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想い。


―――――ヨコシマの 肌


絡めあった指、触れ合う手のひら。
胸の奥、鼓動の高まりが繋いだ手を通して伝わるようで。
気づいて欲しくない気持ちと
伝わって欲しい気持ちと
ない交ぜになった矛盾した感情が体に満ちる。



―――――ヨコシマの におい


抱きつくようして腕を組む。手だけでは我慢ができなくて。
近づいたことで、彼の存在がよりはっきりとして。
寄り添ったことの恥ずかしさと
身近に居られることの嬉しさと
擽られるような二つの感覚が心を満たす。



―――――ヨコシマの やさしさ


不意打ちに驚いた後の照れ隠し。
振り返って微笑んでくれたお前。
笑い返しながら、感じているのは小さな痛み。
微笑みに隠された胸の中、一番傍にいるのは私じゃない。
こんなにも傍に居て、これからも傍を歩きたくて
それでも今は、オマエの一番は私じゃない。


―――――…ヨコシマの 残酷さ。




不意に、水底からの浮上にも似た意識の覚醒。
まどろみ混じりの起床を思い、覚めきらない夢と現が交錯する。
それでも、先に見ていた過去の残滓を夢などとは否定できず
それ故に、死に近づきつつある現在を自覚した。
微かに濡れた瞳を開ければ、腰を下ろして立つ事もできない自分が一人。
無骨な鉄塔に背を預け、身動きさえもままならない。
覚めやらぬ視線は、もはや走り去って影も形も見えない背中を捜す。
心は千々に乱れながらも、想いの根幹はただ一つの切望。




その肌からは 暖かさを
そのにおいからは 安らぎを
そのやさしさからは 喜びを

そして

その残酷さからさえ 愛しさを 想う



ああ

わたしは こんなにも まだ

オマエを 知りたいのに
















「―ヨコシマは、どうして」

「……? どした、ルシオラ?」


暮れかかる日の中、ヨコシマと私は二人で歩いていた。
低くなった太陽に照らされて伸びた二人の影法師。
他には人通りもなく、空には橙に染まる千切れ雲。
日差しが眩しいでもなく、暑さ寒さを感じるでもない時間。


「…? おーい、ルシオラ?」


歩みを止めて、不思議そうに振り返る。
少し離れていた距離を詰め、ヨコシマが近づいてきた。
私は少しだけ俯きがちになったまま
質問も続けずに、返答も口にしない。
そうすると、首を傾げるようにしたヨコシマが


「チューするぞー」

「…なんでもないっ」


近づいてきた顔に対して唇の代わり、反射的に拳を返す。
めりっ、と音がして、拳に伝わる顔がへこんだ感触。
しまった手加減を一瞬忘れた。まぁ大丈夫だろう。ヨコシマだし。


「ぐおおおおおっっ、カオがっっ、カオがつぶれてっ…!!」

「…」


しゃがみこんで大げさに痛がるヨコシマ。
うん、少しやり過ぎたかもしれない。
顔を押さえてぷるぷる震える背中をみていると
反省と同時に、一握りの、一欠けらだけの勇気が生まれた。
その光が消えないうちに、灯火に導かれるようにして
私はヨコシマの服に手を伸ばす。


「! …………? ルシオラ…?」


まるで子供がするように、裾を力なく摘まれたヨコシマは
痛みも忘れたかのように立ち上がっての困惑顔。
それも当然だろう、と思いながら、上手い説明もしてあげられず
視線は合わせられないままに、口を開く。


「…ヨコシマは「俺なんかで良かったのか」って、前に言ったよね」

「? あ、ああ、あれね!」


合点がいったと大きく頷いてのオーバーリアクション。
声も大きくなりがちで、喋る速さも加速気味。


「我ながら女々しいよなぁー!
 いやすまんかった! ルシオラも困るよなあんなのっ」


わははははっっ、と誤魔化すように強引に笑い飛ばす。
彼がそんな風に道化を気取るのは不安だから。
真剣であればあるほどに、否定されるのは辛いから。
私からすれば、自己卑下が過ぎると思うのだけれど。
でも、大事なものを否定される辛さは私にもよく解る。
ヨコシマの心の中、自分でさえ気づかない魂の底の底。
はっきり思い出すのが苦しくて、なのに忘れられない二人の姿。
口付けを交わそうとする、私ではない、私だった筈の。
――――あの時から ぐちゃぐちゃの私の気持ち。



「……ルシオラ?」

「…じゃあ、ヨコシマは」


口にしたところで困らせるだけ。
わかってても、簡単に押さえられない。
感情任せに言ったところで逆効果。
整理をつけようと思っても、気持ちがあふれだして止まらない。
視線を合わせて、縋るようにして言葉へと変える想い。


「私のどこが好きなの…?」

「ルシオラ…?」


ヨコシマが助けてくれた時から、仄かに芽生えたこの想い。
元々は敵同士。危険なら見捨てて当然の間柄。
断末魔砲に吸い込まれかけた時、足首を捕まえて引き止めてくれたのはヨコシマだった。
その瞬間は咄嗟の行動、けれど迷った末に引き上げたのはヨコシマの決断。
あれが最後だと寂しい、と。それだけの理由で私を助けた。
遅かれ早かれ死が待っている。そんな私なのに、いなくなるのは寂しいと言ってくれた。
でも、それならヨコシマの私への気持ちはただの同情?
怖かった。欲情されているだけならまだマシだった。
惚れた相手でも、哀れまれたくなんてなかった。
性欲だけが理由なら、人間の下へ逃げる前に私を抱いていただろう。
血の涙を流すほど悔しがっていたんだから、私に魅力が無いわけでもない。
そうしなかったのだから、それ以外の理由がある筈だ。
だからこそ、余計に怖い。口にする前も、口にした後も。
だから


「…なんてね」

「へ?」


ヨコシマの方法論を借りることにした。
意志の力で、唇に笑みの形を取らせ形だけの笑顔を作る。
茶目っ気を乗せた表情で、腰に手を当てて種明かしとばかりに建前を並べる。


「お、おい、ルシオラ?」

「あはは、何でもない。気にしないで。
 ヨコシマが困るカオ見たかっただけ」

「困るって…」


なるほど、これは楽。
まるごとウソではないだけ、本音を隠すのに心が無理をしないで済んだ。
安堵と残念。極力、どちらも外に出さないように気をつけながら。
ヨコシマを追い越して、背を見せて鼻歌交じりに歩き出す。


「さ、急がないとスーパー閉まっちゃう。
 晩ご飯の準備、手伝ってくれるんでしょう?」


ずいぶんと日が落ちた黄昏時。
夕日を背負った電信柱。電線も合わせたモノトーン。
景色の中で、そこだけが切り取られた影絵のよう。
その黒が滲むように、弾む歩調の中で後悔が胸に沸く。
バカだなわたし、こんなことヨコシマに聞いちゃって
困らせるだけなのに。


「ねぇ、今日何食べ……」


暗くなる思考を振り切るため、後ろへ振り返ろうとするより先。
背中と肩とに感じる重み。私の胸の前に回された両の腕。


「――――――…ヨコシマ……?」


わけも解らずに名前を呼んだ。
回した手に力を込めて欲しいのか。
もっと強く抱き寄せて欲しいのか。
自分の望みも解らないまま。


「はっ、どわっ、す、すまんついっ…!」


そしてすぐに後悔する。
何故、触れて欲しい時ほど距離を取るのか。


「……ない」

「へ?」


離れてしまった暖かさが寂しくて
迷子のような気持ちのままに、涙で視界を滲ませて
責めるような、甘えるような想いを紡ぐ。


「わかんないよ、ヨコシマは。
 どうして、そんなに優しいの?」


近づいてくれなければ、自分の方だけが好きなんだと割り切れる。
今更この気持ちを、思慕の念を否定するつもりは更々ない。
片思いだろうと、そうと決めれば耐えられる。
けれど、ヨコシマは私のことをどうでもいいようには扱わなくて
その優しさが、今は辛かった。


「ルシオラ……」


珍しく考えるようにしたヨコシマ。
対する私が抱いているのは、怯えにも似た感情。
彼も困った顔も好きだけど、本当に困らせたくはなかった。
気にしないで、と言うべきか。大丈夫、と笑えばいいのか。
どうすればいいのかを見失った逡巡の中。
突然に肩を掴まれて、ヨコシマの胸の中に抱きとめられた。


「! !? ちょっとヨコシマ?!」


不意うちだった。まさに意識の外だった。
力づくで払いのけることは簡単だけど
熱くなった頬が、緩んでしまう口元が、離れることを拒んでいる
何より、ついさっきまで自分で望んでいた暖かさだ。抗えるはずもない。
ヨコシマの顔が赤い。それを見て、きっと私の顔はもっと赤くなっただろう。


「……ルシオラは、俺が守るって決めたんだ。
 どこが好き、とか正直うまく言えねえけど
 よこしまな気持ちも実際あるんだけどさ」


そして、ヨコシマが不器用に語る本音。
寄り添って、鼓動を感じながら耳を澄ませる。


「笑ってて欲しいんだ、俺の隣で
 だからさ」


伏せ続けることに我慢できず、顔を上げると
淡色の夕焼け空の中で、ヨコシマが笑いかけてくれた。


「そんな悲しそうな顔じゃなくて
 俺を信じて、笑ってて欲しいんだ」


夕焼けを背にした優しい笑顔。
何度も見た中で一番綺麗な夕焼けと、それ以上に愛しい笑顔。
笑ってて欲しい。そう言われた、私が笑ってて欲しいと
笑ってて欲しい。そう思えた、ヨコシマに笑ってて欲しいと。


「ヨコシマ……」


情動に突き動かされ、縋りつくようにして顔を近付ける。
静かな呼気さえ届く距離
唾液を飲む音さえ聞こえる距離となって
そして―――――何の前触れも無く、ヨコシマの鼻から血が吹き出た。


「!? ちょっとヨコシマ大丈夫?!」

「だ…大丈夫や。慣れんことしたモンで脳がヒートをっ…!」


だくだくだく、と鼻血を流すヨコシマを見て溜息。
溜息に込めた気持ちは諦め。
けれど、それは決して不快なものではなくて。


ああ この人は

なんて 残酷な人なのだろう


頭の中で言葉にしつつも声には出さず
代わりに、こつん、とおでこを胸にぶつけた。
ヨコシマは驚き、戸惑っている。
肩に手を回していいか、葛藤しているのだろう。
そんな困り顔は大歓迎。少しくらいはいい気味だと思わせて欲しい。


―――――私は 知ってる。
何かが変わったわけじゃないこと。
今は安心出来ていても、きっとまた心は騒ぐ。
そして、お前の心の奥底に眠る想いもまた。

重ねてきた日々。過ごしてきた時間。歩んできた過去。
積み重ねがまるで違う。長さだけが価値ではなくとも
そうやって気付いてきた
二人の 絆を

傍に在ることを願い、想い合いながら分かれる事となった。
国は変わり、時代は巡り、生まれ変わっての記憶は朧
それでも再び出会うことの出来た
千年の 願いを

それでもヨコシマが
隣に居て欲しいと望むなら
傍で笑っていて欲しいと願うなら

…それでも信じるから

お前に生きてほしいから










…………また、意識が飛んでいた。

空ろな視線を周囲に飛ばす。
夜の空は黒というよりも、晴天の蒼よりも深い群青。
その色が深ければ深いほど、橙の景色が瞼の裏に蘇る。
時間はそれほど経ってないようだ。
けれど、肌に触れる鉄の冷たさや硬さを感じなくなっていた。
終わりが近いのだろう。痛みや苦しみは、もはや無い。
私に残っているのは、見た目だけを誤魔化した傷だけ。
きっと、痛みはヨコシマが持っていった。


「…ねぇ、ヨコシマ」


まだ気付いていないその痛みは、そう遠くない未来にヨコシマを苛むだろう。
心を傷つけ、悲しみを与え、涙を流させるだろう。
それでも、生きてほしいから。
笑って、欲しいから。


「ウソついたこと、あんまり怒らないでね…?」


だから、少しくらいは怒って欲しい。
優しすぎるお前が、自分だけを傷つけなくて済む様に。
だから ヨコシマ。
お前がくれたこの想いを後悔なんて絶対にしない。
きっと泣くだろうヨコシマを思うと胸が痛くなるけれど
それでも私は、零れる涙の先を想う。



悲しまないで 終わりじゃないから

お前と過ごせた瞬くような日々が

私を最後まで微笑ませてくれるから



そして最後の感覚も消えて行く。
光を感じない瞳に映るのは、いつか見た夕焼け空。
照れたように口元を緩めた、ヨコシマの微笑み。
想うだけで自然と笑みが浮かび、想いが口から溢れた。



「大好きよ、ヨコシマ」



またいつか



夕焼けを見た時に思い出して。
優しいお前のことだから、しばらくは喪失の痛みが涙を流させるとしても
忙しく騒がしい日々を過ごして、辛い記憶が胸を締め付ける思い出と変わった時に
夕焼けを見上げた時に思い出して。
お前が言ってくれたこと、笑っていて欲しいと。
だから私は、この胸の中の夕焼けに向けて
最後まで微笑んで見せるから。




お前と出会い



そうしたら
私たちは、きっと何度でも会えるから

だから

昼と夜
過去と未来
悲しさと愛しさ
痛みと喜び
私とお前

そんな一瞬の隙間が幾つも重なり合う夕焼けの中で




―――――恋を しましょう
こんばんわ。豪です

本作は三次創作となります。
元となるアラコさんの漫画は以下のリンクよりご覧ください。

http://gtyplus.main.jp/log/others/a-comics2/comic-1.html

今年の一月にアラコさんの漫画を見てからというもの、ずっと文章で表現してみたいと思っておりました。
横島とルシオラは定番のカップリングではありますが、だからこそ想像の楽しみがありますね。
真正面からの剛速球を如何にして打ち返すとか、そんな感じで<ヲイ
半年以上かかってしまいましたがこうして書けたことに安堵、そして三次創作の許可を頂けたことに感謝です。
そしてここまで読んで頂けた読者の皆様にも感謝を。

ではでは

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