どうしてこんな事になっちゃったんだろう。
久々に晴れた日、たまったお洗濯をしたかっただけなのに、なんで私はただ愚痴を聞いているのだろう。
思わず、ため息が出てきそうだ。空は、ぬける様に晴れているのに。
「女物ならまだしも! 男物を干される日々がどれだけストレスになるか!! いいじゃないですか、私だってデートぐらいして癒されたいのおおおお!!」
それも、物干し竿の愚痴を……。
−物干し竿は王子様の夢を見るか−
「今日はお洗濯日和ね」
夏の終わり。暦の上ではとっくに秋なのだけれど、今はちょうど秋の気配が近づいてくる、そんな変わり目の時期。
この前まで台風が何度もやってきて、すっきりと晴れた日は無かった。
久々に見る青空は高くて、青くて。
夏の雲が伸びをするように高々と伸びていたその上に、まるで砂をまくような秋の雲がある。
流れてくる、心地よい風。
もうすぐ、秋なんだ。
「この不思議で幸せな痛みを〜」
鼻歌を歌いながら、洗いあがった事務所の面々の服を干していく。
事務所に居候してるシロちゃんやタマモちゃん、私の着替えや日常使うタオル、仕事帰りに横島さんが置いていった服とか、わりあいと量は多い。
ちょうど半分くらい干した時。
大き目のバスタオルを干そうしてかけようとすると、私の手がそのまま下に落ちる。
あれ、そう思って物干し竿を見返すと、別段何もない。
干し終わった洗濯物は、風に揺られてはためいている。
「おかしいな」
もう一度干そうとしてバスタオルを半分に折って、物干し竿にかけようとする。
ぐにゃ。
目の前で物干し竿が奇妙に曲がる。
目をぱちくりさせると、私は片手で目をごしごしとこすってみる。
再び目を開くと、やはりまっすぐだ。
ここのところ除霊実習が続いて疲れているのかな、いくらぼけっとした私でも白昼夢を見るようになったら、ちゃんと休んだほうがいいわね。
洗濯が終わったら、一休みしよう。
自分自身に苦笑いしながら、バスタオルを干そうと3回目、腕を上げて。
ぐにゃり。
バスタオルを中心として半円状に、物干し竿が奇妙に曲がる。
やっぱり曲がる。
よ、っほ。
違うところに干そうとしても、避ける様に竿は曲がる。
何度も何度も大きい布をばさばさして。
肩で息をしてるし、いい加減腕も疲れてきたし、私もこの後、弓さんたちと予定があるし……。
目の前の不条理な光景に、どこか現実離れした感慨を持ちながらもとりあえず事態を収めるために、どうしようかと考えて。
結局、いい案は思い浮かばなかった。
うう、こういう時は……。
あ、そうだ。
この前鬼道先生に
「とりあえず困った時には正攻法。もちろん状況を見んと駄目やけど、なにか知りたい時にはまっとうな方法が案外きっかけになるもんや」
って教わったっけ。
正攻法……。この状況で……。
そうか!
「物干し竿さん、お願いですから洗濯物を干させてもらえませんか。お願いします」
頭を下げて頼んでみる。
物事をたのむ時にはまずこちらから腰を低く。
よしっ、と思っていって頭を上げると。
「あうう、あっうううう」
案外ぱっちりとした両目から、嗚咽とともに涙が零れ落ちている。
うう、ううっ。
涙がこぼれる端から竿を伝って、洗濯物が濡れていく。
どうやら、早くしないと駄目みたい……。
「ありがとうありがとう。おキヌさん、私にそんなに優しくしてくれたのはあなたが初めて。いいえ、いつもふわっとそっと、私が痛まないように洗濯物をかけてくれたわ。そんなあなたに意地悪をしてごめんなさい。このとおり、頭を下げるわ」
「ああああああ、ちょっと待ってください。頭なんて下げなくていいですからー!」
一体どこが頭なのかわからないけど、頭を下げると言う事はきっと竿が下を向くと言う事、つまり洗濯物が全部ずり落ちてしまう訳で。
ただでさえ時間が押しているのに、申し訳ないけど勘弁して欲しい。
「いったいどうしたの、物干し竿さん。今まで意識があったの?」
「いいえ。今までは薄ぼんやりとした意識しかなかったのですけど。この前の事件の時の波動が影響して、はっきりと自意識が目覚めまして……」
「そ、そうだったの」
この前の事件と言えば、あの大事件の事だろう。
世界中でいろんな事が起こったけれど、ウチの物干し竿にまで影響するなんて。
前から薄ぼんやりと意識があったというけれど、人工幽霊一号の影響かしら。
「……えと。それで、自意識に目覚めたあなたがどうして私に意地悪をするの? いつものように、洗濯物を干させて欲しいのだけれど」
言葉を伝えると、申し訳なさそうに目を閉じる。
「いやなの!もういやなのよー!」
「は?」
何事か、唐突に叫ぶ。
「もう!ただひたすら洗濯物を干すだけの毎日にはうんざり!雨の日もかぜの日も耐えて、たまの晴れだと思ったらどっさりと洗濯物が!!見目麗しい令子様のものならともかくも、あのイカくさい横島のものまで!!私だって、お年頃なのよー!!デートのひとつもしたいのよー!!」
「は、はあ」
男物は嫌、デートしたいって、女性だったのね。
どう見ても横一線の棒にしか見えない洗濯竿に性別なんてあるのかしら、と思っていると。
「でも、でも。あ、あの……。
実は、その……。最近、毎日の生活を変化させるきっかけに出会いまして……」
「きっかけ?」
「実は……。と、殿方に恋をしまして……。ですけれど、自分で会いに行く事もかなわず。ただ洗濯物を干すだけの自分に嫌気がさしたのです」
「と、殿方」
こころなし波打っているように見えるのは、もしかして体をもじもじさせているのかしら……?
呆然として、くねくねうねる彼女を眺めていると。
〜ものほしざおー、ものほしざおー。20年前と同じ価格の、お得な竿〜
何年も前から同じ価格でやっている、流しの竿売りの車がやってきた。
気がつけば、彼女が叫んでいる。
「きゃあああ。ああ、あの方。あの方よ。すっと通った鼻先、芯のある体。深い緑が栄える美々しい輝き。あれこそ私の王子様!ああ、飛びつきたいわあ!!むしゃぶりたいわあ!! 」
「むしゃぶりたいって……え、と。あの方が王子様なんですか」
横島さんの影響の方が強いんじゃないかしら、と呆れた目で見る。
物の怪は、どうしてこう極端なのだろう。
まあ、私も初対面で横島さんを殺そうとしたりしたのだけれど。
「そうなんです。一度あの方を拝見してから、眠れた日はありませんわ。だけれど、日々雨風にさらされてお肌(棒)はかさかさ、少し端もさびてしまっている私なんか、相手にもしてくれないでしょうし」
苦しげに、ゆっくりと通り過ぎる車を見つめる、物干し竿さん。
切ない視線を投げかけるその先の、一本の竿。
ちょっと行き過ぎる事もあるみたいだけど、視線にこもった感情は本物だった。
彼女を満たしてあげる事が、きっといい結果に繋がるはず。
お洗濯も早くすませたいけど。
しょうがない。
ちゅうちゅうたこかいな、っと……。
「あれ、おキヌちゃん。物干し竿、新しいの買ったの?」
また晴れた日の朝。
美神さんが珍しく、洗濯物干しを手伝ってくれて。
増えた竿が目に付いたのだろう。
一つの柄の左右に収まった、二本の竿。
てかてかとした新しい竿と、ぴかぴかに修理されたもう一本の竿。
別段物干し竿に不自由していたわけではないけれど。
「ええ、なんでか欲しくなっちゃって」
ふうん、と美神さんはパンパンと洗濯物を伸ばしながら、答えた。
「少し増えても変わりませんし。二本そろって、見栄えもいいじゃないですか」
「そういうものかしらね。色も緑と青で違うのに」
美神さんは手を止めずに、ぱっぱと干していく。
ちょっとだけお小遣いが減っちゃったけれど。
私も物干し竿さんも、きっとその方が。
あの後、王子様を買ってあげたら、泣き叫びながら私にくねくねと巻き付いちゃって。
洗濯物は全部落ちてやり直しだし、はがすのがまた一苦労だったんだけど。
ふふっ。
まあいいかって、思えちゃったから。
「今日はすごしやすそうですね」
高くなった空。
砂をまいた様な、秋の雲がゆっくりと流れている。
今日の洗濯物も、お日様をいっぱい浴びて、よく乾いて。
暖かい匂いをさせるのだろう。
そう、多分。
彼女の気持ちみたいに、ね。
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