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幸せステーキ

 おキヌちゃんが「さあ、三時のおやつですよ〜」って言うような感じで、その木箱をテーブルに置いた。
 俺はそれを手には取らずに、遠目から観察する。
 隣に座る美神さんは、訝しげな表情でそれを見つめている。
 まあ、俺たち、そろって似たような表情をしているであろう。

 大きさは普通のサイズのキーボードくらいであろうか。少し細長くて。薄い肌色の木材が真新しさを感じさせる。
 俺はその木箱を指先でコツコツと叩いてみる。木の感触。響くその音から、なかなか良い木材を使用しているのではないか、と勝手に思った。
 更に手を伸ばし、ふたの表面に貼り付けられている紙を指でなぞってみる。ザラザラした感触はちゃんとした和紙っぽい感じがした。そのザラザラした感触に慣れながら、その紙に書いてある文章を熟読する。
 わずか三行の文章であるが、少なくとも俺は二十回は読み返した。
 隣の美神さんは何回くらい読み返したであろうか。考えてみたがどうでもいいことなので、それ以上は考えなかった。

 その木箱から手を戻したところで、眉間にしわを寄せたまま美神さんが口を開く。
「ごめん、おキヌちゃん? もう一度同じこと聞いてもいいかしら?」

 夕食の準備に取り掛かろうとしていたのであろう。おキヌちゃんはエプロンの紐を後ろ手に結びながら笑顔でこちらを振り返る。

「これ……、何?」
 真剣な表情で美神さんが、先ほどと同じ質問を繰り返す。

「はい。食べると願いが叶って幸せになれるステーキです」
 おキヌちゃんの笑顔は純粋無垢のまま。そして、返した答えもそのままであった。

 俺は先ほどから指でなぞっていた文章をもう一度読み返す。

『食べると願いが叶って幸せになれるステーキ』

 ――なんか、前にも似たようなことがあった気がする。










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                         『幸せステーキ』

                     原作:Maria's Crisis 執筆:カシュエイ

     ―――――――――――――――――――――――――――――――――――










「おキヌちゃん、ちょっと、ここに座ってくれる」

 美神さんのその言葉に、きょとんとした表情を浮かべたおキヌちゃんであったが、すぐに丸テーブルに腰を掛ける。
 丸テーブルの上に置かれた木箱を中心に、俺、美神さん、おキヌちゃんが囲むような図だ。

 そもそも俺と美神さんが何をこんなに神経質になっているのか、と。
 たしかに、このテーブルの上の物体は怪しい。胡散臭い。
 通常なら美神さんが開始五秒で生ゴミ用のポリバケツにダンクシュートを決めているところであろう。
 だが、今回は少し気になる状況にあるのだ。
 本日は1月2日。
 新年の準備は完璧にしておいたつもりが、迂闊にも一つ買い忘れていたアイテムがあり、それをどうしても厄珍堂に行って購入しなければならなかったのである。
 普段なら当然のごとく、俺が買物に走る場面であるのだが、俺は動かなかった。美神さんもそれを咎めなかった。それはなぜかというと、俺と美神さんは正月中は「事務所待機」という一つ方針を打ち出していたからである。
 時間の経過というものがどういうものなのかは分からないが、何度も正月というイベントを経験してきた。その総括としてまとまったのが「今までロクなことが無かったよね〜」というものであったのだ。
 そういうことで、俺と美神さんは「正月的なイベントは完全スルー」で、三が日はタマモと三人でコタツに突き刺さっていることに決めていた。

 前置きが長くなったが、要するにおキヌちゃんに厄珍堂まで買物に行ってもらったわけだ。けれども、彼女は目的の買い忘れアイテムの他に、もう一つこの奇妙な木箱を購入して帰ってきたのだ。

「これは、やっぱり……、厄珍堂で買ってきたの?」

「はい、なにかすごく貴重なお肉みたいなんですよ」
 美神さんの質問に屈託なく返答するおキヌちゃん。ふと厄珍の奴が、おキヌちゃんに変な下ネタ発言とかセクハラまがいなことしなかったか、不安になってきた。

「厄珍の奴、何て言ってた?」
 久々に俺が口を開いた。
 その質問のベクトルは、厄珍のおキヌちゃんへの態度についてか、この木箱についてなのかは、自分の中でも曖昧であった。

「食べると願いが叶って幸せになれるステーキ。略して『幸ステ』って呼ばれていて、今、女子高生の間ですごく流行ってるそうなんですよー」

「いや、そんな略すほどメジャーじゃないっしょ」

 なんだかベタな話の持って行き方だ。

「おキヌちゃんだって女子高生なんだから、聞いたことないのに変だと思わなかったの?」

「はい。私もそう思って聞いてみたら、私は『古典的おくゆかしき女子高生』だから知らないのも当然だって言われちゃいました」
 少しうつむき加減に頬を赤らめる姿が可愛らしい。

「古典的……って、何だよ」
 まあ、言いたいことはなんとなく分かる気もするが。

「よく学校帰りに知らない男の人から『君、クラシカルでかわいいね』って声を掛けられることが多いです」
 少しうつむき加減に頬を赤らめる姿が――

「それ……、ナンパだから……」

「大丈夫です。分かっています。横島さんの背中を見て、そういうところは勉強しましたから!」

「ナイス反面教師」
 と美神さん。

「……どうもっス」
 俺は少しうつむき加減に頬を赤らめた。

「まあ、それは良いとして……」
 美神さんが身を乗り出して、木箱のふたにある和紙を指差す。
「情報がそこに書いてることだけなのよね」

 木箱にはその和紙に書かれた文字以外は何の表記もされていなかった。賞味期限すらも。
 手がかりはその和紙に書かれている三行の文章だけ。
 俺はその三行を声に出して、読みあげてみることにした。


 最初の一行目。
「食べると願いが叶って幸せになれるステーキ」

 これは一応、商品名らしい。


 次の二行目。
「国産爆牛100%使用!」

 読みあげて、すぐさま美神さんの方を見る。
 彼女は前髪を優しく撫で上げるが、視線を木箱から動かすことはなかった。
 いつもの凛とした中にあるその美しさからは何も読み取れない。

 とりあえず、俺は声に出して聞いてみた。
「『爆牛』って、何ですか?」

「さあ……」
 美神さんからの返答は素っ気無かった。


 最後の三行目。
「大事に育て上げた霊牛をふんだんに使用しております」

 そして、今度はすぐさまおキヌちゃんの方を見る。
 彼女は素敵な笑顔で、俺の視線に応えてくれた。
 まあ、おそらく彼女も良くは分かっていないと思うが。

 とりあえず、俺はおキヌちゃんにも聞いてみた。
「『爆牛』ってあったのが、いつのまにか『霊牛』って変わってますけど?」

「何でなんですかね?」
 おキヌちゃんは首を右に可愛らしく傾けて、笑顔を見せる。

 矢継ぎ早に再び美神さんに聞いてみる。
「『100%』から『ふんだん』にグレードダウンしてますけど?」

「さあ……」
 相変わらず美神さんは素っ気無かった。

 素早く今度もおキヌちゃんに振る。
「ステーキ肉の一枚に、100%とかそういう割合の話って、変なんですけど?」

「今は色々とできるみたいですよ?」
 おキヌちゃんは今度は首を左に可愛らしく傾けて、問題発言を口にする。


 結果。
 ツッコミどころが満載だ、ということしか分からなかった。


「とりあえずさ、横島クン、開けてみて?」

 その美神さんの声にはっとなった。
 思い出した。
 前にあった似たようなことを。
 たしかあの時は、おキヌちゃんがゴミ捨て場から壷を拾ってきて、開けたらなんか変な魔人みたいな奴がゴホゴホ咳き込みながら出てきて、面倒くさいことになったのだ。
 結局、こうだ。
 やっぱりこういうことになる。
 美神さんと年越そばをすすりながら計画した「事務所待機」という作戦は全く機能しなかったのだ。
 美神さんが先ほどから見せている素っ気無さの中にある憂いの表情は、その作戦の破綻を意味していたのであろう。

 俺は一つため息を吐くと、その木箱のふたを外した。
 カタッとも言わず、すっと滑るようにふたが外れる。

 中は特に変わった様子はなく、一枚のステーキ用らしき肉が納まっていた。
 刺身のつまのように加工された発泡スチロールの上に、笹の葉らしきものが敷かれ、その上に行儀良く寝転がっている。

「肉ですね」
 と、俺。

「肉ね」
 と、美神さん。

「美味しそうですね」
 と、おキヌちゃん。


「やっぱり普通の肉じゃないんスか?」
 と、俺。

「かすかに霊気を感じるわ。正体は分からない」
 と、美神さん。

「じゃあ、しっかり焼いた方がいいですね」
 と、おキヌちゃん。


 その後、しばらく沈黙が続いた。

 おそらく、この肉はなんらかの効力を我々に与えてくれるであろう。
 GS見習い兼丁稚として、そこそこ経験を積んだ俺にも分かる。
 ただ同時にそんな都合の良い話はなかなか無いということも分かっている。昔みたいに厄珍の口車に乗せられて、わけのわからない薬を飲まされて、わけのわからない副作用に悩まされることはもう無い……と思う。

 そう。つもりはこうなのだ。

「『猿の手』ですかね?」

「そうね。あの厄珍だもの」

 やはり。
 願いはたしかに叶えてくれるが、望んでいたものとは違う形で願いが叶うというやつだ。
 例えるなら、明日の野球の試合は絶対に勝ちたい、と願ったとする。そうしたら、その対戦相手のチームが全員事故死して、不戦勝になるみたいな感じだ。

「そもそもこれって食べられるんスかね?」

「さあ……。牛は牛でもミノタウロスの肉かもしれないわね」
 うっすら額に汗を浮かべながら話す美神さんの口ぶりは、妙に生々しい。

「あ! 牛の胃の部位のことを『ミノ』って言ったりしますものね!」
 人差し指を立てて無邪気に笑うおキヌちゃんは、眩し過ぎて直視できない。

「エミさんはこの手の専門家じゃないスか? ちょっと聞いてみたらどうスか?」

「却下っ! 厄珍の上にエミをかぶせないでよ。ややっこしいことになる確率120%よ」


 そして、また沈黙が始まった。

 なんか、もう面倒くさいから、このままポリバケツに直行してもらうか、シロの餌になってもらった方が良いかもしれない、と思った。 ちょっと勿体無いけど。
 何の副作用も無いのなら、例え何の効力が無くとも、家に持って帰って俺が食べてしまいたい。結構、大きくて分厚いし。美味しそうである。
 ……なんて考えた時、ふと疑問が頭に浮かんだ。

「そう言えば、おキヌちゃん? これっていくらだったの?」

「千五百円です」
 おキヌちゃんのその回答に、はっきり美神さんの体が動いたのが分かった。そして、俺もやはり動揺した。

「何でそんなに安いの? 賞味期限が過ぎているのかしら?」
 美神さんは恐る恐る肉の上の空気を、手の平でパタパタと扇ぎながら匂いを嗅ぎ出す。俺も美神さんに近づいて、それに同伴してみる。 異臭はしなかった。普通の肉の生くさい匂いしかしない。

「本来は千五百万円で売るつもりだったらしいんです。でも、特別に……あっ!」
 おキヌちゃんが途中で弾かれるような声を上げた。何かを思い出したようだ。

「どうしたの、おキヌちゃん?」
 美神さんも心配そうに彼女の方を見る。

「私……、厄珍さんと明日初詣に一緒に行く約束をしたんです」

「バックレていいから」
 最初の「バ」に一際大きなアクセントを置いて、美神さんが言い放った。

「明日、一緒に初詣に行ってくれるなら、特別に安くしてあげるって、厄珍さんが言ってくれたんです」

「バックレていいから」
 今度は俺が言った。

「でも、約束はちゃんと守らないと……」
 俺と美神さんの反応が予想してないものだったのか、驚いたように目をぱちくりさせているおキヌちゃん。
 それより、一つ彼女に聞いておきたいことがある。

「厄珍自身が約束を破ることが多いから気にしなくて良いよ。それより……」

 ちらっと横目で美神さんを見る。彼女は少し呆れたような笑みを浮かべて、俺のことを見ていた。俺も同じように笑い、美神さんにその質問を譲った。

「何でこんなのを買ったの?」

 美神さんのその問いに、おキヌちゃんは大きく肩を揺らし、うつむいてしまった。

 厄珍が普段から怪しげだが、本物のオカルトアイテムを扱っているということはおキヌちゃんも認識しているはず。
 その中でも特に怪しそうで危険そうな、この『幸ステ』を自分の身を削ってまでして、どうして購入したのかが分からない。

「だって……、だって……」
 嗚咽に混じるおキヌちゃんのか細い声。
 両手で顔を覆い、その小さな肩を震わせている。
 抱きしめてあげたい。そして、耳元でもう大丈夫だ、と囁いてあげたい。

 やがて意を決したか、おキヌちゃんは瞳に大粒の涙を溜めたまま顔を上げる。その勢いで、涙は美しく左右に散る。
 ずっと前からあなたのことを愛していたの!――って、よくあるやつみたいに。


「私、みんなで一緒に幸せになりたかったんです!」


 あ、普通にね、と思った。

 けれども――

 今にも零れ落ちそうな涙を、懸命に堪えながら。
 その潤んだ瞳を俺に向けて。
 すがるように俺を見つめるおキヌちゃん。

 こんなおキヌちゃんを誰が責められようか。

 ノット・ギルティだ。

 大好きだ。

 そして、萌え♪


「う〜ん」
 と、美神さんがまた微妙な笑顔を俺に向ける。
 面倒なことは俺に任せよう、という。今頃になって彼女の真意に気がつけた。

「うん、分かったよ、おキヌちゃん! 後は俺に任せてくれ!」
 そう言って、上述のようにおキヌちゃんを抱きしめてやろうなんて思ったりもしたが、美神さんが怖いので他の人に展開を預ける。
「タマモ? ちょっといいか?」

 今まで黙っていたが実は、我々が囲む丸テーブルの向こうで、つまらなそうに正月特番をソファーに寝そべりながら眺めていたのだ。タマモが。
 それにしても、今までの俺たちの散々なやりとりも、全く無関心にして居られるからすごい。

 俺の声に彼女は身を起こし、やはりつまらなそうな表情で俺を見る。

「何? 今、良いところなんだけど」

 うそをつけ。

「お前、この肉をどう思う?」
 そう言って、木箱を彼女の方へ差し出す。
 タマモは面倒くさそうにそれを受け取ると、フンと鼻を鳴らす。我が家のお稲荷様は二日に一度は不機嫌でいらっしゃる。

「まあ、良いお肉なんじゃないの? 私はシロのバカみたいに肉、肉ってタイプじゃないけど。でも、やっぱり基本は肉食なわけ。これくらいのお肉の品質について判別することは雑作もないことだわ。良いんじゃないの? あんた達、人間が食べても問題ない。それによる副作用云々については分からないけど、良いお肉だと思うわ。良い爆牛」

 お稲荷大明神から大変ありがたいお言葉を頂きました。

 ……って、あいつ最後何って言った!?

「分かった! うん、オーケー!」

 俺の手元から木箱をひったくると、美神さんは自信満々に胸を張る。
 その姿に俺は幾度、「ヤラレタ」ことであろうか。

「これは間違いなく『食べると願いが叶って幸せになれるステーキ』なのよ。ただ、副作用について危惧されるわけね。その副作用について、一つ一つ丁寧に対応すれば、私が地球上の富の全てを手中にすることが可能になるってことよ」

 彼女のそのエゴイストな姿勢にはかなり慣れてはいた。
 けれども、男として一つ言っておかなければならないことがある。

「美神さん、その肉の半分を! 半分を! そうすれば、俺が地球上の綺麗なねーちゃんの半分を手中にすることが可能になるってことで!」

「あんたは黙ってなさい!」

 畜生。

 後頭部に突き刺さる神通棍の痛みに耐えながら、やっぱりダメか、とあっさり引き下がる。この立場はこの先未来永劫変わることは無いであろう。
 男はあきらめも肝心だ。

「じゃあ、おキヌちゃん、これは冷蔵庫にしまっておいて頂戴。後で私が調理して頂く事にするわ。そうとなったら早速、調べ物♪ 調べ物♪」

 『幸ステ』をおキヌちゃんに手渡すと、「正月早々なんでこんなに忙しいのよ」と変な逆ギレしながら美神さんは書斎の方へ行ってしまった。

 おキヌちゃんはそれを受け取ると、鼻歌混じりに台所へ向かう。さっき泣いてなかったっけ。

 タマモの方を見ると、「パス出しが遅い」とかなんとかってテレビに向かって文句を言っている。高校サッカーを見ているようだ。

 俺は丸テーブルに再び腰掛けると、両肘をそこにつき、組んだ手の上にあごを乗せる。
 なんだか取り残された気分であった。

 そういえば、と思った。

 もう一人の獣少女はどこへ行った?





 ――翌日。1月3日。

「じゃんぴんなう♪ がちでうるわし♪ ねばーえんでぃんぐさんぽらいふ♪」

 午前九時頃。脳天気な歌声で目を覚ます。
 やはり今年もこいつの「ねばーえんでぃんぐさんぽらいふ」に付き合わされるのか、と思った。

「あけましておめでとうでござるよ、せんせえ」

 新年の挨拶は1月1日にとっくに済ませていたはずだが。

「ああ、今年も早いもので残り362日となりました」

 適当にそう切り返し、温かい布団の中にしばしの別れを告げ、立ち上がる。
 冷たい水で顔を洗い、いつもの服装に着替え終えた頃には、どうにか脳みそのエンジンも掛かり始めていた。

「じゃあ、行こうか」
 と、シロを見た時、その赤色に驚いた。

 全く予期してない場面で現れる赤い色というのは、非常に刺激的だ。
 頭の中は完全に目覚めてしまった。
 赤はたしかに強烈であったが、それを基調とした晴れ着を身にまとうシロも、普段の姿からでは想像だにできない美しさを魅せつけてくれていた。
 たぶん、おキヌちゃんから借り受けた着物なのであろう。赤い色というのはおキヌちゃんのイメージとは少し違うような気はするが、もっと遠いイメージであったシロには意外と似合っていた。
 左右にスローペースで振られている尻尾もなんか変に良いアクセントになってる気がする。
 斬新的だ。
 ただ、あの尻尾を出す穴ってどうなってるのだろう、と気になった。
 まさか、穴は開けまい。着物の着付けは美神さんもおキヌちゃんもプロライセンス確実な腕前だ。まあ、おそらくおキヌちゃんが担当したのであろう。
 きっと彼女のことだ。なんか上手くやってるにちがいない。
 そして、いつも風まかせにされている自慢の長い銀髪も、今日は純和風に結い上げられ、彼女の小さな顔を引き立たせている。
 ただ、気になるのは、その頭に飾られている髪飾りだ。髪飾りというかヘアバンドである。動物の耳の形をした。彼女はなぜか猫耳バンドならぬ、「犬耳バンド」を装着しているのだ。
 なんだこりゃ?

「ど、どうでござるか、せんせえ?」

 着ている晴れ着に負けないくらい頬を赤く染め、シロは袖を慣れない手つきでつまみ、両手を軽く開いてみせる。

「うん、正直に言って、かなり驚いた。お前もちゃんとした女の子なんだな、って見直したよ」

 赤かった頬を更に赤く染め、シロは「へへへ」と変な笑い声をあげる。そして、うつむく。
 なんなんだ。この乙女モードのシロは。
 今年も、昨年の「change」やら「政権交代」やらに続いて、色々と革命的な年になるのかもしれない。

「んで、やっぱり散歩なのか?」
 俺は軽く屈伸運動をしながらシロに聞く。

 シロは軽く首を振りながら答える。
「今日はせんせえと初詣に行きたいでござる……」

「うん……。そっか……」

 事務所待機の作戦は完全に消滅したようだ。



 見上げると透き通るような青空が広がっている。
 幼い頃はこの空めがけて、友達とみんなでいっぱい凧を飛ばしたものだが、最近はそういう光景を見かけることは無い。
 そして、それをさびしいとも何とも思わなくなった俺自身。
 色々ひっくるめて、変わってしまったのであろう。
 変化とは至るところに在るものなのだ。

「そういえば、昨日はどうしてたんだ?」

 1日は事務所のメンバー全員と顔を合わせていたが、昨日は「幸ステ事件」の後、夕食の時間になってもシロは姿を見せなかったのだ。

「人狼の里に帰っていたのでござるよー」

「日帰りで?」

「そうでござる。昨日、事務所に戻ったのは真夜中で、みんな寝てたでござる」

「ちゃんとご飯食べたのか?」

「余ってた食材で、ちゃんと作って食べたでござるよ」

「せっかくの里帰りなんだから、もっと向こうでゆっくりしてりゃいいのに」

「……」

 黙り込んだまま横を歩くシロ。
 普段なら俺の前方三メートルほどが彼女のポジションなのだが、今日はぴったりと俺の横に着いている。

「どうした? 今日は大人しいな?」

「そ、そうでござるか? へへへ……」
 シロが変な笑い声をあげる。

「どこか具合でも悪いのか?」

「違うでござるよ。せっかくおキヌ殿に着せてもらった晴れ着や髪型が、崩れてしまう気がするので変に動けないんでござるよ」

「そうか。晴れ着という名の拘束具だな、こりゃ」

 俺が笑うと、シロも声をあげずに笑う。
 ただ、その笑顔は曖昧で、はっきりと俺に見せるようなことはしなかった。
 それから、「おキヌ殿はすごいでござる」とつぶやいたのが聞こえた。

「ところで、その頭に乗ってる『犬耳バンド』は何か意味があるのか?」

「あ、これは、年明け前に日本一大きな電気街に行った時のことでござる」

「ああ、あそこね」

「そこで、とある御仁に声を掛けられたのでござる。『その尻尾が燃える』と」

「……燃える?」

「拙者、慌てたでござる。カチカチ山になったら大変でござるから」

「シロ、たぶん、それ、漢字が違う。『燃える』じゃなくて『萌える』だ」

「『燃える』じゃなくて、『萌える』でござるか?」

「そう、『萌える』だ。『燃える』じゃなくて」
 と、なんか変な会話になった。

「そこで、困惑している拙者に、その御仁がこれを買ってくださったのでござるよ。これを頭に乗せれば、可愛さが倍増すると。で、どうでござるか、せんせえ? 拙者、可愛いでござるか?」

「うん、可愛いよ。でも、あそこはたしかに紳士が多いけど、あまり知らない人についていくのはダメだぞ」
 俺がそう答えると、シロはまた「へへへ」と変な笑い声をあげる。

「それと、その御仁から言葉遣いについてもご指導を頂いたでござるよ」

「ああ、たしかにお前の言葉は男っぽい感じだからなぁ」

「この言葉遣いで話すと、可愛さが更に倍増するらしいでござる。燃えだそうでござる。熱いのは嫌でござるが」

「ほほう」

「ちょっと練習したので聞いてくだされ」

「おお、やってみろ」

「わっちはぬしと旅が……「ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメっ!!!」

 そして、最後にもう一度「ダメ!」と文字通りダメを押しておく。
 背中から嫌な汗が流れていた。

「ど、どうしてでござるか!?」
 シロは目を大きく見開いて驚愕の表情を見せる。

 たしかに一致する点は多い。
 そういえば、名前も一文字違いだ。
 でも、絶対これはダメなことだ。
 事情を知らないシロには気の毒だが、無理にでも止めてもらわねばならない。

「俺はいつものシロの言葉遣いの方が好きなんだ」
 俺はシロの両肩に手を置き、優しく言い聞かせる。

「せ、せんせえがそう言うなら、もちろん止めるでござるよ」
 頬を赤く染め、うなずくシロ。
 そして、また「へへへ」と笑う。
 うん、良い子だ。



 目的の神社に着くと、人目をはばからず、美神さんが厄珍をしばき倒していた。
 側でおキヌちゃんがおろおろしている。
 二人とも、晴れ着とかではなく普段着であった。

 しばらくして、俺たちの姿を見つけたのか、おキヌちゃんがこちらに駆け寄ってきた。

「シロ、お前、先に行って並んでいてくれ」

 シロは少し不満そうな顔を見せたが、「分かったでござる」といつもとは違うスピード感の無い歩き方で、賽銭箱の前の行列の方へと歩き出した。
 そんな後姿だけを見たら、誰もなかなかシロだとは気づけないであろう。

「横島さん」
 おキヌちゃんが不安そうな顔でやって来る。

「なになに? なんか面白そうなことになってるね」

「全然面白くないですよ。私が約束は破れないって言ったら、美神さんもついてくるということになって……」

 ああ、そういえば、厄珍はおキヌちゃんと初詣の約束してたんだっけな、と思い出した。
 約束は破ってはいけない、とめちゃくちゃ良い子のおキヌちゃんを説得できず、それなら同伴と美神さんも一緒にやって来たのだろう。

 おキヌちゃんとの初詣どころか、美神さんにお礼参りされるとは。
 今年も良い年になりそうだな、厄珍。
 ついでにあけましておめでとう、厄珍。

「それと『幸ステ』が今朝になったら無くなっていたんです。で、美神さん、朝から荒れていて……。その上、更に『幸ステ』は副作用の無い商品だったらしくて」

「じゃあ、あれって本当にまともなアイテムだったんだね。まあ、おキヌちゃんに売った、ってところで危険なものでは無い気はしていたけど」

「でも、どこに行っちゃったんでしょう? タマモちゃんは食べていないって言ってるし、シロちゃんは帰ってきたのは夜中だったですし」

「俺も食べてないからね」

 美神さんの機嫌が直るまで、少し離れていた方が良さそうだ。

「そうですよね。残念です。せっかくみんなで幸せになろうと思ってたのに」
 そう言ってうつむくおキヌちゃんの向こうで、厄珍がひざから崩れ落ちるのが目に入った。

「ありゃ、おキヌちゃん、厄珍がついにノックアウトされたみたいだよ」

「え? 大変!」

 慌てて二人の方へ駆け戻っていくおキヌちゃんの背中を見送ったところで、誰かが俺の袖を引っ張った。
 シロであった。

「せんせえ、早く行くでござるよ」

 美神さんたちの様子などお構いなく、相変わらずのマイペースで俺に微笑みかけるシロ。
 そうだな、とシロの手を握り、賽銭箱の方へ向かう。
 さっきから歩きにくそうにしてたから手を握ってあげてみたが、あまり意味は無かったかもしれない。
 ただ、シロの方からもしっかり握り返してくるので、そのままにした。

 今日が1月3日であるということと、ここが近所の小さな神社ということもあって、賽銭箱の前には驚愕するほどの大きな列はできていなかった。
 二十分も待たずに、俺の番が回ってきた。

 俺はポケットから貴重な五円玉を箱の中に放り投げるが、なぜかシロは列から離れ、俺の斜め後方からこちらを見つめていた。

 ジャラジャラと鈴を鳴らし、パンパンと二回手を合わせる。

 1、給料が上がりますように。
 2、何でも言うことを聞く、裸のねーちゃんと出会えますように。
 3、テストで100点がとれますように。

 以上の三つをお願いした。
 これらが叶えば、今年はパーフェクトだ。
 不景気なままで構わない。

「おい、シロ。お前はいいのか?」
 と、斜め後方でにこにこしているシロに問いかける。

「拙者は……」

 急にうつむいてモジモジとし出す。
 なんか今日は様子が変だ。
 事務所待機の計画は崩壊したのに、シロだけ晴れ着だし。

「もう、お願いは済んでござるから……」


 ふと、頭の中で。
 上手く言えないけど。
 今までのことが一つに繋がった。


「そっか」
 俺はここで言葉を締めた。


 なるほどね。



 俺が歩き出すと、シロが横にぴったりと寄ってくる。

「で、何てお願いをしたんだ?」

「へへへ」
 と、シロがまた変な笑い声をあげる。

 まるで、もう願いは叶っているかのようだった。





   完
あけましておめでとうございます。



   カシュエイ

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