「海のばかやろーーー!!」
ざぱーんっ。
海は暗かった。黒灰色の雲の下に、鈍色の波がうず巻き、おどろな情念のような海鳴りがとどろきわたる。
吹きつける風は刺すように冷たく、すわここは津軽海峡、でなければ冬の日本海かと錯覚を起こしかけるのだが…
ざがーんっ!
「うひーさみーっ!」
言っておくが今は冬ではない。季節は7月、もう半ばにさしかかろうという夏の盛りである。時刻は正午で、この厚い雲の上には、まぶしい太陽が輝いているはずなのだ。場所は青森でも北海道でもない。日本海ですらない。いちおう太平洋側の海水浴場で、いまがかき入れ時のリゾート地である。横島はここへ、除霊の仕事のために一人でやってきたのだ。
荒波が逆巻き、岩礁を叩いた。飛沫が高く舞い上がって落ちる。そしてその向こうから、さらに高い波が、うねりながら襲いかかる。
どーん!ざぱぱーんっ!
「美神さんのバカ…」
波しぶきに濡れ、横島はこぶしを握りしめた。
「おらんやないか…水着のねーちゃん…俺の夏が…俺のけーかくがっ!高校最後の夏、青春の人生設計がっ!」
両手をラッパにして、横島は水平線に叫んだ。
「美神さんのアホー!海のばかやろー!!水着のねーちゃん、カムバーックッ!!」
どぱーんっっ!
「のろぁああっ??!」
波が押しよせて、横島をさらった。
2日前。
「さー今週の仕事よ横島クン!」
書類の束を抱えた美神が、手早くそれをえり分けていく。
「こっちの…低級霊の集団暴動は、もうおキヌちゃんに頼んであるわ。シロとタマモは、オカルトGメンの依頼があるから、そっちに専念。こっちの2件は私の担当。そんで…あんたはこれ」
テーブルの上に、ぱさっ、と色鮮やかなパンフレットが置かれる。
「リゾートホテル…?」
「そ」
美神はうなずいた。
「海沿いのホテルなんだけどね、2ヶ月ぐらい霊障が続いてて、このままじゃ商売にならない、なんとかしてくれって言ってきてるの」
「……」
「梅雨からこっち、ホテルのまわりだけずっと雲がおおってて、どーしても晴れないんだって。海がメインのリゾート地なのに、寒くて泳ぐどころじゃないし、客がちっとも集まらなくてすごく困ってると…」
「……」
「聞くかぎりじゃ、『妖怪アメフラシ』の仕業っぽいけど、どーも腑に落ちないところもあるのよねー…」
「…」
「ホテルのオーナーにさ、海水浴シーズンが終わらないうちに、なんとか解決して下さいって泣きつかれてるの。でも今週おキヌちゃんも、シロもタマモもみんな手一杯だから…」
「……」
「あんたに頼むわ。すぐ出発の準備をして。数日がかりになるけど、夏休みだし、いいわよね?」
「……」
「部屋はホテル側がスイートを用意するそうよ。期間中回数無制限の食事券つき。ギャラもまあまあ。ただし締め切りありの成功報酬で、一週間以内に除霊できなければ減額する、失敗したらビタ一文払わないって言われてる…」
「……」
「…意味わかるわね?気合入れて準備すんのよ。原因究明もかねて、何日か泊り込みになると思うから…」
「……」
「ちょっと…横島クン、聞いてる?」
横島は聞いていないようだ。下を向いて、なにやらぶつぶつ言っている。つぶやくその声が、だんだん大きくなってゆく。
「リゾートホテル…泊まり込み…スイート…」
「…………」
「二人きりで泊まり込み…夏のリゾートホテル…夏休みだから…夏だから…その意味がわかるかと…気合入れて準備しろと…」
横島は顔をあげた。
「意味わかりましたッ!!『二人で夏の思い出を』、恋の誘惑っスねーーーーー?!」
「どんな耳フィルタだボケーーーーーっっ!!」
とびかかるGジャンの顔面に、肘鉄がめりこんだ。
「泊り込むのはあんた一人!!私は今週おキヌちゃんとの仕事やら、Gメンとの交渉やらで手一杯なのよ忙しいのよそう言ったでしょ?!」
「え…じゃ…」
「この仕事は全面的にあんたの担当!ポカやらかしたら承知しないわよ!!」
「……」
顔をさすりながら横島は起き上がった。
「俺一人でやるんスか?」
「そうよ」
「ってことは、ギャラは…」
「30%あげるわ。成功したら60万」
「60万…」
オウム返しにつぶやいた横島は、少し真面目な顔になった。
「それは…助かります」
「ろくでもないことにばっか使いそうよね」
「しませんよ。バイク買います。俺こないだ二輪免許とったんスよ。仕事に便利だろーなと思ってずっとカタログ見てたけど、そんだけあれば欲しい車種が…」
言いかけて横島は顔をあげた。
「もしかしてそれで俺に仕事まわしてくれたんですか?」
「……」
「…ありがとうございます。美神さん」
「…礼は早いわよ」
美神は椅子に腰かけ、背にもたれた。
「終わってから言いなさい。失敗したら報酬ゼロなんだから。…ったくあのオーナー、気取ったツラしてほんとセコくてこすっからくてさ、しめ切やらなんやらいろんな条件つけて値切りまくるし、もうひさびさギャラ交渉で激論になっちゃったわよ」
「そーなんですか。ずいぶんやり手の依頼人ですねー」
横島は感心したようにつぶやいた。
「美神さんと、んな交渉して勝つなんてすげぇっスね」
「え?別に負けてないけど」
「えーだって、数日泊り込みの仕事っしょ。除霊も…天気を操るなんて、ふつーの悪霊にゃできんし、けっこー力のある妖怪じゃないスか?それで料金200万って、ウチとしちゃ格安でしょう。よくそんなギャラで受けましたね」
「200万?」
「そうでしょ。俺の取り分30%で60万だから、全部で200万」
「…。そうね」
「…なんスか。今の間は」
「え?どれ?何の間?」
「…美神さん」
横島の声が低くなる。
「今回の料金、ほんとに200万なんですか」
「……」
「よー考えたら、そんなはずない、美神さんがこの仕事をそんな額で受けるだろーか、いや受けん、最低でも3倍は取る、って気がひしひしとしてきました。何サバ読んでんですか」
「……」
「ほんとの料金はいくらなんです?美神さん」
美神は横を向いて、ちっと舌打ちをした。
「何よ。取り分が60万じゃ不満なの?」
「いやそーは言ってませんが」
「あんた贅沢になったわねー。あー私甘やかしすぎたのかなー。丈夫で使いべりせず、叩いても壊れず、時給250円でも満足して馬車馬のように働く、それがあんたの取り得だったのに」
「…満足してたことなんかねーよ。ていうかですね、俺が今問題にしてるのは、俺のギャラじゃなく…」
「じゃあ何。60万で不満がないんだったら、別にいいじゃん」
「いやなんというか、俺はただ真実が知りたいというか、信頼関係の前提として、事実の確認を、」
「私とあんたの間に、信頼関係なんてあったっけ」
「………」
「存在しない関係に、前提も何もないでしょ。細かいことは気にしない!」
なんか、ひどいこと言われてる気がする。反論しようと横島が口をあけた時、
「女性に人気のビーチリゾート!裸足で白い砂浜に立てば、日頃のストレスが吹っ飛びます!」
リゾートホテルのパンフレットを広げ、美神がそれを読みあげた。反論しようとする横島の顔の前に、パンフレットが盾になった格好だ。そこには、エメラルド色の海を背景に、色とりどりのビキニを着た女の子が3人、いずれも素晴らしいプロポーションを披露して、波と戯れている。
「『普段の自分を脱ぎ捨てて、心も体も解放的に。極上のリゾートを約束する、そこはパラダイス』…オーナーが言うにはさー、ここのホテル、女性のリピーターがすっごく多いんだって。女性向けサービスが充実しててさ。夏はいつも、おニューの水着を着た若い娘でいっぱいらしいわよ」
「……」
「除霊を成功させたら…感謝されるでしょうねー、ホテルの人にも利用客にも。あ、仕事がうまくいったら、ここの宿泊とレストラン、今後一年分タダだから」
「……」
「えーとなになに、 『木陰のリクライニングチェアで、シトラスのドリンクを片手に、ゆったりと波の音を楽しむ癒しの時間。ホテルのスパは、日焼けに疲れた肌をうるおしリフレッシュさせる充実のメニュー』
…ふーんいいわねえ。私も今年はまだ海にいってないしなー。買った水着も一回も着てないしー。黄のビキニで、かわいーんだけどなー。そーねえ。今週末には仕事が一段落するから、遊びに行こうかなーここ」
「……………」
「………。で、ギャラがどうしたって?横島クン」
「ギャラがどうかしましたか?」
「…別に。じゃ、いいのね。頼んだわよ」
書類をかかえて、美神は席を立った。そのままドアの方へと歩いていく。横島はその場に立ったまま、床に向かってぶつぶつつぶやいている。
「普段の自分を脱ぎ捨てて…心も体も解放的に…まぶしい太陽…青い海…」
「……」
「解放的なねーちゃん、水着のねーちゃん、ねーちゃんがいっぱい、ホテルは食べ放題、泊まり放題っ」
雄叫びが部屋をゆるがす。
「夏だッ!夏が来たッ!18歳の正しい夏っ、リミッター解禁じゃーーーー!!ふははははは!!!」
軽く肩をすくめ、美神はドアを出て行った。
「へーっくしっ!うー」
「大丈夫ですかGSさん?」
「だ、大丈夫っス。あ、あははは、ふ、へくしっ」
横島は鼻をすすった。
心配そうに覗き込む丸顔は、除霊の依頼人であるホテルオーナーの代理、ホテル支配人だ。並んで歩きながら差し出すティッシュを、横島は受け取った。
「どーもすんません。…しかしさみーっスね。マジ冬みてー」
「ええ、気温だけじゃなく、水温も低いままなんです」
「そーですよねー。低いっスよね水温。身をもって体験しましたハハハ、へーっくしっ。…にしてもほんと、誰もいませんね…」
「ええ。いつもの年なら、この浜、海水浴のお客様がたくさんいらして賑わっているのですが…、今年はまったく」
「でしょーね。この寒空に泳ぐなんつーのはアホですよね。水着のねーちゃんなんているわけないっスよね。うはははははっ。…美神さんのバカ…ウソツキ…ううう騙された…へぐしっ」
「大丈夫ですか…」
砂浜から道路に上がり、椰子の並木を歩く。陰気な灰色の空を背景に、椰子の木は寒そうに揺れている。その向こうにそびえる白亜の建物を、支配人は指差した。
「あちらです」
「お…」
あれがホテルか。デコレーションケーキみてえ。ぐるりと半円を描く白壁を、横島は感心して眺めた。くだんのホテルは15階建、こった装飾の、見た目もおしゃれなつくりだが、
「あれです。あの雲」
「うーん」
ホテルの真上に、真っ黒な雲がとぐろを巻いている。たいへん怪しい渦巻きで、どう見ても自然現象ではない。こんなの2ヶ月もほっといたんかい。
「ほっといたわけじゃありませんよ」
道を歩きながら支配人は説明した。
「今まで3人のGSに頼みました。でも3人とも、原因さえわからなかったんです」
「へえ・・・」
「あの雲が・・・なんであんなものがこのホテルの上空に居座ってるのか、どんな妖怪の仕業なのか・・・3人とも、何日もかけてホテル中調べ回ったんですが、けっきょくわからなくて…」
「そスか・・・」
横島の顔が曇る。
今まで3人ものGSが調査して、原因不明だとなると・・・これはやっかいだ。これだけの霊障を起こしながら、正体さえつかませないというのは、かなり強力な敵なのではないか。
(そーいや、悪霊の気はぜんぜん感じねー・・・こりゃ幽霊じゃねーな…)
入り口の自動ドアが開く。中から流れてくる気配を「嗅いで」みる。やはり怪しい気配はない…が、
「おろ?」
玄関に足を踏み入れた時、立ちくらみがした。
「だっ、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫っス」
よろけるこちらを見て、ますます不安そうな顔になった依頼人に、あわてて笑ってみせる。やべー本格的に風邪ひいたかな。
「エレベーターはこちらです。どうぞ」
敵は何者か。どこにいるのか。カウントアップする数字をにらみながら考える。見鬼君は持ってきたから、調査はこれで地道にホテル中を回るところからはじめることになるが…
チン。
「ここのつきあたりです」
廊下を歩きながら、頭を悩ませた。見鬼君で調べるったって、そんなことは前のGSだってとっくにやっているはずだ。それでもわからなかったとなると…正体どころか、居所をつきとめるだけでも、数日かかるかもしれない…
「どうぞ。お入りください」
目の前でドアが開いた。
広々とした間取り。海の見える大きな窓と、そのそばに置かれたテーブル。
豪華な絨毯は、足が沈むほどの柔らかさだ。L字に並んだソファ、しゃれたランプシェード、白い壁、高い天井、その天井につっかえるぐらい、大きなペンギンのぬいぐるみ。
…………………
「当ホテル最高の部屋です」
支配人は誇らしそうに言った。
「滞在中、自由にお使いください」
「……」
「こちらは二部屋ございます。実は当ホテルの家具は…」
支配人が巨大ペンギンの前を横切る。でけえっ!てか、い、今、ペンギンの目、動かなかったか?
「家具は全て、風水術にのっとって配置されております。GSの方なら、お分かりでしょうが…」
「そ、そーですか。ペンギンも風水のうちなんスか?」
「ペンギン?ペンギンとはなんでしょう?」
「いやだからそこのペンギンです。ずんぐりむっくりのでっかい奴」
『おまえ余が見えるのか』
とびあがりそうになった。ペンギンが口をきいたッ!
「おっしゃる意味がよくわかりませんが…」
支配人は不思議そうに首をかたむけた。
「ずんぐりむっくりとは、この照明のことでしょうか」
『うむひさしぶりだ。余が見えるとは、えらいぞ人間』
「このランプシェードは、イタリアからの輸入品でして」
『余は皇帝ペンギョルだ。ペンギョル陛下と呼ぶがいい』
「デザインセンスに定評のあるブランドで、このふくらんだ曲線のシルエットが、部屋の雰囲気にもぴったりだと、インテリアに詳しいお客様にも、ご好評を頂いておりますよ」
『どうした人間。王が名乗ったのだ。お前も早く名乗らぬか』
ちょっと待ってくれ頭が混乱する。いっぺんにしゃべるのはやめてくれ。
「あっあの!」
『何だ』
「何でしょう」
こちらを見るペンギンと支配人の顔を、横島は交互に見た。えーと、えーと。
横島は支配人の手をひっぱった。
「支配人さんっ」
「は、はい?」
「こっち来て!」
「へ?え?ちょっとアナタ、わっ」
横島は支配人をほとんど抱きかかえるようにして隣の部屋へ引き込んだ。ペンギンから隠れ、ベッド脇の壁に押し付ける。
「なっ、なにを?!」
「あんた!あれなんだよ!」
「あ、あ、あれって一体?」
「あのどでかいのだよ!ホテルで飼ってんのか??」
「え?あの、そうです。ホテルで購入いたしました。げっ、幻想的な明かりがムードを盛り上げると、カップルのお客様にもたいへん好評…」
「だからそっちじゃねえっ。誰がランプの話をしとる!」
「え?え?わっ!」
横島の勢いに押され、支配人はよろけてベッドにしりもちをついた。横島は気づいた。
「…あんた、見えねーのか?」
「いっ、いけませんお客さまっ!じゃないGSさんっ!わ、私には妻と子が…、私そっちの趣味はまったくっ!」
「俺だってないわ!」
怒鳴りながら、横島は心でうなった。そぉかアレが見えねーのか…。ってことは実体じゃねーのか。あんまりくっきりはっきりしてるんで間違えたぞオイ。
…………
「…あの、GSさん…」
「…えーっとっスね」
横島は頭に手をあてた。
「前来たGS3人って、何見て頼んだんスか?」
「は?あの…」
「協会の紹介ですか?」
「え?いいえ。雑誌の広告です」
「…そいつらGSじゃないっスよ」
アレが見えないGSがいるかよ。100%インチキだ。
「わかりました。支配人さん、ちょっと部屋出ててください」
「え?え?」
「あとで説明します」
「あの」
「いーから。仕事始めますんで」
「はあ…」
「あとはお任せください」
「は、はい…。しかしあの」
「いーからっ」
なおも何か言いかける支配人をなだめすかして、廊下へと押し出す。ドアを閉めて鍵をかけると、横島は部屋の中に向き直った。
「さて」
じろりと見上げる。
「ナニモンだお前」
ペンギンは、黒い瞳で見下ろした。
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