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他物語3(後編)

 006


 カジノ船の制圧にはそれほど時間はかからなかった。
 結界の破壊と霊能関係の護衛を無力化した俺たちは早々に役割を終え、帰りの足として用意されたパトカーの後部座席に収まっている。
 というか、妙にハイテンションな美神さんが、これ以上現場を荒らさないように隔離されたというのが正直なところだ。
 車の窓からチラリと沖の方に視線を向けると、サーチライトに照らされたカジノ船から所々噴煙が上がっているのが見える。
 言うまでもなく、はじけまくった美神さんによる破壊の跡だった。

 「―――町でよろしいんですね?」

 「あ、ええ。銭湯から少し入った所にアパートがあるので、そこまでお願いします」

 窓の外から視線を戻し、多少恐縮のニュアンスを含ませつつ運転手役の警官の問いに答えた。
 バックミラー越しに苦虫を噛み潰したような顔が見える。
 現場責任者である隊長から直々に命じられた任務が、俺と美神さんをアパートまで送り届けることだったのだから無理もないだろう。
 余計な説明を一切廃した隊長の命令からは、俺たち二人が今回の作戦の斬り込み役だったことを窺い知ることはできない。
 だからこの警官から見れば、俺は単にタキシードを着た小僧だし、美神さんに至っては―――

 「ちょっ! マズいっすよ」

 突如キスしようとしてきた美神さんを小声で制止する。
 もう。誰だよこの人?
 さっきまでと全く別人じゃないかよ。
 隊長に別れを告げ、パトカーに乗り込むまでの美神さんはまだそれなりにツンの部分があった。
 しかし、パトカーが走り出し、後部座席に二人っきりという空気が充満し始めると美神さんはデレた・・・・・・それも完全に。
 最初に感じたのは肩に感じる美神さんの重みだった。
 そして頬に感じる視線。
 俺に体重を預けるようにして後部座席に収まった美神さんが、時折俺の横顔を眺めクスクスと意味不明な笑みを浮かべているのが視界の端に映っている。
 直接見て確認しないのは、それをした瞬間、美神さんが更なる行動をとろうとするのが予測できたからだった。
 車が走り出してしばらくの間、向けられた視線に気づかない振りをしている俺の頬を、美神さんはつんつんと突っつき始める。
 クスクスと声を出さずに浮かべる悪戯っぽい笑顔。もう完全に運転手役の警官は無視する気になっている様だった。
 いや、ひょっとして警官の存在を気にする俺の反応を楽しんでいたのか?
 見かねた警官が行き先を聞いてきたのがこの辺りだ。
 あの時の台詞にルビを振るならば『おれがいるのをわすれていちゃつくんじゃねえよこのやろう』だろう。
 これはマズイと美神さんを窘めようとしたときに、視界に大写しになる美神さんのキス顔。 
 そしてシーンは冒頭に戻る。 

 「ちょっ! マズいっすよ」

 「・・・・・・なによ。嫌なの?」

 慌てて顔を背けた俺に、不機嫌そうに頬をぷうと膨らます美神さん。
 ああ、可愛いなコン畜生!!
 いつもなら自分から跳びかかる状況だが、何故か俺はそんな気にはなれなかった。
 視線を前に向けると、運転席からは今にもピストルを乱射しそうな警官の殺気が伝わってくる。
 バカボンに出て来る本官さんをイメージしてもらえるとありがたい。
 気合いをいれて一斉捜査に参加してみれば、与えられたのは単なる高校生と、それとイチャつくドレスアップした美人を送り届けるという果てしなくどうでもいい任務。
 不機嫌になるのも無理もないだろう・・・・・・というか、俺なら完全に藁人形に五寸釘を打ち込んでいる。
 自分が嫉妬の対象になってしまっているというのが新鮮な驚きだったが、いざその立場になってみると意外と冷静になってしまう自分がいたのが一番の驚きだった。
 うーん。こういう場合、真っ先に跳びかかって折檻されるのが俺の役回りだった筈なんだけど・・・・・・

 「嫌なわけ無いでしょ・・・・・・」

 この言葉を口にした時、胸がチクリと痛んだ気がした。
 その感覚を無視し、美神さんの肩に手を回すとギュッと抱き寄せる。
 この堪らなく愛しい女への今できる精一杯の愛情表現だった。
 美神さんとイチャつきたい気持ちはもちろん俺にもある。
 というか、多分、俺の方が強い気がする。今晩の経験からかなり自信は無くなっているけど・・・・・・
 でもそれは、こんな他人と一緒の空間で所構わずといった気持ちでは無い。
 この気持ちもまた、あの地獄の様な日々をくぐり抜け、魔族のなり損ないとなった俺に起こった変化なのだろう。

 「そう・・・・・・それならいいわ」

 美神さんも俺の気持ちを汲んでくれたのか、それっきり悪ふざけはなりを潜める。
 来る時と異なり誰も言葉を発さない車内。感じるのはお互いの吐息と体温のみ。
 パトカーがアパートに到着するまでの時間、不思議と退屈することはなかった。

 「さて、今日は楽しかったわ」

 送ってくれたパトカーを見送った後、アパートの鉄階段を登り切った美神さんは、ドアの前で立ち止まると笑顔でこう切り出した。

 「はは、確かに・・・・・・忘れられない初デートになりました」

 「次は横島君の番よ」

 「は?」

 「次のデートは横島君がプランニングして頂戴・・・・・・」 

 ああ、そういうことね。
 次のデートの約束をして、今日のデートは終了。
 強いて言うなら、今の会話はこの忘れられない日を無事に終了させるための儀式のようなものなのだろう。
 しかし、意外とハードル高いなコレ。
 なんか完全にコッチのセンスが試されているというか・・・・・・それに、この会話に綺麗にオチがつかないと今日のデートが終わらない雰囲気になっちゃってるし。

 「・・・・・・変なところ連れて行ったら皮を剥ぐわよ」

 会話にオチをつけた美神さんに苦笑いを浮かべる。
 どうやら会話にオチをつけた位じゃ、今日のデートは終わらないらしい。

 「了解しました」

 いいだろう。
 今度は俺がとびきりのデートプランを立ててやろうじゃないか。
 しかし、いまはこの忘れられない日を終わらせるのが先決だろう。
 そっと目を閉じた美神さんの肩に手をかける。
 そして艶やかな唇にそっと自分の唇を―――

 「ヨコシマ・・・」

 振り絞るようなタマモの声が、今にも触れ合おうとしていた唇の動きを止めていた。
 急いで振り返ると、魔族化によって強化された視力が、表の通りで崩れ落ちたタマモの姿を捉える。
 力なく垂れ下がったナインテール。所々解けた変化は極度の消耗を物語っていた。 

 「タマモっ!!」

 階段を降りるのももどかしい。
 俺は2階の手すりを飛び越え、アスファルトの地面に着地する。
 半魔族化の影響で着地の衝撃は皆無。
 いや、以前の体であったとしても、俺はこれくらいの行動をしていただろう。
 嫌な予感が鳩尾の辺りから湧き上がってくる。
 忘れられない日にはまだ続きがあるようだった。






 007


 「タマモっ! しっかりしろッ!! 一体何があった!?」

 抱き上げた体は驚くほど軽かった。
 何かを訴えるように俺に差し出された右手は、変化が解け既に獣のそれとなっている。
 しっかりとその手を握りしめると、閉じられていたタマモの瞼がうっすらと開いた。

 「霊団が・・・急に・・・・・・・・・」

 「霊・・・団?」

 タマモの言葉に俺は言葉を失っていた。

 「おキヌちゃんを呑み込んで・・・・・・」

 底なしの沼に沈んでいくような絶望に全身が絡め取られていく。
 黒髪、巫女衣装のおキヌちゃんが無邪気に笑う姿が脳裏を掠めた。
 無邪気ではあるが、無垢ではない真っ黒な笑顔。



 黒巫女―――ゴールデンウイークに現れたおキヌちゃんの別人格



 おキヌちゃんのストレスから生まれた、彼女の霊体を核とした死霊の集合体。
 質量を持つまでに集まった死霊が、一つの意思の元に行動する様はまさに最強最悪のネクロマンサーだった。
 その主な能力は、死霊たちによる周囲の人々から自動的な生気吸収。
 極度に衰弱したタマモの姿は、彼女の被害者に共通したものだ。
 しかし何故?
 昼間会った時、御椎名はおキヌちゃんのストレスがわかる仕掛けを施していると言っていたじゃないか!?
 あの全てを見通したような男なら、俺との会話からでもおキヌちゃん変調の兆しを読み取れそうなものなのに・・・・・・

 「ヨコシマっ!」

 俺の思考は、最後の力を振り絞るようにすがり付いたタマモに止められていた。
 まだ辛うじて人の形状を残す左手が、俺の腕を強く掴んでいる。

 「シロを助けて! あの子、私を逃がす為に・・・・・・」

 「わかった・・・・・・わかったからそれ以上喋るな」

 俺は胸に湧き上がる不安を無理に押さえ、仲間の危機を伝えに来たタマモの体を強く抱きしめる。
 恐らくシロは、霊団に蹂躙される事務所内からタマモを脱出させる為に、自ら盾となったのだろう。
 そうでなければタマモがここにたどり着ける訳がない。
 ゴールデンウイークに現れた黒巫女とは、そのような存在だった。

 「シロもおキヌちゃんも必ず助ける。だからお前は安心して休め・・・・・・」

 俺自身に言い聞かすような呟きだったが、タマモには有効だったのだろう。
 痛いほど強く握られていた俺の腕から圧搾が消える。
 意識を失ったタマモは、出会った時と同じ子狐の姿になっていた。

 「美神さん・・・」

 背後を振り返り、美神さんに声をかける。
 階段という正規のルートで来た美神さんは、今ようやく俺の背後にたどり着いたところだった。

 「タマモにヒーリングをお願いします。消耗が酷い」

 抱き上げたタマモを美神さんに預けると、俺は急いでその場を後にしようとする。

 「ちょっと! 何処に行く気!?」

 「御椎名の所です。すぐに戻るんで部屋で待っていてください!」

 詳しい説明は後だった。
 猛ダッシュをかけた俺の背後で、美神さんの抗議の声があがったが、折檻覚悟で無視を決め込み先を急ぐ。
 黒巫女を消すことは俺や美神さんだけでは不可能に近い。
 先ずは御椎名の所に行き、アイツに再び頭を下げ手伝ってもらうことが必要だった。
 そう、あの悪夢のようなゴールデンウイークの時のように・・・・・・


 『膨大な魔力の絞りかす』


 あの地獄のような日々を終わらせる提案をしたとき、御椎名はアイツの存在をこう称していた。
 膨大な魔力の器として復活したが、その身に殆どの魔力を宿していない存在。
 空の器であるアイツには、黒巫女の生気吸収は意味を成さない。
 夜の街を疾走する俺の脳裏に、ゴールデンウイークの情景が思い出される。
 華奢な幼女の体が黒巫女に飛び付き、瞬く間に霊団を吸収していく光景。 
 俺が行う霊力補給以外では決して満たされないアイツの渇きは、逆におキヌちゃんの抱えていたストレスごと黒巫女を構成する霊団を吸収しつくしてしまっていた。
 その後、ストレスから解放されたおキヌちゃんは、事件の記憶を失い再び元の生活を送っている。
 それでいい。あんないい娘が、俺たちの為に傷を背負う必要はない。
 今ならばまだ間に合う。あの時と同じように、騒ぎが大きくなる前にすべてを終わらせる。
 俺は人目に付かないよう、マンション跡までの最短経路を駆け抜けた。



 
 「こんな夜更けに元気いいなぁ・・・横島君は。何かいいことでもあったのかい?」

 工事用フェンスの隙間からマンション跡の廃墟に潜り込んだ瞬間、いつもどおりの挨拶が俺を迎えていた。
 御椎名は俺が慌てて訪れた時には、十中八九この台詞を口にする。
 正確に言えば場面ごとに若干の差異はあるが、内容はほとんど一緒だ。
 『何かいいことでもあったのかい?』
 最高に困窮している時にかけられる言葉としては、かなり場違いな部類に入る言葉だが、俺は不思議とこの言葉を気に入っている。
 この人を食ったような男の言葉には、今の困難が大したことでは無いのではないかと思わせる力があった。

 「その逆だ。御椎名、力を貸してほしい」

 自然とこの言葉が口をでる。
 決して人を助けない。
 ただ力を貸すだけと公言する御椎名への、出会ってから何回目かの頼みごとだった。

 「いやあ、奇遇だねぇ・・・僕も丁度、横島君に力を貸して欲しいと思っていたんだよ」

 「へ?」

 予想外の台詞に目を丸くする。
 このすべてを見透かしたような男が、俺に頼みごと?
 チートとしか思えない能力者の癖に・・・
 そう言えば、こいつ今、どこかに出かけようとしていないか?
 というか、そのママチャリはなんなんだよ?
 ひょっとしてお前が乗る気?
 万年学生服姿のお前がママチャリに乗れば、たしかにごく普通の通学姿なんだろうけど、ハッキリ言ってスゲー似合わねぇぞ・・・

 「いや、本当に良かった。僕一人じゃ心許なかったからね。こんな不法投棄された自転車に頼るとことだったよ・・・・・・ちょっと結界を緩めた途端にコレだからね。イヤだねぇ。物が豊かだと心が貧しくなっちゃう人って」

 「わかった・・・俺で良かったら喜んで力を貸すよ」

 俺は内容の確認をしないまま快諾の意を表す。
 今まで散々世話になって来たのだから、力を貸すくらいは当然だろう。
 しかし、今は状況が状況なだけに、一つだけ条件をつけさせて貰う。

 「ただし、俺の方に手を貸して貰う方が先だ・・・・・・」

 「おいおい、横島君。僕のこの姿を見て、時間に余裕があるように思えるかい? だとしたら君は相当の・・・」

 「おキヌちゃんが黒巫女化した」

 その一言だけで、御椎名は俺が置かれている状況を理解したようだった。
 小さな。本当に小さなため息を一つつくと、御椎名はいつものような皮肉っぽい笑みを俺に向ける。

 「黒巫女か・・・・・・いや、ゴールデンウイークは本当に大変だったよね」

 「そうだ。だから先にこっちを・・・・・・」

 「まあ、最後まで聞きなって。ゴールデンウイークの真っ最中。実家で黒巫女化した彼女を、僕が何とか捕まえようと相当苦労したことを覚えているかな?」

 御椎名の問いかけに、俺は静かに肯く。
 この全てを見透かしたような男でも、ゴールデンウイーク中、黒巫女をとらえることができなかった。

 「彼女は色々なものから愛され過ぎている。僕の追跡を振り切ったのが、全て偶然の産物だったなんて、今思い出しても悪夢としか言いようがないよ」

 そうなのだ。
 あの悪夢のようなゴールデンウイーク。おキヌちゃんに起こった異変に気づいた俺たちを翻弄したのは、ネクロマンサーとしての黒巫女の能力ではない。
 俺も何度か窮地を救われているおキヌちゃん効果―――造物主から贔屓されているとしか思えない、知らない間になぜか事態が良い方に転がっていく、おキヌちゃんの持って生まれた何かだった。
 もちろん、御椎名の行動が全て無駄だったという訳ではない。御椎名が絶えず黒巫女を牽制し、追いつめてくれていなければ、ゴールデンウイークの被害はもっと大きなものとなっていただろう。
 オカGが黒巫女の一件に気づくことがなく、実質的な被害が氷室家とその周辺の人々が数日昏倒するくらいで済んだのは、御椎名の働きによるものだった。

 「こんなこともあろうかと・・・・・・みたいなご都合主義で開発されたアイテムで、用意周到に張り巡らした策を突破される悪役の気持ちが良くわかったよ。この世界は、白巫女ちゃんに危害を加える者を、許さないようにできているんじゃないかとさえ思うね」

 「流石にソレは言い過ぎじゃないか? 結局、黒巫女はアイツに吸い取られちゃった訳だし」

 「アイツか・・・・・・折角僕が蛍ちゃんという名を付けたのに、横島君はまだその名で呼ぶ気にはならないんだね」

 不意の話題変更に、心臓を鷲掴みにされた気がした。
 御椎名は俺が抱えた、アイツに対しての迷いに気づいているらしい。
 俺は未だ、御椎名がアイツにつけた名を呼ぶことができないでいた。

 「まあその点についてはいいよ。そんなすぐに割り切れるとは僕も思っていない。だけど、敢えて前の名を言うけど、あの時、黒巫女を吸収できたのは彼女―――ルシオラが、この世界における第一級のイレギュラーだったからなんだぜ。
 それこそ、白巫女ちゃんが一身に受けているこの世界からの愛を打ち消せるくらいの、ある意味アシュタロスにとってメフィストを上回る作品。彼女の存在がなかったら、君を取り巻く物語はあんなに混沌としなかっただろう。
 だが君は・・・混沌の結末に異を唱えたかった君たちは、僕の提案を受け入れた。君に霊力を分け与え消えていく筈だった彼女は、究極の魔体に注がれる筈だったアシュタロスの霊力を受けて見事復活を果たした。名を奪われ、君の中に受け取った霊力の殆どを残さないと、魂の牢獄に囚われる存在としてだけどね。もちろん横島君が死に、体に残った霊力ごと輪廻の輪に入ればその危険はなくなるけど・・・・・・
 少し話題が逸れたようだね。まあ、そんな訳で、元ルシオラだった彼女は、非常に不安定な立場にいると言っていい。蛍という名を与え、存在に一応の安定を与えた今でさえもね。だからこそ、彼女は格下のイレギュラーである黒巫女を、いとも簡単に吸収することができたという訳さ。もちろんその結果も、君がゴールデンウイーク中、彼女に頭を下げ続け、ようやくたぐり寄せた幸運の御陰なんだろうけどね」

 「・・・・・・・・・・・・」

 いつも以上に饒舌な御椎名に、俺は一言も挟むことができない。
 御椎名の言葉は、俺がアイツに押しつけた理不尽な運命を再認識させていた。
 あの地獄の様な戦いの中、俺の命を救うため自らの命を投げ出してくれた女。 
 そのまま俺に吸収され消えることを望んだアイツに、俺は名を奪われ、俺の眷属として生存する運命を押しつけた。
 それも、俺がアイツを以前と同じ存在として認識し過剰な霊力供給をしてしまった場合、アイツは以前の自分を取り戻し、アシュタロスの力を受け継いだ存在として魂の牢獄に囚われてしまうことを理解した上で。
 今の俺とアイツの状況は、詐欺にも等しい方法で神界・魔界のシステムをペテンにかけているにすぎない。
 しかし、俺はどんな状態であってもアイツに消えて欲しくは無かった。
 俺なんかの為に死ぬのは間違っている。
 たとえ、俺が死にかけた原因が、アイツを庇うためにベスパの攻撃に身を晒したことにあったとしても・・・・・・
 俺みたいないい加減なヤツの為に、アイツが死ぬ必要なんて何処にも無いはずだった。

 『私はヨコシマだから助けたのに・・・・・・ヨコシマは、私だから助けてくれたんじゃないの?』

 アイツの残留思念が最後に放った言葉がフラッシュバックした。
 俺はその疑問に未だに答えることができない。
 多分、これからも答えることはできないだろう。
 そんな俺に、復活したアイツは責めるような目を向け続けている。
 悪夢のようなゴールデンウイークの最中、黒巫女を捕まえるための助力を仰ぎ、ひたすら頭を下げ続けた俺にアイツが力を貸してくれたのは、御椎名が言うとおりようやくたぐり寄せた幸運の御陰なんだろう。 
 
 「あの時は言わなかったけど、黒巫女の出現を僕は全く予想できなかった。僕が予想した白巫女ちゃんの傷は、君たちと離れることによる一時的な現実感の喪失だったからね。長期間霊体だった白巫女ちゃんが、現代で再び生身の人間として生活できていたのは、ひとえに君たちとの生活の中でこの世に根を張っていった御陰といえるし・・・・・・だけど根なんてものは、実家に帰りそこでの人間関係を重ねて大人なっていけば張れるしね。だから、白巫女ちゃんが抱えたストレスが、何故、黒巫女なんかを生み出したのか本当に分からなかったんだ。
 しかし、こうなって見れば何となく予想がつく。白巫女ちゃんは本人が認識していない部分で黒巫女の存在を求めている。黒巫女が起こした事件の結果、白巫女ちゃんは未だこの街に根を下ろしている訳だからね。手段を良しとしているかはともかく、その結果だけを見れば黒巫女のやったことは白巫女ちゃんの望むところでもあるし・・・・・・白巫女ちゃんの幸せを願う色々なものたちも、黒巫女に協力する訳だよね。そして今回のタイミング。蛍ちゃん不在時に出現するとは、ホント、色んなものから愛されてるよね白巫女ちゃんは」

 「チョット待て! 今、何と言った!?」

 口を挟む暇を与えない御椎名の長台詞だったが、俺はその中に含まれていた聞き捨てならない言葉に反応する。
 今、御椎名は『蛍ちゃん不在』と言わなかったか?
 愕然とした表情を浮かべた俺に対し、御椎名は飄々とした態度を崩さず口を開く。

 「あー。うん。蛍ちゃん。自分探しの旅に出ちゃったみたい」

 「自分探し?」

 旅に出た? アイツが?
 予想もしていなかった展開に、つい間抜けなオウム返しをしてしまっていた。
 だって、そうじゃないか。
 俺から切り離されたアイツは、能力的にただの子供だ。
 いや、俺からの霊力供給がないと存在を維持できないことを考えれば、生活能力は子供以下と言っていい。
 それが一人で夜の街に?
 ようやく事の重大さを理解した俺は、御椎名に詰め寄り詳しい状況説明を求める。

 「何時だッ!? いつアイツはここを出ていった!」

 「夕方、君が出ていってすぐに結界の調整を始めたから、それ以降であることしか・・・・・・」

 「チッ!」

 記憶を遡ろうとする御椎名に、俺は早々にこれ以上の情報収集を諦める。
 恐らく御椎名もたった今、アイツがいなくなったことに気付いたのだろう。
 俺は御椎名の手から荒々しく自転車をひったくると、工事用フェンスの隙間から勢いよく外に飛びだす。
 そのまま勢いを落とさないよう目的の方向に前輪を向け、左足をペダルに乗せた時、御椎名が呼び止めるように俺に声をかけた。

 「おいおい、横島君。そっちは方向が違うんじゃないか? ドーナツ屋は反対側だぜ?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 一旦動きを止め後ろを振り返ったものの、俺は御椎名の呼びかけには応えなかった。
 御椎名はアイツがドーナツ屋方面に向かったと思っているのだろう。
 復活したアイツが唯一口にした食料。
 甘いものが好きだったアイツの名残・・・・・・
 しかし、俺はどうしてもそこにアイツがいるとは思えなかった。
 俺は無言のままサドルに跨り、進行方向を変えることなくペダルをこぎ始める。

 「横島君!」

 再びかけられた声に振り返ると、御椎名はそれ以上は何も言わず、ただ上げた右手を小さく振っただけだった。
 なんだ一体?
 しかし、いくら結界調整中だったとは言えアイツの家出に気付かなかったり、おキヌちゃんのストレスがわかる仕掛けをしてあると言ったクセに、思いっきり黒巫女化の兆候を見落としていたりと、今回ヤケに間が抜けてないか?
 いつもの全てを見透かしたようなお前はどこ行っちゃったんだよ?
 暇な時なら皮肉の一つも言ってやるんだが、生憎、今は1分1秒でも惜しい。
 俺は御椎名を無視するように、ペダルを漕ぎ出し自転車を加速させる。
 東京タワーへと向かって。






 008

 御椎名からママチャリを借り受けたのは、我ながら良い判断だったと思う。
 おかげで東京タワーへは、アイツの姿を探しながらでも小一時間で到着できるだろう。
 それも、さほど不自然さを感じさせない速度で・・・・・・
 半魔族化した俺の体力は、油断をすると容易く常人のカテゴリからはみ出してしまう。
 今みたいなアイツに霊力を与えたばかりの深夜は特に。
 錆の浮いたママチャリに抜かれたのが悔しかったのか、ムキになったロードバイクが追いかけてきたので抜かせてやる。
 これ以上事態を複雑にしない為にも、あまり目立つ行動はしたくなかった。
 単純に目的地へ辿り着くのならば、人目を避けての最短距離全力ダッシュが一番速いのだろうが、俺と離れ子供なみに体力が落ちたアイツが、屋根の上や塀の上などを歩くわけがない。
 多分、アイツが歩いているのは、夜でもそれなりに人通りがある幹線道路沿いの歩道だろう。
 その道は以前俺とアイツが東京タワーに向かった道だった。
 早く見つけないと。
 独りで心細い筈だ。
 それに、昼間俺が差し入れを持っていかなかったからお腹を空かしているかもしれない。
 ひょっとしたら御椎名の言ったとおり、ドーナツ屋の方に・・・・・・!
 脳裏に浮かびかけた迷いを止めたのは、ポケットの中で鳴った携帯の着信だった。
 すぐに自転車を停め、ポケットから携帯を取り出す。
 ディスプレイに表示された美神事務所の番号に息を呑んだ。
 意識を失っているだろうシロや人工幽霊にかけられるわけがない。
 それでは一体誰が? まさか黒巫女本人?
 震える指先で通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。

 「私がいない間に、おキヌちゃんに何があったのか話しなさい」

 携帯から聞こえたのは、凍り付くような美神さんの声だった。 
 怒鳴り散らしたいのを無理に押さえているのが手に取るように分かる。
 携帯からかけなかったのは、俺に現在美神事務所にいる説明を省くためだろう。
 そして、事務所を訪れた美神さんは、今回の騒動におキヌちゃんが深く関わっていることに気づいている。
 少しの時間を惜み、美神さんに事情を説明しなかったのは失策だった。
 万一、事務所で黒巫女と鉢合わせしていたらと考えると肝が冷える。

 「わかりました・・・・・・でも、その話をする前に一つだけ教えてください。おキヌちゃん・・・・・・おキヌちゃんの体はそこにありますか?」

 「ええ・・・・・・霊体がすっかり抜け落ちた体がね。過度に消耗しているものの、霊体を残すシロや人工幽霊とは明らかに違う状況よ」

 予想どおりの回答だった。
 出現した黒巫女は、シロと人工幽霊の生気を吸収した後、どこかへと消え去ったらしい。

 「おキヌちゃんはそのままの状態でも数日は大丈夫です。氷漬けの状態に似ていると御椎名が言ってました。それよりもシロと人工幽霊にヒーリング・・・・・・」

 「やっているわ。私を誰だと思っているの」

 そうだった。
 俺が今話しているのは、超一流のGSに他ならない。
 美神さんならば、シロや人工幽霊に対しても適切な処置をしてくれる筈だ。

 「失礼しました・・・・・・」

 軽く安堵の息を吐き、これから説明する内容を頭の中で整理する。

 「それじゃ話します。ゴールデンウイークに何があったかを・・・・・・」

 俺は極力要点を絞り、あの悪夢のようなゴールデンウイークの出来事を話し始める。
 知らない間に溜まっていた三百年後の世界に対するストレスが、黒巫女という人格をおキヌちゃんの内部に造ってしまったこと。
 その人格が暴走し、周囲の人々から生気を吸い取って歩いたこと。
 異変に気づいた俺と御椎名が、捕獲を試みるが全く歯が立たなかったこと。
 八方ふさがりな状況に追いつめられた俺が、御椎名と別行動をとってアイツに頭を下げ続けたこと。
 そして、ゴールデンウイークの最終日、俺たちを翻弄し続けた黒巫女が、アイツの協力によってあっけなく吸収されてしまったこと。

 「・・・・・・・・・・・・」

 美神さんは俺の話を黙って聞いていた。

 「その後、ゴールデンウイークの記憶を失ったおキヌちゃんは、元美神事務所の管理人になることで安定していたんです。御椎名もおキヌちゃんのストレスには気をつけていたようだし・・・・・・だから何でまた黒巫女が現れたのか」

 携帯から聞こえたパチンという音に言葉が遮られる。
 人の頬を平手で叩く音だった。

 「わかったわ・・・・・・それで横島君は、あの子に協力して貰おうと、マンション跡に向かったのね」

 今みたいな状況だと、美神さんの理解力の高さは助かる。
 感情のまま、今まで黙っていたことを責められれば、俺は何も言えなくなってしまっていただろう。

 「すいません。タマモを預けた時に説明しておくべきでした」

 「そうね。ただ、横島君の判断が間違っていたかは、まだ決められないわ。あの子の協力は得られたの?」

 「いや、それが・・・・・・御椎名の馬鹿が目を離した隙に姿を消しちゃっていて、目下捜索中なんです」

 「あの男・・・・・・」

 美神さんが忌々しげにつぶやく。
 御椎名のことを嫌っている美神さんだったが、今の声には殺気すら感じられた。
 確かに、俺自身、今回の御椎名のダメっぷりには文句の一つも言ってやりたい。

 「そういう訳で、今は緊急事態なんです。本当はアイツを連れて美神さんと合流した後、事務所に向かおうとしていたんですが、黒巫女の前に、アイツを探さなくてはいけなくなっちゃって・・・・・・もし可能なら」

 「嫌よ」


 ―――もし可能なら、ドーナツ屋に行ってアイツがいないか見て欲しい


 そう言いかけた言葉は、ものの見事に拒否されていた。

 「私にあの子を探すのを手伝えというのなら無理な相談よ。私は今、おキヌちゃんが帰ってくる場所を守っているのだから・・・・・・だから、あの子は横島君が探しなさい。横島君が考え、横島君が判断した方法で。いつものとおり、横島君のやり方を貫けばいいわ―――私も、私のやり方を貫くから」

 「・・・・・・・・・・・・そうですね。アイツは俺が守ってやらないと」

 独り街をさまようアイツを、早く保護したい思いからの依頼だったが、美神さんの言うことも十分理解できた。
 焦燥を隠しきれないまま、通話を終わらせようとした俺の指を、美神さんの声が止める。

 「ちょっといいかしら」

 「なんです?」

 やや急ぎ気味の声で聞き返した。
 今現在、御椎名と俺しかアイツを捜索できないのなら、今すぐにでも捜索を開始したい。
 そんな俺の焦りを無視するように、美神さんは一つ咳払いをすると、場違いな程の明るい節回しでこう宣うのだった。

 「ツンデレサービス♪」

 あまりに予想外な発言に、俺は二の句が継げなかった。

 「か、勘違いしないでよね。別にあなたの事なんか心配してないんだからー」

 見事なまでの棒読みだった。
 いったい、この人は何がしたいんだろうと思った瞬間、不意に囁き声に変わり感情が籠もる。

 「でも、無事に戻ってこないと許さないんだから・・・・・・ピッ」

 一方的に切られた通話にしばし呆然としてしまう。
 ホントにもう・・・・・・何と言っていいのか。
 何であの人はいちいち俺の琴線に触れるのよ。
 すげー萌える。
 胸に生じかけた迷いはいつの間にか影を潜めていた。
 俺は俺のやり方を貫けばいい。
 再びペダルを回し始めた俺は、浮かび上がる笑みを押さえることができなかった。 
  
  




009

 俺はアイツを見つけることができないまま、東京タワーに到着していた。
 ママチャリを停め、周囲を散策するが見つからない。
 

 ―――ひょっとして、ここに来たのは間違いだったのか?

 
 若干の焦りを込めて、隣接している駐車場から遙か上空の展望台を見上げる。
 まさか、ここを登ったのか?
 展望台への入り口は既に閉まっていた。
 仮に営業時間内にアイツがここに来たとしても、入場料など払えない筈だ。
 以前、完全な魔族だった時には当たり前に行けた場所だが、今のアイツに可能とは思えない。
 しかし、万が一という可能性も・・・・・・
 今の俺ならば、鉄骨をよじ登ることもたやすい。
 ならばと、タワーの足下への向かいかけた時、不意に耳元で聞き覚えのある声が聞こえた。

 「展望台にはいなかったわよ・・・・・・」

 やや高めの、ころころと転がるような声だった。
 本来ならば、聞く者全てに春の日だまりを感じさせる声。
 しかし、間近でその声を聞いた俺は、自分の体温が急激に冷え込むのを感じていた。

 「チッ!」

 すぐに跳び退き、背後にいた人物と距離をとる。
 漆黒の髪に巫女衣装。
 姿形はおキヌちゃんだが、言葉遣いや立ち居振る舞いが明らかに違う。
 あのゴールデンウイークの悪夢そのままに、黒巫女が静かな微笑みを浮かべていた。

 「何故ここにいる・・・・・・」

 危なかった。
 アイツを探すことに集中し、周囲への警戒がおろそかになっていた。
 もし、黒巫女に攻撃の意思があったなら、かなりマズイ感じで先制されていただろう。
 油断無く黒巫女に対峙しつつ、全身に気を巡らせ失った体温を元に戻す。
 これでも霊能力者のはしくれ。全くの無防備状態でなければ、直接接触されない限りそう易々と生気を奪われはしない。

 「うふふ・・・・・・何故って。ここに来れば、あの子供に会える気がしたのよ」

 「なにっ?」

 意外な発言につい疑問の声をあげてしまっていた。
 対峙した瞬間から感じていた微かな違和感が、その発言によってより確かなものになっていく。
 ゴールデンウイークの黒巫女ならば、最初から俺に攻撃をしかけてくるはずだ。
 しかし、対峙している黒巫女からは、あの時のような危険さは感じられなかった。

 「なにって、吸収してもらう為に決まってるじゃない。あの子供に吸収されれば、あの娘のストレス込みでまた消えることができるんだから・・・・・・」

 「信じられるかッ!! 一体、何を企んでいる?」

 「うふふ・・・・・・企むとはご挨拶ねぇ。最初に言っておくけど、前回みたいに暴れる気は私にはないわよ。私はあの娘のストレスによって生まれ、あの娘のストレスを解消する為に存在している。それならば、一番効率の良い方法を選ぶのはごく普通の選択じゃないかしら?」

 「ストレスを解消している?」

 黒巫女がおキヌちゃんのストレスを解消しているなんて初耳だった。
 ゴールデンウイークのコイツからは、現在に生きる全ての人間に対しての悪意しか感じられなかった。  

 「そう。これでもアナタたちには感謝しているのよ。本来、数ヶ月かかる筈だったストレス解消が、ほんの数日で終わったのだから・・・・・・」

 信じられるのか?
 しかし、理屈だけ聞けば筋がとおっている。
 黒巫女の存在意義がおキヌちゃんのストレス解消にあるというのなら、一番効率の良い解消法はアイツに黒巫女ごと吸収して貰えばよい。
 それがどんなに短絡的な手段であってもだ。
 なにより目の前の黒巫女からは、ゴールデンウイークのような攻撃性は窺えなかった。

 「黒巫女・・・・・・お前と俺は、早くアイツを見つけたいということで、利害が一致しているという訳か?」

 「そういうことになるわね。だけど困ったわ・・・・・・」

 「何がだ?」

 「あの子供に会える気がしないのよ。最初はここに来れば会える気がしたのだけれど、今はさっぱり・・・・・・わかるでしょ? 私のそういう勘がよく当たるのは」

 「ああ・・・・・・」

 ゴールデンウイークに嫌と言うほど味わわされた黒巫女の・・・・・・いや、おキヌちゃんの持って生まれた何か。
 偶然と必然が一体となって、全てが良い方向へと動いていく運の良さ。
 黒巫女がここに来ればアイツに会えると思ったのならば、アイツは確かにここへ向かっていたのだろう。
 御椎名はそれを、色々なものから愛されていると称していた。
 それが、アイツの存在を見失ったという。
 何故だ?

 「アナタの様子を見る限り、家出中みたいだけど・・・・・・あの子供、一体どうしちゃったのかしら?」

 黒巫女の言葉が不安をかき立てる。
 何か悪いことがアイツの身の上に起こったと言うのか!?
 俺は再びママチャリに跨ると、元来た道を戻ろうとする。

 「黒巫女。乗れッ!」

 「あら、いいのかしら?」

 若干不本意ではあるが、アイツを探す手段が他にない状態では仕方ない。
 俺は後部の荷台を黒巫女に向け、二人乗りを促した。

 「今は緊急事態だ! アイツの存在を感じたらすぐに知らせろ。いいな!」

 「それはいいのだけど・・・・・・・・・」

 黒巫女は俺に促されるまま、しずしずと荷台に腰を下ろす。
 袴姿のため横座りの体勢だった。

 「とばすぞ! つかまれ!!」

 かけ声とともに、黒巫女のか細い腕が俺の胴に回される。
 背中に微かな膨らみを感じた瞬間、俺は猛烈な脱力感に見舞われ、その場に崩れ落ちた。

 「グハッ!!」

 「・・・・・・・・・・・・アナタ、馬鹿でしょ? 色々な意味で」

 「う・・・うる・・・さい。今の・・・お前なら、大丈夫と・・・思ったんだ」

 本当はただの失念だったが、つい見栄を張ってしまう。
 コイツに接触を許せばこうなることは、ゴールデンウイークに散々思い知った筈なのに・・・・・・

 「うふふふ・・・・・・見た目があの娘だから油断したのかしら?」

 図星だった。
 自転車ごと倒れた俺を、真上から黒巫女がまじまじと覗き込む。
 ふわふわ空中に漂う姿は、人魂というオプションこそないものの、出会った頃のおキヌちゃんそのもの。
 ゴールデンウイークの時のような攻撃性がないだけに、つい気を許してしまっていた。

 「でも・・・・・・もし、そうならば、勘違いしない方がいいわよ」

 そんな俺の油断を咎めるように、黒巫女の表情から笑いが消える。
 恐ろしく冷たい目。
 おキヌちゃんなら絶対にしない顔だった。
 というか、おキヌちゃんにこんな顔されたらショックで3日は寝込んでしまうだろう。

 「私はあの娘のストレスの権化。あの娘以外とは決して相容れない存在・・・・・・アナタ、私を舐めていない?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「私はあの娘じゃない。あの娘の意識とは全く関係なしに、あの娘が溜め込んだストレスを発散するために存在している。言い換えれば手段なんてどうでもいいのよ」

 「どういう・・・・・・意味だ?」

 「あの子供に吸収される以外の手段を、今、思いついたということよ」

 俺は黒巫女から視線をはずさぬように立ち上がり、再びの接触を避けるように距離をとる。
 今の話が本当ならば、ゴールデンウイークに周囲から生気を吸収したのは、ストレス解消のためらしい。
 アイツが見つからない今、黒巫女はまた無差別に生気吸収を行うというのか?

 「ねえ、アナタ・・・・・・」

 黒巫女がゆっくりと近づいてくる。
 それに合わせるように、俺はじりじりと後ずさり間合いをとった。
 右手に霊力を集め、霊波刀を出現させようとする。
 しかし、その霊力の集中は、続いて口にされた黒巫女の言葉にあっけなく霧散するのだった。
 
 「あの美神という女と別れて、あの娘と付き合いなさい」

 「へ?」

 全く予想外の言葉だった。
 霧散した霊力が、一瞬だけぽわっと周囲を照らす。

 「うふふ・・・・・・なに驚いているのかしら? そうすば、ストレスなんて一瞬できえるわよ」

 言葉を失った俺に黒巫女が笑いかける。
 俺が間抜けなことをした時に向けられた、おキヌちゃんの笑顔に似ていた。

 「今回のストレッサーはアナタなの。好きな男が他の女に取られた上に、自分の気持ちに気づきさえしない鈍感なのだもの、ストレスも溜まるわよね」

 「いや、待て・・・・・・そりゃ、お前の勘違いだ。おキヌちゃんは俺と美神さんのことを聞いても・・・・・・」

 「だから、それが鈍感だって言ってるでしょ。公明正大、清廉潔白、何よりも和を重んじる・・・・・・他人の為に自分が犠牲になるのを当然だと思うあの娘に、略奪愛なんてできる訳ないでしょ。おくびにも出さず、ストレスをため込むに決まってるじゃない」

 「本当・・・・・・なのか?」

 「特に幽霊で無くなってからの数ヶ月はね。アナタ、今まで散々世話になっていて本当に気付いていなかったの?」

 黒猫の言葉が過去の記憶を呼び起こす。
 幽霊の頃からよく俺の世話を焼いてくれたおキヌちゃん。
 そのお礼に洋服をプレゼントしたときは、本当に嬉しそうにしてたっけ。
 幽霊でなくなってからは、前みたいに世間ずれした世話はしてくれなくなったけど、それでも何かにつけて気を遣ってくれるおキヌちゃんには本当に助けられていた。
 その一つ一つが、俺への好意からだったなんて・・・・・・
 おキヌちゃんは誰にでも優しいから。
 前に好きと言われたこともあったけど、それはLIKEであってLOVEではないと思っていた。
 だからあの時はあんな受け答えを―――クソッ。俺は最低な男じゃないか。
 
 「だがな・・・・・・黒巫女。お前が出てきたのはそれだけじゃないだろう? 今回のことは俺がきっかけだったとしても、根底には三百年後の世界に対するストレスが―――」

 「ちがうわ。今回のストレスはあなたのことだけよ」

 「でも、それならおかしいじゃないか! お前はおキヌちゃんが三百年溜め続けたストレスの権化なんだろう? そのお前が、たかが数ヶ月の恋愛のことで」

 「たかが?」

 黒巫女の目が怪しく光る。
 苛立ちを隠そうともせずに。

 「生け贄となった三百年のストレスが、数ヶ月の恋愛の切なさに劣っちゃいけない理由でもあるのかしら?」

 おキヌちゃんを苦しめているのが自分だと認めたくない一心で、ストレスの理由を他に求めたが、その悪あがきとも言える言葉は、黒巫女の言葉にあっさりと打ち砕かれていた。

 「わからない・・・・・・って顔してるわね。アナタ、ひょっとして真剣に人を好きになったことがないんじゃない?」

 「なっ!」

 「今、付き合っている美神という女も、その前の魔族も、ただ単に押し切られたってだけじゃないの? だとしたら、今、この場で私が押し切ってあげるから、あの娘と付き合っちゃいなさいよ。そうすれば私も消えることができるし・・・・・・アナタ、本当は誰だっていいんでしょう? 」

 「・・・・・・・・・・・・」

 ここはあるいは、怒るべき場面だったかもしれない。
 こうも露骨に挑発されて、黙っているべきではなかったかもしれない。
 実際、相手がおキヌちゃんの形でさえ無ければ、俺だってそうしただろう。
 でも、それを言うのがおキヌちゃんだったから―――
 アイツをあんな存在にしておきながら、美神さんと付き合うことにした俺には、怒る資格が無いような気がしていた。
 だって、俺は多分、もう一度面と向かって告白されたとしても、おキヌちゃんを選ばないだろうから。

 「それはできないよ。黒巫女。おキヌちゃんは良い子だけど、もう俺の気持ちは美神さんに固まっている。美神さんは俺を好きになる努力するって言ってくれたんだ。これからアイツと共に生き続ける俺を好きになる努力をね」

 「ふうん。そう・・・・・・」

 明確な拒絶の意思を示したつもりだが、黒巫女にとっては想定内だったらしい。
 別段怒り狂うでもなく、俺の答えを受け入れた。

 「確かにあの娘には、アナタとあの魔族の子供みたいなややこしい関係は荷が重いでしょうね。でも、よく考えてご覧なさい。今、あの子供は姿を消しているんじゃないかしら?」

 「え?」

 「このまま姿を現さなければ、霊力の供給を受けられずにあの子供は消滅するのでしょう? そうすれば、あの女のアドバンテージは無くなるのかな・・・・・・それに、アナタも魔族のなり損ないでなく人間に戻れるし」  

 「そんなことさせる訳ないだろ! アイツは必ず見つける」

 「あら、折角人間に戻れるというのに・・・・・・ひょっとしてアナタ、不死身の肉体を手放すのが惜しいの?」

 「違う・・・・・・アイツがもし明日死ぬというのなら、俺の命は明日まででいい。俺は一生アイツを背負うって決めたんだ」

 俺はきっぱりと言った。

 「ふん。見事なまでのエゴね。あの魔族がそれを望んでないかも知れないのに・・・・・・」

 心底お話にならないとでもいうように、黒巫女が嘲笑を浮かべる。
 そんなことお前に言われるまでもなく理解しているよ・・・・・・
 だからアイツは御椎名の所から出ていったのだろう。

 「あの魔族だけじゃないわ。美神という女は全ての財産を失い、あの娘は私という存在を心の内に抱えることになってしまった・・・・・・アナタの我が儘に付き合わされた御陰でね。あの男のした提案は、誰も幸せにしていないんじゃないかしら?」

 その通りだ。
 御椎名はあの時、誰もが幸福になる解決策は無いと言っていた。
 そして、誰もが不幸になる方法なら存在すると、あの地獄のような日々に関わった俺たち全員が傷を分け合い、あいつ独りに不幸を負わさない方法なら・・・・・・

 「それでも俺はアイツに生きていて欲しかった―――どんなにアイツから恨まれたとしても。だから、御椎名の提案を受け入れ、傷を負ってくれたみんなには感謝しているし、できるだけ恩返しをしたいと思っている・・・・・・」

 「恩返し? 恩返しであの女と付き合っているのだったら、別にあの娘でもいいじゃない。アナタにとってあの娘は恩人なのだから」

 「ちがうよ。黒巫女・・・・・・」

 自分でも驚くほど静かな声だった。

 「美神さんと付き合うと決めたのは恩返しなんかじゃない。美神さんが俺を好きだといってくれたこと、アイツという存在を受け入れてくれたことは本当に嬉しかった・・・・・・でも、それだけじゃないんだ」


 ―――私に言わせれば、アンタがおキヌちゃんとでなく、美神さんと付き合っている方が分からない


 前にタマモが言った台詞が思い出される。
 そうだよな。本当に難儀な性格で、ワガママと強欲が服着て歩いているような姉ちゃん。百人中九十九人が家庭的で優しいおキヌちゃんを選ぶだろう。
 でも・・・・・・


 ―――私はここまで追いつめられないと自分の気持ちに素直になれない難儀な性格で、かなりの回り道をしたあげく落ちぶれちゃったけど、でも、難儀な性格だったからこそ横島君と知り合えたのなら、それをちゃらにしちゃってもいいと思うの。落ちぶれたからこそ横島君の気を引けたというのなら、それで良かったと思うの。それくらい私は横島君に参ってしまっている


 つい先ほど、カジノ船の甲板で聞いた美神さんの言葉。
 あの意地っ張りな美神さんが明かしてくれた本心。
 俺はあの言葉を聞いたときに感じた気持ちを素直に口にした。

 「あの人といると楽しいんだよ。色々と無茶する人だけど・・・・・・俺はあの難儀で不器用な性格をひっくるめて、美神さんを好きなんだ」

 「あら残念・・・・・・・・・・・・それなら仕方ないか」

 意外なほどあっけなく黒巫女は引いた。
 まるで俺の回答が最初から予想できていたかのように・・・・・・
 黒巫女は俺の足下にチラリと視線を向けてから、背筋を伸ばすように大きく伸びをする。

 「人の気持ちを変えることができないのは、前回のゴールデンウイークの時に懲りているからね。それに、折角あの女が身を引いていた間に、アナタをものにしなかったあの娘も悪いと言えば悪いし・・・・・・それじゃ、次の手を使いましょうか」

 「次の手?」

 「そう。アナタがあの娘と付き合ってくれるのが一番手間がかからなかったんだけどね・・・・・・あーでも、ここは少し暗いのよね。アナタ、ちょっとあの街灯の下まで歩いてみてくれないかしら」

 次の手が何だかわからなかったが、明るい所でないと効き目がないらしい。
 他に手立てもないこともあり、俺は黒巫女の言うとおりに街灯の下に歩み寄る。

 「あーそこだと、真下になって影ができないわね。もう何歩か移動して・・・・・」

 次の一手には影が関係するらしい。
 足下を見ながら移動すると、成る程、真上からの光を受け俺の真下に僅かに生じていた影が、徐々にその姿を広げていく。
 これでいいかと、黒巫女に視線を移そうとした瞬間。
 背後から抱きつかれた。
 両腕で俺の胴に巻き付くように。
 一気に生気を持って行かれる。
 先程のうっかりミスなどとは比較にならない。
 体が猛烈に衰弱していく。

 「黒巫女・・・・・・てめえ」

 振りはだこうとしたが無理だった。
 小指一本動かせない。
 逆に黒巫女に支えられていないと、俺はその場に倒れ込んでしまうだろう。

 「裏切られたとか思ってる? 勘違いするなって言ったでしょ。私はあの子のストレスが消えればなんだっていいの」

 「前と・・・・・・同じ方法を取る気か。俺一人を吸ったくらいじゃ」

 「あら、アナタは今回のストレッサーだもの。アナタを殺しちゃえばストレスなんて簡単にカタがつくわ」


 ―――殺す


 なんて言葉だ。
 そんな言葉をおキヌちゃんの声で聞かされるなんて。

 「そんなこと・・・・・・」

 「そんなこと、あの娘が求めていないって? 大丈夫。今回のこともあの娘の記憶には残らないから・・・・・・アナタが死んでしばらくは悲しむだろうけど、今のままよりはずっとマシ」

 黒巫女の右腕が僅かに緩み、俺の首筋に移動する。
 ひやりとした金属の感触。
 視線を限界まで下に下げると、華奢な手に握られたシメサバ丸が目に入った。

 「やめろ!」

 「あら、命乞い? 今からでもあの娘と付き合うって言うのなら助けてあげてもいいわよ」  

 「そんなこと、出来るわけないだろう・・・・・・」
 
 首筋にチリッとした痛みが走る。
 当てられた刃がほんの数ミリ移動しただけだったが、その痛みは死を明確にイメージさせていた。

 「じゃあ、誰かに助けを求めてみる? 今まで散々、色んな娘を助けてきたアナタだもの、誰かが助けてくれるかもよ」

 「誰かって・・・・・・」

 誰だよ。
 今動けるとしたら美神さん? それとも御椎名?
 御椎名だとしたら無理な相談だよ。
 アイツは人を助けない。

 「助けなんて―――無理だよ」

 「無理? どうして」

 「だって、人は一人で勝手に助かるだけだから―――」

 「それはアナタの意見じゃないでしょう」

 黒巫女は静かにそう言った。
 あれ? これって前に美神さんにも言われたような・・・・・・

 「それはただの言葉よ。あなたの気持ちじゃない。言葉を真似しただけでは意味がないの・・・・・・重要なのはアナタがどういう気持ちでいるのかじゃないかしら」

 「クッ・・・・・・」

 「そりゃ、人は勝手に助かるのだろうけど―――助ける側にそんな事情が関係あるのかしら? 人を何人助けようが、それは勝手というものでしょ?」

 黒巫女は静かに嗤った。
 あのゴールデンウイークと同じ嗤い方で。

 「アナタを助けたいと思っている娘が、一体どれだけいると思っているの? それをアナタは一人残らず否定するのかしら・・・・・・まあいいわ。そろそろ死になさい」

 首筋を冷たいものが奔り抜ける。
 続いて迸る熱い感覚。
 首筋から吹き出した鮮血が、俺の半身を真っ赤に染め上げていた。
 マジか?
 最初に感じたのは、信じられないという驚きだった。
 おキヌちゃんのストレスから生じた人格に、明確な殺意を突きつけられたという驚き。
 続いて生気吸収とは別な脱力感が襲ってくる。
 半不死身の状態なので即死はしないだろうが、大量の出血と生気吸収のダメージに意識が朦朧としだす。
 黒巫女に支えられていても立つのが難しい。
 だけど、おキヌちゃんがここまでのストレスを溜め込んでいたとは・・・・・・
 苦しかったんだろうなぁ。
 俺が死ねばおキヌちゃん楽になれるのかな。
 それならば、これも一つの決着なのかも・・・・・・
 


 ―――横島君が私以外の誰かに殺されたのなら、私はその犯人を殺すわ。約束なんか守るものですか



 半ば死を受け入れかけた俺は、美神さんの言葉を思い出していた。
 あの勉強を教えて貰った時に聞いた、冗談に見せかけた本気の愛の言葉を。
 駄目だ。
 美神さんのことがあった。
 美神さんは俺を殺したやつを殺すと言っていた。
 だから俺は黒巫女に―――おキヌちゃんから生まれたものに殺されるわけにはいかない。
 これは、最低最悪の手段だ。

 「クソっ・・・・・・」

 黒巫女の手から逃れようと最後の力を振り絞ろうとする。
 だが、どうにもならない。
 自分一人ではどうにもならない。
 絶望感に全身が絡め取られていく。 
 俺が死んだら美神さん悲しむだろうなぁ・・・・・・
 シロ、タマモ、そしておキヌちゃんも。
 そしてひょっとしたらアイツも。

 「・・・・・・助けて」

 俺は声を振り絞った。
 振り絞って―――言った。

 「助けて・・・・・・蛍」

 瞬間、だった。
 俺の影から――― 一人の少女が跳び出した。
 黒髪。
 ボブカットからのぞいた触角。
 小さな体で―――しかし、黒巫女の俺に対しての抱擁を、瞬間だけで引きはがした。
 続けて一息で、黒巫女の体を吹っ飛ばす。
 吹き飛ばされた黒巫女は、空中に浮遊することもできず、そのまま数メートル先にある街灯に激突した。
 その街灯がひん曲がるほど―――とはいかないが、大きく揺れるほどの衝撃だった。
 俺の影の中にいたのか・・・・・・
 確かに、考えてみれば―――そこが一番の隠れ場所だった。
 蛍は俺のそばにいれば、ある程度の能力を使うことができる。
 俺の眷属でもある蛍は、捜索中の俺の姿を、俺より先に見つけ影の中に潜り込んだのだろう。
 多分、東京タワー周辺あたりじゃないだろうか。
 だから黒巫女も、タワー周辺で蛍の気配を見失った・・・・・・いや、いつからかは不明だが、黒巫女は蛍が俺の影にいるのに気付いていた。
 だからこそ影が消える街灯の真下ではなく、わざわざ影がハッキリ見える場所まで誘導して襲いかかったのだ。
 最初から純粋に俺を殺す気は無かったのだろう。
 黒巫女の生気吸収から解放された俺の体は、すでに傷口の再生を始めていた。 
 俺は街灯の下でうずくまる黒巫女に目をやる。
 黒巫女は―――にやりと笑った。が、それも一瞬だった。
 黒巫女に取り付いていた蛍は、攻撃の手を休めてはいなかった。
 ちょうどさっき、俺が生気を吸収されていたように、蛍は黒巫女に抱きつき霊力吸収を行っている。
 膨大な魔力の絞りかすである蛍と黒巫女では、渇きの次元が違う。
 目の前の光景はゴールデンウイークの焼き直しだった。
 あの時は、この状況に追い込むまでそれ相応の苦難があった訳だが、今回の黒巫女に抵抗の意思は見られない。
 全てはおキヌちゃんのためか・・・・・・
 体を構成する霊団を蛍に吸収され、徐々に黒巫女の髪がその色を変えてゆく。
 幽霊だった頃のおキヌちゃんの髪の毛の色に。

 「そろそろやめてくれ・・・・・・蛍。それ以上吸うと、おキヌちゃんまでいなくなってしまう。それは・・・・・・嫌だ」

 そういうと、蛍は思いの外あっさりとおキヌちゃんの霊体から離れてくれた。
 そして無言のまま、てくてくと俺のところに戻り、そのまま俺の影に潜り込んでしまった。
 気に入ったのだろうか?
 何回か呼びかけてみたが蛍は応えない。
 そしてこの場には、俺と、おキヌちゃんの霊体だけが残された。

 「終わった・・・・・・のか」

 その場にへたり込み、すやすやと寝息をたてるおキヌちゃんの顔を覗き込む。
 安らかな寝顔だった。
 その顔から一切のストレスは感じられない。
 しかし、勿論、全ての問題が解決した訳ではない。
 結局の所、黒巫女を吸収したというだけで、ストレスの原因そのものは無くなってはいないのだから・・・・・・
 だが、それは俺がなんとかできる問題だ。
 明日からの俺の振る舞い次第で、おキヌちゃんをある程度楽にすることはできる。
 気持ちを変えることはできないけど―――それでも、おキヌちゃんを大切にしたいという気持ちも、同じように俺の気持ちなのだから。
 おキヌちゃんを助けたいと俺は思う。
 既に色々なものから愛されている彼女を、助けてはいけないという法はないだろう。
 助けるのは俺の勝手だ。
 誰が何と言おうと勝手にやらせてもらう。

 「横島さん・・・・・・」

 おキヌちゃんが俺の名前を呟く。
 黒巫女としての記憶が消滅する過程で夢を見ているのだろう。
 ゴールデンウイークの時と同じく、おキヌちゃんは今回のことを忘れてしまう。
 色々と救われない部分もあるが、今回はその方がいいと俺は思っていた。

 「おやすみ。おキヌちゃん・・・・・・」

 そう声をかけると、おキヌちゃんの霊体が徐々にその輪郭を薄めていく。
 霊体が体に戻る兆候だった。
 目の前の霊体が消えれば、事務所にある体の元へおキヌちゃんは戻っていく。
 朝になるまで目覚めはしないが、その辺は美神さんがうまくやってくれるだろう。
 俺は静かに消えゆくおキヌちゃんを見守り続ける。
 そして、おキヌちゃんの姿が完全に消えた時、俺はこの忘れられない日が終わったことを理解した。
 
  





 010

 後日談というか、今シリーズのオチ。
 あの夜、全てが終わったことを美神さんに報告した俺は、一旦アパートで着替えてから美神さんと合流し一夜を共にした。
 といっても艶っぽい展開には全くならず、一晩中事務所でシロ、タマモへのヒーリングを手伝わされただけなのだが・・・・・・
 今だから言えることだが、今回の事件で事務所にいたみんなが受けたダメージは、俺の想像よりも遙かに小さかった。
 シロなんかは明け方には本調子に戻って、開口一番人を散歩に誘いやがったし、タマモもそんなシロといつもの口喧嘩ができる程元気いっぱい。
 美神さんの霊力を久しぶりに受けたせいか、人工幽霊も事務所をいつも以上にピカピカに光らせていた。
 おキヌちゃんに至っては、この所のストレスから解放されたせいか、妙に上機嫌で大量の朝食を作る始末。 
 あれ? 冷静に考えれば、死にかけた俺が一番ダメージが大きくないか?
 まあいいか。一昔前はこれが当たり前だったんだよなぁ・・・・・・このノリが
 そして、みんなで朝食の食卓を囲んだ際、美神さんから『戸締まりがなっていない!』と雷が落ちたことで、今回の一件の説明はついたことになったらしい。
 夥しい霊団による襲撃を、空き巣にはいられたかのように扱うのはどうかと思うが、まさか全部を包み隠さず説明するわけにもいかないので、この辺の適当さは大変ありがたかった。
 人工幽霊は何か気付いているようだが、コイツは完全に美神さんの下僕だし、充分空気を読めるヤツなので特に問題はないだろう。
 そんな訳で、久しぶりにしっかりとした朝食をとり体力を回復させた俺は、美神さんと共に事務所を後にしている。
 食後の散歩に付いてこようとしたシロとタマモには、戸締まり不徹底の罰として三日間の散歩禁止を言い渡していた。
 そして―――


 「いないようね・・・・・・」

 マンション跡の廃墟
 めずらしく御椎名が寝床にしていた地下室まで同行した美神さんがポツリと呟く。
 影の中にいる蛍の相談と、借りた自転車を返すために御椎名の元を訪ねたのだが、生憎と御椎名は不在だった。
 廃墟内を隅々まで探したが、御椎名の私物は全て消え、複雑に張り巡らされた結界は跡形もなく解除されている。
 美神さんにチラリと視線を向けたが、その表情には今の状況を当たり前のように受け入れている節がある。
 いくら影の中に蛍がいることを話したとは言え、あれだけ御椎名を嫌っていた美神さんがここまで来たのだ。
 多分、美神さんは今までの経緯からこの状況を読んでいたのだろう。
 もう明らかだった。
 御椎名はいなくなった。
 手紙一つ残さず―――この街を去ったのだった。
 今だからわかる。
 御椎名は、蛍が出ていくのも、わざと見逃していたのだ―――わかっていて、見逃したのだ。
 流石に家出を促したりはしなかっただろうが、それをいい潮とみたのだろう。
 おキヌちゃんがストレスを溜め込んでいるのを、わざと俺に黙っていたように。
 要するに、蛍の失踪は御椎名にしてみれば、俺に対する試練―――いや、餞別のようなものだったのだ。
 御椎名は、俺が蛍を探しに飛びだしたときに、俺に対して何らかの何かを確信して、荷物をまとめて、ここを後にしたのだろう。
 蛍のこともおキヌちゃんのことも、俺が一人で何とかできると―――そう確信して。 
 それは御椎名がこの街に残った、最後の目的の一つでもあったのだ。
 

 ―――いつまでも僕はこの街にいるという訳ではないんだ。あの魔神が引き起こした事件の影響も収まりつつあるし、意識してバランスをとることも殆どないからね・・・・・・・・・・・・ 


 御椎名の言葉が思い出される。
 単にそれが、今だったというだけだ。


 ―――ある日突然、挨拶も無しに姿を消したりはしないさ。僕も大人だからね。その辺のことは弁えている。


 どうして気付かなかった。
 最後に俺を呼び止めた時の仕草が、どうしようもないくらいに、別れの挨拶じゃないか。
 別れの言葉を決して口にしない、人との別れが何より苦手な、あの不器用な男の、精一杯の、親愛の証―――  

 「行っちまったのか・・・・・・」

 御椎名の野郎。
 粋な真似をしやがる。
 格好いいなんて思わないぞ。
 もう既に一晩が経過している。
 御椎名は今頃は別の街に流れ着いて、別な物語のバランス調整に勤しんでいるのだろう。
 案外通りすがりに、困難に直面している誰かを、助けているかもしれない。
 そう。
 きっと、助けているだろう。

 「全く、御椎名の奴はアレっすよね」

 俺は言った。

 「そうね。あの男は、アレに違いないわ」

 美神さんも続ける。
 そして二人は声を揃えると―――


 「お人よし」「嫌なヤツ」


 ・・・・・・・・・・・・えーっと、まあ、いいや。
 そういうことにしておこう。
 同族嫌悪という言葉もあることだし。

 御椎名メメ―――

 軽薄で、皮肉屋で、悪趣味で、意地悪で、不遜で、お調子者で、性悪で、不真面目で、小芝居好きで、気まぐれで、わがままで、嘘つきで、不正直で―――どこまでも優しくて、いい奴だった。
 少なくとも俺にとっては・・・・・・


 
 かくして御椎名の提案によって生じた一連の物語は、一応の安定を見た。
 だが、これからも俺は―――俺たちは、あの選択によって生じた傷と付き合っていく。
 あの選択を無かったことにはできないし、忘れることもない。
 勿論、後悔なんて絶対にしない。
 俺の影の中には、魔族だった女の子が住んでいる。
 ボブカットの可愛らしい女の子が、とても居心地よさそうに。
 この先どうなるかはわからないが、多分大丈夫だろう。 
 俺が諦めずに助かろうとする限り。
 だからこれは・・・・・・
 これからの物語は―――


 


 ――― 他物語 ―――


 第3話 おキヌblack 完







ご無沙汰しております。
かなり時間がかかりましたが、化物語を元ネタとしたシリーズの最終話です。
かなり???な話になってしまいましたが、何とか終わらせることができました。
次は書きやすい話にしよう(ノ∀`)
ご意見・ご感想いただければ幸いです。

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