室内は、無慈悲な静寂に包まれている。
聞こえてくるのは、置き時計の秒針の音、窓を打つ雨音、そして溜息。
「はぁ。」
溜息が、また一つ増えた。
溜息の主、野上 葵は、外に広がる雨空に負けないくらいの、どんよりとした空気を纏いながら、
リビングのテーブルに突っ伏している。
その視線の先には、書き置きが3枚。
『急に、研究開発部のヘルプを頼まれたから行ってくる。食事は適当に済ませてくれ。経費で落としてかまわないよ。 皆本』
『ちさとちゃんと東野のデートを監視してくる。戦果に期待してなよ。 薫』
『賢木先生と打ち合わせがあるから。ごめんね。 紫穂』
「・・・無情やな〜。」
葵は突っ伏したまま、3枚の書き置きを指先でつまんだ。
「そりゃ、昨日の任務はウチが一番キツかったから、気ィ使うてくれたのかもしれへんけど。
そうは言うても、やっぱり一声かけてほしかったわ〜。」
言いながら、つまんだ3枚の書き置きをひらひらとゆすった。
ぴらぴらとか細い音が、頼りなさげに聞こえてくる。
昨日の任務は、高速道路のトンネル内での多重事故の救助であった。
ひしゃげて大破した車の中には運転手とその同乗者が多数取り残されていたが、無理に周囲の物を動かせば
命に関わる事から考え出されたのが、葵のテレポートによって、車の残骸から被害者をそのままの状態で
救助するというものであった。
救助作業は半日に渡って続き、帰宅したのは日付が変わった頃になっていた。
八面六臂の活躍を見せた葵は、心地よい充足感と多大な疲労感を抱いて眠りについたのだが、
日曜の昼を過ぎてから目覚めた葵を待っていたのが、誰もいない部屋と、3枚の書き置きだったというわけである。
「はぁ〜ぁ。これからどないしよ〜。特に予定も無いし、外は雨やし。
せやけど、このままゴロゴロするのももったいないしな〜。」
葵は、背伸びをした勢いで声をあげた。広い室内に、声が吸い込まれていく。
「しゃーない。ゲームでもしよか。。。」
ぽつりと呟くと、葵はゲーム機を取り出して、おもむろにゲームを始める。
しばし、誰もいない部屋にゲームのBGMだけが響き、時折、葵の舌打ちや独り言がそれに混ざって聞こえてくる。
「1人でやってもつまらんわ〜。やめよ。。。」
ものの10分と経たずに葵は、ゲーム機のコントローラーを放り出して、そのまま仰向けに寝転がった。
部屋に再び静寂が戻る。聞こえてくるのは、相変わらず置き時計の秒針の音と、窓を打つ雨音だけ。
「、、、やっぱし、けっこう広いんやな、この部屋。」
葵は、仰向けのまま、誰もいないリビングを見渡しながらつぶやいた。
皆本が「ザ・チルドレン」の主任となってから、早3年と少し。
いつしか、いつもこの部屋に4人でいる事が当たり前のようになっていた。
体の成長に伴って、最近では4人で住むには少々手狭だと感じていたが、こうしてたった1人でいると、
あらためて部屋の広さを感じ、葵は少し寂しさを覚えた。
「あ〜、あかんあかん。一人でおっても、余計寂しくなるだけや。外行こ。ここにいるよりかは、なんぼかマシやろ。」
葵は2、3度かぶりを振ると、急いで着替えを済ませて飛び出すように家を出た。
外に出てみると雨足は思ったほど強くはなかったが、それでも日曜日の午後にしては人通りは少ないほうだった。
いつもの通学路をゆったりとした足取りで歩いていた葵は、ふと1軒の喫茶店の前で立ち止まった。
ドアには『Rollin' Over』と、店の名が書かれた小さい板の看板が立てかけられている。
任務の無い日には、クラスメイト達とたまに入る喫茶店。しかし、1人の時に見るその風景は、どこか違って見えた。
「入ってみよか。」
葵は何気なくつぶやくと、ドアを押して中に入った。
カラン、と控えめなベルの音が、客の来訪を告げる。
カウンターの向こうには、口の周りに髭を蓄えた男が立っていた。
「いらっしゃいませ。」
この店の主人は、柔和な笑みを浮かべて、葵を迎えた。
「ご覧の有様ですから。お好きな席にどうぞ。」
そう言われて店内を見渡すと、客が1人もいなかった。なるほど、ご覧の有様と呼びたくなるような状況だった。
葵は、店の奥にある、小ぢんまりとした2人掛けの席に腰を下ろした。
しばらくメニューと睨み合いをしていた葵は、「すみません」と主人を呼んだ。
「ミルクティーをお願いします。」
主人は、かしこまりました、と言うと、またカウンターの向こうに行った。
再び静寂が訪れた。仕方なく葵は、注文した品が出てくるまでずっと窓の外を見ていた。
右から左、左から右に行き過ぎる雨傘の行列は、途絶えることなく続いていく。
やがて、
「お待たせしました。」
ぼんやり窓の外を見ていた葵の頭上から、主人の声がかけられた。
テーブルの上を見ると、注文したミルクティーと、頼んだ覚えがない一切れのケーキ。
「あの、これ頼んでませんけど?」
葵はいぶかしがってたずねた。
「サービスですよ。こんな日に、可憐なお嬢さんがせっかくいらして下さったんですから。遠慮なさらずにどうぞ。」
主人は、ミルクティーを淹れた器材の後片付けをしながら言った。
「そうですか。そんなら遠慮なく頂きます。」
葵は、「可憐なお嬢さん」という主人の言葉に気をよくしながら答えた。
葵がテーブルの上に並べられた品を口に運び始めると、店の中は、控えめな音量のBGMと、食器同士が触れ合う音だけになった。
※※※※※※※※※
「お嬢さん、よくお友達とうちに来ていませんか?元気の良い子とか、落ち着いた雰囲気の子なんかと一緒に。」
ケーキとミルクティーが残り少なくなった頃、主人がおもむろに口を開いた。
「あー、覚えててくれはったんですね。まあ、あの2人はインパクトありますから。」
葵はそう言って苦笑した。
「いやいや、そんな事ないですよ。お嬢さんだって、十分インパクトがあります。クラスじゃ男子の人気者でしょう。」
「いややわ〜。中学一年生をおだてても、何にも出てきませんよ。」
葵は、火照った頬を両手で抑え、体をくねらせた。
「へえ、中学一年生ですか。随分落ち着いた雰囲気だから、失礼ですけど高校生だと思っていましたよ。」
主人が驚きの声をあげた。
「ウチ、まだ13です。そんなに老けてます?まあ、あの2人の面倒を見てたら、そうなるのもしゃーないかも。」
葵は、頬に手を当てたまま天井を見上げて言った。
「そうですか。ところで、そのお友達は好きですか?」
主人は、優しい笑みを浮かべて言った。
「へ?ま、まあ好き、、、です。ちっさい頃からの付き合いですし、何でも言い合える仲やと思ってます。
あの2人がおらんかったら、正直ウチはやっていけませんわ。あはは。」
葵は、唐突に投げかけられた問いに慌てながら答えた。
「いい事ですね。どんな時でも、お友達は大事にしてくださいね。1人ぼっちの人生ほど、寂しいものはありませんから。」
主人は、視線を窓の外に向けて、寂しそうにつぶやいた。
「何かあったんですか?聞いたらあかんような気もしますけど。」
葵は、恐る恐るたずねてみた。
「いえね、息子がそうだったんですよ。」
主人は、葵の方を向いて静かに語りだした。
「息子はエスパーでしてね。エスパーといっても、大した力は持っていませんでしたが。
それでも、子供の頃は友達思いの優しい子だったんですよ。ですが、年を取るにつれてだんだん自分を
特別な存在だと思い始めたんです。」
葵は、黙って続きを待っている。
「息子の友達は、息子がエスパーという事を知っていて付き合ってくれていたんですが、
そういう友達とも、だんだん疎遠になっていきまして。
とうとう、息子の周りには誰もいなくなってしまいました。
それどころか、親である私や妻とも口をきかなくなりましてね。自分の部屋に篭ってしまい、
何をしているのかさっぱり分からなくなってしまいました。」
主人は一息ついて、また語りだした。
「ある日、息子が部屋から出てきたと思ったら、家を出て行くと言うんです。
家を出て何をするんだと聞いたら、ノーマルをこの世界から排除して、エスパーだけの世界を作る、と。
私も妻も必死になって止めましたが、何を言っても聞きませんでした。
それからぷっつりと連絡が途絶えてしまい、息子がどこで何をやっているのか、全く分からないまま
何年も過ぎてしまいました。」
「それで結局、息子さんは見つかったんですか?」
葵がたずねた。
「ある日、警察から連絡が来まして。何の事か分からずに行ってみたら、そこで、死んだ息子と対面しました。
息子は家を出た後、同じような考え方を持った連中と、過激派の真似事をしていたようなんです。
それで、ノーマルの反エスパー団体と抗争の挙句、ひどい死に方をしました。
息子がなぜそんな考え方になってしまったのか、未だにわかりません。」
主人は、いつのまにか椅子に腰を下ろしていた。
「そうやったんですか。すみません、変な事聞いて。」
葵は俯いてしまった。
「いいえ。私が勝手に喋ってしまったんですから。気にしないでください。
息子も、お嬢さん達のような人がもっと傍にいれば、真っ直ぐな子のままだったかもしれません。
今となっては、もう遅いですが。」
主人は、再び視線を窓の外に向けた。
「それで、さっき友達が好きかって聞いたんですか。
、、、あの、もう1つ聞いてもええですか?店長さんは、エスパーは嫌いですか?」
葵は、ゆっくりと主人のほうを向いた。
「息子が出て行った直後は、そう思った事もありました。
超能力さえ無ければ、息子は優しい子のままだったかもしれないのにと。
しかし、エスパーでも友達や家族に恵まれて、胸を張って真っ直ぐ生きている人もいます。
ノーマルでも、人の道を踏み外して、真っ当な生き方ができない人もいます。
要は、その人の心根の問題で、息子をそういう風にしか育てられなかった私に、全ての責任があるのです。
ですから今は、エスパーとかノーマルとか、そういった事は全く気にしていませんよ。」
主人は、葵に向かって微笑んだ。
「そうですか。ありがとうございます。」
葵も、主人に向かって、にっこりと微笑んだ。
と、その時、葵の携帯電話が鳴った。
「皆本はんか。帰ってきたんやな。もしもし。」
『葵、今どこにいるんだ?家に帰ったら誰もいなくて。』
「ヒマ過ぎて死にそうやったから、外に出てブラブラしとるわ。もうちょいで帰るから、心配せんといて。」
『そうか、わかった。暗くならないうちに帰ってくるんだぞ。知らない所には行くなよ。歩いて帰ってこいよ。』
「わかってるって。今デート中やから、もう切るで。ほな。」
『デート?デートって、誰とだ。葵、おい、、、』プッ
皆本が喋り続ける最中、葵は無下に電話を切った。
「いいんですか?親御さんでしょう?」
「ええんです。ウチの事、よう分かってくれてはりますから。」
葵は、携帯をバッグに仕舞いながら、主人に答えた。
窓の外を見ると、いつの間にか雨は上がり、そこから見える景色は鮮やかなオレンジ色に染まっていた。
「ほな、そろそろ失礼します。あんまり心配させるのも可哀そうやし。」
葵は、レシートを掴むとレジに向かった。
「また来てくださいね。」
「ええ、また来ます。今度は友達も一緒に。」
葵は、主人と短い挨拶を交わして店を出た。
帰りの道すがら、主人の言葉が、葵の脳裏に浮かぶ。
(1人ぼっちの人生ほど、寂しいものはありませんよ。)
「そうやな。けど、ウチは1人ぼっちとちゃう。今は、ぎょうさん仲間がおるんや。」
葵は、軽やかな気分で夕焼けに染まった町をすり抜け、家路についた。
Lazy Sunday Afternoon 終
Please don't use this texts&images without permission of Black Dog.