Lotus Love
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fallin'love and...
夕闇の落ちる中、花びらが風に舞う。
「帰ってくる、帰ってこない、帰ってくる、帰ってこない、帰って……」
アパート二階の窓辺。申し訳程度のベランダから外へ一枚一枚、こぼれていく。気がつけば、花はなくなっていた。ため息が漏れた。
ちゃぶ台の上には料理が盛り付けられた皿が並ぶ。どれもこれも腕によりをかけて作ったもの。それも、彼の大好物ばかりを揃えたつもりだ。なのに。
「……どうしたのかな」
畳に転がるちっちゃな目覚まし時計が時を刻む。約束した時間はとうに過ぎていた。最初は少し遅れているのかと思った。けど、それが十五分、三十分、一時間と伸びていく。心の内の感情は怒りを通り越して、徐々に不安が蝕んでゆく。なんで帰ってこないのか。なにか危険なことに巻き込まれたのだろうか。そうじゃなく、無事だとしたらなんで遅れているのか。仕事が長引いているのか、どこかで飲み食いしてるのか。だったら、電話のひとつもくれたらいいのに。まだ現役の黒電話が薄闇に光った。
窓脇の壁に肩を寄せ、もたれかかった。冷たい風が吹いていた。彼はまだ帰ってこない。遠くに沈む橙色の太陽。昼と夜の境目が混ざり合い、空の色はとても濃くなっている。漆黒の闇に向かって、鮮やかな色彩は沈んでゆく。
嗚呼、嫌。夜になるのは嫌。
今がいい。今がずっと続けばいいのに。この世のすべてが今、ここにある。
だけど長くは続かない。これは一瞬の出来事。
ほんのわずかな幻想だ。
永遠なんてありはしない、あるのは儚く美しい刹那。それだけ。
瞼を閉じた。耳でありとあらゆる音を掬い上げようとした。風の音、鳥の声、車の音、葉が揺れてかすれる音、どこからか聞こえる人の声。耳を澄ましていれば、きっと聞こえてくるはずだ。近づいてくる足音が、階段を上り、玄関に近づいてくる。扉が開く音がして、彼の声がする。
「ただいま、ルシオラ」と。
ありもしない音と声を想像しながら、意識は遠のいていく。
闇へ、闇へと。深く、深く……。
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夕闇の落ちる中、花びらが風に舞う。
「すき、きらい、すき、きらい、すき、きらい、すき……」
アパート二階の窓辺。申し訳程度のベランダから外へ一枚一枚、こぼれていく。気がつけば、花はなくなっていた。ため息が漏れた。
窓脇の壁に肩を寄せ、もたれかかる。冷たい風が吹いてきた。彼はいない。
遠くに沈む橙色の太陽。昼と夜の境目が混ざり合い、空の色はとても濃くなっている。漆黒の闇に向かって、鮮やかな色彩が沈んでゆく。
ルシオラは手首に鎖を繋がれていた。黒く、重い、金属製の鎖が冷たくのしかかる。一体この鎖はどこから結ばれているのだろう。彼女はふと視線を鎖の席に送ったが、部屋の奥はまっくらで何があるのかすらもわからない。そもそもこの部屋の出入り口はどこなのだろうか。どこを見渡しても、扉すらない。あるのはちゃぶ台に畳の敷き詰められた床、収納らしき襖戸。 見覚えのある風景だが、思い出せないでいた。ここはどこ?
外で烏が鳴く。寂寥な響きを持って、烏は空の奥へと羽ばたき、遠のいていった。畳の上には窓枠の影が映る。黒い影と茜色の光が絶妙なコントラストになって、背を伸ばす。空から群青が降り立ってきた。
闇が来る。闇がやって来る。闇が襲ってくる。部屋が夜に包まれていき、黒へと染め上げられた。そして、ついにはルシオラの体をも飲み込まれてゆく。ひたりひたりと足元から迫る黒は彼女を融かしていった。逃れようにも逃れられない。そう、彼女は鎖につながれている。誰が繋いだかわからない、どこへ繋がれているのかもわからない、無情の鎖に。
「助けて……!」
声を絞らせて、叫ぶルシオラに助けはなかった。
この部屋には彼女を助けてくれる人がいるわけなかった。
彼女独りだけなのだから。
静かに影は闇へと融けていく。
とぷん、と夜は広がる……。
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嗚呼、嫌。夜になるのは嫌。
今がいい。今がずっと続けばいいのに。この世のすべてが今、ここにある。
だけど長くは続かない。これは一瞬の出来事。
ほんのわずかな幻想だ。
永遠なんてありはしない、あるのは儚く美しい刹那。それだけ。
けど。
彼はいない。
彼はいない。
彼はいない。
彼はいない。
彼はいない。
彼はいない。
そう、ここにはいない。
ここにヨコシマはいない。
だから寂しい。だから心が苦しい。こんなに胸が締め付けられて、どうしようもない気持ちで心の奥は一杯だった。
夕闇の落ちる中、花びらが風に舞う。
「すき、きらい、あいしてる、すき、きらい、あいしてる、すき、きらい、あいして……」
アパート二階の窓辺。申し訳程度のベランダから外へ一枚一枚、こぼれていく。気がつけば、花はなくなっていた。深いため息が漏れた。もう花はない。
ちゃぶ台に畳の敷き詰められた床、収納らしき襖戸。奥のガラス戸の先には流しと台所、あとトイレ。窓脇の壁に肩を寄せ、もたれかかった。
冷たい風が吹いていた。遠くに沈む橙色の太陽。昼と夜の境目が混ざり合い、空の色はとても濃くなっている。漆黒の闇に向かって、鮮やかな色彩は沈んでゆく。畳の上には窓枠の影が映った。黒い影と茜色の光が絶妙なコントラストになって、背を伸ばし、像を歪ませた。その内、空から群青が降りてくる。烏が鳴いた。寂寥の響きを持って、烏は空の奥へと羽ばたき、遠のいていった。
景色を眺めていたルシオラは再び視線を部屋に戻した。
やはり見覚えのある光景だった。
ここはヨコシマの部屋だ。
瞼を閉じた。浮かぶのは彼の顔。とびきりの笑顔、困った顔、怒った顔、慌ててる顔、照れた顔、そしてまた笑顔。何度でも、幾らでも彼のことなら思い返すことができる。
すでに恋の虜だった。
ヨコシマを愛している。紛れもない事実で、一片の欠けもない真実だった。
いつからか分からない、知らず知らずのうちに奪われていた。
「私の心……」
純粋で、無垢な心が鼓動する。
血液を静脈から動脈へ送り出す心音の高鳴りが大きくなっていく。
逢いたい。
寂しい。
すると鎖の輪がじゃらりと動く。
まただ。
この重い鉄の塊が繋ぐものは何か。身動きを取れなくしているのは誰か。そもそもなぜここに繋がれているのか。一体、誰が、どうして。そんなこと、決まってる。
ルシオラは顔を手で覆った。
自分だ。
自ら鎖を繋ぎ、自ら拘束し、自ら孤独になった。
鎖なんかあるはずもないのに。
自分の弱さに負けて、鳥篭へ入った。
なにもないのは分かっていた。引け目を感じて、彼から距離をおきたかったからだ。
けど、それは無理。
逢いたい。
逢いたくて、逢いたくて、逢いたくてたまらない。
そして夕闇の落ちる中、花びらが風に舞う。
アパート二階の窓辺。申し訳程度のベランダから外へ一枚一枚、こぼれていく。気がつけば、花はなくなっていた。深いため息が漏れた。
瞳を閉じた。耳でありとあらゆる音を掬い上げようとした。風の音、鳥の声、車の音、葉が揺れてかすれる音、どこからか聞こえる人の声。耳を澄ましていれば、きっと聞こえてくるはずだ。近づいてくる足音が、階段を上り、玄関に近づいてくる。扉が開く音がして、彼の声がする。
「ただいま、ルシオラ」
瞼を開くとそこにヨコシマはいた。
ルシオラは抑えきれなくなって、彼を思いっきり強く、強く抱きしめる。
「ど、どうしたんだよ、いきなり……」
「ううん、なんでもない」
鎖は砕け散った。そこにあるのは乙女の微笑み。
恋に落ちた少女の、胸いっぱいの愛。
fallin'love and...
the end
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Last/Endless Waltz (For Flower)
「踊りましょう」
夜になった。陽はすっかり沈み、空の青は深く染まる。
星のない空にぷっかりと浮かぶ月。大自然の舞踏場は二人を穏やかに迎え入れた。
ルシオラは手を差し伸べて、ヨコシマを誘う。
光り輝くドレスを身に纏い、彼女はやさしく微笑んだ。いつの間にか彼もタキシードに着込んでいる。
「ヨコシマったら、なんか様になってないわね、それ」
「そう、かな」
彼女の手を取りながら、少し照れくさそうにタキシードを着た自分を確かめている。
「私はどう?」
「……とても綺麗だ」
光のドレスは翻り、彼女もまた一回転した。ガラスの中で踊るおもちゃの人形がイメージに浮かぶ。
「ルシオラ」
ヨコシマは彼女の細い腰を引き寄せて、強く抱きしめた。ルシオラも彼の背中に腕を回し、身体を押し当てた。両腕に包まれ、密着する男女は時の過ぎ行くままに、お互いを確かめ合う。
もう寂しくない。
もう悲しくない。
もう辛くない。
夜になってしまったけれど、もう大丈夫。
今がいい。今がずっと続けばいいのに。この世のすべてが今、ここにある。
だけど長くは続かない。これは一瞬の出来事。
ほんのわずかな幻想だ。
永遠なんてありはしない、あるのは儚く美しい刹那。
彼はいる。
彼がいる。
あなたがいるから私はいて、私がいるからあなたがいる。
それがすべて。
それだけで十分だ。
私はヨコシマが好きで、ヨコシマを愛していて、幸せなのだ。
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「踊りましょう」
風に乗って、舞踏場にワルツの調べがやってくる。ゆったりとしてテンポで徐々に耳へと響いてきた。オーケストラの流麗な旋律はこの美しい月夜にぴったりだった。
「おれ、踊れないぞ」
「大丈夫よ、私がいるでしょ。教えてあげるから」
片手は腰に、もう一方はお互いの手を重ね合わせて。二人は踊り始めた。
「1・2・3、1・2・3……」
ルシオラの小さな掛け声を聞きながら、足元を見ながらステップを踏む。最初はおぼつかなかったが、しばらくやっている内に徐々に慣れてきた。
「そうそう、だいぶ良くなってきたわ」
「ほんとか?」
「ええ」
二人だけの舞踏会。星屑の打ち鳴らすワルツ。ダンスステップに戸惑いながらも、しっかりとお互いの手を握り、踊る。横島は彼女の細くしなやかな指をそっと手のひらに添えて。ルシオラは彼の背中の温かさをしっかりと腕に感じた。視線は絡み合い、ルシオラが笑えば横島も笑う。
「……私ね、ヨコシマと逢えてよかった」
「なんだよ、急に」
ステップを踏む足が止まる。ルシオラは彼の胸の内に寄り添って、しばらく動かなかった。
「愛してるわ、世界の誰よりも」
「ルシオラ」
彼女は顔を上げて、横島の目を見た。
「本当よ」
「分かってる」
「嘘じゃないの」
「ああ」
彼はただ強く彼女を抱きしめる。大きな腕でその震えて、消え入りそうな身体を。
ルシオラは思う。
今がいい。今がずっと続けばいいのに。
だけど長くは続かない。これは一瞬の出来事。
ほんのわずかな幻想だ。
永遠なんてありはしない、あるのは儚く美しい刹那。
そして終わりが目の前に近づいていた。
「大丈夫」
横島が言った。
「ルシオラはおれが守るから……」
彼女はなにも言えなかった。
嬉しくて、ただ嬉しくて、泣き崩れてしまいそうだった。
「好きだ、心の底から。愛してる」
言葉はなんと強力なのだろう。
たった一言で打ちのめされてしまった。
愛する人の偽りのない言葉。
「だから、おれを信じろ」
「……うんっ」
涙を拭って、頷くルシオラの表情は幸せでいっぱいだった。
「じゃ、お別れね……」
「またな」
「忘れないでよ、絶対に」
「もちろん」
そして、お互いの顔を見て、自然に唇を重ねた。
ほんの数秒だった。
夜の暗闇に花びらが舞う。
ルシオラは花になって、風に散っていった。桜吹雪のように盛大に。
横島はそれをずっと見送る。最後の一片が見えなくなるまで。
さよならは言わなかった。
二人に別れの言葉は必要ない。
言葉はただアイ・ラヴ・ユーのみ。
『また世界の外で会いましょう』
ルシオラの声が響く。
いつまでも、いつまでも。
耳のうちに鳴り続けた。
「あいしてる、あいしてる、あいしてる、あいしてる、あいしてる……」
Last/Endless Waltz (For Flower)
the end
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イエスタデイをうたって
くしゃみで目が覚めた。
「んあ……なんだよ、もう夜か……」
アパート二階の窓辺。星のない空にぷっかりと浮かぶ月。横島は窓の外に広がる空を眺めて、時間の経過を確認する。たまった学校の課題をこなしているうちに眠ってしまったようだ。ちゃぶ台の上に教科書とノート、鉛筆などが転がっていた。奥のガラス戸の先には流しと台所、あとトイレ。さらにその脇には玄関とドアが存在する。もっとも明かりをつけていないため、真っ暗でよく分からない。月のおかげでちゃぶ台の周りだけがぼんやりと光が当たっていた。
部屋には彼しかいない。
「なんか長い夢でも見てたな」
軽い虚脱感とだるさを覚えた。寝疲れでもしたのだろうか。腕を天井に引っ張って、伸びをした。あくびをして首を回す。腹も減っている。そろそろ晩飯買いに行こうか。
『えー、さて今日もNihon-FM DJ.MOROとフミのお送りする発展途上エンパイアの逆襲、お別れの時間がやってきてしまいました!』
勉強の紛らわしに付けていたラジオ。どうやらちょうど番組終了らしい。
『来週もまたこの時間に、ラジオ世界征服を目指し、帝国を再建してゆきたいと思います! 我こそはと思う臣民たちよ、お便りどしどし送るよーに!! もちろんリクエストなどにもお答えして行きたいと思います……本日最後のリクエストはペンネーム、量産型キカクガインさんから、またシブいところついてきますね。ではこの曲とともにお別れです。アデュー!』
そこでスイッチを切ろうとした。けれど、流れてきた曲を聴いて、手を止めた。
イエスタデイをうたって、だった。
アコースティックギターの刻む音色とともに、捻るような男性のハミングがコーラスで聞こえてくる。裏に潜む低音をウッドベースが弾いていた。それらを隠し味に独特の甲高い声が歌いだす。
すると歌に乗って、突然セピア色の映像が目の前に広がった。
これは夢か幻か。
か細い指先で一輪の花を千切る少女が現れた。千切った花びらは風に舞う。
ルシオラ。
彼女は部屋の片隅に寄りかかって、寂しげに窓の向こう側を眺めている。
夕方なのか、白い太陽が空の先へと沈みつつあった。
「ここ、俺の部屋か」
辺りを見回して、横島は繰り広げられる情景を確かめた。自分の部屋で待ちぼうけしているルシオラ。ちゃぶ台の上には美味しそうな料理が並んでいた。形はどれもいびつだけれども、よく見ると共通点があった。
「もしかして……」
そう、横島の好物ばかりが丸い食卓の上にあった。これらを作ったのはもちろん、目の前に佇む彼女だろう。よくよく見ると、その細い指は絆創膏だらけだ。
「一生懸命作ってくれたんだな」
食べたことがなかった彼女の手料理。
彼女が生きていればあっただろう光景。
でもそれはすべて幻で。
長くは続かない、一瞬の出来事。
これは儚く美しい刹那。
昼と夜の狭間で、彼女はずっと待っている。
「お、俺が帰ってきたのか」
急に立ち上がって、彼女は画面からフレームアウトする。すると今度はカメラが自分の目線に切り替わった。彼女の華やいだ笑顔が映る。彼女の表情が先ほどとは打って変わって、非常に生き生きとしている。仕草もどこか楽しげだ。
「おかえりなさい」
もちろん声は聞こえない。けど、唇の動きで分かった。
その後、ぎゅうっと抱きしめられて、腕を引っ張られて、ちゃぶ台の前に座らせられて。ご飯は夫婦茶碗に寄そわれている。気が早えって。横島はそれを見ていて、思わず照れる。
さらに箸でおかずを差し出されて、あ〜んされた。もちろんそれを食べると、彼女の笑顔が返ってくる。
幸せな光景だった。
一緒に暮らしているのだ。食事を共にし、銭湯へ行き、帰りは湯気の立った手と手を重ね、星空を見る。おやすみと眠りに入り、朝はおはようと挨拶を交わす。ごく普通の生活である。
だがそれはすべて幻で。
一瞬の出来事だ。
途端に色のついた現実に横島は戻っていた。曲が終わったのだ。ギターの穏やかな残響が消えていく。明かりのついた部屋。余韻もなくやかましく叫ぶラジオを切って、外の音を聞いた。
風の音、車の音、歩く音。台所の音、食卓の音、風呂の音。そしてどこからか聞こえる人の声。笑い声。耳を澄ましていれば、きっと聞こえてくるはずだ。
『またね』
耳元で囁く声がした。思わず周りを見渡したが、誰もいない。けど、それはきっと。
「ああ」
横島は独り呟いて、笑った。
すると窓から何かが去っていったような気がした。
そこに寂しさや悲しみは一切ない。むしろ心は満ちていた。
「さあ、やるか!」
再び机に向かい、鼻歌交じりに課題に取り組む。
夜は更けていく。
また日が昇るだろう。
上書きされることのない昨日を歌って。
横島は幸せな彼女を祝福した。
イエスタデイをうたって
the end
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〜完〜
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