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あいあんしぇふ!〜粉モンの達人〜

「皆さん、今日は何の日かご存知ですか?」
 TVで流れる朝の情報番組をBGMに、朝食の準備は進む。
 トーストにハムエッグ、牛乳……四つのグラスのうち、一つにはリクエスト通りに少し多めに入れて、脇にはバターと半日掛けて作った自家製のジャムの瓶。
「今日五月七日は“粉ものの日”と呼ばれているんですが、私は今、道頓堀にあるお好み焼きのお店…………」
「あー、お好み焼き……ええなぁ、久々に食べたいわぁ」
 画面で踊る削り節と生地の白から覗くうす赤い紅生姜とソースの黒、そして青海苔の緑のコントラストに、関西人の血を揺るがされたと思しき長い黒髪の少女は、トーストから立ち昇るバターの現実の香りにも負けぬだけの想像上の香気に、酩酊したかのような半ば恍惚とした表情でそう呟く。
 その呟きに応じたのは、エプロン姿の眼鏡の青年。
「そうだなぁ……じゃあ、葵のリクエストもあったことだし、今晩の夕食は―― 」
「あ、せやったらウチが作ったるわ!」だが、青年―― 皆本光一の言葉を遮るかのように、黒髪の少女こと野上葵は「折角の粉モンの日ぃや!本場の粉モンっちゅーのを味わって貰おうやないのん!」力強く宣言する。
「そう言うことだったらあたしも!」
「うーん、じゃあ私も」
 葵の宣言に併せるかのように、卓に着いた残る二人の少女達―― 明石薫と三宮紫穂はそれぞれ同じ力強さの言葉を発する。
 その台詞の影から漂ってくる『魂胆は判ってるのよ、葵ちゃん?』『そーそー、抜け駆け禁止』という空気そのものを感じ取ることは出来ないものの、ただならぬ緊張感だけは肌で感じた皆本が何とか言葉を発しようとしたその時、金属性の強い異音が響いた。


 乱暴に玄関のドアが開かれるや否や、部屋に雪崩れ込んで来たのは、スーツのそこかしこから圧倒的な雄性を立ち昇らせる筋肉質の偉丈夫。

「そう言うことなら任せたまえ!バベルの総力を掛けて最高級の粉ものを用意しようではないかネ!」
 掛かった鍵もなんのその!もぎ取ったドアノブ片手にそう高らかに宣言する壮年の男こと内務省超能力支援局バベル局長・桐壺帝三の顔は、朝の清涼な空気にそぐわない濃い笑顔。

「まぁ材料だけはもろとくけど……その前にとりあえず、プライバシーの侵害やから」瞬間移動能力テレポートで壁に埋め込み。
「盗聴器の場所を教えてもらわないとね、局長」駄目を押すように念動力サイコキノによる不可視の衝撃波。
「薫ちゃん、この部屋じゃないみたい。向かいのマンションにレーザー反響式の盗聴器を設置してるみたいよ」葵と薫による二重の戒めによって身動き取れない桐壺の腕に触れ、思考を読み取ることで、部屋から感知出来なかった盗聴器のありかを探る。

 その間、実に五秒。「そ、そんな装備を持ち出してまで……」流れるような連携がもたらした情報に、皆本はただただ力なく肩を落とすばかりであった。
 


 【あいあんしぇふ!〜粉モンの達人〜】



「……という訳で、第一回皆本争奪粉もの対決〜〜〜〜〜〜っ!!」
 刻は流れて夕方―― マンションの一室に響く異様なテンションの声の主は、紫穂と同じく接触感応能力サイコメトリーを保持する色黒の青年医師・賢木修二。
 ただし、その身に纏うのは今は白衣ではなく、袖を捲り上げたシャツにエプロン。
 やる気に満ちたその姿とは対照的に「……お、お前なぁ」皆本は低いテンションで応じる。
「おいおい。始まる前からそんなことでどうすんだよ?折角のイベントごとなんだから、もうちょっと楽しめよー?」
 その賢木の言葉に「出来るか!」半ば自棄気味に返す皆本。
 確かに、新巻鮭の如くに簀巻きにされ、その上、『賞品』と記された熨斗書きを胸に貼り付けた状態で席に着いているのだから、テンションを上げることは少々……いや、多々難しいことに違いない。
「でも……管理官がいなくて助かったよ。もしあのひとがこの場にいたら、どんなことになっていたことか……」
 簀巻きにされて身動き一つ取れない状況で、セクハラが日常と化している蕾見不二子という猛獣ケダモノがいたならば――――実に想像の容易い未来を予見したのだろう、冷や汗を流しながら言う皆本の言葉に、
「そこについては感謝しろよ。粉もの対決であのひとがいたらろくなことにならないから、情報が広まる前に麻酔射って眠らせてきたんだからな」久々に究極奥義【イソゾール静注麻酔急速導入】を繰り出したことを示唆しつつ、賢木は返して言う。
「む、無茶するなぁ……あとでどうなっても知らないぞ?」
「じゃあ、聞きつけて来てた方が良かったのか?お前の身の安全もあるけど、お好み焼きってこととなると、まず間違いなく『もんじゃから連想されるもの』って話題を出してくる可能性が高いひとだぞ?」
「…………ありがとう」
 賢木の言葉に、皆本は心の底からの感謝の言葉で応じる。
 確かに食事前にそんな話題を出されては引くどころでは済まない。

「賢木先生、早くしてよ!もうすぐ始まるって言うのに助手がいないとどうにもならないでしょ!」
「へいへい……じゃあ、そろそろ気まぐれシェフのお手伝いに行くとするか」
 薄い微笑を残し、所狭しと食材が準備されているキッチンへと向かう賢木。

 その後ろ姿に、思わず皆本は呟く。
「賢木……僕の安全面に気を使うんだったら……賞品扱いに反対してくれ」
 相手はチルドレン達の悪乗りを諫めるどころか、むしろ進んで乗っかりに行く賢木である。虚しいとは判ってはいてもなお、そう呟かない訳にはいかなかった。



 * * *



「制限時間は一時間……それでは、調理開始!」
 いつものブラウンのスーツとは違う、派手な柄の入った黒のジャケットに身を包んだ桐壺の声を合図に、四組の男女が慌しく動き出す。
「粉を捏ねるのはあたしに任せて!ナオミちゃんは材料切りをお願い!!」
「わかったわ、薫ちゃん!」
 バベルトップクラスの念動力者サイコキノ二人である薫とナオミが息の合ったコンビネーションで動けば、
「先生!材料切りの後は山芋を摩り下ろして!」
「おう!……って、ちょっと待て!?働いてるの俺だけじゃね?」
「気のせいよ。私もこうして卵割ってるじゃない」
 接触感応能力者サイコメトラー組は生来の女帝振りを発揮して紫穂が賢木を縦横無尽に操る。
「た……たこ焼き器なんて持ってたのね、皆本さん」
「それは皆本はんにウチが頼んだんや!たこ焼き器がない台所なんて、常識として考えられへんやろ!
 ……って柏木はん、鍋噴いてる!」
「あっ!いけない!」
 と、ややトラブルもありながら、唯一パートナーとして普通人である柏木朧の協力を仰いだ葵は無難に、そして手際よく調理スペースをテキパキと動き続ける。
 時に瞬間移動能力テレポートを駆使し、平行して作業を行う葵の隣のスペースでは、 
「明のゴハン……明のゴハン……」
「こらっ!初音、『待て』よ、『待て』ッ!!」
 話を聞いた犬神初音の『じゃあ明も参加!』という一言でなし崩し的に参加が決まった“ザ・ハウンド”の宿木明の制止も虚しく、
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
 結局我慢し切れなかった初音は、ご丁寧に猫の姿に変身した上で、オーブンから取り出したばかりのエビと下ごしらえの済んだイカをくわえて逃げ出していた。
「馬鹿初音……何してるんだよ、まったく!」
 エビとイカをくわえた猫を追いかけて、真新しくなった玄関のドアを駆け出していった明――戦線離脱リタイア
 裸足でないことが、せめてもの救いであった。

「あ…明くん」
 パートナーに振り回され、日本一有名な主婦を思わせる勢いで掛け出して行く明に思わず目頭が熱くなる皆本ではあるが、気を取り直してキッチンに視線を戻す。


 男子厨房に入らず、という言葉は、こと皆本家においてはその言葉は当てはまらなかった。

 母親の料理の腕前が壊滅的だったこともあり、今は亡き祖母が入院した頃から必要に駆られてはじめた料理ではあったが、当初は失敗の連続だったその腕前は、持ち前の完全主義も手伝って、今では並大抵の主婦では太刀打ち出来ないほどに至っている。


 その完全主義ゆえに三人が厨房に立つ機会は極端に少なくなっていたのだが、チルドレンの三人が中学に上がった頃を境に、時折厨房に立つことは知ってはいたし、ごく稀にではあるが、皆本とともにカレー等の簡単な料理を作ることもあるにはあった
 だが、こうして彼女達が皆本の力を借りることなく、食材を切り、粉を混ぜ合わせ、出汁とあわせた卵を溶く姿を見ることは、皆本にとって嬉しさといささかの面映さを感じさせる。

 ただ、
「あー、もう。みんな危なっかしいなぁ……誰か解いてくれないかなぁ」
 それぞれの手つきの危うさに、出来ることなら今すぐ手伝いたい、という主婦然とした気持ちは、それらの気持ちを凌駕するほどではあるが。


『駄目ですよ皆本さん』
 そんな皆本に思念でやんわりと制止するのは、この料理対決のダブル実況兼審査員の一角として控えている野分ほたる。
『みんな頑張ってるんですから、こう言う時には見守ってやるのも優しさですよ?』
 その思念を送った後に、くすり、と微笑むほたるに、自覚していなかった過保護振りを思い知らされた気恥ずかしさを誤魔化すかのように、照れ混じりの苦笑で返す皆本。


「何ニヤついてるんだよ皆本〜」
「というか、ウチの主任にアプローチかけないで欲しいわね。まったく、これだから感応能力者テレパスは……」
 薫と並んでボウルを抱えてやってきた紫穂のその言葉に反応して、
「また抜け駆け狙ってたのねあんたはっ?!」
 ほたるの隣に座る、同じく審査員兼ダブル実況の片割れである常盤奈津子が噛み付くが、ほたるは軽く舌を出しながら奈津子の追及をどこ吹く風で躱すのみ。
 いつにも増して賑やかな食卓に、思わず頬を緩める皆本だが、
「……あれ?そういえば、ホットプレートは?」本来ならば卓上にあるべきものがないことに気付いて、周囲を見回す。
「心配無用だヨ皆本クン!」言うが早いか、桐壺は真新しいテーブルクロスに手を掛けるとともに一気にその両手を引く。
 どこぞのコメディアンを髣髴とさせる早業で抜き取られた大振りの白い布が翻った後に現れたのは、中央部に巨大な鉄板を配したコンロ付きガステーブル。
「君達が留守の間、ドアを修繕するついでに用意させてもらっていたのだヨ!!  力になれない分、せめて環境を整えることくらいはさせてもらわないとネ!!」


 濃い笑顔とともに力説する桐壺に、“無駄な予算使うんじゃねーよ”と言った表情を向ける皆本ではあったが、口に出すことはしなかった。

 とはいえ、正しくは自ら率先して口に出すのではなく、
「……局長?もちろんそれはポケットマネーから、ですよね?」
「も、もちろんだとも柏木クン」
 桐壺の背後に鋭い眼光を覗かせる朧の姿を認めたため、皆本が口に出す必要などなかった、という事情があるにはあったのだが―――― ツッコミどころが“いつの間にか家財を取り替えられていた”という部分ではなく、“無駄な予算”になっている辺りは、桐壺との三年以上に及ぶやり取りが、しっかり皆本を毒していたというより他になかった。


 * * *


「じゃあまずはあたし達からだねっ!」
 言うが早いか、火を入れた鉄板に膨大な量の麺と千切りキャベツ、そして、色合いから見て既に軽く火が通っていると思しき、やや厚めに切り付けられた肉が投入される。
 豪壮、と呼ぶに相応しい勢いで攪拌され、満遍なく熱を通していく麺のその脇では、薄く焼き上げられた生地と薄焼き卵がその真円に限りなく近い形状を示している。
 そこからも、念動力者二人が目指しているものが広島風お好み焼きであるということは容易に想像が出来る。
 だが、その想像から僅かに外れるものも確かにあった。
 ひとつは、麺と生地の色合いである。
 小麦粉特有の黄みがかった白とは違い、黒ずんだ色合いから見て「常盤クン、あれは一体……?」「蕎麦粉で作った生地と……麺も十割蕎麦のようですね」蕎麦粉のそれであろうということは、実況の一人である奈津子の説明がなくとも、皆本には理解出来てはいた。
 だが、お好み焼きの売りである雑駁ざっぱくな味わいは、ソースとの調和によって形作られるものであり、蕎麦粉の持つすっきりとした香気とは相反する。
 生地そのものに力強さを持つ小麦粉ならば特に噛み合うソースのどっしりとした味を受け止めるには蕎麦粉の持つ繊細な香気はむしろひ弱でしかなく、蕎麦粉という食材の持ち味はいとも容易くかき消されてしまうのだ。

 しかし、皆本の抱いた危惧とは裏腹に、
「薫ちゃん、こっちは出来たわよ!」
 繊細と評するに値する精密さで生地の形状を整えたナオミの合図を受けた薫は、炒められた蕎麦とそれとほぼ等量の千切りキャベツ、そして一掴みほどの青葱を真円に纏められた生地に投下したかと思えば、
「オッケー、ナオミちゃん……行っくぞー!念動サイキックホットプレスー!」
 軽く黄身を潰した生卵を一つ落とした上で念動力による圧力を掛け、圧縮する―― その一連の動きにはなんら乱れや迷いはなく、明確な意図がそこにあることが伺えた。
 だが、明晰な頭脳と長きに渡る主夫業の経験を併せ持つ皆本にすら、そこにあるはずの“工夫”という名の意図をはっきりと理解することを許すことなく、念動力者二人の手による『広島風お好み焼き』は切り分けられ、審査員の前に供される。

「はい、皆本…あーん♪」
「い、いや……早くほどいて……」
 切り分けたお好み焼きを乗せたコテを顔の前に突きつけられ、賞品兼審査員という訳の判らない立場にある皆本はしかし辛うじて冷静に対応する。

「ちぇー、つまんないのー!」
 賞品の要望を受け、少し拗ねた口調とともに念動力でその戒めを解く薫だが、コテはしっかり突きつけたままであり、主張を譲る気はもとよりないらしい。
「あー、もう……だから自分で食べるから!」
 言うとともに空中に浮かぶコテを掴み、一口。
 一連のやりとりに頬を紅潮させ、明白な照れを浮かべていた皆本の顔が、咀嚼を経て驚きの色に染められた。

 うず高く盛られた青葱、そして散らされた錦糸卵の隙間から見えたのは、蕎麦粉特有の黒みがかった色。
 立ち上る湯気からも葱の香りとともに蕎麦の清冽な香気が上がり、通常のお好み焼きと違ってソースを使っていないということを声高に主張している。
 だが、ソースを使っていないからといって味が薄いというわけでもない。
 やや厚めに切りつけられた食感の豊かな肉と、肉から滲み出し、葱の刺激を帯びた独特の味わいを吸い込んだ肉汁と、それらを包み込むとろみと些かの甘味に加え、僅かな酸味を帯びた汁気に含まれる旨味はむしろ濃厚で、蕎麦と絡んで口中に甘辛い旨味として程よく拡がる。
 その完璧主義を刺激されたのであろうか、その蕎麦とよくなじむ味わいの正体を探るために一度は見開いた目を薄く閉じつつさらに二度、三度と咀嚼し、
「ソースの代わりに和風の出汁を使ったのかぁ……驚いたな」皆本は嚥下とともに感嘆の声を上げた。
完璧パーフェクト……プヮアフェクトだ!流石はナオ……ビッ?!」「薫ちゃんのアイディアなんですよ、それは」
 例によって騒ぎ出した約一名の審査員を念動力で壁に埋め込みながら、何食わぬ笑顔で述べるナオミの言葉に、やはり埋め込まれた某審査員には目もくれることなく皆本はさらなる驚きを浮かべた表情で薫を見やる。
「へへ……あ、いや、ナオミちゃんがくれたアドバイスがあったからだよ?」ナオミからの賛辞、それ以上に皆本の視線を受けた薫は耳まで朱に染めながら返し、さらに続ける。
「ホラ、生地に蕎麦粉を使うんだったら、瓦そばに近いアレンジをしてみるのもいいんじゃないか、って言ってたじゃない?それに、その出汁もナオミちゃんが作ってくれたんだしさ」
「なるほど……瓦そばかぁ」

 瓦そば――ナオミの出身県である福岡とは海峡を隔てた山口は下関で生み出された麺料理であり、瓦、もしくは鉄板で焼いた茶蕎麦を錦糸卵と甘辛く炒りつけた細切りの牛バラ肉とともに、皆本が見て取ったように甘目に味付けされた和風のつけ汁につけて食べるのが一般的ではある。
 だが、コテを使って口に運ぶことが多いお好み焼きには当然ながらつけ汁は向かない。
 それが猪口にせよ小皿にせよ、切り分けた生地を一旦つけ汁に浸した上でさらにコテで掬うことは至難である上、救い上げることに手間取って麺や具がバラけてしまえば見栄えも悪くなる。
 そのため、粘り気を持つソースを直接塗ることで旨みを補うのが通常の手法ではあるのだが――「片栗粉でとろみをつけた出汁をキャベツに仕込んでるのねー。確かにこれなら出汁の味が満遍なく行き渡るわ」奈津子が見抜いたように、薫とナオミが選んだやり方は、片栗粉によってとろみを帯びたやや濃い味の鰹出汁に千切りにしたキャベツを軽く浸すことで、出汁の旨味を内に封じ込めるというものであった。
「あと、この肉は……鴨肉だネ!蕎麦に鴨肉に葱、ということは……」
「そうか!鴨南蛮か!」
「そうなんですよ!それも薫ちゃんのアイディアなんですよ!」桐壺から横取りする形で言い放った皆本に、ナオミは我が意を得たり、といった明るい表情で返す。
 ナオミに持ち上げられたのが気恥しいのだろう、薫は明確な照れを見せながら、
「蕎麦生地のクレープがあるんだから蕎麦生地でお好み焼きにしてみたい、どうせなら鴨南蛮みたいにしてみるのもいいんじゃないか――って思っただけだよ。第一、ナオミちゃんが手伝ってくれなかったらこうも上手くは出来ないって」
 その赤面を伴う言い訳じみたしどろもどろな言葉に、皆本もまた胸に迫るものがあったのだろう――薫と同じく頬を染め、
「いや、良く出来ているよ。美味しいよ」笑顔で返す。
「そ、そう……えへへ」
 皆本の手放しの賞賛に、薫はトレイで口元を隠しつつ応じ、リビングには周囲の介在を許さない、と言わんばかりの空間が生まれる。

 だが、さながら付き合い出して間もないカップルか新婚夫婦を思わせる、こっ恥ずかしくもラブラブしく初々しいやりとりを繰り広げる二人の世界に、「じゃあ次は私達の番ね」三割ばかり嫉妬の響きが込められた口調で侵入したのは紫穂だった。
「薫ちゃんもなかなかやるわね――でも、蕎麦粉を使ってきた時点で薫ちゃん達がそういう方向に行くことは読めていたことよ。だからこそ、私達はあえて王道で行くわっ!」
 自信を多分に含んだ声と共に一同に供されたのは、表面に二枚の豚バラ肉を覗かせる生地を突き崩された卵黄の黄色とソースの黒が染め、その上から花かつおをあしらったオーソドックスな大阪風の一枚。
 所謂“豚玉ミックス”には何ら衒いがなく、薫達のお好み焼きの持つ黒みがかった色合いと比べてのインパクトのなさに、壁に磔にされた谷崎を除いた審査員一同は怪訝な表情を浮かべる。
 だが、その表情はコテで切り分けた時に驚きのそれにとって代わられた。
「これ……こんなに柔らかい!?」
 さしたる抵抗もなく切り分けられる生地の柔らかさ、そして、掬ったコテの重み以外を殆ど感じさせない軽さに驚きを見せるザ・ハウンド運用主任である小鹿圭子に続いて、
「この生地は……山芋を使ったんだろうけど、それだけでここまで――」呟きを漏らしたほたるに応じ、紫穂が返すのは得意気な笑みと言葉だった。
「山芋を泡立てた卵白と合わせたの。そうすることで生地の柔らかさと食感の軽さを出してみたってわけ」
「メレンゲを泡立てたのも、山芋を摩り下ろしたのも俺だけどな?」
「小さいことに拘るわねぇ!第一、メレンゲを泡立てるって言っても泡立て器は電動でしょ!?」
 賢木の横槍に鋭く強い口調で返す紫穂という、薫と皆本の二人が織り成すものとはまた趣の違った独特の空気を醸し出す二人に、微妙と呼ぶのが最も相応しい苦笑を浮かべつつ皆本は小口に切り分けた生地を口に運び――意外そうな表情をその貌に浮かべる。
「これは……やられたなぁ。
 山芋とメレンゲで作った生地っていうから、スポンジケーキのような柔らかさと軽さを前面に押し出しているのかと思ったけど、生地の中に混ぜ込んだもやしのシャキシャキとした食感と……これは、パリパリとした歯応えが不意討ちしてくるなんて……すっかり騙されたよ」
 口中にもたらされた不意討ちに対して陽性の驚きを以て応じる皆本に、賢木はしてやったりの表情を浮かべて返す。
「そういうこと。食感を加えるために具にもやしと堅焼きそばの麺を混ぜたんだよ。
 唇でかみ切れるほどの柔らかい生地に二種類のしっかりとした歯応えを持った具材を合わせてアクセントにする……接触感応能力者サイコメトラーだから出来る、味以外でのアプローチって奴さ!」
「なるほどねぇ……確かに賢木先生の言う通り、接触感応能力者サイコメトラーだから出来る絶妙のバランスだわ、これは」
 賢木の言葉に続ける形で、感心した口調で言うのは奈津子。
 端から見ればやや焦点がずれている様に見えるその瞳は、遠隔透視能力クレヤボヤンスを使用することによって彼女が目の前のお好み焼きではなくその内部構造を映していることを示しており、ようやく彼女が実況解説としての役目に入れたことを如実に現していた。
「具材に使われているのは、豚肉とキャベツにもやしに堅焼きそばの麺、あとは卵と紅生姜……歯応えというインパクトを与えるためのもやしと麺以外はシンプルな分、具材の配置のバランスが崩れると食べにくくなるっていう難点を、生地の状態を把握して丁寧に具材を振り分けることで無くしたのね」
 皆本という洞察力のある審査員に口を挟ませまいという意図を隠し持っている……かどうかは定かではないが、透視能力をフルに駆使してのその言葉に頷き、紫穂は続けて言う。
「あと、引っ繰り返す時に少し胡麻油を垂らして香りも付けたのよ。味だけじゃなく、食感と香りを楽しむことが出来るのが私のお好み焼きのコンセプトっていうわけよ!」
 その力強い言葉に応じる形で、
「素晴らしいネ!接触感応能力者サイコメトラーだからこそ出来る緻密に計算し尽くした非の打ち所のない一品――これこそ我々バベルが進むべき超能力の形……日常生活と融和した超能力の使用方法だヨ!」
 訳の分からない角度からスイッチを入れた桐壺がお好み焼きを頬張りながら感涙にむせぶ。

 実に暑苦しい。

「い……いや、解禁なしで能力を使用するのは問題じゃないのかよ」
 バベルの局長とは思えない問題発言をぶちかました桐壺に小声でツッコミ入れる皆本だが、すっかり興奮状態にある桐壺の耳には届いてはいない、が――

「ほな次はウチの番やな……という訳で――局長、邪魔!」

 ヒュパッ!

 その音と共に、猛烈な感動とともに鉄板の脇で仁王立ちしていた桐壺の姿は掻き消え、ナオミによって磔となった谷崎のすぐ横に埋め込まれる。
 生活空間としてはあまりに異質すぎるオブジェ二つから意識的に目を逸らしつつ、たこ焼きと幾つかの――関西風に一口大の正方形に――切り分けられたお好み焼き、そして、ソース色に染まった炒められた米飯とその合間から覗く細かく刻まれた細い麺――神戸を発祥とする、焼きそばと焼き飯と合わせた、所謂『そばめし』を盛り付けた皿をてきぱきと配する葵達に、瞠目の呟きを漏らす紫穂。
「三種類も作ったのね。流石は葵ちゃん……やるわね」
「流石は京都出身だネ。粉もの文化が遺伝子レベルで根付いているという訳だネ」
 あ、復活した。
「そらまぁ紫穂には散々言われとるからなぁ。『炭水化物をおかずにご飯を食べるなんて信じられん』って……せやから、粉モンとご飯モンの相性の良さを見せてやる、言うんも今回のコンセプトに採り入れたっちゅうワケや!」
 紫穂、そして壁を破壊して戒めを引き剥がした桐壺の言葉に応じて、乏しい胸を精一杯に張って力強く宣言する葵にやや困ったかのような表情を見せると、「……じ、じゃあまずはたこ焼きから……って、あれ?」皆本は箸を手にして気付く。
「葵、このたこ焼きって……ソースが塗られてないみたいだけど――」
 底の浅い鉢に高く盛られたたこ焼きにはソースはついておらず、やや黄色がかった生地にキャベツや葱の緑と紅生姜のピンクがかった彩りがダイレクトに目に飛び込んでくる。
「えっへっへっへっ……それは食べてみてのお楽しみ、っちゅうことや」
 自信に満ちた言葉に、皆本の脳裏にはひとつの言葉が思い浮かぶ。
 そばめしと同じく神戸を中心に発展をした明石焼き――玉子焼きとも呼ばれる、卵を多めに使い、小麦粉の代わりに浮き粉と呼ばれる小麦澱粉を使用することで軽さを重視した軽食であり、ソースではなく出汁に漬けて食べるという、たこ焼きの原型というべき一品だ。
 だが、明石焼きにつきものの出汁は添えられていない。
 生地の味をそのまま味わって欲しい、というのだろうか――そう思いながら口中に放り込んだ球体を噛み締めた皆本は、驚きに刮目する。
「これは、中に出汁を入れているのね……でも、どうやって……」
「ええと……瞬間移動能力テレポートを使って入れたんじゃ――」
 皆本と同じく、驚きに目を見開いていたほたると奈津子が交わす言葉に応じて、しかし否定の呟きを漏らしたのは桐壺だった。
「いや、如何に葵クンが超度レベル7の瞬間移動能力者であるとはいっても、形状が安定しない液体では空間に干渉することが出来ずに、転送する事は出来ないはずだヨ」
 実況兼解説二人の言葉を否定した桐壺の言葉を受けて、心底不思議そうな表情を浮かべた小鹿は、
「えー、でもそんな都合の悪い設定って、ストーリーの都合でどうとでもなるものなんじゃ……」胸に浮かんだ疑問をストレートに口に出す。
「サラっと危険メタなことを言わないで下さいっ!!」
「それにそんな難しいことじゃありませんっ!!」
 小鹿に対して放たれた皆本の音速のツッコミに併せる形で朧もまたツッコミを入れる。
「せやせや。ただ単にゼラチン入れて冷凍庫で固めた出汁汁を賽の目状に切って、たこ焼きの中に瞬間移動させただけやって」
 言葉とともに、大ぶりのサイコロを思わせる大きさの黄金色の直方体を虚空から掌の上に乗せる葵。
 やや所在なげにふるふると揺れながらもその形を留め、自らが固体であることを明確に主張している透明感の強い黄金色のダイスに、
「なるほど……小籠包と同じやり方で中にスープを閉じ込めたってわけね。確かにこれならソースを付けなくても大丈夫ね」
 感心した口調のほたるに、
「そういうことや。他の二つの味が濃い分、こっちは薄味に仕上げてん!」葵は応じて返すが、その言葉に紫穂は疑問の言葉を向ける。
「でも、それじゃあ葵ちゃんが言っているように『たこ焼きやお好み焼きをご飯のおかずに』ってことにはならないんじゃない?
 ご飯のおかずが炭水化物ものってだけでも信じられないのに、おかずと同じかそれ以上にご飯の方の味が濃いなんて言ったら……」
 紫穂の疑問は尤もである。
 主食と主菜の味のバランスが悪くては、少しだけならまだしも、食事として成立させることは難しい。濃い味ばかりでは舌の感覚も鈍り、食べ飽きてくることは想像に難くない。
 ましてや、味付けはソース一辺倒となれば、途中で飽きる率はさらに跳ね上がる。
 だからこその紫穂の指摘なのだが、葵はその言葉に薄い、だが自信に満ちた笑みで、ふふん、と応じると、
「まぁそう考えるんが普通やろうけど……野上家の流儀にはそないな常識は通用せえへんで――何しろ、これにはちょっとした魔法がかかってんねん」力ある言葉でそう返す。
「魔法って……葵……急に奇声を上げたりしないよね?」
「あんな乳袋漫画と一緒にしなや!」薫の冷や汗混じりの言葉にツッコミを入れ、審査員一同の反応を待つ葵は、程なくして
「うん、確かにこれはおいしいわ」奈津子の言葉を切っ掛けに拡がる驚きと喜色の入り混じった表情で応じた一同の表情に、朧とハイタッチを交わす。
「でも……濃い味と濃い味の組み合わせで、よくここまで合うもんだなぁ……いったいどうやったら濃い味同士でここまで調和が……」
 粉モノ文化の未知の領域に踏み込んだことで生来の探究心と完璧主義を奮い立たせたのであろう、皆本は咀嚼と思考、分析を並行して行う。
「そこまで大したことはあらへんって。さっきも言ったことやけど、これはお父はんから聞き出した野上家流のレシピなんやから、ウチの婿になったらお父はんが教えてくれるで」
「あら、そんなことしなくても私が触れば……」
「あ、私だったら触らなくても読み取ることは出来るわよ?」

 急遽結成された二種類の感応能力者による呉越同舟の同盟に、「人生楽して美味しいとこ取りしようかてそうはいかんで!」葵は瞬間移動で逃げを打ちながら返す。

「なるほど、たこ焼きに入れた出汁汁を使ったんですかー。なるほどなぁ……確かにそうすることで“共通した旨み”というベースが出来るから、味に纏まりが出るのも当然のことだよな」
 が、そうまでして守ろうとした秘密は、賢木の問いに応えた朧によっていとも容易く開示されていた。
「かーしーわーぎーハーン!? そこは黙っとかなアカンやろー?!」
 持ち前の天然ボケを発揮して抵抗を一瞬で無にした朧に詰め寄る葵ではあるが、
「で、でもホラ……聞かれて答えないわけにはいかないし……」
 朧は朧で気圧されつつも応じる。
 その様にやや気を削がれたのか、
「まったく……柏木ハンはエンターティメントっちゅーモンを判っとらんなぁ。溜めがないと有難みが薄れるやろ――まぁええわ」葵は軽い溜息ひとつで追求を打ち切り、続ける。
「濃いめに作ったカツオと昆布の出汁で、砕いたタコの干物を戻して作った合せ出汁とソースを合わせてご飯と麺を炒めたんや。
 ホンマやったら神戸らしくご飯もたこめしにした上でそばめしにしたかったんやけど、一からたこめしを作るには流石に時間がないさかい、冷凍されとったご飯をタコの旨みを加えた出汁を使つこうて炒めながら解凍したっちゅうわけや!」
 精一杯にエプロン姿の胸を張りながら主張する葵に、「そうか……普通にソースや出汁を入れて炒めたら水っぽくなるところを、凍らせて水気が飛んだご飯を使うことで防ぐと同時に、旨みをご飯と焼きそばに吸わせたんだな……うーん、やるなぁ」強い得心の表情で頷きながら皆本は呟く。
「それだけやないで!合せ出汁の旨みをしっかり吸い込んだタコをそばめしに半分、もう半分はお好み焼きに入れることで、お好み焼きにも“同じ旨み”っちゅう芯を一本通したんや!
 ソースで味の濃淡を付けながら、三品全てに合せ出汁の共通した旨みを加える……これがお父はん直伝の、野上家の魔法ちゅうこっちゃ!」
 目一杯の自信を込めた力強い言葉に、「な……なかなかやるわね、葵ちゃん」小皿に取り分けられたお好み焼きを咀嚼し、飲み下した紫穂は強い戦慄を含んだ口調で返す。「私のお好み焼きも完璧と思っていたけど、まさかこんな技術を駆使してくるなんて……確かに粉ものの世界は奥が深いわね」
「せやで。単純に粉モンゆうてもうどんからお好み焼きまであるんやし、京都も淡白な薄味ばっかりが目立っとるけど、ラーメン屋の定番にラーメンにライスと唐揚げのセットがあるようにコテコテの濃い味も好まれるんや。
 この幅広い味の好みが京都の…関西の粉モン文化の奥深さを支えとるんや。確かに紫穂のも大したモンやったけど、味付けがソース一辺倒やと思ったら大間違いやでッ!!」
 遺伝子レベルと言ってもいい、関西人の粉ものに対する蓄積を背景に、すっかり勝利を確信したかのような強い口調で言い切る葵。
 しかし、勝ち誇る葵に対して、
「甘い……甘いぞ葵ッ!勝負はまだ決まってない……いくら葵にアドバンテージがあろうとも、あくまで勝負を決めるのは皆本ッ!!皆本の好きな味かどうか――皆本のことを思っているかどうかにあるんだッ!」薫は瞳に強い光を湛えて返す。
「そうね……あくまで技術では葵ちゃんが抜けていても、それが皆本さんの好みに合うかどうかはまた別――皆本さんの好みの味付けで勝負が決まると言うんだったら、むしろ関東人の私達の方が有利よッ!」
「くっ!……せ、せやけどウチかて皆本ハンへの愛情やったら負けてへんでッ!!」
「えっと、皆本クン以外の審査員の立場って……」
 すっかりノリが料理勝負を逸脱した三人の様子に、どことなく寂しげに桐壺は呟くが――そんなものがあるはずがない。
「まー、三人が皆、皆本にアピール出来ればそれでいいってのは判りきってたことだからなー。それにしても確かにこりゃ美味いな……まぁ、俺だったらもうちょっと甘めに味付けするけどな」
 達観とともに、切り分けた蕎麦生地をコテで器用に口に運ぶ賢木の言葉を皮切りに、
「私はやっぱり葵ちゃん達かな。ビールが進むわこれは」
「奈津子は本当にビールが基準ねぇ……でも、ビールに合うかどうかだったら紫穂ちゃん達のも捨てがたいわよ」
「うーん、私は薫ちゃんのも好みだったし……悩むわぁ」
「ナ……ナオミに一ぴょ…」「うるせええええええぇぇぇぇッ!!」
 蚊帳の外で審査に入る審査員一同。

 だが、賞品兼審査員である皆本は蚊帳の外の気楽さとは程遠かった。
 心情としては薫の一品に投じたい気持ちはある。
 ナオミのフォローがあったとはいえ、母のそれを思わせるほどに壊滅的な料理の腕前を克服しての心を込めた品に、最も心を動かされたのは偽らざるところである。
 だが、紫穂達の味覚のみならず嗅覚や触覚にも訴える一品が醸し出した、計算され尽くした味わい、そして、葵らの饗した三品のもたらした統一感と驚きにも報いたい気持ちも間違いなくある。
 何より、序列をつけるようで心苦しい――持ち前の優柔不断さを言い訳で取り繕った皆本は、逃げの一言を打とうとするが、
「言っとくけど、局長みたいに『三人全員に一票』なんて逃げは駄目だよ?」
 流石に読んでいたのだろう、『三』の言葉が聞こえるが早いか、桐壺を一瞥もせずに本日三度目の磔にしながら薫は先手を打つ。
 笑顔ではあるが、有無を言わせぬ迫力を滲ませる薫、そして、同種の圧力を持つ紫穂と葵の視線に気圧され、たじろぐしか出来ない皆本――このようにヘタレた応対しか出来ない皆本にとって、
「スンマセン!今戻りました!」
 慌しくドアを開いてキッチンに飛び込んで来た戦線離脱したはずの明、そして、明の背に背負われた初音の姿は救いの神に見えた。
「ど……どうかしたのかい?初音ちゃんになにかあったんじゃ……」
 詰め寄られていた動揺を取り繕うかのように表情を引き締めつつ尋ねる皆本に返した明の言葉には、「いや、別に大したことじゃないっスよ」多分に呆れの響きが込められていた。
「猫に変身した状態でイカ食ったもんだから、腰抜かしてるだけっス」
 コケる一同に目もくれずにそう返すと、明は洗った手を拭きつつ、生地を溶いていたボウルと材料が並べられたキッチンの一角を慌ただしく見比べ、別のボウルに粉と水を入れ、鶏卵を割り入れる。
「……って、明くん――残り時間は?」
「まだ二十分あります。最初の予定とは違うものを作ることになりますけど、二十分もあれば十分っスよ」言いながらも手を止めず、菜箸でボウルの中の生地を掻き混ぜる明。
 そもそも料理対決のお約束とはいえ、課題の中心がお好み焼きとなる粉もの対決で、定番通りに一時間もの制限時間というのはいくらなんでも取り過ぎである。
 新しいボウルに氷を入れ、天ぷら鍋に油を入れて火にかけると、飛び出す前に作っていた生地が入ったボウルから上澄みを捨て、代わりにひと匙の粉末を加える―― 明の一連の動作には一片の迷いも感じられず、作り慣れた一品を供するのであろうことは容易に想像出来るのだが、卓に就いている一同には背を向けていることもあって、具材には目もくれていないその動きは皆本に――皆本を含めたギャラリーに一体何を作っているのかの理解を許さない。
「出来ました!抹茶塩とカレー塩を用意したんで、お好みの方で食べてみてください」
 程なくして、油と生地とが繰り広げる軽快なハーモニーを経て一同の前に並べられたのは、親指大の揚げ物。
「天ぷら……いや、フリッター……かな?」
「でも、粉もの勝負でフリッターなんて作っても……勝負の課題から離れてるしなぁ」
 言いつつも、皆本と賢木は箸で摘んだ“フリッター”を口に放り込む。
 咀嚼の後に、二人の浮かべていた怪訝そうな表情は疑問と驚きにとって変わられ、表情の変化を確認した明はさらに油から“フリッター”を引き揚げながら小さくガッツポーズを取る。
「あふふっ!こ、こりゃ一体……」一口かじり、断面を確認するが、何が入っているのかは判らない。
「いや、待て待て……そういう時こそ俺の能力の使いどころ……」接触感応能力サイコメトリーで調べてみても「って……具が入ってない……だと?」更なる驚きにただ翻弄されるばかり。
「そんなはずないでしょッ!?」もう一人の接触感応能力者サイコメトラーもまた「……ほ、本当ね。確かに具は入ってないわ」白旗を掲げ――
「…………明くん、優勝」その結果を基に皆本は静かに、かつ穏便に、この場を丸く収める選択を下すのであった。

 * * *

 かくして殺伐とした修羅場の気配は一掃され、リビングに戻ってきたのは和気藹々とした空気。
「でも、このフリッターは一体何なんだい?」接触感応能力者サイコメトラーである紫穂が退いたことが決め手になったのだろう、自らの選択が単なる逃げでないことが証明されたことでチルドレン達からの大した追及もなかったことに心の底から安堵した皆本ではあったが、生来の完全主義からだろう、安堵の後に疑問が湧き出てくるのは致し方ないところであった。
「賢木や紫穂にも具の正体が判らないだなんて、一体どんな事をしたらそんなものが――」
 未だ拭えぬ疑問に、天ぷら鍋から色とりどりの――勝負が終わったこともあり、初音のたっての希望で作られることになった余り食材での天ぷらの――タネを引き揚げながら明は応じて返す。
「具は入れてますよ。ほら、お好み焼き用に作ってた生地があったじゃないっスか。アレですよ。
 水にさらして放置してたせいでダマになった生地の形を整えてから、衣をつけて揚げたんです」
 生麩とか、グミを揚げたようなものと言った方が近いかな――そう続けるグルテンのフリッターに味自体は殆どない。
 上澄みを捨てた際にひと匙の昆布塩を振ったとはいえ、旨味を付加するというよりは生地の粘りを増し、より成形し易くするためのものであり、生地自体についた味は微々たるものである。
 だからこそ、食感を前面に押し出した不思議な“味のない味”に皆本をはじめとした審査員一同は驚き、明は約二名の無効票を除いた票を得ることになったのだが――
「わ……私達より上手いんじゃない?」
 失敗した食材を利用しての一品という、皆本以上の主夫スキルを発揮した明に打ちひしがれる受付コンビを筆頭に、女性陣が受けた衝撃は計り知れない。
 特に、粉ものに対する絶対的な自信をもっていた関西人の誇りを打ち砕かれた葵、そして、自らが前面に押し出した食感という武器を全く別のアプローチで凌駕された紫穂の衝撃は大きかったらしく、「こーなったらリベンジや、リベンジ!次は負けへんでッ!!」「葵ちゃん……その時には私も協力するわ」二人は手に手を取って雪辱を誓う。
「葵も紫穂もやる気あるなぁ……あたしはやっぱり作ってもらう方が気楽でいいや。皆本に『美味しい』って言ってもらうって目標も果たしたわけだし」
 一方、雪辱を誓う二人のテンションにやや置いてかれ気味に言うと、薫は満足そうに微笑みながら、隣に座る皆本をじっと見上げる。
「い、いや……だからそれは薫の料理だけじゃなくって……皆の料理それぞれが……」
 皆本は言葉と視線が生み出した面映ゆさを取り繕うかのように返すが、しどろもどろなその口調で内心の動揺を隠すことは出来るわけもなく、助け船を求めるかのように賢木へと視線を投げかけるが、
「…………」賢木はイイ笑顔を見せたかと思うと、す…と目を逸らして拒否をする。
 ある意味絶妙のアイコンタクトである。
 ――――この野郎。
 そう言いたげに、こめかみに怒筋を浮かべつつ、恨めしそうに賢木を睨む皆本に、「あ、皆本さん!よかったらこっち手伝ってもらえますか」掛けられるのは、充実感に満ちた明の声。
「そ、そうだね!」
 思わぬところから差し向けられた助け船に慌てて飛び乗るかのように立ち上がる皆本を追って、「あ、だったらあたしも!」「そうね…皆本さんを手伝うのがスキルアップの一番の近道よね」「何をしたらええの、皆本ハン!?」三人娘もかしましく立ち上がり、夕暮れが宵闇に塗り潰されていく夕食時のリビングに囀り声は増すばかり。

「おー、流石は皆本ー!いいぞ、どんどん持ってこーい」「いや、お前もう飲むばっかりかよッ!?」
 いつにも増して楽しげな喧騒が響く皆本家。
 その玄関の前で、
「……まいったなぁ。完全に乗り遅れちゃったよ」
 “電撃!御宅の晩御飯ッ!!”と刻まれた巨大なしゃもじを抱えた学生服が、寂しげにそう呟くのであった。
 ええと、お久しぶりです。
 この作品を書くきっかけになったのは、3年前のGW明け、通勤中に聞いた公共放送の一言でした。
 それからここまでこぎつけるのに2年と9ヶ月……いやぁ、遅筆遅筆(笑)。
 そのため、作中では薫達は中1であり、ティムとバレットもまだ隣に越して来てません。
 その間に、原作中では薫が料理に挑戦したり、フェザーが未来からやって来たり、ますますチルドレンや賢木・不二子以外のバベルの皆さんの影が薄くなったりと色々ありました。
 次の作品が出来る時には、絶チル世界は何がどうなっているのかが楽しみになるという、些か歪んだ悦楽に目覚めつつある今日この頃ですが、そのような変態はさて置きまして、僅かなりとも楽しんで頂けましたら恐悦至極です。

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