美神さんがアパートに越してきてから3日が過ぎていた。
その間、劇的に変わると思われた俺の生活は、予想に大きく反し凪のように穏やかに推移している。
借金返済のための仕事が立て込んでいるらしく、引っ越しの日以来美神さんとは会えていない。
たまに部屋には帰っているようだが、健全な学生&バイト生活を送っている俺と昼夜逆転の美神さんとでは行動時間が一致しないようだった。
「というか、着信拒否してないか? あの人・・・・・・」
学校から直接バイト先に向かいながら、俺は溜息混じりに未着信の携帯に視線を落とす。
引っ越し初日に新しいメアドと番号を教えて貰ったものの、美神さんからかかってくる気配は皆無だった。
この3日間で何通かメールを送ったが、最初に送ったメアド確認のメール以外は見事なまでにスルーされている。
忙しいのは分かるけど、自分から告白しておいてこの放置っぷりはどうなのよ?
まさか1回もデートしないうちから、倦怠期の夫婦みたいな愚痴が脳裏をよぎるとは思いもしなかった。
高校生のシフトは早めに上がれるように設定されているとはいえ、これからバイトを終わらせて帰ればアパートに付くのは10時を過ぎる。
今、美神さん車無いから、とっくに除霊に行っちゃっているんだよなぁ・・・・・・
まあ、会って何話すって事もないけど、ナニの方向への期待はどうしてもしちゃう訳だし。
王道とも言える生殺しの状態には慣れっことは言え、もうちょっと何かあってもいい気がするんだけどね。
それもかなり強く・・・・・・
そんな悶々とした気配をようやく察してくれたのか、ポケットにしまいかけた携帯がけたたましく鳴る。
液晶を確認すると、そこには美神令子と表示されていた。
「あ、横島クン? 私、令子だけど・・・・・・今、時間大丈夫?」
急いで通話を始めると、美神さんの声が携帯から聞こえてくる。
ヤバイ。当たり前のことなのになんか異常に嬉しい。
放置プレイってこんな感じなのか?
「あ、はい。平気ッスけど」
さっき液晶に表示されていた時間だと、バイト開始までは多少の余裕があった。
「その様子じゃ、まだバイト先じゃないみたいね・・・・・・ねえ。今日、バイト休めないかしら?」
「へ? 何で、また、急に・・・・・・なんかあったんスか? 困ったことがあるんなら無理にでも抜けさせてもらいますけど」
「ふふ・・・・・・嬉しいわ。ありがとう。でも、今日はそんなのじゃないの・・・・・・どちらかというと、困っているのは横島クンじゃない?」
「? な、何のことです?」
「ごめんなさいね。本当なら年上の私が気付いてあげなきゃいけないのに・・・・・・私、これからアパートに戻るの。除霊に出かける夜までの間だけど」
囁くような声を聞いた途端、心拍数が跳ね上がった気がした。
アパートに戻る。年上の自分が気付く。それって、ひょっとして・・・・・・
「私から言うようなことじゃ無いかもしれないけど、時間がないから思い切っていうわね。それまでに、横島クンに教えてあげたいの・・・・・・だめ?」
「速攻で帰ります! 色々と教えて下さい!!」
そこから先はフル回転だった。
美神さんとの通話を終わらせた俺は、速攻でバイト先へと連絡を入れる。
体調不良に学校の試験、いざとなったら親類の不幸。
これでもかと言い訳のネタを店長にまくし立て、何とか休みをとることに成功した俺は一目散にアパートを目指す。
若干後ろめたい気もするが、そんなことはこれから体験することに比べれば実に些末な問題だった。
――― 他物語 ―――
第2話 シロwolf
001
アパートにはおよそ15分で着いていた。
先ずは自分の部屋に駆け込み、下着の交換等下心満載の身支度を手早くすませる。
そして一日千秋の思いで美神さんの帰りを待っていると、すぐに帰宅した彼女は快く俺を自分の部屋へと迎え入れてくれた。
旅行鞄と簡素な衣装タンス、折りたたみ式の卓袱台しかない部屋に足を踏み入れる。
6畳一間に小さなシンク。
俺の部屋と間取りは同じだったが、部屋に満ちる美神さんの匂いが安アパートの雰囲気を打ち消していた。
美神さんに促されるまま卓袱台の反対側に腰を下ろす。
所在なく周囲を見回しながら出された紅茶に口をつけると、破裂寸前だった胸の鼓動が落ち着いて行くのを感じた。
ガチガチだった体に多少柔らかさが戻る。
そんな俺を見て優しく笑う美神さん。
そうか。過度の緊張は失敗の元だと言うしな。
俺は肩の力を抜き、余計な見栄を張らずに美神さんのリードに身を任せることにする。
そう。自然な流れに身を任せればいいんだ。
部屋には若い男女が2人きり。そしてその2人は恋人同士。
ならばその後の流れは決まっている。
「・・・・・・それなのに。何で俺は勉強なんかをしているのだろう?」
「え? バカだからじゃないの?」
10分後
ふと我に返った俺の呟きに、美神さんの冷静な突っ込みが入った。
卓袱台の上には学校に置きっぱなしにしていた筈の教科書が広げられている。
当然、学校から持ってきたのは、目の前で俺に勉強を教えているこの人だった。
「全く。驚いたのを通り越して呆れたわよ。卒業がかかった試験が来週からあるって言うのにバイトなんて入れちゃって・・・・・・」
美神さんの助手時代にも気にせずシフトを入れていたのだが黙っておく。
何でも唐巣神父の所に寄った際、美神さんはピートの話題から試験のことを知ったらしい。
そこから後の美神さんの行動は迅速だった。
学校に赴き、担任から俺の出席日数と試験で失敗しなければ卒業という状況を確認。
そして何人かの教科担当から『このままでは失敗確実』という情報を聞きつけた美神さんは、勉強道具一式を持ち帰り冒頭のような行動に出たというのだった。
何やってんだよ教員たち。個人情報だだ漏れじゃねーか!
「しかし、勉強を教えるって難しいものなのねえ・・・・・・」
会話により途切れた集中に、美神さんが大きく伸びをする。
勉強を開始してからの10分で、『分かりません』を連発したせいかその言葉には呆れのニュアンスが多分に含まれていた。
「勉強という言葉が含まれているイベントで苦労することなんて、これまで私の人生になかったから、横島クンが何に悩んでいるのか、何に行き詰まっているのかが、ちっともわからないわ・・・・・・横島クンが何がわからないのかがわからないのよ」
「そうッスか・・・・・・」
凹むことをサラリというなぁ・・・・・・
この人と俺の脳みそにどれだけの差があるんだろう。
美神さん学歴的には高卒だけど、単にGSになるから進学しなかっただけだし。
「わからない振りをして、ウケを狙っているんじゃないかとすら思うわ」
「どんな捨て身ッスか・・・・・・でも、美神さんだって、生まれつき何でも知っていたって訳じゃないでしょう? 学生時代にはそれなりに努力していたんじゃ・・・・・・」
「努力している人間がそれを意識すると思うの?」
「さいですか・・・・・・」
悔しいがぐうの音も出ない。
この人、一見ぐーたらだけど、一流と言われるGSになってからもちゃんと努力していたからなぁ。
「あ、でも、誤解しないでね。努力が全く実を結ばないどころか、努力する術を知らない横島クンのような人間のこと、ちゃんと哀れんではいるのよ」
「勝手に哀れまないでください!」
「ちゃんと儚んではいるのよ」
ぐ、突っ込みを入れると、形容が更に酷くなるルールなのか。
これでは迂闊に泣きを入れることもできない。
「でもまあ、暗記科目に限って言えば、赤点をとらない方法はあるのよ。脳のトレーニング以外の意味はないから、本当ならあんまり勧めたくはないのだけれどね。要するに横島クンは赤点をとらなければいいのだから、ボーダーを平均の半分として、教師が絶対に出さなくてはならない問題に重点を絞って・・・・・・って、横島クン私の言っていること理解できているかしら?」
「まあ、一応は・・・・・・」
「それじゃ、現代文や何で3年で選択しちゃったか理解に苦しむ数学については明日考えるとして、先ずは簡単な世界史を重点的にいくわよ」
「世界史って簡単なんスか?」
「簡単でしょ。重要語句を全部覚えればいいんだから」
「・・・・・・・・・・・・」
「言ったとおり、今回の横島クンにはテストで点をとる以上のことは求めないわ。でもね、横島クン。今回のテストは私が今から協力すれば多分クリアできるけど、これからの事、一体、どういう風に考えているの?」
「これからのこと?」
「卒業後の進路よ」
目の奥を真っ直ぐに覗き込まれた俺は、思わず視線を逸らしてしまっていた。
GS有資格者になった1年前なら、胸を張って美神事務所への就職を口にしていたことだろう。
しかし、その後訪れた地獄の様な日々の中で、俺はアイツと運命共同体とも言える魔族のなり損ないとなり、美神さんもまた美神事務所を失っている。
情けないことに、俺は美神さんの問いにマジで答えることはできなかった。
「はは・・・・・・なんかウチのオカンみたいですね」
「何言っているの? 恋人じゃない」
うわ。踏み込んでくるなぁ。
俺も人のこと言えないけど、この人も人間関係の距離感が独特だよな。
基本、敵か下僕かだったし・・・・・・
「まあ、いいわ。今すぐ無理に決める必要もないしね・・・・・・でも、卒業したらどうする? 同棲でもする?」
「ど、同棲って!!」
「そうすれば横島クンが卒業後どうしようと、今より一緒にいる時間は増えるでしょ。それとも嫌なの?」
「とと、とんでもない! したいです。そりゃもう是非」
「あらそう」
そう言うと、美神さんは俺の世界史の教科書に黙々と蛍光ペンを引き始める。
俺なんてどうしても目先のやるやらないに意識が行っちゃうけど、美神さんはその先のことまで考えてくれているんだ。
こういう所は女の人ってスゲエって素直に思う。
「ところで、知っている? 横島クン」
「なんスか? 世界史の問題とかだったらまだ心の準備が・・・・・・」
「私、男と別れたことがないのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
うおい!!
なんかサラッと凄いこと言っていないか?
ちょっと聞いただけだと、凄く引く手あまたないい女みたいに聞こえるけど、その実、男性経験がないと堂々と宣言しただけじゃないか。
「だから・・・・・・」
美神さんは俺の沈黙も意に介さずと言った具合に更に先を続けた。
「横島クンとも別れる気はないわよ」
教科書にラインを引く手は止まらない。
表情も無表情。
全く・・・・・・アピールの仕方がわからないのはお互い様ってことなのか。
丁稚を酷使するための色仕掛けはしていたクセに、ホント、こういう時の距離の取り方がずれているって言うか不器用なんだよな。
急に勉強を教えてくれる気になったのも、なんか意味があるんだろうか?
「はは・・・・・・光栄ですけど、何で今、そんなことを?」
「なんかあんまり楽しそうに見えないから・・・・・・」
コラコラ!
今までの俺を見ていりゃわかるだろうに。
アッチの方の期待に胸膨らませていたのに、お勉強会でしたみたいなオチで楽しい訳ないっしょ!
何か言い返そうと口を開いたが、出かかった悪態は続く美神さんの言葉にあっさりと止められるのだった。
「横島クンは、この男と別れたことのないゴージャスボディに惹かれたんだから、お勉強会なんか退屈よね」
「ゴージャスボディて・・・・・・」
真顔でなに言ってんだよこの人は!
たしかに丁稚奉公を始めたきっかけはその通りなんだけどさ。
というか他に言い方なかったのか?
「なに? 違うというの?」
「いや、そういう訳じゃ・・・・・・すんごく魅力的ですけど、そんな言い方されると身体目当てで付き合っているみたいじゃないですか」
「そう。身体目当てではないの・・・・・・」
美神さんは手に持った教科書から視線を離さず、とぼけた風にこう続けた。
「それなら、しばらくは我慢できるわよね」
「・・・・・・・・・・・・」
これが言いたかっただけなのだろうか?
だとすれば、美神さんらしくもないずいぶん遠回しな物言いだな。
まあ、俺の煩悩に対する牽制だってのはわかるけど・・・・・・
人間関係に不器用。
俺との関係に慎重。
多分、そんな所なんだろうな。
ならばそれにも付き合ってやろうじゃないか。
付き合うということが未だに良くわからないのは確かだが、アイツとの経験が生かせないようなら俺はダメ男過ぎる。
「さて、それじゃ、そろそろ世界史の問題を出して貰いましょうか! どんな所が出るんです? 明日から試験終了までバイト休みますから、ガンガン教えて下さい!!」
俺はそれまでの会話を打ち切るように試験勉強の再開を宣言した。
どうせ付き合うのなら、美神令子の全てに付き合おう。
それが今の俺の、嘘偽りのない気持ちだった。
002
翌日
学校の帰り道。
なんとかバイトを継続して休むことに成功した俺は、店長への挨拶のついでに購入したドーナツを手に、アイツが保護されている廃墟への道を急いでいた。
前回アイツに霊力を注いだのが5日前。
そろそろ霊力補給が必要な頃合いだけに、本格的な試験対策を始める前に、どうしてもアイツに霊力を与えておかなくてはならない。
バイト先から廃墟を経由してアパートに帰るには圧倒的に自転車が便利なのだが、自転車通学禁止というエコ時代に逆行しているとしか思えない校則を律儀に守っているおかげで軽いジョギングをする羽目になっていた。
まあ、いいけどね。
魔族のなり損ないになってからは、以前よりも身体能力が向上しているみたいだし。
タッ、タッ、タッと、軽快なリズムを刻みつつ走っていると、前方に町を散策中のタマモの姿を発見した。
「うおっと!」
すぐにスピードを緩め電柱の影に隠れる。
十数メートル先を行くナインテールは振り向く素振りを見せていない。
そういえば今日から午後にも練習をするって言ってたっけ。
しかし、偶然会っただけでこんなに嬉しいなんて、どうしちゃったんだろう俺?
携帯で時間を確認すると、美神さんとの約束の時間まであと小一時間。
御椎名との無駄話を手短にしても時間的にはギリギリだよな。
まあ、時間が無いから仕方がない、今日の所は追い抜き際に軽く挨拶するくらいにしておこう。
軽く肩をたたき『よ! 順調そうだな。がんばれよ!』と声をかける。
向こうは初めてこの時間帯の町を歩いて緊張している訳だし、このくらいが丁度いいのではないだろうか。
時節柄誤解を招くような行為は慎まないといけないしね。
俺はロリコンじゃないから大丈夫だけど。
よし。
じゃぁ、後ろからそーっと近づいて・・・・・・
「タッマモーっ!! 調子良さそうじゃないか、この!」
そっと後ろから近づいて、がばっと抱きついた。
「きゃーっ!?」
悲鳴をあげるタマモ。
しかし構わず、俺はタマモの矮躯を握り潰さんばかりに全力で抱きしめ、彼女の頬に頬摺りを繰り返す。
「はははは、可愛いなぁ、可愛いなぁ! もっと触らせろもっと抱きつかせろ! パンツみちゃうぞ、このこのこの!」
「きゃーっ! きゃーっ! きゃーっ!」
タマモは大声で悲鳴をあげ続け、
「がうっ!」
と、俺に噛みついてきた。
「がうっ、がうっ、がうっ!」
「痛ぇ! 何すんだコイツ!!」
痛いのも。
何すんだコイツも俺だった。
「しゃーっ! ふしゅーっ!」
三箇所ほど噛まれることで俺は正気を取り戻したが、タマモはしばらくの間、スーパーサイヤ人よろしくその金髪を逆立て、野性味たっぷりの威嚇の声を出し続けた。
まあ、当然だろう。
「だ、大丈夫、大丈夫。敵じゃないぞ」
「しゃーっ! しゃーっ!」
「ほら、落ち着いて、ゆっくりと呼吸して」
「ふしゅーっ! ふしゅーつ!」
「・・・・・・・・・・・・」
女華姫みたいな呼吸音だな。
というか、ここで登場して以来、まだちゃんとした日本語を話してないぞ。
「俺だ。よく見ろ。近所の気のいいお兄さんで有名な・・・・・・この間、迷える子狐だったお前を導いてあげた・・・・・・」
「ん・・・・・・ああ・・・・・・」
ここでタマモの左右の目が、ついに俺を認識したようだった。
逆立っていた髪の毛が、ようやくもとの状態に戻っていく。
「邪・・・・・・」
「人のことを邪悪なセクハラ野郎のように呼ぶな。俺の名は横島だ!」
「実際にセクハラしたじゃない」
え? 『失礼。噛みました』じゃないの?
期待していたのとは違う反応だったが、今回に限っていえば、"邪"呼ばわりされたのも、噛まれたのも、全て俺に原因があるような気がしていた。
なんかタマモに会えたのが嬉しくって感情の押さえが効かなかった。
暴走してしまった。
タマモの【魅了】は大丈夫の筈なのに・・・・・・
俺って妹属性に弱いのだろうか?
「ひょっとして、妖力漏れていた?」
不機嫌そうな中に見え隠れする不安の表情。
【魅了】が暴走するのを押さえる練習中に抱きつけば不安にもなるか。
うーん。考え無しに抱きつくのも自重しなきゃな。
いくら俺がロリコンじゃなくても今のは問題だった。
うん。ここは素直に反省しつつも、タマモの不安を解消してやらなくては。
「いや、全然! 全くもって問題なし。どこからどう見てもごく普通の小学生だったぞ」
「それじゃぁ何で? ロリコンって噂は本当だったの!?」
「う、噂?」
「うん。幼女と見れば見境なく口説き落とし、頭を撫でたり、笑いかけたりするだけで攻略して・・・・・・」
「ちょ! ス、ストップ!! なんか色々とマズイ!! 誰だッ! そんな悪質なデマを流すのはっ!!」
「え? あの、御椎名って人だけど・・・・・・」
「御椎名の野郎・・・・・・って言うか、なんでタマモがアイツと?」
「この間、町を歩いている時に声をかけられたのよ・・・・・・君が横島ハーレムの新メンバーか。って」
「そんなモノは無い!! ったく、あの野郎とは、一度ゆっくり話をつける必要があるな・・・・・・」
手土産に購入したドーナツが急に惜しくなってきた。
あ、いや、アイツにあげる分ではなく、御椎名の分だけ惜しくなったという意味だけどね。
しかし、御椎名が街の様子を見に時々廃墟を抜け出していることは知っていたけど、タマモに会ったのは絶対に偶然じゃないよな。
元々何しにこの街に来たのか分からない風来坊だけど、ホント、謎が多すぎる。
「あれ? そう言えばドーナツなんて持ってるけど、もうバイトの帰りなの?」
俺の視線を追ったタマモが、めざとく袋の中のドーナツを見つけていた。
そのドーナツ屋でバイトをしていることは、出会った日のやり取りの中で既に話題となっている。
というか、東京に向かう道中、美神さんに近況を色々と聞かれただけだけど・・・・・・
「いや、来週試験があるからバイトはしばらく休んだ。これはその挨拶に行ったついでに買っただけ」
「ふうん・・・・・・試験対策の為にバイトを休むなんて、見かけによらず真面目なのね」
「見かけによらずって・・・・・・お前の目には一体俺はどんな風に写っているんだ?」
「うーん。試験対策とか日々の努力とか全く考えないで、いざとなれば教師に土下座でもして卒業させてもらっちゃおうってタイプ?」
ぎくっ!
何で出会ったばかりの小学生キャラにそこまで見抜かれなきゃならんのよ。
それに、タマモと出会った時って、俺、結構2枚目だったと思うんだけど・・・・・・
それとも、これも妖狐の力なのかね?
ヘタな男を掴まないように、男の価値を計るスカウターみたいな力が備わっていたりして。
「ははは、俺がそんなちゃらんぽらんな学生生活をするとでも? 学校のテストなんか脳のトレーニング以外の意味はないから、教師が絶対に出さなくてはならない問題に重点を絞れば・・・・・・」
「成る程。美神さんね・・・・・・色香に欺されてバイトを休んでみたら、実は勉強会だったというオチかしら」
「ぎっくう!! な、なぜソレを・・・・・・ひょっとして見てたのか?」
美神さんから聞きかじりのテスト攻略法を口にしようとしていただけに、もしそうならばもの凄く恥ずかしい。
取り乱した俺の姿にクスリと笑うと、タマモは誇らしげに胸を張りつつ俺の顔を指さした。
「見ていなくても分かるわよ。だって顔にそう書いてあるもの」
「え、ウソっ!?」
「ベタなリアクションねえ・・・・・・顔をゴシゴシこすらないの、本当に書いてある訳ないでしょ!」
ベタでいいじゃんかよ。
お前とどーでもいいグダグダした会話をするのが楽しいんだから。
俺、一人っ子だから分からないけど、ちょっとマセた妹との会話ってこんな感じなんだろうな。
「あんたが”あけすけ”だって言っただけよ。そこまで分かりやすいと、美神さんが横島を気に入ったのも分かる気がするわ」
「はは、そうなのか? 俺は未だに分からなくて狐につままれた気がするんだが・・・・・・」
いや、ホント。マジで。
「私はつまんでなんかいないわよ。逆に私に言わせれば、アンタがおキヌちゃんとでなく、美神さんと付き合っている方が分からないわ」
「おキヌちゃん? はは、無いわ」
やっぱマセた事を言うようでも子供だな。
凄く狭い世界で人間関係を考えている。
おキヌちゃんは本物の善人。
あんな良い子が俺と付き合う訳無いって。
「どうしてよ? アンタ、まさかおキヌちゃんの事が嫌いなの!?」
「まさか! 俺は今まで何度もおキヌちゃんに救われているんだ、それこそ、精神的にも物質的にも。あんな良い子を嫌いになる訳がないだろう! 出会えただけで奇跡みたいなものなのに嫌うなんてとんでもない!! 俺は世界中の誰よりも、おキヌちゃんのことを良い子だと思っているだから」
「・・・・・・・・・・・・良い子ね」
アレ?
誤解を全力で否定した筈なのに、なんで可哀想な人を見るような目を向けられているのだろう。
まさか、顔に全く違うことが書いてあった?
いかん。あらぬ誤解を作らないように、ここは丁寧に人間関係を説明した方がいいのだろうか。
「いいか。俺にとって、大切にしたいのはおキヌちゃん。好きなのは美神さん。一緒に死・・・・・・・・・・・・こほん。一緒に喋っていて楽しいのはお前かな」
一緒に死ぬと決めている女。
ついアイツのことを口にしそうになった俺は、誤魔化すようにタマモの頭をくしゃりと撫でる。
進んで話すようなことじゃないし、タマモと話していて楽しいのは本当だしね。
「な、ナニ調子の良いこといってるのよ! 馬鹿みたい!!」
「痛ッ!」
脛に奔った激痛に思わずその場にうずくまる。
えーっと、誤魔化したのがばれたのか?
顔真っ赤にして脛を蹴飛ばしてきたし。
半ば不死身とは言え、こういう命に関わらない地味な痛みは持続するんだよなぁ。
「いや、話していて楽しいのは本当だって! 言い直したのはタマモが知っても仕方が・・・・・・あれ? おーい。タマモー」
猛烈な勢いで走り去る後ろ姿に声をかけたが、俺の声は聞こえない様だった。
どうやらタマモは散歩を切り上げ、元美神事務所へ戻るらしい。
しかし、良いフォームだな。
スピードはシロより少し遅いくらいか?
でも、シロの体格は中学生並だし、小学生の体格であれだけ走れればほぼ互角ってとこか。
タマモの姿が完全に見えなくなるまで、俺はその後ろ姿を見送っていた。
003
「しかし、いきなり蹴るなんて・・・・・・そんなに怒るようなことか?」
タマモの後ろ姿を見えなくなるまで見送ってから、俺は脛のダメージを確認しつつ首を傾げる。
蹴られるようなことを言った覚えは無かった。
一般的には核ジャック事件として収まっているあの地獄のような日々の真相など、当事者ではないタマモが聞いたって仕方がないことだろう。
それに、一応の決着をしているとは言え、自分から進んであの事件を話す気にもなれない。
「うわ。思ったより時間がかかっちゃったな・・・・・・」
携帯で時間を確認したところ、アイツに霊力を与えてからアパートに戻るのにはギリギリのタイミングだった。
まだ少し足が痛んだが、気にする程のことではない。
俺は再び軽快な足音を立てつつ廃墟への道を急ぐ。
そんな俺に人影が襲いかかったのは、いくつ目かの十字路を越えてすぐのことだった。
「うおっ!」
襲いかかられた瞬間、何事か叫ばれたようだったが衝突のダメージがその記憶を吹き飛ばしていた。
軽自動車に衝突されたようなタックルを受け、地面へと押し倒される。
人型。銀髪赤メッシュ。腰に差した脇差。
瞬時に得た情報が、ぶつかったのは軽自動車ではなく人間だと物語っていた。
着地の衝撃を予想し慌てて頭部を腕で包むようにガードしていたのだが、謎の襲撃者は俺のガードをあっさりと外し首筋というか顔面をあらわにする。
マズイ。いくら半不死身でも、首を斬られるのはヤバすぎる。
何とか逃げようと顔を背けるが間に合わなかった。
というか、直後に聞こえた襲撃者の声が、俺に回避の必要性を忘れさせていた。
「横島センセー。久しぶりでござるーっ!!」
「ぐわっ! いきなり人をなめ回すんじゃ・・・・・・」
猛烈なペロペロ攻撃に発言を諦める。
だって、口元とかもお構いなしになめるんだもんなコイツ。
もう、キスとか気にする範疇を遙かに超えてるから、不思議とドキドキはしないんだけど・・・・・・
視界の端でパタパタ動く尻尾を見ながら、俺は黙って襲撃者―――犬塚シロの再会の挨拶を受け入れることにする。
俺の顔面には、唾液以外に大粒の涙も降り注いでいたのだった。
「・・・・・・落ち着いたか?」
たっぷり1分半、シロの言う所のスキンシップに付き合った俺は、息継ぎのために身体を起こしたシロに話しかけた。
体勢は相変わらず俺に跨ったままだったが、ちぎれんばかりに振られていた尻尾はもうすっかり落ち着きをとりもどしている。
「へへ・・・・・・あんまり先生が昔のままだったので、つい嬉しくってはしゃいでしまったでござる」
自分でも涙を流していることに気付いたのか、シロは袖と裾をザックリ落としたトレーナーをたくし上げゴシゴシと涙を拭く。
下から見上げる体勢のため締まったウエストとスポーツブラが丸見えだったが、ビックリするくらい色気を感じなかった。
まあ、コイツはタマモと同じく妹みたいなものなのだから、感じたら逆に問題なんだけどね。
俺、ロリコンじゃないし。
「はしゃぐのはいいけど、うれションなんかするんじゃねーぞ」
ワザと突き放したことを言うと、顔を拭き終わったシロは不機嫌そうに頬をぷうと膨らませた。
そして歯をむき出しにしてプルプルと震え出す。
うん。泣き顔よりもマシな表情だ。
「うーっ・・・・・・・・・プリチーな乙女になんてコト言うでござるかーつ!!」
拗ねたような表情と共に、鋭い犬歯が俺に迫ってくる。
防御した右腕にカプリとやられたが、いつものおふざけだった。
ふざけた甘噛みを数回受けた後に、俺が叱ればいつもの笑顔を・・・・・・
あれ? なんか噛む力が徐々に強くなってきてるんだけど。
「ちょ、マジ痛い! やめてやめてやめて!!!」
マジで痛かった。
甘噛みなんかじゃねえ。
しかも、コイツ目がイッてないか?
骨が折れるレベルの圧搾に本気で危機を感じた俺は、空いている左手でシロの耳を引っ張り大声でどなりつけた。
「痛てえって言ってんだろうが! 保健所に送るぞコラ!!」
「はっ!!」
血走ったシロ目に正気の光が戻り、腕を襲っていた圧搾が消失した。
うげ、犬歯が皮膚を破ってんじゃねえか・・・・・・
これくらいの傷ならすぐに治るけど、今の噛み癖は問題だよな。
キョトンとしたシロの目から傷口を隠しつつ、キツイ目で睨む。
自分でも悪いことをした事に気付いたのか、シロは尻尾を丸め、さも申し訳なさそうに俯くのだった。
「失礼・・・・・・噛みました」
お前が使うのかよ!
可愛いから許すけど・・・・・・というか、元ネタ知らない人には何のことか分からないだろうからあっさり流すけど、今のは絶対わざとだよな。
「なにか、先生の腕を噛んだ瞬間に、こう、クラッと・・・・・・うう・・・・・・先生の腕が妙に美味しく感じられて」
わざとじゃない!!
ナニ。怖い。
肉食の本能が絶賛暴走中?
再び正気を失いそうになるシロに緊張が張り詰めたが、その張り詰めた空気は派手に鳴った腹の音にあっさりと打ち砕かれる。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「クラッとじゃなく、グゥ―――っとだろ?」
「はは、面目ない・・・・・・」
「昼飯、食ってないのか?」
「昼と言うか、里を出てからずっと・・・・・・」
ただの空腹かよ。
ギャグマンガなら、俺の顔がマンガ肉に見えていたことだろう。
全く、仕方ねえなぁ・・・・・・
手に持った箱入りのドーナッツに視線を落とす。
中身は10個。少しくらいシロに食わしても罰はあたらんよな。
少なくとも御椎名の分が無くなっても文句は言わさない。
「しゃあねえ。コレやるからついてこい」
俺はシロを自分の上から退かすと、近くの公園へと視線を向けた。
「息するのも忘れるなよ」
公園のベンチに腰掛け、一心不乱にドーナツをパクつくシロにペットボトルの紅茶を差し出す。
丁度オールドファッション系のドーナツを喉に詰まらせかけていたシロは、受け取ったペットボトルの中身を半ばまで一気に飲み干した。
箱の中をチラリと覗くと、俺が数メートル離れた自販機で紅茶を買っている間に5個が姿を消している。
こりゃアイツの分も危ないかな・・・・・・人狼の里から飲まず食わずでここまで来たみたいだし、すげー腹減ってたんだろうな。
まあ、牛丼奪おうと道行く人を襲わなかっただけ、コイツも成長したということにしておこう。
「ぷはっ! 一瞬忘れていたでござるよ」
「オールドファッション系は飲み物ないとキツイからな。落ち着いて食えよ」
「心得たでござる!」
頼もしい返事と共に更に2個がシロの胃に収まる。
今日の訪問は土産なし決定だな。
「美味いか?」
「目眩がするほど・・・・・・しかし、先生がドーナツとは珍しいでござるな」
「ん? ああ、今、俺、そこでバイトしているから」
何気なく口にした近況に、8個目へと伸ばしたシロの手が止まった。
「せ、先生。今・・・、何と?」
やや青白い表情。
あー・・・そういえば、あの時シロは人狼の里に帰っていたんだよなぁ。
俺が魔族のなり損ないになり、美神事務所が潰れることとなった地獄の様な日々をどう説明したものか・・・・・・
「み、美神殿に何があったんでござるか・・・・・・?」
良い勘してるな。
ま、俺が自分の意志で美神事務所を辞めるなんて、当時を知っているコイツには想像もできないだろうし。
「うーん。結論から言うと美神さんは元気。ピンピンしているというよりか、前以上にツンデレに磨きがかかって・・・・・・いや、あれはツンデレなんてレベルじゃないな。ツンドラ? まあ、いろいろあって、今は俺のアパートに部屋を借りて暮らしているよ」
「へ?」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情。
そりゃそうだろう。
サイコメトラーでも無い限り、今の説明で理解できるわけがない。
尤もサイコメトラーだって展開をぶち壊す程の真相は何故か読めないけどね。
とりあえず俺の半魔族化には触れない範囲で、シロには美神事務所が解散したことを説明しないとな。
シロは美神事務所と無関係という訳ではないのだから。
「何から話したものかな・・・・・・核ジャック事件って少し前にあっただろ? あれは実は・・・・・・・・・」
俺は言葉を選びつつ、あの地獄の様な日々について語り始める。
死に場所を探していた魔神が引き起こした、誰も幸せにならないバッドエンドの物語。
しかし、その物語にはどうやら続きがあるらしい。
「・・・・・・と、いう訳で美神事務所は潰れ、美神さんは失踪してたんだけど、この間、九尾の狐の除霊を依頼された美神さんを偶然TVで見かけてな。困ってたみたいなんで助けに行ったら、美神さんもこの街に戻る気になったみたいで、これから事務所再建にむけて頑張るってことになったんだ」
「はは・・・・・・」
長い説明の後、シロは拍子抜けしたような笑いを発していた。
「やっぱり先生はすごいでござるな・・・・・・」
「んな大したことやってないよ。タマモ―――その九尾の狐もイイ奴だったし」
「止して下され、そんな謙遜をされると、拙者、かえって惨めになるで・・・・・・クッ」
「オイッ! どうしたッ!?」
突然ふらついたシロの体を慌てて支える。
膝の上に乗せられていたドーナツの箱は辛うじてシロの上に留まった。
「いや、急に気分が・・・・・・しかし、心配無用。拙者、こういう時にはお腹いっぱい食べると治るでござるよ」
「お腹いっぱいって・・・・・・お前」
俺の心配を他所に、シロは残りのドーナツを紅茶で流し込むように平らげてから、小さなゲップを一つ漏らした。
その姿は紛れもなく以前のシロのもので、俺の心に芽生えた心配はすっかり影をひそめてしまう。
「それでは拙者の用は済んだ故、これにて失礼するでござる」
「ん? 何だ? 用って・・・・・・」
「はは、気にせんで下され。それではドーナツおいしゅうございました。拙者、先生に会えて本当に嬉しかったでござるよ」
俺の返事を待たずにシロは風のように走り去っていく。
その腰で揺れる、背後に隠すように差した脇差に違和感があったものの、先程口にしていた用事のことと合わせシロを追いかける気にはならなかった。
不吉な予感に携帯に落とした視線が、現在の時刻を読み取っている。
美神さんとの約束の時間まであと僅か。アイツの所に寄っていたのでは絶対に間に合わない。
というか、寄らなくても間に合わないかも。
どんだけシロと話していたんだよ俺。
まあ、久しぶりだし、じゃれついてきたりして可愛らしいヤツだしな。
はあ・・・・・・手土産のドーナツもなくなったことだし、後で出直しだな。
勉強会の途中で抜け出させて貰い、自転車で往復すれば1時間くらいで済むだろう。
そんなことを考えながら、俺は割と必死にアパートへの道を走り始めた。
004
自分の部屋に辿り着いた時、約束の時間は既に30秒程過ぎていた。
速攻で着替えをすませ、筆記具を手に美神さんの部屋のドアをノックすると、入室を許可するいつもの声が返ってきた。
「すみません。少し遅れちゃって・・・・・・」
ドアの鍵はかかっていなかった。
軽く謝罪しつつドアを開くと、六畳間に設置された卓袱台の前で美神さんが座っている。
表情は至って普通。
良かった。このくらいの遅れはセーフらしい。
ホッと胸を撫で下ろしつつ美神さんの部屋にお邪魔する。
卓袱台を挟み向かい合うように座ると、美神さんは軽く身を乗り出し「スン」と一度だけ鼻を鳴らした。
「3人・・・・・・」
「な、何のことです?」
「ここ1時間で、横島君が会話した私以外の女の数よ」
「え?」
瞬間で、美神さんの目つきが剣呑なものへ変化した。
俺が発言の真意を反芻する時間すら与えず、卓袱台の上を膝立ちの姿勢で乗り越える形で、美神さんの右手がもの凄いスピードで伸びてきた。
その手には冷たい光を放つ金属製のシャーペンが握られている。
反射神経が咄嗟の回避を命じたが、俺の後頭部を抱えるように固定した美神さんの左手によってその動きは封じられた。
シャーペンの先端は眼球ギリギリ―――まばたきすら許さない程の距離でピタリと制止している。
多分、一度シャーペンをノックすれば伸びた芯が眼球に触れるだろう。
こうなると後頭部を抱えた左手は、俺が余計な動きをして手元が狂わないようにという、美神さんなりの配慮なのかもしれないと思わせる程の手際の良さだった。
「私を待たせておいて、他の女と喋っているなんてどういうつもりかしら? それも3人も」
え?
ちょ、ちょっと待て。
確かに遅れたのは学校帰りにタマモやシロと話をしたからだけど、3人・・・・・・って、まさかドーナツ屋のパートおばちゃんまで入ってるのかよっ!!
何から突っ込んでいいものやら、マジで嗅覚が鋭いの? それとも勘?
そして、まさかこんなに嫉妬深い人だったとは・・・・・・情が深いなんてレベルじゃねーぞ!
自分の知らないところで、自分以外の女と話しているだけでこんな仕打ちをされてしまうのか?
実際に浮気なんかしたら、美神さんから一体どんな目に合わされるのよ!?
しかし、こんな恐ろしい目に遭っているけど、これはこれである意味ラッキーだったのではないのだろうか?
十分に言い訳の余地がある今回のようなケースで、美神さんのこういう一面を知れて・・・・・・
うん。大丈夫。落ち着いてちゃんと事情を説明さえすれば、分かってくれるだろう。
「私、嘘をつかれるのも蚊帳の外にされるのも嫌いなのよ・・・・・・横島君って、怪我の回復、とても早いのだったわね。じゃあ、目玉の一つくらいならいいかしら?」
「やめてやめてやめて! 流石に眼球はマズイ! やましいところは何も無いッス! 俺は美神さん一筋ッス!!」
なんでこの人、こんなにヒトの心を折るのが得意なのよ。
落ち着いて事情を説明など絶対に無理。
それだけに咄嗟に出た言葉には、真実の響きが含まれていたのだろう。
「あらそう。気持ちいいことを言ってくれるわね」
美神さんは穏やかとも言える表情でスッとシャーペンを引き、くるりと指先で二回転ほどさせるとそのまま筆入れの中にしまう。
そして、散らかってしまった教科書や参考書をすまし顔で片付けるのを、俺はばくばくしたままの心臓を押さえながら見守るのだった。
「横島君が遅れたせいで、少し熱くなってしまったかも知れないわ。びっくりさせてしまったかしら?」
少しどころの話じゃない。
今の口調には多少冗談っぽいニュアンスが含まれているけど、さっき目玉云々の台詞にはマジで殺意が込められていた。
「びっくりなんて可愛らしいモンじゃないでしょ! アンタ、いつか人を殺すぞ」
「その時は横島君にするわ。初めての相手は横島君にする。横島君以外は選ばない。約束するわ」
「そんな物騒なことを、ナニいい台詞みたいに言ってんスか! 俺、美神さんのこと好きですけど、殺されてもいいとまでなんて思って無いッス!!」
「あら、殺したいくらい愛されて、愛する人に殺される。最高の死に方じゃないの」
「そんな歪んだ愛情は嫌だ!」
「そうなの? 残念ね。そして心外だわ。私は横島君にだったら―――」
「殺されてもいいっていうんですか?」
「・・・・・・・ん? え、あ、うんまあ」
「曖昧な返事だーっ!」
「うんまあ、それは、そうね、よくないけれども」
「そして曖昧なまま断ったーっ!」
「いいじゃない。納得しなさいよ。私が横島君を殺すということは、つまり横島君の臨終の際、一番そばにいるのがこの私ということになるのよ? ロマンチックじゃない」
「嫌だ、俺は誰に殺されるとしても、美神さんに殺されるのだけは嫌ッス。誰にどんな殺され方をされても美神さんに殺されるよりはマシな気がする」
「何よ、そんなの私が嫌よ。横島君が私以外の誰かに殺されたのなら、私はその犯人を殺すわ。約束なんか守るものですか」
「・・・・・・・・・・・・」
この人の愛情は、既に相当歪んでいる。
まあ、本当に愛されていることは実感できるけど・・・・・・
「ともあれ、遅刻の原因を教えてくれないかしら? やましいところが無かったら言えるわね」
危険な会話はそれまでとばかりに、美神さんは話をもとに戻す。
追求の手を緩める気は無いらしい。
俺は覚悟を決めて下校時の行動を話しはじめた。
「学校が終わって、約束の時間までまだあるから、アイツの所に寄って霊力補給しようとしたんですよ。ホラ、来週、試験で忙しくなると間が空き過ぎちゃうから。んで、手土産にドーナツ買って廃墟に向かったんですね。あ、多分、この時のパートのおばちゃんが一人目です。予定では間に合う筈だったんですけど、途中で、タマモに会って挨拶したり、突然現れたシロにジャレつかれてたりしたら時間が―――」
「シロ? なんであの子が?」
「さあ? なんか用事があったみたいですけど、もう済んだって・・・・・・まあ、腹を空かせたシロにドーナツ全部食われちゃったし、時間も無くなったのでアイツの所には寄らず、真っ直ぐこっちに来たという訳です。少し遅れちゃいましたが」
「そう・・・・・・それなら仕方ないわね」
あれ?
もう終わり?
「なんかシロとあったんですか?」
「どうして?」
「いや、なんかいつもと様子が違うから・・・・・・」
「気のせいよ。私はいつもどおり・・・・・・さあ、時間がもったいないわ。試験対策を始めましょう」
何か釈然としないものがあったが、目の前に差し出された対策ノートがこれ以上の会話を躊躇わせる。
1科目につきルーズリーフ数枚にまとめられた試験対策。
綺麗な字でかかれた重要語句や要点が、美神さんが俺のために費やしてくれた手間を窺わせた。
これに応えられないようなら俺はただの馬鹿だ。
俺は静かに感謝の言葉を口にしてから、美神さんの用意した課題に取り組み始めた。
時に質問し、時に出された出題に答えつつ、美神さんが精選した内容を頭に詰め込んでいく。
それは自分でも意外な程、煩悩に惑わされず学習に集中した時間だった。
ピピピピピ・・・・・・
アラームの音に時計に目をやると、既に時刻は七時を回ろうとしていた。
「さて、そろそろ休憩にしましょう。横島君、お腹すいたでしょ?」
美神さんが大きく伸びをしながら休憩を宣言した。
「そういや、そうッスね」
軽く腹を押さえると、確かに空腹を覚えている。
半魔族化してからは前ほどは腹も減らなくなったみたいだけど、やっぱ脳を使うと血糖の消費が激しいのだろうか?
「じゃあ、ご飯食べてきちゃいなさいよ。再開は1時間後ね」
晩ご飯作ってくれる展開じゃなかったのね・・・・・・
勉強これだけ見て貰って贅沢かもしれないけど、付き合っているっていうのなら手料理くらい食いたいよなぁ。
多少がっかりしつつも、極力ソレを表に出さぬよう席を立つ。
仕方がない。晩飯はドーナツにするとしよう。
バイト先経由でアイツの所に寄っても、自転車ならば1時間でお釣りが来る。
「んじゃ、俺。もう一度ドーナツ買って、アイツの所に寄ってきます」
「え? 今から?」
「ええ、試験が始まっちゃうとなかなか寄れなくなるし、忙しくなる土日に、休んだバイト先に顔を出すのはちょっと気まずいので・・・・・・」
本当はアイツを待たせているようで気になるからだった。
未だに口もきいてくれず、責めるような目で俺を見つめるだけの反応しかない。
だが、それでも最近は霊力補給の際に抵抗することは無くなった。
そして、あのGW以降、アイツは俺の差し入れるドーナツを口にしてくれている。
アイツが明日を生きてくれるから、俺もまた明日を生きて行ける。
アイツがもし明日死ぬというのなら、俺の命は明日まででいい。
これは美神さんと付き合うようになった今でも変わらない、俺の本心だった。
「そう・・・・・・約束の時間に間に合えばいいわ」
「チャリで行くから大丈夫っスよ。まだ殺されたくはないですから」
「遠慮しなくてもいいのに・・・・・・」
「全力で遠慮します! それじゃ、また後ほど!!」
あまり無駄話していると本当に間に合わなくなる。
俺は美神さんの部屋を急ぎ足で後にすると、愛用のマウンテンバイクの鍵を外し夜の街へとこぎ出し始める。
さほど高価な物ではないが、サスの性能はなかなかのものだった。
歩道の縁石を乗り降りしてもさほど衝撃を感じない。
今度、シロに散歩をせがまれたらコイツに乗ったまま引かせるのもいいか。
コイツならシロのアホみたいな牽引にも耐えるだろうし・・・・・・
そんな事を考えながら走っていたら、携帯にメールが着信した。
美神令子
Sub 無題
私はポンデリングとオールドファッションでいいわ
「土産の催促かよ!」
信号待ちの僅かな時間にメールを確認をした俺は、美神さんからのメールに空しい突っ込みを入れた。
まあ、自分の分も買うつもりだったからいいけど、それじゃ俺の分は向こうで食わずにアパートに戻ってからにするか。
信号が変わったこともあって、そのまま携帯をポケットにしまいペダルを踏む。
路駐が多い大きな道路を嫌って一本裏道に入った時、ソレは急に姿を現した。
「あぶねッ!」
跳び出してきた人影を避けるためにブレーキを咄嗟に握った。
ゴムパッドが立てる甲高い音と共に、ハンドルを握る手に前方に向かう慣性がのし掛かる。
前のめりに転ばないよう腕に力を込めたが、体重を支えるべき地面からの反作用は、澄んだ金属音と共に呆気なく消失した。
チン!
「ッ!!!」
階段を踏み外したときのように重心が消失する。
慌ててハンドルだったものを手放し、前回り受け身の要領で地面に着地したのは、半魔族化によって強化された視力と反射神経の賜だった。
すぐさま振り返り、倒れかかった自転車を自分と襲撃者の間に割り込ませる。
俺の動体視力は、今の現象が跳び出してきた人影が放った横薙ぎの一撃によるものだと見抜いていた。
――― ヤバイ!!
盾として掲げた自転車の、鋭利に切り取られたフレーム部分を見た瞬間、背筋に冷たいものが奔った。
襲撃者との対峙を避け、自転車を前方に放り出す。
立て続けに聞こえた金属音がその後の自転車の運命を現していたが、恥も外聞もなく逃走に移っていた俺は直接その光景を見ることはなかった。
明らかに俺を狙っていたが、街中で刃物を振り回すなんて相手はマトモじゃない。
俺は極力他人を巻き込まないよう、そして暗闇からの不意の襲撃を避けるよう、やや開けた駐車スペースに駆け込み周囲に視線を巡らせる。
ブロック塀の向こうから凄まじい殺気が感じられた。
――― やっぱり張り付かれていたか
敵の機動力は俺より上。
それに足音一つ立てやしない。
あのまま逃走を続けていたら、間違いなく背中から斬りつけられていたことだろう。
呼吸を整え、霊波刀を右手に出現させる。
不意さえつかれなければ、これで何とか渡り合えるだろう。
吹きつけてくる殺気に油断無く霊波刀を向ける。
待ちの姿勢になった俺に対しても、襲撃者の殺気は一向に衰える気配を見せなかった。
チッ。何が何でも俺を殺したいって訳か・・・・・・
一歩、二歩と襲撃者の気配が近寄ってきた。
おそらくあと数歩で、襲撃者は俺と対峙する位置に現れる。
襲撃者の初撃をかわし、霊波刀を敵の体に滑り込ませる動きをイメージする。
典型的な後の先の展開。
だが、その撃退のイメージは、襲撃者―――人狼の姿を認識した瞬間、呆気なく霧散した。
「!?」
一瞬の隙が襲撃者に攻撃の機会を与えていた。
鋭い踏み込みと共に、白刃の輝きが襲ってくる。
それも、一度の斬り込みで複数回。
「なっ!? チッ!!」
脇差のようなやや短い刃を、霊波刀で切り払う。
最初の6回までは何とか対応することができた。
しかし、7度目の攻撃が霊波刀を出現させている右腕を跳ね上げ、俺の胴をがら空きにする。
ほぼ同時に見舞われた8度目の攻撃が、俺の右鎖骨から左肋骨までを袈裟懸けに駆け抜けていった。
「グハッ!!」
衝撃に一瞬遅れ、大量の血しぶきが噴き出す。
痛みは限界を超えてしまっているのかそれほど感じなかった。
ただ、危機的状況に体がパニックを起こしかけている。
無様に地面を這いながら、その場を離れようと藻掻くがなかなか上手く進めなかった。
半魔族化の影響で出血は既に止まっていたが、アイツに霊力を与えたばかりの冗談みたいな回復力とはほど遠い。
このままダメージを与えられ続けば、すぐに限界が来てしまう。
――― ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ・・・・・・
必死に逃げようとするが、出血の影響か手足がもどかしいほど動かない。
しかし、周囲に充満していた殺気は不意にその気配を消していた。
それはもう、拍子抜けするくらい呆気なく。
「なん・・・・・・で?」
そのままだらしなく仰向けに倒れる。
周囲に人狼の姿はなかった。
大きく息を吐くと、濃厚な血の味を口腔内に感じた。
アドレナリンの効き目が薄れたのか、傷口に感じる痛みが普通の激痛に変貌しはじめる。
「横島君・・・・・・」
痛みに顔をしかめていると、上から声をかけられた。
周囲に飛び散った血しぶきにも動じない冷静な声。
見上げると、能面のように無表情な美神さんと目が合った。
「み、美神さん。どうしてここに?」
「恋人からのメールを無視した男がいたのでね・・・・・・追いかけて折檻しようと思ったのよ。そうしたら横島君の自転車がもの凄いことになっているじゃない」
おい!
アンタは散々俺のメール無視しただろ!!
本来なら突っ込みの一つも入れたい所だったが、命を救われたことと傷口に感じる激痛がそれを止めていた。
「それで、横島君は私のメールを無視してこんな所で何をやっているのかしら?」
「はは・・・・・・不審者に襲われてまして」
「あら、なかなか粋なことをしてくれるじゃない。犯人の顔は覚えている?」
一瞬のことなので犯人の顔は見ていない。
だが、人狼と八回の攻撃というキーワードが嫌でも過去の事件を思い出させていた。
そしてその事件は、昼間現れたシロと密接に関わっている。
「追いかけてお礼でもいうつもりですか?」
「何を言っているの? 恋人を殺されかけたのよ。追いかけて同じ目に遭わせるに決まっているじゃない」
冗談めいた口調とは裏腹に、本気を感じさせる眼差しだった。
「死んじゃいますって・・・・・・」
「何か問題ある? さっき、勉強中に話したことは本気よ。もし、横島君が私以外に殺されたのなら、私はその犯人を捜し出して殺すわ。それがたとえ誰であっても」
それはまるで自分に言い聞かせるような口ぶりだった。
部屋で聞いた時には軽口にしか感じなかったが、美神さんにとってはかなりの覚悟で言った台詞だったのだろう。
普通の恋人どうしなら重すぎるのだろうが、アイツと俺、そして美神さんの関係を考えると不思議と胸に染みる台詞だった。
「このくらいの傷じゃ俺は死にませんよ。それに、残念ながら一瞬のことで犯人の姿は見ていません」
前半は本当。後半は嘘だった。
気休めのように口にした言葉に、美神さんの口から小さな、本当に小さな安堵のため息が漏れる。
「本当ね?」
「俺は嘘はつきませんよ」
「そう。私はつくわよ・・・・・・さっきも嘘ついたし」
え?
さんざん口にしておいて犯人殺すって嘘なの?
それじゃ、俺が気を遣った意味が―――
「私、シロに会っているのよ。横島君が助けに来てくれる前日。那須高原の山中で」
「え?」
「タマモを封印する依頼を受けたのをどこで聞きつけたのか、シロが急に現れてね。独りじゃ大変だろうから手伝うって・・・・・・」
「まさか・・・・・・」
嫌な予感がじわじわと湧き上がってくる。
あの時、加勢を申し出た俺に美神さんがとった態度は・・・・・・
「ええ、拒絶したわ。横島君の時と同じように・・・・・・アナタの力はいらない。アナタは私の役に立たないって」
「・・・・・・・・・・・・」
昼間シロが見せた反応の意味がようやく理解できていた。
仲間だと思っていた美神さんからの拒絶。
シロはその真意を探ろうと、この街に姿を現したのだった。
「何で・・・・・・そんなことを?」
「仕方ないじゃない・・・・・・あの時の私は、全て捨てるつもりだったのだから」
この事について美神さんを責める気は無かった。
いや、正確には責める資格がないと言うのが正しいのだろう。
美神さんが資産を、美神事務所を失ったのは、全て俺の我が儘を通すため。
御椎名が提案した条件を美神さんは受け入れてくれていた。
「今は違うでしょ?」
「そうね。横島君のおかげだわ」
俺は大したことはしていない。
しかし、美神さんが捨てたものを取り戻す気になってくれたのなら、それは俺が命をかけるのに相応しいことなのだろう。
「ねえ? 傷。痛む?」
「はは、かなり・・・・・・」
「文珠はまだ作れるようにならないの?」
「半魔族化の副作用らしいから無理ですね。でも、その副作用の御陰で傷もふさがり始めてますから、少し休んでいれば治ります」
「そう。それじゃ、そんな横島君に大サービス」
ひょいと、美神さんは仰向けに倒れている俺の頭をまたぐようにした。
いつものボディコンのため、当然パンツは凄いアングルで丸見えとなっている。
「傷がふさがるまで幸せな気分でいなさいな」
「・・・・・・・・・・・・」
本当は傷はほぼふさがっていたんだけれど、俺はほんのちょっと考え事をすることにする。
俺の考えなんて殆ど行き当たりばったりの思いつきでしか無いんだけど・・・・・・
しかし、とりあえず。
とりあえず俺はシロのこと、これからのことを考えていた。
005
1時間後
俺はアイツと御椎名がいる廃墟を訪れていた。
強力な結界に守られたあの事件の傷痕。
そして、膨大な魔力の絞りかすとなったアイツが保護されている隠れ家。
これからどの様な展開を迎えるにせよ、不死性を高めておかなくては話にならない。
直前まで付いてきてくれていた美神さんだが、一つ前の曲がり角で別行動となっている。
別れ際に言った「私、あの男嫌いだから・・・・・・」の台詞は、御椎名には聞かせられない。
そんな理由で別行動されたことに若干の哀しさを覚えるが、これは俺にとって期待していた展開でもあった。
―――――― 美神さんに知られない内、シロを探し出して決着をつける
俺は先程の襲撃者の正体をシロだと確信していた。
シロが俺を襲った理由はわからない。
しかし、あの脇差が何らかの影響をしていることは確かだろう。
妖刀の類だったら、奪い取って無力化する。
そのための不死化であり、別行動だった。
いつものように結界内部に侵入するため、フェンスの隙間にもぐり込もうとする。
頭をかがめた俺に見舞われたのは、バケツ一杯分の冷水と、いつもの調子の挨拶だった。
「うおッ! 冷たッ!!」
「血まみれで来るなんて元気いいなぁ・・・・・・横島君。何かいいことあったのかい?」
「・・・・・・・・・・・・」
ジト目で声がした方向を睨む。
いつも地下室で悠然と構えている御椎名が、今日に限って安っぽいブリキバケツ片手に、地上部分に組まれた工事用の足場で俺を出迎えていた。
「怖いなぁ。睨んだりして。大丈夫。ちゃんとドーナツを持っていないことは確認したから」
「そういうことを言ってるんじゃないッ!! 一体、どういうつもり・・・・・・ッ」
コイツの無礼な行動には慣れたつもりだったが、今のは許容範囲を超えている。
目の前に降りてきた御椎名に食ってかかりそうになった俺を止めたのは、差し出された真っ白いタオルと冷たい視線だった。
「ソレは僕の台詞だよ。横島君。僕の名前で縛ってはいるけど、蛍ちゃんはまだ完全ではないんだぜ。血まみれの君を見せて、いらない波風を立てようとするなんて、一体どういうつもりだい?」
「・・・・・・・・・・・・」
俺は何も言い返せなかった。
死にかけた俺を救うため、自らの命を投げ出してくれた女。
そのまま俺に吸収され、消滅する筈だったアイツをこの世に留めることができたのは、御椎名の提案の御陰だった。
名を奪われ、膨大な魔力の絞りかすとして生きる存在としての生存。
俺の中に残っていたアイツの残留思念は、その提案を必死に拒絶しようとした。
――――――このまま消えさせて。ヨコシマを助けて死ぬことに悔いはない。
だが、俺はアイツの望みを叶えなかった。
そして、魔力の絞りかすとなったアイツは、未だ何も語ることなく俺に責めるような目を向け続けている。
「・・・・・・・・・・・・すまない」
絞るようにこう呟くと、御椎名がタオルを頭からかけてくれる。
電気もガスも無い環境で暮らしているにも関わらず、不思議と柔らかく、良い匂いのするタオルだった。
「わかれば良いんだよ。ただ、どうしても蛍ちゃんに霊力を与えておきたい事態になった。そうだろう?」
「ああ、だけど軽率だった。アイツの・・・・・・」
俺の言葉は御椎名の乱暴な手の動きに止められていた。
被せられたタオルでゴシゴシと頭を拭かれながら、俺は御椎名の言葉に耳を傾ける。
「アイツねぇ・・・・・・なんか、先が長そうだけどまあいいや。で、横島君。今回はどんな幼女を助けて、横島ハーレムの一員にするつもりだい?」
「悪質なデマを流すなッ!!」
咄嗟に頭を起こそうとしたが、御椎名の手がそれを許さなかった。
俺の頭を擦りながら、鼻歌交じりのような軽薄さで更に話を続ける。
「じゃあ、幼女ではないと。いやあ、感動だなぁ・・・・・・横島君がむくつけき男たちにも救いの手を差し伸べるようになったとは。全人類的なヒーロー誕生の場に、僕は立ち会っているというわけなんだね」
「ぐっ・・・・・・悪かったな。助けたいのが女で」
「なんだ。やっぱり、幼女か」
「幼女じゃない。少なくとも見た目は中学生だ!」
シロの実年齢は不明だが、俺と美神さんからのヒーリングを受け、身体は中学生くらいには成長している。
かなり苦しい言い訳かもしれないが、少なくとも幼女のカテゴリには属さないだろう。
「おいおい、横島君。中学生でも十分アウトなんだぜ。君は高校生だからその辺の感覚は希薄かもしれないが、社会人が女子中学生にキスなんてした日にゃ、たとえ寝ぼけていようが、ばれたら社会的に抹殺・・・・・・」
「だーっ! 訳のわからねえことを言ってんじゃねえっ!! 俺とシロはそんな関係じゃなくて、妹分みたいなモンなんだ! 昔、ちょっとした縁で助けてやったのを、ずっと感謝していて、俺のことをセンセー、センセーって呼んで懐いてくれて・・・・・・そんな可愛い妹みたいなヤツが、なんか変なことになっちまってるんだ。助けたくなって何が悪いッ!!」
「いや、全然」
突然タオルがどけられ視界が急に開ける。
月明かりに照らされた御椎名は、いつもの見透かした様な笑顔を浮かべていた。
「可愛い妹ね・・・・・・その素直さに免じて、特別に僕の服を貸してあげよう。先ずは服を着替え、蛍ちゃんに霊力を与えてき給え。詳しい話はそれから聞かせて貰うよ」
いつの間に用意していたかなんて聞くだけ野暮なのだろう。
俺に出来ることと言えば、多少ふて腐れたように差し出された包みをうけとるくらいだった。
御椎名が用意してくれたのは、いつも着ているのと全く同じ学生服。
俺はきちんとクリーニングされ、ビニール袋に入れられたソレと御椎名の学生服を交互に見つめる。
コイツは学生服以外の服を持っていないのだろうか?
まあ、服装については俺もヒトのこと言えないけど・・・・・・
「どうしたのかな? 若干僕の方が小柄だが、サイズはそれ程違わないと思うけど」
「いや、なんでもない。多分、大丈夫」
学生服しか入っていないクローゼットを想像しつつ、やや脱力した気分で着替えを始める。
御椎名のように学ランまで着込む必要はない。
身につけるのは第二ボタンまで外したワイシャツと学生ズボンのみ。
ややウエストがきつめだったが、ワイシャツをズボンの中に入れなければ何とかなった。
御椎名に身長で勝っている筈なのに、学生ズボンの丈が丁度なのは気にしないでおこう
「うん。それならば血なまぐささを感じさせない。蛍ちゃんに霊力をあげに行っても問題はないよ。僕はその間、この濡れたシャツやズボンを干しておくから、霊力補給を済ませたらこの上まで登ってきてくれ。詳しい話はそこで聞くことにしようじゃないか」
御椎名はそういうと、俺が脱ぎ捨てたGパンとシャツを持って、朽ち果てたマンションの入り口へと姿を消してしまう。
アイツへの霊力補給を終わらせた俺が、急いでマンションの地上部分へ戻ると、御椎名は崩壊を免れ屋上と化した4階部分で、本当に俺の服を夜風にはためかせていた。
「おや、意外と早かったじゃないか。もう少し迷うかと思ったよ」
「霊力をあげた直後だからな。夜目が利いて月明かりの下じゃ眩しいくらいだ」
光彩による光量調節ができるため眩しいは言い過ぎだったが、俺は明かり一つない廃墟内部をまるで昼間のように見渡せている。
尤も、コスモプロセッサ崩壊によるマンション倒壊の影響で4階部分より上は崩れ落ち、残された2階、3階部分にもその際の破壊の爪痕は深く刻まれているため、身体能力が強化された状態だとしても、階段や通路を塞ぐ瓦礫を一つ一つ乗り越えて歩くのは骨が折れた。
いっそ、外側から足場をよじ登った方が楽だったかも知れない。
「さて、それでは、詳しい話を聞かせて貰おうか。その妹分と出会った頃から始めてくれたほうがいいかな」
「そうだな・・・・・・犬飼という人狼が、人狼の里から妖刀八房を持ち出したことが全ての始まりだったんだ」
父親の死。仇を討つための追跡。そして、俺たちとの出会い。
あの天真爛漫さからは想像もできないような悲しみをシロは背負っている。
シロの人生は、妖刀八房と犬飼が巻き起こした事件によって大きく変わっていた。
唯一の肉親であった父親を殺され、天涯孤独となったシロだからこそ、仲間との絆というものを何よりも大切にしていたのだろう。
事件後、事務所に遊びに来たことはあったが、基本、シロは人狼の里で静かに暮らしていた筈だ。
あの、地獄の様な日々にも関係しなかったシロが、何故こんなことに・・・・・・
「成る程。ツンデレちゃんも罪なことをするもんだ」
俺の説明を全て聞き終わった御椎名は、やれやれとばかりに首をふりながらこうつぶやいた。
「やっぱりそうなのか。美神さんに拒絶されたことでシロは・・・・・・しかし、それならば何故俺が狙われる?」
「さあね。心の奥底に君に対する殺意があったんじゃない? と、いつもの僕なら答えるところなんだけど、多分、今回は特別な事情があってのことだろうね」
「特別な事情? 一体何なんだ?」
「オイオイ横島君。僕に全面の信頼を置いてくれるのは光栄だが、自分の考えを持たないで事にあたるというのはとても危険なんだぜ。いつまでも僕はこの街にいるという訳ではないんだ。あの魔神が引き起こした事件の影響も収まりつつあるし、意識してバランスをとることも殆どないからね・・・・・・・・・・・・僕はそのうちこの街を出て行く。そうなった時、僕はもう、横島君の相談にのってあげることはできないんだよ?」
この言葉に、俺は足下がぐらつくような衝撃を感じていた。
御椎名メメ―――アシュタロスが巻き起こしたあの地獄の様な日々の最中、突如現れた風来坊。
バランサーを自称し、俺たちに傷を分散しあう解決策を提案した男。
俺はいつの間にか、この男にかなりのレベルで依存していた。
「・・・・・・・・・・・・」
「意地悪言っちゃったかな? まあ、安心してていいよ。ここまで深い仲になったんだ、もちろん今回も力を貸すし、ある日突然、挨拶も無しに姿を消したりはしないさ。僕も大人だからね。その辺のことは弁えている。ただ、君には自分がとる行動がどんな影響を周囲にあたえるか、もう少しだけ考えて欲しい」
「手当たり次第に人を助けようとするのは、無責任ということか? アイツにも言われた・・・・・・アイツは俺だから助けたのに、俺はアイツでなくても手を差し伸べていただろうって」
「そう―――蛍ちゃんのこともそうだよね。僕がいなくなった後、あの子の面倒は横島君ひとりでみなくちゃならないし。時間をかけて構わないから、そういうことも考えてみて欲しい。でも、誤解を避けるために言っておくけど、横島君が女の子限定ながら、困った人を助けようとするのは別に悪いことじゃないよ。僕はそんな横島君が羨ましくて、つい憎まれ口を叩いちゃうけど、今回の一件に関しては僕も積極的に力を貸したいと思っている。何でか分かるかな?」
なんか失礼なことを言われた気もするが、御椎名が俺のことを考えてくれているのは分かるので混ぜっ返さないことにする。
御椎名は俺に今回起こった事件について考えろと言っているのだった。
「・・・・・・本来、あの事件とは無関係な筈だったからだろ。シロは美神さんに拒絶されなければ、今回のような傷を負うことはなかった」
「そうだね・・・・・・でも、そのシロという獣ッ娘にとって、共に戦った横島君やツンデレちゃんは、今でも同じ群れと認識できる仲間だった。ただ皮肉なことに、その仲間たちは自分が人狼の里に籠もっている間に、傷を受け変わってしまった。それを知らない獣ッ娘ちゃんは、ツンデレちゃんから苛烈に拒絶されたときどんな気持ちになっただろうね」
御椎名の言葉に、シロとの再会が思い出される。
シロは拒絶されてもなお、美神さんの前に姿を現そうとしていた。
それも、新たな力である脇差を手に。
しかし、俺の予想が正しければあの脇差は・・・・・・
「拒絶されても、シロは美神さんを恨んだりしませんよ。ただ、自分の力不足を悔やみ、何とかして力になろうと足掻くだけでしょう」
「聞いた限りじゃそうだろうね。そして、父親を殺した妖刀である八房の力にさえすがった・・・・・・」
「ああ、自分で斬られてなきゃ信じられないが、一度の打ち込みで八つの太刀筋・・・・・・あれは間違いなく八房だった。しかし、八房はあの時、破壊された筈じゃ?」
「白巫女ちゃんのシメサバ丸だって妖刀の再利用だぜ。刀身が折れたのならそれに見合った加工をしてやればいい。ましてやあんなネタ妖刀じゃなく、神様を復活させちまおうっていう業物だ、さんざん勿体つけたのにあっさり折られた前回の恨みで、質の悪い変化を起こしていても不思議じゃないね・・・・・・」
「質の悪い変化? 九十九神みたいなものか」
「そこまで明確な意志が生じているかは分からないけど、多分、近い感じにはなっていると思うよ。妖刀というものはただでさえ人を惑わすものだからね。おそらく人狼の里に封じられていた八房にとって、力を渇望する獣ッ娘ちゃんは取り入りやすかったんだろう。ツンデレちゃんを助けるのに手を貸すから俺をここから連れ出せ・・・・・・って。里の監視を逃れた後は、なんか適当な理由をつけて斬りまくればいい。めでたく妖刀として完全復活した暁には、獣ッ娘ちゃんをフェンリル化して伝説の武器にでもなるつもりなのかな」
「俺は適当な理由で斬られたって言うのか!? 言っちゃあ何だが、俺はシロに慕われこそすれ斬られる覚えはないぜ?」
御椎名の推測への不満がつい口をついていた。
不安な心境も手伝ってか、再会したシロは前以上に俺にじゃれついていた。
とてもあの行動の中に、俺への殺意を認めることは出来ない。
「だからさっき特別な事情と言ったんだ。獣ッ娘ちゃんと再会した時、変わっていたのはツンデレちゃんだけじゃないだろう?」
「あ・・・・・・」
二の句が継げないとはこのことだろう。
自分のことだけに完全に失念していた。
あの地獄の様な日々で、一番変わったのは俺だというのに・・・・・・
シロに再会したのは人間の俺ではなく、魔族のなり損ないとしての俺。
俺の手に噛みついた時、シロの本能はそのことに気付いたというのか?
「やっと気付いたかい。ツンデレちゃんに拒絶され、傷ついた獣ッ娘ちゃんの心に、あの横島君は偽物だという囁きはどんな風に受け取られるだろうねぇ・・・・・・・・・・・・自分と違い、いとも簡単にツンデレちゃんの心を溶かした横島君が憎むべき魔族。いや、ひょっとしたらツンデレちゃんの変わり様は、魔族の横島君のせいかも知れない。そんな囁きがツンデレちゃんの拒絶を認めたくない心に染みこみ、魔族である君への殺意で獣ッ娘ちゃんの心を塗りつぶしてしまった」
「・・・・・・・・・・・・」
「八房にとっては横島君は願ってもない標的なんだろうね。なにせその体内には蛍ちゃんから吸い取った膨大な霊力を宿しているんだ。斬り殺せばあっという間に邪神を復活できるだけの霊力を吸収できる・・・・・・・・・・・・訳無いのにね」
御椎名は人の悪そうな笑顔で、俺が受け入れた傷について口にした。
「ツンデレちゃんが魂の結晶のエネルギーを使えなかったように、横島君もまた膨大なエネルギーを仮に間借りさせているに過ぎない。本来、蛍ちゃんが持っていないと意味がないエネルギーだからね。横島君が死んだら、ツンデレちゃんの時と同じように輪廻の輪を巡るだけだよ。まあ、それでも普通の人間を斬り殺すより効率は良いかな」
「普通の人間を・・・・・・・・・・・・あると思うか?」
「昼間、獣ッ娘ちゃんは君への殺意に飲み込まれず、急いで横島君から離れた節がある。八房って奴が余程の馬鹿じゃなければ、獣ッ娘ちゃんのコントロールを握れるのが夜のうちだということには気付いているだろうね。つまり、逆に考えれば昼間に獣ッ娘ちゃんから八房を切り離すのは容易い・・・・・・妖刀としての力を取り戻すのは今夜がラストチャンスだと思うんじゃないかな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
シロは自分の仲間を守れる力を八房に求めたのだろう。
過去の因縁や破壊衝動をねじ伏せ、ただ純粋に美神さんを守れる―――仲間として認めて貰える力を。
人狼の里から八房を持ち出したシロが、他人に危害を加えた形跡は無い。
本来ならシロは八房に操られる事はなかっただろう。
だが、美神さんからの拒絶によってついた心の傷に、俺の魔族もどきの血が流れ込み、事態は悪化の一途を辿っている。
今のシロは血に狂った獣だ。
俺という絶好の獲物が姿を隠し、焦った八房が暴挙にでた場合、最悪の展開もありうると御椎名は言ったのだ。
飄々と無関心を装い、時に冷たく突き放すような言動をする男だが、無関係な人間が一方的に被害を受ける状況には黙っていられないらしい。
GWの黒巫女騒動の時も、この男はそうだった。
「御椎名・・・・・・力を貸して欲しい」
助けてくれとは言わなかった。
御椎名は決して人を助けるとは言わない。
―――僕はただ力を貸すだけ。助かりたい奴が勝手に助かる
それが御椎名の持論だった。
「いいよ。で、横島君はどうしたいんだい?」
「シロと今夜中に決着をつけたい。シロをおびき出し、結界に閉じ込める方法を教えてくれ」
自分を餌にシロをおびき出し、結界内で八房を無力化し取り上げる。
シロを極力傷つけないよう気を遣うが、不死身化した今ならなんとか可能な作戦だった。
「全く、そういうと思ってたから一応準備をしておいたけど、横島君って本当にお人好しだよね」
御椎名は溜息まじりにそう言うと、先程干していた俺の服にチラリと視線を向けた。
夜風にはためくシャツは血に濡れたままで、それを見た俺は御椎名のやろうとしていることを何となく理解する。
御椎名は俺の血の臭いを敢えて周囲に漂わせ、シロをこの場所に導こうとしているのだろう。
もちろん、この馬鹿みたいに厳重な結界を一部解除しなければ意味はないが・・・・・・
「準備って、できるのか? 結界の解除が?」
「地上部分ならなんとかね。獣ッ娘ちゃんを侵入させ、横島君との勝負が付くまで閉じ込めるような芸当はできる。ただ、横島君がバトル中、僕は地下に潜ってガチガチに地下部分の結界を固めちゃうから、僕や蛍ちゃんが助けに行くことは不可能だよ。確かに横島君の再生能力は上がっている。だけどそれだって完全じゃない。横島君が一人で危険を背負い込む必要もないと思うけど・・・・・・」
「それで充分だ。ありがとう」
俺は御椎名の提案に心からの感謝を口にした。
シロの戦闘力は稽古をつけた経験から大体推測がつく。
なにより今回の目的は、美神さんに知られないうちに、シロに起こった異変を解決することにあった。
「横島君がそう言うならいいけどね。結界を作り替えたらもう事が済むまで外には出られない。内側からは絶対に扉が開かなくなっちゃうからね。覚悟はいいかい?」
御椎名はリングに上がるボクサーを見送るセコンドのように、3階に降りる階段に設置された七五三縄を軽く持ち上げた。
「君がここをくぐったら、僕は結界の調整に入るから後は知らないよ。横島君も獣ッ娘ちゃんも、帰る時は挨拶しなくていいからね。その頃には地下は結界で固めちゃうから、僕も蛍ちゃんも多分寝ちゃっていると思うし、勝手に帰ってくれ給え」
「世話をかけるな・・・・・・」
「いいよ」
俺が七五三縄をくぐりやすくなるように、御椎名がほんの僅か腕に力を込めた。
躊躇せずに中に入り3階への階段を降りていく。
戦いやすい場所を求め更に階段を降りていくと、結界が展開する独特の感覚が広がっていった。
006
俺が戦いの場に選んだのは1階の共有スペースだった。
美神さんが住んでいただけあって贅沢な作りのマンションだったが、人狼相手にバトルするには居住用スペースでは手狭すぎる。
玄関のエントランスからエレベーターホールを抜け、僅かに奥に入った所にある広めの共有スペースでシロを待ち続ける。
現在の時間が気になり携帯に手を伸ばしかけるが、財布や携帯を元の服に入れっぱなしだったことに今さら気がついた。
まあ、誰に盗られるという訳でもないし、御椎名の服は少しきつめなので、財布や携帯をポケットに入れたままでは動きを制限されてしまう。
気持ちを切り替え軽い柔軟をしていると、玄関の扉が開く気配が伝わってきた。
物音を一切立てない肉食獣の動き。
だが、闇を見通す魔族の視力は、物影からこちらを窺う人狼の姿をとらえていた。
「よう。シロ・・・・・・そんな所に隠れてないで出てこいよ」
採光用の窓から差す月明かりの御陰で、俺にはシロの周辺が真昼のように見渡せていた。
シロの手には刃渡りが40センチ程の小刀が握られ、禍々しい光を放っている。
さっき襲われた時は一瞬で分からなかったが、それは確かに妖刀八房だった。
「グル・・・・・・・・・・・・」
こちらに補足されているのを理解したのか、獣のような唸り声をあげてシロが柱の影から姿を現す。
俺はシロの血に飢えた視線を真っ向から受け止め、挑発の意味をこめて手招きをした。
「ったく。妖刀なんかに取り込まれやがって・・・・・・来いよシロ。俺がその、ふざけた幻覚をぶっつぶしてうおッ!!」
俺の決め台詞を待たず、シロが一気に間合いを詰めてきた。
右手に握られた八房が翻り、俺の喉元を切り裂きに来る。
一度の斬り込みで八つの攻撃を仕掛けてくる妖刀での攻撃。
しかし、最初の斬り込みさえ見切れば無力化できない訳ではなかった。
栄光の手を出現させ、確実に急所を襲ってきた初撃をつかみ取る。
僅かな時間差で襲ってくる追撃はそれだけで無効化できていた。
「!」
シロの表情に驚愕が奔る。
そりゃそうだろう。
こんなやり方、真剣を手で掴める能力があって、尚かつ失敗してもまた生えてくる奴しかできないだろうからな。
俺はシロが動揺から立ち直る暇を与えず、その下顎に左の掌底を振り抜く。
カクンとした手応えが掌に伝わり、脳を揺すられたシロはその場に力なく崩れ落ちた。
「まあ、流石に女の顔は殴れないからね・・・・・・」
俺はシロの体にダメージを残さず、八房を無効化できたことにホッと息を吐き出す。
あとは八房を取り上げた後、意識を回復させたシロに拳骨の一つでもくらわせてアパートに帰るだけだった。
「脳震盪くらいですんで良かったな。帰りに牛丼でも買って・・・・・・ッ!!」
八房を取り上げようと右手を伸ばした瞬間、バネのようにシロの体が跳ね上がり白刃が煌めく。
寸前で跳び退り致命傷は回避したものの、俺の右手は肘の部分から切断されてしまっていた。
「な、なんで? 俺は確実に脳を・・・・・・」
こちらの動きの窺うように距離を置いたシロと対峙する。
ものの数秒で右腕の再生は終わっているが、目論見が外れた動揺はかなりのものだった。
何か想定外のことが起きている。
俺は何かを見落としているのか?
そんな俺の迷いを見抜いたのか、シロが再び攻撃を仕掛けてくる。
それも初撃を見切られないよう、ギリギリまで太刀筋を隠した居合いのような攻撃で。
「チッ! 怪我しても恨むなよ!!」
同じ手は使えないと悟った俺は、魔族の力をフルに利用した戦法を選択した。
最大サイズの霊気の盾を両手に作り出し、まずは完全に防御に徹する。
一瞬遅れ霊気の盾に立て続けに衝撃が奔った。
鋭いが軽い衝撃が八回。
八房の攻撃を受けきったあとは、力の限り突進してシロを壁に叩きつければ勝負はつく。
渾身の力で前に走り出そうとした俺は、魔族の力を真っ向から受け止めたシロに驚愕の表情を浮かべていた。
「なッ!?」
正確に言えばパワー勝負は俺の方にまだ分があった。
俺のパワーはシロをジリジリとだが壁に追いやってはいる。
しかし、このままでは壁に叩きつけ気絶させることは不可能だった。
「ウォーン・・・・・・」
渾身の力を振り絞るように、シロが明かり取りの窓に向かい遠吠えの様な声を出す。
その声を聞いた俺は、自分が致命的な見落としをしていることにようやく気づいたのだった。
「満月・・・・・・今夜は、満月なのか?」
明らかな失敗だった。
今まで何度も月の光を明るく思う場面はあった。
人狼と戦うのに満月の晩を選んでしまった愚。
タイミングを選べない事態だったとは言え、シロの実力を通常時のつもりで戦おうとしていたのは失敗以外のなにものでもない。
俺ほどではないが、今夜のシロはかなりの再生力と怪力を身につけている。
魔族のパワーと再生力をあてにした戦術は、ほぼそのアドバンテージを失っていた。
「クッ・・・・・・こうなったら」
俺は多少攻撃を喰らうのを覚悟し、霊気の盾を栄光の手に切り替えシロの右手を掴む。
――― 悪いなシロ。右腕折らせてもらうぞ
心の中で詫びつつ、そのままシロの腕を抱えるように身体を入れ替え、脇固めの体勢に入った。
シロの体を巻き込み地面に倒れ込もうとする。
躊躇わず折ろうとした脇固めが決まろうとした刹那、シロの体が目まぐるしい速度で回転した。
同時に爆発したような衝撃が右顔面に襲いかかり、一瞬意識が飛びかかる。
瞬時に再生した右眼球が再び襲いかかる左拳を捉え回避を命じたが、今度は擦った右耳が丸ごと持って行かれた。
パンチでこの威力かよ。洒落にならねえ・・・・・・
大ぶりのパンチを回避した俺は、左膝をシロの鳩尾に叩き込もうとするが、カウンターとなる左膝は拘束している筈の右腕にあっさりと受け止めらる。
やべえ!
シロの意図を悟った時には既に遅かった。
かわしたと思った左パンチは、そのまま俺の背中をガッチリとホールドしている。
抱えられた左膝が僅かに持ち上げられ、俺の重心が丁度シロのヘソの上に重なる。
自分の体重が消失したように持ち上げられ、そのままシロのブリッジに合わせ真っ逆さまに落下する。
まさか俺がタマモにかけた技で来るとは・・・・・・
その技の名前を思い浮かべた瞬間、凄まじい衝撃が脳天を襲い、俺は自分の頭蓋骨が砕ける音を耳にした。
――― ヤバッ! 右腕離しちまった!!
意識を失っていたのはほんの数秒だろう。
再生された脳が、自分がシロの右腕を離してしまった状況を理解する。
シロは数メートル離れた場所に佇み、俺の方を睨んでいた。
――― マズイ。身体が動かない・・・・・・
脳挫傷のダメージすら回復する身だが、一方的に斬り続けられればそのうち限界が来てしまう。
身体のダメージを確認するが、全身の感覚が麻痺するような痛みからも、意識の失っている間にかなりの攻撃を受けたことが分かった。
多分、頭蓋が陥没した後、ジャイアントスイングみたいに振り回され、壁に叩きつけられでもしたのだろう。
全身の骨がバラバラ、内臓もぐちゃぐちゃ、すぐに動けるようになる状態ではない。
こんな状態の時に斬りかかられでもしたら、完全にパターンに入って詰んでしまう状況だった。
しかしシロは何故襲いかかってこない?
なぶり殺しにする趣味でもあるのか?
そんな俺の疑問に答えたのは、凍るような女の声だった。
「気がついた? 横島君。私に黙って、随分楽しそうなことをしているじゃない・・・・・・不愉快だわ」
「み・・・か・・・・・・」
美神さんと言いたかったのだが、声が出なかった。
視線だけを動かし声のする方を確認すると、俺が叩きつけられた壁のすぐ脇に、玄関の扉を開け放った美神さんの姿があった。
俺、エントランスまで投げ飛ばされていたのか・・・・・・
「どうして私がここに・・・・・・と、言いたいようね。お節介な奴がメールを送ってきたのよ。横島君がここでシロと戦っているって。全く、見透かしたようで腹が立つ」
御椎名が美神さんにメールを?
アドレスはどうやって・・・・・・あ!
濡れたズボンの中に、携帯電話を入れっぱなしだったのを思い出す。
あの野郎、俺の携帯を黙って使ったっていうのかよ!
しかも、美神さんに知らせるなんてどういうつもりだ!?
美神さんの拒絶によって起こったシロの変異を、人知れず処理しようとした俺の計画が台無しじゃねえかッ!!
「横島君。私に嘘をついたわね」
え?
「犯人の姿を見なかったなんて私を欺して、シロのことも黙ってて・・・・・・さっき私言ったわよね。嘘をつかれるのも、蚊帳の外にされるもの嫌いだって」
「あ、いや、その・・・・・・」
ようやく声帯が再生し声が出るようになったものの、言葉がうまくでてこない。
美神さんはしどろもどろになった俺を、きつく睨む。
それはまるで獲物を狙う猛禽類のような目だった。
「万死に値するわ」
冷酷に笑顔を浮かべる美神さん。
シロに襲われている時にも感じなかった、膨大な質量の恐怖が背中を走り抜ける。
怖い・・・・・・マジで怖い。
なんでそんな目で他人を、いや、恋人を見ることができるのよ!
っていうか、今、この状況で、瀕死状態の俺にするような話なのか?
空気を読むことができないのか、アンタはっ!!
「・・・・・・でも、まあ、横島君、既に一万回くらい死んだ後みたいだし?」
いや、流石に一万回は死んでないと思うけど・・・・・・
美神さんは玄関の扉を開け放ったままで、俺の方へと足を踏み出す。
「特別に許してあげようかしら」
美神さんが足を踏み出すのと、シロが俺に突進してきたのはほぼ同時だった。
ここぞとばかりにシロが八房を振りかぶり、俺を細切れにしようとする。
それと同じタイミングで俺とシロの間に割り込む美神さん。
まさか、シメサバ丸の時のようにセラミックスーツを着て?
八房はセラミックスーツすら切り裂くことを忘れたのか美神さんッ!!
危ない―――と、思うほどの時間も無かった。
八房の切っ先が俺の前に立ちふさがった美神さんの届く寸前、シロの姿が後ろに弾きとばされた。
弾きとばされた?
一体、誰が?
今の美神さんの動きに、そんな攻撃を仕掛けた気配はなかった。
焼け焦げたゴムの臭いが鼻をつく。
床に目を向けると、急制動によって溶けたスニーカーの底が、二本のラインを残していた。
攻撃を止めたのはシロ自身?
まさかシロが美神さんへの攻撃を避けたのか?
俺は呆気にとられていた。
シロは後ろ向きに不格好に倒れ込んでいる。
急制動によって自分の足にダメージを残しているのは確実だった。
一体何故?
美神さんの姿を見ることで、自分の心を取り戻したとでもいうのか?
躊躇いなく俺を斬り殺そうとした程、八房に取り込まれていたというのに・・・・・・
「横島君。どうせアナタのことだから、私に知らせずに問題を解決すれば、全部もとの鞘に収まるなんて間抜けなこと考えていたのじゃないかしら?」
美神さんは相変わらず、シロのことなど意に介せず俺に言った。
俺に背を向けたままで、こちらを見ずに。
確かにその通り。
美神さんが俺やアイツの為に一度捨てたものを、俺は取り返してみたかったんだよ。
「大きなお世話。余計なお節介よ。第一、横島君がシロに殺されたなら、私はどんな手を使ってでもシロを殺すに決まっているじゃない。私、確かにそう言ったわよね? 横島君、私を殺人事件の犯人にするつもり?」
全く、ここまで情が深いとは・・・・・・
うかうか死ぬこともできない。
一途なまでに歪んだ愛情。
「なにより気にくわないのは、横島君がそんなややこしい身体じゃなくても、同じことをするってことがハッキリ分かってしまうってことね。不死身の身体におんぶにだっこで、こんな馬鹿なことをやっているのなら、どうぞお好きなようにという感じなのだけれど、横島君ときたら当たり前のようにそんな有様になってしまって―――もう、さっぱりね」
「・・・・・・・・・・・・」
「でもまあ、大きなお世話も、余計なお節介も、ありがた迷惑も横島君にされるのなら、そんなに悪くはないものかもしれないわ――――――」
美神さんは最後まで俺に一瞥も与えないまま、腰が抜けたように倒れたままのシロの方にずいっと踏み出した。
シロはまるで美神さんに怯えているように、倒れた姿勢のままで後ろに這いずる。
その手には既に八房は握られていなかった。
八房のコントロールが解けた? どうして?
そういえばさっきも美神さんが姿を見せた途端、シロはその姿を消している。
その後、こんな見え見えの結界に誘い出されるくらい俺を斬りたいにも関わらず、美神さんと一緒の時は決して手を出そうとはしなかった。
『おそらく人狼の里に封じられていた八房にとって、力を渇望する獣ッ娘は取り入りやすかったんだろうね。ツンデレちゃんを助けるのに手を貸すから俺をここから連れ出せ・・・・・・って』
御椎名の言葉が思い出される。
そうか・・・・・・八房はシロを誘惑する際、美神さんの役に立ちたいという気持ちを利用した。
誘惑のキーワードが「美神さんの役に立つ力を与える」なら、その役に立つ本人を斬るのは矛盾以外の何ものでもない。
俺に斬りかかったシロに美神さんが立ちはだかった時点で、八房の呪縛は解けてしまうというわけか・・・・・・
御椎名がこのタイミングで美神さんを呼んだ理由がはっきりと分かった。
ったく。見透かした真似を・・・・・・
「シロ。久しぶり・・・・・・ではないわね」
美神さんは言った。
そして仰向けのままずるずると後ずさるシロの前にそっとしゃがみ込む。
追いつめられたシロが人狼化した自分の顔を隠すように手で覆ったが、美神さんはその人狼の手を優しく握りしめシロに語りかける。
「元気そうじゃない。安心したわ」
「み、美神殿・・・・・・」
響くような、訴えかけるような声。
シロの輪郭が徐々にぼやけ、その姿を普段の―――俺が良く知るシロの姿へと変えていった。
「せっ、拙者、先生に、酷いことを・・・・・・」
シロはしゃくりあげながら大粒の涙を流していた。
美神さんはそんなシロをあやすように、静かに背中を撫でてやる。
「横島君のことなら気にしなくてもいいわよ。好きでやってるんだから・・・・・・なんならもう少し一緒にしばく?」
美神さんはいつもの口調でそういった。
いや、それはどうなの?
たしかに気にすることはないし、そうさせないために頑張ったんだけどさ。
「あなたに元気がないと横島君が悲しむのよ。もちろん私もね・・・・・・あなたが必要なの。いっしょにいてくれるかしら?」
つらい思いをさせてごめんなさいね。
美神さんのとても平坦な声に、激しい嗚咽が被さる。
シロは美神さんにしっかりと抱きつき、激しく泣き出していた。
全く―――ピエロもいいとこだった。
我ながら、そしていつもながら、あつらえたような三枚目を演じちまった。
見事なぐらい役にたっていない。
ごめんなさいがいえる素直なツンデレ。
美神令子が、どれだけ強欲な女かということくらい、俺はとっくに知っていたはずなのに。
それが本当に大切なものだったなら、美神令子が諦めるわけないのに。
ホント、見透かした真似を・・・・・・
もし、この展開まで読んで、美神さんをここに呼んだというのなら、御椎名、お前はとんでもなく酷くて悪い、お節介焼きの―――お人好しだよ。
俺は泣きじゃくるシロを見守りながら身体の回復を待つ。
ようやく立ち上がれるようになった時には、シロは既に美神さんの腕の中で安らかな寝息をたてていた。
二人に歩み寄った俺の足下では八房が禍々しい光を放っている。
美神さんが小さく肯く。
それを合図とするように、俺は八房を霊波刀で打ち砕いた。
「泣き疲れて寝ちゃったわ」
「まあ、限界以上に力使ってたみたいですしね」
美神さんの仕草で選手交代の意図を悟った俺は、シロの体を軽々と背負う。
本当に軽い。こんな体で魔族のパワーに対抗したんだからな、そりゃ体力も使うよ。
耳元に感じる心地よい寝息。
シロは良い夢を見ているのだろう。
「で、どうします? このままアパートに連れて行きますか?」
シロを人狼の里に帰すにしても既に夜も更けている。
かといって、このままここで夜を明かす訳にもいかないだろう。
今の時刻は11時を回ったくらい。
御椎名から携帯を取り返さないと正確には分からないけど。
「んーどうしようかしら? 横島君が里の財産である八房を破壊しちゃったから、シロも人狼の里に帰りづらいだろうしね」
「はぁ? ナニ言ってるんスか? さっき美神さんがヤレって言ったんでしょうが!!」
「え? 私、そんなコト、一言もいってないわよ?」
しれっとした口調。
こういう時のこの人は絶対何か企んでいる。
え? なんなの?
俺をまた何か窮地に立たせるつもりなの?
「ひでえ! 俺は美神さんがソレっぽく肯くから・・・・・・はふっ」
必死の抗議は、腕に押しつけられた柔らかな感触にあっさりと止められていた。
ふにゃんとしつつ張りもある、もの凄く気持ちいい感触・・・・・・って、美神さん、セラミックスーツ着てないの!?
生身で八房の前に跳び出したのかよこの人は。
驚きを隠せない俺の顔に、美神さんの顔が近づいてくる。
つい唇を尖らせそうになったが、美神さんの唇はそこを素通りし、俺の左耳に悪戯っぽく囁くのだった。
「ここに来る前に、六道のおばさまにシロをあの物件に置いて貰えるよう頼んでおいたの。何か適当に仕事を任せてね。おキヌちゃんが待っているだろうから、早く連れて行ってあげて」
「へ?」
「それじゃ、私、仕事行くから後は頼んだわよ!」
最後にもう一度むぎゅっとした感触を腕に残し、美神さんは敷地外に勢いよく走り出していってしまう。
別れ際、ほんの僅か頬に柔らかいものが触れた気がしたが、気のせいだろう。
「ははは・・・・・・」
俺は力なく笑う。
美神さんが御椎名を嫌う理由がわかった気がしていた。
美神さんにも、ある程度状況の予測はついていたのだ。
自分の一言が原因でシロが八房の力を求めてしまったこと。
俺が美神さんが捨てたシロとの絆を、取り戻して欲しいと思っていたことを・・・・・・
見透かしたように次の手を打ち周囲を翻弄する。
何のことはない、二人は似た者どうしという奴なのだろう。
ともあれ、俺はシロを背負ったまま廃墟を後にする。
あんまりおキヌちゃんを待たすわけにはいかなかった。
007
後日談というか今回のオチ。
翌朝一発目に行われたシロの切腹コントには辟易したが、概ね俺の日常は平穏に推移していた。
タマモとシロによる朝の訪問と、美神さんによる放課後の勉強会。
なんとか試験対策も形になり、自己採点ではまあまあの点数を取れている。
そして、今日は試験明け初の朝だった。
「センセーっ!! 試験が終わったでござるなっ! サンポ解禁でござるなっ!」
「ちょ。シロっ! いきなり部屋に入らないの! 横島、まだ寝ているじゃない!」
と、いいつつお前も入って来るのね。
寝起きを襲う女子小学生と女子中学生のペア。
シチュエーション的には凄く嬉しいんだけど、いい加減、部屋の鍵をかける習慣つけなきゃなぁ。
ホラ、起き抜けってすぐに人前に出られないときあるし。
いつもは部屋の外で、おキヌちゃんからのお裾分けを渡すだけだったタマモも、すっかりシロに感化されたらしい。
というか、お前ら相乗効果でガキっぽさに磨きがかかってないか?
シロはもとからだけど、タマモはなんかもう少しマセたイメージが・・・・・・まあ、いいか。
変な自責の念にかられたり、対人関係に臆病になったりするよりはずっとマシだ。
時にケンカし、時に助け合ってお前らは大人になって行けばいい。
もうしばらくは俺の妹分ということにしといてやるよ。
俺は二人の前に出られるコンディションであることを確認すると、のろのろと布団から這い出した。
「っせーな。朝っぱらから・・・・・・」
「でしょ。私は迷惑だって言ったんだけどね。でもシロが朝から馬鹿みたいにはしゃいじゃって」
「ナニ?」
タマモの物言いにカチンと来たのかシロの頬がぷうと膨らむ。
おキヌちゃんの話だとコイツら仲いいらしいけど、俺の前だとしょっちゅうケンカするんだよな。
まあ、子犬どうしのじゃれ合いみたいなものか。
「仕方ないでござろう。拙者、タマモみたいに暇では無い故、朝のサンポの時間は大切にしたいのでござるよ」
「ふーん。またそういうことを言うのね」
「拙者にはちゃんとした仕事があるでござるからな。タマモのようなミートではござらん」
「それを言うならニートよ! いい加減覚えなさいよ馬鹿。それに仕事、仕事って、アンタの仕事って何よ! 横島の前でちゃんと言ってみなさい!!」
あ、そう言えば何か適当に仕事任せるって言ってたっけ。
まあ、あんなことがあった後だし、その方がシロも気兼ねなくあそこにいられるよな。
現に今も、自信たっぷりに答えようとしているし。
「ふふん。拙者は美神事務所の警備を任されているでござるよ! 事務所に住みながら警備する。すごいでござろう!?」
どうだとばかりに胸を張ったシロに、俺は吹き出すのを必死に堪えていた。
いいなぁ、この馬鹿さ加減。
うん。これでこそシロだ。
俺の大好きな・・・・・・可愛い妹分。
「す、すげえなシロ」
「すごいでしょ。何処に出しても恥ずかしくない、立派な自宅警備員。ニートの私とは大違いだわ」
タマモの言葉にシロは更に大きく胸を張る。
「やっと分かったでござるか! 拙者、これから自宅警備員として、美神事務所を護り通すでござるよ!!」
もう限界だった。
俺が吹き出したのを切っ掛けに、タマモも腹を抱えて笑い出す。
何のことか分からないまま、一緒に笑い出したシロの笑い声も加わり、俺の部屋は早朝から笑いにつつまれていた。
安眠を妨害された美神さんの槍が、壁から突き出してくるまでは。
うん。綺麗に落ちた。
慌ててGパンを履いた俺は、シロタマをともない朝のサンポに走り出す。
これからの俺の生活は、この二人の妹分に起こされることから始まるのだろう。
不思議と気分は晴れやかだった。
俺の生活はまた一つ変化を迎えたらしい。
だからこれは・・・・・・
これからの物語は―――
――― 他物語 ―――
第2話 シロwolf 完
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