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A Lei tutte le benedizioni.




雑踏の中、傍を通り過ぎていく無表情の群れ
勿論、一人ひとりの顔立ちは違っていて
勿論、表情自体はあるのかもしれないけれど
意識して覚えようとしないなら
記憶に留めようとしないなら
どんな顔も、どんな表情も、ただの形でしかなくて
大事なのは自分の近くを歩いている一人だけ
一人だけを気にしながら、何処へともなく歩いている

そんな風に歩きながら
何かに惹かれるようにして振り返ったのは
見知った相手だからではなくて
誰かに似ていたからでもなくて



ただ、腕を組んで歩くその姿が、幸せに見えた



振り返った瞳は、腕を組んで歩き去る二人を映す
背中を向ける二人の顔も表情も、既に頭には残らずに
ただ、身を預けるその姿だけが互いの仲を示していた
傍を通り過ぎただけの後ろ姿からは
浮かべていた表情さえも、記憶の片隅にさえ残さずに
笑顔だったのかさえ、思い出すことができない
もたれ掛かるように、甘え合うように
誰とも知れない恋人同士は遠ざかっていく
残されたのは胸の奥、仄かに灯る羨ましさ

前に戻した瞳が映したのは、欠伸をしながら伸ばす背
息を吐くのと共に、下ろした腕が形作る隙間を見つけた
緊張させた後、弛緩した体が作るほんの一瞬の隙間

弾かれるように手を伸ばし
引き合うように唇を頬に寄せる

突然で紅潮した驚き顔と、悪戯めいた微笑みが交差した





そして霞む世界





視点の切り替わりは唐突
前触れ無く主役が移る
彼女から自分へと

白霧の中に消えて行く
白夢の中に薄れて行く
周囲の雑踏は既に無く
白い背景で埋まる視界

笑顔のままの無表情
世界が輪郭を失って
彼女が輪郭を失って
擦れぼやけて曖昧に

手を伸ばしたくても、自分の手も何時の間にか消えていて
瞼を下ろしたくても、自分自身が何時の間にか消えていて
刹那が無限へと引き延ばされて、全ての現実は夢幻の彼方

何処にも無い瞳に彼女だけが映る
彼女の笑顔だけが消えてくれない

視界の端には、自分の顔や体さえも映らなくて
視界の中には、彼女の浮かべた満面の笑みだけ

温もりが次第に冷えるように
声が空の中へと消えるように
溶けて掠れて、解けて擦れて
大声で叫びたくても喉が無くて
目を反らしたくても顔が無くて

彼女の微笑を、見詰めることしか出来ないまま
消える彼女を、眺めることしか出来ないままで





ーーーーーーーーー





見慣れた天井
何時もの部屋
寝転がる自分

水滴が顔を伝い落ちる感触に
滲んだ視界は涙のせいと気付く

起きてしまえば、自分一人しか居らず
それでも、素直に感情を露わに出来なくて
悲しみを自覚してしまうと、泣くことも難しい
彼女への申し訳なさが降り積もる
あけすけな自分が見つからなくて
かといって顔を上げる気力もなくて

時の流れは痛みを癒し続けて
胸の奥の見えない場所に
ぽっかりと空いた傷だけが残る
落ち込むのなら落ち込めばいいのに
引き結んだ唇と、涙を拭う手の甲と
似合わない強がりが、彼女へ返す笑顔を探した
生きている自分は、幸せじゃなきゃいけないと



自縄自縛を続ける自問自答
それを止めたのは外からノックの音
考えるよりも先に、気だるげに身を起こし
醒め切らない頭で、部屋の扉を開ける





飛び込んでくる笑顔
視界を埋め尽くす笑顔
とにかく笑顔らしい笑顔
探して見つからなかった笑顔



それが見慣れた弟子の顔と気付いたのは、後ろに倒れこんでから



開け放たれた扉の先
尻尾をぶんぶか振りたくる弟子の後ろ側
三者三様の綺麗どころ、立場で言えば上司に同僚、後輩と
見慣れた顔ではあるけれど、顔ぶれ的には珍しい
皆が皆、そろって来るのは初かもしれず
白黒させた目のままで、閉じられない耳が音を拾う

同僚は、少しだけ申し訳なさそうな笑顔で
上司は、目をそらしつつ天の邪鬼げに
今日、この日のことを口にする

弟子に押し倒されて、尻餅付いた姿勢のままに
同僚が胸に抱える食材を見上げるようにして
今更ながら、今日という日のことを思い出す

視線を下げれば弟子の笑顔
子犬よろしく口移し、ただし骨
所詮犬、と馬鹿にした様子を見せる後輩に
弟子がくってかかる姿も見慣れたもので

考えるよりも反射的に出る疑問
手ぶらとはいえ上司が来るのは珍しい
軽く呆れた顔をして、口にしたのは勘違い
プレゼントなんて別にない、わざわざ用意するわけない
背景暴露は同僚の少女、こっそりやってたケーキの予約
勘違いはするんじゃないと、照れ隠しの怒り顔

そして






後ろから、そっと抱きしめられる感触






振り返る、夢の中で彼女がそうしたように
傍を通り過ぎた、誰かの幸せを追いかけるように

いつも通りの部屋が見えた
彼女が居ない部屋が見えた

思い出すのは、知らない筈の記憶
一緒に暮らせると聞いた時の彼女の想い
思い返すのは、抱き続けてきた感情
一人で過ごしてきた今までの自分の想い

時が経つごとに、彼女を思い出すことが減っていった
この世で一番信じられない自分だから
こんな自分は、彼女を忘れてしまうんじゃないかと考えた
思い出すことさえ忘れるんじゃないかと怖かった



でも
それでも



きっと、毎年思い出せる
今日、この日が来る限り
俺は彼女を思い出す

忘れられない痛みとしてじゃなくて
忘れちゃいけない傷としてじゃなくて

彼女が残した微かな痛み
彼女へ残した確かな想い
思い出せるようになったからこそ
過ぎた時間を自覚する皮肉





そう、きっとこの時

彼女は思い出になった





振り返った俺が見たのは、不思議そうな顔の四重奏
上司の驚き顔を見て、初めて流している涙に気がついた
改めて、心配で顔を一杯にした弟子が飛び込んでくる
受け止めながら、今生きていることの幸せを思った
この世界に生まれてきたことの、皆と出会えたことの幸せを

また鼻の奥に刺激を感じる
けれど、嬉しい時には泣くものじゃない
その刺激に抗うようにして立ち上がり
腕を組んで微かに心配げな上司の胸へとダイビング
わざわざ祝いにきてくれたことへの感謝を叫びつつ
返す拳は渾身の左ストレート
空中で鼻血を吹きながら、仰向けにひっくり返る
倒れ込みながら、怯える三人の顔と、怒りを背負う上司が見えた

ぶん殴られた鼻が痛い
痛いんだから仕方ない
殴られたから仕方ない

こぼれる涙は痛みのせい
こんな痛みは何時ものことで
痛みで泣くなんて本当に何時ものことで
格好悪い俺だから、泣き笑いくらいがちょうどいい

歯を見せた唇と、涙を払う手の甲と
何時も通りの日常で、心の中に見つけた笑顔




だから、だから




だから、笑顔を見せていこう
今はまだ、残った涙が少しだけ零れるけれど
生まれてきたこの日を、生きていく今を思いながら






青い空と白い雲の向こう側

夕暮れの彼方に残した想いの先

彼女の微笑みが見えた気がした

Buon Compleanno!(挨拶
こんばんわ。豪です

本作は三次創作となります。
元となるアラコさんの漫画は以下のリンクよりご覧ください。

http://gtyplus.main.jp/log/others/a-comics3/comic-1.html

こちらの漫画を見た時、真っ先に思ったことがあります。
横島への飽くなき愛情、ルシオラへ向けた切なくも深い視点
さりとて事務所の皆もないがしろにしない構成もさることながら
―――――挑戦だな、と(待て

サイレント漫画のSS化、我ながら無謀だなと思いつつ楽しくもありました。
時が経てば改善の余地があるかもしれませんが、これが今書ける精一杯ですわー
たびたびの三次創作の許可ありがとうございました

ではでは。

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