5955

他物語1

 可能性の話をしよう。
 ある時にとった行動が、その後の運命に大きな影響を与えるということは良く聞く話だ。
 その行動をとらなければどうなっていたかを、つい夢想してしまうことは一度や二度ではないだろう。
 例えば・・・・・・

 俺が、バイト募集の貼り紙をしている美神さんに抱きつかなければ?
 おキヌちゃんが、山道を歩く俺を身代わりに選ばなければ?
 腹を空かせたシロが、俺の持つ牛丼を奪おうとしなければ?
 俺が、逆天号から振り落とされそうになったアイツに手を差し伸べなければ?
 美神さんが、アシュタロスに魂の結晶を奪われなければ?
 そして、俺がアシュタロスの野望を潰すため、魂の結晶を砕かなければ?

 だが、それは既に起こってしまっている。
 美神さんの時間移動でも、それを無かったことにはできないらしい。
 単に他への分岐を作り出すに過ぎず、俺たちの現状には全く関係が無いとのことだった。


 だからもし、あの時の出来事が無かったらと考えるのは無意味なことなのだろう。
 あの時―――魂の結晶が砕け、コスモプロセッサが崩壊した時。
 瓦礫の中から姿を現したアシュタロスを、斬り殺そうとした俺にかけられた一言がなかったらなど・・・・・・


 『魔神に斬りかかろうなんて、元気いいなぁ・・・・・・横島くん。何かいいことでもあったのかい?』


 見透かしたような笑みを浮かべた、銀髪の学生服が吐き出した一言が俺の足を止めていた。
 御椎名メメ
 アシュタロスの出現と共に、ふらりと姿を現した謎の風来坊。
 見透かしたように皮肉に笑う、額に銃創のある学生服姿の銀髪の男。
 瞬く間に美智恵隊長の代役に収まったコイツが、俺たちに提示した解決策によって地獄の様な日々は一応の終焉を迎えている。
 誰もが幸せになるのではなく、しかし、1人が不幸を背負い込むのではない解決策を俺たちは受け入れていた。
 あの事件に深く関わったみんなが、傷を分かち合う解決策を・・・・・・
 もしも、あの時、あの場に御椎名がいなく、俺たちの誰かが違う行動をとっていたら、その後に紡がれる物語は全く他の物になっていたことだろう。
 そう、全く他の物語に。








 ―――――― 他物語 ――――――







 第一話 タマモfox

 001

 東京都内の人口密集地であるにも関わらず、その廃墟に気を止める人は驚くほど少なかった。
 あの地獄の様な日々で破壊されたマンション―――以前、美神さんが住んでいたマンションの周囲は、工事用の鉄柵で覆われ、その周囲には夥しい枚数の注意書きが貼られている。
 
 【関係者以外ノ立入ヲ固ク禁ズ 六道家】

 時代がかった表記で書かれたその貼り紙には、ご丁寧に杉浦茂調の冥子さんのイラストが「ダメ! 絶対!」の台詞と共に描かれている。
 出来の悪い冗談のようだが、その一枚一枚が最高ランクの結界としての機能を持ち合わせており、文字通り関係者以外がこの廃墟を認識することを固く妨げていた。
 当然値段は馬鹿高い。前にも言ったが、金を持たせちゃいけない人種だよなぁ・・・・・・あのヒトたち。  
 関係者である俺には周囲に張り巡らされた結界は機能しておらず、単に間抜けな貼り紙にしか見えなかった。
 毎度の儀式の様に脱力気味の溜息を一つ吐き、俺はほんの僅かに空いたフェンスの継ぎ目から、廃墟と化したマンションの敷地内に潜り込む。
 照明が一切点かず夜の闇に沈んだ玄関を素通りし、その脇のマンホールにかけられた梯子を下っていくと、軽薄極まりない男の声が俺を出迎えた。

 「おお、横島くん。やっと来たのかい」

 周囲は闇に覆われているにも関わらず、その声は俺の来訪を確信している様だった。
 尤もここまでガチガチに固められた結界内部にたどり着けるのは、あの事件の関係者だけ。
 そして、現在、この場所に用があるのは俺くらいなのだから、別段何の不思議もないのだろう。
 俺はその声には応えず、美神さんが金にあかして作らせた馬鹿みたいに荘厳なドアの取っ手に手を伸ばす。
 暗闇の中でも鮮明に取っ手を認識できる視力は、ドアの内部にいる御椎名の提案により俺が負うこととなった傷の一部だった。

 「なんだい。今日は女の子を連れてないんだね。珍しいこともあるもんだ」 

 「勝手にヒトをそんな安いキャラ設定にするんじゃない」

 ドアの内部はランプの光に照らされていた。
 声の主―――御椎名メメは、美神さんが勝手に作らせた地下の一室に、どこからか長椅子を運び込み横たわっている。
 サラサラの銀髪に整った容姿。年の頃は十代後半に見えるが、いつも代わりばえしない学生服姿と、全てを見透かしたようなニヤケ顔が見た目以上の年齢を感じさせる。
 以前だったら確実に呪う外見の筈だが、何故かその気にならないのは、俺は心の何処かでこの男に感謝しているからなのだろう。

 「え? 自覚していないのかい? 僕は密かに横島ハーレムって呼んでいるんだけど」

 「どこの二次創作だよ。ここにネーチャンを連れて来たことなんて一度もないじゃないか!」

 「いきなりメタな発言だなぁ。横島くん。何かいいことでもあったのかい?」

 春休み以降何度も聞いている御椎名の決め台詞だった。
 この男はこの台詞を言うために、毎度ふざけたような発言をしている節がある。
 定番のやりとりが無事終了したことを感じた俺は、手土産のドーナツを御椎名に手渡した。

 「お、いつも悪いね。ホラ、蛍、横島クンがバイト先から100円均一のドーナツを貰ってきてくれたよ。どうせならパイやマフィンが良かったなど言わず、ありがたくいただこうじゃないか」

 「悪かったな売れ残りで! んなこと言うなら次からお前の分は・・・・・・って、今、お前、何て?」

 聞き慣れない。
 いや、特定のイメージを誘発する言葉に悪態が止まる。
 御椎名はまるで天気の話でもするようなさりげなさで、アイツのことを口にした。

 「ああ、昨日つけてやったんだよ。ゴールデンウイークには働いてくれたし、それにいつまでも名前がないままじゃ不便だろう? 存在を安定させる意味でも、名前は重要だからね・・・・・・御椎名 蛍。苗字は僕のをそのまま流用させてもらったんだが、結構いいと思わないかい? 語呂もいいし」

 「そうか・・・・・・」

 御椎名の説明を背中で聞きつつ部屋の隅を見る。
 そこには8歳くらいの少女が膝を抱え座っていた。
 無言で、責めるような目を俺に向けた少女。
 魔族として存在できなくなった膨大な魔力の絞りかす。
 俺はもうアイツを以前の名前で呼ぶことはできない。
 そして、あの日の選択以来、アイツが俺に語りかけることは無かった。

 「気に入らなかったのかな?」

 「いや、いいんじゃないかな。それで・・・・・・」

 俺はアイツに歩み寄ると、その頭にそっと手を伸ばす。
 優しく撫でながら二本の触角を確認し、いつものように少しずつ霊力を注ぎ始めた。

 「提案しておいて言うのもなんだけど、横島くん。今の状況が嫌になったならいつでも止めていいんだぜ。君からの霊力供給を受けなければ、その子は自然に・・・・・・」

 「嫌になることなんてないよ・・・・・・好きでやってるんだ」

 「それならいいけどね・・・・・・そういえば、その後、白巫女ちゃんの様子はどうだい?」

 「おキヌちゃんなら落ち着いているよ。御椎名の言うとおり、六道家から事務所の管理人を任されたのが良かったみたいだ」

 「それは重畳。僕にもゴールデンウイークの黒巫女化は読めなかったからね。しかし、老婆心ながら言わせてもらうと、あの娘にはまだ気をつけておいた方がいいよ」

 「もちろんそのつもりだよ。おキヌちゃんは良い子だからな。知らないうちにストレスを溜め込み過ぎたんだろう・・・・・・」

 あの地獄のような日々が終わってすぐのゴールデンウイーク。
 環境の変化によるストレスが、おキヌちゃんに変異を引き起こしていた。

 「なぁ、御椎名。あの黒巫女がおキヌちゃんの抱えた傷だとしたら、代償がでかすぎないか? おキヌちゃんがまたストレスを溜め込むってことは・・・・・・」

 「悪いが僕にも分からないよ。あの娘は色々なものから愛されすぎ、そして、綺麗すぎる。まあ、横島くんや、ツンデレちゃんみたいに、分かりやすい人たちばかりじゃないということだね。ツンデレちゃんはまだ失踪中かい?」

 「ああ、六道家とは連絡とっているみたいだけどな。まあ、あの人は何処へ行ってもしぶとく生きていくよ・・・・・・御椎名の言葉じゃないけど、勝手に助かる典型だな」

 俺はクククと笑いながら、バランサーを自称する御椎名のもう一つの口癖を口にする。
 僕は助けない。助かりたいと思う者が勝手に助かるだけ・・・・・・
 様々な面で力を貸してくれる癖に、御椎名は終始一貫してこの姿勢を崩さなかった。
 
 「君がそう言うのならそうなのかもね。それより、そろそろなのには気づいているかい?」

 「ああ、最近、加減が分かってきた・・・・・・」

 霊力の注入を終わらせ、最後にクシャリと頭を撫でてからその場を離れる。
 俺からの霊力を受けなくては消えてしまう存在。
 そして与えられ過ぎてもいけない存在。
 あの時俺たちが選んだ選択―――みんなが傷を分かち合う選択は、アイツをそんな存在にしてしまっていた。
 俺は魔族のような存在になることで、いくつかの不便を背負い、美神さんは美神事務所を含む全ての資産を失い姿を消してしまった。
 その選択を受け入れた美神さんの姿を、俺は一生忘れることはないだろう。
 


 

 



 002

 美神事務所が解散した後、俺の日常は学校と新たなバイト先であるドーナツ屋との往復で占められていた。
 数日に一度行うアイツへの霊力補給以外は、一般の高校生とあまり大差のない日々。
 尤も3年生にもなって進路未定の状態なのだから、一般の高校生といっても残念な部類に入るのは間違いない。
 唯一の救いとしては、出席状況がかなり改善されたくらいか。
 担任からはこの調子で出席日数を稼げば、テストで余程ヘマをしない限り卒業はできると言われている。
 これで卒業前に自分の母親が担任を買収しようとする姿を見ないで済む。
 前に帰国した時は、俺含み職員室中がどん引きしたからなぁ・・・・・・
 素晴らしき哉平穏な日々。
 しかし、簡単な朝食を済ませた今、俺は制服ではなくGジャンに袖を通している。
 視線の先にあるTV画面では、アナウンサーが温泉地に発生した有毒ガスのニュースを伝えていた。

 「仕方ないよな・・・・・・見ちまったんだから」

 苦笑混じりの笑顔で、押し入れの奥にしまい込んだでかいリュックサックを引っ張り出す。
 事務所解散のどさくさで、部屋に預かりっぱなしとなっていたいつもの荷物だった。
 それほど前ではないにも関わらず、湧き出る懐かしさに思わず目を閉じる。
 追憶の中の姿が、TVで流れたほんの一瞬の映像―――美神令子の姿に重なった。
 自衛隊の部隊を撮影した、観光客のホームビデオに小さく映っただけの姿だったが、俺があの女を見間違えることなんかない。
 というか、温泉町にボディコンで行くかフツー。
 
 「それに。何て顔してるんだよ・・・・・・」

 瞼に焼き付いた姿につい悪態をつく。
 一部の隙も見せまいと、肩肘を張った無表情。
 それはそのまま不安の裏返しだった。
 バンダナを固く結び直すと、俺はリュックを背負いアパートを後にする。
 もちろん行き先は学校なんかでは無かった。


 3時間後
 電車と高速バスを乗り継いだ俺は、栃木県内の温泉町に辿り着いていた。

 「・・・・・・って訳で、とりあえず駆けつけたんスけど、このネーチャン見かけませんでした?」

 昼時少し前の立ち食い蕎麦屋。
 かけの食券と共に差し出した写真に、初老の店主はチラリと視線を落とした。

 「今も多分、こんな派手な格好でいると思うスけど・・・・・・通りの向こう側歩いていても、一目で我が儘だって分かる程高飛車オーラ全開で」

 美神さんが近くにいたら折檻確実の台詞だったが、いつのまにか背後に立っていた本人からしばかれるといったギャグマンガ展開は起こらない。
 割と真剣にその展開を期待していたのは内緒だった。

 「見かけないな。それより蕎麦? うどん?」

 「・・・・・・うどんで」

 絡みづらいことこの上ない無愛想な店主だった。
 落胆の表情で注文を告げると、店主はうどんを湯に放り込んだ後でボソリと呟く。 

 「帰ったんじゃないか?」

 「はい?」

 どうやら無愛想ではなく口べたらしい。
 俺は、辛抱強く続く言葉を待った。

 「ガス騒ぎで湯本が立入禁止になってるから・・・・・・」 

 「そうッスか。ありがとうございます・・・・・・・・・・・・」

 店主の口ぶりからすると、おそらく湯本周辺は自衛隊によって閉鎖されているのだろう。
 そして、その閉鎖の本当の理由はガスなどではなく、美神さんが絡んだ理由―――霊障の筈だ。
 それならば美神さんが帰っているなんてことは絶対にない。

 ―――さて、後はどうやって湯本に忍びこむか・・・・・・ッ!

 閉鎖されているであろう湯本への侵入法を思案し始めた俺は、強烈な視線を首筋に感じ背後を振り返った。
 気配の出元はバス乗り場近くの植え込み。
 その奥からこちらを窺う必死な視線と目が合った俺は、思わず口元に笑みを浮かべていた。

 「・・・・・・オヤジさん。注文、キツネに変更できる?」

 「80円・・・・・・」

 差額を現金で支払うと、手渡される寸前だったかけうどんにお揚げが追加される。

 「天気もいいし、外のベンチでたべていいかな?」

 「どんぶりは返せよ」

 なんだ。意外といい人じゃないか。
 融通が利く店主へ感謝しつつ、俺は視線の主を刺激しないよう、ゆっくりと植え込みに近づいていく。
 そこには俺が手に持つどんぶりにバリバリ意識を向けているクセに、すまし顔でそっぽを向く子狐の姿があった。
 なんか俺、昔からこういう状況に弱いのよね。
 
 「腹減ってるのか?」

 「!・・・・・・」

 ビクリと肩を竦めたものの逃げる様子はない。
 いや、ひょっとしたら逃げたくても逃げられないのか?
 そっぽを向けたままの口の端から、涎がたらたらと垂れている。
 何故か俺はシロとの出会いを思い出していた。

 「そういえば昔、お前みたいに腹を空かせた奴がいたなぁ・・・・・・ソイツはいきなり俺の牛丼を奪いにきたけど」

 ジブリアニメみたいに言葉が通じているかは不明だが、こんなものはノリとフィーリングだろう。
 植え込みの少し手前にしゃがみ込んだ俺は、子狐に話しかけながらズルズルとうどんを啜る。
 漂う鰹だしの匂いに、子狐の涎が増加した。

 「少し食べてみるか?」

 「!・・・・・・・・・クッ!!」
 
 何を逡巡しているのか、小さな肩がぷるぷると震えていた。
 シロと違って人見知りなのかな?
 その姿が妙に可愛く、悪戯心を刺激された俺はうどんを更に啜り、汁まで全て飲み干す。

 「ぷはっ! いらないみたいだから全部食っちまったぞ!」

 「!・・・・・・・・・・・・」

 絵に描いたような落胆ぷりに思わず吹き出してしまった。
 おー、なかなか可愛い顔してんじゃないか。
 目に涙を浮かべ、キッっと俺を睨んだ子狐に向けて、俺は残しておいたお揚げを差し出す。
 もちろん緊張をほぐすための笑顔は忘れない。

 「嘘だよ。意地張ってないで食えって。腹減ってるんだろ」

 少し躊躇したものの、子狐は茂みからひょっこり顔を覗かせると、一心不乱に俺が差し出したお揚げを平らげ始める。
 その食べっぷりは、まるで何日もエサにありつけていないようだった。
 うーん。そうだとしたら、お揚げ一枚なんて食欲の起爆剤にしかならないかも。
 たしか、あの店に稲荷寿司あったから、どんぶりを返しに行く時に買ってやってもいいか・・・・・・
 しかし、GSの助手辞めて、ドーナツ屋でバイトした方が金回りいいって、どんだけ時給低かったんだよ美神事務所!

 「美味かったか・・・って、顔みりゃ分かるか。そのお揚げに酢飯をつめた、稲荷寿司ってのもあるけど食うか?」

 その言葉に、子狐は輝くような笑顔を浮かべた。
 狐の輝くような笑顔というのはどういうものか言った俺にも不明だが、とにかくその子狐は嬉しそうだった。
 興奮して尻尾を振っているのか、未だ茂みのなかに隠れている下半身の周囲で植え込みがガサガサと揺れる。

 「決まりだな。んじゃ、買ってきてやるからちょっと待ってろ」

 俺は踵を返すと先程の店に歩き出す。
 背負ったリュックに軽い衝撃を感じたのは、10歩目を踏み出そうとしたその時だった。

 「こ、コラ! 待ってろって言ったろ! ちょ、お前、勝手にヒトの荷物に・・・・・・」

 慌てて後ろを振り返ると、視界の端にリュックをよじ登る子狐の姿が見えた。
 さっきまでの期待に満ちた笑顔から一転、子狐は必死の形相を浮かべ俺のリュックにもぐり込もうとする。
 ん? コイツ何か尻尾の形が・・・・・・
 視界の端に違和感を感じたのも一瞬、新たに飛び込んできた別な視覚情報に俺は棒立ちとなってしまう。
 動きを止めた俺の隙を突き、子狐は器用にリュックにもぐり込んでしまったが、そんなことはどうでも良い。 
 俺の視線はたった今、山道から転げるようにして現れた人影に釘付けになっていた。

 「美神さん・・・・・・」

 震える声でそう呟きかけるが、どうやらすぐに感動の再会ができる状況ではないらしい。
 遅れて山道から現れた自動小銃片手の自衛官が、尻餅をついたままの美神さんに銃口を向ける。
 一瞬で状況を理解した俺は、心の中で口べたな店主に詫びつつ、手に持ったどんぶりを投擲した。


  




 003

 投擲したどんぶりは、見事自衛官の後頭部にヒットし、その意識を刈り取っていた。
 意外と攻撃力あるなどんぶり。
 名付けてサイキックソーサーならぬサイキック・・・・・・えーっと、どんぶりって何ていうんだっけ?
 というか、今のは単に物理攻撃だからサイキックは不要か。
 いらんこと考えると馬鹿がばれるので、周囲の敵に気を配りつつ美神さんの元へと走り出す。
 どうやら今のが最後の1人だったらしい。
 
 「大丈夫ッスか?」

 一月ちょいの失踪期間などなかったかのような口調だったが、ヒーロー登場の挨拶としては上出来な部類だろう。
 まだ状況が飲み込めていないのか、尻餅をついたままの美神さんは、呆然とした表情で俺を見上げている。
 その近くには後頭部にどんぶりの直撃を受け、気を失っている自衛官。
 誰がどう見たって、ヒロインのピンチを救ったヒーローの図がここにある。
 再会の感動と感謝が一体になって、抱きついてきたりしてくれないかな。
 俺はそんな下心を全力で隠しつつ、起き上がる手助けをしようと美神さんに右手を差し出した。

 「らしくないッスね。あんな隙を見せるなん・・・・・・ふげ」

 男前を演じようとして噛んだ訳ではない。
 差し出した俺の右手にクロスするように差し出された美神さんの左手が、再会の空気を台無しにしていた。
 頬の右側にざらりと尖った物が触れる。
 信じられないことに、美神さんは俺の口腔内に割れたどんぶりの破片を突っ込んでいた。
 マジですか?
 美神さんに目で問いかけるが、残念ながら大まじめらしい。
 視線の問いかけに帰ってきたのは、凍り付くような視線と台詞だった。

 「私にかまわないで・・・・・・」

 決して鋭利ではないが、俺の頬など簡単に切り裂けるであろう陶片が頬を引っ張る。
 自分の言った台詞に違和感があったのか、美神さんは首を傾げると更に冷たい声でこう言った。

 「ああ、違うわ―――『かまってもいいけど、とても危険よ』というのが、正しいわよね」

 怖っ! 怖すぎるよこの女。
 本気を感じ取った俺が怯んだ隙を突き、美神さんは念を込める前の神通棍を口腔内に追加してきた。
 この状態で念を込められるとどうなるかは、ハッキリ言って考えたくない。

 「私は静かに暮らしたいのよ。そのためにはどうすればいいのかしら? 私は私の暮らしを守るために何をするべきかしら? もう私に干渉しないと、横島クンに誓ってもらうためには、あなたをどんな目に合わせればいいのかしら?」

 うわ。ツンデレなんて可愛いレベルじゃねえ!
 絶対病んでるよこの女。
 だけどな・・・・・・少なくとも水中大脱出や投げナイフの的くらいじゃ諦めないよ。
 俺はアンタのために生身で大気圏突入したことだってあるんだから。
 大体、かまって欲しく無かったら、そんな表情するなって!
 前みたいに自己中で傲慢かましてりゃあ、コッチもそんなに心配せずに済むんだから。
 幸い、昨夜アイツに霊力を与えたばかり。
 今のコンディションならば多少の無茶はできる。
 少しばかりイラついていた俺は、恫喝のお返しとばかりに美神さんの胸をむんずと握りしめた。

 「キャっ!!」

 「クッ!!!」

 可愛らしい悲鳴と共に口の中に血の味が広がる。
 驚いた拍子に引き抜かれた破片が、左頬の肉をザックリと切り裂いていた。
 激痛に息を飲むが、堪えた筈の吐息は、引き裂かれた頬から間抜けな音を立てて抜けていく。

 「らめっひゅよ! みひゃみひゃん・・・・・・」

 俺は笑顔で美神さんの行動を諭す。
 メチャクチャ痛いが、その痛みは両の手のひらに残る幸せな感触で相殺可能だった。
 まあ、口腔内で神通棍が伸びていたなら、もっと色々触らせてもらうけどね。

 「アイヒュにれいひょくをあひゃえたばかりなんです・・・・・・いまのおれは、半分に裂けても死にませんよ」

 「そう・・・だったわね」

 内心1/4にされたらどうしようとドキドキしていたのだが、美神さんが浮かべたのは怒りではなく悲しげな表情だった。
 アイツに霊力を与えることで活性化した魔族の部分が、俺の体に不死にも近い再生能力を与えている。
 あの日、俺が受け入れた傷は、人間としてではなく、不完全な魔族として存在することだった。


 ―――その選択に後悔はない。


 俺はそのことを伝えようと、美神さんに改めて笑顔を向ける。
 既に俺の右頬からは傷は完全に消えていた。
 
 「念のために言っておくと、たとえ再生能力が人並みだったとしても、俺が美神さんのピンチに駆けつけない訳ないでしょう? 『かまうな』なんて無理な相談ですよ! それより、なんであんな事になっちゃったんスか? 美神さんらしくもない」

 あんな事とは、普通の自衛隊相手に苦戦したことだった。
 俺が知っているこの人なら、一部隊くらい山道の中で楽に鎮圧している。
 余程の失敗があったのか、そっぽをむいた美神さんの顔が赤い。
 俺は美神さんが転げ落ちてきた山道に視線を奔らせ、信じられない物を目撃した。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと。マジっすか?」

 「ナニよ・・・・・・」

 「いや、山道に落ちているアレっすよ」

 呆れたように指さした方向に気付き、美神さんは何故かホッとしたような表情を浮かべた。

 「アレ? ああ、バショウ科バショウ属のうち、果実を食用とする品種群の不要部分のことかしら?」

 「なんでwikiからコピペしたような物言いなんスか! 普通にバナナの皮でいいでしょう! マジであれに足を? 昭和のコントじゃあるまいし」 
 
 「悪い? バナナの皮くらいお姫様だって踏むわよ」

 「そりゃマリオカートの話で・・・・・・って、否定はしないんだ」

 ということは、今どきバナナの皮踏んで窮地に陥っておいて、直後にあの恫喝かよ。
 ホントこのヒト、ハンパないな。
 でも、この方が美神さん、いや、俺たちらしいって言えるか。
 自然と笑みがこぼれてきた。
 仕切り直しとばかりに、俺はへたり込んだままの美神さんに再び手を差し出す。
 今度は柔らかな手がしっかりと握り返してくる。
 苛烈なまでの否定はどうやら打ち止めらしい。

 「ええ、助けに来てくれてありがとう。実をいうとさっき、横島クンのことを思い出していたの・・・・・・こんな馬鹿な理由で死ぬなんて、私、横島クンみたいだなって」

 甘かった。
 なんで息を吐くように毒を吐けるのよ。
 しかも、俺は今まで一度だってバナナの皮なんて踏んでないってーの。

 「はは・・・・・・で、今回の除霊対象は何なんスか? 自衛隊が絡むあたりでかい仕事みたいだけど」

 「はん! 虫が」

 もう訳がわかんないよ!
 何で気を遣って悪態をスルーしてやったのに、虫呼ばわりされなきゃならんのよ!
 流石に何か言い返してやろうとした時、美神さんは俺のおでこをピタリと指さした。

 「横島クン。あなたのココは一体何をする為の部位かしら? ただのバンダナ置き場? その中には大脳というものは入っていないのかしら?」

 「いや、一応入ってますが・・・・・・」

 「それならば何故それを使わないの? 私を助けに来ようとしたとき、その意志決定はアナタのどこかにある神経節が行ったのかしら?」

 「ちょ、何でそこまで言われなきゃならないんですか?」

 「それでは、那須町にある殺生石と言えば分かるかしら?」

 「えーっと、もう少しヒントを」

 美神さんが何で怒っているのかも含め分からないことばかりだった。
 俺の頭の上に浮かぶでっかい「?」が見えたのだろう、美神さんは呆れたように溜息を吐いた。

 「最低ね。こんなの一般常識じゃない・・・・・・アンタ、私の所でナニやってたのよ」

 「ナニって、荷物持ちとか、雑用とか・・・・・・あ、たまには囮も」

 「あーっ! いいわよもう。今回の対象は九尾の狐。それくらいなら聞いたことあるでしょ!」

 「へ? 狐?」

 突然告げられた除霊対象の名前。
 思い当たる点がありまくる俺は素っ頓狂な声をあげ、そしてその声に反応するように背負ったリュックがビクリと揺れた。
 
 「横島クン。ひょっとして?」

 美神さんの問いかけに応えるように、背負ったリュックがガタガタと震え出す。
 気まずい沈黙の中、だまって見つめ合う俺と美神さん。
 どうしよう。道義的に庇ってやるべきか?
 まだ、ほんの子供だったしなぁ・・・・・・
 この場を穏便に収める方法をアレコレ考えはじめていたが、どうやら俺の心配は杞憂に終わるらしい。
 震えるリュックと俺を交互に見つめた美神さんは、堪えきれないように吹き出すと、俺に向かってこう言ったのだった。 
 
 「前言撤回。アンタ、やっぱ最高だわ。これで、そのリュックの中の子も除霊しないで済みそうね」





 004

 ホテル民倉
 錆が浮き、いまにも落ちそうな看板がその建物の名を現していた。
 経営者がホテルと名乗っているのだからホテルなのだろう。
 観光客は間違いなく泊まらず、仕事がらみの客が素泊まりするホテル。
 ベコベコに畳が凹んだ6畳間と手狭なユニットバス、コイン式の電熱器があるシンクのみで構成された部屋に俺は案内されていた。
 立地は美神さんと再会したバス通りから徒歩約20分。
 この安宿が美神さんの宿泊先だった。

 「意外だった? 六道家からの取り立てが鬼みたいでね。稼いでも右から左の生活なのよ」

 「はは・・・・・・みたいですね」

 御椎名の提案によって美神さんの負った傷は、金銭的困窮だった。
 資産を全て失うだけでなく、多額の負債を抱え、自己破産もせず債権を一本化した六道家に稼ぎの殆どを返済している。
 一見無関係に思えるコスモプロセッサによる破壊の一部を、美神さんがなぜ自分の責任と認めたのかは分からない。

 「荷物はそこに置いて」

 勧められるままに、背負ったリュックを畳の上に置く。
 美神さんに誘われるまま宿についてきたので、中にはまだ子狐が入ったままだ。
 子狐に危害を加えないと美神さんが約束したせいか、リュックの震えは今ではすっかり沈静化している。

 「それじゃ、そろそろ出てきて貰おうかしら。そうね、アナタが自衛官を狂わした姿がいいかしら」

 「!」

 リュックの中から微かな動揺が伝わってくる。
 美神さんに襲いかかった自衛官は、やっぱり何かに操られていたのか・・・・・・
 それを、あの子狐が?
 信じられねえ。
 単に腹を空かせた野良狐にしか見えなかったんだが。
 しかしその小さな疑問は、美神さんが口にした、更に信じられねえ一言に打ち消されてしまっていた。

 「どうしたの? 出てこないのなら殺すわよ!」

 「ちょ! ナニ言ってるんスか! ついさっき危害を加えないって言ったばかりでしょうッ!」

 俺の猛烈な抗議に首を傾げた美神さんは、しれっとした調子で自身の発言を訂正した。

 「ああ、間違えた。出てこないのなら、この男を殺すわよ!」

 「もっと酷いわっ! ヒトを当たり前のように人質にせんでください!!」

 「何を言っているの? アナタに危害を加えないなんて言っていないじゃない。 折角、私の宿に虐待・・・・・・いや、招待してあげたんだから、人質くらい大人しくやるのが礼儀ってものでしょ」

 「どこの国の礼儀っスか! というか、発言がいろいろとおかしい。突っ込みどころが多くて何から突っ込んで良いか迷うけど、その言い間違いは絶対にわざとだ!」

 「声が大きいわ。横島クン。この宿、壁が薄いのよ。知り合いを部屋に招いたと思われちゃうじゃない」

 「知り合いでしょ! というか、何度も共に死線をくぐり抜けたパートナーでしょ!」

 「あら、そんな風に思ってくれていたのね。光栄だわ・・・・・・で、どうかしら子狐さん。この男は、あの時の自衛官のようにはならないと思うけど」

 その台詞の後半は、俺に向けられたものではなかった。
 静かな語り口に、今まで沈黙を守っていたリュックサックがもぞりと動き出す。
 妖術の類であるのは間違いない。リュックサックの容量を無視して現れたのは、小学校高学年くらいの少女だった。
 切れ長の目と、すらりと通った鼻梁。
 今は子供のあどけなさを残しているが、10年後は確実に美人になっているであろう顔立ち。
 所在なげに部屋の中を見回した後頭部で、狐の尾をイメージさせる髪の房がふわりと揺れた。

 「お名前は?」

 「タマモ・・・・・・」 

 おお、喋った!
 というと、あの時から俺の言葉を分かってた?
 俺、変なこと喋ってなかったよね?

 「へえ、綺麗な名前ね。それじゃ、タマモちゃん。お姉さん、これからシャワー浴びるけど逃げちゃダメよ。逃げたら、横島クンを殺しちゃうから」

 人質は継続中なんだ・・・・・・
 とんでもない言葉をさらりと言い残し、美神さんはユニットバスへと消えて行く。
 そりゃ、山歩きでドロドロだったからなぁ・・・・・・尻餅もついていたし。
 シャワーの水音が筒抜けの6畳間で、残された俺とタマモは気まずい沈黙を感じていた。

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「逃げるわよ!」

 最初に沈黙を破ったのはタマモだった。

 「ちょ、お前、いきなり人質無視!?」

 「いいえ、アナタも逃げるのよ! 感じなかったの? あの人から発せられる凶悪な悪意を」

 「いや、アレは単に口が悪いだけ・・・・・・なのか?」

 「ぐずぐずしていると出てきちゃうわよ! ホラ、はやく。殺されちゃってもいいの!?」

 小さな手が座り込んだ俺の手を引き、起き上がらせようとする。
 俺のことを心配してるのか?
 なんだ。良い奴じゃないか。
 まるっきり小学生の力なので、ひとしきり引っ張っても俺の体はびくともしない。
 引き疲れ、ゼーゼーと息を吐くタマモに、俺は優しく話しかける。
 タマモについての情報は、宿までの道すがら美神さんから聞かされていた。

 「出ていってどうする? また、自衛官のようなことが起きるかも知れないんだぜ」

 「それは・・・・・・」

 痛いところ突かれたタマモが口ごもる。
 この少女が生まれたのはつい最近のことらしい。
 殺生石に溜まった霊気によって生じた存在。
 大昔、朝廷に仇をなしたと伝えられる、伝説の妖弧の転生体。
 国がその存在を封じようとしたのは、その前世故のことだった。
 
 「なあ、お前に聞きたいことあるんだけどいいか?」

 「・・・・・・タマモ」

 「は?」

 「さっき言ったでしょ。私の名前。私も横島のこと名前で呼ぶから」

 「わかった・・・・・・んじゃ、タマモ。お前って、前世の記憶を持ってるのか?」

 「無いわよ。覚えているのはタマモという名前だけ・・・・・・」

 「そうか・・・・・・」

 俺は感慨深げに溜息をつく。
 記憶を引き継がない状態での転生。
 たとえ魂が引き継がれていたとしても、それは最早別の存在と言えるだろう。
 だから俺は、アイツが俺の子供として転生するという結末を受け入れず、御椎名の提案にすがった。
 たとえそれが、どんなに愚かで、我が儘な選択だったとしても。

 「ナニ? ひょっとして横島、昔の私の知り合い?」

 「何でそう思う?」

 「今、悲しそうな顔したから。私が横島のこと忘れちゃって悲しいのかなって」  

 首を傾げて覗き込む姿がメチャクチャ可愛かった。
 子供の状態でこの威力なんだから、国を傾けるって伝承もうなずけるよな。
 でも、俺はロリコンじゃないから大丈夫だけど。
 うん。ロリコンじゃないから大丈夫。
 大事なことなので2回言ってみました。

 「コラコラ、ヒトをどんだけ長生き扱いするつもりなんだ? 初対面に決まってるだろ!」

 「そうよね・・・・・・私、なに馬鹿なこと言ってるんだろ」

 その寂しげな物言いに、俺はタマモの不安を感じとっていた。
 目覚めてすぐ、身に覚えのない理由で追い立てられる自分。
 保護を求め、咄嗟に子供の姿に変化したのは、妖怪としての本能だった。
 その場にいた美神さんによれば、結果は完全に裏目だったらしい。
 不完全な状態で発動された【魅了】は、周囲の男たちの理性を崩壊させ、壮絶な同士討ちへと発展させかかる。
 最悪の事態に至らなかったのは、ひとえに美神さんの機転とえげつないまでの戦闘力の御陰だった。

 「難儀だよなぁ・・・・・・」

 出会った時、めちゃくちゃ空腹だった筈のタマモが、なかなかお揚げに食い付かなかったのが理解できた。
 タマモは俺を巻き込みたく無かったのだろう。
 俺があそこまでしつこく絡まなければ、多分コイツは、今でも独り腹を空かせ逃避行を行っている。

 「でも、妖力のコントロールを覚えりゃ大丈夫だって!」

 「でしょう! だから一緒に逃げて、横島と練習すれば・・・・・・」

 あー、だからリュックに忍び込む気になったのか。
 まあ、そりゃ、まがりなりにもGS有資格者だから耐性もあるしな。
 それに、今は魔族のなり損ないという設定まで背負っちゃってるし・・・・・・
 でも、だからこそ、お前には人の中で生き方を学んで欲しいんだよ。

 「俺なんかよりも美神さんが何とかしてくれるって!」

 「え? 美神さんって、あの怖い人?」

 「はは、普段の言動がアレだからよく誤解されるけど、美神さん、あれでメチャクチャ頼りになるんだぜ」

 「信じてるんだ・・・・・・」

 「そりゃ付き合い長いしね」

 「もういいっ! 横島なんかその美神って女に殺されちゃえばいいんだっ!」

 え? 何で怒ってるの!?
 それに、俺、殺されちゃうの確定?
 いきなり怒り出し、部屋を出て行こうとするタマモを俺は慌てて制止しようとする。
 咄嗟に抱きすくめようとした手が、なにかふくよかなものに触れていた。
 ヤバイ。このご時世で、かなり危険なモノに触れてしまった気がする。

 「キャ――――っ! 胸。ムネを触、ムガっ!!」

 「ああっ! やっぱりっ!!」

 突如あげられた悲鳴を押さえようと、俺は大慌てでタマモの口を塞ぐ。

 「ま、まて、誤解だ。というかワザとじゃない。第一、俺はロリ痛――ッ!!」

 手に生じた激痛に、計らずしも疑惑を肯定するような叫びをあげてしまっていた。
 噛みつかれた右手をブンブンと振り回すが、ガッチリつかんだ両手と深く刺さった犬歯が右手の解放を許さない。
 コイツ、マジに噛んでやがる。
 空いている左手をタマモの顔面に当て、顎を開かせようとするがびくともしない。
 おまけに、ゲシゲシと蹴りを放ち始めやがった。しかも玉狙いで。
 反則ばっかじゃねーかコイツ。
 左手による顎の開放を諦めた俺は、蹴り出したタマモの右足を抱え込み軽々と抱き上げる。
 フレアスカートがめくれ、中身がかなり大胆に見えてしまったが、ロリコンでない俺は薄ピンク色の木綿のパンツなどには微塵も気をとられず、そのままキャプチュードの体勢にはいっていく。
 回転の勢いで加速された2人分の体重がタマモの背に襲いかかった。

 「グエッ!」

 背中から畳に打ち付けられたタマモは、苦悶の呻きとともに俺の右手を解放していた。
 大の字に横たわり、見事に白目をむいている。
 俺の勝ちだった。

 「全く、馬鹿な奴め―――小学生の体力で、高校生に勝てるとでも思ったか! ふはははははははは!」

 子供相手に本気で喧嘩をして、本気のプロレス技を決めた末に、本気で勝ち誇っている男子高校生の姿が、そこにはあった。
 ていうか俺だった。
 横島忠夫は小学生女子をいじめて高笑いするようなキャラだったのか・・・・・・
 自分で自分にどん引きだった。

 「横島クン・・・・・・」 

 冷めた声をかけられた。
 振り向くとシャワーを済ませた美神さんが立っている。
 それもすっぽんぽんで。








 005

 「ぐわわわわわっ!」

 突如視界いっぱいに広がった女体に思わず仰け反る。
 一糸纏わぬというか、隠す意図が全く感じられない姿だった。
 挑発的に存在感を主張する胸や、見事なまでにくびれた腰、下腹部の茂みまで間近によく見える。
 入浴時を覗いた時でさえ、ここまで開放的な姿を見たことはない。
 美神さんは濡れた髪を鬱陶しそうにしながら、俺が背にした壁に立てかけてある旅行鞄を指さした。

 「邪魔。着替えをとりだせないわ」

 「な、なんで、服を着ていないんです!」 

 夢にまで見た光景だったが、いざ目にしてみるとちょっと違っていた。
 俺が求めていたのはこんな、裸ん坊万歳みたいなあけっぴろげ感じゃなかったはず・・・・・・
 思春期の男子は意外とロマンチストなんだということだ。

 「ナニよ! 着替えを忘れたんだから、しょうがないじゃない」

 「なら、タオルで隠すとか・・・・・・」

 「嫌よ。貧乏くさい・・・・・・それに、さっき助けられたお礼のつもりだったのだけど、私じゃ育ちすぎかしら?」

 ようやく下着をとりだした美神さんの視線の先には、大の字になって失神しているタマモの姿があった。
 しかも、スカートがまくれ上がった状態で。
 懐かしさすら感じるジト目がゆっくりと俺に向けられる。

 「横島クン。いくら小さい女の子が好きだと言っても、無理矢理はダメよ」

 「・・・・・・言い訳をさせて下さい」

 「どうぞ・・・・・・」

 チラリと右手に視線を落とすが、既に噛みつかれた跡は消えている。
 言い訳なんかなかった。
 どこを探しても出てこない。
 こういう時はとりあえず土下座だった。

 「すんません! 全く申し開きできないけど、誤解なんです! ロリコン扱いは勘弁してくださいっ!!」

 「ああ、そう。それならば少しは喜びなさいな」

 「は?」

 予想外の反応に思わず聞き返す。
 というか、早く服着てくれないかな。
 このままじゃ立てないというか・・・・・・ねえ。

 「私の裸を見たのだから、少しは喜びなさいな!」

 「ナニ怒ってるんすか! 前に風呂覗いた時は、死ぬ寸前まで折檻したクセに。一体、どういう心境の変化ッスか!!」

 「あら、心境なんて変わらないわ。今日も、アナタが覗きに来たら、舌を噛み切ってやるつもりだったんだから」

 「いつの時代の人ですか。第一、美神さんはそんな殊勝なキャラじゃないでしょ!」

 「噛み切るのはアナタの舌よ?」

 「やめて! 似合いすぎてマジでおっかない!!」

 もう降参だった。
 かなり勿体ない気がしたが、俺は美神さんに背を向け壁の一点を凝視する。
 微かな衣擦れの音が聞こえた後、「もういいわよ」の声がかかったのは、それから数分後のことだった。

 「って、まだ下着姿じゃないですか!」

 「あたり前でしょ。まだ髪乾かしてないんだし・・・・・・」

 美神さんはとりだしたドライヤーで髪を乾かし始める。
 以前、事務所でみかけた高そうなドライヤーだった。

 「それに、どうせアンタは女の裸なんて、横島ハーレムで見飽きちゃってるんでしょ!」

 「アンタかっ! 悪質なデマを御椎名に吹き込んだのはっ!!」

 横島ハーレム。
 昨日御椎名から聞いたばかりの、俺に対する根も葉もない悪評だった。

 「悪質なデマ? ナニよそれ?」

 「横島ハーレムっ! そんなモン有りゃしないのに、昨夜、御椎名の奴にからかわれたんスよ」

 「あの男・・・・・・まだあそこにいるの?」

 あれ?
 御椎名と連絡取りあってないの?
 そういえば御椎名も美神さんの動向を知らなかったっけ。

 「ええ、まだ。その後のフォローが必要だとかで・・・・・・アイツを預かって貰ってます」

 「そう・・・・・・嫌いだわ。あの男。全部見透かしているみたいで、死ねばいいのに」

 ど直球の悪態だった。
 一応、御椎名に恩義を感じている俺は、とってつけたような話題変更を試みる。

 「あ、そうそう。話は変わるけど、おキヌちゃんが東京に戻ってきてるんですよ」

 「知っているわよ。だから言ったっていうのに・・・・・・」

 「え、何かいいましたっけ?」

 あれ、美神さん、おキヌちゃんについて何か言ったっけ?
 それじゃ、黒巫女化のことも知っているのかな?
 御椎名からは本人が記憶していない以上、誰にも話すなって言われているんだけど。

 「自覚がないならいいわ・・・・・・おキヌちゃんのことなら六道のおばさまから簡単に聞いているだけ。ゴールデンウィーク以降、閉鎖した事務所の管理人をやっているようね」

 「ええ。他には何か聞いてます?」

 「何を奥歯にものが挟まったような言い方をしているの? それだから、アナタは一生イカ臭い童貞なのよ」

 「アンタは未来から来たのか! なんでソレが決定事項なんだよ!!」

 「唾をとばさないで、童貞がうつるわ」

 「女に童貞がうつるかっ!」

 いや、男にもうつらないけどね。

 「ていうか、なんでさっきから俺が童貞であること前提で話が進んでいるんスか!」

 「だって、アナタを相手にする小学生なんているわけないじゃない」

 「いい加減そのネタから離れてくれ! 俺はロリコンじゃない!!」

 再燃したロリコンネタに、思わず頭を抱える。
 大の字に横たわるタマモの存在が、そのネタの完全否定を妨げていた。
 あれ? いつのまにかスカートが直ってる。

 「それでは訂正します・・・・・・唾をとばさないで、素人童貞がうつるわ」

 「全面的に認めます。俺は童貞野郎です!」

 もう頼むから話題変えようよ。
 この日、何度目かの土下座をして、俺は美神さんに絶対服従の意志をしめした。 

 「分かったわ・・・・・・もうそのことには触れないであげる」

 美神さんはドライヤーのスイッチを切ると、上機嫌でいつものボディコンを身につける。
 本来ならば残念な筈なのに、ホッとしたのは美神さんの攻撃力が下がるのを感じたからだ。
 脱げば強くなるって、この人の先祖は忍者に違いない。

 「でも、困ったわね。それでは横島クンに、どうやってお礼をすればいいのかしら?」

 「お礼って・・・・・・まだ、そのネタ引きずるつもりッスか?」

 「ねえ。何か私にして貰いたいことはないかしら? 私的なおすすめは一週間、裸エプロンで朝食をつくるなのだけど」

 「大変魅力的な申し出だし、それが漢の浪漫だということを否定する気はないッスけど、お断りします!」

 「あら? 流石に一生それをヤレというのは、私も付いて行けないわよ」

 「期間の問題でもないっ! っていうか、美神さんこそ何でお礼に拘るんスかっ! 変ですよ! 今までそんなこと言ったことないでしょうッ!!」

 意味不明な申し出に、少し不機嫌になってきた。
 しつこくお礼を口にする美神さんにも、美神さんの申し出に心動かされまくっている自分にもだ。

 「今までは丁稚だったからね・・・・・・でも、今はちがうでしょ」

 「・・・・・・・・・・・・」

 その発言は少なからずショックだった。
 美神さんが失ったのは貯金や不動産だけでは無い。
 美神事務所という人の繋がりも失ったのだと、美神さんは言っていた。

 「俺が美神さんを助けるのに理由なんていらないと思うんスけど・・・・・・」

 「横島忠夫という男には借りを作りたくないのよ。そうしないと私とアナタは対等じゃなくなる」

 これがこの人なりの意地の張り方なのか・・・・・・
 全く、なんでこんな面倒くさい女と知り合っちまったのかね。
 そんなマジに言われたらエロい要求なんかできないって。
 俺は諦め半分な気持ちで、美神さんにお礼を要求した。

 「それじゃ、どうしても美神さんの気が済まないっていうのなら、コイツ・・・・・・タマモを人間の中で暮らせるように力を貸してやってください。六道家に掛け合えばなんとかなるでしょう?」

 「そう。無欲なのね・・・・・・」

 美神さんはそう呟くと、携帯電話をとりだし六道家の番号を呼び出した。









 006

 「はい。報酬はいつものように・・・・・・それでは、おばさまもお体に気をつけて」

 約5分の電話を終わらせた美神さんは、成果を窺う俺の視線にVサインで応えた。

 「おお、それじゃ交渉成功ッスか?」

 「ええ、今回は依頼主にも非があったし、表沙汰にもできない事情があるから意外とすんなり事は進むようね。おばさまから幾つかの条件は提示されたけど、それさえクリアすれば何とかなりそうよ・・・・・・さて、タマモ。タヌキ寝入りは分かっているわよ。いい加減起きなさい」

 美神さんはそう言うと、未だ大の字に横たわるタマモを軽く揺すった。
 とうに意識を回復していたのか、目をパチリと開いたタマモは上体を起こすと不満そうにボソリと呟く。

 「タヌキじゃないもん・・・・・・」

 「分かっているわよ。狐でしょ。何で寝たふりなんてしていたのよ?」

 「夢を見ちゃって・・・・・・それが夢だったのか、現実だったのか見極めようとしてたのよ」

 「ほう。タマモちゃん。どんな夢を見たのかなぁ? お兄さんに話してみようか?」

 会話の主導権を美神さんから奪い返し、体操のお兄さん風に接してみる。
 虐待の事実を誤魔化す気満々の男子高校生の姿がそこにはあった。
 というか俺だった。

 「男子高校生に虐待される夢」

 「・・・・・・うん。それは多分、逆夢ってやつだな」

 「逆夢・・・・・・やっぱり夢だったのね。胸を触られたあげく、プロレス技で気絶させられるなんて現実にあるわけないか」

 明らかに気を失う直前の現実だった。
 後ろめたさで胸が張り裂けそうだった。

 「ふうん。胸をね・・・・・・」

 美神さんの声が冷たい。
 かがやく息ってこんな感じだろうか。

 「いや、あくまでも夢の話だってことですし、あんま深く意味を考えない方がフロイトも草葉の陰で・・・・・・」

 「どうせ夢だったなら、手なんて噛み切ってやれば良かったのに・・・・・・」

 冷や汗を流す俺をジト目で睨んだ美神さんは、そう呟いてからタマモに視線を移した。

 「でもね。普通の人間は胸なんて触って来ないから、無闇に噛んじゃダメよ。 アナタ、これから人間の社会で、生き方を学んでいくのだから」

 「え? それって・・・・・・」

 「そう。これからアナタを東京のある建物に案内するわ。アナタの余剰な力を吸い取ってくれる人工幽霊がいる建物へ・・・・・・そこで暮らしながら、アナタは妖力のコントロールと自分に合った人間社会での生き方を学んでいくの。前のような失敗をしないために」

 「ふ。ふん。ナニ勝手に決めてるのよ。さっきまで退治しようとしていたクセに」

 「そうね。それも人間。今回のことでアナタが教訓とすべきなのは、人間にも色々いるということよ。偏見と無理解からくる恐怖からアナタを排斥しようとするのも人間だし、困っている幼女がいたら見境無く助けるのも人間・・・・・・」

 「コラっ! 折角いい話にまとめかけておいて、何でまたそっちのネタをぶり返すんスかっ!」 

 本当になんなんだよこの人は!
 なんか他に言いたいことでもあるのか?

 「あら、横島クンいたの? また、別の幼女を助けに行っているのかと思ったわ」

 「ずっとココにいたでしょ! 6畳間に一緒にいて存在を忘れんでくださいよ。っていうか、何で幼女!!」 

 「じゃあ、存在をアピールするためにも、アナタがタマモを説得することね」

 「え? 俺ですか?」

 「あたりまえでしょ。アナタが助けたのだから・・・・・・最後まで責任をとるのが礼儀よ」

 うわ。
 何気にハードル上がってないか?
 何かいい話でもして、話をまとめろって事なのか?
 どうすりゃいいのよ。
 タマモを説得して東京に連れて行くには・・・・・・えーっと。

 「タマモ・・・・・・東京で稲荷寿司をご馳走しよう」

 「きゃっほ―――っ! わかった! ついていく!!」

 馬鹿な子供で助かった。
 というかほんと馬鹿。
 このまま東京に連れて行って本当に大丈夫か?
 誘拐されないよういろいろ教えてやらないとなぁ・・・・・・

 「うまく逃げたわね・・・・・・」

 え?
 なんで美神さん真顔なの?
 今のオチじゃダメ?

 「横島クンが真剣にタマモを説得したら、小学生を真顔で口説いた勇者として伝説にしてあげたのに」

 「怖いわアンタ!」

 「そのバンダナとGジャンが横島の装備として語り継がれるのよ。幼女を助け、ゆうべはお楽しみだった伝説とともに」

 「根も葉もない噂で人を犯罪者にせんでください! 大体さっきから何です。ヒトをロリコン扱いして!!」

 「あら、違うのかしら? 私の裸エプロンより、タマモを助けることを選んだからてっきり・・・・・・」 

 裸エプロンネタまだ引っ張るのかよ!
 それになんなんだよ! さっきから助けるとか、助けないとかでゴチャゴチャと・・・・・・
 ここまで拘られると、御椎名の気持ちが分かる気がする。
 僕は助けない。助かりたい者が勝手に助かるだけ――――――俺もこのスタンスをとった方がいいのか?

 「タマモを助けたって言ったって、俺はお揚げをあげた以外何にもしていないじゃ無いッスか! タマモが助かりたかったから勝手にッ!!・・・・・・」

 「それはあの男の言葉よ。横島クンが口にしてはダメ・・・・・・」

 俺が口にしようとした言葉は、口腔内に突っ込まれた神通棍によって止められていた。

 「横島クンにとって何でもないことでも、ごく当たり前にしたことであっても、相手にとってはどうかしらね? タマモは嬉しかった筈よ。たった一枚のお揚げが。不安で様子を窺っている時に聞いた、自分を気遣う一言が。それを助けと言わければ何というべきかしら?」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「ただ、問題はね。助けられた方はいろいろ考えちゃうのよ。横島クンは何で助けてくれたのだろう? 横島クンは自分だから助けてくれたのか? って。よく見ていると、横島クン。誰でも助けちゃうのにね・・・・・・でも、別にそれが悪い訳じゃないわ。ううん。むしろ横島クンの良いところよ。実際、これから帰る東京にも、助けられた子は沢山いるし。だからね。出発する前にどうしても言っておきたいのよ。横島クン・・・・・・」

 美神さんは俺の口に神通棍を突っ込んだまま、ほんの一瞬タマモに視線を動かす。
 そして、異常な状況に不釣り合いなほどの爽やかさで俺にこう囁くのだった。

 「I love you」

 数秒間考えた俺は、神通棍をくわえさせられたまま告白された最初の日本人になってしまったことを理解した。

 「おめでとうございます」

 タマモがそういった。
 全ての意味で、場違いで的外れな言葉だった。








 007

 行きと同じルートを辿り、俺たちは事務所へとタマモを送り届けた。
 けじめに拘る美神さんが頑なに事務所への立入を拒んだので、おキヌちゃんとの感動の再会は事務所前の路上で済ませている。
 負債がどれだけあるかは怖くて聞けなかったが、美神さんは再びこの事務所を手に入れる気らしい。
 確かにそれは一度失われたものだが、二度と手に入らなくなったものではない。
 だから俺は、これからこの建物のことを、少しも気にせず元美神事務所と呼ぶことができる。
 おキヌちゃんが用意した稲荷寿司にご満悦中のタマモを残し、俺と美神さんは元美神事務所を後にした。

 「お疲れ様。横島クン。無事解決はあなたのおかげよ」

 「はは、それはどうも・・・・・・」

 謙遜するとまた、またさっきの流れになりかねない。
 二人っきりでの帰路は、俺にもの凄いプレッシャーを与えていた。

 「生まれたばかりということもあるのかも知れないけどね。普通、人間との関係を悪化させた妖怪に、再び心を開かせるのは並大抵のことではないのよ。だから、誇ってもいいわよ・・・・・・得体の知れないものに好かれる自分の才能を」

 「誉めてるようには聞こえないスけど」

 「素直に受け取りなさい。私がアナタを誉めるなんて、そうそう無いことなのだから・・・・・・たとえ、女からの告白をスルーし続けている腑抜けでも、その一点に関してのみは評価してあげるわ」

 「・・・・・・・・・・・・」

 ひょっとして怒ってる?
 というか、やっぱりさっきの告白なんだ・・・・・・
 でも、「I love you」なんて告白に、どうやって応えりゃいいのよ?

 「で、どうするの? 私はまだ返事を聞いていなんだけど」

 「ちょ、ちょっと待って下さいよ。何か今回やたらと助けられたとか言われてますけど、もし、美神さんが俺に恩義みたいなものを感じているんだとしたら、それは環境の変化が・・・・・・」

 「吊り橋効果みたいな似非心理学のことを言っているのかしら? それとも恩義につけこむような真似は嫌い? 安心なさい。以前に助けられたことも含め、私、それ程横島クンに感謝したことなんて無いのだから」

 いや、そこは感謝しときましょうよ。
 時給250円で何回も死ぬような目にあわせたんだから。

 「だって横島クン誰だって助けちゃうじゃない。それこそ敵側の子だって」

 「・・・・・・・・・・・・」
 
 「でもね。今はこう思えるようになったの。誰でも助けるアンタの特別になれたら、どんなに痛快だろうって。まあ、いろいろ大げさに言ったけど、私はアンタと一緒にいるのが楽しいだけ、だから好きというより、好きになる努力がしたいというのが本当のところかもね」

 「好きになる努力・・・・・・」

 好きになる努力か・・・・・・この人らしいや。

 「所詮はこういうのってタイミングだと思うし、別に友人のような関係でもいいのかもしれないけど、私は欲張りなのよ。タチの悪い女にひっかかったと思って頂戴。もういっそこう思ってもいいわ。愛情に飢えているツンデレ女に不幸にも目を点けられてしまったと。誰彼かまわず優しくするからこんな目に遭うのよ。ついてなかったわね。普段の行動を呪いなさい」

 美神さんがここまで自分を貶めるとは・・・・・・
 そして、そんなことまで言わしちゃっている自分。
 そんなことまで・・・・・・ったく、格好悪い。

 「だから横島クン。いままで色々言ったけど・・・・・・この申し出を、横島クンがもしも断ったら、アンタを殺して私は逃げるわ」

 「普通に殺人犯じゃん! そこは一緒に死んどきましょうよ!!」

 「それくらい、普通に本気ということよ」

 「はぁ、そうッスか・・・・・・」

 心の底から、嘆息するように反芻する。
 全く、もう。
 面白いなぁ、この人は。
 バイト募集の貼り紙をしていたこの人に、抱きついたのが俺で本当に良かった。
 美神令子の隣に立つのが横島忠夫で―――本当に良かった。

 「ここで少し考えさせてくれなんて、腑抜けたことを言ったら本当に軽蔑するわよ。横島クン。あんまり女に恥をかかせるものではないわ」

 「わかってますよ。現時点でもかなりみっともない。でも、美神さん、一つだけ条件をだしていいですか?」

 「何かしら? 一週間私が無駄毛を処理する様子を見せて欲しいとか?」

 「アンタが今まで口にした台詞の中で、それは間違いなく最低の一品だっ!!」

 内容的にもタイミング的にも、間違いなく。
 数秒、間合いを改めて、俺は美神さんに向かう。 

 「条件というか、お願いですね」

 「お願い。何かしら?」

 「アイツはもう俺の一部です。アイツが明日を生きてくれるから、俺も明日を生きられる。美神さんが俺を好きになってくれるというのなら、アイツも・・・・・・」

 「言わなかったっけ? 好きになる努力をする・・・・・・って、それはつまり、そういうことよ」

 美神さんは涼しい顔で―――表情ひとつ変えないが、それでも、十分に、俺の方からは、その、あまりにもあっけない、ともすれば安請け合いとも取れるような、けれども確かな、ノータイムでの即答に、わずかなりとも、感じるものがあった。

 「それでは、一応言葉にしておいて貰おうかしら」

 「言葉に?」

 「なあなあの関係は嫌だから」

 ああ―――そういうことか。
 考える。
 I love you という告白に返すような言葉は、すぐには浮かばなかった。
 だから俺は、俺たちに一番お似合いな言葉を返す。

 「言いませんでしたっけ? 生まれる前から愛してました・・・・・・って」

 こんな風にして、この日、俺に人生2人目の彼女ができたのだった。











 008

 エピローグのようなもの
 畜生。あの女、あの後、手も握らせずに別れやがった。
 

 翌日、俺は見事なまでに変わらない朝を迎えていた。
 付き合うことになった美神さんとは、あの後、すぐに別行動となっている。
 なんでも今の美神さんは住所不定なので、すぐに今後の生活拠点について動き出したいとのことだった。
 そんなわけで現在、向こうからの連絡待ちという状況である。
 実家に転がり込めばいいのにと思ったりもしたが、事務所を畳んで以来、実家とは連絡をとっていないらしい。
 理由は、美智恵さんに頼ると人間強度が下がるとのことだった。うーん。訳がわからん。
 というか、なあなあは嫌だといいながら、なんだよこの淡泊っぷりは!
 まあ愚痴っていても始まらないので、昨日休んだ遅れを取り戻すべく活動を開始する。
 目下の心配事は出席日数・・・・・・油断するとずるずるいくからな。
 TVのスイッチを入れ、ニュースショーをBGMに朝食の支度を・・・・・・げ、パン買っておくの忘れた。

 「昨日、色々あったからしゃーねえか」

 朝飯はコンビニで菓子パンでも買おう。
 そう思いつつ冷蔵庫を閉めると、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
 
 「横島いる?」

 タマモの声だった。
 急いでドアをあけると、タマモが1人で俺の部屋の前に立っていた。
 うーん。女の子が部屋の前に来てくれるだけで、何か幸せな気分になるなぁ・・・・・・
 いや、別に俺はロリコンじゃないから、周囲の目が無いのを確認してから部屋に連れ込もうって気にはならないけどね。
 チッ。あの通行人、早くどっかいかねえかな。

 「あの、来たの迷惑だった?」

 「え! そんなことないけど、どうして?」

 「なんか怖い顔していたから・・・・・・」

 やべえ。
 無意識に通行人にガンをとばしていたか。
 慌てて顔の筋肉をほぐし、精一杯の笑顔を浮かべる。

 「それより、どうした? こんな早くから」

 「早朝の方が人通りが少ないから、練習にはいいって・・・・・・あとコレ」

 目の前に風呂敷に包まれた箱が差し出される。
 手にとって見ると、見覚えのあるお重であることが分かった。

 「おキヌちゃんからのお裾分け。昨日、作り過ぎちゃったから」

 包みを解き、フタを僅かにずらすと、綺麗に並べられた稲荷寿司が目に入った。
 昨日、元美神事務所に入るのを拒んだ美神さんに付き合い、俺もご相伴には預かっていない。
 タマモとおキヌちゃんだけでは消費できない量を、おキヌちゃんは作ってくれていたのだろう。
 
 「ありがとう・・・・・・で、この街はどうだった? やっていけそうか?」

 「うーん。まだ分からないわ。でも、あの人工幽霊のおかげで、妖力のコントロールはなんとかなるみたい」

 「そうか・・・・・・」

 やや自信なさげな笑顔。
 しかし、2日目にしては上出来の笑顔だった。
 今は人通りの少ない早朝しか出歩けないだろうが、数日もすれば昼間の大通りも闊歩できるはずだ。
 そして数年後には、道行く誰もが振り返る美人に成長する。
 振り返った男が狂うことのない、ちょうど良い美人に。
 それはきっと、とても素晴らしいことなのだろう。

 「朝ご飯まだでしょ? おキヌちゃんの料理って凄くおいしいのよ」

 「ああ、知ってる・・・・・・」

 「じゃあ、空のお重は明日の練習で取りに来るから・・・・・・」
     
 「1人じゃそれまでに食いきれないな。朝ご飯食ってなければ一緒に」

 一緒に朝食をとろう。
 そんな問いかけに応えたのは、凍り付くような聞き覚えのある声だった。

 「どうしましょう。どうやら未成年者誘拐略取の現場に遭遇してしまったようだわ」

 「み、美神さん! いつの間にっ!!」

 それは本当に神出鬼没な出現ぷりだった。
 まさか、美神さん、最初からタマモの後をつけていた?
 
 「ねえ、横島クン。恋人の犯罪を目撃してしまった場合、善良な一市民である私は、どうやって横島クンを殺せばいいのかしら?」

 「ちっとも善良じゃねえっ! というか、今のは単に稲荷寿司を分けようとしただけでしょ!!」

 「甘いわね横島クン。私が朝から下ネタに付き合うと思ったら大間違いよ」

 「そっちのお稲荷さんじゃないッス! おキヌちゃんから貰った差し入れが食べきれないくらいあるから、一緒に食べないかって言おうとしただけでしょう」

 「あら、そうだったの。最初からそう言えば良かったのに・・・・・・それなら私も朝食に招待して貰おうかしら?」

 しれっとした調子で無表情にもどる美神さん。
 しかし、今、さりげなく恋人って言ってたよね。

 「ええ、もちろん歓迎しますよ・・・・・・それよりも美神さんはどうしてこんな朝早くに?」   

 「新しい住所が決まったのでね。恋人の横島クンには真っ先に知らせようとしたのよ」

 「随分早いッスね。んじゃ、朝飯を食いながら聞かせて貰いましょうか」

 俺は2人を招き入れるためにドアを大きく開く。
 しかし、美神さんはすぐに俺の部屋には入ろうとしなかった。

 「それなら私、自分の箸と湯飲みを持ってくるわね」

 「へ?」

 俺とタマモの目が点になる。
 美神さんは大股で3歩程異動すると、空き部屋となっていた隣のドアをガチャリと開いたのだった。

 「ま、まさか・・・・・・」

 俺は二の句が継げなかった。
 先程の神出鬼没っぷりは、別に静かに鉄階段を登った訳でも、最初からタマモについてきた訳でもなかった。
 静かにドアを開け、3歩踏み出しただけだったとは。

 「そう。そのまさかね。それじゃ、これからヨロシクね。横島クン!」

 美神さんはそう言って笑うと、ドアをぱたりと閉め自分の部屋へと入ってしまう。
 今頃は引っ越しの荷物から箸と湯飲みをとりだしていることだろう。

 「前言を撤回しないとな・・・・・・」

 良く晴れた空を眺めぽつりと呟く。
 俺は見事なまでに変わった朝を迎えたようだった。
 だからこれは・・・・・・
 これからの物語は―――





 ――― 他物語 ―――


 第1話 タマモfox 完


 
 お久し振りです。
 相変わらず趣味活動に割ける時間が殆どない生活を送っていますが、正月にニコ動で見た化物語にどはまりしたので、こんな話を書いてしまいました。
 元ネタ同様100%趣味で書いたので、GS本編しか知らない方にとっては、???となる設定だと思いますが、寛大な心で読んでいただければと(ノ∀`)
 予定では全3話。夏と年末に投稿できればと思っています。
 ご意見、ご感想等いただければ幸いです。

[mente]

作品の感想を投稿、閲覧する -> [reply]