【4.帰還】
龍馬と会い、別れた後の2日間は、御所の中で各種の事務作業を手伝わされたり、
都に出没する魍魎の類の退治を命じられたりで、思うように自由な時間が取れなかったが、
小竜姫は空いた時間を使って近江屋に足を運び、龍馬に会った。
わずかな時間ではあったが、龍馬と語り合っている時は、小竜姫にとって今まで感じたことの無い、
不思議な安らぎに満ちた時間であった。
そして、京に来て4日目の昼前、旭龍翁が小竜姫の前に姿を現した。
「小竜姫よ。此度の勤め、ご苦労であった。おかげで帝との話し合いも順調に終わったわい。
名残惜しいかもしれんが、明日の朝一番で、京を発つことと相成った。
そこで、本日は1日自由に使って良い事とする。しばらくぶりの俗界を、その目に刻んでおくがよいぞ。」
「はっ、私のようなものに、そのようなお心遣い、誠にもったいのうございます。」
小竜姫は、旭龍翁の申し出に頭を下げた。
「うむ。小竜姫よ、良い顔になったのう。お主は器量がよいのじゃから、あまり難しい顔をせん方が良いぞ。」
「翁!何を仰います!」
小竜姫は顔を真っ赤にして声を荒げた。旭龍翁は、人のよさそうな笑い声を残して、御所の奥に消えていった。
自由時間を得た小竜姫は、まっすぐ近江屋に向かっていた。
目的は、もちろん龍馬である。これまでに見てきた人間とは明らかに異なる雰囲気を持った男に、
小竜姫は興味以上の感情を持ち始めていた。しかし、これから彼の元に行く目的は、別れを告げるためである。
近江屋に到着した小竜姫は、ごめんください、と声をかけた。
奥から出てきたのは、藤吉だった。
「おや、桜花様。おはようございます。」
「おはようございます、藤吉さん。坂本様はおいででしょうか?」
小竜姫は、藤吉に来訪の目的を告げた。
「生憎、坂本様はただいま外出中どす。桜花様がおいでになられましたら、2階でお待ちいただくよう
言伝を賜っております。ささ、どうぞ2階へ。」
小竜姫は、促されるまま2階へと上がっていった。通されたのは、以前と同じ8畳間だった。
小竜姫は座布団の上にちょこんと座り、龍馬が帰ってくるのを待った。
やがて半刻ほどが経って、階下がにわかに騒がしくなった。そして、どすどすと賑やかに
階段を上がってくる音が聞こえ、ふすまが盛大に開け放たれた。
「おー、すまんすまん。お待たせして申し訳ない。」
龍馬はそう言いながら、小竜姫の前にどっかと腰を下ろした。
「ちっくと、知り合いに会うてきたがじゃ。そんで、今日はどんな用事ですろうか?」
腰のものを脇に置きながら、龍馬は小竜姫に尋ねた。
「本日は、坂本様にお別れをしに来ました。明日の朝一番で、国許に帰る事となりましたので。」
「そうかえ。せっかく仲良うなれたのに、それは、まっこと残念じゃのう。」
龍馬は、自分の膝元を見ながら呟いた。
「坂本様、お別れの前に、一つだけお尋ねしてもよろしいでしょうか?
なぜあなたは、命の危険を犯してまで、この国の体制を変革しようとしているのですか?」
小竜姫は、龍馬を見据えて尋ねた。
「ふむ。何でやち言われてものう。わしやち、最初からこがあな大それた事を考えとったわけではないがぜよ。
最初は、この日本が異国に狙われちょるきに、何とかせんといかんと、そう思うちょったがじゃ。
もちろんそれは、わしの他にも、色んな者らあが考えちょった。そんで、皆それぞれの方法で、
この国を異国に乗っ取られまいとしたがじゃ。
けんども、ある者は挫折し、ある者は志半ばで死んでしもうた。わしの大切な仲間達も、大勢死んでしもうた。」
小竜姫は、無言で龍馬の話を聞いている。龍馬は、さらに続けた。
「そんでわしも、この国をなんとかせんといかん、と色々と考えて、あれやこれやとやっとるうちに、
いつの間にやらこんな所におるようになったというわけぜよ。」
龍馬は語り終えると、運ばれてきた茶を啜った。
「でも、、、それをあなた一人が、命をかけてまでする必要はないのでは?他にも同じ志を持った方が
いらっしゃるのでしょう?」
小竜姫は、合点がいかないという風で、龍馬に言った。
「のう、桜花殿。人間の命っちゅうもんは短いもんぜよ。残念じゃが、こればっかりは、どうにもならん。
じゃから、やるべき事を見つけたら、それに真っ向から全力で取り組まんといかん、と思うちょる。
わしの場合、それが、この日本を一度まっさらに洗濯して、新しい政府を作る事じゃったというだけぜよ。
明日の夜明けを見ること無く、死んでしもうた仲間達の志も背負っちょるきに、途中で投げ出すわけにもいかんがじゃ。
それに、わしには他にも夢があるきに。」
「夢、、、ですか?」
「そうじゃ。この仕事が終わったら、でっかい船を一隻買うて、土佐におる家族を乗せて、世界中を旅して回るがじゃ。
面白そうじゃろう?よかったら、おんしも乗っけてやってもえいぞ。
この世に生まれたからには、命を燃やし尽くして、でっかい事を成し遂げんといかん。わしの父上の言葉じゃ。」
小竜姫は、はっと数日前に老師に言われた言葉を思い出した。
『人間の本当の強さとは、我等のような、身体的なものや、霊力といったものではないのじゃ。』
(そうか、人間の本当の強さとは、、、)
小竜姫は俯いて、己の不明を恥じていた。
勝手な思い込みばかりで心を曇らせ、人間の本質に全く目が向かなかったとは。
「あまり面白い話ではなかったかのう。やはりおなごには、船やら旅やらの話は通じんかえ。」
龍馬は困った顔をして、頭頂部をぽりぽりと掻いた。
「い、いいえ。とても有意義なお話でした。おかげで、心の曇りが晴れたような気がします。」
小竜姫は、晴れやかな顔で龍馬の方を向いた。
「そうかえ。ようわからんが、役に立ったんならわしも嬉しいぜよ。」
龍馬は、そう言って豪快に笑った。
やがて、小竜姫が御所に帰る時間となった。
「私はそろそろ帰らなくては。短い間でしたが、楽しいお話を色々とありがとうございました、坂本様。
また会える日を楽しみにしております。」
小竜姫はそう言うと、立ち上がって部屋の入り口へ歩いていく。
「また会えるとえいのう。そん時は、おんしの夢も聞かせてほしいもんじゃ。達者でのう。」
龍馬は、小竜姫に視線を送ると、最初に会った時と同じ、屈託の無い笑みを見せた。
「坂本様の夢が叶うことをお祈りしております。それでは。」
小竜姫は、京に来た時とはまったく違う心境で、御所へと戻っていった。
※※※※※※※※
数日後、小竜姫は妙神山へと戻ってきた。
「戻ってきたか、小竜姫よ。ご苦労であった。」
修行場の中で、斉天大聖老師が小竜姫を出迎えた。
「小竜姫、只今戻りました。」
小竜姫は、老師に頭を下げた。
「小竜姫よ。京で何かを悟ったと見えるな。よければ、話してはくれまいか。」
「はい。以前、老師が仰っていた『人間の本当の強さ』を見たように思いました。」
老師は、ほう、と短く呟いて、続きを待った。
「人間の本当の強さとは、意思の強さであると感じました。
人間の生命は、神族や魔族に比べれば儚く短いものです。しかし、それであるが故に、限りある時間の中で
明日が今日よりも良き日になると信じ、悔い無きよう精一杯生き、己の役割を全うしようとする。
その意思の強さこそが、人間の強さであると。」
「小竜姫よ、よくぞ言った。それこそが、わしがお主に伝えたかった事じゃ。
わしのお師匠様もそうじゃった。わしと違って体は弱く、一日に数里も歩けば、すぐに疲れ切ってしまっておった。
じゃが、その内に秘めた意思は、誰よりも強かった。己の仕事を天命と信じ、最後まで諦めなかった。
わしも、最初のうちは到底無理じゃと思っておったが、最後には、お師匠様の意思に惹かれて信じるようになった。」
老師は、かつて人間の僧と旅した苦難の道のりを懐かしむように、小竜姫に語った。
「確かに、人間は弱い生き物です。しかし弱いからこそ、ひたむきに強さを求め、
時には己の限界に挑み、超えようとする。それもまた、人間の強い意志があるからなのですね。
私は今まで、修行場の管理人という立場にありながら、その事に気づいておりませんでした。」
小竜姫は、老師の眼を真っ直ぐ見据えて語った。
その時、表で鬼門が開く音がした。
「久しぶりの修行者じゃの。小竜姫よ、今のお主なら、修行者を正しき道へと導けるはずじゃ。
そしてそれは、お主自身の修行でもあると心得よ。」
「はい、老師。小竜姫、しかと心得ました。」
小竜姫はそう言うと、鬼門のほうへと歩き出した。
【5.明日】
「、、、というわけです。あまり面白い話ではありませんでしたね。」
小竜姫は苦笑して、すっかり冷めてしまったお茶を口に含んだ。
「そんな事ないっすよ。すごく面白かったっす。いや〜、それにしても、やっぱ坂本龍馬って
すごい人だったんすね。神様にまで影響を与えちゃうんですから。」
横島は、すっかり関心しきりという様子で答えた。
「そうですね。あの方と話をしていると、なぜだかこちらの心が解されていくような、不思議な感覚を覚えました。
亡くなってしまったのが、本当に残念です。」
小竜姫は、空になった湯呑みを見つめて、寂しそうに呟いた。
「私も、一度死んだからわかります。限りある命の中で精一杯生きるというのは、とても素敵な事だと思います。」
おキヌは、新しいお茶を注ぎながら、小竜姫に言った。
「そうですね。だからこそ私は、人間達を信じ、守るようになったのです。
半年前の事だって、皆さんの力があったからこそ、無事解決する事ができたのですよ。」
小竜姫は、顔を上げて目の前の人間達を見た。半年前に、信じられないような奇跡を起こした人々を。
「いや〜、改めてそう言われると照れますね〜。それはそうと小竜姫様、俺も自分の天命を果たそうとぶっ!!」
小竜姫に飛び掛ろうとした横島は、美神、おキヌ、ヒャクメ、小竜姫の4人に同時に撃墜された。
「それでは、私はそろそろ妙神山に戻りますね。何かあれば、いつでも仰ってください。必ず力になりますから。」
「じゃあ私も、このへんで失礼するのねー。」
小竜姫とヒャクメは、妙神山へと戻っていった。後に残った3人は、互いに顔を見合わせて、少し微笑んだ。
「さて、そろそろ寝るとしましょうか。明日は久々の大仕事だから、2人とも、気合入れてよね。」
「はい。それじゃおやすみなさい、美神さん」
「それじゃ、また明日っす。」
3人は、明日に備えて、それぞれの場所に戻っていった。
願わくば、彼らに訪れる明日が、素晴らしい1日でありますように。
It's A Lovely Day Tomorrow 終
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