ジ〜ワ〜ジワジワ…
ジ〜ワジ〜ワジワ…
「………あっつぅ〜い!!」
居間でうちわを片手に寝転がっていた初音が、暑さに我慢出来ずに叫び声を上げた。
「…もう一回水風呂を浴びて来たらどうだ」
テーブルの前に座り、ざるの上のさやいんげんのヘタを取っていた明が手を休めずに初音へ言う。
「髪の毛が濡れるからやだ。
ねぇねぇ、なんでエアコン買わないの〜?」
寝転がった体勢のまま明へ問う初音。
「あのなぁ、うちは純和風な日本家屋なんだぞ?
密閉されてるマンションの部屋ならともかく、天井が高い上に
欄間で部屋同士の空気を入れ替えてるんだぞ?
一部屋冷やすのにどれだけの電気代が必要になるんだよ」
「う〜…。
あっ!冷たい空気は下に溜まるから、寝転がってればきっと涼しいよっ!」
ピコーン!と、豆電球を頭上に光らせながら初音が言う。
「冬場はどうするんだよ。
暖気は部屋の上に溜まるんだぞ」
初音の夏場限りの浅知恵にツッコミを入れる明。
「うぅっ…」
「どちらにしても駄目。
そんなお金はうちにはありません」
「あ〜つ〜い〜よ〜!!」
「そんなに暑いなら図書館にでも行って宿題やって来い。
ほとんど手をつけてないだろ」
「1人じゃやだ」
「…お前な…」
『「ハッカ油(はっかゆ)」を使ったらどうだ?』
明の怒ゲージがMAXになる寸前、2人の会話をじっと見ていた鷹が突然クチバシを開いた。
「『ハッカ油』?」
「なにそれ?」
聞いたことのない単語に疑問符を上げる明と初音。
『知らないのか。
その名の通りハッカの油なんだが、身体に塗ると涼しくなるって物だ。
多少臭いはキツイけど、我慢すれば3,40分は涼しくなるぞ』
「へぇ〜」
『薬局に行けば売っているはずだ。
小さな小瓶で1000円もしないと思ったが』
「水と混ぜて身体に塗るだけでいいのか?」
『それよりは湯船に張った水に数滴垂らして入るってのが普通だな』
「…残り湯が使えなくなるから却下」
主夫的観点で却下する明。
『シャワーを浴びた後に首元や背中に塗るってのでも十分涼しくなるぞ』
「面白そう!
明、使ってみようよ!!」
目をきらめかせながら、明へ初音が言う。
「…まぁ、それくらいなら出してもいいか。
夕飯の買出しのときに買ってくるか…」
脳内買い物リストにハッカ油を追加して、明は残りのヘタ取りを進めるのであった。
「…ってなわけで買ってきたんだが…」
夕飯の買出しから帰って来た明と初音。
2人の向かい合って座っているテーブルの上には、小さめの箱が置かれていた。
「どれどれ…うわっ臭いっ!!」
箱を開け、小瓶の蓋を取って臭いを嗅いでみた初音が、あまりの臭さに鼻を摘んだ。
「確かに臭うな…。
もともとハッカだから当然と言えば当然か」
初音から小瓶を受け取り、自分も嗅いで顔をしかめる明。
「これを身体に塗るのぉ?」
怪訝そうに鷹に問う初音。
『そうです。
ハッカ油が揮発する時に熱が一緒に逃げるので、身体が寒さを感じるんですよ。
水で薄めて使うとは言え、それなりの臭いは我慢しないといけませんが…。
あ、顔には絶対に塗らないで下さいね、間違って目に入ったら危険ですから』
「…とりあえずやってみる」
臭いよりも暑さに我慢出来ない初音は、小瓶を手に取って風呂場へと向かって行った。
「塗って来たよ〜」
数分後、少しだけ髪を濡らしつつ初音が戻って来た。
「で、効果はどうなんだ?」
「うーん…ちょっとヒリヒリする…。
それにやっぱり少し臭う…」
くんくんと、肩の辺りを嗅ぎながら苦い顔をする初音。
『効果が出るまでは少し時間がかかりますよ』
「本当〜?…あれ?」
ぶるりと、一瞬だけ初音が身震いをする。
「どうした?」
「涼しくなってきた…」
驚きの表情を見せながら言う初音。
『どうだ、本当だったろう?』
心なしか、誇らしげな表情を浮かべながら鷹が言う。
「へぇ〜それは凄いな」
「凄い凄い!
暑いのは分かってるんだけど、凄い涼しい!!
明もやってみなよ」
「俺は後でな。
これから飯作るのに、臭いが移ったら嫌だろ」
立ち上がり、エプロンをつけながら明は言った。
「うん、ハッカ臭いご飯はやだ」
「だろ。
せっかく涼しくなったんだ、のんびりテレビでも見て待ってろ」
「はーい」
初音は機嫌良く返事をし、鼻歌を歌いながらテレビの電源を入れるのであった。
「ごちそうさま〜」
「お粗末さまでした」
嵐のような夕食が終わり、食器を流し台へ集める2人。
「さて、洗い物の前に俺もハッカ油を使ってみるかな」
テーブルの上に置かれた小瓶を持ち上げて明が呟く。
「変な感覚で面白いよ」
「ああ、実際に体験してみるわ」
ひらひらと手を振りながら、明は風呂場へと向かっていった。
ザァー…
キュッ…
「ふぅ…。
え〜っと、首や背中だったな…」
身体が濡れた状態のまま小瓶の蓋を取り、右手のひらへハッカ油をぴしゃぴしゃと振り掛ける明。
そのまま首周りや背中へ塗って行く。
「…やっぱすぐには涼しくならないか」
そう言いながらハッカ油が臭う右手をボディソープで洗い、風呂場を出て行く。
「…あ、このままバスタオルで拭いたら臭いがうつっちまうじゃないか…」
完全に拭くとハッカ油が取れてしまうから軽く拭くとは言え、バスタオルがハッカ油臭くなるのは必至である。
「まぁ臭いを我慢すればいいだけだし。
べたつくとか、そういったわけじゃないしな…」
自己完結し、ハーフパンツとTシャツを着て洗面所を出る明。
「上がったぞ〜」
「はーい」
テレビを見ている初音へ声をかけ、明はそのまま台所へ向かっていく。
「涼しくなった〜?」
顔をこちらへ向けて初音が明へ問い掛ける。
「ん〜…お、スースーし始めてきたな。
へぇ、こりゃ面白い」
「だよね〜」
「にしても…。
なぁ親父、この感覚って昔海に行った後に無理矢理塗りたくられたヤツに似てんだけど…」
遠い記憶を引き出しながら鷹へ言う明。
『ん?
ああ、シーブ○ーズだろう?
あれの中にも含まれてるんだよ。
だからあれの原液ってとこだな、ハッカ油は』
「へぇー」
「シー○リーズって白いボトルの?
うちの洗面台にもあったよ。
お父さんが時々臭かったのこれだったんだ」
『…御館様…』
「…臭かったってお前…」
父親への、ストレートな初音の言い方に遠い目をする2人。
「あ、もう涼しくなくなったからハッカ油貸して」
「へ?
もう効果がなくなったのか?」
手を伸ばす初音にハッカ油を渡しながら問う明。
『揮発性が高いから量が少ないとすぐ効果が無くなるんだよ。
寝る寸前に塗れば涼しいままで眠れるんだ』
「ふぅん…。
よし、もっかい塗ってこよ」
そう言って、初音は再び風呂場へ向かっていく。
「あいつ気に入ったみたいだなぁ…。
俺は寝る前にもう一回塗って寝るとするかな…」
明はそう呟くと、洗い物を再開させるべく手を動かし始めた。
「♪〜〜〜」
しばらくすると、先ほどよりも時間をかけて初音が風呂場から出て来た。
「なんだ、結構かかってたな」
「うん、さっきより多めに塗ってみたんだ」
そう言って明へハッカ油を返す初音。
「ああ、効果が長くなるようにか…って凄い臭いだな…」
受け取ろうとした明の鼻にきついハッカの臭いが襲い掛かってくる。
「そう?」
「…お前ハッカ油付けすぎて鼻が馬鹿になってるんじゃないのか…」
「でも、これでしばらくは涼しいよ!」
にこにこと嬉しそうに笑う初音。
初音にとって暑さはハッカの臭いよりも嫌なものらしい。
「…まぁそうだろうけどさ…」
笑顔の初音へ苦笑で返す明。
『あ、あの初音様…』
そんな2人の会話を遮るように鷹が話しかけてくる。
『あまり多量に塗り過ぎると…ですね…』
「え?」
歯切れの悪い鷹の言葉に初音が聞き返した瞬間…
さぁっ…
外の風が家の中を通り過ぎて行った。
「お、風が出て来たな…って、初音…?」
窓の外を見た後、ふと隣に立つ初音へ視線をやると、初音は自分の肩を抱きしめるように立ちすくんでいた。
「あ…う…」
初音は立ちすくんだままで床を見つめ、身体を振るわせ始める。
「お、おい大丈夫か!?」
様子のおかしい初音を抱き上げる明。
「………さ…」
「さ?」
「…寒い…」
「…は?」
「寒い寒い寒い寒い………!!!」
そう呟きながらガチガチと歯を鳴らし、全身をブルブルと震わせる初音。
、
「お、おい!?」
『あちゃぁ…やっぱり…」
「お、親父!
初音はどうしたんだよ!?」
物知り顔に話す鷹へ明は言った。
『ハッカ油の塗りすぎだよ…。
多分初音様は全身にたっぷりとハッカ油を塗ったんだろう。
首や背中だけでも十分涼しくなるんだ、全身に塗ったら寒さを感じる。
使い始めに誰もがやることだ…』
自身の経験を思い出したのか、遠い目をする鷹。
「そ、それはわかったけど、どうやったら治るんだよ!?」
顔を青く染め、いまだにブルブルと震える初音の身体を抱きながら明が叫ぶ。
『…全部揮発するのを待つしかない。
さっきは2,30分だったから小一時間ってとこか…』
「それまでこのままなのか!?」
『…熱を逃がすのを止めることは出来ないが、抑えることは出来る…』
「ど、どうすればいい!?」
『………』
明の問いに、何故か言いよどむ鷹。
「親父!」
『…ま、役得ってことでいいか…』
「役得?何を言って…」
『雪山で遭難したのと一緒だよ』
「…は?雪山?」
鷹の言った言葉の意味が理解出来ず、明は聞き返す。
『今の体勢を向きを変えて正面から初音様を抱きしめればいいんだよ。
さらに背中に手を回し、密着度が増せばなお良い』
飄々と、特に実の父親の前ではやりにくいことを行えと言う鷹。
「な、なんでそんなことを…」
『そりゃ密着している面積が多ければ多いほど熱が逃げないだろう?』
「…つまり熱が逃げる面積を少なくすればいいんだろ?
だったら毛布か何かでも被ってれば…」
『簀巻きにすりゃ別だが、普通に被ってるだけじゃ熱が逃げるのは止めれないぞ。
ほれ、さっさと初音様を抱きしめて差し上げろ。
その方法が一番早いし、調整も簡単なんだよ』
「くっ…わかったよ…」
明は諦めて初音の身体の向きを変え、お姫様抱っこのような形で抱きかかえてソファへと向かう。
(うっ…荒い息が首元に当たるし、柔らかい感触が…)
『まぁ裸同士でやるのが一番…』
「やらねぇよっ!!」
今のままでも十二分に不味いのに、これ以上のことがあったら理性が保てなくなるのは必須である。
『はっはっは』
「…いいのかよ、御館様に怒られるんじゃないのか?」
先ほどから明を煽るような発言ばかりする父親に向かってジト目で見る明。
確かに御館様…つまり初音の父親が聞いたら激怒モノである事は間違いない。
『ああ、大丈夫だ。
この事に関しては御館様は何も言わん』
「?
なんでだよ」
『言っただろう?
「使い始めに誰もがやることだ…」って』
「誰もがって…親子揃って経験したってことか…」
似た者親子め…と明は呟き、ため息をついた。
『ま、そう言う事だ。
ついでに言うと、俺たち親子もな』
「…は?」
『よかったなぁ明…初音様が女性で…』
遠い目をしながら呟く鷹。
「え…?」
父親たちが今の自分と同じことをした…と言うことは…。
「おい…待て…まさか…」
想像したくなくても、嫌な光景が明の脳内に浮かび上がって来て身震いがする。
『…じゃ、俺は寝る。
ちゃんと初音様が落ち着くまで抱きしめて差し上げろよ』
そう言って哀愁を漂わせつつ、鷹は瞳を閉じる。
『…クゥ?』
次の瞬間、鷹の
精神から明の父が出て行き、元の鷹へと戻っていた。
「……本当、初音が女で良かったな……」
いまだに震える初音の身体の柔らかい感触に、不謹慎ながらもほっ…と安堵のため息をつく明であった。
「ふぅ…あ〜疲れた。
ま、他にも風呂場で洗い流すって手があるんだけどな。
さすがにそれは裸の付き合いになっちゃうんで、自分たちで気付いてくれよ…」
東京から遠く離れた東北の地で、繰り返された歴史を思い出しつつ、男は自分の息子と主君の娘を思い呟いた。
(終わり)
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