを傷つける感触を覚えてしまったから。
それなら。
あたしは右手を皆本へ向けた。
攻撃を暗示するように。昔何かを壊して怒られた時のように、手のひらをかざす。
「知ってる?皆本、あたしさ―――」
慌てたように、熱線銃の照準があたしを狙う。
「やめろ…!」
皆本はクシャリ、と顔を歪ませた。
ごめんね。
あたしはもう、あなたにそんな顔をさせたりしないって、誓う。
守ってみせるって、誓う。
ただ、叶わなかった恋が悲鳴をあげるけど。
本当は今この瞬間、抱きしめられたいと思うあたしがいるけれど。
このままあなたの記憶の中で永遠になりたいと、馬鹿なことを考えるあたしもいるけれど。
あたしは自分の目尻に溜まった涙に気づかないふりをした。
戦うから。あたしはまだ、あなたのために戦えるから。
「大好きだったよ」
だから、あたしにどこまでも飛べる翼をください。
小さな時から、あなたはあたしに翼をくれたから。
皆本の銃なら、誰でもない皆本に撃たれるなら、あたしはどこまでだって飛んでみせる。
それが時空を超えた過去であっても。
あの時と同じ、魔法の言葉をあたしは心の中で呟く。
(なんにでもなれるし、どこにでもいける)
だから、こんな未来、こさせない。
「愛してる」
いってきます。
呟いた瞬間、あたしの胸に火が灯った。
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