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ショーの主役


「えーっ! もっと早く教えてくださいよ、美神さん!
 どうしよう、私こんなお洋服で……」
 その服装は別になんということのない普段着なのだが、キヌはきゃーきゃーと騒いでいる。除霊時などにたまに起きる服装の破損や乱れのときでも、ここまで気にしないのではないかというほどに。ちなみにそういった時の対応としては、キヌの場合は横島がジャケットを差し出してくれ、美神の場合は飛び掛ってきた横島を叩きのめしてそれを奪い取ることになる。
 今日のこの騒ぎの原因は、予定されている除霊仕事について「見学者として近畿剛一が来ることになってるから」と美神が説明したためである。
 近畿剛一はいま人気のあるアイドル俳優で、六道女学院のキヌのクラスにも彼のファンだという娘は多い。キヌは身近なところでは横島に対して並ならぬ好意を抱いているのだが、それはそれというやつで、よく話題に上るアイドル近畿剛一に対するミーハー的な思い入れも十分にあるのだ。
「おキヌちゃんもそんなに気にしなくたっていいのに。どうせ横島君とタメ年のガキなのよ」
「そう言いながら、しっかり気合が入っとるじゃないですか!」
 口調とは裏腹にきっちりと自分はドレスアップしている美神に――キヌのちょっとした非難と騒ぎはこの辺りも理由だろう――横島は嫉妬を露にするが、彼女の好みはどちらかといえば包容力のある年上の男性である。美神のゴージャスにばっちりと決めた服装は、近畿剛一と並んでも自分こそが一番目立つ存在でいたいという、単純で複雑な気持ちの表れなのかもしれない。
 そんな小騒動から四半時ほどして、事務所に件の近畿剛一がやって来る。彼は気さくに挨拶をしてきたが、横島は同い年でありながらTVで活躍する人気の美形と馴れ合う気もなく、美神の代わりに剛一のマネージャーから名刺を受け取ってお互いに挨拶を交わしたりしていた。
 そう気にするもんかと強がっていた横島だが、キヌが嬉しそうに剛一にサインをねだり、美神が「生で見るとやっぱ美形ねー」などと言っているのを聞くと、もう我慢できずに懐から愛用の藁人形と釘を取り出すことになる。
「なんだかとってもチクショー!」
 「うぐぅぅ」剛一は突然に発作のごとく胸――横島が五寸釘を思い切り打ち込んだ藁人形の部位と同じ場所――に走った痛みに、思わずその場に倒れ込むようにうずくまってしまった。
 剛一は慌てて駆け寄ってきたマネージャーとキヌに支えられながら、「ピートの時と同じリアクションじゃないの。あんたは進歩ってものがないの?」「ちゃんと進歩してますよ! 見事に呪いがかかってるじゃないスか」という美神と横島のやり取りを唖然として聞いていた。
 これが本物のオカルトの世界なのか、と剛一はわずかに胸に残る鈍痛とともに認識を新たにさせられる。
 剛一がどう思ったにせよ、実際にはこれはオカルトの世界でさえ異常なことだったのであるが。
 いくら相手までの距離が短いとはいえ、藁人形自体に呪いをかける相手に対応した処置を施さずに効果を出すことなど、GSでも誰もができることではない。――むしろ可能なGSの方が少ないだろう。横島の霊力源の基本は煩悩なのだが、強大な嫉妬心を霊能力に変換する能力もまた恐ろしい冴えをみせることがあるのであった。
 キヌはキヌでよくあることなのか、剛一が大事ないことを確かめると、軽くごめんなさいと頭を下げただけで美神と横島の仲裁に行ってしまう。「ま、まあまあ、二人ともその辺で……」
「おキヌちゃんまであんな奴を庇うのか? 
 けっ、美形は得だよな。大体、なんでアイドルがGSの仕事見学なんかに――」
「あ、それはですね、今度『踊るゴーストスイーパー』が映画化されることになりまして」
 そう言ってマネージャーが手持ちの機器で簡単な予告編を一同に見せてくれる。
 それは剛一が主演で大ヒットしたテレビドラマの映画化企画で、タイトルは仮題ながらそのものずばりの「踊るゴーストスイーパー THE MOVIE」である。
「それで、劇場版のためにしっかりと役作りをし直したい、と。
 アイドルなのに真面目なのねー」
「俺、ちゃんとした役者になりたいんです。そのためにも今回の仕事はチャンスだと思って」
 そう熱く語る剛一に、「貴様にこれ以上のチャンスなんかいらんわっ」と横島は吐き捨てる。
「もう、横島さん!」
 あからさまに噛みつく横島をキヌがたしなめるのを苦笑して見ていた剛一だが、横島という名前を聞くとふと顔を近づけて、まじまじと彼を見つめ出す。
「……なんだよ?」
「もしかして――お前、横っちか?」
 期待のこもった声でそう訊ねられた横島は、わずかに驚いた顔で訊き返す。「ん? 確かに小学校の頃はそんなあだ名で呼ばれてたけど……なんでそれを?」
 「わからんか? 俺や、俺。銀一や!」不思議がる横島に剛一は嬉しそうに自身の本名を告げる。
 それは大阪に住んでいた小学校時代に、引っ越しに伴い転校して行ってしまった横島の親友の名前だった。
「うわっ、お前、銀ちゃんか! 懐かしいなあ。あれは、えーと、五年の時だったっけ?」
「そや。お前も後で引っ越してもうたから、連絡とかはとれへんかったけどな」
 そういった理由がなくとも、小学生くらいの年代では遠くに離れた友人とは自然と疎遠になってしまっただろうが、一応連絡をとろうとはしていた銀一だった。
「そーかー。銀ちゃんがあの近畿剛一か。
 なんとなく、TVで見て似てるなとは思ってたけど……」
 思い返せば、その顔に面影を認めたこともあったなと横島も納得する。
「んでも、お互い今は東京で頑張っとんねやから、また仲良うやろうやないか」
 二人は興奮気味に昔の話を始めるが、「そろそろ出発しないと依頼に間に合わないわよ」とやんわりと美神が二人を促し、一行は当初の予定通り、全員で除霊現場に向けて出発することになるのだった。


「それじゃ、お二人ともしっかりとこれを持っていてくださいね」
「ああ、わかった。
 けど、おキヌちゃんは大丈夫なんか?」
 今はそれらしい巫女服に着替えているとはいえ、穏やかでどちらかといえばおっとりして見える年下のキヌを、ビデオカメラを片手に簡易結界を握った銀一が気遣う。
 そんな銀一に、キヌは少し誇らしげに胸を張って応じた。「ありがとうございます。でも、私もプロですから」
 そしてネクロマンサーの笛を懐から取り出したキヌは、何かあっても銀一たちを守れるような場所へとわずかに立ち位置を変えていく。
「そろそろ毎晩悪霊が出るっていう時間ね。みんな、気合い入れなさい」
 横島と二人でもっとも城の近くに立つ美神が声をかけ、全員が瓦の破壊された跡のあるその除霊現場を見上げた。
 今回の美神除霊事務所への依頼は、この世界文化遺産に指定されている城を夜な夜な破壊している悪霊の除霊である。雰囲気のある現場を目にして、申請すればここの撮影許可は降りるんかな、といったことも銀一は思ったりしていた。
「でも、ちょっとこの姿は間抜けですね」
 思わず小声で漏らしたマネージャーの言葉を捉え――こちらもそれは分かっているのか――美神たちが苦笑いを浮かべる。なにせ銀一とマネージャーが危険から身を守るために渡された簡易結界は、円になった数メートルの細いしめ縄といった感じのもので、傍から見るといい大人が電車ごっこをしているようにも見えるのだ。銀一が運転手でマネージャーが車掌といったところだろうか。
 中にいるものと外側にいるものとの間に単純に霊的なもの全てに対する防壁を作り出す道具であり、素人にも使え、尚且つ結界を張ったまま移動できるという点で画期的な発明だったのだが、一般人の評価はそんなものである。
「だからドラマでも使われなかったんでしょうか?」
 放送していたドラマを全話きちんと見ていたキヌの言葉に、「俺はそこまで知らんけど、案外そうかもしれんな」と銀一は頷く。言われてみれば、納得のいく理由なのだ。
 ドラマの一部に関しては、ファンである六女の学生の間でも現実的でないなどと辛口の評価を受けていたのだが、あくまで大衆向けフィクションである以上、オカルト関係者にしか理解されないリアリティよりも、映像としての迫力やストーリー展開などを優先するのは当然のことである。
 このドラマにもきちんとアドバイザー役のGSが参加していたのだが、そのGSも映像業界との関係は深く、そういった面も十二分に心得ていたので、特に衝突はなかったそうだ。
 こういった点は香港映画にスタントで参加したことのある――本人はちゃんと役をもらったつもりでいたのだが、編集で危険なスタントシーン以外は別役者で再撮影したものに差し替えられた――横島にも理解できることである。映像の見栄えは大切なのだ。
 そんな裏話をしているうちに、今回の除霊対象が城の屋根の片隅から姿を現した。その悪霊は忍者装束の骸骨といったような見た目で、その背に刀を差していた。
「分かる?」
 美神がビデオカメラを持っている銀一に伸ばした神通棍でそちらを示してやり、全員が悪霊の存在を把握したところで、今度はそのまま悪霊に向けた神通棍に霊力を流し込んでみせる。霊力が強い光輝となって神通棍から放たれ、その様子に敵意を見て取ったか、ぼんやりと屋根をうろついていた悪霊も美神たちへと意識を向けた。
「どんな理由でさまよってるのかは知らないけど、毎晩瓦をぶち壊しながら走り回られちゃ迷惑なのよね。おとなしく――」
 美神の言葉が終わらぬうちに悪霊は屋根から飛び降り、刀を片手で抜き放って彼女たち目掛けて走り出す。
「お願い、横島君っ」
「うわっ、ちょ、美神さ――ぎゃあぁぁぁっ!」
「――吸引っ!」
 悪霊の振るう刀を神通棍で素早く受け流し、そのまま相手の勢いを利用してカウンターのように破魔札を悪霊の顔面に叩きつけるという、一瞬に濃密な攻防の詰まった除霊。
「す、すげえ……。やっぱり本物を見てよかった」
 銀一は間近で見たその光景に大きな衝撃を受けている。基本的にドラマの悪霊は後からCGなどで付け加えられるもので、本人はブルースクリーンの前で演じることも多かったので、経験のない銀一にはどうしても演技に真実味が欠けてしまっている気がしていたのだ。この経験は映画でGSを演じる上で大いに役に立つだろう。
「どう? やっぱり“悪霊退治はGSの華”ってね」
 美神はそう言って、銀一の構えるビデオカメラに向けて気取ったポーズで見得を切ってみせた。
 「いい映画にしてくださいね」キヌも銀一の真剣な表情を見て励まし、「ああ、もちろんや」と銀一も力強くそれに応じた。
 そこへおどろおどろしいと言えそうな調子で怨嗟の声をかけたのが横島である。「――だが、その華やかな主役の陰では、きっと誰かが血を吐いてることも忘れるんじゃないぞぉぉぉ」
「そりゃ、わかっとるけど……病院に行かんでええのか?」
 キヌも美神も平然としているので問題はないのだろうと思いつつ、最初に悪霊が投擲してきた霊力のこもった手裏剣群の盾にされて、防いだサイキックソーサーごと吹き飛ばされたまま壁にめり込んでいる横島に、銀一はおっかなびっくりで手を差し伸べる。
「まあ、慣れてるからな。この程度なら平気さ」
 横島はその言葉通り、銀一の手をつかんでよっと立ち上がると、軽く体をほぐしただけで、何事もなかったかのように歩き出すのだった。


 その後は現場が東京から遠く、銀一も明日の朝に飛行機で戻ればいいということで、一行は同じ宿に宿泊することになっていた。
 銀一はみなで和風旅館の料理を楽しみながら、美神たちから除霊の話を積極的に聞いていく。GSを演じる上で、彼女らがどんな経験をしてきたのか、どんな考えを持っているのかを知ることは大変に参考になるのだ。
 横島はそんな真面目で意欲的な銀一を横目に出された酒をちびちび飲みながら、美神の活躍の裏で自分がどんなひどい目にあってきたことかとくだを巻いていた。
「美神さんは確かにすげー強いけど、やることはかなり強引なことも多いんだよ。さっきの除霊だって、美神さんならもうちょっと安全を考えた作戦を立てられないはずがないんだ。だけど面倒だし、余計な道具を使うと出費も嵩むから、あの程度の相手なら手っ取り早く真っ向からしばき倒すことになっちまうんだ。おかげで、ああして俺が危険な目に遭うのさ」
「それが助手の仕事でしょうが。エミんとこなんて、場合に寄っちゃ霊体撃滅波放つまでの盾にしてるわよ」
「タイガーからもそんな話聞きますけど、それが普通のGS助手の扱いってこたないでしょうが」
 あまり他のGS助手に会ったことはないが、美神やエミが特殊なのだということに確信を持っている横島だった。
「おうちの除霊仕事を手伝ってる娘が六女にもいますけど、たしかに横島さんほど危険な目にあってるような感じではないですかねえ」
 キヌの言葉に「やっぱりか」と横島が大きく頷く。
「なに言ってるのよ。おうちの仕事ってことは、その娘は大事な跡取りってことでしょ。横島君なんかと同じ扱いをするわけがないじゃない」
「今、俺の名前が“使い捨て”って聞こえた気がするんすけど」
「もう、そんなわけないじゃない。強いて言えば、横島君はいくらでも修理のきく便利グッズよ」
「ひでぇ! 銀ちゃん、美神さんを演技の参考にしちゃ駄目だぞ。世間に対するGSのイメージそのものが悪くなっちまう。
 ――そうだ。おキヌちゃんの笛ってもう見たか? ネクロマンサーの笛っつーんだけど、おキヌちゃんはあれを使って霊を優しく説得して除霊できるんだ。自分が悪霊だったとしたら、力ずくで倒されるより、やっぱりおキヌちゃんに親身になって除霊してもらいたいって思うぜ」
「へー、そら知らんかったわ。おキヌちゃんもすごいんやな」
 ネクロマンサーというと、死者や死霊を自由に操るといった、どちらかというと悪いイメージを持っていた銀一は、興味深げにキヌの能力のことを訊いていく。
 さすがに全世界で数人しかいないような能力者を扱った話は、ドラマにも出てきていなかったのだ。
 美神も幽霊だった経験がもたらしたキヌの能力が素晴らしいものであることを認めるが、それが誰にでも可能なものではないと注意しておくことも忘れない。
「こんなことが可能なのは、日本じゃおキヌちゃんくらいよ。横島君は私の除霊が乱暴みたいな言い方をするけど、悪霊として人に害をなすような霊っていうのは、存在しているだけで現世で味わった後悔や苦痛に苛まれ続けているの。だから、自分を誤魔化して他人にその痛みを押し付けたくて人に害をなすようになるわけね。そういう霊は、どんな方法であれ祓って成仏させてやることが真の救いになるのよ。もし悪霊の境遇や思いに同情や共感をすることがあったなら、そいつの存在や感情を認めるんじゃなく、しっかりとそいつを否定して除霊に臨むのが私たちGSの役割だわ」
 相手が真剣なだけに、美神も珍しく真面目に――それでも「私の場合は現世利益が最優先だけど」などと自分の信条表明はしていたが――GSという職業のことを語っていく。
 普段はあまり彼女が話さない事柄なので、これは銀一だけでなくキヌや横島にもためになったようである。そしてその話にも一段落がついた頃、部屋に宿の主人がやってきて、お電話が入っていますと美神に告げた。
 「ここに来るって誰かに言ってあったかしら?」首を捻りつつ、美神は「厄介ごとじゃないといいけど」と主人と共に部屋を出る。
 そうして美神が場を中座してしまうと、銀一は今度は横島と――特に久しぶりに会ったのだから少年時代を懐かしむような――話をしたいと考える。
 こうして親友だった彼の顔を見ているだけでも、二人でやった様々なことの思い出が次々と脳裏に浮かび上がってくるのだから。
「昔はよう一緒にスカートまくりとかしたよなぁ」
「終わりの会でつるし上げられんのは、俺一人だけだったけどな」
「はは、そやったかな。……そうそう。お前、いっつもミニ四駆の大会で優勝しとったよな。俺はどうしてもお前には勝たれへんかった」
「そのあと、いっつも女子に責められて大変だったけどな。『バカー! なんで銀ちゃん負かすのよー!』なんて」
「……おもろかったよなぁ」
「“お前だけ”がな」
 しかし二人の会話は、そんな風に銀一の言葉に横島がケチをつける形になる。
「ちょっと、横島さん。さっきから聞いてれば、銀一さんにからんでばっかりじゃないですか」
 横で聞いていたキヌがいい加減に銀一を不憫に思って、そう咎めるような声をかけてくれるが、横島はさらに不満をぶちまける。
「おキヌちゃんには分からんかも知れんが、普通の男は銀ちゃんみたいな二枚目と思春期以降に仲良うなんて出来やせんのだ」
「でも、お友達なんでしょう」
「そりゃ、ガキの頃はそこまで女子がどうとかは気にならないから、仲良く友達づきあいができたさ。
 だけど、改めて思い返してみれば、こいつのせいでどれだけ俺が不幸な目にあってたことか」
 銀一は納得がいかない様子だが、「あの頃から、銀ちゃんはモテてモテてモテてモテて――横にいて俺がどんだけみじめだったと思う?」と、横島はもはや当時の自分の感情まで今の視点から語り始めている。
「そして今再び、人気絶頂のスーパーアイドルとなって銀ちゃんは俺の前に現れたんだ。女にモテモテーの、仕事バリバリーの――こんな奴とやってられるかーーーっ!」
 うわーん、と自己憐憫から泣き喚き出す横島に、アイドルという人に注目される存在として常に冷静な対応を心がけるようになっていた銀一もついに頭にきてしまう。
「横っち、えー加減にせーよ! 大体、俺ばっかりモテてたみたいなことを言うとるけど、お前だって――」
「はあ? 俺が一体いつモテたっていうんじゃ。
 バレンタインにゃ、お前の机と下駄箱からはチョコがあふれ出し、俺んとこは空っぽのゼロ。運動会じゃ銀ちゃんは黄色い声援に包まれて、フォークダンスともなりゃ、女子がパートナーを取り合っての大騒ぎだ。
 それに比べて俺に何があったって言うんやー! 悲しすぎる少年時代じゃーーー」
「こ、この大バカ野郎がっ! よう知らん女に山ほどモテたところで、それがなんやっちゅーねん!」
「かーっ、さすが天下のアイドル様は言うことが違うね。
 聞いたかい、おキヌちゃん。こいつファンを馬鹿にしてるぞ」
 ひがみ根性をむき出しにした横島は、そうやって銀一の言葉を曲解して責めてみせもする。
「そんなこと言いながら、どうせ街を歩けば山ほどファンが寄ってきて入れ食い状態のくせに――羨ましすぎるぞーっ」
「あのな、横っち。今日は仕事の一環やからともかく、ドラマで競演したベテラン役者さんにちょっとした部分で人に与える雰囲気を変える方法習うてからは、プライベートや移動ではほぼバレへんようになっとるわ。
 そもそも、ファンに手を出すんなんか、最大のタブーやで」
「建前上はそうだろうさ。だけど芸能界ってそういうとこだろうが」
「なんや、お前、ものすごい偏見持っとるやろ」
 二人は勢いのままそんなやり取りを続けたが、やがて横島は思い切り手元の酒杯を立て続けに呷ったかと思うと、不意に優しい顔つきになってしばし黙り込んだ。
「……ふぅ」
 そして再び口を開くと、横島は今度は打って変わった穏やかな口調で銀一に語りだす。
「なあ、銀ちゃん。今だから言うけどさ……あの頃、俺、夏子のこと好きやったんやで」
 初めて聞く名前にキヌは顔に興味を浮かべ、銀一は思わぬ唐突な告白に戸惑う。
「よう知らん女なんかじゃない、俺たち三人一緒に育ったようなもんやっちゅう幼馴染で親友や。
 銀ちゃんも覚えてるかな? あれは銀ちゃんが引っ越すちょうど前の日だった。俺、二人が屋上でいい雰囲気になってるとこを見ちまったんだよ」
「えっ――」
 それは銀一の記憶にも強く残っている出来事だった。あの日、あの場面は今でも鮮明に思い出すことができる。
 まさかそれを横島に見られていたとはこれまで思ってもみなかった銀一が言葉を失っている間にも、横島の告白は続いていく。
「だけどさ、あの時まず思ったのは、悔しいとか、悲しいとか、ちくしょーとかそういうことじゃなかったんだ。“ああ、そうなのか”って、俺は納得しちまったんだ。
 子供ながらにわかってたのさ。銀ちゃんは、俺なんかとは違う。銀ちゃんはかっこいい物語の主役なんだって。美神さんなんかと一緒だな。
 だから夏子の隣に銀ちゃんが立ってるってのは、すごく自然なことだった。俺にできたのは、まあ、しゃーないよなって肩を落とすだけや」
 普段の横島を知るキヌは彼のらしからぬ言葉に驚いたが、やっぱり古い友達ってことなんだなあと思い、いまでは照れたように笑っている彼に「横島さんだって素敵ですよ」とそっと声をかけた。
 一方の銀一はといえば、こちらは「それは違う! そうじゃないんや!」と大声で叫び出したい気持ちだった。横島が銀一と夏子のことをどう思っていたのかは、今の言葉でよくわかった。しかし、そこには大きな誤解が含まれているのだと。
 だが、銀一がそういったことを上手く頭の中で整理して口にする前に、駆けるような足音と共に戻ってきた美神が部屋のふすまを勢いよく引き開けて叫んだ。「横島君、おキヌちゃん! ママ――オカルトGメンからの緊急依頼よ! すぐに出るわ」
 その言葉が終わるのとほぼ同時に、キヌも横島も慣れた様子で荷物を引っつかみ、早くも部屋から出て行ってしまった美神の後を追いかけようとしている。
「あっ――」
 結局、銀一には何も言う間が与えられず、「仕事、頑張れよ!」という最後になってようやくの励ましの言葉と共に横島は部屋を飛び出していってしまった。
 銀一は呆然としたまま、「横島さんは、ピートさん――同級生でかっこいいイタリアの方です――と話してる時も今日みたいな感じですけど、二人は仲のいいお友達ですし、銀一さんもあんまり横島さんのひがみ台詞を真剣にとらないでくださいね」という、キヌがひょこっりと室内に顔を戻して残した横島へのフォローの言葉を聞くだけだった。


「GAG202便、搭乗手続きを――」
 アナウンスが空港内に流れ、マネージャーが前夜から心ここにあらずといった様子の銀一を促してゲートへと向かう。
 一夜明けても、銀一は未だに昨夜の横島との会話を何度も頭の中で繰り返し続けていたのだ。そのせいで睡眠不足気味でもある。
 台本は頭に入っているし、予定していた読み直しはやめて少し機内で眠っておこうかとぼんやり考えながら手続きを終えていく銀一だが、ポーンと高いチャイム音がゲートから鳴り、空港職員にその行く手を遮られる。
「ん? 金属製のもんは持っとらんはずやけど……」
「いえ、そちらは問題ありません。こちらの部屋に来ていただけますか」
 職員に誘導されて入った脇の部屋には、別の若い女性職員が待機していた。
 彼女は銀一を数秒じっと見つめてから訊ねる。「お守りやオカルトグッズ、呪われているといった触れ込みの品などをお持ちではありませんか?」
「ああ、そういうことやったか」
 大きなテロがコメリカ合衆国で起きてから、搭乗手続きは以前よりも厳しく煩雑なものになったというのが、飛行機をよく利用する者たちに共通の認識であったが、その一部が霊的な品物の機内への持ち込み規制の強化である。
 例えばナイフ一本が危険な凶器だというのなら、熟練の霊能力者が扱う神通棍の危険はその比ではない。それをいってしまえば、優れた霊能力者はその人自体が武器のようなものなのだが、さすがにプロの格闘家の搭乗を拒むわけにはいかないように、行われるのはリスクをなるべく減らすことだけである。さらにGS資格所有者やオカルトGメンの職員であることが証明できれば、ある程度の品物は持込が許可されることも多く、この辺りはまだ各航空会社によって多少ばらつきがあるのが現状である。
 最初にオカルト担当の空港職員――現場で除霊に臨むことを望まない、またはGS資格を取るほどの実戦的な力はなかった六道女学院の卒業者に人気の職種の一つでもある――が銀一をよく観察したのは、たまに起こる物品ではなく強い霊能力者に反応してのゲートの誤作動ではないかを簡単に確認していたのだ。
「けど、これ本物やないですよ――俺、ちょっとした俳優やってるもんで」
 本名はそれほど知られていない銀一は、そう説明してここ最近ベルトに差すのが普通で特に意識しなくなっていた小道具を渡す。それは立ち回りの練習用にと借りていた、撮影に使っている神通棍のレプリカである。見た目は本物そっくりで質感も確かだが、実際にはプラスチック製であり、当然に精霊石のような高価なものも使っていない。
 彼女が受け取ったそれを手の中で確かめているのを見ながら、「こっちにもいくつか小道具が入ってます」と銀一は手荷物のバッグも開けて差し出す。
 すべて実際のGSにいろいろ教わるチャンスがあればと撮影所から借り出してきて、昨日美神にGSの立場から解説してもらっていたものである。
 「でも、こういった実際に霊力の込められていないものなら、ゲートは反応しないはずなんですけど……」女性職員は銀一にレプリカ神通棍を返しながら不思議そうに言う。「この吸引札も贋物ですよね。あとはこの破魔札も――うわ、さすがにこの金額のは本物も手にとったことないですよ」
 そんなことを言いながらバッグの中身を机に並べていく職員だが、その中の一つを手に取るとじっくりとそれを調べ、「これが原因ですね」と満足げに笑みを浮かべた。
「これも小道具として買われましたか? だったら得をしたかもしれませんよ」
「ああ、それは違うんや。知り合いのGSが貸してくれたんを忘れとりました。手間かけてすいませんでした」
 実際には慌しく出て行ったために美神たちが回収するのを忘れたので、後で事務所まで届けようと思っていたものだが、詳しく説明することもないだろうと銀一はそう言って頭を下げる。
「いえ、仕事ですから。それにこういった簡易結界くらいでしたら、一般の方でも機内に持ち込んでいただいて大丈夫です。ただ神通棍や破魔札などの武器として使い易いものは、本物の場合、GS資格がないとまず持ち込めないので、注意しておいてくださいね」
 そうして銀一は、心配顔で待っていたマネージャーと共に無事に機内に乗り込んでいくのだった。


 飛行機が空港を発ってから数十分もした頃、銀一はうつらうつらと夢を見ていた。
 懐かしい、少しほろ苦い夢である。
 十歳ほどに戻った銀一は、小学校の屋上、そのフェンスの前に立っている。
 そして隣には彼と横島の幼馴染の少女、夏子がいる。
 銀一は明日引っ越して東京に行くことが決まっている。だから夏子との別れの前に、どうしても自分の気持ちを告げておきたかったのだ。
 横島がそう打ち明けたように、銀一もまた夏子に恋をしているのだということを。
 それは自分がいなくなってしまうから言えることだったのかもしれない。仲の良い親友三人という関係を壊してしまうかもしれない告白なのだから。もちろん、結果はどうあれ自分の気持ちを隠して抱え込んだまま終わらせたくはないという、けじめの様な部分もあった。
 それでも、できれば彼女にも自分を選んで欲しいと思うのが当然のこと。
 残念ながら、銀一のその思いは叶わなかった。
 夏子が告げたのはもう一人の幼馴染、彼の親友の名前。
 悲しかったが、子供心に理解できないこともなかった。
 いざという時は頼りになる奴だ。ぱっと見では分からないかもしれないが、横島には人を引きつける何かがある。年若い銀一にも横島のことはそんな風に感じられていたのだ。
 銀一にとってのハッピーエンドでこそないが、ラストシーンとしては悪くない。そんな俳優視点からの感想を抱きながら、銀一は目を覚ました。
「かなんな、ホンマ」
 昨夜の横島のことを思い出して銀一はため息をつく。
 美女に盾にされて吹っ飛ばされる。やっていることはお笑いのようであるが、そこにしっかりとした信頼関係が築かれているのを見て取ることは難くなかった。
 必ず自分を守ってくれるに違いないという、美神から横島への信頼。これさえ防げば、後はきちんと美神が決めてくれるという横島から美神への信頼。キヌだって、二人を信頼しているからこそ、慌てず騒がず、チームの中での自分の役割――役立たずの見学者たちのお守り――を果たしていたのだ。
「……ん?」
 ふと、ぞくりとした寒気と誰かに見られているような感触を覚えた銀一は、少し離れた後ろの席を振り返る。しかし彼のマネージャーも、先ほどまでの銀一と同じように目を閉じてぐっすりと眠り込んでいた。
 しばらく周囲を見回してみても自分を見ている様子の乗客は見つからず、肌に粘つく何かがまとわりつくようなおかしな感覚が消えないまま、銀一は何気なく窓のシェードを引き上げ、そのまま目を見開いて凍りついた。
 らんらんと真っ赤に燃えるような女性の瞳が、ひたと銀一に据えられていたのだ。
 それに魅了され、まるでその瞳の中へと生気を吸い取られていくような気がして、銀一はなんとか視線をわずかに下げ、そこで顔を赤らめる。
 女性はまったく何も身に纏うことなく、全裸でそこに立っていた。病的なほど白い肌が、赤く輝く瞳に不思議と似合っている。
 そこまで思って、ようやく銀一は彼女が“窓の外”に立っているというありえない不自然さに気がついた。
 銀一は即座に座席の脇をまさぐって呼び出しボタンを押す。
 客室乗務員がやって来たら、銀一はすぐにありのままこう言うつもりだった。「大変や! 窓の外に人がおる!」と。
 だが、実際に通路に目をやり客室乗務員が彼の元にやって来ようとしているのを見て、もう一度窓の外へと視線を戻した時、そこにはもう誰もいなかった。ただ彼の座席の横に真っ直ぐ伸びている飛行機の銀灰色の翼と、エンジンから噴き出す力強い青い炎が見えるだけ。
「どうかなさいましたか?」
 訊ねられた銀一は口ごもってしまう。
 一体、何を言うべきなのだろうか。女性が窓の外に、翼の上に立っていたけれど、消えてしまった、あるいは落ちてしまったとでも? 
「……すいません、間違えました」
 逡巡したすえに銀一は、何をどうとも言わずそれだけ相手に告げた。幸い良くあることなのか乗務員も「そうですか、何かあったら遠慮なくお申しつけください」と席から去っていく。
 銀一はふぅっとため息をついて座席に深く体を沈み込ませた。
 昨日の除霊の興奮が冷めやらずに幻覚をみたのだろうか。それとも、久しぶりに振られた時の夢を見たことで、若い男性らしく幻想の女性を夢想でもしたのか。
 そうちょっとした笑い話だと片付け、もう一度眠ろうと目を瞑った銀一の肌に、先ほどと同じ何かが絡みつくような感触が再び訪れる。
「――っ!」
 そっと目を開けてみると、やはり窓の外には最前の女性が立っていた。今度は慌てて呼び出しを押すことなく、なんとか叫び声を抑えると、銀一は努めて冷静に相手を観察していく。
 腰まで届きそうなロングヘアーは振り乱されているが、それは外で吹き荒んでいるはずの強風とは無関係の動きに思える。白く透き通るような肌は、じっと見ていると表面のところどころが波打つようにうねっているのもわかった。さらにはエンジンとは別の青白い炎が彼女の周りで揺らめいている。
「考えるまでもない、か」
 人間が飛行中の飛行機の翼に立っていられるわけがない。最初から彼女が生きた存在でないことなど分かりきっていたのだ。
「でも、こういうチェックは厳しいはずやのに、なんで……」
 銀一が一度止められたように搭乗者はきちんと検査されるし、飛行機自体もそれは同じである。
「――愛はすべてを越えるのよ」
「えっ?」
 始めてその女性霊が口を開き、その言葉が直接頭に響いた銀一はぽかんと口をあける。もちろん、全ての幽霊が昨日の悪霊のように理性がほぼ崩壊しているわけではないと知識では知っていたし、ドラマの中でそういったエピソードもあった。それでも、この相手が自分の零した疑問に答えるかのように応答するとは思っていなかったのである。
「愛、ですか?」
「そうよ、近畿クン。私たちの愛の前にはどんな障害も問題にはならないの。
 ――うふふ、近畿クンには秘密を教えてあげるわね。離陸したばかりの飛行機なら、前に回りこめないこともないのよ。このくらいのスピードで飛ばれると、もう追いつけないけどね」
 彼女は自分がどうやってここにいるのかをそう教えてくれたが、銀一にはそれよりもはるかに気がかりなことがあった。女性霊が彼を近畿剛一と理解していることと、私たちの愛という言葉である。
 そんな銀一の思いを知ってか知らずか、彼女は話を続ける。
「これって素敵なシチュエーションだと思わない? そう、まるで私たちのプラトニックな愛を象徴するかのような。
 ――純愛ものの王道、愛し合っているのに触れ合うことのできない二人」
 先ほどまではその瞳以外にあまり感情を見せなかった彼女だが、今ではうっとりとした表情で銀一に話しかけながら、窓ガラスに手のひらを這わせている。
「思えば私たちは、ずっとガラス越しの逢瀬を続けてきたのよね。近畿クンは長いことテレビから私に笑いかけることしかできなかった。さっきまでの私も、近畿クンの寝顔をそっとみつめるだけだった」
 悲しそうにそう言って窓ガラスに顔を寄せてくる女性霊の顔を見ながら、銀一はなぜ相手がそこに留まっているのかと考える。
 ……霊波検出装置みたいなもんがあるんかな? 
 彼が搭乗前に止められたように、機内にも安全のためにそういったものがあり、霊的な存在が機内に入ってくればそれとわかるようになっているのではないかと銀一は思い当たる。
「私たちの間には常にガラスの障壁があった。でも、もう大丈夫。私たちは――
 ――ねえ、近畿クン。これってドラマならクライマックス・シーンよね。その……ガラス越しのキスとかした方がいいのかな?」
 女性霊は照れたように笑ってこちらを恥ずかし気に窺っていたが、銀一の方はそれどころではなかった。
 間違いない、こいつはストーカーや! それも幽霊になってたがが外れたんか、俺と恋人同士やと心から信じ込んどる。ファンはありがたいもんやけど、お前かてこんなモテ方はしたないやろ! 
 銀一は思わず心の中で横島に毒づいていた。これが昨日ならば彼らに頼れたのにという悔しい思いもある。だが事実として、今この場にGSはいない。
「なあ、これからどないする気ーなんや?」
 銀一は声が震えないように必死に勇気を振り絞って女性霊に訊ねる。
 女性霊はちょっと残念そうに「キスはなしかぁ」とつぶやいたが、すぐに「やっぱりちょっとくさいシーンだし恥ずかしいもんね」と頭を振って明るく銀一に笑い返す。
「そうそう、これからの私たちのことよね。もちろん、ついに二人は結ばれるのよ。
 あ、だけど物語でも、ハッピーエンドの後の“二人はいつまでも幸せに暮らしました”の部分は大体省略されちゃうから、ラストシーンにするなら、地面と衝突して爆発炎上してるこの飛行機から、私と近畿クンが手を取り合って歩き去っていくところ辺りがいいと思うな」
 無邪気にそう笑って演出の話をしてくる彼女だが、銀一はもう耐え切れずに再度呼び出しボタンを押していた。
 今度こそはと銀一は相手から目を離さずにいたが、それでも女性霊は一瞬顔をしかめると、先ほどと同じ乗務員がやってくる前に翼の中に潜り込むように姿を隠してしまう。
 「今、翼の上に悪霊がいて、この機を落とそうとしとるんや!」銀一はそう叫んで機内中にこの緊急事態を知らせたかった。なんとか誰かにこの事態に対処して欲しかった。
 だが航空会社は万全と考えるチェックを事前にしているわけだし、彼女が明かした方法を説明しても、今はその幽霊自体の姿が見えない以上、信じてもらえるかは疑問だとも銀一は考えてしまう。
 仮に銀一の方がおかしな言動の客だと思われて拘束でもされてしまえば、この機が危険にさらされているという事実を把握している者がいなくなってしまうのだ。
「お客様?」
 結局、銀一は欲しくもない毛布を頼んだだけで、機外の存在についてはなにも話せない。そして乗務員が仕事を終えると、再び彼女は窓の外に現れた。
「まったく無粋ね。恋人たちの邪魔をするなんて。
 ……でも、そろそろ始めた方がいいかしら」
 女性霊はそう言うと、銀一に名残惜しそうな顔を向けつつ翼の中央の方へ歩いて行き、エンジン付近で再び翼の中に沈むように姿を消してしまった。
 最初はどこかへ行ってしまったのかと淡い期待を抱いた銀一だが、じっと翼を注視しているうちにエンジンからの炎の噴出が不規則になり出すのがわかった。どうやら翼の内部から機構が破壊され始めているらしい。
「ああ、くそっ!」
 今なら悪霊の話が信じてもらえるだろうか? それともエンジントラブルらしきものをみてパニックを起こした乗客のたわ言と捉えられるか? 
 本当かどうか知らないが、銀一は飛行機のエンジンは一つが故障しても大丈夫だといった話を聞いたことがあった。
 それでも一つ壊しても何も起こらなければ、女性霊は別のエンジンも壊していくだけだろう。
 ならば、間に合ううちに行動しなければ。
 銀一は覚悟を決めてきつく目を瞑ると、昨日の美神の勇姿を脳裏にくっきりと思い浮かべて、そこに自分のイメージを重ね合わせていく。
「――やったるわ」
 強い意志を宿らせた目を開くと、銀一はわずかな時間でおおまかなストーリーを組み上げて準備をし、レプリカ神通棍を片手に飛行機の扉へ向かった。
「お客様!」
 血相を変えた彼の様子に慌てて近づいてきた先とは別の乗務員に、ポケットから取り出した偽のGS免許をちらりと見せ――じっくりと調べられてGS協会に問い合わせられればすぐにニセモノとばれてしまうし、名前からテレビドラマの踊るゴーストスイーパーとの関連に気づかれても困る――レプリカ神通棍を見せつけるように油断なく構えながら、銀一は確信に満ちた口調で告げる。
「俺はGSや。翼に悪霊がおって、このままやとこの機がまずいことになる。対処するからドアを開けてくれ」
 揺るぎない態度の銀一に、少し躊躇しただけで相手は操縦席に確認――エンジンの原因不明の不調が起きている――を取ると、機内にシートベルト着用の緊急アナウンスをして扉を開放してくれた。本物のGSには、緊急時に霊障に対処するための様々な自由や特権があるのだ。
 銀一はレプリカ神通棍を腰のベルトに戻すと、相手の姿は見えないながら、大声で「そっちに行くでー!」と叫び、ためらわずに扉から数メートル離れた翼の付け根の辺り目掛けてジャンプした。
 いくら体を鍛えていてスタントの経験があるとはいえ、実際に上手く飛び移れるなどと甘いことを考えたわけではない。
「――近畿クン!」
 こうして、ひどく歪んだものではあるが銀一への愛情でいっぱいの女性霊が彼を受け止めてくれることを期待したのだ。それが果たせれば、結果的にエンジンの破壊活動から彼女を一旦引き離すことにもなるわけである。
 女性霊に支えられ、なんとか翼の上に自分の足で立てているという感触を得た銀一は、今度は腰のレプリカ神通棍に手をやる。
 相手もそれに気づいて手を伸ばしてきたが、銀一は腕をつかまれる前に、ベルトから引き抜いたそれを勢いのまま真横に放り捨てていた。
 一見、手を滑らせての失態にも見える行動に、女性霊も手を止めてくるくると飛行機から落ち離れていくそれを眺めている。
 チャンスは一瞬。銀一は懐に入れていた簡易結界をさっと取り出し、伸ばされたままの女性霊の手から通すように相手の身体にそれを引っ掛け絡みつかせる。
 どうして?というかのような女性霊の引きつった表情にわずかに罪悪感を覚えるが、必死にそれを押さえ込み、銀一は思い切り簡易結界越しに相手に自分の体をぶつけていった。
 結界が反発力を生み、二人の体はそれぞれによろめいて翼の両縁へ向かう。
 結界に阻まれてその外側に霊的干渉ができない女性霊は、そのまま遥か下へと悲しそうな叫び声を上げながら落ちていき、銀一も体勢を立て直せそうにないと悟ると、一か八かと翼を強く蹴って跳び、開いたままの離れた扉目掛けて必死に手を伸ばす。
 しかし、いかにGSに成り切っていた銀一でも、実際の霊力による強化もなしでは扉までは後一歩で届かない。
「くっ――」
「つかまって!」
 ギリギリのところでその銀一の腕を必死につかんだのは、乗務員に支えられながら上半身を外に乗り出した彼のマネージャーだった。そして全員が落ちてしまうのではという数瞬の苦闘の末、なんとか銀一は再び機内へと引き入れられる。
「ちょっといいとこ持ってかれた気もするけど、助かったわ。ほんまに」
 ようやく緊張が解けるとともに全身の震えに襲われながら、銀一が軽口交じりにマネージャーに感謝する。
 そして大きな満足感と共に少しの申し訳なさを込めて言った。「せやけど、これから大問題になりそうやな」
 機内アナウンスで目を覚まし、銀一の行動に肝を冷やしていたマネージャーも、ともかく彼が無事だったことに安堵したのか、「いいですよ。今度の映画のまたとない宣伝になりますから」と軽口を返す。
 「それは、どっちかといえばインディーの手法やろ」などと突っ込みながら、お互いにまだ体を震わせつつ彼らは笑い合う。
 そしてなんとか立ち上がった銀一は、避けて通れない気の重くなる記者会見のことなどは一旦無理やりに頭の脇へどけ、幼馴染のことへと思いを馳せる。
 次に会った時は、自分も今度こそ屈託なく夏子に振られた話をしてやれるだろう。そして二人で過去の自分たちを笑い飛ばせる。
 ほんのわずかながら、長いこと気づかずに心の中で引きずっていた何かが、今ようやく吹っ切れたのだから。
 銀一はそんな気がした。


 もうとっくに22巻が出てしまいましたが、絶チル21巻「謎の転校生 2」の兵部と不二子のやり取りをみて、同じ頃読んでいたマシスンの短編にも似たシチュエーションだななどと思いつつ、GSならどんな感じになるかと書いてみた話です。
 原作の台詞は「悪霊退治はGSの花道〜」でしたが、少し変えさせていただきました。

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