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彼女の日給三十円



「私の日給、さんじゅーえーん♪
 月給換算、きゅーひゃーくえーん♪
 まだ見ぬあなたは、そーせきさーん♪
 半年待ってね、いなぞーさーん♪
 一年先だよ、ゆきちさーん♪」



それはうららかな昼下がりのこと。
台所で軽やかに歌う少女が居る。彼女の名は氷室キヌ。
食事の準備をしながら鼻歌を歌う。まこと心温まる光景だ。歌の内容に目をつむれば。
平和な光景であったのだろう。偶然、事務所にお邪魔していた美智恵が居なければ。
彼女は聞こえてくる歌を耳にして瞬時、羅刹のごとき表情となった後に慈母の微笑みとなり
その表情をわずかさえも変えずに、ソファに身を沈めたまま硬直しきった我が子へと向けた。


「家族会議を始めます」

「落ち着いてママ」


美智恵は笑顔だった。怖いぐらいに。





ーーーーーーーーー




「だから、幽霊のころの話なんですよ。
 今じゃ横島さんより貰っちゃってて、逆に申し訳ないくらいで」

「そーよ、ママ。過去よ、過去のことなの。
 だからそのメリケンサックをしまって怖いからマジ」



笑顔でメリケンサックを撫でている美智恵の姿はそれだけで恐怖。
娘だって殴ってみせるぜ。でも旦那だけは勘弁な。



「ねぇ、令子」



穏やかに尋ねる。でも表情が動かないところがとってもホラー。
それを前にした美神令子はまるで地雷処理の心地。こんな気持ち初めて。もう何も怖くない。
錯乱気味な彼女の耳に、美智恵の声は容赦無く飛び込んできた。



「あんた昔、そこら辺の浮遊霊を時給300円で雇ってたとか言ってなかったかしら?」



美神令子は逃げ出した。
しかし殴り込まれた。



「ま、ママ。実の娘に腹パンはどうなの」

「母としての愛、親としての責任です」



久方ぶりに母と語らう時間をとれて、わざわざ口をついて出た過去の所行を美神令子は後悔した。
もちろん、口の軽さにだ。浮遊霊を雇っていたこと自体に後悔はない。
経営者として無駄のない資金繰りを褒めてもらえると思っていたのに。くそぅ、なんて時代だ。



「だ、だって、お金は好きだし。おキヌちゃんはお金を払わなくても働いてくれてたし」



美神が喋れば喋るほどに、メリケンサックに包まれた拳が
部屋の空気を巻き込んで唸りをあげる。
体が軽い。こんな気持ち初めて。もう何も怖くない? 怖いわ。



「遺言はそれで十分かしら?
 まぁ安心しなさい、本気で殺す気なんてないから。
 ただお仕置きの後は、私の下でしばらく働いてもらおうかしら?
 公務員として、適正な給料で」

「そんな!? 私死んじゃうっ!?」

「死にません!」

「死ぬのよきっと魂とかが! そ、それにさー」


刹那の間、美神令子の思考は適切な回答を探して駆け巡る。
何でもいい、口を開け、舌を動かせ。何かを言わねば今日が命日となる。
あははー、と若干引き気味で笑っているおキヌちゃんからの助けは期待できない。
頼りになるのは自分だけ。脳みそ全開フルスロットル。この状況、切り抜ける術を思いつけ。
頑張れ私。ファイトだ私。私はやればできる子なのよ。



『お金が貯まったら、おきぬちゃんがいなくなっちゃうー』

「そう、おキヌちゃんがいなくな、って、え?
 い、今の私じゃないわよ?」



わたわたと周囲を見渡しても、そこには目をぱちくりさせているおキヌと美智恵が居るばかり。
ならば、心の声が我知らず漏れたのか。そんな馬鹿な落ち着け私。ファイトだ令子。
そうだ。ここに居るのは、何も目に見える存在ばかりだけとは限らない。
ピンと来た美神は、その顔を天井に向けて



「ちょっと人工幽霊一号!」


『はいはい、呼びましたか?
 何時も何処でもあなたの傍に。気づけば増えてるドアと窓。
 目指せウィンチェスターミステリー館、人工幽霊一号です』

「めざすなっ! 捨てろその夢っ!!」

『そんな、ひどい』

「ひどくないっ!」

『そんな、ひどい』

「先回りして言うけど、これ以上会話がループしたら
 その回数ごとに、あんたの壁紙がひのめのオモチャになるからね」

『ご用件は何でしょうか?』



壁を殴りつけたい衝動を堪えて問いただす。
我慢しきれない分は、拳の震えで表しながら。



「用件も何も、さっきのあんたの発言についてよ!」

『失礼、口が滑りました』

「何処よ口!?」

『ネタが滑りました。ぎゃふん』

「更地にされたいか建造物!」



がるるるる、と唸る美神。
そんな彼女の肩に、ポンと乗せられる誰かの手。
振り返ってみれば実の母が、途端に優しい瞳でこちらを見つめていた。
窮地を脱したはずなのに何故だろう、居たたまれないこの気持ち。



「あなたにも人間の心があったのね」

「人外扱い!? ちょ、ママ、それはさすがに」

「そうです、美神さん本当は優しいんですよ。
 ただ素直にそれを表現できないだけで」

「おキヌちゃん!?」



先ほどとは違う笑みを浮かべている美智恵。
恐怖はない、恐怖はないが逃げ出したいという気持ちは今の方が上だった。
そして悪意ゼロで、こちらのことを褒めてくれるおキヌ。
結果的に追い詰める形になっていることには気づいているのだろうか。
ニコニコと二人は笑っている。ニコニコ。ニヨニヨ。ニコニコ。ニヨニヨ。
二人の笑いの質が違う気がするが、気にしないのが賢明か。
美神は思う。どうしよう、なんか死にたい。



「今日は美神さんの好きなものたくさん作りますから。
 たんと食べて下さいね」

「あ、じゃぁ私も手伝おうかしら。
 その間に面白い話も聞けそうだし」

「だ……………」



優しさはきっと人を殺せると美神は知った。
そして彼女は、味方のいない中で声を限りに叫びをあげる。





「誰か助けてー!!!」








さて、その後。

人工幽霊一号がこの面白人情劇をしっかりと録画していたりだとか
事務所へ顔を出した横島にそれを見られた結果
一杯一杯になった美神が家出しようとする、などという喜劇な一幕もあるのだが。



今はとりあえず、赤面の美神がいじられ続けるという
珍しくも平和な光景が繰り広げられているのだった。
おはこんばんちわ。豪です。
…………いい加減古いですね。
ネタ的な書き出しでも年を感じるのが何ともはや。

そんなわけで(どんなわけで?
おキヌちゃんと見せかけて美神さんメインな掌編でした。
横島はおろか、西条の年も追い抜いたせいでしょうか
美神さんにも可愛らしさを感じるようになってきた今日この頃。

ちょっとでも彼女の可愛さが伝われば幸いです。
ではでは。

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