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'10 to '11



 十年一昔だなんて、誰が言ったか知らないけれど。
「今年も終わり、か」
 ついこの間までミレニアムだとか、二十一世紀の始まりとか言ってたような気がする。
 でも、2010年がまもなく終わる。この実感のなさはなんだろうか。案外年を取ったせい、なのかもしれない。今年最後の仕事を終えて、美神令子は閉店間際のコーヒーチェーンで一息ついていた。淹れたてのホットコーヒーで落ち着くひと時。あと二、三時間経てば、新しい年を迎える。
「十年……ああ、やだやだ」
 指折り数えて、自分がもう若くないことを確認するとため息が出た。幸せが逃げていく。幸せってなんだろう。金なら稼いで腐るほどあるから、物には困ってない。が、物で欲求を満たす、ということにもいい加減飽きてきた。二十代、そう、花の二十代は良かった。金に糸目をつけない生活はそれはそれで楽しかったし、満喫もしていた。振り返れば振り返るほど、ただ若かったなあと。
 令子は最近になって使い出したスマートフォンをぷらんと手の内で踊らせる。そういえば携帯も使い出してから、随分と経つ。これはこれで使い勝手は悪くない。
 もちろん通常のものとは仕様が若干異なって、簡単な除霊アイテムなどが内蔵されており、これ一つで事足りてしまう。例えば見鬼くんとか霊視スコープとか。以前はバックパックに溢れるくらいに入れなければいけなかったのが、いまやショルダーバック一つで済む。あいつがひぃふぅ言いながら、自分の後ろを歩くことも今や懐かしい思い出となっている。
 あいつ。
「…………」
 過去の自分が今の自分を見たら、なんて言うだろう。

 血迷ったの?
 考え直しなさい。
 てか、ありえないから。
 馬鹿なんじゃないの?
 ホント信じらんない。
 どこがいいの、あいつの。
 あんたはいいの、それで?

 なんて。
 昔の自分だったら、いくらでも罵詈雑言が出てきそうだ。
 別にいいじゃない。誰と付き合っても。それこそ選択の自由なのだし、他人はもとより過去の自分ですら立ち入ることは許されない。
 現世利益最優先。これがモットー。
 今現在、自分の利益になることが大事。多分、死ぬまでずっと揺るがない。
 楽しまなきゃ、人生損する。
 それが美神令子の生き方だ。
「けどまあ」
 こうなるってのは予想しなかったのも確かで。
 今もこそばゆい感情でやきもきしてる。初恋、ってわけでもないのに。別にそこまで意識する必要もないはずなのに。令子はコーヒーを飲み干して、スマートフォンの画面を指でなぞる。お互い、今日が仕事納めだから、どうせだったら二年参りしようって約束をした。今年も一年ご苦労様でした、と。
 何年か前にあいつも独立して、他の子たちも自分の所から巣立っていった。最近は身一つで悠々自適に過ごしている。時にはみんなとは連絡取り合って、仕事も手伝ってもらうこともあるが、自分にとって気楽なスタイルを選んだ。
「そろそろ、ね」
 店を出て、愛車のコブラのエンジンを掛ける。待ち合わせの場所に向かうためだ。都内で二年参りというと明治神宮。人ごみはうっとおしいけど、人が全くいないよりはましか。いなかったらいなかったで、あいつが何しでかすか分からないし。
 すると着信が入った。
「もしも……」
「みぃ〜かみさは〜ん」
 いきなりゆったりとした調子の長いトーンで呼ばれた。電話の向こうはすでに出来上がっているらしい。ぐでんぐでんな女性の声。
「わ〜た〜しはぁ〜だぁ〜れでしょ〜〜?」
「……おキヌちゃん」
「せぇ〜かい〜。あけましておめでとうございまぁ〜す!」
「早い早い……っって、また酔っ払ってるの?」
「今ですねぇ、弓さんたちと飲んでま〜す」
 あー、と合点がいく。年忘れの飲み会をしてるようだ。おキヌは同窓生たちの付き合いで結構、飲んでたりする。今流行りの女子会だとかなんとか。
「また、そんなことしてると男どもが寄り付かないわよ?」
「い〜んですよ〜だ。美神さんから奪っちゃいますから♪」
「殴るわよ!?」
「いつでも相手になりますよ〜、覚悟しておいてくださいねえ」
 またさらっと怖いことをこの子は。まあ、冗談に決まってる。とは思うけど、おキヌのことだから油断ならない。下手に刺激しない方がいい。
「と、お邪魔したつもりなんですけど、お邪魔でしたかあ?」
「お生憎さま。まだ待ち合わせ場所にも着いてないわ」
「(っち。)残念、話したかったのになあ」
「これから車動かすから、そろそろ切るわよ、いい?」
「はーい。じゃあ、良いお年を〜」
 良い年を、と返して、いよいよ今年もあと僅か。ギアを上げて、車のアクセルを踏みしめた。地に這う毒蛇の名を配したその車は都内を素早く駆け抜けて、目的の明治神宮へ。側の駐車場へ何とか車を停めると、令子は大鳥居の前にやってきた。
「少し、早すぎたかな」
 白い息を吐きながら、上を見上げる。黒ずんだ大鳥居が暗くなった空の中にそびえていた。脇のかがり火が煌々と燃え、時間が経つにつれて、人がだんだんと増えていく。あいつはまだ来ていない。日付が変わるまで正味一、二時間くらいか。携帯をチェックする。メールが何件か届いていたが、やつからのものはない。あとは仕事のメールとか、宣伝メールとか、どうでもいいのばかり。ずらーっと眺めていると新着メールが届く。
「あら、タマモから?」
 また珍しい相手から。開いてみると以下の内容だった。


『本年中は公私共にお世話になりました
 来年、及び今後もよろしくお願いいたします
 ……とまあ、社交辞令はここまで
 出来ることなら新年メールを送ろうかと思ってたんだけど、全てはバカ犬のせい
 里帰りするからって強引に連れて来られて、さっきまでどんちゃん騒ぎ
 いーかげんにして欲しいわ、まったく人を自分のペースに巻き込むんじゃないわよ
 で、そのバカシロはヤケ酒した挙句、暴れまわったあと、いびきかいて寝てるし。いい気なもんよね
 原因は分かってるけど。ま、わたしにはどーでもいいわ。
 これから餅つきするみたいだけど、起こしてやんないつもり。
 そっちはどう?
 残りわずかだけど、良いお年を』

   
 あの娘らは人狼の里のようだ。まあ、相変わらずのコンビであるのは文面からもよく分かる。とりあえず
ありがと、良いお年を。と簡潔に返信しておいた。ついでにこっちのバカにも送っておこう。
 内容はもちろん。


『早く来い、バカ』


「おぉ、やっぱり美神くんじゃないか」
 送信し終わると同時に呼ぶ声がしたので、顔を上げると唐巣神父が目の前に立っていた。以前よりか若干、髪が薄くなったように感じたが他はあまり変わりなく、トレードマークの丸眼鏡も健在である。
「あら。こんな所で先生とお会いするなんて珍しい」
「君ぃ、そりゃひどいな。私だって日本人だよ、初詣くらいはするさ」
「神父の名が廃りますよ?」
「結構、そんなことで廃るような仕事はしてないと自負しているのでね」
「それは失礼いたしました」
 さすがに数年ほど前から日本GS協会の会長も務めている人には愚問だったか。けれど万年赤貧を返上できたのも、単に協会職に就いたからともいえる。
「時にひのめちゃんは元気かい?」
「ええもう生意気盛りで。ママなんか昔の私を見てるようだわ、なんて」
 はははっ、そりゃ大変だと先生。小学生の高学年ともなればなおさらである。ましてや彼女は発火能力者でもあるからひどい時は手に負えないこともしばしば。
「けど、なんでまたひのめの事なんか」
「うん。実はひのめちゃんに限らず、年々その手の能力者の数が増えてきていてね。政府も彼らを保護管理するための特務機関の設立を急いでいるんだ。無論、我々の所にも話がやってきて、ここしばらく会議の議題はそればかりさ。公式にはB計画とかプロジェクトバベルと呼ばれてるね」
「確かにパパやひのめの能力はエスパーの部類だから、人材的には貴重ってことか。要は国の囲い込みね」
 皮肉っぽく言うと、神父は苦笑した。
「まあ我々が扱う悪霊や霊魂、まじないの話とは別次元の話だからね。人類の進化とも関わってくる」
「SFめいてるわ、まったく。で? どうせひのめを差し出せって言うんでしょ」
「ご明察、だが今回はテストケースなんだ。具体的にどのように運営していくかという見地から、機関の在り方を探っていく感じだね。だから力を貸して欲しい、というのが本音かな」
「どっちも一緒よ」
「……いずれ本人にも、もちろん君の両親にも話が行くと思う。そういう計画が立ってると耳に入れておいて欲しい。最終的には家族の問題だからね」
 家族という言葉を聞いて、令子は察しがいった。これは神父なりのおせっかいか、と。我が家は確かに特殊なので、全員が揃うってことはあまりない。こういう機会がないと親子の交流が少ないのも事実なのだけど。前回の反省もあってか、ひのめを育てる際には親父は休職してまで家族というものに関わった。彼の能力を考えると、ここはあまり環境のいい国ではない。でも、彼は向き合ったのだ。令子もその姿を見て、少し見直したのだが。心のわだかまりはまだ解けていなかった。たぶん、そこの所を神父は慮って、この話を切り出したんだろう。
「それはそうと。君こそどうしてここに?」
「えっ」
 滑るように不意を突かれ、彼女はどきっとした。待ち合わせといえば待ち合わせなのだが。
「……っと、その、ほら、二年参りをし、しよっかなーって約束を」
 何か動揺している。ただの約束なのに、妙にあいつを意識する。
「ははあ、なるほどね。横島くんと、か」
「う。ええ、まあ。はい……」
 目が泳いで、思わず視線を逸らすが頷く。神父も人が悪い。付き合っているとはいえ、あいつを意識しすぎるのはなにか過去の自分を本当に裏切るようで、極力意識しないように努めてきたのに。名前を聞いてしまうと、堰を切って溢れんばかりに令子の心を埋め尽くしていく。認めたくない、認めたくはないのだけども。事実、意識はしてる。
「だとすると、私はお邪魔虫だね」
 ぽんと令子の肩を叩き、神父は微笑んだ。
「ま、頑張りたまえ。今年も残り一時間を切ったようだし、君たち二人の祝福を願って退散するとしよう」
 神社の前なのに神父は十字を切った。やめてくれ、本当におせっかいだと、令子は眉をひそめる。人はいいんだけど、時々KYなのも神父らしい。
「良いお年を」
「ええ、良いお年を!」
 去り行く神父に、語気を強めて返す。我ながら大人気ない。
「はあ」
 いよいよ人が増えてきて、道が埋め尽くされていく。令子は行列から一歩外れて、もうしばらく待った。手がかじかんできたので、手袋の上から息をかける。すると指の間から白い息がはみ出して、大気に消えてゆく。北風が冬の寒さをさらに深めていた。それでも鳥居の周辺は明るく賑やかだ。新年を迎える厳かな雰囲気と相俟って、夏の祭りのようにざわついている。雑踏が鳥居を通り過ぎていくのを眺めてながら、令子は寒さに脚を摺り寄せていた。
 まだあいつは来ない。
 地面の小石を蹴って、転がす。腕時計を見ると残り三十分。
 重く、静かな鐘の音が鳴り始めた。一年三百六十五日の最後の半刻。まもなく2010年が終わる。
「ったく、なにやってんのよ、あいつは。寒い思いしてまで待ってやってるのに、来たらぶん殴ってやる……!」
「そいつはすみません」
 その言葉と共に令子は後ろから腰を引き寄せられ、覆いかぶさるように抱きしめられた。
「お詫びに暖を取ってあげましょう、冷え性の美神さん?」
 あいつだ。令子はコートに包まれて、意外に広い胸元に囲まれる。コートの中にすっぽり入れられて、やつの体温と心音を感じた。冷えた手先には暖か過ぎるくらいだ。
「バカッ、放せ! 人が見てるのよ?」
 が、すぐさまこの恥ずかしい事態に気付いて、彼女はじたばた抵抗した。
「いいじゃないか、見せ付ければ。おれらのバカップルっぷりを」
「どこのだれがバカップルだ!」
「あなたとわたし。ってか、説得力ないぞ。コートの中でこんなことされてるのに気付いてないなんて」
「へ?」
 そういえば妙に浮遊感があるというか、胸が持ち上がっているというか。じんわりと自分じゃない体温の感触があって、大きな手に包まれているというか、むしろ揉まれて……。
「うーむ、さすがのボリューム。ずっしりとして重いというか。いっぱい詰まってる感じがまた……」
 ヒールの踵で脚を踏みつけ、みぞおちエルボー。あいつは膝を付いて悶絶した。
「ぐおおお……」
「訴えるわよ、このバカ!」
「あんたなあ。言われてから気付いて、その言い草はないだろ」
「私の許可なく触んな! 金輪際、社会から抹殺してあげてもいいのよ?」
「いや、それはマジで勘弁してください」
 相変わらずの手癖の悪さ。いい女見つけると見境がないのは、今に始まった話じゃないが自重すると言うことを知らないのだろうか。
「いいじゃないか……れ、あー。美神さん、おれの彼女なんだから」
「バッ、時と場合を考えろって言ってるのよ!」
「考えたらいーんですか!?」
「いきなり目を輝かせてくるな!」
「答えてください!! いーんですか!? 重要なことなんですよ、いーんですか!?」
 目を血走らせて、顔が迫ってくる。
「キモイから顔近づけるなっ! 神通棍で叩くわよ?」
「大丈夫、慣れると気持ちい……」
「いっぺん死ね」
 会えたと思うと、すぐにこのひどい会話。付き合う前からずっとこんな感じなのは、相変わらずとしてもこいつを男として意識し出したのはいつごろだったろうか。なにかふとしたきっかけがあって、付き合う羽目になったことは確かである。けど、それはなんだったんだろうか。
 令子は彼の急所を的確に狙いながらも、思いに耽る。気付けば、というにはあっという間すぎて理由は忘却の彼方。でも、目の前の事実は現実で。現に自分とこいつは彼氏彼女の関係で。けど、やっていることは変わってない。こんなことがいつまでも続くのだろうか。それはそれでいいのかもしれないが。
 逡巡の末、気付けば、令子は独り立ち尽くしていた。
 この変化のなさに驚きながら。
「ねえ、横島クン」
 除夜の鐘の最後の一突きが大きく鳴り響く。2010年が終わりを告げ、2011年の幕が明ける。
 百八つの煩悩を断ち切るように鐘の音が、令子の興を削いで、
「……明けましておめでとう」
 当たり障りのない事を口にさせた。
 また一年が始まっためでたい瞬間を迎えたのにもかかわらず、全くそういう気分になれない。単に日付が年と共に変わっただけ、だ。凍える寒さに肩を竦め、地べたに横たわる彼を眺めた。
 何も変わらないなら、こいつに弱いところなんて見せられない。
 令子は冷ややかに一瞥する。
「いてて。年、明けちゃいましたか」
「ええ」
 言葉足らずに返事をすると、令子は鳥居の先を見つめる。その視線はどこか遠くに向いていた。寒空に瞬く星の彼方にでも行ってしまいそうな眼をして。
「美神さん」
 あいつの呼ぶ声が聞こえる。そういえば二年参りをするんだったか。
「令子!」
 強く名を呼ばれた。瞬間、体の重力が奪われ、横島に唇を重ねられる。彼の腕の力は強くて、身動きの出来ないくらい、お互いの体が密着していた。
「な何すんのよ、やめっんっ…」
 びっくりして、顔から離すがすぐさま唇を奪われる。それから数十秒、彼は令子の唇を抑えこんだ。
「ぷはっ……」
 唇と唇がようやく別れた。すると令子は横島の頬をめがけて、平手を打った。
「なに考えてんのよ!」
 叩かれた当の本人は驚きもせず、うろたえもしなかった。それどころか真顔で令子を見つめていた。
「令子……」
「令子って呼ぶな、バカ……!」
 逆にこっちがたじろいでしまう。
 こいつに名前で呼ばれるなんて。まるで自分が弱くなったみたいだ。
 そんなの、嫌だ。
 嘘。
 呼んで欲しかったんだ。
 彼女は気が動転していた。今、横島にされたことはもちろん、自分のこと、みんなのこと、さまざまなものが胸に去来して、訳が分からなくなっていた。心境に変化はあったが、三十路に足を突っ込んだ人間がそうたやすく変わるわけない。何も変わることがなければ、遠くに行きたい。誰も自分を知らない場所でずっと生きていく。そうして自由に暮らす。誰からも干渉されず、自分が避けることもない。何も変わらないない世界に。
「こっちを見ろ」
 令子は瞳を逸らそうとしたが、身体を横島の腕の内に強く繋ぎ止められてしまい、さらに顔も抑えられた。
「お前はお前のままでいいんだ、令子」
「なにバカなこと言ってるのよ……私は私に決まってるでしょ」
 心臓の鼓動が伝わる。脈を打つ音はゆっくりではあるが早まっているようだった。
「それでいい。だったら俺なんかに見栄を張るな。弱いところも強い所も全部令子だ。大丈夫、安心しろ。おれはお前に惚れてるんだから」
「安心しろって言われても、あんただから信用ならないわよ……!」
「これを受け取って欲しい」
 彼が懐から取り出したのは小箱だった。中に入っているのは、一組の銀の指輪。
「おれはずっと令子の側にいる。これはその証」
「自惚れてるわね、私がこれを受け取るとでも?」
「思ってるさ。令子が令子であるための自由はおれが保証するんだ。何も変わらなくたっていい。だからおれの側にいてくれないか」
 私が私である自由。横島は自分らしくいてもいいと言った。今も過去も、そして未来も。何も変わらない自分がある。しかも認めてくれる人がいる。それはなんと幸せなことだろうか。眼からうろこが落ちたような思いだった。令子の顔に自然と笑みが浮かぶ。
「……後悔するわよ」
「おれが何年付き合ってると思うんですか、ミカミさん?」
 横島はいっぱい皮肉を込めて、笑みを見せた。
「そうだったわね……でも」
 令子は横島のネクタイを手に取る。こいつも成人してからはスーツを身を包むようになった。最初は服に着せられていたけど、この頃は結構サマになってきているんじゃないだろうか。
「私を口説こうなんて百年早い!」
 にっこりと満天の笑顔で令子はネクタイの根元を思いっきり絞めつけてやった。気に食わない。こいつの過去を知っているからこそ、令子は今の横島が気に食わなかった。いつの間にか大人になってるこの男が。
「殺す気か!」
 げほげほとむせ返りながら、横島は令子の腕を振り払った。
「あら、残念。けど、これは預かっておくわ」
 令子の手に指輪の小箱。ネクタイ絞めた時に零れ落ちたのをすかさずキャッチしていたのだ。
「ちょっ、返せ! おれが大枚はたいて買った、大事なエンゲ……」
 さらに足蹴にされた。
「本当にいっぺん死んでみたい? ったく、これだからバカの相手はヤなのよ」
 ため息を漏らすと令子は横島から離れて、一歩後ろに下がった。また空を見上げると真っ黒な夜空が眼に広がる。あの向こうで星は今も変わらず輝いているのだろう。自分も同じように輝いていたい。令子は思いを新たに背筋を伸ばした。
「しっかし寒いわねー。早く初詣して、暖まりたいわ」
 深夜零時過ぎ。年始めの夜はひときわ冷えている。まさしく凍える寒さだった。
「ほら、起きなさいよ」
 令子はさっきまで踏みつけていた横島の腕を引っ張ってやる。けど、彼は一向に立ち上がろうとしない。
「いやだ、指輪返してくれないとヤだもんね……令、ミカミさんが答えてくれないからいけないんだ」
「こいつは……」
 大の男がさめざめとすすり泣いている。そんなにショックだったのだろうか。本当に男ってやつはどうしようもない、と令子はあきれるばかりだった。
「しょうがないわね、箱だったら返してあげるわよ」
 やれやれと横島の片手に、箱を添えてやった。まだ乗り気ではないが、これも結果。令子にとっては納得の行く選択だった。
「ただし、中身は保証しないけどね」
 結局、ずっと前から気付いていたんだろう。こいつといることに安心を覚えている。ほっとするというか、落ち着くことができるというか。多分、意識し始めたのはそれがきっかけ。一緒にいるっていう、ただそれだけのことに幸せを見たんだと、令子は改めて感じた。
「え? お、おいっ。今なんて……?」
「ほら、なにしてんの、さっさと二年参り、行くわよ」
 通り過ぎゆく雑踏の中を、紅い髪が踊る。
 燃え盛るかがり火のごとく、生き生きと力強く。まるで令子を体現していた。
 そして令子は振り向きざま、彼を見て、微笑む。
 両手を大きく広げ、薬指には銀の指輪を輝かせて。目の前の相手と瞳を重ねあう。
 その表情は穏やかにに光を照らす月明かりのように美しかった。

「令子」
「なに」
「明けましておめでとう」


 a Happy New Year!
 




 ...and One more Bonus Track


 時間は少し遡って。
「はーい。じゃあ、良いお年を〜」
「で? で? どうだったよ? 邪魔できた?」
「ううん、来てなかった〜」
『な〜んだ』
 全員でため息が出る室内。都内某所の飲み屋でまことしとやかに行われている女子会の一席。
「横島さんと話したかったなあ、そしたら年明けまで独り占めしたのに」
 と、ジントニックをくぴっと口付け。
「いやクロいクロい、ホントに酒入ると、性格変わるよな〜」
「わたしだっていいたい事とか不満といーーーーっぱいあるんですよぉ。そろそろ吐き出してもいいじゃないですかあ」
「うん、あんたはよく耐えてきた! うん」
「……いいですよね〜、お二人ともカレシいて。私なんかお気楽極楽のお一人様人生ですよーだ。お姉ちゃんも結婚しちゃうし、みんなずるいですよねえ……」
 カシスオレンジを噴出す音。ハンカチで口を抑えて、むせる者、一名。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい、いつ誰が誰と付き合ってるんですって?」
「雪之丞さんとか伊達さんとかいらっしゃるじゃないですかあ、ちがうんですかあ」
 とニヤニヤ。咳払いをして、反論。
「ばばばバカなこと、おっしゃらないで! た確かに、交際はしてますけどもここ半年くらいは行方が……」
「なんでも修行と仕事を兼ねて、世界飛び回ってるらしいぜ? 連絡は取り合ってるらしいけど。ったく、罪な男だよなあ」
「あああなた! ななななんでそのことを!」
 沸騰したヤカンのごとく真っ赤に吼える。
「タイガーから聞いた」
「ああっ!」
 一同納得。
「ま、GPS持たせてるんだろ? 居場所は分かってるんだからさびしくなったら会いに行けばいいじゃないか」
「ここここっちにはこっちの事情があるんです! ほっといていただけます?」
「いいけどさ、苦労してんなあ。こっちはおかげさまでゴールインってか?」
 ジョッキ生中を飲み干して、左手薬指のダイヤモンド。一同拍手喝采。
「挙式はいつごろ?」
「んー、GW辺り? ま、あいつとあたしの仕事の合間を見てって感じかな。状況どうなってますかね、旦那のボス?」
「……悪かったわね、ヒマで!」
 空の赤ワインのボトルが音を立てて、倒れる。さらにお銚子三本、さらに一本追加。
「ったく、いい気なもんだわ……カレシだの、結婚だの。そもそもどーなってるワケ!? あの守銭奴ゴーツクバリ女にカレシが出来て、私にいないなんて……!」
 ジョッキ生二つ追加。
「あの。な、なんでいるんですか……」
「この前、ピートさんに真顔で振られてからずっとこのざまみたいよ? おかげで仕事に手が付かず、だってさ」
「きいいいい、しかも冥子のやつまで一足先にゴールインしやがって……ほんと、世の中理不尽なワケ!」
 芋焼酎ロックで。
「申し訳・ありません・ラスト・オーダー・過ぎて・おります。これ以上の・注文は・ご遠慮・願います」
「あれ、マリアじゃない。ドクター・カオスは?」
「イエス・ドクター・カオスは・自宅で・就寝中」
「あんたも色々大変ねえ」
 まもなく年末カウントダウン。宴席もたけなわのお時間と相成ります。
「さて、そろそろ私らも都心にハシゴしますか」
「お勘定お願いします」
「イエス・只今・お持ちします」
「さっ、行くよ?」
「う〜ん、眠い〜」
「寝ぼけてないで、ほらおぶってあげっから」
 空のお銚子、空のジョッキ、空のグラス、鳥のから揚げ、軟骨揚げ、サラダに生春巻き、お刺身、モツ鍋、おかゆ、エトセトラエトセトラ。いろんな食べ残し、散らばったお箸、タレやドレッシングが混ざったお皿の数々。それは侘しい宴会のあと。
「そういえば、西条のやつがスキンヘッドにしたらしいけど、見た人いる?」
「なにそれどこ情報ですか?」
「魔鈴から、でさ〜聞いてよ、笑っちゃったワケ……」
「えーとえーと、皆さーん。一人五千円ずつ用意してください〜」
「……小鳩ちゃん、いたんだっけ」
「うう……(幹事なのに忘れられてる……!)」
 お後はよろしいのか悪いのか。
 それはともかく都会の喧騒と共にまだまだ眠れない、もとい眠らない夜の一席。
 どちら様も良いお年を。


 今年もよろしくお願いいたします。




 
えー、ご無沙汰しております。
投稿は一年ぶりです。書いたのも一年ぶりだったりしますがともかく。
一月も半ばを過ぎて、年越しの話の投稿と言うアレっぷりについてはご容赦を。
出来たら去年末投稿出来てればよかったんですけどね。
時間が掛かってしまいました。

さて、今回は二年参りをネタに現在のGS美神と言うコンセプトで書きました。
単行本最終巻を見ると掲載初出が平成11年。
気付けば干支が一回りしております。怖いものです。
連載終了から早十年。彼女たちに何があったかはさておき。
宇宙意志が働いた結果であると感じていただければコレ幸いです。
28巻の「ストレンジャー・ザン・パラダイス!」を合わせて読んでいただくと面白いかもです。

それでは今年もよろしくお願いいたします。
またお会いできればいつの日か。

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