「金に糸目はつけん。そのかわりこの屋敷で二度と幽霊ごときがウロつかないようにしろ。
わかったらさっさとやれ!」
でっぷりと肥えた男の不遜かつ傲岸な態度に耐えなければいけないとは、ゴーストスイーパーも楽な稼業じゃないと横島は思った。
この日突然電話で美神が呼びつけられたのは、豪華で絢爛な屋敷だった。
街の郊外、なだらかな丘の麓に鎮座するその屋敷の外観は壮麗な洋館であり、敷地面積が標準的な一軒家の5倍はあるだろう。
周りには民家など喧騒はなく、丘陵地帯のど真ん中に佇む姿はヨーロッパ貴族の邸宅を思わせる。
こんな屋敷にすむ家主はさぞ余裕がある紳士かと想像するが、残念ながら了見がそれほど広くはなかった。
何でも家主は輸入代理店を営んでいるそうで羽振りはいい。
ただ少々我儘で、見栄っ張りで、自己中心的で、他人に厳しく自分に甘く、しみったれで、ひどく空気が読めない人物であるらしい。
ちなみにこれは、出会って約10分後の第一印象である。
メイドに通された明らかに成金主義の内装の応接間で、家主が尊大な態度を崩さず語った依頼内容を要約すると、最近この屋敷に引っ越してきたが、なんと幽霊が大量に屋敷内に現れたらしい。
毎晩毎晩現れ、特に悪さはしないが一向に減らない幽霊に家主は業を煮やした。
そしてこの問題を解決すべく、一流のゴーストスイーパーと名高い美神令子に白羽の矢を立てたのだった。
「成程、状況はよくわかりました。でも、聞いた限りではただの浮遊霊のようです。
放っておいても問題はないと思いますよ」
横島は美神が仕事用の口調で言ったことはもっともだ、と思った。
それはスイーパーとしての判断というより、この依頼を体よく断ろうとしているという点で同じ意見だったからだ。
だが、その言葉で急に家主がうろたえだした。
「なっ……べ、別に害があるかないかの問題じゃない!そこにいること自体が……そう、目障りなんだよ!
それとも何か、嫌なら他の奴に仕事を回してやったっていいんだぞ。
俺に頭を下げて仕事をまわして貰うスイーパーはゴマンといるんだからな」
顔を茹エビのように真っ赤にして怒ったと思ったら、後半にいつもの調子を取り戻したようだ。
横島は取り戻さなくてもよかったのにと思った。
「そうですか。では作業に移ります」
そう言って美神達は仕事を始めた。
依頼人の態度に難ありとはいえ、美神は手抜きせず手際よく仕事を行っていく。
依頼内容は浮遊霊が屋敷内を徘徊しない対策を行うこと。
幽霊の排除、つまり退治は緊急性が無いと判断されるため行わなくともよい。
そんな契約書を取り交わし、まずは屋敷の周囲を確認。
だだっ広い屋敷の窓から外を眺めて見るも、視界には左右を囲む丘と、その丘の間を縫うように貫く屋敷に通ずる一本道しか映らない。
もちろん墓や井戸など幽霊が集まるような霊的拠点は見つからなかった。
見鬼くんも使用したが、ぐるぐると回転し反応も微弱なため特定は困難であった。
次に内装や調度品のチェック。これで付喪神化した物や妖怪等が憑依したいわくつきの物がないかを確かめる。
レーダーに頼れないため一部屋一部屋丁寧に調査する最中、家主は愚痴愚痴と不満を垂らしながらついてきた。
「何が最上級の豪邸だ。あの業者、後で株を暴落させてやる」
「おい、それに触るな! 貴様の給料何年分だと思っとるんだ!!」
「第一俺はゴーストスイーパーなんぞいう輩は信用せん。半透明な役立たずを消したくらいで何千万も取りよるからな。
まったく、殿様商売は俺と違って気楽でいいよな」
横島は切れそうな脳血管をなだめつつ、国に他人殴打許可証を発行すれば景気が良くなると陳情してやろうか、という心境になっている。
そんな中、黙々と作業をこなす美神の体の具合を本気で心配し始めた。
結果、膨大な家具や内装品に異常はない。
残る可能性としては、家主を快く思ってない誰かが幽霊を送り込んでいるということだ。
呪いをかけるならともかく、少しの知識と霊能力があれば浮遊霊を出現させるくらい造作もないのだ。
もっとも、質の悪いイタズラ程度のレベルだが。
そんな内容の事を話し終えるが早いか、家主は方々に電話をかけ始めた。
主に怒声と罵声しか聞こえてこないので、疑われた相手はさぞ災難かつ不愉快なことだろう。
家主から解放され、手持ち無沙汰になった美神と横島は屋敷のメイド達に聞き込みをすることにした。
本物のメイド、しかも美女ぞろいのパラダイスに発奮して色目を使う横島を一撃で沈め、美神は家主の人間関係について尋ねる。
答えを端的にいうなら、家主に関わって始終笑顔の人間はいなかったそうだ。
それはメイド達も例外ではなく、雇い主の文句をきゃあきゃあと訴える。
しかし、後半は家主を肴にした笑い話へと発展していった。
一番傑作なのは引越し直後の夜の話だった。
夜中に家主がトイレに起きだし、廊下に出た途端に幽霊と鉢合わせ、最初の邂逅を果たした。
その瞬間、家主はニワトリの鳴き声を百倍野太くしたような金切り声をあげ、屋敷中を錯乱状態で走り回ったらしい。
「いつもはあーんなに威張ってるのに、実は臆病なのよぉ」
「腹は豚顔負けだけどハートはチキンなのよね〜」
「ヤダ〜、うまいこと言わないでよ!」
イギリス人が三人集まれば会議になるようにそのままガールズトークに雪崩れ込もうとしたその時、家主があからさまに不機嫌をまき散らしながら部屋に戻ってきた。
刹那メイドたちは韋駄天もかくやというスピードで戸口に戻ると、水を打ったかのように静かな佇まいへと雰囲気を変える。
プロってすげぇ、と横島は心の中で脱帽した。
「ふん、どいつもこいつも『そんなことしてない』だそうだ。
新築披露のパーティーでは歯の浮く様な台詞を並べておったくせに、まったく油断ならんな」
最早第三者の嫌がらせ説に決め付けるあたり、家主の器とその底が丸出しである。
横島だって幽霊を送り込みたい気持ちはわかるが、まだその説に決まった訳ではないし、腑に落ちない。
この家主にこんな嫌がらせをしたら、遅かれ早かれ犯人探しになるのは目に見えている。短絡的な怒りを買うリスクを負ってまでやる事にしては、少々みみっちい気がするのだ。
しかし、それも推測の域を出ない。証拠も無く、手詰まりの様相に現場の空気が重くなってきた。
その時、美神が目を見開き顔を上げる。一流の観察眼が違和感をキャッチした様だった。
「あの、今『新築』って言いましたよね。もしかして、この屋敷は最近建てたものなのかしら?」
「はっ、当然だろう。俺の趣味に合う家は中々無いからな、自分でここに決めて俺の好みのようにカッチリ作らせたんだ。
それとも賃貸や中古物件にすむほど俺は人間が落ちぶれて見えるのかい?」
いちいち腹の立つ言い方だが、美神はふぅむと唸る。
「横島クン、地図。この辺りが載ってるやつね」
「え? は、はいっス」
横島は言われるがまま地図を取り出し美神へ渡す。
美神はそれをテーブルへ広げるとマーカーペンを取り出し、地図に丸などの印を付け、線を1本引く。
「ふ〜ん……。この屋敷の見取り図をくださる?」
家主がメイドの一人に命令し持ってこさせた見取り図を美神が受け取る。
しばし黙考した後、マーカーで丸印を記した。
「これでよし、と」
図面の作業が終了したらしく、訳が分からなくてポカンとしていた横島以下のメンツを尻目に、美神は荷物から分厚い紙の束を取り出した。
「横島クン、この丸をつけた所にこれを貼ってきて頂戴」
「は、はぁ」
渡された束は大量の御札だった。
いつもは敵に投げつけて使用するそれを、美神は見取り図に書かれた丸の場所へ貼り付けろ、と言う。
理由はわからないが、ともかく横島は部屋を出て丸の場所へと向かう。
場所によっては等間隔、隙間なく、天井に貼るなど細かな記載がされているのでその指示に従って御札を糊付けしていく。
そして束がすっかり薄くなる頃には、広い屋敷の至る所に御札が貼り付けられた。
「終わった? ちゃんと丸の所に貼ったわね?」
「一応大丈夫っスけど……これだけっスか?」
「ええ、これで仕事は終わりよ」
あまりにも単純な労働で不安そうに横島が尋ねるが、美神は微笑みを浮かべながら依頼の完了を告げた。
「ちょっと待て。本当にこれだけで大丈夫なのか? もしこれで幽霊が一匹でもウロついたら」
「もちろん、プロの名にかけて契約は守りますわ。この御札が剥がれない限り、屋敷内を幽霊がウロつくことはありえません」
部下の怠惰を叱責するような家主の言葉も、不適な笑みさえ見せつつはっきりと言い放つ。
「では、契約に沿って報酬の話に移りましょうか」
応接間に戻ると美神は電卓を叩き始める。
通常美神はある程度の見積もりを基に報酬を前金で貰うのだが、今回は経費込みで成功報酬の後払いという形になっている。
この形式からも、家主が最低限の金しか渡したくない姦計が透けて見えるが、美神は黙々と計算を続ける。
「今回はこれくらいになります」
そう言って提示した電卓の数字は、たしかに一般人には目が飛び出るような額であった。
しかし御札だってタダではないし、今回は危険手当がついてない分むしろ相場より少し安くなっている。
それに家主ほどの資産レベルなら難なく払える額だと思ったのだが、
「はっ、たかが御札をベタベタ貼ったくらいでこれほどふっかけるのか。
詐欺をやりたいならもっと社会を学んだ方がいいぞ」
家主のうんざりするほど予想できた言葉に横島は盛大なため息をつく。
そしてこれから始まるであろう泥沼の賃上げ賃下げ交渉を覚悟したその時、
「わかりましたわ。では勉強してこのくらいで」
美神は電卓を叩きなおして新たな金額を提示する。
その金額を見て、横島は目が飛び出るほど驚愕した。
金額が、先ほどの10分の1になっていた。
それでも不承不承といった様子で小切手を切る家主を尻目に、横島は屋敷を出るまで本物の美神を探し続けた。
「――美神さん、どうしてあんなに寛大な態度だったんスか?」
薄暮の帰り道。横島は納得できない様子で美神に問いかけた。
はっきり言って美神の性格上仕事中のあの対応、まして報酬の譲歩をあの家主に持ちかけるのは異常である。
すわ悪霊にでも取り憑かれたのかと、答えによっては戦闘も辞さない覚悟を決めていた。
「……あの屋敷にはね、霊道が通っていたのよ」
「はっ……えぇ?」
予想外の返答に横島の頭は混乱し、殺気が削がれる。
「地図で確認したら屋敷の近くに霊山があったわ。そこに行き来する幽霊達は丘陵の地形や地脈の関係で唯一の通り道、すなわちたった一本の霊道を通るしかないの。
で、あの家主はそうとは知らないでその霊道のど真ん中に屋敷を建てちゃったわけ」
美神が荷物を顎でしゃくる。横島は意味を察して先ほどの地図を取り出す。
霊山に丸がつけてあり、太い線が屋敷を二分するよう引かれていた。
「ははぁ。だから新築かどうかを気にしてたんスね」
「そう。昔はこういう事が起こらないよう気を使ってたんだけどね」
目の前の信号が赤に変わり、美神は車を停止させる。
「あの屋敷にはそれこそ幽霊が列を成すように流れ込んでいたのよ」
「じゃあ、対策はどうするんスか?」
「本当は引越しして屋敷を取り壊すのがいいんだけど、それじゃあのテの輩は納得しないでしょうね。
説明してもしなくても役立たず扱いなんて私はまっぴらよ」
横島はうんうんと頷きながら、やっぱり美神さん我慢をしてたんだなぁと悟る。
「結局は御札とかで結界を張って、流入する霊をシャットアウトってのが手っ取り早い方法よ」
「なるほど、あの御札は屋敷全体に結界を張るための物だったんスね」
横島は謎が解けたと納得したように頷く。
だが、美神はニヤリと微笑む。
まるでまだ隠された謎を明かす探偵のように。
「半分当たり。でもそれなら広域をカバーできる御札数枚で充分。
ちなみにあの御札は四方数メートルに強力な結界を張るだけよ」
「え……じゃあ何であんな手間暇かけて大量に張ったんスか?」
至極まっとうな反駁に美神は満足そうに頷く。
待っていたのだ。そう聞き返されるのを。
信号が青になり、車の発車と同時に種明かしを始める
「隙間を作るためよ。
このタイプの御札なら霊道の出口だけ塞いで入り口は開放しておく、なんてことができるの。
そんな状態だと、強固な結界に出口を塞がれた幽霊達は渋滞する。
でも、その結界に隙間があったとしたら? その隙間が一本道のように連なっていたとしたら?」
ハッ、と横島は屋敷の見取り図を取り出し確認する。
至る所に貼った御札の有効効力範囲をコンパスで描くと、確かに屋敷をびっしりとコンパスの円がガードしていた。
しかしその円が届かぬわずかな隙間が存在し、それがまるで通行者を導くように綺麗な道を作っている。
はやる気持ちを抑え、横島はペンでその道をたどる。
終着点は、主の寝室だった。
二人は、ニヤリと微笑む。
まるで罠を張り、獲物が引っかかるのを待つハンターのように。
「あのおっさん、今夜あたり絶叫するんじゃないっスか?」
「ええ、それで私に泣きつくでしょうね。あれは私にしか解けないパズルなんだから」
御札は神がかり的な配置でバランスを保ち幽霊を流動させている。
下手に御札を剥がせば堰が切れた川のように幽霊が流れ込み、その場にいつまでも漂うだろう。
全部剥がせば元の木阿弥だ。
「そん時は、相場の10倍価格で何とかしてあげるわ。
それでゴーストスイーパーだって馬鹿にされりゃ腹が立つし、自分の態度がどういう結果をもたらすかについてキッチリ学べばいいのよ」
説明を聞きながら、横島はとてつもない爽快感を感じていた。
上司の深謀かつ自戒を促す皮肉たっぷりな所業に、まさに溜飲が下がる思いだった。
「でも契約違反で訴えられたりしないっスかねぇ?」
「契約書をご覧なさい。要は幽霊がウロつかなきゃそれでいいって内容よね。
だから私は幽霊が『ウロつかず真っ直ぐ目的地に動く』ように流れを整理したのよ。
無目的に徘徊する幽霊はいなくなったんだから、嘘はついてないわよ」
まったく、この上司には敵わない。横島は敬意をもってこう賞賛した。
そして日はすっかり暮れ、暗闇の中を走る車で最後に美神はこう呟く。
「皆に嫌われる人間より、半透明な幽霊の方がよっぽど役に立つわね」
横島はそんな教訓めいた深い言葉を噛み締めつつ、とんだ幽霊屋敷の主に黙祷を捧げるのだった。
【終】
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