3474

私の担当エスパーがこんなに可愛いわけがない

 会議から戻ると、担当をしているエスパーが待機室で電話をしている所だった。
 エスパーの名は梅枝ナオミ。現在19歳。都内の女子大に通っている女子大生だ。
 しなやかな長い黒髪に、つぶらな瞳。すっぴんでも十分人目を惹くだろう端正な顔を、入念なメイクでさらに磨き上げている。
 持ち前の可憐さに年相応の色気が加わり、気の弱い男なら気後れしてしまう雰囲気を醸し出している。
 高レベルエスパーとして情報規制がされていなければ、たちまち芸能プロダクションがスカウトに来るだろう。
 主任の贔屓目という訳ではない。私の担当エスパーはとにかく魅力的なのだ。
 そんなナオミの担当をしている私を羨ましがる輩は沢山いるが、私としては冗談じゃないと声を大にして言いたい。
 確かにナオミは私の指導を受け魅力的に成長した。いわゆる「高めの女」という訳だ。
 しかしそれは、ナオミが純粋無垢な少女のまま成長したと言うわけではない。
 思春期を迎えると共に、私に露骨にぶつけられるようになった嫌悪の感情。
 少女を自分好みの女に育成するという計画は、収穫を前に見事に頓挫してしまっている。
 決して自分のものにならない存在と、主任と担当エスパーという距離感で接さなくてはならない現状は、まさに酸っぱい葡萄だ。
 いや、葡萄は自分を見上げるキツネに嫌悪の感情をぶつけたりはしないだろう。
 分かるだろうか? 私の感じている気まずさが。尤も、そう感じるようになったのには、別な要因もある訳なのだが・・・・・・

 「まだ帰らないのかね?」

 一応担当者として声をかけるが、返事がないどころか、こちらをチラリとも見やしない。
 ソファに深く腰掛け、携帯に向かって何やら楽しそうに笑いを振りまいている。
 その笑顔はとても可愛かったが、それが私に向けられることは今後も無いだろう。


 ―――ああ、話しかけた私が馬鹿だったよ 


 私は心の中でそう呟いて、会議資料をテーブルに置くと、喫煙ルームへと回れ右をする。
 会議終了直後に吸ったばかりだが、今は無性に煙が恋しかった。
 私の名は谷崎一郎。バベルに勤務する41歳。
 自分で言うのも何だが、若い女が好きな何処にでもいる普通のオヤジだ。
 世間の人間は、担当していたナオミを理想の女に育成しようとした私を変態呼ばわりするが、自分では単に正直なだけだと思っている。
 人間、多かれ少なかれ、人に言えない趣味を抱えているものだ。
 例えば真性の同僚は、最近本気で担当している中学生にドギマギしている。
 本人は気づかれていないつもりだろうが、端から見ればバレバレである。
 それでは彼に変態のレッテルが貼られているかというとそうではない。一体何故か?
 変態と蔑まれる私ですら中学生のナオミにドギマギはしなかった、全力で愛でてはいたが、それはあくまでも数年先の収穫を想像してのことだ。
 それなのに真性の同僚は肯定され、私には変態のレッテルが貼られている。
 一体、この差は何処から来るのか? 主人公補正? フリーメーソンの陰謀? それとも大宇宙の意志?
 一時はそんな中学生じみたことを考えもしたが、最近になってようやく分かったことがある。
 真性の同僚は若い娘からモテる。一方、私はモテない。
 ただこの一点が、私と彼の間に引かれた超えられない差というヤツだった。
 では何故そのような差が生じるのか? これは何度考えても分からない。多分、真性の同僚はモテモテ光線でも出せるのだろう。
 えーっと、話が大きく逸れてしまったが、つまり、何が言いたいかというと私は変態ではない。
 正直に自分の趣味を公言し、世間から拒絶されただけの普通のオヤジ・・・・・・いかん。なんか猛烈に死にたくなってきた。
 思考の迷宮に入り込みそうになった私は、心の平穏を取り戻すべく胸ポケットから煙草を取り出す。
 いつも一緒にしまっている筈のライターが無いことに気付いたのはその時だった。
 おそらく資料の束と一緒に待機室に置いてきたのだろう。
 仕方がない・・・・・・また、あの気まずい空間に戻るとするか。
 待機室への道を戻った私は、深いため息を一つついてから、半ば自棄気味にドアを開く。
 軽い衝撃と共にナオミの悲鳴が聞こえたのはその時だった。

 「キャッ!」

 「す、すまない。まさかナオミがドアの前にいるとは・・・・・・」

 ドアがぶつかった拍子にバックを落としたのだろう。
 私は床に散乱した化粧品など、諸々の品に手を伸ばそうとする。
 その気配を察したのか、ナオミはPKで私の体を壁にめり込ませた。

 「グハッ!」

 「触るんじゃねえ・・・・・・」

 殺意すら感じる視線。持ち物に触るなって?
 そんなに私が嫌いなのか・・・・・・
 私はPKの圧力に耐えながら、ただ黙って荷物を拾い集めるナオミを見下ろしていた。

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 気まずい空気が待機室に満ちていた。
 荷物を回収し終わったナオミはバックを肩にかけ直すと、

 「お先に失礼します」

 義務を嫌々果たしているみたいに呟いて、待機室を出ると同時に私へのPKを解く。
 ・・・・・・と、まあ、ナオミと私との関係はこんな調子だ。
 別段腹は立たない。ナオミを自分のものにするという計画について、私は既に心折れていた。

 「やれやれ・・・・・・今日はいつになく機嫌が悪かったな」

 私は体へのダメージを確かめつつ、ライターを探し会議資料の束へと視線を移す。
 しかし、目当てのライターはそこには無かった。

 「落としたかな・・・・・・ん?」 
 
 ソファの下を除き込んだ私は、そこに目当てのライターではなく、薄いプラスチックのケースを発見する。
 数秒後、素っ頓狂な声を上げることになることを、それに手を伸ばした私は全く予想していなかった。











 ―――――― 私の担当エスパーがこんなに可愛いわけがない ――――――









 「な、なんだこりゃ!!」

 素っ頓狂な声を出したのも無理はない。
 手に取ったプラスチックのケースは、およそバベルには相応しくない・・・・・・いや、実はそうでもないのだが、とにかく一般的な職場に落ちているモノではなかった。  
 ピンクと白を基調としたDVDケース。描かれているイラストは、目のやたらと大きい少女の姿だった。
 小学校高学年くらいか、スカートが短く、リボンというか包帯というか、やたらと扇情的な格好をしている。
 しかし、なんで髪の色がピンクなんだ?

 「ほしくず☆プリンセス カナカナ・・・・・・初回・・・・・・限定版? なんのことやら」

 とどのつまりはアニメのDVDなのだろう。
 三次元専門の私にはピンと来ない代物だった。
 大方、ティムかバレットが落としたのだろう。
 ふと、DVDケースの中身を確認したくなったのは、単なる好奇心からだった。
 隣の晩ご飯が気になるヨネスケの心境と言えば分かるだろうか?
 私のカンが正しければ、ケースと中身は違うはず。
 ケースの隙間から見えた【R-18】という表示に、私はニヤリと笑った。

 「やはりな。さて、今時の中学生は・・・・・・って、うわ」

 ニヤケた口元が引きつる。
 中に入っていたのは、少し・・・・・・いや、私が持っているのが相当憚られるタイトルのDVDだったのだ。

 「び、美少女育成ゲーム? 教え子と恋しよっ♪(18禁)・・・・・・だと?」

 冷や汗が背を伝う。
 コレを私が持っている姿を誰かに見られでもしたら・・・・・・
 何を今さらと思うこと無かれ。あくまでも私の対象は三次元であり、ナオミに限定されていた。
 しかし、コレは二次元の。しかも小学校高学年くらいの少女がヒロインの18禁ゲームなのだろう。
 ディスクの表面に描かれた少女の絵が、私には自分の社会的地位を更に下降させる悪魔の肖像に見えた。 
 君子危うきに近寄らず。
 私はそっとケースを閉じ、丁寧に指紋を拭き取り始める。
 コレを持っている姿を目撃された途端、どれだけ説明してもコレは私の物ということになってしまうことだろう。
 それは嫌だ。二次元と三次元には超えられない壁がある・・・・・・スケベ親父を自認する私の、ほんのささやかな矜持だった。
 私は何も見なかったし、コレは私とは全く関係ない代物である。
 私は今の一幕を無かったことにするべく、DVDケースをもとあった場所に・・・・・・

 「あ、谷崎センパイ。こんな所にいたんですか!」

 「うひゃぁqあwせdrftgyふじこlpッ!!」 

 突然の闖入者に、私は声にならない叫びを上げながら床に倒れ込む。
 もちろん、DVDケースをしっかり懐に抱え込むようにして。
 待機室に現れたのは、今現在、私が最も姿を見られたくない存在だった。

 「ど、どうしたんですか!? 急に倒れ込んだりして!」

 「クッ・・・・・・だ、大丈夫。ちょっと持病の癪が・・・・・・」

 「お、お腹が痛いんですか? 私、さすりましょうか?」

 「止めたまえッ! 小鹿クンっ!!」
  
 必死の叫びに彼女の手が止まる。
 たちまち青ざめるその顔を見て、私の胸に後悔の念が湧き上がった。
 小鹿 圭子・・・・・・特務エスパーチーム、ザ・ハウンドの指揮をしているこの女性は、小動物のように怯えた目で私を見つめている。

 「え・・・・・・す、すみません。私ったら」

 所在なげに、手を引っ込めた彼女の目は潤んでいた。
 何かと私に気を遣ってくれている彼女は、今も純粋に心配をしてくれたのだろう。
 心配してくれた彼女に怒鳴るなんて、バカか私は。 

 「いや、謝るのは私の方だ。怒鳴ったりしてすまなかった。君に感染うつすといけないから・・・・・・」

 「え・・・・・・」

 果たして持病の癪が感染うつるモノなのか?
 しかし、そんなことは彼女にとってどうでも良いことのようだった。
 強張った彼女の顔に、すぐにほんわかとした笑顔が広がっていく。
 世俗に汚れていない。まだ汚い物を見たことが無いような笑顔・・・・・・
 私は心底ホッとしたように溜息をつくと、懐に隠したケースを彼女に見られないようにゆっくりと立ち上がった。
 ナオミのことを諦めた私は、最近、彼女の笑顔に安らぎを覚えるようになっている。
 それだけに、懐のコレを見られる訳にはいかなかった。

 「と、いう訳で、今日は大事を取って帰宅するよ。君も体調には気をつけたまえ!」

 「あ、谷崎センパイ! 待って・・・」

 背中にぶつかる彼女の声を無視し、私は一目散に部屋の外へと走り出す。
 そのまま自分のマンションに辿り着くまでの、緊張の連続については思い出したくもない。 
 得てしてこういう時ほどトラブルと遭遇しやすいものだ。
 少なくとも私の人生はそういう仕様になっているらしい。
 交通法規をこれでもかと遵守し、自分のマンションに辿りつくや即座にドアに鍵をかける。 
 在宅時には鍵をかける習慣が無いのだが今日は特別だった。 
 カーテンが隙間無く閉まっていることを指さし確認してから、深いため息とともに懐から例のブツを取りだす。
 【ほしくずプリンセス・カナカナ】のパッケージに収められた【教え子と恋しよっ♪(18禁)】のソフト。
 バベルの待機室に落ちていた持ち主不明の品を、部屋に持ち込んでしまったのは成り行き以外の何ものでもなかった。
 ピンクと白基調のパッケージを机の上に置き、引き出しの中から予備のライターを取り出すと、約1時間ぶりの煙草に火をつける。
 体に染み渡るニコチンが、ようやく嫌な緊張を溶かしてくれた。

 「しかし、一体だれが・・・・・・?」

 一瞬、真性の同僚の顔が頭によぎる。
 しかし、私はすぐにその考えを頭から振り払った。
 真性の同僚はあくまでもシロ。この世界はそういう仕様になっている。
 それに推理モノでは犯人は意外な人物と相場が決まっていた。
 そうなるとティムやバレットも違うということになるか・・・・・・

 「それに、【教え子と恋しよっ♪】 とは一体・・・・・・」 

 しばらく悩んだ末、仕事用ではなく私用のPCを起動させる。
 私用のPCにしたのは、これから調べる検索キーワードを記録に残したくないからだった。
 18禁ゲームのタイトルを検索エンジンに打ち込む。
 大方の予想通り、小学校高学年くらいに見えるキャラクターが公式サイトを飾っていた。
 分数を教わったり、逆上がりを手伝ってもらったりしているイラストの数々。
 所々、モザイクにまみれた画面があるのは、18禁としては正しい姿なのだろう。
 『※登場するキャラクターは全て18歳以上です』という書き込みは、ツッコミを期待してのことだろうか?
 このゲームと同じようなことを考え、実践して来た私としてはこのゲームを非難する気はさらさらない。
 人格を持たない創作上の記号である分、こっちの方が業が少ないだろう。
 しかし、一つだけ言わせてもらえば、育成の醍醐味はまさに相手が育つことに尽きる。
 単に条例の問題とはいえ、18歳でコレは流石に無い・・・・・・
 そんな育成に関する思考を打ち切ったのは、携帯の呼び出し音だった。
 液晶に目をやると小鹿圭子と表示されていた。

 「はい。谷崎です・・・・・・」
 
 「あ、小鹿です・・・・・・あの、お体の具合大丈夫ですか?」

 「ああ、おかげさまでね。しばらく横になれば治るだろう・・・・・・」

 そう答えつつ、ベッドへと横たわった。
 壁や天上に残る、四角い日焼けムラがほんの少し胸の奥を引っ掻く。
 ナオミの写真を剥がした跡が完全に消えるまでは、もうしばらくの時間が必要だった。

 「良かった・・・・・・心配したんですよ。先輩のライターを拾ったので届けに行ったら、いきなり倒れるんですもの」

 「ライター? ああ、無いと思っていたら・・・・・・。君が拾ってくれてたのか」
 
 「ええ。もし、お困りでしたら届けましょうか? 私、明日から野外訓練でしばらく外に出てしまいますから」

 「え?」

 「先程の様子じゃ、夕食の支度なんかも大変でしょうし・・・・・・ご迷惑でなければですが」

 ライターを届けに来るついでに夕食を作ってくれる・・・・・・彼女はそう言ってくれているのだろう。
 気遣いが胸に染みた。
 ナオミの収穫を諦め、心が折れた私は彼女との会話に安らぎを覚えるようになっている。
 担当エスパーの育成に関する相談を受けているうちに、徐々に共通の話題も増えてきた。
 動物好きで、時にナオミよりも幼く見える彼女の前で、いつしか私は良き先輩像を演じるようになっている。
 彼女の作る夕食を食べながら、穏やかな気持ちで過ごす時間はとても魅力的に思えた。
 しかし、つけっぱなしのディスプレイと、机の上に放置した例のブツが彼女の提案を受け入れる気にはさせない。
 これは所謂死亡フラグというやつだろう。
 多分、どんなに巧妙に隠したとしても、あり得ないほどの偶然が彼女の目に例のブツを触れさせる。
 そして、私が感じ始めた安らぎはあっさりと終焉を迎えるのだ。
 予知能力など持たない私が何故そんなことを言い切れるのか?
 簡単な話だ。私は私の人生をもう40年も生きている。

 「はは・・・・・・大変ありがたい申し出だが、今日はもう休もうと思ってね」

 「そうですか・・・・・・」

 「だから・・・もし良かったらだが、眠くなるまでもう少し付き合って貰えないだろうか?」

 今はそれで十分だった。
 とりとめのない会話を楽しみながら眠りにつく。
 この穏やかな日だまりの様な時間を手放したくはない。
 アレが私の運命に仕掛けられた落とし穴だとしたら、見事飛び越えて見せようではないか。
 そのためには早急に持ち主を特定し、誰にも気付かれることなく引き取らせる。
 明日から早速行動に移ろう。
 そんなことを考えながら私はいつしか眠りについていた。









 翌日
 リトルマイスへの訓練を終え、昼食のためカツ丼とモツ煮が評判のバベル社員食堂に足を踏み入れると、いつにも増して不機嫌なナオミと目が合った。
 急用で訓練に参加できないとのことだったが、バベルで昼食をとっている所を見ると午後の訓練には参加できるらしい。
 「らしい」と言うのは、挨拶すら拒絶するようにそっぽを向いたナオミに、私はおろかリトルマイスの2人も話しかけることができなかったからだ。
 余計な刺激を与えないよう、各自好みのメニューをチョイスしナオミから少し離れたテーブルにつく。
 笹目兄妹に本日の反省点を伝えつつAランチをつついていると、都合がいいことに第一容疑者であるティムとバレットがこちらに近寄ってきた。

 「今日は影チルの出番無しかね?」

 「ええ、薫ちゃんたちは皆本さんと水入らずのお出かけですから・・・・・・」

 「成績上昇のご褒美か・・・・・・それじゃ護衛でも付いて行けないな」

 「局長は行っちゃったみたいですけどね。俺らにはそんな勇気は無いッス」

 2人はオムライスが乗ったトレイを私たちのテーブルへと置く。
 そう言えば、この2人がオムライス以外のメニューを食べているのを見たこと無い。

 「それはそうと、またナオミさんを怒らせたんスか?」
 
 声をひそめるようにティムが質問する。
 どうやら近寄ってきたのは、この2人もナオミのただならぬ雰囲気に気圧されたかららしい。
 『また』というのがどういう意味か気になったが、私は担当者として一応のフォローを入れておくことにする。

 「気にすることはない。ナオミは今、真剣勝負の真っ最中なんだ」

 「真剣勝負?」

 「ああ、黄色い悪魔とのね」

 「黄色い悪魔・・・・・・? ああ、そういうコトっスか」

 さりげなくナオミに視線を向けた2人は、ようやく合点がいったように口元に笑いを浮かべた。
 細心の注意を払い、カレーうどんを口に運ぶナオミの姿は、真剣で立ち会う武士のような気迫を纏っている。
 黄色い汁ハネに惨敗を重ねたのは遠い昔のこと。
 ナオミは黄色い悪魔を完全に攻略するようになっていた。

 「ああ、そういうことだ・・・・・・だから勝負の邪魔はしない方がいい」

 「心配して損したッスよ。さっき、スゲー目で睨まれたからてっきり・・・・・・」

 てっきり? この2人にはナオミを怒らせたと思うようなことがあるのだろうか?
 私は躊躇わずに確信に踏み込むことにした。

 「てっきり何かね?」

 「いや、なんか怒らせちゃったかなと。でも、気のせいならいいです」

 2人は安心したようにオムライスをパクつき始める。
 その安心は、例のモノをナオミに見つかったという心配から解放されたことによるものか?
 アクティブソナー代わりに情報を相手にぶつけ、その反応を見れば分かるだろう。
 彼らが半分ほど食べたところで、私はさりげなく話題を例のブツへと移していった。

 「あ、そうそう。確か2人はアニメとかに詳しかったね?」

 「そりゃ好きで見てますから。チルチルに興味あるなら布教用の貸しますよ」

 「いや、私の知り合いが【ほしくず☆プリンセス カナカナ】というのにハマっているらしくてね・・・・・・知っているかい?」

 「知ってます。チルチルの前番組ッスよソレ」

 「見たことは無いんですけどね。俺らがチルチルにハマった時にはもう終わってましたから・・・・・・」

 「カルト的な人気はまだあるみたいだよな。俺らも見たいんスけど、出回ってないんスよ」

 「【ツベ】や【ニヤ動】にたまに上がっても速攻で消されてるしな」

 「上がってたとしてもお布施的にはNGだし。【ニヤ動】の公式ならともかく・・・・・・」

 私には2人が話していることの半分も理解できない。
 しかし、反応からして2人がシロであることは良く分かった。
 それならば真犯人は何処に・・・・・・って、ええーっ!?
 勝手に盛り上がる2人から視線を外した私は、危うく口にした味噌汁を吐き出しそうになる。
 視線の先には、ブラウスに黄色い点々をまき散らしたナオミの姿があった。
 明らかに動揺した表情。カレーうどんを完全に制した彼女がこれ程取り乱すとは・・・・・・ま、まさか。


 ―――まさか、アレはナオミの? いや、そんなことは断じて・・・・・・


 予想外の展開にうまく思考がまとまらない。
 というか、脳が理解を拒否していた。
 しかし、私とぶつかった時に落としたと考えると、全ての状況に説明が付く。
 落ち着け私。絶対に狼狽を顔に出すんじゃないぞ。
 ナオミは踵を返し、食器の返却場所に移動しはじめている。
 もちろんこちらに全神経を集中したまま。
 持ち主捜しはあくまでも問題解決へ向けた一手段に過ぎない。
 私のするべき事は例のブツを持ち主に返し、自分に立った死亡フラグを解除することだった。

 「ありがとう2人とも。よく分かったよ! さあ、笹目君たち。午後の訓練は一段とハードだ。スタミナ切れにならないよう残さず食べなさい!」

 立ち去るナオミの背中に、午後も訓練があることを強調する。
 見え見えの罠だったが多分大丈夫だろう。
 私は姿を消したナオミが、私のマンションを家捜しすることを心の何処かで確信していた。











 「ほらな。大丈夫だった・・・・・・」

 数十分後。
 昨日とはうって変わり、ありとあらゆる交通法規を無視した私は車の中から自宅マンションを見上げていた。
 開け放たれた窓からカーテンがはためいている。
 ガラス越しに見える内鍵など、PKの前では無いに等しい。
 車の音で帰宅を気付かれないよう、徒歩で敷地内に進入する。
 足音を立てずにドアの前まで移動し、細心の注意を払いドアの鍵を解除する。
 そっとドアを開け一気に自室まで足を踏み入れると、四つん這いになりベッド下をまさぐるナオミの姿が目に入った。


 ―――縞か


 自分でも驚くほど冷静だった。
 以前なら夢にまで見た光景だが、コントでよく見る、泥棒に入られた家と化した自室が私の心を麻痺させている。
 いや、打ち壊しにあった商家といった方が正しいか?
 PKを使ったとしてもよくもここまで散らかしたものだ。
 机やクローゼットの中身が散乱した部屋を見て、私はほんの少し悲しくなった。

 「・・・・・・・・・・・・何をしているんだね?」

 「!」

 部屋の中央で四つん這いになっていたナオミは、ビクリと青ざめた顔で振り向いた。
 着ているブラウスにはカレーうどんの染み。
 着替えずに直行するなんて、どんだけテンパッてるんだナオミは。

 「何をしているんだ? と、聞いたんだが」

 「何だっていいでしょ」

 「よくはないだろ? 勝手に人の部屋に入って家捜しして・・・・・・」

 しかも、ナオミが探していたのは、彼女を盗撮した写真を保管していた場所じゃないか。
 壁や天上に貼っていた写真とともに処分していなければ、私は今頃壁の染みになっていたかも知れない。
 
 「・・・・・・・・・帰る」

 「待ちたまえ」

 ベランダに向かったナオミの前に回り込む。
 私は敢えて毅然とした態度を崩さない。

 「どいて!」

 「いいや、まだ説明を聞いていない」

 ナオミは無言で視線をそらす。
 怒りのせいか顔が紅潮し始めていた。

 「分かっている。これを探しているんだろう・・・・・・」

 至近距離でのPKの暴走に内心ビクビクしながらも、私は懐に隠していた【ほしくず☆プリンセス カナカナ】のケースを取りだして見せる。
 ナオミの反応は劇的だった。
  
 「!!」

 「やはり君のだったんだな」

 「ち、違う! 私のじゃない! わ、私が・・・・・・そんな、子供っぽいアニメなんか・・・・・・見るわけないでしょ」

 「じゃあ、何で私の部屋に?」
 
 「それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「それは?」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 私が促すとナオミはだんまりを決め込む。
 ぶるぶると悔しそうに肩を震わせ、唇を噛みしめ俯いてしまう。
 全てにおいて完璧だった彼女が、私に対して何も言えないでいる。
 それはナオミにとってどれ程の屈辱なのだろう。

 「・・・・・・クッ・・・・・・・・・」

 ナオミの内部で憎悪が膨れあがるのが分かった。。
 マズイな・・・・・・つい、彼女がコレを手にした理由を知ろうと追い込み過ぎてしまった。
 私の目標は、あくまでも平穏な日々を手に入れることであって、ナオミに悪趣味な尋問をすることではない。
 死亡フラグであるこのブツを、完全に私の日常から排除することを優先しなければならない。
 ん? 黙って捨てれば良いじゃないかって?
 甘い。この手の落とし穴は、避けようとする動作すら計算して掘られているものだ。
 私がコレを捨てようとした瞬間、天文学的な確率でトラブルが起き、自分のモノを処分した事実としてその姿を衆目の目に晒される。
 そんな展開を避けるためにも、例のブツはあくまでも本人に引き取らせなくてはならい。
 もう理由をアレコレ詮索するのは止めにしよう。
 葡萄を食べないと決めたキツネにとって、その葡萄が本当に甘いか酸っぱいのかなど関係ないじゃないか。

 「話せないのならいい」

 私は根負けしたように、例のブツをナオミに押しつけた。
 彼女は憎悪を宿したままの目で私を見上げている。

 「大事なものなんだろ? 返すから受け取りたまえ」

 「だから私のじゃ・・・・・・」 
 
 「じゃあ、代わりに捨てておいてくれ」

 「は?」

 キョトンとした顔。
 私の真意を測りかねているのだろう。


 ―――持ち主を捜すという目的は果たした。もうこれ以上グダグダやるのは勘弁して貰いたい。


 そんな内心をおくびにも出さず、私は事なかれ主義全開の台詞を口にする。

 「すまなかった。私の勘違いだったようだ。この部屋の惨状は物盗りの仕業だろう・・・・・・それに、コレが君のものではないということがよく分かった。誰のものだかわからないが、謝罪ついでに頼まれてくれ。君が捨てておいてくれないか。私の代わりに」

 「別にいいけど・・・・・・」

 あり得ない程の譲歩の結果、ようやく問題のブツが私の手から離れた。
 私が脇に退き、ベランダへの道を空けてやると、ナオミは別れの挨拶も無しに窓から出ていってしまう。
 
 「ふぅ・・・・・・」

 冷静に考えたらナオミとこんなに話したのは数年ぶりだった。 
 私は心底疲れたようにベッドへと倒れ込む。
 これから行う部屋の片付けを思うと気が滅入ったが、死亡フラグが回避できたのだから我慢しよう。
 そう思った矢先、新たな疲労の素が、私の部屋に文字通り土足で上がり込んで来たのだった

 「あ、あのさ・・・・・・」

 「は?」

 まだ帰ってなかったのか?
 頼むから例のブツを持ったまま、私の周りをうろうろしないで欲しい。
 私が視線を向けると、ナオミがチラチラとこちらを窺うような感じでこちらを見ていた。
 数年前に見たきりの、今のナオミなら絶対にやらない殊勝な表情だ。
 一体、何かあった?

 「やっぱり、おかしいと思う?」

 「なにがだね?」

 「だから、その・・・あくまでも仮定の話。こ、こういうの、私が持ってたらおかしいかな?」

 本当は大きく肯きたかった。
 彼女は私の理想として育成した筈だった。
 そして、その理想像には18禁ゲームをやるという項目は存在しない。
 だが、そんな事を言っても、自分になんの得もないことを私は理解している。

 「別に、おかしくなんて無いと思うが」
 
 「そう・・・思う? 本当に?」

 「ああ、ナオミがどんな趣味をもっていようが、私は絶対に馬鹿にしたりしないよ」

 まるっきり棒読みの台詞だったが、ナオミは私の言葉に満足したらしい。

 「そっか・・・・・・そうよね」

 ナオミは何度か肯いてから、【ほしくず☆プリンセス カナカナ】のパッケージを後生大事に抱えて飛び去った。
 その後ろ姿を見送った私は大きな溜息を一つつくと、窓の鍵をかけてから部屋の片付けを始めるのだった。






















 その夜、私は飛ぶ夢を見ていた。
 足下に広がる夜景をぼんやりと眺めながら、私は自分の中に残っていた子供っぽさに軽く笑う。
 私はパジャマのまま、ピーターパンのように夜の街を飛んでいた。


 ―――夢を見るなんて久しぶりだ。余程、問題が解決したのが嬉しかったのか・・・・・・


 部屋の片付けは夜中までかかっていた。
 缶ビールで片付けの終了と死亡フラグの回避を祝った私は、シャワーで汗を流した後、そのままベッドに倒れ込んでいる。
 アルコールと安堵が全身に行き渡り、私はすぐに眠りに落ちていた。


 ―――しかし、やけにリアルな・・・・・・


 徐々に明確になる視界。
 眠い目を擦ると、自分の手の感触をハッキリと瞼に感じる。
 湧き上がった違和感に周囲を見回すと、仏頂面のナオミと目が合った。

 「なんじゃ! こりゃぁぁぁぁぁっ!!!」

 「うるさい! 近所迷惑でしょ!」

 上空300mに近所があるかどうかはともかくとして、私はこの一言で状況を理解した。
 ナオミに寝込みを襲われ、眠ったまま上空に運び出されている。
 しかし、一体何故?
 浮かんだ「口封じ」という言葉を、私は全力で頭から振り払う。 
 迂闊な質問はできない。
 私はできるだけナオミを刺激しないよう、彼女の出方を待つことにした。

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・が、あるの」

 数分後、沈黙に耐えきれなくなったのか、ナオミが聞き取れない程の小さな声で呟く。

 「は?」

 私は交渉のイロハを無視し、つい聞き返してしまう。
 その言葉は、無理矢理拉致された地上300mの上空で、しかもナオミの口から聞くにはおよそ似つかわしく無かった。

 「だから人生相談があるのよ!!」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・えーっと。君が? 私に?」

 「あたりまえでしょ! じゃなかったら、アンタなんか連れて行く訳ないでしょ」

 切れ気味な発言にムッとしかかったが、それ以上に連れて行かれる場所に興味があった。
 一体ナオミは、私に何処で、何を相談しようというのだろうか?
 ここ数年、私はナオミから相談らしき相談をされたことがない。 
 彼女は女子大の教育学部に進学することも勝手に決めてしまっている。
 まあ、反対する理由も無かったから全力で応援したが・・・・・・・・・あの頃はまだ収穫する気でいたし。
 異常な状況はさておき、頼られるのは悪い気はしない。
 私は彼女に協力的な姿勢を見せることにする。

 「わかった。私に出来ることなら相談に乗ろう・・・・・・で、どこに向かっているんだい?」

 「ん。あそこ・・・・・・」

 ナオミが指さす方向に目を向ける。
 徐々に下がっていく高度。眼下に広がる夜景の一箇所に向かい、自分たちが高速移動しているのがよく分かった。
 ネットの地図で縮尺を下げていく感覚といえば分かって貰えるだろうか。
 既に建物の看板は認識できる。
 その中の一つに見覚えがあるものを見つけ、私は大きく目を見張った。
 最近来てはいないが、私はこの町を良く知っている。

 「ま、まさか・・・・・・今、向かっているところは」

 「そう。私の部屋」

 ナオミの答えと同時に、見覚えのあるマンションが目に飛び込む。
 驚きの声をあげそうになった私の口を、ナオミのPKが強引に塞いだ。
 
 「大声をださない! ウチのマンション、男子禁制なんだからッ!! いい? 隣の娘たちにバレそうになったら、速攻放り出すからね」

 ナオミの目は本気だった。
 私はコクコクと肯き従順の意志を示す。
 向かっている先は、オートロック完備、女子学生限定のマンション。ちなみに家賃は馬鹿高い。
 いわゆる悪い虫がつかないよう管理された、いいとこのお嬢さん専用の物件だった。
 ナオミは大学進学を機に、バベルの寮を出てこのマンションに引っ越している。
 見覚えがある筈だ。ノーマルとの融和の重要性を説き、渋る上層部に高レベルエスパーの独り暮らしを認めさせたのは私だからだ。
 熱意ある説得の裏に下心があったことは素直に認めよう。
 しかし、収穫を諦めた途端、斜め上にずれた形で夢が叶うとは皮肉な話だった。
 ナオミは私が抵抗しなくなったことを確認すると、急加速と急停止を併用し一瞬でベランダに降り立つ。
 流石レベル6。1階のロビーに警備会社が常駐していたとしても、ノーマルに今の侵入は気付けないだろう。
 そのまま一言も発さず、窓から部屋の中へ案内される。
 二重ガラスの窓を閉めてから、ナオミはやっと口を開いた。
  
 「じゃあ、それにでも座って」

 「はあ・・・・・・」 

 彼女に示されるまま、私は部屋の中央に置かれた座布団の上に正座する。
 キチンと整理された部屋。ここは勉強部屋兼寝室といったところか。
 部屋の中にはクラクラするような甘い匂いが立ちこめている。
 以前の私なら、胸一杯に部屋の空気を吸い込んだことだろう。
 家具らしい家具はベッドと机と本棚。そしてやや不釣り合いな布製のクローゼット。
 机の上にはデスクトップPCが置かれていた。

 「あんまジロジロと見ないでよね」

 「あ。すまない。つい珍しくって・・・・・・」
 
 私はベッドに腰掛け、ややふて腐れ気味のナオミに謝罪する。
 別に無理矢理つれて来られたのだから謝る必要もないと思うのだが、奉行と罪人のような位置関係がつい私の対応を卑屈にしていた。
 
 「で、人生相談というのは?」

 「あ・・・・・・あのね。さっき、言ったでしょ・・・・・・私がああいうのを持っていても・・・その、おかしくないって」

 「・・・・・・ああいうのとは、私が捨てて欲しいと頼んだモノのことかね?」

 「うん」

 嫌な予感が背筋を走る。
 まさか、ナオミは例のブツを引き取る気を無くしたのか?
 捨てても戻ってくる呪いの人形のように、アレが戻ってくる気配を感じた私は必死でナオミを肯定した。

 「おかしくはない! おかしくはないぞナオミ!!」

 「本当? ・・・・・・バカにしたりしない?」

 「バカになんかするもんか!」

 「絶対? 本当に?」

 「絶対の絶対! 本当に本当に本当だ!!」

 「・・・・・・・・・・・・じゃあ、人生相談を始めるね」

 完全に言い切った私に、ナオミは吹っ切れたようだった。
 自分に言い聞かすように人生相談の開始を宣言すると、右手を重厚な本棚にかざす。
 音もなくスライドした本棚は、裏側に隠されていたウォークインクローゼットの存在を明らかにした。

 「うお・・・・・・こんな所に」

 今までの流れからいって、この中に衣類は収納されていないだろう。
 私は部屋のバランスを崩してまで置かれた、布製クローゼットの意味を理解した。 

 「約束だからね・・・・・・」

 ナオミが意を決したようにクローゼットの扉を開く。
 その中の光景を見て、私はうまくリアクションをとることが出来なかった。  
 
 「えーっと・・・・・・これって」

 2畳ほどのクローゼットは、ホームセンターで購入したようなカラーボックスが設置され、細々としたモノの収納に適すように改造されている。
 そして、そのカラーボックスには、私が苦労してナオミに引き取らせたブツと、同じ臭いを放つモノがぎっしりと詰め込まれていたのだった。

 「そう。私のコレクション!」

 ナオミは得意げな口調で答え、「よいしょ」と取りだしたA4サイズほどの箱を、私の前に堆く積み上げる。
 【教え子めいかぁEX】【超生徒】【天元突破12生徒】【絶対可憐スチューデント】・・・・・・ずらっと並んだ箱のタイトルが、その中身を容易く想像させた。
 一番上に置かれた【教え子と恋しよっ♪】のパッケージイラストが私に笑いかける。もちろん半裸の少女だ。

 「えっと、これがPCゲームでしょ。んで、こっちの棚がDVD。それで、こっちの棚が初回限定版についていた販促物品・・・・・・」

 喜々として語るナオミの言葉が半分も頭に入ってこない。
 独り暮らしをはじめたナオミは、バベルから入る報酬を費やし、この危険極まりない空間を作成したらしい。
 私は何故かインディ・ジョーンズのラストシーンを思い出していた。
 驚異的な破壊力を秘めた聖櫃アークを巡り、主人公ジョーンズが繰り広げるナチスとの争奪戦。
 その冒険譚のラストは、主人公の努力の末に封印された聖櫃が、夥しい数の2つとない危険な遺物の1つとして保管庫に入るシーンで終わる。
 私の目には、その保管庫と目の前のクローゼットが重なって見えている。
 ということは、この先私は危険な18禁ゲームを封印しに、魔宮をトロッコで走り回ったり、聖杯を探索したりしなくてはならないのか?
 冗談じゃない! そんな嫌な冒険はしたくない。
 私はもう、自分好みに育成した女と結婚するなどという大それた野望は諦めている。
 お願いだから年相応の落ち着いた生活を送らせて欲しい。
 私は無性に小鹿君の声が聞きたくなっていた。

 「で、どう?」

 「へ?」

 不意に除き込まれ、私は途轍もなく間抜けな声を出してしまった。
 ナオミの方からこんなに近寄ってきたのは何年ぶりだろう。
 
 「だから、その・・・感想。私の趣味を見た」

 「ああ、感想。そう・・・・・・感想ね。えーっと、びっくりした」

 「それだけ?」

 「それだけ・・・・・・って言っても仕方ないだろう。本当にびっくりして、それ以外の感想なんて出てこないんだから」

 咄嗟に何を言っていいのかわからず、ナオミと距離を保とうとする。
 結果、クローゼット内に足を踏み入れそうになった私を、ナオミが慌てて止めた。

 「あ、奥のはちょっと・・・・・・まだ、見せるのに勇気がいると言うか、少し恥ずかしいやつだから・・・・・・だから、だめ」

 「そ、そうか・・・・・・」

 絶句しなかった自分を誉めてやりたかった。
 一体、クローゼットの奥にはどんだけ危険なブツがあると言うんだ!?
 【教え子と恋しよっ♪】を始めとする18禁ゲームを、見せびらかすように広げたナオミが恥ずかしがるモノとは・・・・・・


 ――――――『ふはははっ! 【教え子と恋しよっ♪】など、我らの中ではまだまだ小物よ!』


 そんな、少年漫画定番の台詞がクローゼットの奥から聞こえるような気がして、私は慌ててその場から視線を外す。
 ずらした視線の先には、心配そうに俯くナオミの姿があった。

 「やっぱり変かなぁ。私がこういうの持ってるの」

 うん。変です。
 素直にそう言えればどんなにいいか。
 しかし、何故か私にはそう言った感想を口にすることは出来なかった。
 それは決して自分が彼女に対しやってきたことを鑑みた訳ではない。
 普通のオヤジである私にとって、自分の事を棚にあげることなど造作もないことだ。
 パンツを脱ぐような風俗では流石にできないが、キャバ嬢に説教など朝飯前で出来る。
 では何故?
 多分、まだ私にとって、ナオミは育成する対象なのだろう。
 肯定し、導いていく存在。
 少なくとも今は、嫌っている私に秘密を打ち明けた勇気に応えなくてはならなかった。

 「別にいいんじゃないかな」

 「本当に?」 

 「ああ、人がどんなものを好きになろうが、それは本人の勝手だ! 君は正当に得た報酬で自分の好きな物を買っているだけだろう? 誰に迷惑をかけている訳でもなし、人から文句を言われる筋合いは無いのではないかな」

 「ははっ・・・・・・そう。そうよね。たまには良いこと言うじゃないですか」
 
 うお。久しぶりの敬語っぽい言い回し。
 話の中身がエロゲ趣味に関してじゃ無ければ、素直に感激している所だ。
 しかし、私の言葉には若干嘘が含まれている。
 本音を言えば、迷惑。いや、大迷惑だ。
 平穏無事な生活を目指し始めた私にとって、そのささやかな幸せをぶち壊す、死亡フラグの固まりを何故ナオミに持ち込まれなくてはならないのか。
 彼女に自分の理想を押しつけていた負い目があるとは言え、正直を言えば今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。
 だが、私はどうしても、彼女に理由を聞かずにはいられなかった。

 「しかし、ソレが君の普段のイメージに合わないのも事実かな・・・・・・よかったら聞かせてくれないか? どうして、そういうものが好きになったのかを」

 「え? いや、その・・・・・・わからない」

 私の質問を受けたナオミは明らかに動揺した。
 視線を彷徨わせ、顔を赤くしている。

 「じ、自分でも分からないの。いつのまにか好きになっていて・・・・・・」

 困ったことにその気持ちは非常に理解できた。
 今の彼女にツッコミを入れる男は、馬鹿か嘘つきだろう。
 何かを好きになるとはつまり、そういうことだ。

 「ホラ! このパッケージ見ると、ちょっとイイとか思っちゃうでしょ?」

 言葉に詰まっていたナオミは、手近にあった【教え子と恋しよっ♪】を手にとり私の目の前に突きつける。
 すまないナオミ・・・・・・残念だが、その気持ちは理解できない。

 「へ? 何を言って・・・・・・」

 「だからぁ〜、すっごく可愛いと思わない? この子なんて『先生。先生!』って懐いてくれて、最高に可愛いんだから!」

 えーっと、『可愛い』と『先生』。
 妙に心の琴線に触れるキーワードだが、それを今の状況で聞くと嫌な想像しか浮かばない。
 もし私の背後に擬音が書かれているのならば、間違いなく『ザワッ・・・・・・』だろう。
 私は自分の考えが否定されることを願いつつ、2つ目の疑問を口にした。

 「えー・・・・・・まさかとは思うが、ナオミは、その・・・・・・『小さな娘を育成する』のが好きなのか?」

 「うんっ!」

 即答だよ!
 逡巡無しだよ!
 元気いっぱいに肯いちゃったよ!
 これが世間に知れたら、どう言い訳しても私の影響だと思われてしまうじゃないか!!
 18禁ゲームどころの騒ぎじゃない。
 ナオミの存在そのものが、私にとっての死亡フラグなのか!?

 「ほん・・・っとに可愛いんだ! 『先生』とか『教官』とか、あと、名前を登録すると、親しくなった娘とかは、あだ名で呼んでくれたり・・・・・・親密度が増すと『特別な呼び方』で呼んでくれるのね。それがもう、グッっときちゃって」

 君は私のことを『クソ親父』とか『中年』と呼んでいるんだが、その場合の親密度はどうなのよ!?
 ぜんぜんグッとこないし、心が折れてからはマジで傷つくんですが。
 ナオミは私の反応などお構いなしに、パッケージに描かれた1人を指さした。

 「この中で一番のお気に入りはこの子! やっぱ、素直で大人しい生徒って、なんか、こう護りたくなるっていうか、ぎゅっと抱きしめたくなるっていうか・・・・・・へへへ、いいよね」

 うん。それは激しく同意したい。
 やっぱり、教え子は賢く、清楚で、上品が一番だろう。
 なにかと逆らって、すぐに人を壁にめり込ますのはどうかと思うぞ。
 最近、裏ドラでエロゲ好きという役も付いたが。
 どう突っ込みを入れるべきか悩んでいると、クローゼットを隠していた本棚の一角に目が行く。
 大学の教科書らしき専門書の群れ、その中に教育関係の書物を発見した私は、ナオミが教育学部に通っていることをようやく思い出したのだった。

 「ちょ! ちょっと待つんだナオミ! ま、まさか、君が教育学部を志望したのって・・・・・・」
 
 いや、お前が言うなという意見はよく分かっている。
 しかし、それでも私は突っ込まずにいられなかった。
 ナオミも私の言いたいことが分かったのか、冷水をかけられたように顔色を変える。
 多分、これこそが、真の意味での人生相談なのかもしれない。

 「え・・・・・・やっぱりマズイと思う? こんなのが好きな私が、先生になろうとするのって・・・・・・」

 えーっと、うん。多分、みんなの考えていることは分かる。
 よりにもよって私にソレを聞きますか。
 しかし、逆に考えれば、私に聞かざるを得ないほど悩んでいるということでもある。
 うまい回答を考えあぐねていると、溜まった心情を吐露するようにナオミが一気にまくし立てた。

 「私にも分かってる。こんなの普通の女の子の趣味じゃないって・・・・・・だから、誰にも言えなくて、今まで隠していたんだもの。だけど、分かっていてもやっぱり好きだから、ネットとかやってるとついググっちゃうし。で、体験版とかダウンロードしているうちに、もう、これは買うしかないっていう風になっちゃって・・・・・・この可愛さが私を狂わすのよ! 今まで何度も止めようと思った。でもダメ。どうしても止められない。私はアニメもエロゲも好き。愛しているって言ってもいい! だけど、普通に学校の先生にもなってみたい!」

 「いや、でも、ゲームと現実とは・・・・・・」

 「分かってるわよ! 別にゲームみたいなことをしたくって先生になりたい訳じゃないし・・・・・・」

 私の軽いツッコミにナオミは力なくうなだれ、その場にペタリと座り込んでしまった。
 上目遣いで私を見る目が潤んでいる。
 なんだこの可愛さは。まるで出会った頃のナオミではないか。

 「ねえ。私、どうしたらいいかなぁ・・・・・・」

 どうしたら良いと言われてもねぇ・・・・・・
 私にソレを言わせますか。
 心が折れ、吹っ切った今でも、君の事を可愛いと思っちゃうこの私に。

 「やっぱり、みんなに打ち明けるべきかな?」

 「それだけは勘弁して下さいっ!!」

 進んで自爆しそうになったナオミに、私は五体倒地の姿勢で懇願する。
 どんだけ天然なのよ。個人的な性癖をカミングアウトして、世間からダメ出しくらった実例が目の前にいるだろ。
 真性の同僚を見れば分かるでしょ。個人的性癖なんぞ隠し通していたほうがいいって。
 そのうち世の中から祝福される形で思いが成就するんだから。
 君は彼と同じ、造物主から祝福される存在。
 みすみすこっち側に来ることはないし、来ようとしても結局、私の悪影響とかでしわ寄せが全部こっちに来るんだから。
 なんで君は、私の平和を乱そうとするんだよ。

 「超能力以外の力で初めてやりたいと思った仕事なの・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 クッ・・・・・・そんなこと言われたら、真面目に答えざるを得ないじゃないか。
 嫌いまくっている私に弱点を晒し、悩みを相談するなんて普段なら絶対にしないだろ。
 理由はただエロゲを拾われただけ・・・・・・別に信頼なんてこれっぽっちも関係ない。
 まあ、でも、真性の同僚なんかには言えないよな。
 オタク趣味で、エロゲが大好きだなんて。
 知られたって、どうでもいいヤツだからこその相談か・・・・・・っていい加減にしろ私!
 五体倒地の姿勢のまま、床にゴツリと頭を打ち付ける。
 頭に浮かぶいじけた考えを打ち消すために。

 「ナオミ。1つだけ確認させてくれ・・・・・・」

 それでも相談は相談だ・・・・・・いいだろう。真面目に答えてやろうじゃないか。
 私は疼くような痛みを額に感じながら、ナオミの目を真っ直ぐ見つめる。
 これ以上のイメージダウンを恐れ、ビクビクしている中年の私にも、自分の仕事に多少の矜持があるらしかった。

 「私が今の職を気に入っているのは、バベルの理念に共感しているからだ。超能力は才能の一種。別に垣根など作らず、伸ばせるだけ伸ばしてやればいい・・・・・・それにな、私は好きなのだよ。出来なかったことが出来るようになった瞬間に人が浮かべる表情が」

 ナオミのキョトンとした表情。
 私がマジメに話すのがそんなに不思議か?

 「コンプレックスから解放される瞬間と言っても良い。それは、君のレベルが上がった時だけでなく、笹目君たちや、他のエスパーでも同じだ。もちろん、人の進歩だ。思い通りにならない時の方が多い。でも、その苦労をさっ引いても、なお、私は自分の仕事にやりがいを感じることができる・・・・・・ナオミにもそういうものがあるんだな?」

 私の質問にナオミは小さく肯く。
 今はそれだけで十分だった。

 「ならば黙ってろ。絶対にだ! 大体、それが出来ないからいままで散々悩んでいたんだろう?」

 「それもそうか・・・・・・じゃあ、やめとく」

 「そうしておけ。特にバベルの連中には絶対ばれないようにな」

 「やっぱり、ばれたらマズイかな?」

 「ああ、正直、その展開は考えたくないな・・・・・・」

 コレは主に私の都合が中心なんだが黙っておく。
 その辺の気まずさを誤魔化す意味もあって、私は不敵に笑うと、根拠の無い自信に満ちた台詞を言い放った。 

 「でも大丈夫! 趣味は趣味、仕事は仕事。一線を引いていれば私のようにはならない」

 「うん。わかった!」

 うわ。真顔で肯いたよ。
 今のは笑いを取ろうとして言った自虐ギャグなのに・・・・・・
 まあ、結果オーライってヤツか。
 少なくともナオミの表情からは、悩みの影は消えていた。

 「だったら、そこは協力してやる。君の趣味がばれないように・・・・・・なにが出来るか分からないけど、私に出来る範囲でなら何でも遠慮なく言いたまえ」

 「いいの? じゃあ・・・・・・そうしようかな。うん。そうしてくれると、助かるかも・・・・・・」

 ナオミは礼こそ言わなかったが、小さく何度も肯き、嬉しそうにしていた。
 正直悪い気はしない。懐かしい・・・・・・何故だかそう思った。

 「でも意外だった。仕事のこと、そんな風に真面目に考えていたなんて・・・・・・」 

 ああ、そうか。
 これは担当したばかりの頃によく見た表情だ。
 しかし、私もナオミもあの頃の自分たちではない。
 ならば、やることは1つだった。

 「フッ・・・・・・見直したかねナオミ。なんなら、今からでも遅くない。私の嫁に・・・・・・グハッ!」

 「だから、そういう所がキモイっていってんだよッ! 自分で一線引けって言ったばかりだろ!」

 おお、一瞬で元のナオミに戻りやがった。
 殺意の籠もった目で人を壁にめり込ませる。流石、私の担当エスパー。
 ヤバイ。怒ってもいい状況なのに、妙に安心してしまっている。
 さっきまでの殊勝な態度が、どれだけ異常だったかってことだろう。

 「グッ・・・・・・キ、キモイって、君の好きなゲームだと、生徒は教師が大好きなんだろう?」

 「リアルとファンタジーを一緒にすんじゃねぇ! 教師に惚れる生徒がいるわけないだろ!!」 
 
 いや、結構いるって聞いているぞ!
 身近にも真性の同僚の所とか・・・・・・単に、お前が私を大ッ嫌いって言うことだろうが。
 まあいい、今の発言は計算の上。
 明日以降も、ナオミとの距離を変わらずに保つ作戦でしかない。

 『梅枝さん? 凄い音したけど大丈夫!?』

 念動に耐えること数秒。
 物音と振動を聞きつけた隣の住人がチャイムを鳴らす。
 ほらきた。いいのか? ナオミ。早く片づけないと秘密がばれちゃうぞ。

 「・・・・・・自由落下じゃないだけ、ありがたく思いなさい」

 予想通り、ナオミのPKが私を包み窓の外へと運び出す。
 後は勝手に帰れと言うことだろう。
 マンションの敷地外に着陸した私は、今までいた部屋の明かりを見上げ笑みを浮かべる。
 今頃ナオミは、大慌てで部屋を片付け隣人対応をしているはずだ。
 非の打ち所の無い、よそ行きの仮面を身につけて。
 それが出来れば大丈夫。
 彼女は明日以降も、秘密を胸にしまったまま、変わらない日常を送っていく。
 私はクシャミを1つすると、パジャマ姿でどうやってマンションまで帰るか思案しはじめるのだった。









 大方の予想通り、あの晩以降もナオミとの関係は変わらなかった。
 つまり、業務に関する必要最低限の会話しかしないということだ。
 かくして私は、再び落ち着いた日々を手に入れることに成功していた。
 馴染みの店で夕食を済ませ、軽く一杯引っかけた後、我が家へ戻り寝床に入る。
 目覚まし代わりの携帯を充電器にセットしようとした時、メールが着信していたことに気がついた。

 『こんばんは。お体の具合いかがですか? 明日で野外演習が終わります。お土産と一緒にライターもお渡ししますね。  小鹿』

 他愛のない文章だが、不思議と胸が温かくなる。
 自分を気遣ってくれる人がいるのが、こんなにも心地よいとは。
 手短に『楽しみにしています。そちらも気をつけて』と返信する。
 明日、彼女が帰ってくる。
 出発前にあったゴタゴタは全て解決した。
 もし、彼女がまた夕食を作ってくれるというのなら今度こそ・・・・・・
 そんなことを考えながら、私は眠りにつく。
 しかし、その眠りは頬を襲った強い痛みによって、すぐに妨げられる。
 寝入りばなを強襲された、最悪の目覚めだった。

 「ナニ寝ぼけてるのよ。イヤらしい!」

 「ありがとうございます!」

 寝込みを襲われ、取り乱した私はつい訳のわからないことを言ってしまっていた。
 頬がズキズキと痛む。この痛みはビンタか?
 慌てて目を開くが、網膜が眩しい光に悲鳴をあげる。
 どうやら侵入者は部屋の電気を全て点けているらしい。
 次の襲撃に備え、ベッドの影に転がり込んだ私に襲撃者がもう一度声をかけた。

 「どう? 目が覚めた?」

 「その声は・・・・・・ナオミ?」

 聞き覚えのある声に、体から緊張が抜ける。
 ようやく明るさになれた目をそちらに向けると、私服に身を包んだナオミが不機嫌そうに立っていた。
 何でいきなりキレ気味なんだ?
 普通怒るのはこっちだろ!?

 「う・・・・・・なんだ? 緊急の呼び出しでもあったのか?」

 未だかってこんな呼び出しを受けたことが無かったが、一応念のために聞いておく。
 その問いかけにナオミが返したのは、能面の様な顔で繰り出したピースサインだった。

 「・・・・・・ピース?」

 「違う。二回目」

 「・・・・・・すまない。寝起きのためか状況が分からない。日本語で説明してくれないか?」 

 「二回目にきたのよ。人生相談の」

 「じ、人生相談だとっ!」

 数日前の恐怖が蘇り、一気に目が覚める。
 ナオミは身構えた私にくるりと背を向けると、持ち込んだ大ぶりのバッグの中からノートPCを取り出し机の上に置いた。

 「ここ座って・・・・・・」

 座っても何も、そこは私の椅子じゃないか。
 しかも、何だよそのノートPCは?
 有無を言わさぬナオミの態度に、不承不承席に着き起動中のノートPCを除き込む。
 そういえば昔、こんなAAがあったな。

 「これでいいのかな。兄者」

 「マジメにやって・・・・・・こっちは真剣なんだから」
 
 ノートPCを除き込むナオミの表情はとても真剣だった。
 その美しい横顔に目を奪われた私は、つい軽口を叩いてしまったことを反省する。
 こんな時間に、それも嫌っている私の元を訪れるとは余程のことに違いない。

 「すまない・・・・・・で、人生相談とは?」

 「よし。立ち上がった。先ずはコレをみて」

 パチリとEnterキーを押す音に視線をPCに戻す。
 そこに表示されたモノを見た私は、数秒前に反省したことを反省した。

 『おしえごめいかぁ いーえっくす ―――せんせー、おかえりなさい。おしえごと、こいしよっ♪』

 画面一杯に表示された少女の絵が、舌っ足らずのアニメ声で私を出迎える。
 「ハイ」と渡されたマウスを眺めること数秒。
 私は理性を総動員してナオミに質問した。

 「あの。ナオミさん? コレって・・・・・・?」

 「ん。今攻略中の最新作」

 「そうじゃなくて、私に何をしろと?」

 「決まってんじゃない。今からプレイするのよ!」

 至極当然とでも言うような物言い。
 夢かと思い頬を抓ったが、残念ながらもの凄く痛かった。
 マジですか?
 アナタは深夜とも言える時間帯に、エロゲをプレイさせる為に訪問したと?


 ――― 何故こんな残念なことに・・・・・・


 私は過去ナオミに行った育成プログラムを思い返す。
 過去に行った指導全てが、超能力の育成と、素直で、清楚で、賢い、私の理想どおりの女性に成長させるためのプログラムだった筈だ。
 なのに何故、彼女はこんな残念な成長をしてしまったのか?
 私の知る限り、超能力中枢の発達が性癖に影響を与えるなどという報告はされていなかった。

 『わかってるとおもうけどぉ―――。このげーむに、とうじょうするおしえごはー、みーんな18さいいじょうなんだからねっ!』

 うっさい!
 お前は少し黙ってろ!!
 私は思考を妨げた少女の絵を睨み付ける。
 なんだよソレはッ! 
 突っ込み待ちか? 突っ込み待ちなのか?
 どこの世界に児童が18歳以上の小学校があるんだよ!
 ホラ、突っ込んだぞ。満足したか? ゲームメーカーの社員!
 ネタキャラとして認知されている私でも、突っ込みことくらい出来るんだ。
 だからナオミ。お前にも突っ込むぞ!
 私にはその権利が十分にあるはずだった。

 「ナオミ! いいかげ・・・・・・」

 「やっぱバカにしてんじゃん・・・・・・」

 「!・・・・・・」

 私の突っ込みを止めたのは、怒りにまかせたPKではなくナオミの悲しげな顔だった。

 「結局・・・・・・口だけなんでしょ? やってもいないうちから偏見持って・・・・・・口では綺麗事言ってるけど、私のこと、心の中では変な子と思っているんだ」

 「あ、あのなぁ・・・・・・そうじゃなくって」

 なんだよこの雰囲気は!
 まるで私が悪いみたいじゃないか。
 泣きたいのは私の方だって。
 なんで収穫を考え育成していた担当エスパーと一緒に、教え子を攻略するエロゲをやらなきゃならないんだよ。
 
 「分からないのか!? バカにするとかじゃなくて、君の前でコレをやるのが気まずいんだよ!!」

 「ナニそれ!? 何言ってるか、全然わからないんだけど」

 まさか・・・・・・本気で分からないのか?

 「あのな。私は全然詳しくないが、おそらくコレは、仮想の教え子と仲良くしてどうこうするってゲームだろ? しかも男向き18禁の・・・・・・ということは、当然の結論としてストーリーの佳境ではそういうシーンもあると思うのだが、君は私とそういうシーンを見て平気なのか?」

 「あっ!」

 口を大きく開けたナオミの顔は、言われて今気付いたとばかりに真っ赤になっていた。

 「わ、私はそう言うの・・・・・・特に意識してやってなかったし・・・・・・ワケ分からないこと言わないでよねっ。その言い方だと、まるで私が変みたいじゃない!」

 「むう・・・・・・」

 今の発言で問題点の整理が出来た。
 ナオミは18禁だから―――そう言うシーンがあるから、ゲームをやっている訳ではないようだ。
 彼女が口にする「教え子が好き」ということに、性的な意味は含まれない。
 まあ、女だから当たり前かも知れないが・・・・・・
 
 「分かったナオミ。概ね状況は理解できた。話合おう、な、いいか・・・・・・あのな」

 私は諭すようにナオミに語りかける。
 彼女に向き合った体の動きが、ほんの僅か持たされたマウスに伝わった。

 『がめんを、やさしく、くりっくしてねっ♪』

 「だぁぁぁぁぁっ!! いいタイミングで話の腰を折るんじゃない!」

 絶妙なタイミングでのアナウンスに、荒々しくマウスを放り出す。
 その手荒な扱いに、ナオミが不平を口にした。

 「ちょっとぉ、さおりちゃんを苛めないでよ」

 そっちかよ!
 不平はマウスを放り出したことにじゃなくて、キャラへの態度にだって!?

 「君も冷静になれ。ソレは絵だ」

 「絵って言うな!」

 しまった。不用意な発言だったか?
 しかし、何ていう顔で怒鳴るんだよナオミは。
 どうすればいいんだ?
 正直、私の手には負えないんだが・・・・・・
 私はそれほど高くない対人スキルを駆使し、ナオミの説得を試みる。

 「悪かった。良く知りもしないで適当なことを言ってしまった。別にナオミの趣味を否定したり、馬鹿にしたりするつもりはこれっぽっちもない・・・・・・それだけは誓って本当だと信じてくれ」

 「・・・・・・・・・・・・」

 唇をとがらせ不満顔のナオミ。
 しかし、なんとか話を聞く気にはなっているらしい。
 私はここぞとばかりにたたみ掛ける。

 「でもな、その、いきなりはハードルが高いと思うんだ。馬鹿にするつもりは全然ないけど、無理なんだって」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・いや、分かるよ。多分、メチャクチャ面白いんだろ? だからおすすめしてくれてるんだよな? わかる。それは十分わかる。―――その上であえて言うけど、勘弁してくれ。百歩譲って、一人でやるならまだしも、ナオミのとなりで、教え子を攻略する18禁ゲームをやる度胸は私には無いんだよ」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・はぁ」

 盛大に溜息をつかれた。
 溜息をつきたいのは私の方だが、ナオミの表情が緩んだのを見てグッと我慢する。

 「いくじなし・・・・・・」

 意気地無しで結構。
 生憎、そっち方面で蛮勇を奮う気はないんだよ。
 私はゲームを終了させ、ノートPCを閉じたナオミに内心ガッツポーズをとる。
 とにかく今は穏便に事態を収拾し、ナオミに死亡フラグ満載のノートPCを持ち帰って貰えばいい。
 そんな私の狙いは、次に告げられた一言に脆くも崩れ去るのだった。

 「じゃ、宿題ね」

 「へ?」  

 大ぶりのバッグから取りだしたゲームを、これでもかと積み上げるナオミはとても楽しそうだった。
 もちろん全て18禁。ひーふーみー・・・・・・うん。沢山ある。

 「一人だけならいいんでしょ。コレ、置いていくから、全部終わらせること!」

 「! ちょ、ちょっと!!」

 チョット待てナオミ!
 それは単なる言葉のアヤだって!
 私がどんだけ苦労して死亡フラグの回避に努めてると思ってるのよ!
 【教え子と恋しよっ♪】1つだけでも生きた心地しなかったのに・・・・・・

 「ナニ!? 文句あるの!?」

 「いえ、ありません・・・・・・」

 「ちゃんと感想聞くからサボらないでね」

 ナオミはそういって笑うと、私に軽く手をふりベランダから夜空へと飛び立つ。
 残された死亡フラグの山に頭を抱えた私は、数年ぶりにナオミから笑顔を向けられたことにしばらくの間気がつかなかった。


















 翌日 バベル本部
 度重なる早退のおかげで仕事が山のように溜まっていた私は、残業を余儀なくされている。
 猛烈な眠気と戦いながら遅くまで書類を整理していると、野外訓練から帰還した小鹿君がオフィスに顔を出した。

 「こんばんは・・・・・・あら。すっごい欠伸。寝不足ですか?」

 「ああ、昨夜はなんやかんやで明け方まで眠れなくてね・・・・・・今、帰りかい?」

 「ええ、ちょうど今帰還したばかりで・・・・・・明け方まで眠れなかったってお仕事ですか?」

 「はは・・・・・・まあ、そんな様なものだ」

 私は誤魔化すように笑うと、書類から目を離し目の付け根を軽く指先で揉む。
 眼精疲労の原因が、明け方までのエロゲ攻略だとは口が裂けても彼女には言えない。
 しかし、その御陰で朝一番に行われたナオミの進捗状況確認に対応出来ているのだが・・・・・・

 「小鹿君こそ野外訓練はどうだった?」

 「すごく楽しかったですよ! 初音ちゃんと明君の息もピッタリでしたし・・・・・・山間部に限定すればウチの子たちもレベル7に匹敵! って、言うのは親バカならぬ担当者バカですかね?」

 「親バカって・・・・・・彼らとはそんなに年が変わらないだろう?」

 「でも、私はあの子たちの指揮官ですから」

 たまに彼女が口にする言葉だった。
 指揮をする者と年齢が近い場合、どうしても背伸びしてしまいたくなるのは仕方がないことだが、童顔の彼女にはその傾向が強く感じられる。
 私は眠気覚ましにコーヒーサーバーに近寄ると、それぞれのコップにやや煮詰まり気味のコーヒーを注いだ。

 「無理に親代わりになる必要はないよ。若いウチでないと出来ない指揮の取り方もあるし・・・・・・その辺では、君は実によくやっている」

 「本当ですか?」

 「私は嘘は言わない主義だ」

 「あは、うれしいな・・・・・・でも、本当はもっと大人として、毅然とした接し方をしたいんですけどね」

 手渡されたコーヒーに、大量のミルクと砂糖を投下する彼女の姿は、とても毅然とした大人には見えなかった。
 両手で持ったコーヒーカップに息をふーふーかけながら口をつける。
 そんな彼女の姿に感じる可愛らしさが、私の胸の奥に空いた穴を埋めていくのがわかった。

 「必要なのは毅然ではなく健全さだよ・・・・・・」

 「え? 今、何か言いましたか?」

 「いや、何でもない。私も君に学ぶべき点が沢山あるということだよ」

 そう。小鹿君の健全さは私には無いものだった。
 一見幼く、頼りなげに見える彼女が、時折見せる芯の強さの根幹はそこにあると私は思っている。
 経験不足から時に指揮が乱れることもあるが、方向性にブレが生じることはない。
 私が彼女に魅力を感じるのもその健全さ故なのだろう。

 「もう。そんな冗談言って! 谷崎センパイにはいつも相談にのって貰っているばかりなのに・・・・・・あ、そうそう。だからこれ!!」

 照れたように顔を赤らめた彼女は、側らに置いていた紙袋を私に差し出した。

 「預かっていたライターとお土産です。いつもお世話になっているお礼に」

 「あ、ありがとう・・・・・・」

 紙袋の中には小さな包みが2つ入っていた。
 1つは演習地近くの土産物屋で買ったと覚しき包み。
 もう一方の可愛らしいラッピングには、あの日に落としたライターが入っていた。
 私はその包みを開け、数日ぶりに愛用のライターを手にする。
 たった数日なのに酷く時間が経ったように感じた。

 「うん。やっぱり手に馴染む。これは何かお礼をしないとな・・・・・・」

 努めてさりげなく、次につなげるための感謝を口にする。
 下心満載の提案は、意外な程あっさりと受け入れられていた。

 「あら、なんです? お礼って」

 「そうだな・・・・・・」

 私は一応悩むふりをする。
 正直に言うと、普段の行動圏に若い女性を連れて行けるような店はあまりない。
 悩んで見せたのは小さな見栄と、彼女を食事に誘うという思いつきを、今したように見せかけるためだった。
 私は以前から温めていた、それなりに値の張る寿司屋の名前を口にしようとする。
 しかし、順調にいっていたかに見えた計画は、突如現れた闖入者に話の腰をポッキリと折られるのだった。

 「お腹空いたーっ! 小鹿。はやくごはん食べにいこーっ!!」

 「コラッ! 初音ッ! 用事が済むまで待ってろって言われてるだろ!!」

 「焼肉ーッ! 食べほーだいっ!!」

 「初音! 待て、お預けっ!!」 

 全くもっていつもの光景だった。
 お腹をギュルギュル鳴らしながら小鹿君にじゃれつく獣娘と、それを止めようとする苦労人の相棒。
 彼らが来たからには、もうこの話はさしたる進展を見せないだろう。
 目の前の女性の顔は、既にもう優しい主任のそれに変わっていた。

 「はは・・・訓練終了のご褒美に、晩ご飯ご馳走する約束をしてまして」

 行き先は多分、時間制の焼肉バイキングだろう。
 若い連中―――特に食欲の権化みたいな連中を連れて行くにはうってつけの場所だ。
 小鹿君を誘うのに寿司屋をチョイスしていた自分に、つい自分の老いを感じてしまう。
 焼肉食べ放題という言葉に魅力を感じなくなったのはいつからか?
 そういえば最近、以前ほど肉を食えなくなったなぁ・・・・・・

 「いいじゃないか。楽しんでくれたまえ」

 一抹の寂しさを感じながらも、担当エスパーに手を引かれ連れて行かれる小鹿君を笑顔で見送る。
 不思議と心は温かだった。
 私は気合いを入れ直し、残りの書類を一気にかたづける。
 バベルを退庁し、自宅マンションに着いたのは22:00を少し過ぎた頃だった。

 「遅い!」

 帰宅した私を迎えたのは、ややキレ気味のナオミの一言だった。
 寝室兼書斎から飛び出してきたナオミの姿に、私は帰り道で購入した焼肉弁当を落としそうになる。
 ドアの鍵が健在だったところを見ると、多分、また窓から侵入したのだろう。
 私は努めて冷静に、ナオミに事態の説明を求めた。

 「仕事が溜まっていてね。それより、ナオミこそこんな時間にどうしたんだね?」

 「えっと、進捗状況を確認しに。朝聞いた限りじゃ結構良いペースで宿題を消化しているから・・・・・・真面目にやってくれてるんだよね?」

 そりゃそうだ。
 自分の部屋に無数の地雷を設置されたら、1分1秒でもはやくそれを処理したいのが人情だろう。

 「あたりまえだろ。それに、全部終わらせるように言ったのはナオミだぞ」

 「えへ。そうだよね」

 ナオミの表情からは不機嫌は消え去っていた。
 夕食の弁当を置きにダイニングキッチンに入った私の後を、ニコニコしながらついてくる。
 私は冷蔵庫から麦茶の1リットルパックを取りだし、自分とナオミの分をコップに注いだ。

 「夕食は?」

 「もう済ませてきた。私にかまわず食べちゃって」

 「そうか。なら、そうさせて貰おう」

 若干の気まずさを覚えながらも、私は買ってきた焼肉弁当をあけ箸をつけはじめる。
 小鹿君たちを意識してチョイスしたメニューだが、まさか、自分も担当エスパーと向かい合っての食事となるとは・・・・・・
 ナオミと向かい合って席に着くことすら久しぶりの私は、何を話していいのか分からず黙々と箸を動かし続ける。

 「で、どうだった?」

 ずっと私が食べるのを見ていたナオミが口を開いたのは、弁当が残り1/3となった頃だった。

 「どうだったとは?」

 もちろん、今の質問が焼肉弁当の感想でないことは私にも分かっている。
 しかし、確認もなしにソレを口にするのはハードルが高すぎた。

 「ゲームの感想に決まっているでしょ! 今朝のは単に終了確認。昨日言ったじゃない。ちゃんと感想聞くって!!」

 やっぱり。
 胃に収めた焼肉が、急に脂身の固まりであったかのように重く感じられる。
 今朝の終了報告が虚偽でないか確認するつもりなのだろう。
 しかし、焼肉弁当をつつきながら、担当エスパーと、教え子攻略のエロゲの感想を話すって食事風景としてどうなんだ?
 卓袱台を挟み、地球侵略を目論むメトロン星人と対峙したセブンも、こんな心境だったに違いない。
 
 「先ずはお気に入りの娘かな。クリアした中で誰が一番可愛いと思った? んで、グッと来たシーンは?」

 甘いぞナオミ! 私は既にこの様な質問が生じるのは想定済み。
 ある程度の質問に答えられる程度には、昨晩のウチにやり込んである。
 私は麦茶で口を潤してから、ナオミの質問に答え始めた。

 「レイコ君なんかは可愛らしいと思ったね。普段意地っ張りな子が、時折好意をのぞかせるのが新鮮で・・・・・・」

 「へえ、初心者のクセに分かっているじゃない。 ちなみに私は・・・・・・」

 え? 私の感想に対するリアクションってそれだけ?
 それに「ちなみ私は」って、自分の好みを語り出しちゃう気ですか?
 尋問じみた質問をイメージしていた私は拍子抜けの気分を味わっていた。
 どうやら感想を聞くというのは、ゲームについて語る手段に過ぎないらしい。
 だがそれも無理もないのかも知れない。今まで自分の趣味を誰にも言えずに、独りでエロゲをやっていた彼女が、偶然にしろその話題で話せる者を手に入れたのだ。
 例えそれが嫌っている私であっても、話したくなるのが人情ってやつだろう。
 お気に入りのキャラクターについて語るナオミの笑顔が、私に拒絶という選択肢をとらさない。
 箸を置き、エロゲ話に相づちをうちつつ聞き役に徹する。
 正直勘弁して欲しいと頭を抱える自分と、ナオミと会話が増えたことを喜んでいる自分が、私の中に同居していた。

 「・・・・・・終わらせた宿題の範囲としては以上かな」

 えっと・・・・・・私の記憶が確かなら、それってほぼ全員じゃないか?
 そして、何ですか? その悪戯した子供みたいな笑顔は?
 嫌な予感が背筋を伝う。
 終わらせた宿題の範囲としては・・・・・・とは、どういう意味なのだろう。
 確かにナオミが昨夜置いていったエロゲは一晩で消化できる量ではない。
 しかし、今週末の睡眠時間を犠牲にすれば、月曜には宿題を全て消化し自分の部屋からエロゲを一掃できる。
 少なくとも続くナオミの台詞を聞くまでの私は、固くそう信じていた。

 「本当はもっとお気に入りの娘がいるんだよねー。だから、追加の宿題置いといたから」

 「ぬわんだって!!」

 弾かれたように立ち上がると、先程ナオミが出てきた寝室兼書斎へと走り込む。
 平積みされたエロゲの山と、壁を彩る販促物品のポスター。
 すっかり変わり果てた自室に呆然と立ち尽くしていると、遅れてやってきたナオミが嬉しそうに持ち込んだブツの説明を始めた。

 「いや、あのね。昨日持ってきたのって、ほんの一部だったし、シリーズ物って時系列にやらないと本当の良さが分からないの。とりあえず、発売順に並べといたからこの順番でプレイしてみてよ! 励みになるように、ダブってるポスター貼っておいたからがんばってね!」

 私はその説明を背中で聞きつつ、壁に貼られたアニメ調のポスターを見つめていた。
 壁に残った日焼け跡を埋めるように貼られた半裸の少女の姿。
 ナオミの収穫を諦め、彼女の写真を剥がした日焼け跡を、その本人が貼ったエロゲのポスターが埋めている。
 私は色々な意味で、壁の日焼け跡が消えて行くのを感じていた。

 「・・・・・・・・・・・・だめだ」

 諦めの言葉がつい口を出た。
 こんな死亡フラグだらけの環境で生活していたら、ささやかな幸せを手に入れるのは絶対に不可能だろう。
 『俺、このエロゲ終わったら、小鹿君を食事に誘うんだ・・・・・・』などと考えようものなら、そらもう確実に・・・・・・
 私はふと、ナオミにアニメやエロゲの話ができる友人ができないものかと考える。
 もし、バベルの人間関係以外に共通の話題で話せる友人ができれば、私はバベル内でのフォローだけを考えればいいのではないか? 

 「大丈夫よ! そんなに心配しなくてもクリアできるって! 詰まったら私がヒントあげるし」

 私の呟きの意味を勘違いしたナオミが、見当違いの励ましをかけてくる。
 いや、その笑顔が心配なんだって!
 追加された宿題が終わっても、エロゲが販売され続けていく限り、この宿題を出し続けるつもりだろう?
 申し訳無いがこの趣味を受け止めるには、私独りでは荷が重すぎるんだよ。
 それに、自分の趣味が理解されない苦しさは、私の方が良く知っている。

 「そうだな。こういうのは、同じ話題で盛り上がれる人がいれば楽しさも倍増だろう。だからナオミ・・・・・・」

 
 ―――作らないか? 同じ話題で話せる友だちを


 私は続く言葉をなかなか言い出せないでいた。
 一体どうやって?
 当然帰って来るであろう質問に、私は具体的な手段を答えることができない。
 そんな気まずい流れを打ち切るように携帯電話が鳴る。
 発信者は小鹿君だった。

 「すまない。ちょっと電話に出て来る」

 会話の仕切り直しには絶好の理由だった。
 私は通話ボタンを押す前に、急いで寝室兼書斎を跡にする。
 リビングに面したベランダに移動し、通話を開始すると小鹿君の声が聞こえた。
 なにげない挨拶を交わすだけで、心に安堵の感情が広がっていくのが分かる。

 「その様子では焼肉は楽しめたようだね」

 「はい。定額食べ放題なんで初音ちゃん連れてっても安心ですから。谷崎センパイも今度一緒にいかがです? パインサラダがとてもおいしかったんですよ!」

 いや、それ死亡フラグだから。
 
 「はは・・・・・・生憎、ステーキとパインサラダは苦手でね」

 「あら、残念。それじゃ、お礼は何になるのかしら・・・・・・」

 「え?」

 「さっき、言いかけで止まってましたよね。気になって電話しちゃいました」

 「・・・・・・・・・・・・」

 うわ。答えたい。
 今度、食事でもって思いっきり誘いたい。
 しかし、部屋に満載された危険物を何とかしない限り、自分がとるどんな行動にも死亡フラグが立つことくらい容易に想像がついていた。

 「・・・・・・・・・・・・あの、迷惑でした?」

 「とんでもない!!」

 携帯の向こうから聞こえてきた悲しげな声を私は全力で否定した。

 「今、立て込んでいて、少し余裕がないというか・・・・・・その・・・・・・ええと・・・・・・」

 今の状態で先延ばしはマズイ。
 しかし、見通しが立たない状態での約束はもっとマズイ。
 しどろもどろになった私は、自分でも意図しない言葉を口にしていた。

 「人生相談!」

 「え!?」

 小鹿君の息を飲む声が聞こえてきた。
 そりゃそうだろう。言った本人も驚いている。

 「人生・・・・・・相談・・・・・・ですか?」

 「そう! 人生相談があるんだが、乗って貰えるかな?」

 「いやだ・・・・・・そんな急に。心の準備が・・・・・・」

 強引な展開に戸惑っているのが伝わってくるが、乗りかかった船だと諦めて貰うことにする。
 私はできるだけ核心をぼかし、彼女に友人作成法を相談することにしていた。

 「人生相談というのは友人の作り方でね。ノーマルと接点が少ないエスパーが、自分の素性を隠しつつ、気のあった友人を見つける良い方法がないものだろうか? エスパーどうしという狭い世界ではなく、広く見聞を広げる機会を最近考えるようになってね」

 「ハァ・・・・・・人生相談って、ナオミちゃんのことですか?」

 深いため息の後、聞こえてきたのは核心をついた確認だった。
 
 「いや、まあ、あくまでも一般論なんだけど、ナオミにも当てはまることがあるかもしれない可能性は否定できないというか・・・・・・」

 「いいですよ。もう・・・・・・それなら、色々と気をつけなくてはならないこともあるけど、インターネットなんてどうです? 同じ趣味の仲間を見つけたり、近くの知り合いには聞きづらい事なんかを相談したりする人もいますし」

 「おお!」

 まさに目からウロコだった。
 というか、何でこんな簡単な事に気がつかなかったんだ?

 「だけど、気をつけてくださいね。ウチの明君なんか、うっかり相談事書いて炎上させちゃったことあるんですから」

 「炎上? そりゃまた、何て?」
 
 「家に帰ると幼馴染みが必ず下着を・・・・・・あはは・・・・・・まあ、初音ちゃんのファッションについて相談したんですよ。そうしたら炎上しちゃって」

 「ん−。スマンが良く分からないな。しかし、十分に気をつければ良いアイデアと思うよ。無事、問題解決したら、ライターの件と合わせてお礼しよう。ありがとう!」

 理想の回答を得た私は有頂天になっていた。
 お礼の件をなんとか先送りにすると、電話を終わらせナオミの待つ寝室兼書斎に走り込むのだった。






 





 週末の昼下がり
 私とナオミはオタクの聖地と言うべき、秋葉原に降り立っていた。
 携帯で検索した地図をたよりに目指すメイド喫茶を探しているのだが、ナオミにとって宝の山というべき町なだけに歩くのが遅くなっている。

 「ホントについて来てよね。変な雰囲気とか、正体がばれそうになったら、絶対に助けてよ」

 「分かっている。だが、その格好をしている限り、ナオミの知り合いに会ったとしても絶対に気付かれはせんよ」

 この日、何度目かの会話を終わらせてから、私はナオミの姿をまじまじと見た。
 Gジャン、ジーパン、リュックサック。額には真っ赤なバンダナという丁稚―――ゲフン、絵に描いたようなオタク姿はナオミのアイデアだった。
 グルグル眼鏡で素顔が分からないようにしているので、例え知り合いとすれ違ったとしても、この姿から普段のナオミを想像することはできないだろう。
 小鹿君の電話でヒントを得た晩から僅か数日で、ナオミはコミュニティを立ち上げ、集まったオタク女子とオフ会を企画するに至っている。
 あの晩、私のPCで登録したナオミのHN―――ナオミ・アズナブルにずっこけたのも今となってはいい思い出だった。
 
 「しかし、初めて幹事をやるオフ会がメイド喫茶とはハードルが高くないか?」

 「いいのよ。折角集まってくれるんだもの。楽しんでもらいたいじゃない!」

 女子がメイド喫茶行って楽しいか?
 というか、男でも楽しめるのはかなりの上級者だと思うが・・・・・・
 この会の企画立案時点から相談に乗ってはいるが、正直突っ込みが追い着かなった。
 ナオミが大まじめに参加者を楽しませようと考えているのは確かだが、どうも残念な方向に空回りをしている感は否めない。
 影から見守って欲しいと同行を頼まれたものの、自分に何ができるのか皆目・・・・・・・・・って、何いきなり別の店に入ってるんだよ!!
 まさか、本来の目的を見失ったか?
 目的地と全く違うビルに足を踏み入れたナオミに、私は慌てて駆け寄った。
 
 「ちょ! ナオミ、なんで別の店に・・・・・・」

 「ん? 交換用のプレゼントを買うの。ホラ、こういう小物をみんなで持ち寄って交換すれば・・・・・・後で見た時オフ会のこと思い出して貰えるでしょう? その為に集合時よりだいぶ前に来たんだから」

 ナオミは色んな玩具が飾られたウインドウを熱心に見つめている。
 その表情からは、彼女が心から参加者を楽しませようとしていることが窺えた。
 そうだよな。このところ、色々残念な面ばかり見てしまっていたが、本来、ナオミはそういう気配りができる子だったんだよな・・・・・・私以外にだけど。
 今日のファッションだって、正体を隠すためだけじゃなく、来てくれる娘たちを楽しませようとした上でのチョイスだし。 

 「なるほど・・・・・・しっかりした幹事様だ」

 「へへへ・・・・・・まあ、折角秋葉まで来たんだし、自分の買い物もするつもりだけどね」

 「わかったよ。好きにするがいい・・・・・・私は外で待っていてもいいかね?」

 私はナオミに別行動を提案する。
 買い物に付き合うのが嫌な訳ではない。
 ナオミが友人の為にプレゼントを選ぶのに、私が横から口を出すのは無粋な気がしたためだった。

 「え・・・・・・うん。そうか。そうよね。それじゃ、近くにマックがあるからそこで待ってて。少し時間かかっちゃうと思うから」

 「いいとも。良いのを選びなさい」

 聡明なナオミは私の意図を察したようだった。
 これからオタク趣味を共有することになる友人へのプレゼントだ、ナオミ一人で選んだ方がいいに決まっている。
 私はナオミに軽く手を振ると、少し先の電器屋にあるファーストフード店へと歩き出す。
 電器屋へ向かう足取りは心なしか軽かった。
 それはそうだろう。ナオミの成長と、ここ数日の自分に降りかかった死亡フラグが消えて行くのが実感できる。
 昨今の禁煙ブームのおかげで、ファーストフード店の席も楽に確保できた。

 「はは、実に順調じゃないか」

 全てが順調だった。
 気分が良いと味も素っ気もないコーヒーも美味く感じた。
 私は煙草の煙を吐き出しながら、ぼんやりと外の景色を眺める。
 2階の窓から見下ろした街は平穏そのもの。道行く人も幸せそうに見える。
 普段あまり立ち寄らない街だったが、イメージしていたものと実際の町並みはかなり異なっていた。
 実に普通。実に平和。女は全てメイド、男は全てナオミの変装のような姿で歩いていると思っていた自分に苦笑する。
 ギャンブル好きが集まる町や、風俗好きが集まる町があるように、ここには家電製品が好きな連中や、アニメやゲームが好きな連中が集まっている。
 ただそれだけだった。
 数十分眺めていたが、別段幼女に声をかける奴が現れるわけでもない。
 この街に集まる多くの人が法を遵守し、それぞれのモラルに従い、日々を真面目に過ごしている。


 ―――お前、裏切る必要なかったかもな


 私はふと九具津のことを思い出していた。
 ナオミのフィギュアを作ってくれと頼んだ時、彼は何故か嬉しそうだった。
 今にして思えば、あれは自分の好きなことを肯定されたことへの喜びだったのだろう。
 まあ、そのフィギュアを喜んだ私への周囲の反応は、彼を余計に落ち込ませもしたのだが・・・・・・
 九具津はパンドラに下っても相変わらずマイノリティだと嘆いているようだが、奴は自分に何を求めていたんだろう。
 どこぞの真性のように、黙っていても周囲に女が集まってくる人生なんて無理だぞ。
 多分、お前はバベルでも居場所を作れたんだ。
 私は今回のオフ会が無事に終わった後のことを考えていた。
 ナオミがもう一つの居場所を手に入れ、自分に小鹿君との平穏な日々が訪れる。
 そうしたらティムたちを通して九具津にフィギュアを1つ依頼しよう。
 今回の騒動の切っ掛けとなった、【ほしくず☆プリンセス カナカナ】のフィギュアを。
 それをプレゼントされたナオミは、今後フィギュアを見る度に今回のことを思い出す・・・・・・うん。悪くない。
 自分の想像した未来予想図につい口元が緩みそうになる。
 しかし、その幸せなイメージは、突如鳴り響いた携帯の呼び出しによって呆気なく消え去るのだった。

 「これは緊急災害予知ッ!!」

 予知能力者によって予測時間まで間がない予知がされた場合、仮に非番であっても携帯の位置確認機能により最も近くにいるエスパーチームにその一報が送られる。
 咄嗟に着信スイッチを入れると、オペレーターの緊迫した声が響いた。

 『秋葉原で爆弾によるテロを予知。レベル7案件です』

 「レベル7だとッ!? 【ザ・チルドレン】はどうしたッ!!」

 『目下、池袋で予知された案件に対応中。秋葉原での予知は、池袋のテロ防止の影響と思われます』
   
 「チッ! 観察者効果か」

 人的に起こされようとしている事件の場合、予知によって阻止された事実によって、別な犯行を誘発してしまうことがたまにある。
 テロ組織によって起こされそうだったハイジャック事件を阻止した直後、別働隊によって次のハイジャックが起こされてしまう場合などがそれだ。
 今回の予知は現在、チルドレンによって阻止されつつある計画の影響ということなのだろう。

 「位置及び時間の特定は?」

 『現状では予知の精度が低すぎます。現在急ピッチで分析中』

 「精度が上がり次第情報を送れ。チーム【ワイルド・キャット】は全力で予知の阻止にあたる」

 『了解。すでに本部待機中の【ザ・ハウンド】もAチームと共に現地に向かっています』

 私はファーストフード店から表に走りだすと、携帯に収納されたマイクとイヤホンを引き出し情報端末としての機能に特化させた。
 この瞬間、私とナオミの情報機器は携帯通信網から完全に独立し、一切の情報封鎖の影響を受けなくなる。
 私はナオミを呼び戻すべく、襟元にセットしたマイクに呼びかけた。

 「ナオミ。緊急事態だ!」

 「分かってます。予知現場はどこなんです?」 

 返事はすぐ後ろから聞こえてきた。
 既に別のオペレーターから知らせを受けているのだろう。
 振り返った先にいたのは、オタク男の扮装をしていたエロゲ好きなどではなかった。
 別段衣装を変えた訳ではない。変えたと言えば、先程まで素顔を隠していたグルグル眼鏡を外したくらいだ。
 安っぽい布製のスニーカーも、Gジャンも、さっきのまま。
 深紅のバンダナや背負ったリュックも相変わらずだ。
 しかし、目が違う。悲劇を未然に防ごうとする強い意志がそこには窺える。
 このまま彼女が世界を救うと宣言したら、私は何の疑問も持たずにその言葉を信じてしまうだろう。
 私の目の前に立っていたのは、まさしく特務エスパー【ワイルド・キャット】のレベル6サイコキノ、梅枝ナオミだった。

 「まだ予知の精度が上がっていない。情報が送られてくるまで我々は上空で待機するぞ!」

 「どうしてです!? 少しでも早く警告を発した方が」

 待機の指示にナオミが焦りの表情を浮かべる。
 知り合いがこの街に来ている彼女にとっては無理もない反応だった。

 「観察者効果は知っているな? 今回予知された事件は、明らかに人間の悪意によって起こされるもの。こちらが予知していることを犯人に知られる時間は短い方がいい」

 爆発物が時限式ではなく電波信号によって起爆するタイプだった場合、自分たちの行動が爆発の時刻を早めてしまう可能性もある。
 聡明なナオミはこれだけで状況を理解したようだった。
 通りから外れた路地に入った瞬間、ナオミのPKが体を包み我々を手近なビルの屋上へと移動させる。
 眼下に広がる街並みは平穏そのもの。
 道行く人々は、この街の何処かに爆発物が存在しているなどと夢にも思っていないだろう。
 予測された悲劇を知る者は、我々と犯人のみ。
 我々は薄氷を踏むような重圧に耐えながら、予知情報を待ち続けた。
 
 『お待たせしました。今、情報を送信します』

 オペレーターからの連絡が入った時には既に10分が経過していた。
 すぐさま位置情報を携帯の画面に表示させると、ナオミの表情が一変した。

 「どうしたんだナオミッ!? 知っている場所かッ!!」

 既に我々の体はPKによる高速移動を開始している。
 突然襲いかかったGと風圧に耐えながら、私はもう一度ナオミ声をかけた。

 「答えろナオミッ!!」 

 「会場なんです! これから私たちがオフ会をする」

 ヒステリックとも言うべき叫びだった。
 私は偶然の一致に驚きつつも、送信されてきた情報を次々と携帯に表示させる。
 本来予知能力者が散発的に見たビジョンを、バベルのスパコンで処理を行い予知の精度を上げるのだが今回は特別だった。
 刻一刻と変化する状況に対応する時間が無い場合、現場にいるエスパーチームの判断が重要視される。

 吹き荒れる爆風
 砕け散ったガラス
 周囲に散乱したメイド喫茶のチラシ
 潰れたオムライス
 血まみれのメイド衣装
 そして、15時17分56秒で止まった時計

 そこに表示されたキーワードは、明らかにメイド喫茶で爆弾が爆発することを指し示していた。

 「ああ・・・・・・どうやらそのようだな」 

 「爆発まであとどれくらいッ!?」

 ナオミからの問いかけに腕時計に視線を落とす。
 時刻は15時15分になろうとしていた。 
  
 「あと3分・・・・・・」

 「突っ込みます」

 そう呟いたナオミの声に迷いは見られなかった。
 私は手塩にかけた担当エスパーの成長に不敵な笑みを浮かべる。

 「ああ、なるべく派手にやろう・・・・・・バベル1、聞こえているなッ! 妨害電波を最大で展開しろッ! これから突入を開始する」

 妨害電波の有効範囲にバベル1がいるかは正直賭だった。
 襟元のマイクにそう叫ぶと、私は懐から愛用の拳銃を取りだし目の前に迫る雑居ビルの3階に向け連射する。
 平和そのものの風景が展開しているメイド喫茶の窓ガラスに、9ミリパラベラム弾が6つの蜘蛛の巣を作っていく。
 内部の客がようやく異変に気付いた瞬間、私とナオミは強化ガラスの窓を蹴破り店内へと躍り込んでいた。

 「静かに! 我々はバベルの特務エスパーだッ!!」

 騒然となりかかった店内を大声で黙らせる。
 一瞬の間に行った索敵では犯人らしい人影は店内にいない。
 私は奴らのために残しておいた銃弾入りの拳銃をすばやく懐へとしまう。
 いかにパニックを引き起こさず、全員を避難させるかが予知回避の鍵だった。
 私は近くにいたメイドをつかまえ、このビルの状況を確認する。

 「このフロアにあるのはこの店だけかッ!」
 
 「へ?」

 「答えるんだッ!!」

 「は、はい。ご主人様」

 なかなか良く訓練されたメイドだった。
 私は彼女に礼を言うと、なるべく恐怖心を与えないよう周囲に呼びかける。

 「バベルの予知能力者がこのビルでの災害発生を予知しました。避難する時間は十分にあります。厨房のスタッフも含み、全員落ち着いて指示に従って下さい」

 敢えて災害とぼかしたにもかかわらず、客の間に恐怖が次々と伝染していく。
 皮肉にも上空に近づいたバベル1のローター音が、パニック映画さながらの臨場感を演出してしまっていた。

 「ヒッ!」

 「マジかよ!」

 ざわめきが広がり、それぞれの客が出口に殺到しようと席を立つ。
 一台のエレベーターだけでは避難など無理に等しい。    
 寸前のところでパニックを鎮めたのは、ナオミのPKだった。

 「落ち着いて! 避難はここからします」

 彼女が右手をかざすと、先程侵入した窓ガラスが全てふっとび大きな避難口を作り出す。
 静まりかえった客席の一角に歩み寄ると、ナオミは予約席に座っていた少女たちに優しく笑いかけた。

 「あなたたちを全員助けたいの。信じて・・・・・・」

 多分、早めに来ていた参加者なのだろう。
 ゴスロリファッションに身を固めた娘と、ちょっと派手目の生意気そうな娘だった。
 彼女たちは目の前のエスパーがオフ会の主催者であることを知る由もない。
 だが、彼女たちは突如乱入してきたナオミの言葉を信じてくれたらしい。
 己を包むPKに恐怖することなく、二人の少女は無事3階の窓から脱出を成功させていた。

 「見ただろう! こうやって念動でみんなを下に降ろす! さあ、窓際に集まって」

 少女が脱出したのを見て安心したのか、それ以後の避難は非常に速やかだった。
 ナオミは並んだ客や店員たちを、数名づつまとめて下に降ろしていく。
 突入から2分後、最後の組を避難させ終わったナオミは、心から安堵のため息をついたのだった。

 「なんとか間に合いましたね」

 「ああ、残り時間も少ない。次は私たちの・・・・・・」



 ―――次は私たちの番



 こう言おうとした瞬間。
 無人となった店内にエレベーターの到着音が響く。
 慌てて振り返ると、開いたエレベーターの扉から一人のメイドが姿を現したところだった。

 「何で、このタイミングでッ!」

 迂闊だった。
 客の避難に集中するあまり、私は新規の入店者が来る可能性をすっかり失念していた。
 先程見た予知の中の1つ―――血まみれのメイド服が思い出される。
 まさか被害者は彼女なのか?
 残り時間はあと僅か、躊躇している暇は無い。

 「ナオミ! 下で私たちを受け止めろ!!」

 私は咄嗟にナオミを突き飛ばすと、自身は急いでエレベーター前に降り立ったメイドへと走り寄った。
 頭が痛いことにそのメイドは店を襲った非常事態に全く気付いていない。

 「いってらっしゃいませ。ご主人様」
 
 「そんなことはどうでもいい! 早くこっちに来るんだッ!!」 
 
 私は彼女の手を引くと同時に、近くにあった椅子をエレベーターの扉へ蹴り込み封鎖する。
 その行為に驚いたのか、彼女は手に持っていた店のチラシを落とし、その場にへたり込みそうになった。

 「ごめんなさいご主人様! もうサボってガチャポンなんかやりません!」 

 「知るか! そんなことは店長に言え!!」

 現れたメイドは別の階でサボっていたらしく、一連の状況を全く理解していなかった。
 業を煮やした私は、彼女を一気に抱き上げると、ぽっかり空いた窓枠へと走り出す。
 残り時間はあと僅か。
 私は抱き抱えたメイドもろとも、窓の外へとダイブした。

 「頼んだぞナオミッ!」

 「きゃぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――」 

 ダイブした瞬間にナオミのPKが私たちを包み込む。
 そのままゆっくりと地面に降り立つする間も、メイドは悲鳴をあげたままだった。

 「――――――――――――――――――あれ?」

 そのままたっぷり10秒程周囲を見回し、私に抱きついている状況を理解する。
 キョトンとした表情。
 それは爆発が起こらなかったことに気付いた、私の表情でもあった。

 「一体、なんてことすんのよ! このスケベオヤジがッ!!」

 すぐさま離れた彼女がしたことは、私への猛烈なビンタだった。 
 慌てて状況を説明しようとするが、水木しげるばりのビンタは止まらない。
 なるほど・・・これがツンデレというやつか。 
 
 「ちょっと、落ち着いて。さっきまでいた店に爆弾がしかけられていたんです」

 「はぁ!? 爆弾って、アンタ何者よ?」

 見かねたナオミが止めに入ってくれ御陰で、ようやく嵐のようなビンタがおさまる。
 しかし、ガラの悪いメイドだな。さっきのは芝居か?
 私はバベルのIDカードを、怒り心頭のメイドに提示する。

 「我々はバベルの者でね。ウチの予知システムがあの店の爆破を感知した」

 「予知?」

 「ああ、バベルの最新システムが、15時17分56秒にあの店で爆発が起こると予想してね」

 メイドは自分の腕時計に視線を落とす。
 時間は既に15時20分を経過していた。

 「何も起こっていないじゃない・・・・・・」 

 メイドの口元にお馴染みの表情が浮かぶ。
 バベルの特務エスパーが予知を覆す度に見ることになる嘲笑。
 その笑いには、バベルの行動が無くても事件は起こらなかったのではないかという嘲りが含まれている。
 悔しいことに我々にはその嘲笑を覆す術はなかった。

 「はっ! バベルのコンピューターも大したことないわね。店の時計みたいに3分遅れて・・・・・」

 「ナオミッ! バリアーだっ!」


 ―――店の時計が3分遅れている


 そのことを知った私の命令を、ナオミは瞬時に理解していた。
 ナオミが我々の前面にバリアを展開するのと、メイド喫茶から爆風が吹き出したのはほぼ同時だった。
 大きな爆発音と共に飛来したテーブルが、ナオミのバリアーにぶつかりバラバラに砕ける。

 「へ?」

 その光景を間近で見たメイドは、大きく目を見開くとそのまま白目を剥いて卒倒してしまった。
 
 「はは・・・・・・まさか予知で見た時計が狂っていたとはね」
 
 私がそう呟いた瞬間、横たわったメイドの胸にベチャリと何かが降り注ぐ。
 不謹慎だが、それを見た私は笑いを堪えることができない。
 爆風によって高く舞い上がったのだろう。彼女の胸に降り注いだのは潰れたオムライス。
 たっぷりとケチャップを塗りたくられたソレは、メイド服にまるで血のような染みを残していた。











 爆発から数分後、メイド喫茶周辺は駆けつけたAチームと警察によって交通規制が引かれ始めていた。
 端末を使いバベル本部に報告を行うと、中野で起こった事件と合わせ災害は無事に回避されたとのことだった。
 これでめでたく我々の出番は終了。
 後は悪意を街に振りまいた外道を、ハンターが追いつめれば良い。
 私はこちらに向かってくる猟犬の主人に、挨拶代わりに軽く手を振った。

 「谷崎センパイ お疲れ様でした。完璧な予知回避でしたね」

 駆けつけた小鹿君が尊敬の眼差しで私を見つめる。
 卒倒したメイドが救急車で運ばれてはいるが、多分倒れた時の打ち身くらいだろう。
 被害者ゼロといっていい予知の回避に、彼女は少し興奮気味だった。

 「はは・・・悪い冗談みたいな形で実現されていたがね」

 「?」

 一連のやり取りを知らない彼らには、私とナオミが浮かべた思いだし笑いの意味が分からないのだろう。
 小鹿君だけでなく、彼女の背後で待機する【ザ・ハウンド】の二人も不思議そうな表情を浮かべていた。

 「あの・・・・・・それは、予知は絶対に変えられないと言うことでしょうか?」

 「そんなことはないぞ! 小鹿君!!」

 不安げに呟いた小鹿君に、私は胸を張ってこう答える。

 「予め未来が決まっているなどあってたまるか! 人の頑張りで未来はいくらでも変えられる・・・・・・今日が駄目でも明日。一人で駄目なら仲間と。そうやって進歩していくのが人間というものではないかな?」

 「すばらしい教えです。だからこそ、谷崎センパイはあんなに勇敢な行動を・・・・・・」

 「いや・・・・・・今日のはナオミのお手柄だよ」

 今の言葉はナオミに向けたものでもあった。
 確かに今日のオフ会は流れてしまった。
 しかし、それを企画立案したナオミの努力は決して無駄にはならない。
 少なくとも私だけは今日のナオミの頑張りを評価している。
 
 「ナオミのみんなを守りたいという心が不可能を可能にした。ご苦労だったなナオミ」

 私は勇気づけるようにナオミの背中を叩く。
 流れたオフ会はまた企画すればよい。
 人はきっと幸せを手にすることができる。
 それを求める強い意志があれば。
 この時の私は真剣にそう思っていた―――リュックの破ける音を聞くまでは。

 ビリッ!

 メイド喫茶に突入する際、ガラスの破片で傷ついたのだろう。
 パックリと開いたリュックの裂け目から、ドサドサと夥しい荷物が落下する。


 ―――ま、まさか


 『まあ、折角秋葉まで来たんだし、自分の買い物もするつもりだけどね』

 ナオミが交換用のプレゼントを選んでいる時に言った言葉が思い出される。
 まさか、買ってないよね?
 オフ会前だし、買ったのはみんなへのプレゼントだけだよね?
 恐る恐る足下に目をやると、そこには大量の薄い本に、お馴染みのA4版プラケース。
 よせばいいのにソレを拾い上げた獣娘が、大声でその中身を口にした。

 「あーこの本。裸の女の子がいっぱいのってるよ! 明。コレなーに?」

 「コ、コラ! 初音。そんなもの触っちゃいけません!!」

 「あ、こっちの箱にも裸の女の子が!」

 なんで買ってるんだよ!
 どんだけ残念な成長しちゃったんだよお前は! 
 大声で騒ぎ立てる獣娘に周囲の視線が集中する。
 クソ。見てんじゃねーよ。仕事しろAチーム!
 私は咄嗟に事態の収拾を考えるが、0.3秒で諦める。
 うん。こりゃ無理だ。
 目の前には顔をひきつらせたナオミと小鹿君の姿。
 ぱっと見同じような表情だが、それを浮かべさせた原因は大きく異なる。
 片方は私に納得いく説明を求め、もう片方は純粋に助けを求めている。
 取るべき選択肢は2つに1つ。 

  
 【幸せな未来を求め、小鹿君に弁解する】


 【敢えて汚名を被り、ナオミを擁護する】

 

 私は大声で解答を口にした。




 「ナオミーッ! 人のコレクションはもっと大切に扱わないかーっ!!」

 ホラ。庇ってやるんだ。
 泣きそうな顔してないで、話を合わせろって!

 「いいか、何度も言うが、私はアニメもエロゲも好きだ。愛しているって言ってもいい! 特に教え子を攻略するエロゲには生き甲斐すら覚えている。ナオミ! 今日、一緒にゲームを買いに来たのも、お前への愛故だ、エロゲは私の本当の気持ちに気付かせてくれた。最近諦めがちだったお前への愛情を再認識させてくれた。だからこそ、そのコレクションを預けていたというのに、なんでその思いに気づかないんだ。いいか、良く聞け。私はナオミが、ナオミが・・・・・・大好きだ―――っ!!」

 あ――――――っ

 あ――――っ

 あ――っ・・・・・・

 秋葉原の街に私の絶叫が木霊する。
 なにぼーっとしてんだよナオミ。
 早くオチをつけろって。
 私は腹筋に力を込め、PKによる突っ込みを待ち続ける。

 「ナオミちゃん。一緒に行きましょ」

 ナオミのPKに代わってオチをつけたのは小鹿君だった。
 彼女はナオミの手を引くと、担当する2人と共にスタスタとこの場から離れていく。
 苦笑を浮かべ、力なくうなだれた私の足下には【ほしくず☆プリンセス カナカナ】のエロ同人と、初回限定版のエロゲ。
 そして、ナオミを護ったというなけなしの矜持だけが残されていた。
















 翌日
 バベル内会議室。
 秋葉原、池袋同時テロ事件の報告会に参加した私は、驚くほど普通の対応を受けていた。
 声高にエロゲ好きを宣言した後だ、もっと白い目で見られるかと思っていたが今までと全く変わりない。
 配られた会議資料をパラパラとめくると、昨夜、真性の同僚と小鹿君たちでつかまえた犯人グループのレポートが報告されていた。
 なになに・・・・・・非実在な人々? ケッ、しょうもない!
 私は詳細に報告されているレポートを半ページほどで放棄した。
 人間、年を食ってくると、馬鹿の相手をする気力が無くなってくるらしい。


 ―――まあ、エロゲをこの世から無くしてくれるなら悪い話じゃないか・・・・・・
 
 
 そんなことを考えながら向かい側の席に視線を移すと、二酸化炭素分子を見るような目をした小鹿君と目が合った。
 前言撤回。私への対応は、1人を除いて今までと変わりない。
 私は彼女の認知する世界から、すっかり消え去ってしまったらしい。
 汚物や豚を見るような視線だったらまだマシだったろう。
 マイナスにはマイナスをかければプラスになる。一方、ゼロは何をかけてもゼロだ。
 私は自分が求めていた幸せが、完全に消滅したことを理解した。

 






 会議から戻ると、担当をしているエスパーが待機室で電話をしている所だった。

 「では、また改めてお茶会を企画するでござるよ。ニン」

 ニンって何語だよオイ!
 って、そうか・・・・・・また、あの子たちとオフ会の約束ができたんだな。
 清楚な外見には全く合わない言葉遣いだったが、まあ、いい・・・・・・今の彼女は、グルグル眼鏡のナオミ・アズナブルなのだろう。


 ―――良かったな。話が合う友だちができそうで


 自然と笑みがこぼれた。
 小鹿君との幸せが消滅した今となっては、私になんのメリットも無いのだが、別にあの時の選択を悔やんでいるわけではない。
 私は私のやりたいようにやっただけだ。自分勝手にお節介を焼いただけ。
 何はともあれ、ナオミの人生相談はこれで終了・・・・・・私の役割はお終いだ。
 万感の思いで息を吐く。
 安心感と、満足感と、ほんの少しの寂しさが脳裏をよぎる。
 私は肩をすくめ待機室を後にしようとしたのだが。

 「ねえ」

 「なんだね・・・・・・」

 ドアを開きかけたところで声をかけられ、私は静かに振り向く。
 するとナオミは、いつものすげない口調でとんでもないことを言い放った。

 「人生相談、まだあるから・・・・・・」

 マジで言っているのか? 
 今度は人にナニを失わせる気なんだ?
 あまりの絶望にドアノブを握ったまま固まってしまう。
 そんな私の脇をするりとすり抜け、ナオミは半開きのドアに隠れるようにして目を合わせてきた。

 「それと、一応、えと・・・・・・」

 少し口ごもったナオミは、小さく息を吸い込む。
 そして何かを思いきったように、ニッコリと微笑むと―――

 「ありがとね。主任」

 はっきりとそう言った。
 それから、ふいっとそっぽを向くと、廊下を走り去ってしまう。
 心なしか頬が赤かったかも知れない。

 「・・・・・・・・・・・・・・・」

 私は大口開けて、目を見開いて、唖然とするしかなかった。
 いくらなんでも有り得ないだろう・・・・・・
 だから、自分の目と耳を盛大に疑いながら私はこう思うのだ。


 私の担当エスパーが、こんなに可愛いわけがない――――――と
 






 ―――――― 私の担当エスパーがこんなに可愛いわけがない ――――――



                  終
えーっと、お久しぶりです。
元ネタありきの話ですが、なんかこんな話が書きたくなってしまいました。
ご意見・アドバイスいただければ幸いです(ノ∀`)

[mente]

作品の感想を投稿、閲覧する -> [reply]