「あのさぁ、澪」
「なに」
最近通い始めた普通人の学校。パンドラの学校に比べたら何か色々面倒なことも多いけれど、思ったよりもずっと平和な日々をあたしたちは送っている。
そんな平和な休み時間。パティはマンガがいい所だからと向こうで本にかじりついていて、カズラはトイレ。カガリは東野とどこかに遊びに行った。多分運動場かどこかだ。他のメンバーは…どこだろう。多分何かしら用事があって偶然近くにいなかった。思ったより学校って色々用事とか暇の潰し方ってあるんだなというのがあたしの感想だった。そんな中、珍しく二人になった薫が突然世間話の途中で言った。
「あんたたちって、どうして京介のこと、少佐って呼ぶの?」
「え」
薫の言葉にあたしは固まった。
「どうしてって…少佐は少佐だもん」
「いや、だって京介は、兵部京介って名前があるじゃん」
「それは、そうだけど。っていうか突然何」
「うーん、今ふっとさ、昔のあんたと会った時、思い出して。何かそういえば最後物凄いキレられたけど、あの時そういやあたし京介って言ったなって」
そんなこともあった、かもしれない。あたしは正直あまり細かいことまでは覚えていない。
何か超能力が暴走して結局薫に止められて、ボロボロになってたし。
でも確かに虫とか色々ぶつけた気がする。薫はすごく少佐と仲がいいんだ。大切なんだって、何となく強く思って、悔しくて苦しかったから。言われれば確かに「京介」という言葉だった気がする。
今思うと、何であんなに薫のことを嫌っていたのだろうと思うぐらい、あの頃あたしは薫に反発していた。そりゃ、今だって少佐と仲がいいのは複雑な時もあるし、反発したくなることもあるけど、あの時と今だと意味が全然違う。薫は、友達だから。友達だとあたしは思っていて、薫もそう思ってくれるから。
「だって、紅葉ねーさんとか、真木さんとか、みんな少佐って呼ぶから」
「うん、だからどうしてかなってさ」
「どうしてって」
「ほら、紅葉とかにはねーさん、とか呼ぶでしょ。名前とか。逆もそうでしょ?でも京介だけ違うの」
「それは、少佐が特別だから……」
そう。少佐は特別だった。
あたし達エスパーのリーダー。特別な人。特別な家族。家そのものみたいな。
「うん、あんた達が京介のこと特別に思ってるのは知ってるよ。京介のこと家族だって思ってることも、知ってる。あたし、だけど、だからなんでかなって」
「なんで…」
「あたしたまに、京介がすごく寂しそうに見えることがあるの。あたしを見るときとか、ばーちゃんを見るときとか、皆本を見るときとか。でもあんたたちといると、京介はすごく楽しそうなんだよ。なのに、どうしてみんな京介じゃなくて少佐なのかなって思った。それだけ」
「それだけって」
「ごめん、変なこと言った」
薫との話はそれで終わりだった。チャイムが鳴ったから。
帰るとき、そう、珍しくみんな揃っていた。
カズラ、カガリ、パティに薫と話したことをぽつりと話した。
「少佐は少佐、だろ」
「女王ってば何言ってんの」
「私は、皆がそう呼ぶし……」
あたしと同じ反応だった。でもあたしは何故という気持ちが拭えないままだった。
「大体、少佐以外なんて呼ぶの?」
「っていうかそれ以外で呼んでる奴、いるか?」
あたしは思い出す。パンドラのみんなを。あたしの家族を。
そして思い出した。
「あ、いた」
「「「誰っ!?」」」
「桃太郎」
「「「あー…」」」
桃太郎はそういえば昔から少佐のことを少佐とは呼ばなかった。
「お前」とか「京介」とか呼ぶ。
……何だか思いついたら腹が立ってきた。
「何か…複雑、かもしれないわね、それ」
カズラも少し気に障ったのかも知れない。少し眉をしかめている。
「いや、あいつげっ歯類だし。動物だからだろ」
「動物に負けてるんですか、私達」
カガリの言葉にパティが返す。カガリはうっと言葉に詰まる。
視線をさ迷わせて、話題を変えることにした。
「後は誰か、いるか?そういえば葉兄がジジィって呼んでるの見たことあるけど…」
「でもそれって悪口よね?」
「だよねぇ」
あたしは頷いた。大体少佐は体調が悪い時はあるけど、見た目はすごく若いし。
「少佐以外って何て呼べばいいのかな」
あたしの呟きに皆は唸る。
「お父さん、も違うし、おじいちゃんはもっと違うし」
とカズラ。
「かと言って桃太郎みたいに京介って呼びすてっていうのは、ちょっとな」
カガリも頭を抱える。
「兵部さん……なんか遠ざかりますよね」
パティも同じか、と思ったら続けて言った。
「いっそあだ名とか」
パティは「皆で考えて」と続けた。
「あだ名が少佐?」
「いやでもそれって名前入ってなくない?っていうか今までと変わってないし」
「名前が入ったあだ名…」
あたしの言葉にカズラがつっこみ、カガリがうーんと首を傾げる。
あたし達の間をしばらく沈黙が支配した。
「じゃあ京ちゃんとか」
あたしはなるべく無難な返事をしたつもりだった。
「京ちゃーん?」
「何か可愛すぎないか?」
「あんたそれ、言うの勇気いるわよ」
「う、うるさいな!じゃあ他の考えてよ!」
カズラとカガリは微妙な顔をした。
あたしも何となく気恥ずかしい気がして、黙りこんでいるパティの方を向いた。
パティは目が合うと、ぴっと指を立てて言った。
「それ、パンドラの皆に広げてみますか?皆で言えば恥ずかしくないかも」
「みんなって」
「真木さんとか紅葉ねーさんとかも含めてみんなってこと?」
パティはこくり、と頷いた。
「「「「…。」」」」
あたし達は沈黙して、顔を見合わせた。
そして多分想像したんだろう。何となくぷっと笑ってしまった。
「ない!絶対ない!」
「京ちゃん、とか言う真木さんとか絶対ないわよ!」
「マッスルとかねーさんはありかもしれないけどー!」
「ぷ…くく…」
あたし達はそれから思い切り笑って、そして誰からともなく「帰ろっか」と言った。
気がつけば時間も思ったより過ぎていた。これ以上遅くなると電車やバスの乗り継ぎがあまり上手く行かなくなる。不便だな、と最初はすごく面倒だった通学も、いつの間にか慣れているから不思議だ。あたしはゆっくりと道を歩きながら、みんなに言った。
「いつかさー」
「んー」
「みんなで呼べるといいかもね。少佐じゃなくって、何かもっといいあだ名とか、名前で」
「そーだね」「そうですね」「ああ」
桃太郎に負けたままっていうのも嫌だったし、何よりなんとなく、もっと近くなりたいと思った。
多分あたし達みんなそうだったんだろう。みんなさっきみたいに変なこととは言わなかった。
「それまでに真木さんでも呼べるあだ名、考えといてよ?」
「京ちゃん以外な」
「ぷ」
「そーねー、京ちゃん以外よ、澪?」
「あーもうっ!忘れてよそれはっ!?」
あたしはそっぽを向きながら、いつか絶対「京介」以上の呼び方をしてみせるんだと心に決めた。
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少佐、と呼ばれている兵部を見るたびに、この人の内面はまだ戦時中をさ迷っているんだと感じる時があります。そんな彼を救うのは過去の自分を投影している薫や皆本ではなくって、ずっとそばにいた、そして彼が不器用に、だけど守り育ててきた確かな現在としてのパンドラの面々、子供達であって欲しい気がします。
余談ですが想像すると真木さんのあだ名呼びは凄く違和感があったけど、マッスルは全く違和感を感じませんでした。マッスルすげぇ。