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他物語3(前編)

 実力試験から丁度一週間が過ぎようとしていた6月13日の金曜日。
 教室の時計が指している時刻は12時35分。
 あと5分程で昼休みとなるのを意識したのか、やや急ぎ気味だった教科担当の解説が更に速度を増していく。
 別段採点ミスを期待している訳でもない俺は、真剣に聞き入っているクラスメイトを尻目に、ただぼんやりと自分の答案に視線を落としていた。


 ――― うん。すっげー普通


 世界史などの暗記系科目は、軒並み平均か平均をやや上回るくらい。
 一夜漬けが難しい現代文や英語は・・・・・・まあ、今までの俺と比べたら格段の進歩。
 まさかの高得点を獲得した数学と合わせれば、総合で平均点に肩をならべるだろう。
 試験前に色々あった割には良くやった方じゃないかな?
 勉強を見てくれた美神さんも平均点を目指すと言っていたし。
 美神さん、今回の結果を聞いたら何て言うだろう。
 試験対策中にバイト休んだ穴埋めに、びっしりシフト入れちゃったから結果教えてないんだよね。
 相変わらず付き合ってるとは思えないすれ違い生活だし。
 お礼を言うなら直接と思ってメールでも伝えてないけど、まあ、聞いたら聞いたで美神さんの事だから何か辛辣な言葉で俺の心を折りに来るんだろうなぁ・・・・・・
 ふと、そんな事を考えながら窓の外に目を向けると、校門の所で仁王立ちの美神さんと目が合った。

 「なっ!!」

 咄嗟に驚きの声を噛み殺す。
 何で? 何でそんな所に?
 しかも、氷のような無表情で。
 サンデーだからそうは見えないけど、チャンピオンなら完全に殴り込みの図ですよ!?
 ひょっとして試験結果を教えなかったの怒ってる?
 俺が気がついたのを理解したのか、美神さんは無表情のまま携帯に手を伸ばす。
 そして、4時間目終了のチャイムが鳴り終わった瞬間。
 俺の携帯は美神さんからのメールを受信した。

 


 美神令子 

 Sub 無題

 一人で中庭に来ること




 ナニこの文面!
 屋上とか、体育館裏の方が似合うんですけど!?
 真意を探ろうと窓の外に視線を戻すが、美神さんの姿は既にそこには無かった。 









 ――― 他物語 ―――


 第3話 おキヌblack







 001


 「あら。速かったじゃない。走ってきたの?」

 「ええ。まあ・・・・・・」

 1分後の中庭。
 俺は芝生脇に設置されたベンチに座る美神さんの前に立っていた。
 逃げるのは不可能。ならば美神さんを待たせる時間は1秒でも短い方がいい。
 そう思ってのダッシュだが、息を切らしただけの効果はあるみたいだった。
 美神さんは口元にほんの少し笑みを浮かべる。
 そして座る位置を僅かにずらしながらこう呟くのだった。

 「いい心がけね。あまり待たせるようなら抉ろうと思ってたけど」

 抉るって・・・・・・
 一体どこをだよ!?
 いや、絶対怖い答えが返ってくるから、本当に聞いたりしないけどね。
 苦笑を浮かべつつ、どうリアクションすべきか考えていると、美神さんはまたもとの無表情に戻ってしまう。

 「何をしているのかしら?」

 「え? 何をって・・・・・・」

 「ボケッと突っ立っていないで、早く座りなさい」

 ああ、そういうことね。
 少し座る位置をずらしたのは、隣に座れという意味らしい。
 ということは怒っていないのか?
 だとしたら何でこんな所に?
 恐る恐るベンチに腰掛けると、さっきまで背中を向けていた校舎が視界に入る。
 中庭を見下ろす廊下側の窓には、見知った顔を始め、かなりの数のギャラリーが俺たちに視線を向けていた。
 周囲を見回すと、先程通った渡り廊下にも遠巻きに眺める野次馬が多数。
 まあ、こんだけ綺麗なネーチャンがいきなり現れれば無理もねーか。
 俺は周囲の視線などお構い無しで、手に持った包みをガサガサやり始めた美神さんに軽く溜息をつく。
 おちゃらけた俺が率先して気安い空気を作れば、野郎どもが周囲に群がれもするけど、基本、普通の高校生は気後れするくらい美人だもんな。
 いつもは人通りが激しい中庭が、結界を張られたみたいに静かになっちゃって・・・・・・
 少しでも空気を和ませようと、野次馬の中にいたピートと愛子に向かい手で挨拶を送ろうとしたが、それは彼らが浮かべた驚きの表情に止められる。
 その表情にただ事でない何かが起こっているのを感じた俺は、すぐに美神さんに視線を戻し、そして、信じられないモノを目撃することとなった。
 美神さんの膝の上に置かれた、明るい色の小ぶりなプラスチックのケース。
 学校の昼休みにごく普通に見られるソレが、派手な色のボディコンからすらりと伸びた足の上で激しい違和感を醸し出している。
 いや、違和感の原因はソレとボディコンとのミスマッチではない。

 「あの・・・・・・美神さん。それは何でしょうか?」

 これだけの言葉を吐くのに、超絶的な精神力を要したのは内緒だった。 
 美神さんの膝上に鎮座している物体が俺の予想通りのモノならば、今のこの事態は俺の予想を遙かに超えている。

 「何を言っているのかしら? お弁当に決まっているじゃない」

 無表情のままパカリと開いたお弁当箱の中身は、まさに絵に描いたような恋人弁当だった。
 可愛らしく詰め込まれたカラフルなおかず。ご飯にはご丁寧に海苔でTADAOと書かれている。
 ハートマークは桜でんぶ? ナニ、コレ、怖い。

 「えっと・・・・・・まさか?」

 俺が反応に困っていると、美神さんは無表情のまま箸先でちょこんと白米をつまみ、ゆっくりと差し出してきた。

 「はい。あーん」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 うわ・・・・・・・・・
 何だよ。このシチュエーション。
 漫画とかで見るラブラブな恋人どうしの、ラブラブイベントの一つとしてよく知られているけど、なんだこれ、ぜんぜん嬉しくない。
 というか普通に怖い!!
 美神さんは能面のような無表情だし・・・・・・照れくさそうなはにかみの表情でも浮かべてくれれば、いや、それでも充分怖いけど、兎に角、この状態で相手の表情が読めないのはもの凄くキツイ。
 ついつい何かを企んでるんじゃないかと思っちゃう。
 もの凄く裏がありそうっていうか、裏しかなさそう。
 そう言えば、マフィアって敵意を隠すために相手に贈り物を・・・・・・って前にピートが言っていたっけ。
 Pixivならば、R-18の後にGが付くような想像が頭をよぎる。
 俺、抉られるようなことやってないよね?
 ギャラリーの中にいるピートに助けを求めるような視線を送るが、野郎・・・・・・目を逸らせやがった。
 周囲の野次馬もとばっちりを恐れてか、みな工事現場のオジギ人みたいに視線を伏せ気配を消している。

 「どうしたの? 横島君。あーん、ってば」

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 いや・・・・・・しっかりしろ俺。
 告白されてから何の進展もない恋人関係だけど、GSの助手だった頃は何度も一緒に修羅場をくぐり抜けてきたじゃないか。
 美神さんは確かに我が儘で傲慢なドSだが、そこまで酷いことをする人じゃない。
 それに、自分の恋人のことを疑ってどうする。

 「あ、あーん」

 覚悟を決めた俺は、差し出された白米に向かって大きく口を開ける。

 「えい!」

 美神さんは大きく開けた口の横。
 つまり、俺の右頬にペタリと白米を押しつけた。

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 いやいやいや。
 わかりきったオチではあるけど。

 「ふ、ふふふ」

 笑う美神さん。
 静かな、腹の立つ笑い方だった。

 「ふふふ・・・・・・あははは。はは」

 「・・・・・・美神さんの笑顔が見れて、俺はとても嬉しいッスよ」

 意外なことにこの言葉には素直な気持ちが含まれている。
 あの選択以来、美神さんは滅多に笑わなくなってしまった。

 「横島君。ほっぺたにご飯粒がついているわよ」

 「つけたのはアンタだ!」

 「とってあげる」

 一旦箸を置いて、直接手を伸ばしてくる美神さん。
 俺の頬から、自分でくっつけたご飯粒を、丁寧な仕草で一粒一粒とっていく。
 うーん。これはこれで・・・・・・

 「はい、とれた」

 と、言って。
 ぽいっと、脇のゴミ箱に米の固まりを投げ捨てた。
 ・・・・・・捨てるんだ。
 目の前で捨てるか・・・・・・。
 いや、食べるとは思っていなかったけども。

 「さて」

 美神さんはそのまま何事も無かったかのように仕切り直す。
 そして、持ってきてくれた弁当を俺に押しつけるように渡すと、キッパリとこう言い放った。

 「デートをします」

 「へ?」

 急な申し出につい間抜けな声を出してしまう。
 しかし、美神さんはそんな俺の反応など全く眼中にないように、不思議な角度で首を傾げるのだった。

 「違うわね。こうじゃないわ。デートを・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・?」

 「デートをして・・・・・・いただけませんか?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「デートをし・・・・・・したらどうな・・・です」

 「・・・・・・・・・・・・」

 この女。
 ものの頼み方が本当に分からないのか!?
 というか、それよりも驚きだったのは、デートの申し込みが美神さん側からあったことだ。
 付き合う宣言のあったあの日から、俺がさりげなく誘っても絶対に乗ってこなかったのに・・・・・・
 映画の前売りが2枚手に入ったって言ったら、「一人で2回行け!!」だぜ。
 めげずに食い下がろうとしたら金券ショップを紹介されたし。
 どういう心境の変化なんだ?
 さっきの「あーん」ではないが、この女、また何か企んでいるのではないだろうか・・・・・・自他共に認める彼女からデートの申し出があって、ここまで疑心暗鬼になる自分もどうかと思うが、しかし、それに値する驚きなのは確かだった。

 「何よ・・・・・・嫌なの? 横島君」

 美神さんの目に冷たいモノが宿る。
 我ながら情けないが、美神さんのこの目に対して俺が取る行動は一つだった。

 「まさか! そんなコトは無いッスよ!! 美神さんからの誘いを俺が嫌がる訳ないじゃないですか! いやー、感激だなぁ。美神さんからデートの誘いがあるとは!」

 指紋が摩耗するほどの揉み手と笑顔で、美神さんの機嫌を取ろうとする。
 手のひらの温度が発火点を迎える直前で、ようやく美神さんの口元に笑みが浮かんだ。

 「まあ、いいわ・・・・・・私とデートしなさい、横島君」

 最終的にそこに落ち着くか・・・・・・
 妥当と言えば妥当なところだった。
 らしいといえば、これ以上ないぐらいらしい。

 「なんか文句・・・・・・いや、質問はあるかしら?」

 「ありません・・・・・・」

 その後、待ち合わせ場所や時間を俺に一方的に伝え、美神さんは颯爽と中庭を後にする。
 残された俺は、三々五々散っていく野次馬を尻目に渡された弁当に箸をつけた。
 美神さんが俺のためにはじめて作ってくれた弁当。
 ソレをパクついていた俺の顔は、多分みっともなくニヤけていただろう。
 今夜のデートを想像して・・・・・・

 






 002

 
 今夜のデートの為に、俺は2つのことをやらなくてはならなかった。
 1つ目はバイトを休ませて貰うこと。
 前回のテスト対策でかなりの無理を聞いて貰っているため、実は結構気が引けるのだが事態が事態なだけに仕方がない。
 携帯越しの迫真の演技で何とか体調不良を信じて貰い、渋々ながら休みを了承して貰うことに成功している。
 もう1つはアイツへの霊力補給。
 これは本当に気が引ける。
 前回の補給の際、珍しく御椎名が次の予定を訪ねたもんだから「今日」って答えちまったんだよなぁ。
 バイトが終わった後に立ち寄るつもりで・・・・・・そうすりゃ余ったドーナツを手土産にできるし。
 まさか休むバイト先に土産だけ買いに行くわけにもいかないし、まあ、手土産はないが約束を反故にするよりはいいだろう。
 美神さんとの待ち合わせまではまだ時間の余裕もあるし、学校帰りに直接寄ってしまえばそれほど不自然ではない筈だ。
 そんなことを考えながら放課後の町を歩いていると、聞き慣れた声が俺を呼び止めた。

 「横島さん!」

 やや舌っ足らずな甘い声。
 その声を聞くだけで、俺は春の日だまりにいるような気分を味わっていた。
 挨拶だけで人を幸せにできる人間を俺は一人しか知らない。

 「おキヌちゃん・・・・・・めずらしいね。こんな所で」

 「えへへ。そこのスーパーが特売だったから」

 制服姿の手元を見ると、買い物袋にぎっしりと食材が詰まっていた。

 「あー・・・。大食らいが増えたからね」

 俺は以前買い出しに付き合ったときと同じように、ごく自然におキヌちゃんの手から買い物袋―――エコバッグを受けとろうとする。
 しかし、学校帰りにエコバッグ持参で買い物って相変わらず高校生離れしているよな。

 「あ、大丈夫ですよ! これくらい持てますって」

 「いいって。遠慮なんかしないで」

 そう言っておキヌちゃんの手から素早く買い物袋を奪い取る。
 学生鞄と同じ手に持ち替えた巾着袋の中で、空の弁当箱がカリャリと音を立てた。

 「ほら、結構重いじゃないか・・・・・・んーどれどれ」

 勝手知ったる気安さで買い物袋の中を確認する。 
 肉と油揚げ、それに何種類かの根菜類。
 自炊の習慣の無い俺には、何を作るための材料かさっぱり分からなかった。

 「分かるかと思ったけどダメだ。今日は何を作るの?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「おキヌちゃん?」

 呆然と立ち尽くしたおキヌちゃんの耳に、俺の声は届いていなかった。
 俺は首を傾げ、無言で俺の手元を見つめるおキヌちゃんを覗き込む。

 「どうしたの? ぼーっとしちゃって」

 「え! ああ、何でもありません。ちょっと考え事しちゃって」

 照れ隠しに笑う姿はいつものおキヌちゃんだった。

 「ひょっとして今夜のメニュー?」

 「そ、そう。今晩何を作ろうかなって・・・・・・」

 「はは、選択肢が多いなりの苦労か。おキヌちゃんは何でも作れるからなぁ」

 「何でもは作れませんよ。作れるものだけ・・・・・・」

 俺の軽口に返ってくるいつもの返事だった。
 美神事務所の解散前、俺がちょくちょく晩飯をご馳走になっていた頃は、献立のリクエストを聞いてくるおキヌちゃんによくこんな軽口を叩いていたっけ。


 ―――氷室キヌ


 300年間の幽霊生活から復活した女の子。
 全ての者から愛される、朗らかで家庭的な非の打ち所の無い善人。
 もしも彼女がおらず、あの事務所に美神さんと俺しかいなかったら、あんなに和気あいあいとした職場にはならなかったろう。
 強欲な守銭奴である美神さんと煩悩の固まりである俺。
 自分の欲望にどこまでも忠実で、価値観の相違からくる打算でなんとか雇用関係を保っていた俺たち。
 そんな俺たちの関係を彼女という存在が浄化し、絶妙のバランスでまとめあげてくれていた。
 あの頃の俺は精神的にも物質的にも、何度もおキヌちゃんに救われている。
 いや、救われているのは俺だけじゃない。
 美神さんだって、おキヌちゃんに救われていた。
 語弊があるかも知れないが、おキヌちゃんが事務所に来てから美神さんは丸く・・・・・・そう、人間らしくなった。
 おキヌちゃんと話す美神さんは、時に姉として、時に友人として柔らかい表情を浮かべるようになっていったと思う。
 俺はそんな変化をもたらしたおキヌちゃんを、心から尊敬し大切にしたいと思っている。
 その思いは、ゴールデンウイークに起こった事件を経ても変わることは無かった。

 「そう言えば最近体調の方はどう? ストレスとか溜まっていない?」

 「え?」

 おキヌちゃんの怪訝な顔に、瞬時に失言に気付く。
 自分でも嫌になるくらいの迂闊さだった。 
 美神事務所崩壊のストレスが引き金となった恐るべき変貌。
 ゴールデンウイークに自分の身に起こったことを、おキヌちゃんは全く記憶していない。

 「あ、いや、急にシロタマとかの同居人が増えたからさ、迷惑とかかけてないかなーって・・・・・・」

 「二人ともいい子ですよ。ストレスなんてとんでもない・・・・・・」

 「はは、そりゃ良かった」

 俺はうまく誤魔化せたことと、おキヌちゃんのストレスが上手い具合に解消されていることにホッと胸を撫で下ろした。

 「でも、おキヌちゃんにかかれば、みんな良い子になっちゃうからなぁ・・・・・・あの二人、俺の前じゃケンカばっかりで」

 「それは横島さんの前だからですよ」

 「へ? 何で? 俺、別に仲を裂くようなコト言ってないけど・・・・・・」

 「もう。横島さんは相変わらずダメですねえ」

 うわ、思いっきりダメ出し!
 こんな風におキヌちゃんからダメ出しされるのは、俺と美神さんくらいだろうな・・・・・・ということは俺らかなりのダメ人間!?
 それから堰を切ったように行われる尋問にも似た質問の数々。
 はい、洗濯物溜めちゃってます。
 野菜も食べていません。
 流石に部屋の片付けはするようになったけど、エッチな本は捨てられません。
 呆れたような溜息を散々おキヌちゃんに出させながら街を歩く。
 おキヌちゃんの声のトーンが変わったのは、事務所に向かう曲がり角にさしかかった時だった。 

 「横島さん、今日、晩ご飯食べに来ませんか?」

 「え?」

 唐突な申し出に間抜けな声を出してしまった。
 夕日を背にしたおキヌちゃんの表情を俺は読み取ることができない。

 「晩の献立決まっていないし、それならいっそ横島さんの食べたいもの作ろうかななんて・・・・・・」

 何でも作れるおキヌちゃんが、献立を決めかねた時にたまに口にした質問。
 多分、目の前のおキヌちゃんは、事務所が健在だったころの笑顔を浮かべているのだろう。
 懐かしさについリクエストを伝えそうになったが、残念なことにその申し出を受ける時間的な余裕は無かった。

 「うー、残念! 予定がなければ是非ご馳走になりたいんだけど」

 「予定・・・・・・ですか?」

 「はは、美神さんに呼び出されてね」

 「大変ですね。美神さんと付き合うのも・・・・・・」

 あれ?
 俺、美神さんと付き合ってるっておキヌちゃんに言ったっけ?
 まあ、告白の場にいたタマモと同居してるし、シロにも前回の一件で説明してるしな・・・・・・どちらかが話していればおキヌちゃんの耳に入るのも当然か。

 「まあね・・・でも美神さんも意外と」

 美神さんも意外と家庭的な所があった―――
 そう説明するため、差し入れられた弁当箱を持ち上げようとした動きは、突然こめかみを押さえたおキヌちゃんに止められていた。

 「あ、痛っ」

 「お、おキヌちゃん! 大丈夫!?」

 慌てておキヌちゃんに詰め寄るが、おキヌちゃんは何の心配もいらないとばかりに笑顔を浮かべると、俺が持っていた買い物袋に手を伸ばした。

 「大丈夫ですよ! ただの寝不足です。それより次の予定があるんだったら、なんでのんびり荷物持ちなんてやってるんですか! だめですよ、美神さんを待たせたりしちゃ!!」

 「え、でも・・・・・・」

 買い物袋を受け取り、おキヌちゃんはここまでの荷物持ちのお礼を口にする。
 アイツへの霊力補給の時間を加味しても美神さんとの約束まではまだ間がある。
 俺はせめて事務所の前までは荷物持ちをするつもりだった。

 「デモもストもありません!」

 デモもストって・・・・・・
 女子高生の口にする台詞じゃないぞ。
 呆れ混じりの突っ込みをいれようとしたが、プクッと頬を膨らませたおキヌちゃんの表情にその言葉を呑み込む。
 前は馬鹿なコトをやっては、よくおキヌちゃんにこの顔で叱られてたっけ。
 懐かしい表情だった。

 「しっかりして下さいね! 横島さんが美神さんを怒らせても、もう、私はとりなしてあげられないんですから!!」

 え! 俺、怒られるの確定!?
 でも、まあ、いままでずっとそうだったしなぁ・・・・・・
 おキヌちゃんがこの表情を浮かべたからには俺の行動は1つだった。
 背筋をシャキッと伸ばし、何の心配もいらないとばかりに別れの挨拶を済ませ一目散に走り出す。
 おキヌちゃんに余計なストレスを与えないように。






 003


 「やあ、横島君! こんな時間に来るなんて珍しいね。なんかいいことでもあったのかい?」

 廃墟跡
 コスモプロセッサの起動によって崩壊した美神さんのマンション跡地。
 あの事件の傷痕を生々しく残した一帯には、周囲に張り巡らせた強力な結界によって都心の一等地にも関わらず人通りが全くない。
 日が落ちる前に辿り着いた俺を迎えたのは、工事中の金網越しに発した御椎名のいつもの挨拶だった。

 「まあね・・・・・・それよりお前こそ珍しいな。地下じゃなく表にいるなんて」

 「この間結界を弄っちゃったからね。身辺整理も兼ねて次はどうしようかと考えていた所さ・・・・・・」

 「身辺整理?」

 「この前の獣ッ娘ちゃんの時もいったろ? 僕はいつかこの街を出て行く。それもそう遠くない未来にね・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そうだった。
 御椎名メメ―――この世界のバランスをとるべく放浪している風来坊。
 本人曰く、御椎名はアシュタロスの一件で崩れたバランスを調整するためにこの街に立ち寄ったに過ぎない。
 いつの間にかベスパの毒に倒れた美智恵隊長の代役に収まり、あの地獄の様な日々の解決策を提示した男に俺はいつの間にか強く依存していた。

 「もちろん今すぐじゃない。蛍ちゃんの存在が完全に安定した訳じゃないしね・・・・・・それに前にも言ったけど、ここまで深い仲になったんだ。ある日突然、挨拶も無しに姿を消したりしないさ。君を見ていると、どうも危なっかしくって仕方ない。来いよ。蛍ちゃんに霊力をあげに来たんだろ?」

 御椎名はそう言うと俺を促すように金網の切れ目へと歩き出す。
 その後を付いていった俺が結界の隙間をくぐった時には、御椎名は地下への入り口であるマンホールに体を潜り込ませていた。
 後を追うと真っ暗な地下通路を何の明かりも持たずにスタスタと進んでいく。
 その足取りには一切の迷いが感じられない。
 半魔族化した俺はともかく、人間である御椎名にこの闇は見通せない筈なんだけど・・・・・・
 まあ、コイツ色々と能力的にチートっぽいし。
 あの時も直接戦闘に参加していないだけで、結局最後をまとめたの御椎名だったんだよな。

 あの時―――魂の結晶が砕け、コスモプロセッサが崩壊した時。

 瓦礫の中から姿を現したアシュタロスを、斬り殺そうとした俺に御椎名は事件解決に向けての提案をしていた。
 アイツ一人が犠牲になるのではない、あの事件に関わったみんなが全て傷を分散する提案を。
 俺の中に残るアイツの残留思念以外の者たちは、アシュタロスを含めその提案を受け入れている。
 結果、究極の魔体を発動させることなく、アシュタロスは魂の牢獄から解放された。
 美神さんは事件の責任を一部負うことで事務所と全ての資産を失い、おキヌちゃんは事務所解散のストレスによって別人格を生じさせている。
 そして俺とアイツは運命共同体とも言うべき関係のままこれからも生き続ける。
 その提案を受け入れなかった未来は想像できない。
 ただハッキリと言えることは、今の状態を作り出した御椎名に俺は感謝して―――

 「蛍ちゃん。起き給え! 横島君が霊力補給に来てくれたよ。手土産が無くっても歓迎しようじゃないか!!」

 ―――いない。というかやるもんか!
 この男の物言いは兎に角癪に障る。
 素直に感謝の気持ちを口にさせない皮肉な物言いは、助かりたい奴が勝手に助かるだけという御椎名のポリシーとセットになっているようだった。
 部屋の隅で膝を抱え座っているアイツにチラリと視線を向ける。
 おかっぱ頭の幼女の冷たい視線と目が合った。

 「クッ・・・・・・悪かったな。手ぶらで。学校から直接来たし、帰り際おキヌちゃんに偶然会って話していたから他の寄り道はできなかったなんだよ」

 我ながら言い訳がましいと思ったが嘘はついていない。
 定期的に行う霊力補給を除いては、俺の差し入れるドーナツだけが未だ俺に口を開いてくれないアイツとの接点だった。
 学生鞄と弁当箱入りの巾着袋を床に置き、いつものように霊力補給を行う為に歩み寄る。
 霊力を注ごうとアイツの触角に触れようとするが、差し出した右手は背けるように顔を逸らした動きに空を切った。
 霊力補給をし始めたころに見せた拒絶の仕草だった。

 「ごめんな。今度来る時に買ってくるから・・・・・・」

 御椎名の余計な一言の御陰で機嫌を損ねてしまったらしい。
 俺はアイツの体を抱きしめると、むずがる仕草を押さえ込むように霊力を注ぎはじめる。

 「白巫女ちゃんと? 帰り道で?」

 「そうだよ。買い物袋一杯の荷物を持っていたから前みたいにな」

 それの何が悪いとばかりに御椎名に視線を向ける。

 「何か変わったことは無かったかい?」

 「ん? フツーだったぞ。何か頭が痛いようなことも言ってたけど、それも大したことないって言っていたし・・・・・・まさか黒巫女がまた?」

 俺の顔に緊張が走る。
 脳裏にフラッシュバックするゴールデンウイークの悪夢。
 おキヌちゃんの周囲で倒れる人、人、人。
 御椎名ですら翻弄された周囲の精気を自動的に奪い取ってしまう凶悪な霊障は、ゴールデンウイークの終盤に呆気なく収束している。
 俺は腕の中で霊力補充を受けている華奢な少女が、おキヌちゃんの霊体に巣くう霊団を根こそぎ吸収してしまった光景をハッキリと思い出していた。

 「念の為に聞いただけだよ」

 とぼけた声が俺の緊張を和らげる。
 御椎名は俺を安心させるように、いつもの茫洋とした態度で更に説明を続けた。

 「ゴールデンウイークの一件で白巫女ちゃんにはストレスの度合いが分かる仕掛けをしてあるからね。黒巫女が出て来るようならすぐに分かるように・・・・・・しかし、横島君もお盛んだなぁ。横島ハーレムの維持に余念がない。いや、同じ男として尊敬するよ全く」

 「横島ハーレムなんてないッ!!」

 「フーンソウナンダー」

 絵に描いたような棒読み。
 見た目は俺と変わらない年齢のクセに、妙に年寄り臭い発言をすると思えば、今みたいにガキみたいな口の利き方をすることもある。
 あ、今ので思い出した。コイツ、タマモに俺が幼女好きとか吹き込んでなかったっけ?

 「そう言えば、お前とは一度ゆっくり話をする必要があったな・・・・・・」

 霊力補給の手を休めずキツイ目で御椎名を睨む。
 残念ながら御椎名の反応は暖簾に腕押し糠に釘というヤツだった。

 「ほう。どんな話だい?」

 「お前が言いふらしている、俺についての根も葉もない噂についてだよ!」

 「うーん・・・・・・悪いが思い当たる点がないな。君の性癖についての事実なら、警告の意味も込めて小っちゃい方の獣ッ娘ちゃんに伝えたことはあったけど」

 「ふざけるなッ! 俺のどこがロリ・・・・・・っと」

 アイツに注いでいる霊力の感覚が変化する。
 一定量以上の霊力を注ぐわけにはいかないので、最後にクシャリと頭を撫でてから触角から手を離した。

 「ありがとう。今日も生きていてくれて・・・・・・」

 耳元で小さく呟いたのは、むずがりながらも霊力を受け入れてくれたことへの心の底からの感謝だった。
 再び部屋の隅に蹲ったアイツは、ジッと俺に視線を向けている。
 とりあえず手土産なしの不機嫌は収まったようだった。

 「・・・・・・もうすっかり慣れたようだね」

 「ああ、御陰様でな」

 御椎名からかけられた穏やかな声に、俺はすっかり毒気を抜かれていた。
 わざと怒らせるような物言いをしたのは、俺が霊力補給の加減を自分のものにしたのかを見極める為だったのだろう。
 最初は御椎名に加減を教わっていた俺だが、今ではアイツの中に満ちていく霊力の感覚を完全に掴むことができるようになっていた。

 「霊力補給についてはもう僕のできることは無くなったな。直に感じられる分、横島君の方が細かな調整が利く・・・・・・ご苦労様。悪いけど今日はもう帰ってくれないかな。僕は結界補修の続きをやらなくちゃいけないんでね」

 そう言えば御椎名は何かの作業中だった。
 まだ少し時間の余裕はあったが、御椎名に時間の余裕がないのなら仕方ない。
 俺は荷物を手に取ると、部屋の隅で蹲るアイツに声をかける。

 「・・・・・・次に来る時は必ずドーナツを持ってくるから」

 「悪いね。催促したみたいで・・・・・・僕はカスターショコラとポン・デ・ダブルクランチでいいから」

 「お前には言っていないッ! それに『でいい』って、その2つは一番値の張るヤツじゃねーかッ!!」
 
 相変わらずの図々しさに突っ込みを入れつつ俺は地下室を後にする。
 アイツは最後まで俺から視線を外さず見送ってくれていた。


 




 004

 約束の場所(といっても俺と美神さんのアパートだが)に着いたのは、約束の時間まで後20分程度というタイミングだった。

 「遅いわよ!」

 階段を登る音で俺の帰宅に気付いたのか、美神さんがドアから顔をほんの少し覗かせた。

 「え―――っと、時間には間に合っていると思うんですが・・・・・・」

 「何を言っているの? 私とのデートには、約束の5時間前に到着するのが礼儀でしょ」

 「5時間前だと美神さんも俺の学校の中庭にいたでしょ。ナニ無茶苦茶いっているんスか」

 「まあ、いいわ。こんな所で無駄話をしている時間がないのは確かよ。早く支度をしないと・・・・・・」

 そう言って美神さんはガチャリと部屋のドアを開ける。
 すぐに出てこなかったのは靴を履くのに手間取っていたのだろう。
 何処かのパーティーに参加するような気合いの入ったドレス姿に、俺は声を失っていた。
 普段からスゲー美人だけど、意識して磨くとさらにもう一段レベルが上がる。
 周囲に見える安アパートとのギャップが凄まじい。まるでコントのセットだった。
 美神さんは立ち尽くす俺から弁当箱を受け取ると、2、3回振って中身の重さを確認する。

 「残さず食べたようね。少しでも残していたら皮を剥ぐつもりだったけど・・・・・・」

 剣呑な台詞を吐きつつ、ニコリと笑った美神さんはそのまま自分の部屋へと戻っていく。
 どんだけ着飾っても中身はいつもの美神さんだったことに、俺はほんの少しだけ安心した。 
 ・・・・・・って、待て。今日のデートってドレスコード必要な場所!?
 俺、ジーンズしか持ってないよ!!
 自分にも同じモノを求められるのにようやく気付いた俺は、かなりみっともない顔をしていたと思う。 
 再び部屋から顔を出した美神さんは、そんな俺の衣装事情などすっかりお見通しといった具合に、ハンガーに吊り下げたタキシード一式と革靴を俺に手渡す。

 「早く着替えをすませなさい。もう遊んでいる時間はないわ・・・・・・」

 促されるように自室へと入り着替えを始める。
 いつぞやのお見合いパーティ妨害の時のかと思ったが、違うタキシードだった。
 粗方の身支度をすませ蝶ネクタイと悪戦苦闘していると、待ちかねた美神さんが乗り込んできて首を絞められ・・・・・・いや、ネクタイを結んでくれた。  

 「頼んでおいた車が来たわ。出かけましょう。ついてらっしゃい」

 「車?」

 手を引かれアパートの通路に出た俺は、前に路駐してある車に目を丸くする。
 詳しくないので車種はわからないが、ホテルの送迎などに使用されるような高級車だった。
 この服といい、車といい、何処にいくつもりなんだろう。

 「あの車っスか・・・・・・」

 カンカンと階段を下りながら車をしげしげと見る。
 その間も美神さんは繋いだ手を離さなかった。

 「そう。今日のために我が儘を言って貸して貰ったの。運転手付きで」

 「え? それじゃ運転は誰が・・・・・・ッ!!」

 階段を降りきってから運転席に視線を向ける。
 運転席の人影―――美智恵隊長を認識した瞬間、俺の本能が足に回れ右を命じた。
 しかし、足は金縛りにあったかの様にピクリともしない。
 俺の動きを止めたのは、握られた右手に与えられた食い込む爪の痛みだった。
 軽く握られているとしか思えないのに、一切の動きが封じられ額から脂汗が滲み出る。
 なんだこの痛みはッ!? この人、古武術でもマスターしているのか!!
 というか、何で隊長がここにッ!!

 「よろしくね。ママ」

 美神さんはそういって車のドアを開けると、痛みに固まっている俺を後部座席へと押し込める。
 すかさず俺の退路を塞ぐように自分も腰を下ろすあたり、完全に拉致監禁の図だった。
 冗談じゃない!
 なんで初デートが母親同伴なんだっ!!
 ひょっとしてまた欺されたのか俺は!?
 ドアがバタンと閉まり、俺は完全に閉じ込められてしまったことを理解する。
 次々と湧き上がる疑念を口にできないまま、俺は動き出すエンジンの音を耳にしたのだった。





 「どうしたの横島君。ずいぶんと無口じゃない」

 しばらく距離を進んだ所で、隣りに座っている美神さんが話しかけてくる。
 しっかりと握られていた右手は、車が走りだしてすぐに開放されていた。

 「・・・・・・・・・・・・」

 「横島君。初めてのデートだから緊張するのはもっともだけど、でも、そんなことじゃ持たないわよ。夜は長いのだから」

 「・・・・・・・・・・・・」

 俺は今、初めてのデートってことで緊張している訳じゃない。
 夜のデートってことで期待しまくっていた頃の自分が本気で懐かしい。
 さっきまでの俺は幸せだった。
 今は夜が長いという事実が、正直、ただただ恐ろしい。
 どうして夜は長いんだ。
 この車に乗ってから、この時間が一刻も早く終わってくれればと心から願っている。

 「ねえ。横島君」

 美神さんが平坦な声で言う。
 しかし、この人は今の状況を何とも思っていないのか?
 昼間は確かにデートって言ったよな。
 俺だったら母親同伴のデートなんて拷問以外の何モノでもないんだが・・・・・・

 「私のこと、好き?」

 「・・・・・・・・・・・・!」

 ものすごい嫌がらせを受けている!
 毒舌以外にもこんなことができるのかこの人はッ!!

 「何よ。答えてくれないの? 横島君、まさか私のこと好きじゃないの?」

 嫌がらせだ・・・・・・
 この上ない嫌がらせだ・・・・・・

 「す、好きです・・・・・・」

 「そう」

 にこりともしない美神さん。
 無表情この上ない。

 「私も好きよ。横島君のこと」

 「・・・・・・ありがとうございます」

 「いえいえ」

 ・・・・・・っていうか、アンタは平気なのか?
 実の母親の前で、そういう会話をするのが本当に平気・・・・・・いや違った。
 この人は俺に嫌がらせをするためなら、自分が傷を負うことをためらわない性格だった。
 ならばその性格の娘を産んだ人の反応はと、隊長さんの様子を横目で窺う。
 怖すぎてとてもじゃないが真っ直ぐ見れなかった。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 隊長さんは全くの無言。
 会話は聞いている様だが、運転に集中している。
 気付けば車が高速道路に入る所だった。
 もう逃げられない。
 いや、最初から無理なのはよく分かってるけどね。

 「横島君、本当に静かね。とても口数が少ないわ。いつもはもっとお話してくれるのに、今日は機嫌が悪いのかしら?」

 「機嫌以前の問題でしょ! 一体、何を考えてるんですか美神さんはッ!」

 「美神さん? それは私のことを指しているのかしら? それともママ?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 この女。この女だけは・・・・・・いや、落ち着け俺。
 今、思っていることをそのまま口にしたら別れ話になっちまうぞ。

 「ママ。横島君が話があるそうよ」

 「令子さん! 俺が呼びかけたのは令子さんです!!」

 流石に呼び捨てにはできなかった。
 令子さん。
 まさか下の名前で呼び合うイベントをこんな風に迎えるとは・・・・・・

 「何かしら。横島君」

 アンタは呼ばないのかよ!
 まあ、別にいいけど。

 「で、令子さん。あらためて聞くけど、何を企んでいるんですか?」

 「何も企んではいないわよ。ただ、横島君と楽しくお喋りしたいだけ・・・・・・いいわ。初デートの緊張で会話が弾まないというのなら、親切にも私から話題を振ってあげます。横島君はそれに応えてくれればいいわ」

 親切にもって・・・・・・
 親切という言葉には俺の知らない意味でもあるのか?

 「横島君・・・・・・私のどういうところが好き?」

 「好きじゃないところならハッキリ言えるわッ!」

 そもそも一体何がしたいのだろう、この人は!?
 今夜のデート自体が俺を陥れるために仕組まれた壮大な嫌がらせじゃないかという気がしてきた。
 クソッ・・・・・・楽しみにしていたのに。本当に今夜のデートを楽しみにしていたのに。

 「親の前で酷いこというのね」

 「うッ・・・・・・!」

 トラップだった!
 引っかかっちゃった!!

 「ママ。どうしましょう。私、横島君に嫌われているみたい」

 報告されちゃった・・・・・・
 しかし、隊長は無反応。
 そうだよな。実の親なんだから美神さんのこんな所行には慣れっこなのだろう。
 俺があんまり取り乱しても仕方がないか。

 「・・・・・・・・・・・・」

 「あら、また静かになっちゃったわね。少しいじめすぎちゃったかしら」

 美神さんが俺の方を向いて言う。

 「横島君って反応がいいから、ついつい凹ましたくなっちゃうのよ」

 「その台詞に何より凹みますって・・・・・・」

 全く・・・・・・
 よし、反撃を試みよう。

 「じゃあ、美神さんは俺のどういう所が好きなんです?」

 「優しいところ。あけすけなところ。私が困っているときにはいつだって駆けつけてくれる王子さまみたいなところ」

 「俺が悪かったッス!!」

 何故反撃しようなどと思ってしまったのだろう。
 美神さんに嫌がらせで対抗しようだなんて・・・・・・
 平坦そのものの美神さん。
 この人に感情はないのだろうか。
 こっちは、ただの嫌がらせ返しとわかっていても、そんなことを言われて心臓がバクバクになっているというのに・・・・・・

 「わからない・・・・・・どうしてなんだ? どこでどう選択肢を間違えてしまって、俺はこんな棘の道を歩んでいるんだ・・・・・・」

 「選択肢と言えば、横島君。この間のテストの結果を聞きたいわ。私の部屋で夜遅くまで二人っきりで、手取足取り色々教えてあげたのだからそれくらいいいでしょ?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 何故わざわざそんな言い方をする。
 隊長に誤解されたらどうするんだ?
 ひょっとして新たな嫌がらせが始まるのか?
 

 「テストはもう返り始めているのに、横島君がその話題に触れたがらないから、これは酷い散々な結果だったと思って興味がない振りをしてあげてたのだけど、今日、学校の先生に少し聞いてみたらそんなに悪くなかったらしいじゃない?」

 「今日、学校に来たのって・・・・・・」

 「流石に具体的な点数までは教えて貰わなかったけど、赤点だったらそう教えてくれるじゃない」

 お、以外と口が堅いな教員たち。
 美神さんの尋問に耐えられるとは思って無かったから、素直に尊敬しておこう。
 言い方はアレだったけど、確かに美神さんに教わらなかったら今回の点数はとれなかったんだから、直接俺の口から報告でき方がいいに決まっている。

 「もっと早く言っておくべきでしたね。御陰様で目標水準はクリア、理数系科目なんかは思っていた以上に点が取れてました。ありがとうございました・・・・・・美神さんのおかげです」

 「ママ。横島君がママにお礼を言っているみたいなんだけど、聞いてあげてくれないかしら?」

 「ありがとう令子さん!!」

 もう何が何だか・・・・・・
 ともあれ、俺は返ってきたテストの点数を印象深い順に美神さんに報告していく。
 要するに、美神さんが張ってくれたヤマが当たったかの報告だ。
 ふむふむと試験結果を聞いていた美神さんだったが、全ての報告が終わるとなんとも微妙な表情でポツリと呟いた。

 「少し意外ね・・・・・・」

 「意外ですか?」

 えーっと、もう少しいい結果が出せていると思われているのかな?
 俺的には充分合格点なんだけど・・・・・・

 「ええ、横島君にしては面白くもなんともないオチね」

 「アンタは笑いを期待して俺に勉強を教えていたのかっ!!」

 「てっきり『あんなに勉強したけれど、いつもよりむしろ点数は悪かったです』的な展開になると期待していたのに、ある意味がっかりだわ」

 「俺はその発言にがっかりだっ!!」

 「あらそう」

 とか言って。
 美神さんは、ぽん、と俺の足の上に手を置いた。
 太もものあたり。
 うわ、顔が近い。
 そういえば車に乗る時はいつも運転席と助手席だったから、こんな近い距離で座ったことなんてないんだよな。
 というか、今までこんな感じで話かけてくる時ってなんかとんでもないことを・・・・・・ああ、でもいい匂い。
 太ももを触る手も妙に積極的で・・・・・・

 「でも、本当に大したものだわ。誉めてあげる」

 落ち着いた話し方とは対照的に、美神さんの手はまるで別な生き物のように俺の太ももの上を蠢いている。
 会話の内容は至って普通なんだけど、なんだこの雰囲気は。
 すげードキドキする。
 隊長がいなかったら抱きついとるぞマジで。
 美神さん、今日はなんなの? ねえ、何が狙い?

 「私が人を誉めるなんて滅多にないことよ」

 「それは・・・・・・知ってます」

 「でもまあ、遠回しに自分のことを誉めているのだけれどね。横島君のようなお馬鹿さんにそこまで点数をとらせた自分を、とっても誇らしく思うもの」

 「・・・・・・・・・・・・」

 まあ、事実には違いないけどさ。
 それが言いたくってこの話題振ったの?

 「月極駐車場を月極という人がチェーン展開している駐車場だと思うほど馬鹿な横島君を、我ながらよくここまで育てたものだわ」

 「そんな勘違いはしていないっ!!」

 「それは置いといて・・・・・・」

 太ももに置かれた手がずずっと内ももに移動してくる。
 いや、それ以上の上昇は色々とマズイ!!

 「直前にあんな事があったのに、意外と結果を出せているし、これは本当に意外なことだけど、横島君って理系向き? 勉強に興味を持てれば、もっと上を目指すというのもありかもね」

 もっと上?
 大学とかか?
 なんかこの前も進路のこと聞かれたよな。

 「横島君さえよければだけど、これからも私が勉強を教えてもいいわよ」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 大学に行くなんて考えもしなかった。
 というか、あの地獄の様な日々を迎えるまでは当たり前にGSになるのだと思っていた。
 ひょっとして美神さんは俺に大学に行けと言いたいのか? なんでまた?

 「・・・・・・・・・・・・・・・美神さん。質問なんスけど」

 「ママ。横島君がなんか質問があるって」

 だぁぁぁぁぁぁぁぁッ!
 話がすすまねえぇぇぇぇぇぇぇッ!!
 話の腰がポッキリと折られて、いつのまにか太ももからも手が外されている。
 俺は美神さんの意図を掴めないまま、拷問のようなドライブを続けることになった。
 




 005

 高速道路での道行きも既に終わり、周囲の景色に港独特の海の闇とオレンジ色の照明が混ざりはじめていた。
 隊長は相変わらず無言のまま運転手を勤め、美神さんは目的地が近いのか、とりとめのない会話を終わらせ外の景色に目をやっている。
 あれから話題は二転三転し、シロのこと、タマモのこと、おキヌちゃんのことと、次々と移っている。
 美神さん失踪中に、おキヌちゃんが元事務所の管理人に就任したことについて、やや口淀んでしまっていた俺にはこの沈黙はありがたい。
 ゴールデンウイーク中に起こった黒巫女騒動について、詳細を知っているのは俺と御椎名だけ。
 六道のおばさんは、御椎名から何らかのトラブルがあっておキヌちゃんを事務所に住まわせる必要があることを説明されているだけ。
 だから黒巫女の存在は運転中の隊長でさえ知らない。
 隊長や美神さんなら六道のおばさん経由で、おばさん本人が気付いていない事象まで辿れちゃうかも知れないけど・・・・・・多分、今のところは大丈夫。
 ゴールデンウイークに起こったことをおキヌちゃん本人が認識してしまうと、それ自体がストレッサーになってしまうらしいからな。
 御椎名の言うとおり、あの騒動を知る者は少ない方がいいだろう。
 しかし、ストレスが原因であんなことになるとは・・・・・・今の俺の状況だと完全に発症しているよな。
 隊長の前で延々と続いた拷問トークに、俺のライフはもう0寸前になっている。
 一体美神さんはこのデートで何をしようとしているのか?
 そりゃ、本人がデートと言っているのだからデートなのかも知れないけど、デートってこんなにも辛いものなのか? 
 そんなことを考えていると、車は波止場にある駐車場の一角に停車した。

 「みか・・・・・・令子さん。今さら聞くのは遅い気がするけど、どこに行くつもりなんスか?」

 周囲に停まっている車はものの見事に高級車ばかり、しかもかなり危険な感じのする。
 性能的には素晴らしいんだろうけど、それを乗り回す人たちの職業的なイメージがねぇ・・・・・・

 「いいところよ」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「い・い・と・こ・ろ」

 「・・・・・・・・・・・・」

 いや、そんな色っぽく言われても。

 「まあ、すぐにわかるわ。私は話をつけてくるから、横島君はここで待っていて」

 手にしたハンドバッグの中身を確認しつつ美神さんはとんでも無いことをくちにする。
 え!? まさか隊長と二人っきり?
 それに、何、そのバッグの中の札束は!?
 美神さん借金まみれじゃなかったの??
 数々の疑問が表情に表れるが、美神さんはそんな俺の混乱など歯牙にもかけない様子でニッコリと笑う。
 とても意地の悪い笑顔だった。

 「ママと歓談でもしていて頂戴」

 とんでもないことを言い放ち、するりと車外に出てしまう。
 隊長と二人っきりで残された俺は、捨てられた犬の心境で波止場の闇に消えていく美神さんの後ろ姿を見送っていた。

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「横島君。久しぶりね・・・・・・」

 「ひゃいッ!」

 とつぜんかけられた声に間抜けな返事をしてしまった。
 まあ、それも仕方ないことだろう。
 魔族のなり損ないになった今でさえ、この人は俺にとって畏怖すべき対象なのだから・・・・・・
 美神さんが幼い頃から時間移動者として魔族に狙われ続け、思春期になる頃には死ぬこととなる実の母親。
 今の隊長は美神さんが死別する直前の存在らしい。
 彼女の行動の端々に見られる苛烈さは、自信の死を覚悟して受け入れたことによるものなのだろう。
 だからこそあの地獄の様な日々の中、原子力空母の電力を全て自身の霊力に変換するような無茶な戦い方ができたのだし、魂の結晶が奪われそうな時は実の娘さえ手にかけるような覚悟を固めることができたのだ。
 しかし現在、ベスパの毒も消え、彼女には死の兆候は現れていない。
 あの地獄のような日々の中、我々がとった行動により死の運命が回避されたというのが御椎名の見解だった。

 「令子のこと、よろしくお願いするわね」

 えええっ!
 いきなりなに言っちゃってるの!!
 まあ、たしかに付き合う宣言はしたけどさ、今までの会話聞いたでしょ?
 俺なんて単に弄られてるだけだって!
 アレを聞いていて、何で娘を嫁がせる父親みたいな台詞が言えちゃうの?
 もう死亡フラグは消えたんでしょ!! 

 「なんちゃって」

 と、隊長はおどけたようにつなげた。
 えーっと、親父ギャグ?
 元々が苛烈なイメージの人だけに、正直リアクションに困るんだけど・・・・・・
 俺がリアクションに困る様を見て喜んでいるってことはないよな。
 隊長自身も自分の死、世界の滅亡という張り詰めたものが回避され、その後の立ち位置に悩んでいるようだし。
 でも、俺に今の空気はフォローできないぞ。

 「はは・・・・・・こ、こちらこそ」

 「私たち母娘のことは知っていると思うけど、私はかなり長い間、あの子を一人にしてしまっていてね。だから、こんな私が言っても説得力がないと思うけど、あんな楽しそうにしている令子は久しぶりに見たわ」

 アンタ、自分が何言っているのか、わかっているのか?
 自分の娘が恋人いじめているのを見て、楽しそうって言ったんだぞ!

 「多感な頃に一人ぼっちにされて、あの子は本当は人を愛する側の人間なのに―――愛し方がわからない。横島君はそんなあの子に、良く対応していると思う」

 「・・・・・・できていると思いますか」

 愛し方がわからないっていっても限度があるだろ。
 美神さんのは愛し方っていうよりも、どちらかというと相撲部屋の可愛がりだぜ。

 「いつもあんな感じッスからね。俺を凹ますためだけに隊長さんをつれてきたんじゃないかとさえ思いますよ」

 「あなたに関してはそんなことはないわね」

 あなたに関しては?
 んじゃ、ひょっとして隊長さんは自分を凹ますためと思っているの?
 いや、それはないでしょ。娘を心配する父親なら充分な嫌がらせだけど・・・・・・
 今回の道行きは母娘そろっての嫌がらせと思っていたんだけど、どうも違うみたいだった。 

 「私に対しての当てつけじゃないかしら・・・・・・」

 「それはないでしょう。いくら美神さんだって母親にあてつけなんて」

 あ、今の失言っぽい。
 『いくら美神さんだって』って聞きようによっては悪口だよな。
 それに、冷静に考えたら隊長さんも美神さんだった。

 「・・・・・・・・・・・・母親か。あの子の父親は少し複雑な事情を抱えていてね。そういう意味ではあの子は生まれた瞬間から、一般的な家庭というもので育ってはいなかったの。中学生の時からは本当に一人ぼっちにしちゃったし。だからあてつけかな。私はあなたたちのようにはならないという、令子の声が聞こえてくるようだったわ。実際に―――そうみたいね。あなたたち、本当に楽しそうだった」

 「まあ、楽しくなかったといったら嘘になりますけど。美神さんの無茶苦茶は今に始まったことじゃありませんし」

 あれ、今のも悪口じゃねーか?
 俺はそんなつもりじゃないんだけど、本音で話をすると悪口に聞こえちゃうって難儀な性格だよな。ホント。
 誤解されやすいというか、好みが分かれるというか、前にタマモにも言われたけど、おキヌちゃんと美神さんじゃ、100人中99人がおキヌちゃんを選ぶんだろうな。
 でも、仕方ないジャン。俺はその一人の方なんだから。

 「令子は愛する側の人間だから」

 隊長はさっきと同じ言い回しを口にした。
 
 「だから、しかるべき相手には全体重をゆだねる。全力で甘える。愛するっていうのは、求めるってことだからね。我が娘ながら、恋人にするには重すぎる子だと思うわ」

 「重すぎる―――ですか」

 「情けない話だけど、私ではあの子を支えきれなかった。今、あの子が抱えている莫大な負債についても、あの子は私を一切頼っていない」

 あの隊長さんを頼ると人間強度が下がるってやつか?
 しかし、そこまで徹底しているのかよ。

 「でもね。この間、令子の方から頼み事をされてね。仕事を手伝わして欲しいって・・・・・・それと、今回の運転手。両方とも横島君が令子を連れ戻してくれたおかげよ。あの全てを捨てる気だった子を変えることができるなんて、本当に大したものね」

 「ずいぶん買いかぶられているッスね。俺は単にいつものように一緒にいただけですよ」

 「それが大切なのよ。私は肝心なときにあの子のそばにいてやれなかった。今もこうして生きているというのに、なぜ私はあの子のもとに戻ってあげられないのかしら」

 多くの者が傷を負ったあの騒動の中、唯一命を拾った隊長が感じる後ろめたさ。
 それによって生じた、過去に固めた覚悟に対する疑問が隊長にとっての傷なのだろう。
 ふと、隊長の持つ時間移動能力で過去に戻ればと考える。
 もちろん時間移動に未来を変える力はないことは知っている。
 俺の知る美神さんが中学生の頃に母を失うのは確定した過去。
 あくまでも時間移動は隊長本人が救われるために行えばいい。
 しかし、美神家の当事者でない俺はこの言葉を口にしない。
 美神母娘の問題に俺が立ち入る余地はない。
 だから隊長にその提案をするのは、この世で一人だけだと俺は思っている。
 多分、当てつけではなく、もう自分は大丈夫だと言いたいが為に、初デートに母親を同席させた不器用な娘しか・・・・・・

 「令子をよろしく頼むわ―――横島君」

 「ええ、まかせて下さい」

 なんか変な空気になってしまったが、俺は隊長の言葉に力強く応える。
 バックミラー越しに見えた隊長の笑顔が今の言葉によるものならば、俺はこの瞬間だけは自分を素直に誉めてやりたいと思っていた。

 「令子が戻ってきたようね」

 隊長の言葉に支線をずらすと、悠然と歩いてくる美神さんの姿がフロントガラス越しに見えた。
 この場に戻ってきたら、自分を置いていったことに何か文句を言ってやろうと思っていたのだがもうどうでもいい。
 さっきが捨てられた犬の心境なら、今度のは迎えが来た犬の心境なのだろう。
 これって絶対だまされてるよね。 

 「お待たせ横島君・・・・・・話はついたわ」

 後部座席のドアを開け、平坦な口調で俺に手をさしだす美神さん。
 別に手を取って貰わなくても降りられるのだが、俺は素直に美神さんの手をとり後部座席を後にする。

 「ママ・・・・・・これからは若い二人の時間と言うことで、二時間くらいで済むと思うから、ママは仕事に勤しんで頂戴」

 「わかったわ」

 そういって隊長は小型の無線機を指し示す。
 まさか、オカルトGメンの仕事中に運転手をさせたのか美神さんは!
 ここから二人っきりになるということや、二時間という意味深な時間よりもそちらの方が驚きだった。

 「ありがとう。ママ」

 ここでようやくお礼をいい、後部座席のドアを閉めた。

 「さて、少し歩くけどいいかしら?」

 「え、いいッスけど、一体何処へ? って、ナニするんスかッ!!」

 突如バンダナをずらされ、視界を奪われた俺は驚きの声を発していた。
 美神さんは慌てて視界を取り戻そうとした俺の手を押さえ、耳元で悪戯っぽく囁く。
 
 「サプライズの演出。アンタ、暗闇でも見えちゃうんだもの」

 密着した体に抵抗の意思は奪われている。
 俺は美神さんに手を引かれるまま、サプライズが待つ空間へと足を踏み出した。





 006

 引かれる手を頼りに歩き出してから10分が経過していた。
 視界がないのを気遣ってくれているのか、歩くペースはいつもの美神さんより遅い。
 徐々に海の臭いが強くなっていることから、海に向かっているのはほぼ確実だろう。


 ―――サプライズって、海に突き落とすって訳じゃないよね? 

 
 過去何回かやられているだけに、洒落にならない想像が頭を持ち上げる。
 しかし、恋人の取ろうとしている行動に、こういう想像しちゃうっていうのも何かアレだよなぁ・・・・・・
 そんな美神さんに知れたら本当に突き落とされそうなことを考えていると、先程から無言で俺の手を引いていた美神さんが歩みを止めた。
 耳を澄ますと数メートル先から波止場にぶつかる微かな波の音が聞こえる。
 そして空気や音の流れを遮る巨大な質量が近くにある感覚。


 ―――船?・・・・・・それも、とても大きな


 目的地についたのか確認しようとした時、不意に両脇の下を手でまさぐられた。

 「! み、美神さん。ナニを急に」

 「しッ! 静かに。何も心配はいらないわ。力を抜いて・・・・・・」

 美神さんの言うとおりに力を抜くと、両脇に差し込まれた手が軽く愛撫するように胸、それから脇腹へと移動していく。
 何、何なの? 目隠ししてお触りって、美神さん、そういう趣味があったの?
 しかもやたらと積極的で・・・・・・
 突然のボディタッチに心臓の鼓動が隠せない程高まっている。
 俺の体をまさぐる手は、脇腹からお尻の方に移ろうとしていた。


 ―――ん? ちょっと待てよ俺


 両臀部をまさぐる手に、変な声を出しそうになっていた俺は、とてつもない違和感にようやく気付く。
 今現在、俺の右手は美神さんに引かれているよな?
 じゃあなんで俺のケツは左右から・・・・・・ヒッ!!
 両臀部から内もも―――しかも、さっき車内で触られたところよりももっと際どい部分へと手が伸びる。
 しかも左右同時に。
 ということは触っているのは美神さんじゃない!!
 空いてる方の左手で慌ててバンダナをずらすと、丁度俺の前で屈んだ屈強な黒人男性と目が合った。

 「!!!」

 咄嗟にあげそうになった叫び声は、右手に生じた激痛によって止められていた。

 「落ち着きなさいな・・・・・・」

 落ち着けと言われて落ち着けるような状況ではなかったが、車に押し込まれたときと同じ痛みが身動きを禁じている。
 視線を右手に落とすと、ほんの少し手の甲に爪が食い込んでいるくらい。
 ホント、この人、何者なのよ。

 「これから行く場所で私たちが"おいた"しないか、ボディチェックを受けているのだから・・・・・・」

 冷静になって見てみると、美神さんもチャイナドレスのお姉さんにボディチェックを受けている。
 俺もあっちの人が良かったなどと思ったのがばれたのか、右手に食い込んだ爪の痛みが当社比1.5倍に増量した。

 「どう? サプライズになったかしら?」

 「クッ・・・・・・美神さんのやることにビックリです」

 全身を絡め取る苦痛をはねのけてでも突っ込まずにはいられなかった。
 だからこれから行く場所ってどこなのよ?
 どう考えたってこの人たちマトモじゃないでしょ!
 周囲を見回すと、船に乗り込むタラップにどう考えても堅気じゃない男たちが数人。
 うち何人かは確実に人を殺したことのあるヤツの目だよ!!
 しかも、何で明かり消しているのよこの船。
 見た目は豪華客船でも、絶対マトモじゃないよね?
 そして、アンタ、マトモじゃないって知ってて俺をここに連れてきたんだよね!?
 俺の非難めいた視線にも美神さんは何処吹く風。
 そうこうしているうちに太ももまさぐる手が膝、足首を経過し、ようやくボディチェックが終了する。
 美神さんの方も終了したのか、ふいに右手に食い込む爪の縛めが消失した。

 「こんなコトやって楽しいッスか?」

 「ええ、とっても・・・・・・」

 ジト目で睨んだが、美神さんには全く通じていない。
 それどころか更にとんでもないことを口にする。 

 「色々と横島君で妄想できて楽しめたわ」

 「妄想って・・・・・・言うに事欠いてナニ言ってんスか」

 「聞きたい? 目隠しされた横島君が、抵抗も空しく屈強な男たちに・・・・・・」

 「スイマセン。全力で謝りますから、その妄想は胸の中にしまっておいて下さい」

 もう気分は無条件降伏だった。
 妄想は俺の専売特許だった筈なのに、まさかこうもあっさり立場が逆転するとは。

 「わかったわ・・・・・・さて、それでは気を取り直して、楽しい夜を過ごしましょう!」

 美神さんはこう宣言すると、俺を引きずるように颯爽と船に乗り込んでいく。
 タラップを渡り、見張り役のリーダーらしき男が船内への扉を開けると、眩く光る絢爛豪華な空間が俺たちを迎え入れていた。

 「な、なんなんすか? ここは?」

 「わからない? 多分予想がつくと思うんだけど・・・・・・」

 「予想はつきますけど、一応確認のためッス」

 俺は微かな期待を込めて美神さんの答えを待った。
 周囲を見回すと、ルーレット台やスロットマシーンなど、どうみても日本国内で置くのを憚られるような機材が設置されている。
 まさかいくら美神さんでも、初デートの場所にカジノ―――それも非合法なカジノを選ぶとは信じたくなかった。

 「安心して。ここはごく普通のマフィアが経営していた地下カジノだから・・・・・・」

 ああ、やっぱり・・・・・・
 初デートに対する夢がガラガラと崩れていく。
 隊長同伴の道行きっていう時点で半壊していたけど、完全に止めが刺さったって感じだ。
 しかも『していた』って何で過去形?
 今の経営母体は違うの?

 「安心する要素がどこにもないんスけど・・・・・・それにデートコースにカジノって」

 「なんで? ある意味大人の夢と魔法の国じゃない」

 「そんな夢と魔法の国はいやッス!」

 「あら、それならもっと早くいってくれればいいのに、でも、もう遅いわね」

 美神さんの言葉と同時に起こった、微かな揺れと張り巡らされる結界の感覚。
 揺れはこの船の出航を、結界はこの船が外界と断絶されたことを意味している。
 多分、警察を始めとする敵対組織の乱入防止といったとこだろう。
 俺はこの船が一種の治外法権と化したことを理解した。

 「ということで、諦めなさい。横島君」

 美神さんはこういうと、俺の手を握ったままチップ交換所に赴く。
 その足取りには一切の迷いはなく、俺はだんだんとこの状況を受け入れる気に―――はならなかった。

 「な、何してんスか、美神さん!!」

 ハンドバッグから無造作に、大粒の精霊石を取りだした美神さんに俺は声を荒げた。  
 どう見ても億は下らない大きさ。

 「何って、チップ買わなきゃ遊べないじゃない。持っていたキャッシュはこの船に乗るのに使っちゃったし」

 だからって何で大事な仕事道具を売っちゃうのよ!
 借金まみれで大変な中、仕事をする上でどうしても必要だから手元に残したんでしょ!
 負債を全部返済して、事務所を取り戻すってのはどうしたのよ!!
 俺の至極真っ当な突っ込みは、ほんの僅かに増した右手を包む力に止められていた。
 俺の抗議を止めたのは爪の痛みではない。
 ただ、信じて欲しいとばかりに握られた、手のひらの感触だった。 

 「大丈夫だって! 私がギャンブルに強いって知ってるでしょ? 大船にのった気持ちで黙ってついてらっしゃい」

 「・・・・・・・・・・・・」

 美神さんの言葉を信じた訳じゃなかったが、俺はそれっきり黙って美神さんについていく。
 諦めというか、達観の心境だった。
 俺の予想したとおり、確かに美神さんのギャンブル運は大船だった―――それもタイタニック並の。
 最初に遊んだルーレットでものの見事に撃沈。
 最初の頃は負け続ける確率計算なんかをしてたけど、すぐに暗算じゃ無理な桁になってしまった。
 二分の一の確率が一度もあたらないまま、1億円分のチップがあっという間に消え去っていく。
 かなり熱くなっているのか、交換所を通さず席についたまま精霊石をチップに変え、それもまたすぐに失ってしまう。
 続いて参加したポーカーでも、その次のバカラでも・・・・・・ありとあらゆるギャンブルに挑戦し惨敗。
 そしてとうとう、最後の精霊石を残すのみとなってしまっていた。

 「美神さん。少し頭を冷やしませんか?」

 俺がこういった瞬間、繋いだ美神さんの手から緊張が伝わってきた。
 ギャンブルに負け、どんなに熱くなっている風を装っても汗ばむことのなかった手のひらが湿っている。
 俺は美神さんが負け始めてすぐに、今回の負けを美神さんが最初から受け入れていることに気付いていた。

 「その方がいいみたいね・・・・・・横島君。甲板にでてもいいかしら?」

 「美神さんが行きたいのなら・・・・・・」

 俺はこの日初めて、自分から美神さんの手を握り返す。
 多分、これから行く場所が、今日の本当の目的地なのだろう。
 甲板へ続くドアの前に立った美神さんは、ほんの・・・ほんの僅かだけ躊躇いつつ、ドアへと手をかける。
 船外の照明を落としているせいか、甲板の上空には一面の星空が広がっていた。

 「今日は星が綺麗ね・・・・・・」

 手すりによりかかり、美神さんは夜空を見上げている。


 ―――今日は星が綺麗


 今日でない星空を美神さんは何時、誰と見たのだろう。

 「あれがデネブ、アルタイル、ベガ・・・・・・もう少し目が慣れてくればもっと見えるのだけれど」

 「そろそろ教えてくれませんか?」

 俺の問いかけに、美神さんはそっと空を指さしていた手を降ろした。
 聞きたいのは夏の星座についてではなかった。

 「美神さん。美神さんは、前にこの船に乗ったことがあるんですね?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・そしてその時に何かがあった。教えて下さい。一体、この場所で何があったんですか?」

 「変なところに鋭いわね。でもハズレ。この場所じゃないわ。私はこの船に乗るのは初めてだもの・・・・・・そう。少なくともこの船には」

 この船に初めて乗る?
 嘘だ。迷い無く船内を闊歩する美神さんの姿は、どう考えてもこの船の構造を知っている人間のそれだった。

 「宇宙のタマゴって言えばわかるかしら?」

 耳にした言葉に心拍数が跳ね上がった。
 宇宙のタマゴ―――コスモプロセッサの為に作られた無限の可能性を持つ擬似的な平行世界。
 あの地獄の様な日々の中、美神さんは宇宙のタマゴの中に囚われていた。
 現実世界にいた俺たちにとっては刹那の間だが、美神さんにとっては二月にも及ぶもう一つの世界での生活。
 美神さんは、その中で見せた一瞬の隙をつかれアシュタロスに魂の結晶を奪われている。
 その世界で何があったのか、美神さんは一度も口にしたことがなかった。

 「・・・・・・まさか、ここが?」

 声が喉に張り付くようだった。
 御椎名が口にした提案を受け入れた時、美神さんはただ『魂の結晶を奪われたのは私の責任です』と謝罪しただけだった。
 そして、一切の弁解・・・・・・いや、説明すらしないまま、美神さんは全ての資産を手放し賠償に当てている。

 「ええ、宇宙のタマゴの中。私はこの船で魂の結晶を奪われた・・・・・・下衆な男に欺されてね」

 美神さんはここまで言うと、船に乗ってから初めて俺の手を離した。
 まるで、そこから俺に感情が伝わるのを防ぐかのように。

 「美神さん。話したくなければ無理に・・・・・・」

 「聞いて欲しいのよ。今夜はそのために来たのだから」

 その言葉から、俺は今夜のデートが単なる思いつきでないことを理解した。
 美神さんは俺に宇宙のタマゴの中で起こったことを話そうとしている。
 そしてそれは今後の俺たちにとって避けてはならないことらしい。

 「今でも、いつ宇宙のタマゴに囚われたのかはわからないわ。でも、パピリオの家出は確かにあったから、それから間もなくのことだと思う・・・・・・多分、あの下衆が私も前に現れた時じゃないかしら」

 美神さんが下衆と呼んだ男に覚えはなかった。
 財閥の御曹司として生まれ、ルックス、教養ともに非の打ち所のない―――アシュタロスに瓜二つだった男。
 そういう設定で作られた男が、核ジャック事件として処理された南極の戦いの後に姿を現し、美神さんと距離を縮めていったらしい。
 隊長を苦しめていたベスパの毒が消えたこと、チャンネルの遮断による眠りからヒャクメが目覚めたこと、徐々にGSの仕事が増え元の生活に戻っていったこと。
 美神さんの口から次々と隙を作る理由が語られていく。
 そして、その男との初めてのデートの時、その男に心を許した美神さんは魂の結晶を・・・・・・


 ―――おかしい。そんなの美神さんらしくない


 説明を聞いていた俺の胸に疑問が湧き上がった。
 美神さんがそんな漫画に出て来るような二枚目に心を許しただと。
 嘘だ。そんな二枚目もたちどころに自分のペースに巻き込み、間抜けな三枚目にしちまうのが美神さんじゃなかったのか。
 それに何だよ。アシュタロスに瓜二つって。
 何でそんな見るからに怪しいヤツに引っかかってるんだよ!
 いや、これは疑問なんかじゃない。
 ただの嫉妬だ。
 容易く心を奪われた美神さんに対する醜い嫉妬。
 美神さんと手を離していて良かった。
 繋いでいたら、今の俺の情けない反応を美神さんに知られてしまう。 

 「ま、いいか・・・・・・そう思っちゃったのよね。だって、その時の横島君にはあの娘がいたし」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「今だから気付けるけど、私、アンタのことが好きだったのよ。他の娘に取られたのがショックで、見え見えの手に引っかかっちゃうくらいにね。だから、魂の結晶を奪われたのは全部私のせい」

 衝撃的な告白だった。
 美神さんが俺のことを好きでいてくれた。
 一昔前の俺ならばとても信じられなかっただろう。
 だが、今ならば全て理解できた。
 クソッ・・・・・・嫉妬なんてマジで格好悪いな俺。

 「だから美神さんは御椎名の提案を・・・・・・」

 「そうね。借金まみれの一生になったくらいじゃ、あんな存在になってしまったあの娘と釣り合いはとれないけど」

 「そんなことはありませんよ」

 自分でも驚くくらい静かな声だった。
 俺とアイツの関係は自分でもまだ良くわからない。
 しかし、死に別れるよりは何倍もマシな関係だった。 

 「あの時、あの場所にいたみんなが、御椎名の提案を受け入れてくれたから、俺はまだアイツと会うことができるんです。アイツはまだ俺のことを許してはくれていないけど、俺はずっとアイツと共に生きていける・・・・・・それに、美神さんはそんな俺をアイツ込みで好きだと言ってくれた。とても感謝しています」

 「本当に?」

 「ええ・・・・・・」

 俺の答えを聞き、美神さんはようやく緊張から抜け出せたようだった。
 甲板に出てからの堅さが徐々に解けていく。

 「ひょっとして、この間、俺に勉強を教えてくれたのもそれを気にしてのことですか?」

 「もう私が横島君にあげられるものってそれくらいしかないから・・・・・・見たでしょ。さっきの私の運の無さ。今の私って、六道家の協力がなくちゃ貧乏神に憑かれちゃうくらい運気が逆転してるから」

 「マジっすか!?」

 じゃあ、何でギャンブルなんかやるのよ!!
 あんだけの精霊石があれば、借金の残りも大分減るでしょ! 

 「冗談じゃこんなこと言えないわよ。だから今は、多少の不運を実力ではじき返せる仕事しか受けていないし・・・・・・それでもタマモの時みたいにバナナの皮とか踏んじゃうけどね。ねえ。私の負債総額知りたい?」 

 美神さんがそっと耳打ちした金額に卒倒しそうになった。
 無理。仕事の難易度をセーブしたGSの収入じゃ絶対に無理。
 というか、なんでそんな借金背負って平気なのよ!?

 「このままじゃ無理ッスよ。いっそ貧乏神を取り付かせて祓った方が・・・・・・あ」

 自分で言いかけたアイデアの穴に気付き絶句する。
 貧乏神が出題する選択で赤貧を選ぶという攻略法は、既に知っている俺や美神さんには無効だった。
 いや、それなら、同じ条件で俺と同じ行動をとるような大馬鹿に助けを・・・・・・

 「いやよ!」

 俺がそう言いそうになった気配を察したのか、美神さんが声を荒げた。

 「他の人間に助けを求めるのは嫌。私は横島君以外の男に人生を預ける気はないの。横島君以外の男が私の人生に影響を及ぼすなんて虫酸が奔る」

 部屋でシャーペンの芯を突きつけられた時の目だった。
 本気で愛されているのは実感できるけど、重い。重すぎる。
 さっき隊長が『しかるべき相手には全体重をゆだねる』って言ってたけど、一体、体重何キロなのよ?
 ひょっとしてフトールに呪われてる?

 「ね。だから、もし、横島君が卒業後、私を手伝ってくれる気だったのならやめた方がいいわ」

 「え?」

 驚くほどの優しい目だった。

 「GSになるとしても、私の元じゃダメ。横島君の可能性を潰してしまう・・・・・・そして、別な仕事を選んでも一緒にいることはできるのだから、横島君が別な進路を目指すというのなら、私が勉強を教えてあげる。落ちぶれちゃった私でも、それくらいはしてあげられるから・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「厳密に言えば毒舌や折檻でいじめてあげることもできるけど」

 「それはいりません」

 「他にも、私の肉体というものもあるのだけど・・・・・・それもいらない?」

 「え・・・・・・いや、その」

 いらないとは言えないよな。
 しかし、今、この場面でそれが欲しいというのも違う気が・・・・・・

 「けれど、私は宇宙のタマゴの中で下衆な男に欺されたことがある。横島君があの男のように豹変するとは思っていないけど、正直言って、怖いわ。トラウマなんて洒落た言葉を使うつもりもないし、そこまで軟弱なつもりはない。ただ、私は今、横島君を失うのが怖い・・・・・・だから、少しだけそれは待って欲しい」

 こんな告白に答えられる言葉は持ち合わせてはいなかった。
 ただ、俺は美神さんを驚かさないようそっと手を握る。
 今はこれだけで充分だった。

 「・・・・・・横島君も知ってのとおり、私はここまで追いつめられないと自分の気持ちに素直になれない難儀な性格で、かなりの回り道をしたあげく落ちぶれちゃったけど、でも、難儀な性格だったからこそ横島君と知り合えたのなら、それをちゃらにしちゃってもいいと思うの。落ちぶれたからこそ横島君の気を引けたというのなら、それで良かったと思うの。それくらい私は横島君に参ってしまっている」

 少なくとも。
 一つだけわかったことがある。
 美神さんはそうとう頭が良いし、常軌を逸して計算高い方だけど、こと恋愛方面に関しては戦闘能力ゼロだ。
 完全にゼロだ。
 俺と付き合うきっかけとなった、タマモ騒動ときのやり取りにおいても顕著だったが、とにかく猪突猛進とうか、自分の持ち札を全部晒して相手に決断を委ねるような、ある種の恫喝外交みたいな方法論を、惚れた腫れたの微妙な関係内で、使うべきだと思ったのだろうか?
 情緒もへったくれもありゃしない。
 そんな迫り方をしたら、百人中九十九人までが間違いなく引く。
 それこそ怖いよ。
 そんなの恋愛ベタな俺だってわかるぞ・・・・・・
 まあ、俺が九十九人を除いた残りの一人だと見抜いた上での戦略なのだとしたら、そりゃもう、帽子を脱ぐしかないのだけれど―――
 ヤバイ。
 ものすごく萌える。
 洒落にならないくらい。

 「ねえ横島君」

 美神さんが平坦に言う。

 「私のこと。好き?」

 「好きですよ」

 「私も好きよ。横島君のこと」

 「うれしいッス」

 「私のどういうところが好き?」

 「全部好きッス。好きじゃないところはありません」

 「そう。嬉しいわ」

 「美神さんは、俺のどういうところが好きなんです?」

 「優しいところ。あけすけなところ。私が困っているときにはいつだって駆けつけてくれる王子さまみたいなところ」

 「それじゃ、これからもずっと助けなきゃいけませんね」

 「え?」

 俺は握った美神さんの手に更に力を加えた。

 「高校卒業したら、もう一度事務所をやりなおしましょう。知ってるでしょ? 俺はいい女の為なら赤貧を選ぶ大馬鹿野郎なんです」

 この言葉に美神さんをじっと目を閉じ、強い力で俺の手を握りかえしてきた。

 「そう言えば・・・・・・」

 何かを決心した様子で目を開く。

 「今日はあの忌々しい思い出を乗り越えるために、わざわざこんな所まで来たのだったわね」

 「えーっと、まだ何か?」

 「キスをします」

 美神さんは照れも衒いもまるで滲ませず言った。
 怖い。怖いよ、美神さん。

 「違うわね。こうじゃないわ。キスを・・・・・・キスをして・・・・・・いただけませんか? キスをし・・・・・・したらどうな・・・・・・です・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 「キスをしましょう、横島君」

 「最終的にそう落ち着きますか」

 妥当と言えば妥当なところだった。
 らしいと言えば、これ以上なくらしい。
 こうして、今日は忘れられない日になった。
 俺たちと―――



























 ―――カジノ船を壊滅させられた組織にとって


 

 ピピッ

 「あ、ママ? こっちの用はもう済んだわ。突入を待ってくれてありがとう」

 キスの余韻もさめやらぬ中、美神さんは取りだした無線機に応答した。
 どうやら相手は隊長らしい。 

 「へ? 突入って?」

 「ああ、このカジノ船、今晩、手入れされるらしいから、仕事を手伝う条件で突入を待って貰ったのよ」

 「なんでオカGが? カジノ船なら普通警察でしょ!?」

 「マフィアを乗っ取ったカルト教団が所有する船に、普通の警備しかいない筈はないでしょ! 先ずは結界から壊すわよ!」

 美神さんが最後の精霊石を叩きつけると、甲板の下で膨大なエネルギーが膨れあがった。
 はは・・・・・・この為に色んなテーブルで精霊石をスッたのね。
 連鎖爆発した精霊石のエネルギーが結界を吹き飛ばし、周囲は突入を待つヘリコプターの爆音に包まれる。

 「後は厄介そうな敵から倒していけばいいのよね」

 美神さんは一体、何処に隠していたのか神通棍をとりだしジャキリと霊力を漲らせていた。
 うわ。最初から鞭状ですか・・・・・・なにかいいことでもありました?

 「さて、横島君。早速だけど助けてちょうだい。今回の仕事、歩合給だからなるべく沢山倒しておきたいのよ」

 「はいはい」

 「"はい"は3回よ。横島君!」

 「はいはいはい!」

 俺は自棄気味に笑うと、霊波刀を手に妙にハイテンションな美神さんを追いかける。
 前言撤回。
 こっちの方が遙かに俺たちらしい。
 不思議と悪い気はしなかった。 



 後編に続く
今年最初の投稿です。
最後まで書ききれなかったので、前編、後編に分けさせてもらいました。
一応、今回はTV版の最終回まで。
これからリアルが過労死モードになりますので、後編は4月以降になると思います。
それではご意見・ご感想いただければ幸いです。

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