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A birthday

 培養液越しに光る天井の人工灯。
 それがこの世で彼女が見た最初の光景だった。
 瞼を開いた瞬間に感じた眩さは、即座に眼球内の光彩により調整される。
 彼女はその事で己の体が既に完成していることを理解する。
 無味乾燥な光が照らす室内に視線を奔らせようとするが、子宮代わりの培養槽がそれを遮っていた。
 彼女は額の触覚に意識を集中し「開け」と念じる。
 安寧を保証する培養槽内の環境に未練はなかった。
 強化アクリル製の蓋が音もなく開くと、彼女はしなやかな指先を縁にかけ上体を起こす。
 微かな水音を立てながらスレンダーな上半身が培養液を抜け出した。

 「・・・・・・・・・これが私」

 目の前に掲げた手を物珍しそうに2、3度握りしめる。
 外気に触れるのは初めてではあったが、初めての呼吸に戸惑うことは無かった。
 水中から陸上へ活動の場を移すのは、自分の遺伝子に含まれるごく普通の生態とも言える。
 生まれたばかりではあったが、彼女は既に己が何者であるか理解していた。
 自分の名はルシオラ。
 蛍を素材に生み出された魔族。
 造物主であるアシュタロス様に従うべき存在。
 創造過程において刷り込まれた知識と使命が一瞬で脳裏を駆け巡り、次にとるべき行動を彼女に指し示す。
 培養槽から抜け出し、装備を固め、司令室に顔を出し、そこで与えられる指令を忠実にこなしていく。
 ルシオラはそのことに別段なんの疑問も持ち合わせていない。
 生まれ持った知識と能力は、全て与えられる任務のために付与されたものだった。
 しかし、培養槽から抜け出そうとした彼女は見てしまう。
 同じ室内に安置されたもう2台の培養槽を。

 「まさか、あれは・・・・・・」

 彼女は何かに突き動かされるように、一糸纏わぬ体で培養槽から抜け出した。
 慣れない重力に多少ふらつきながらも、右隣の培養槽に一歩一歩近づいていく。
 そこにいるであろう存在は、事前に刷り込まれている知識には存在しない。
 だが、ルシオラは己と同じ存在を培養槽の中に感じ取っていた。

 「やっぱり・・・この子は私の・・・・・・」

 手前の培養槽に入っていたのは年端もいかない少女だった。
 ルシオラには少女の名も、素材となった昆虫の種類もわからない。
 しかし、彼女は直感的に目の前の少女が何者であるか理解していた。

 「私の妹・・・・・・」

 自分は独りではないという事実が胸をしめつける。
 それはあらかじめ造られた感情などでは無い。
 ルシオラは己の中に生じた心を感じようと、その胸に手を当てる。
 微かな鼓動と共に、彼女は確かに自分の心を感じ取っていた。

 「それじゃ、あっちにも私の妹が・・・・・・ッ!!」

 はやる心を抑えきれず、反対側の培養槽に向かったルシオラの足が止まった。
 培養槽の中にいたのは、明らかに肉食昆虫を素材としている精悍な印象を受ける女だった。
 彼女を見つめるルシオラの表情が強張る。
 数秒間食い入るように培養槽の中を覗き込んでから、ルシオラは己の心の在りかへと視線を落とした。

 「ずるい・・・・・・」

 そう呟いたルシオラが再び培養槽へと視線を移した時、培養槽の中で目覚めたもう一人の妹と目があった。


 




 ――― A birthday ―――






 「ヒッ!」

 ルシオラの上げた驚きの声は、目覚めたばかりの妹の耳には入らなかった。
 培養槽の中で目覚めたもう一人の妹は、驚きに目を見開きながら必死に培養槽の蓋を押し開けようとする。
 大きく口を開け苦悶の表情を浮かべるその姿に、ルシオラはようやく彼女が培養液の中で溺れかかっていることを理解した。

 「&%$#”!!!!」

 「え! あ、ちょ、落ち着いて!!」

 培養槽の中でジタバタと藻掻く妹を助けようと、ルシオラはすぐさま培養槽の開閉スイッチに手を伸ばした。
 ロックが解除され、生じた隙間から培養液の飛沫が床に飛び散る。
 ルシオラは急いで強化樹脂の蓋を開けると、無我夢中で暴れる妹を培養液の中から引き出してやった。

 「慌てないで。ゆっくり、息を吸って・・・・・・ホラ、もう大丈夫」

 「ゴフッ! すま・・・ない・・・・・・助・・・かった」

 呼吸困難の緊張から解放されたせいか、培養槽から抜け出した女は力なく床にへたり込んだ。
 そのグッタリとした仕草と、最初に見たときに受けた精悍な印象とのギャップがおかしく、ルシオラはつい口元を緩めてしまう。
 ルシオラは呼吸が落ち着くのを待ってから彼女に話しかけた。

 「落ち着いたかしら? 私はルシオラ。あなたは?」

 「ベスパ・・・・・・」

 バツの悪そうな表情を浮かべた彼女に、ルシオラはニッコリと笑いかけていた。
 どうやら目の前の女は、見た目ほど攻撃的ではないらしい。
 ルシオラは自分の姉妹であろう彼女をすっかり気に入っていた。

 「ベスパというからにはベースは蜂よね・・・・・・ひょっとして水は苦手?」

 「確かに水中生活はしないけどね。溺れかけたのは別の理由だよ・・・・・・」

 「別の理由?」

 「ああ・・・・・・覚醒して目を開いたとき、なんか凄まじい目で睨み付けられたような気がしてね。ルシオラ、ありゃアンタ・・・・・・」

 「さ、さーて、いつまでも裸じゃいられないしね。服をさがしましょ!!」

 妹に感じたコンプレックスを知られる訳にはいかなかった。
 誤魔化すようにベスパに背を向けると、ルシオラはそそくさと壁際に備え付けられたロッカーに歩み寄る。
 既に刷り込まれている知識によって、彼女たちはその中に自分たちの服が準備されていることを知っていた。

 「うわ、何かしらこの古本屋の店員みたいな服・・・・・・でも、裸よりマシだからいいわよね! はい!」 

 ルシオラは話の流れを変えようと、手にとった衣装を背後のベスパに放り投げる。
 不意をつかれたベスパは、ハンガーにかかったままのソレを顔面で受け止めていた。

 「うぷっ! いきなり何すんだい!! 第一、あたしゃまだ体が濡れてるんだよ! 女どうしなんだし、そんなに急がなくてもいいじゃんかよ・・・・・・」

 「文句言わないの! タオルもあるわよ。いい?」

 「いや、良くない・・・・・・」

 ちゃんと人数分用意されていたバスタオルを手にし、背後のベスパに放り投げようとしたルシオラはその返事に動きを止めていた。
 チラリと振り返ると、ベスパはルシオラが適当に渡した衣装に奇妙な視線を向けている。
 肩口が大きく広がったボディスーツに、ガーターで止めるストッキングのみの下半身。 
 スカートを何処かに忘れてきたような、下半身の露出が激しいデザインだった。
 ヤレヤレとばかりに首を横に振ったベスパは、遠慮がちな視線をルシオラへと向ける。

 「コレ、あたしには合わないと思うぜ・・・・・・」

 「なあに? デザインのえり好み?」

 ルシオラは呆れたように笑うと、渋るベスパにバスタオルを投げ渡す。
 その笑顔は、我が儘な妹を諭す姉のそれだった。

 「任務に着る服だから機能重視でいいじゃない! 自分の趣味に合う服は、町に出たときにでも買えばいいんだし・・・・・・」

 「いや・・・・・・合わないというのは、サイズ的な問題でね」

 「!」

 胸を張りそう応えたベスパに、ルシオラはロッカーからもう一着の衣装を取り出す。 
 手にとったノースリーブのツナギはどう見てもサイズ違い。
 ロッカーに残された服は黄色い子供服。
 目の前に掲げたツナギのカップ数に、ルシオラの口元がヒクヒクと強張った。  









 「うん。やっぱり、こっちの方があたし用みたいだね」

 「はは・・・・・・そ、そうみたいね」

 数分後
 ルシオラと衣装を交換したベスパは、己の体にフィットしたソレに満足そうな表情を浮かべる。
 残念なことに、そんな彼女に相づちを打ったルシオラも、まるでオーダーメイドのようなフィット感を味わっていた。
 露出の多い下半身を気にしてか、ルシオラは何度も鏡の前で己の姿を確認する。
 ベスパはそんなルシオラに口元を緩めると、外へとつながるドアへ視線を移した。

 「んじゃ、行きますか!」

 「え?」

 ドアの方へと歩き出したベスパに、ルシオラは驚いたような表情を浮かべた。
 意外な反応に、ベスパも怪訝な顔をする。

 「・・・・・・アンタも命じられてるんだろ? 培養槽を出て装備を固めたら、すぐにオペレーションルームを目指せってさ」

 「それは、そうだけど・・・・・・」

 「社会性昆虫の性分かね。組織の命令に反するってのは、なんかこう・・・・・・気分が悪い。アンタも感じないかい? 早く行けって急かす何かをさ」

 「感じてるわよ。あなた程じゃ無いかもしれないけれど・・・・・・でもね。もう少しここにいましょう」

 ルシオラは先を急ごうとするベスパをなだめるように呟くと、ドアとは反対側へと視線を移す。
 彼女の視線を追ったベスパは、その時初めて室内に培養槽がもう一つあることに気がついた。

 「この子が目覚めたとき、独りぼっちだったら可哀想じゃない」

 「・・・・・・この子?」

 「気付いているでしょう? 私とアナタは・・・・・・」

 「ああ、アンタには不思議な縁を感じている。これが姉妹の絆ってヤツなのか?」

 「多分ね・・・・・・。素材は違うけど、私たちはきっと同じ存在から生み出されている。この子を入れると三姉妹ってことなのかしら?」

 「三姉妹・・・・・・」

 「悪い気はしないでしょ? 私、最初にこの子に気付いたとき嬉しかったもの。自分に妹がいる。自分は独りじゃないって」
   
 「妹ねぇ・・・・・・」

 「尤も、次に見たアナタは妹とは思えない程、育っちゃってたけどね」

 冗談めかしたルシオラの物言いにベスパはクククと笑った。
 正直むず痒い気分だったが、不思議と悪い気はしない。
 そしてルシオラの後を追うように残りの培養槽を覗き込んだとき、ベスパは生まれ落ちたばかりの姉が感じた思いを理解した。

 「ね? この子が目覚めるまで待っていようって気になるでしょう?」

 「あ、ああ・・・・・・」

 ルシオラの言葉にベスパは肯くことしか出来ない。
 胸の奥に絶えず響いていた、「命令に従え」という刷り込みも気にならなくなっていた。
 ベスパとルシオラは目の前の妹のような少女時代を経ずに生まれている。
 追憶すべき時代を持たない欠損を、妹の存在が埋めているとでもいうように2人は黙って培養槽の中を見つめている。
 無垢な寝顔で培養液に浮かぶ妹は、彼女たちが失った成長という可能性を秘めていた。
 
 「あ、今、瞼が動かなかったか?」

 培養槽の中で起こった変化に、最初に気付いたのはベスパだった。
 
 「そろそろ目覚めるみたいね・・・・・・今度は触覚が動いた」

 「あたしの時と同じか?」  
 
 「分からない。アナタは私が気付くのとほぼ同時に覚醒してたし・・・・・・でも、なんで?」

 「いや、同じなら予め蓋を開けてやろうかと思ってね。溺れないように」

 「必要ないでしょ。そんな器用な真似するの、多分アナタくらいよ」

 「悪かったね! 大体あたしが溺れかけたのは・・・・・・」

 「待って! 目が開いたわ!!」

 自分の目覚めを茶化した抗議をしようと、培養槽から視線を外したベスパは、歓喜に染まるルシオラの横顔を目撃する。
 慌てて培養槽に向き直ったベスパが妹と視線を合わせた瞬間、培養液内の妹は驚きに目を見開き、思いっきり息を吸い込む仕草をした。

 「&%$#”!!!!」

 「え!? あ、ちょ! フタっ! フタを早く」

 「あーっ! ナニ驚かせてるのよアナタはッ!!」

 「あたしゃ知らないよ! やっぱ、この培養槽が欠陥品なんだって!!」

 ジタバタと藻掻きはじめた妹に、ルシオラとベスパは大慌てで救助に移る。
 ルシオラが培養槽のロックを外すと、ベスパは急いで妹の体を培養液の中から引き上げた。

 「お、落ち着け。もう大丈夫だ!」

 「そう。もう慌てないでいいの・・・・・・ゆっくり、息を吸って・・・・・・」

 ルシオラにさすられ、目の前の小さな背中は徐々に呼吸を整えていく。
 その様子に安堵のため息をつきながら、ベスパは彼女の顔についた水をバスタオルで拭ってやった。

 「災難だったな・・・・・・ルシオラ。やっぱりこの培養槽、不良品じゃないのか?」 

 ベスパ恨みがましい目で、自分と妹を溺れさせた培養槽をジト見する。
 しかし、そんな彼女の耳に届いたのは、ようやく言葉を発した妹の一言だった。

 「ゴフッ・・・・・・うう。喰われるかと・・・・・・思ったでちゅ」

 「喰われる? 何で?」

 「パピリオだって知らないでちゅ。培養槽の中で目を開いたら、急に・・・・・・」

 「失礼な。あたしゃ、そんな怖い顔はしてないよ!」

 「待って、ベスパ。パピリオ・・・・・・それがあなたの名前なのね」

 「そうでちゅ・・・・・・」

 「パピリオ・・・・・・・・・・・・蝶なのかお前」

 ベスパはパピリオという名から、目の前の妹が蝶を素材に造られたことを理解した。
 蝶の幼虫が自然界で蜂に補食されていることが、幼いパピリオに多少の影響を与えてるのだろう。
 長きに渡る食物連鎖によって造られた、蜂への回避本能が妹には存在する。
 一瞬の沈黙の後、ベスパはそれがどうしたとばかりに笑顔を浮かべると、濡れたままのパピリオの髪をバスタオルで優しく拭いてやるのだった。

 「妹を喰うわけないだろ・・・・・・あたしはベスパ。これからよろしくな。パピリオ」

 「妹?」

 髪を拭くベスパの手から伝わって来たのは紛れもない愛情だった。
 パピリオはその動きに身をまかせ、静かに姉たちの言葉に耳を傾ける。

 「そうよ。感じるでしょ? 私たちは同じ存在から生み出された姉妹だって・・・・・・私はルシオラ。仲良くしましょうね」

 「ホラ。もういいだろう! どうだい、まだアタシが怖いかい?」

 髪の水気を十分に拭き取ったバスタオルがさっとどけられる。
 急に開けた視界の先には、ニッコリと微笑むベスパとルシオラの姿があった。
 目覚めた瞬間に感じた恐怖はもうない。
 素材となった昆虫の本能よりも、姉妹に対する絆の方が遙かに強く彼女の胸を占めていた。

 「ううん。ぜんぜん怖くないでちゅ」

 パピリオは笑顔を浮かべながら交互に姉たちの姿を眺める。
 そして、2人の姉にこう話しかけるのだった。

 「それじゃ、ベスパちゃんが大っきいお姉ちゃんで、ルシオラちゃんが小っちゃいお姉ちゃんでちゅね」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・」
 
 「・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・プッ!」

 初の姉妹喧嘩の切っ掛けとなったパピリオには、ルシオラの額に浮かんでいた青筋の訳も、ベスパが吹き出した訳もわからない。
 しかし、培養室を半壊させる規模の姉妹喧嘩は、不思議と楽しいものだった。 









 「・・・・・・で、覚醒後すぐに集合という命令に従わず、わざわざ他の姉妹の目覚めを待った上で喧嘩をしていたと?」

 オペレーションルーム
 予定時間に遙かに遅れ姿を現した三姉妹に、土偶羅は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
 主であるアシュタロスに命じられるまま調整したものの、果たしてオーダー通りに出来上がったのか?
 悪びれた様子をまったくみせようとしないその姿からは、これから彼女たちに与えられるであろう大役に不安を感じざるを得なかった。

 「お前たちは、自分の使命を理解しているのか?」

 調整のミスを心配した彼は、目配せをし、クスクス笑いあっている彼女たちにアシュタロス直属としての自覚を訪ねる。
 そんな中間管理職の問いに応えたのは、若い娘特有の自信に満ちた笑顔だった。

 「もちろんでちゅ!」

 「現在作成中の大型兵鬼が完成した暁には、アシュ様に代わって結晶の探索に赴く・・・・・・ですよね」
 
 「ま、それも、これから月に左遷されるメドーサってヤツが失敗しなけりゃ、必要もなくなるみたいだけどね」

 「お、お前たち、どうしてそれを・・・?」 

 目覚めたばかりの3名に、自分が説明するはずの作戦を口にされた土偶羅は驚きを隠せない。
 そんな上司の狼狽にクスリと笑うと、ルシオラは先程まで後ろ手に隠していたバイザーを額につける。
 技官用に開発された情報端末の機能も持ち合わせた外部記憶装置。
 姉妹喧嘩で破壊した壁の向こうにそれを見つけたのは本当に偶然だった。

 「遅刻のロスを埋めるため、ここに来るまでの間に少し・・・・・・」

 「!」

 本来ならこれから支給する筈のソレを目撃し、土偶羅は慌てて基地のデータベースへとアクセスする。
 アクセスログを確認すると、案の定、新規に設定したばかりの幹部権限でアクセスされていた。
 取り急ぎ見られては不味いファイルのプロテクトを強化しパスワードを更新する。
 幸い極秘扱いのファイルにアクセスされた痕跡はない。
 それでも彼女たちに次の質問をするのにはかなりの精神力を必要とした。

 「・・・・・・どこまで知っている?」

 「人間から月に関するデータを盗み出し、別行動中のメドーサとベルセバブに渡す・・・・・・私たちの初任務ですよね?」

 「衛星軌道上に放置された月探査船の操作と、ヒドラのエネルギー転送に必要な座標データだっけ? 正直、人間相手というのが拍子抜けだけどね・・・・・・」

 「でも、ちゃんとやってあげないと、蛇おばちゃんと蠅おじちゃんが帰ってこれまちぇんからね」

 「・・・・・・それだけか?」

 「いえ、それだけでは・・・・・・」

 ルシオラは勿体つけた仕草で指先を一つ鳴らした。
 その音が合図となり、オペレーションルームに多数のハニワ兵が雪崩れ込む。
 彼らが運び込んだ機材を目にした土偶羅は、ルシオラが今回の作戦に必要な準備を全て終了させていることを理解する。
 月探査船の操作に必要なパーツと、月のエネルギーを地球に転送するための照準装置。
 どちらも最新のデータを入力した後、月探査船と兵鬼ヒドラに取り付けるところまで組み上げられている。
 それを行うのに必要な知識と技能を、ルシオラは培養槽の中で与えられていた。

 「成る程。全ては遅刻のロスを取り戻すという訳か・・・・・・」

 「へへへ、ルシオラちゃん凄かったでちゅよ! 理系女子ってヤツでちゅね!!」

 「そんな・・・あらかた出来上がっていたものを仕上げただけよ。それに、2人にも手伝って貰ったじゃない! だから土偶羅様・・・」

 「遅刻を帳消しにしろと? アシュ様にも報告せずに・・・・・・」

 「ええ、妹の目覚めを待ったことは、任務遂行の効率から考えても意義があります。私独りではとてもここまでは出来なかった」

 ルシオラの物言いに長女としての自覚を感じ取り、土偶羅は微かな違和感を感じていた。
 彼は彼女たちを調整する際、姉妹の感情などは組み込んでいない。
 使い魔の作成と機材作成に長けたルシオラ。
 眷属を含み直接戦闘能力に長けたベスパ。
 そして、眷属による幻覚催眠攻撃に長けたパピリオ。
 主であるアシュタロスが彼女たち3人を同時に造れと命じたのは、単に作戦の幅を考えてのことだと土偶羅は考えていた。 

 「時間をロスしたのは、姉妹喧嘩のせいだと思うがな?」

 「それは・・・・・・」

 「まあ、よい。お前たちはそれなりに力を示した・・・・・・アシュ様は有能な者には寛大だ。メドーサたちのように失敗を重ねない限り、遅刻くらいでお叱りを受けることはない」

 土偶羅には悪びれる様子がなかった3人も、アシュタロスからの評価は気になっていたのか安堵の表情を浮かべる。
 特にベスパは舞い上がっていると言って良い程の喜び様だった。

 「流石アシュ様! この先、間違ってもアシュ様の期待を裏切るようなヘマはしないよ。なあ、ルシオラ、パピリオ!」

 「そうね。頑張りましょう」

 「私たちが協力すれば無敵でちゅよ!」

 「うむ。では早速任務にとりかかるのだな。既にメドーサはパレンケ遺跡に、ベルゼバブは衛星軌道上の月探査船を補足し作戦の開始を待っている」

 「え! アシュ様のお目見えは? まさか、アシュ様にお目にかからないまま出かけなきゃならないのかい!?」

 「部下の失策続きでアシュ様は忙しいのだ・・・・・・」

 「それでも一目ぐらい・・・・・・」

 「ええい、うるさいっ! 無事に任務を完了させたらいくらでも会わせてやるから、早く任務にとりかからんかっ!!」

 諦めの悪いベスパを一括した土偶羅は、慌てて走り去る3人を見送りつつ深いため息をつく。
 そして背後に飾られたアシュタロスのレリーフを見上げ、ぽつりと呟くのだった。

 「アシュ様・・・・・・これで良かったのでしょうか? あなたは私に優秀な道具を作れと命じました。しかし私の目にはあの3人は・・・・・・」

 







 




 テキサス州上空
 培養槽を抜け出し、活動を開始してからおよそ20時間後。
 三姉妹はヒューストン市にある宇宙センターから、メドーサがいるメキシコを目指し飛行を続けていた。
 標的だった月のデータは、パピリオの眷属による洗脳で呆気ないほど簡単に入手できている。
 その際使役した眷属を解散させたパピリオは、再び傾きはじめた太陽に基地を出たときのことを思い出していた。

 「不思議でちゅね・・・・・・」

 「何が?」

 パピリオの呟きにルシオラが応える。
 入手したデータを月探査船のパーツにうち込みながらの会話は、どこか上の空に聞こえた。
 人間の手による月探査船を動かす以上、魔族側の技術と人間の技術をすり合わせなくてはならない。
 彼女は目的地までのナビをベスパに任せ、飛行中にその作業を終わらせようとしていた。

 「何がじゃないでちゅよ! ホラ、またお日様の色が変わろうとしている。昨日、基地を出たときの色にだんだん近づいていくでちゅ」

 「昨日も言ったでしょ。それは単に可視光の波長の違いによって生じてる現象だって。朝と夕方、陽の光が大気の層を長い距離・・・・・・」

 「あーもう! ルシオラちゃんにはロマンの欠片すらないでちゅっ!」

 「ナニ怒ってるのよ。私はアナタが不思議だって言うから説明を・・・・・・」

 「ルシオラちゃんは本当に年頃の女の子でちゅか!? そんな頭でっかちの説明はいらないでちゅ! 全く、色気がないんだから・・・・・・」

 「アナタに色気云々を言われたくないわよ! まるっきりお子様のクセに!!」

 「ふんだ! 今は子供でもパピリオには未来があるでちゅ。5年後には確実にルシオラちゃん、10年後にはベスパちゃんを追い抜きまちゅ!!」

 「え? 私、5年後に抜かれるの確定? って言うかどこの話!? コラ、パピリオ待ちなさいっ!!」

 ケラケラと笑い声を上げながらパピリオは飛行速度を上げる。
 追いかけてくるルシオラから逃れようとした彼女が向かった先は、先程から先行しているベスパの所だった。
 
 「きゃー。ベスパちゃん助けてーっ! ルシオラちゃんがいじめるーっ!!」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「あれ? ベスパちゃんノリが悪いでちゅね」

 昨日と同じようなじゃれ合いを期待していたパピリオは、黙ったままのベスパに首を傾げる。
 思えばパピリオの眷属が宇宙センターの研究員を操っている間、ベスパはずっと不満そうな表情だった。
 恐る恐る除き込もうとしたパピリオから顔を背けるベスパ。
 パピリオに追い着いたルシオラは、そんなベスパの態度に軽く溜息をつく。
 
 「なに? まだ納得できないの? アナタの眷属に宇宙センターを襲わせなかったこと」

 「いや、そのことはもういい。ルシオラの言うとおり、神族や魔界の正規軍に知られずに事を進めるにはあの方法がベストだった。ただね・・・・・・」

 「ただ?」

 「私だけ未だ何の役にも立っていないことが情けなくってね。アシュ様の直属として、恥ずかしくない働きをしなけりゃならないのに」

 己の力を遺憾なく発揮しているルシオラやパピリオと比べ、直接戦闘に特化したベスパは未だ活躍の場を与えられていなかった。
 アシュタロス直属という立場に強い誇りを持っている彼女にとって、どうやらそれは受け入れがたい状況らしい。
 そんなベスパの悩みに気付いたルシオラは、その悩みがまるで大したことではないとでもいうようにクスリと笑う。
 
 「気にすることないわよ。今回はたまたまベスパ向きの任務じゃなかっただけじゃない」

 「あたし向きの?」

 「直接の戦闘になったら頼りにしてるわ。今回も私たちの動きが神族側に漏れていた場合、あなたと眷属無しでは切り抜けられないでしょうしね」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「そうでちゅよ。ベスパちゃんは私たちの中で一番パワーがあるんでちゅし」

 「わっ! 急に抱きつくなよパピリオ!!」

 「いいじゃないでちゅか、一番力持ちなんだし! あー楽ちんでちゅ」

 多分、それがパピリオなりの励まし方なのだろう。
 ベスパに抱きついたパピリオは、体重を全てベスパに委ね自力での飛行を止めてしまう。
 じゃれ合う2人の姿を見たルシオラは、自分たちが姉妹であることを改めて実感していた。  

 「ベスパ。私ね、アシュ様が私たちを姉妹として造った意味がわかった気がする」

 「・・・・・・・・・・・・」

 「私たちは3人で一つなのよ」

 「3人で一つ?」

 「そう。それぞれが得意な分野で助け合う・・・・・・これから先、神族と魔族正規軍を相手に戦うことになるけど、私たちならきっと大丈夫。そう思わない?」

 そう語りかけたルシオラに、ベスパとパピリオは顔を見合わせてから同時に答えた。

 「思うでちゅ! 私たちは最強でちゅ!!」

 「そうだよな! あたしゃ、かけひきとか得意じゃないし、タイマンの方が性にあってるしな!! よし、決めた!」

 ベスパはパピリオを引き離すと、両手を大きく広げ2人の姉妹へ向き直る。
 2人と距離を置いたのは、これから口にする台詞が多少照れくさいからだった。

 「これから先、私たち姉妹に喧嘩をふっかけてくるヤツがいたら、あたしが真っ先に斬り込んでぶん殴ってやるよ! それが私の役割だ!」

 傾きかけた陽の光に溶け込み、ルシオラとパピリオからはベスパの表情は見えない。
 ベスパは己の表情を姉妹に見せたくないとでもいうように、そのまま方向を転ずるとメキシコに向かい全速力で飛び去るのだった。
  










 メキシコ
 パレンケ遺跡
 7世紀初頭に栄えたマヤ文明の遺跡であり、翡翠の仮面と謎のレリーフが出土したことで一部の好事家の間では有名な遺跡である。
 複雑な機構に組み込まれ、あたかも天空を目指しているような男の姿が刻まれたレリーフ。
 ピラミッドから窺える高度な天体観測技術とそのレリーフから、マヤ文明が宇宙人とコンタクトしていたと囁く者も少なくない。
 尤もそのレリーフは、研究の進んだ現在ではマヤの宗教観を現しているに過ぎないと結論づけられている。
 しかしそれは、あくまでもパレンケ遺跡の南方5kmに、未だ発見されていない遺跡が存在することを知らない状態で導き出した結論に過ぎない。
 そして、その遺跡こそが真のパレンケ遺跡であることを知るマヤの神官は滅んで久しかった。

 「ここだね・・・・・・通行書が反応している」

 手に持ったカードに視線を落としたベスパは、長距離の飛行を終わらせ足下に広がるジャングルの一角を指さした。

 「へえ。全く外からは見えないでちゅね」

 「あっちの遺跡とこれだけ近いんだもの、それなりの結界を張っていないと見つかっちゃうわよ」

 パピリオとルシオラの目にもそれらしき遺跡は見えていない。
 通行書の反応をたよりに着地した3人は、手分けして結界内部への入り口を見つけると、事前に与えられた知識どおりの道順で結界内部を目指しはじめる。
 不自然に木々の間をくぐり、茂みをかき分け、何度も同じ場所を行き来して、結界を唯一抜けられる順路を進んでいく。
 まるで不可視の迷宮に捕らわれているような道行きの途中、一向に抜けられない結界に辟易したベスパはついつい悪態を口にしていた。

 「しかし、こんな旧時代の施設をここまでして守らなきゃならないもんかね? こんなちんたら歩いてたら日が暮れちまうよ」

 「確かにね。メドーサさんが内側から結界を解いてくれていれば楽なんだろうけど・・・・・・」

 「内側から結界を解く!? なんでそれをやってくれないんでちゅか!!」

 「さあ? 作戦成功の為に万全を期しているんじゃない? ヒドラはこの施設を使わなければ衛星軌道まで打ち上げられないんだから、神族に見つかる訳にはいかないでしょ」
 
 「いいや、単に底意地が悪いだけだと思うぜ」

 「そうでちゅ! おばさんだからパピリオたちの若さに嫉妬してるんでちゅ!!」

 「それと、左遷の恨みかな。アシュ様直属の私たちが羨まし・・・・・・ッ!!」

 急に開けた視界にベスパは口を噤む。
 鬱蒼と生い茂った木々は消滅し、彼女の目の前には突如夕日に染まった空間が出現していた。
 ベスパの眼前に広がっていたのは石灰で固められた草一つ生えない円形の地面。
 その中央そびえ立つ石造りのピラミッドの頂上には、パレンケ遺跡のレリーフに酷似した機構―――ロケットが備え付けられていた。

 「ルシオラ・・・・・・アンタには分かるんだろ? あの仕組みが」

 ピラミッドから漂うただならぬ迫力に、心なしかベスパの声は震えていた。
 ルシオラも同じものを感じているのか、彼女はいつもよりも饒舌にベスパの問いに答える。

 「ええ・・・・・・地脈と精霊石の力を増幅させ、衛星軌道まで物資を打ち上げるマスドライバーみたいなものよ。当時は月に到達する技術が無かったために封印されたらしいけど、アシュ様が方針転換しなかったらどうなっていたかしら? 精霊石と魂を貢がせたマヤ人もコレに影響を受けてそれなりの文明を・・・・・・」

 「何グズグズしてんだい!」

 ルシオラの言葉を遮ったのは、棘を含んだ女の声だった。
 声のした方向に3人が目を向けると、爬虫類を思わせる冷たい目の女がピラミッド前方の祭壇からこちらを睨んでいる。
 何か言い返そうとしたベスパを手で制し、ルシオラは女に軽く頭を下げた。

 「メドーサ様ですね。私たちはアシュ様の・・・・・・」
 
 「聞こえなかったのかい? 私は早く作業をしろと言ったんだよ!!」

 「テメェ・・・・・・」

 不躾なメドーサの態度にベスパが切れかかる。
 彼女にとって姉妹への侮辱は何よりも許し難い行為になっていた。

 「いいわ。ベスパ。そんなことよりも手伝って頂戴。パピリオもね」

 一触即発な雰囲気を察知したルシオラは、ベスパの手を引きピラミッド上部を目指す。
 万一2人が喧嘩にでもなったら、月からエネルギーを転送する作戦自体が壊れかねなかった。




 「クソッ! いけ好かないババアだぜ。アタシたちがアシュ様直属と知った上での態度なのかアレ?」

 「全くでちゅ! 後でアシュ様に言いつけるでちゅ!」

 「気にしちゃダメよ。それよりもこの制御パーツを中に積み込んで。それがないとあの人地球に帰って来られないから・・・・・・」

 「あ・・・・・・」

 ルシオラの言葉に、パピリオは手渡されたパーツの重みを改めて感じていた。
 失点続きの幹部が命じられた、帰還確率の極めて低い危険な任務。
 これからメドーサは、霊力の乏しい宇宙空間を人間の技術を頼りに渡って行かなくてはならない。
 彼女の運命を自分に置き換えたパピリオは、己の頭に浮かんだ最悪の想像に慌てて頭を振った。
 
 「あの人、後がないのよ。分かってあげましょう?」

 「ルシオラちゃんがそう言うのなら・・・・・・」

 「そう。優しいわね。パピリオは」

 ルシオラはパピリオに微笑んでから、培養槽で眠るヒドラに照準装置をセットした。
 この魔界と人間界の技術によって造られた兵鬼は、到着後すぐに月面に着床し周囲のエネルギーを吸収しはじめる。
 そしてメドーサとベルゼバブに守られながら、エネルギー転送を行える大きさに成長するのだった。
 現行の秩序を転覆するため、月のエネルギーを転送するためだけに生み出された存在。
 その道具としての運命に、彼女は微かに同情していた。

 「お前も頑張るのよ・・・・・・」

 作業を終わらせたルシオラは、最後に培養槽を一撫でするとロケットに背を向けた。
 後はメドーサに月探査船の制御方法を伝えれば、彼女たちに与えられた任務は全て終了する。
 ルシオラは2人の妹と共にメドーサの待つ祭壇へと降りていく。

 「照準装置のセットは終わりました。マニュアルもありますが、念のため月探査船の制御方法を説明・・・・・・」

 メドーサが無事地球に戻れるよう、ルシオラは懇切丁寧に引き継ぎを行おうとする。
 しかし、そんな彼女に対し、メドーサがとった行動はベスパを怒らせるには十分なものだった。

 「無用よ。おどき!」

 「貴様ッ!!」

 まるでただの障害物であるかのように、メドーサは目の前に立ったルシオラを突き飛ばしていた。
 その時に見せた無機物を見るかのような冷たい目は、激怒したベスパに胸ぐらを掴まれた後も変わることは無かった。

 「離せ木偶・・・・・・」

 メドーサは不快そうに呟くと、ベスパの腕を掴みに行く。
 指先がベスパの腕に触れた瞬間、メドーサの背後で彼女の髪がざわめいた。

 「!」

 自分の手を囮にした死角からビックイーターによるの攻撃。
 ベスパは一瞬で間合いをとり、噛みつきによる石化を防ぐ。
 彼女がそれを難なく行えたのは、持って生まれた戦闘能力よるものだった。
 今までベスパの腕があった空間では、ビックイーターの歯が派手な音をたて噛み合わされている。

 「2人とも。手を出すんじゃないよ!」

 ベスパは激しい戦闘の予感に凄まじい笑みを浮かべる。
 ルシオラの制止も、もはや彼女の耳には届かない。

 「左遷されて可哀想なんて一瞬でも思った私が馬鹿だったよ。かかってこいよ蛇ババァ、窓際幹部とアシュ様直属の格の違いを教えてやるよ」

 「左遷されて可哀想? 格の違いですって?」 

 挑発を受けたメドーサの肩が小刻みに震えだした。
 やがて来る怒りにまかせた攻撃に備え、ベスパは気を抜くことなくメドーサを睨み続ける。
 やってくる攻撃は手に持った刺叉か、それともビックイータによるものか?
 予測した数手の攻防が目まぐるしくベスパの脳内を駆け巡る。
 しかし、次にメドーサがとった行動は、ベスパの予想を遙かに超えたものだった。 

 「プッ!」

 「・・・・・・・・・・・・テメエ。本当に死にたいらしいな」

 可笑しくて堪らないとばかりに吹き出したメドーサに、ベスパの顔が怒りに染った。
 今にも殴りかかって来そうなベスパを無視しひとしきり笑うと、メドーサは凍り付きそうな視線でベスパを睨み付ける。

 「笑わせるんじゃないよ。単なる木偶人形風情が・・・・・・お前に私が殺せる訳ないだろう?」

 「なめるなッ!」

 「止めなさい。ベスパッ!!」

 蔑むようなメドーサの嘲笑を止めさせるため、べスパは間合いを詰め右ストレートを放とうとする。
 しかし感情にまかせた攻撃は、間に割って入ったルシオラに止められていた。
 
 「何考えてるのベスパ! 彼女は重要な作戦前の体なのよ」

 ベスパの体をしっかりと抱え、ルシオラは行動の軽率さを諭す。
 そんな彼女の背後では、助けられた筈のメドーサが不快そうに口元を歪めていた。

 「あらあら、任務に忠実だこと・・・・・・流石アシュ様の道具ね。でも、今のはいらないお節介」

 「危ねえッ! ルシオラッ!!」

 無防備に背中を晒したルシオラに、刺叉による攻撃が容赦なく襲いかかる。
 ルシオラ自身の回避に任せたのでは間に合わない。
 ベスパは咄嗟にルシオラを突き飛ばすと、その攻撃を辛うじて受け止めた。

 「ルシオラちゃん! 大丈夫でちゅか!?」

 「ええ、ベスパが庇ってくれたから・・・・・・」

 地面に倒れ込んだルシオラは、心配し駆け寄ってきたパピリオに無事を告げた。
 しかし、その顔色は不安な予感に青ざめ、パピリオを安心させるに至ってはいない。
 ルシオラはメドーサが口にする言葉の端々に、得体の知れない敵意を感じている。
 それはベスパやパピリオの言うような、幹部の座を取って代わられた嫉妬などでは無かった。


 ―――それでは一体何が?

 
 自分たちは何か重要な事実を聞かされていないのではないか?
 ジリジリと焦燥感が胸を焦がす。
 そんなルシオラの変化を感じ取ったパピリオは、きつい非難の目をメドーサに向けた。

 「お前、汚いでちゅよ! こっちが攻撃できないのを知ってて挑発するなんて!!」

 「大丈夫だよパピリオ・・・・・・ようは怪我をさせなきゃいいんだろ?」

 パピリオの抗議に応えるように、ベスパは捕まえた刺叉に渾身の力を込めていく。
 彼女はメドーサの武器を奪い破壊することで、相手のプライドを砕くつもりだった。
 凄まじい力の応酬に神鉄製の刺叉は軋み始め、徐々にベスパの手に移っていく。 
 しかし、その軋みはメドーサが口にした一言により呆気なく霧散するのだった。

 「はん、凄いパワーだね。寿命と引き替えに出力を増やしただけのことはあるよ」

 「何!?」 

 ベスパが見せた予想通りの反応に、メドーサの口元に邪悪な笑みが浮かんだ。

 「おや。土偶羅から聞いてなかったのかい? 可哀想に」

 「おい。そりゃ一体どういう・・・・・・」

 「お前たちは強力なパワーと引き替えに、寿命を1年に設定して造られたんだよ・・・・・・アシュ様の道具としてね。さあ、いつまで握ってるんだい! さっさとお離し!!」

 突如聞かされた予想もしなかった事実。
 生じた隙を突かれたベスパは、腹部に蹴りを受け掴んでいた刺叉を離してしまう。
 バランスを崩しよろめいた先には、顔を青ざめさせたルシオラとパピリオの姿があった。

 「嘘よ・・・・・・そんなこと」

 「嘘なもんかい。お前たちを培養した技術ね。ありゃ、私が南部グループっていう企業に協力させたもんだよ」

 「南部・・・・・・グループ?」

 聞き覚えのある名前にルシオラの声が震える。
 彼女が刷り込まれた技術面の知識には、確かにその企業から提供されたデータが存在していた。

 「知ってるのか? ルシオラ・・・・・・」

 「ルシオラちゃん・・・・・・私たち、本当に1年しか生きられないんでちゅか?」

 ベスパとパピリオの問いに、ルシオラは咄嗟に答えることが出来なかった。
 彼女自身、自分の寿命が1年などと思いたくない。
 しかし、事前に与えられた知識や目覚めたときの土偶羅の反応が、今の話が事実であると訴え続ける。
 思えばあの時の土偶羅の反応はどこかおかしかった。

 「惨めだねえ・・・・・・使い捨ての道具は。忠実に勤めても寿命は1年。裏切ろうものならすぐに・・・・・・」

 「黙れッ!」

 ベスパの怒声が辺りに響く。

 「アタシは信じないよ・・・・・・アシュ様がそんなことをする筈がない。私たちはアシュ様直属の・・・・・・」

 「便利な道具だねぇ・・・・・・いい加減に認めな。お前たちはあの方に愛されてはいない」

 「貴様に何が分かるッ!!」

 激高したベスパが一気に間合いを詰めた。
 メドーサは棒立ちのまま回避行動一つとらずにベスパを迎え入れる。
 殺意の籠もった右拳が、邪悪な笑みを浮かべたままの顔面に襲いかかる。
 しかし、その右拳がメドーサの顔面に吸い込まれることは無かった。

 「ベスパッ!!」

 「ペスパちゃん!!」

 ルシオラとパピリオは悲鳴にも似た声をあげながらベスパに駆け寄る。
 右拳がメドーサの届く直前、ベスパの体はまるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ちていた。

 「しっかりして! 一体何が起こったの!?」

 「ベスパちゃん! 目を覚ましてくだちゃい!!」 

 必死の姉妹の呼びかけにもベスパは応えない。
 彼女の身体機能は完全に麻痺していた。

 「死んじゃいないよ。今のは【10の指令】に触れた事への警告・・・・・・仲間への殺害行為は確かコード6だったかな」

 「【10の指令】!? 何なの・・・・・・それは?」
 
 「ただの裏切り防止策だよ。お前たちの霊体ゲノムには監視ウイルスが組み込まれていてね・・・・・・コードに触れる行動をしたらすぐに消滅する仕掛けさ」

 「そんな。私たちはアシュ様に・・・・・・・・・・・・」

 それから先の言葉はルシオラには言えなかった。
 気絶したベスパを抱えた彼女の右腕には、パピリオがしがみつき必死に泣くのを堪えている。 

 「これで分かっただろう? アシュ様は誰も信用してはいない・・・・・・」

 メドーサの吐き出した言葉に、パピリオの肩がビクリと震えた。
 続いて聞こえてくるしゃくり上げるような音。
 打ちひしがれた三姉妹を冷ややかに見下ろしてから、メドーサはピラミッドの石段を一歩、また一歩と登っていく。
 その足取りが重いのは、彼女もまた、自分がアシュタロスの駒に過ぎないことに気がついているのだろう。
 メドーサは最後にもう一度ルシオラを振り返ると、吐き捨てるように最後の言葉を口にした。

 「私は還ってくる・・・・・・絶対にこのままじゃ終わらないからね!」

 それがメドーサの最後の言葉だった。
 数秒後、ロケットに乗り込んだ彼女は何の躊躇いもなく発射スイッチを押す。
 地脈の鳴動音と精霊石の輝きが一瞬だけ広場を満たし、驚くほど呆気なくメドーサを乗せたロケットは空の彼方に消えて行った。









 茜色に染まった空に、微かに霊力放射の名残が線を引いている。
 しゃくり上げるパピリオにかける言葉を見つけられないまま、ルシオラはただぼんやりとメドーサが消えた方向を眺めていた。
 1年に設定されている寿命と、【10の指令】。
 突如聞かされた運命に理解が追い着いていかない。
 しかし、それが紛れもない事実であることは、未だ意識をとり戻さないベスパが証明していた。


 ――― 自分たちは何の為に生まれて来たのか? 
 

 ふとそんな疑問が脳裏を掠めた。
 生まれたばかりの昨日には考えなかった疑問。
 少なくとも、使い捨ての道具となる為に生まれてきたのではないと思いたかった。
 それでは残された1年で自分に何が出来るのか?
 逃げ出すこともできず、僅か1年の寿命が尽きるまでただ命令に従う日々を送る。
 何も残さず、誰の心にも残らない一生。
 叫び出したいほどの恐怖が襲ってくる。
 絶望に飲み込まれかけたルシオラを、眩い光が照らしたのはほんの偶然だった。

 「!」

 それは神秘的とも言える体験だった。
 今、まさに沈もうとしている夕日が、ピラミッドの影から姿を現しルシオラを照らしている。
 昼と夜の一瞬の隙間。短時間しか見られない輝きは彼女の心を完全に捉えていた。


 ―――不思議ね・・・・・・何故私はこの美しさに気付かなかったのかしら?


 茜色の輝きに全てが包み込まれていた。
 周囲の輪郭がぼやけ、ルシオラは己の意識が夕日に溶け出すのを感じている。
 生まれた喜び。
 姉妹への愛情。
 運命への怒り。
 未来への絶望。
 今日一日に起こった全ての出来事が混ざり合い、眩い輝きを放ちながら徐々に終焉へと向かっていく。
 そして深い闇に落ちる瞬間、夕日は全てを燃やし尽くすかのように煌めき、その輝きを彼女の心に深く刻み込む。
 陽が完全に沈むまでルシオラは視線を外すことができなかった。

 「・・・・・・パピリオ。泣くのは止しましょう」

 ルシオラの呟きにパピリオは応えない。
 辺りは夕闇が訪れ、彼女たちの姿を夜の闇に包み込もうとしていた。
 ルシオラは闇の中で迷わぬよう、妹たちの手をしっかりと握りしめる。
 
 「大丈夫。きっと輝けるわ・・・・・・」 

 そう語りかけたルシオラは胸に刻まれた先程の光を思い出す。
 泣きたいほど悲しく、そして美しい光。 
 その美しさが一瞬の煌めきによるものならば、自分たちの生涯も同じように輝ける筈だった。





 ――― A birthday ―――



       終





 久しぶりの投稿です。
 とーりさんに、「ルシオラで書きませんか?」と、声をかけられてから凄く時間がかかっちゃいましたorz
 ドスランプは未だ継続中で、こうやって声をかけられないとなかなか書けない状態です。
 かなり救いのない話ですが、まあ、横島に会って救われる?ということで(ノ∀`)
 今の私にルシ横のラブラブ話は書けません。リア充爆発しろ(-u- )

 TYACさんが呼びかけた夏企画にも参加させて頂くつもりですが、何書こうかしら(ノ∀`)
 誰かネタ下さいw
 
 それでは、感想・アドバイス等いただけたら幸いです。

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