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文珠怨 後編


 ギギギッ……っと軋むドアを開け、住み慣れたボロアパートの部屋へと帰り着く。

「うううっ、しかし何やったんや。あのビデオ屋でのアレは……」

 リュックを畳に投げ出し、コタツのコンセントを挿しこんでスイッチを入れる。
気のせいだ、疲れていたからだ……と思い込もうとする。しかしあの嫌な視線が、脳裏にこびり付いて離れない。
深くため息を吐きながら、ビデオを戻そうとした瞬間を思い出す。


 
 冷たい金属製の棚、その細く暗い隙間から覗いていた瞳



 どことなく恨めしそうに、ジッと俺を見つめていたような気がする。
安物の窓ガラスが外の風にガタガタと揺れ、部屋にその寂しい音だけが鳴り響く。
 寒い……。コタツに足を入れたまま体を震わせる。我が家での唯一の暖房器具はちっとも暖まってくれない。
 改めて確認する。やはりコンセント、そしてスイッチもしっかりとセットされている。

「おキヌちゃんが、温度設定を弱めたんかな」

 頭をコタツ布団の中にに突っ込み、温度調整用のツマミを探す。
うう、寒い。闇の中、温度調整用のツマミをなんとかみつけ、弱から強まで捻る。
コタツの中、ヒーターの赤い輝きが僅かに強さを増す。
 おお、少しだけあったかい……、ん、何だ、何か聴こえる……。

「…………ァ……ァァァァ…………ァ…………」

 なんだ、この音……。コタツ布団に頭を突っ込んだ姿勢のまま、俺は固まる。
男か女かは解らないが、喉の奥から無理矢理に搾り出すような、低い声のような不気味な音。確かに聞こえた。
俺の頭蓋骨の中で、うねうねとした蟲が大量に這い回っているような、気持ち悪い振動が耳に伝わる。
 恐る恐るコタツから、頭を出して部屋の中を見回す。な、何もいない。風の音……か?
今夜は風が強い。クリスマスを間近に控え、強く、冷たい風が吹いている。じっと耳を澄ます。聴こえない。
 聞き間違いだったのか。うん、きっとそうだ。強引に納得する。
良し、さっき借りたビデオでも見るか。
畳に投げ出されたリュックを手元に引き摺りよせ、中からビデオを取り出そうとする……。
 
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

 ま、また聞こえる。更に、ガリガリと何かを引っ掻くような音までも。
ど、どこからだっ。耳を澄ます。木の板を爪でひたすら引っ掻いているような音。その単調な音が、寒々とした部屋に響く。
 悪霊…… いや、ありえない。このアパートはボロボロだとは言え、すぐ隣には福の神が住んでいる。
つまり、この建物自体が小さな神社に匹敵するほどの神域……だと思う。
 あの貧にどれほどのご利益があるか甚だ疑問とはいえ、悪霊は流石に現れる事を躊躇うハズだ……。

「気のせいや、気のせいや……」」

 必死に己に言い聞かせながら、ビデオデッキにカセットを差し込む。
声は収まったようだ。だが、木の板を引っ掻くような音はまだ続いている。



 カリカリカリカリカリ……



 その音だけが、寒い部屋に響く。
耳を澄ます。天井……か?押入れの上辺りの天井から聞こえてくる。
ネ、ネズミだ、そうに決まってる。
 
 カチャン

 とその時、冷たい機械音をビデオが立て、テレビに映像が映し出され始める。
俺は天井からの音を努めて無視しながら、画面に集中しようとする。
 おお、黒いストッキングに包まれた足。ソレを嘗め回すようにカメラが映し出していく。

「美神さんより、2センチほど太いな……。いや、問題は顔だ、顔……」

 カメラがゆっくりと全身図を映すように、後ろに引いていく。
よし、体は……、う、美神さんに比べればずいぶんと劣る、が紫のボディコンスーツが良し!だ。
そのままゆっくりと、顔が……。

「どっ、どんだけーーー!!!!!!」

 これ……、パッケージ写真の修正ってレベルじゃねーそっ!!
これじゃ、おネエキャラでゲイの、某カリスマメイクアップアーティストじゃねーかっ!!!
ふ、ふざけすぎだろ……。途中まで脱いだジーンズが痛々しすぎるっ!!
 腹立ち紛れにテレビとビデオのコンセントを、力任せに引き抜く。
ブツンッっと画面が暗くなり、部屋に静寂が戻る。
 おっ、気付けば天井裏からの音がなくなっている。やはりネズミだったのか。
ため息をつき、寝るために万年床に潜り込もうと、掛け布団を少しだけ持ち上げる。



 いる………



 入り込もうとした布団。その奥。暗がりの中で、二つの目が……、じっとりと俺を睨んで……。

「ど、どわわわわっ…………」

 思わず飛び退こうとするが、中途半端に脱いだジーンズが足を拘束し、一気にバランスを崩す。

「うおおおおっ!!」

 後ろ向きに恐ろしい勢いで倒れ込む。ま、まずい、この位置には、コ、コタツがっ!!!
ゴズンッという音、ソレが頭蓋骨に響き渡り、俺は、ゆっくりと意識を…………。






 文珠怨 後編






「よこしまさんっ!よこしまさんっ、もう、こんな所で寝ちゃったら、また風邪をひいちゃいますよ」

 う……、ゆさゆさと優しく体を揺らされる。この、蜜柑にも似たいい香り。優しい声……。

「お、おキヌちゃんっ!!」

 ガバッっと体を起こす。
う……、辺りを見る。布団とコタツの中間の場所。俺はそこに毛布一枚だけで眠っていたようだ。
 毛布……、無意識に引っ張ったのか?
窓の外は暗く、雨でも降っているのか時折ゴロゴロと雷鳴が轟く。

「あ、おはよう、おキヌちゃん。今、何時……」

 あくびを噛み締めながら、目をこする。
えっと……、昨夜は何かあったような……、いや、なんか後頭部が痛いぞって、

「あわわわっ!お、おキヌちゃんっ!な、なんか感じない?昨日悪霊が部屋におったんや!!」

 白いワンピースに、エプロンを着けた格好で台所に向かおうとする彼女を呼び止める。
右手でゆっくりと痛む後頭部を触る。うう、かすかにタンコブができとる。

「えっ?なんにも感じませんけど……。それに、このお部屋には悪霊除けの御札を貼っているんですよ」

 くるりと振り返り、きょとんとした表情で言葉を返してくる。
形の良い小さなあごに人差し指をあて、頭をちょっと傾けて、言葉を続ける。

「うーん、やっぱり何にも感じません。横島さんの勘違い……じゃないんですか?」

「いやいやいや。そんな事ないって、昨日大変やったんや。え、あ、おキヌちゃん、その悪霊除けの御札って何?」

 俺の声に、おキヌちゃんはワンピースの胸元にあしらわれたリボンを触りながら、顔を赤らめて言葉を返す。

「えっええええ、あああ、そそそれはですね……。えっと、最近わたし、よくお泊り……してるじゃないですか……」

 白い指を交差させるように組み合わせ、真っ赤な顔で言葉を続ける。

「あの……、それで、ええ、えっと、ごにょごにょ……の時に、霊体が抜けてしまう時があるんです、その……、時々」

 う……、俺も顔を赤らめる。

「そそ、そういう時、体も、抜け出た霊体も失神……というか呆然としてるんです……。だから、その時にもしも悪霊とかに見つかると危ないから、えっと……」

 真っ赤な顔を白い両手で隠しながら、言葉を続ける。

「み、美神さんに内緒で、安物ですけど、一枚だけ御札を借りてきちゃいました。えっと、押入れの上、天井に貼ってます」
  
 その言葉にハッっとなる。押入れの上……。昨夜、あの声が聞こえた場所、そして何かを引っ掻くような音がしていた場所……。

「ちょ、ちょっと見てみる。押入れの上だね」

 リュックから、懐中電灯を取り出し、押入れを開け中板に登り、ゆっくりと天井へと続く板を外す。
埃とカビの混じり合った独特の匂いが鼻に届く。弱々しい光をゆっくりと闇に向ける。
 たぶん…… あの辺りだ。昨夜、音が続いていたのは。重点的に光で照らす。
無い。何も無い。その周辺を含め、勘の赴くまま光を向ける。

「おキヌちゃん、無いよ!御札も何も無い!ねえ、おキヌちゃん。ん?おキヌちゃんってば」

 俺の声が届いていないのか?何の応えも無い。悪い予感……。急いで押入れから飛び出す。
遠くでゴロゴロと雷鳴が轟いている。

「おキヌちゃんっ!どうかしたっ!?」

 おキヌちゃんが、白い顔でテレビ画面を見つめている。
何だ?なにがある?俺も視線を画面に向ける。

 広い部屋の中央。そこに女がうつぶせで倒れている。
死体……。一瞬そう思う。が、その女の体がゆっくりと動き出す。俺達に向かって。



  ズルズル、ズルズルと…… 這いながら……



「コ、コンセント……、ささってないのに……」

 そう、昨夜テレビのコンセントは抜いたまま……。映るハズが無いのに……、その女は存在している。
ゆっくり、ゆっくりと、ただ画面を見つめるしかない俺達に向かい、画面の向こうの女が近寄ってくる。

「…………ァ……ァァァァ…………ァ…………」

 この声……。間違いない。昨夜、何度も聴こえた声。喉の奥から搾り出すような声。

「よ、よこしまさん。こ、この部屋……、このテレビに映っているこの部屋って!!」

 おキヌちゃんが震える両手で俺の手にしがみつく。
俺も震える手でしっかりと握り返す。
 画面の女がゆっくりと顔を上げる。長い髪……、そこから覗く瞳。ゆっくりと口を開ける……。




「お、おキヌちゃん……、お水ちょうだい。ふ、二日酔いで死にそう……」

「ええええええっ、美神さんっ!!」

「横島さんっ!!この映ってる部屋、美神さんのマンションですっ!!」







 雷雨の中、おキヌちゃんと二人で早朝のタクシーを拾い、美神さんのマンションへと駆けつける。
おキヌちゃんが入り口のパスワードを開け、預かっている鍵を取り出し、美神さんの部屋へと急いで入る。

「どわっ!!酒くっさ、な、なんじゃこりゃ!」

 玄関まで転がっている酒のビン。超高級マンションも台無しにする勢いで、強烈なアルコールの匂いが充満している。

「美神さんっ、大丈夫ですか!おキヌですっ!入りますね」

 駆け足で美神さんのいるであろう部屋へと向かう。
とにかく空になった酒瓶があちらこちらに散らばっており、ある種のカオスが広がっている。
 そして、なんだ?アルコールとは別の、ツンとした酸っぱい匂いが漂う。

「美神さん、美神さんっ、お水です。しっかりして下さい。美神さんっ」

 おキヌちゃんが、半ば酔い潰れている美神さんを膝枕し、その口元へとコップに注いだ水を持っていく。

「う……、ん、え、えええ、あれ?な、なんで、あああんた達が、ここに?」

 水を飲んで意識がはっきりとしたのか、むくりと体を起こし、狼狽した様子で俺達を見つめる。
顔は真っ赤で、長い髪もほつれている。ん、なんだ、涙……の跡なのか?

「美神さん……、もう、心配したんだから……」

 おキヌちゃんが、ぎゅうっと美神さんにしがみつく。
一瞬、吃驚した顔をするが、すぐに美神さんは優しい顔でおキヌちゃんを抱きしめる。

「ほんと……、俺も心配したっすよ……、突然……。ん?え、そ、それまさか美神さんっ!!」

 俺の指差した場所。そこには食べかけの『チーズ餡しめ鯖バーガー』
そして、その横には剥がしたてといった感じの、悪霊除けの御札まで……。

「あああ、アンタだったんすね!!!昨日のアレはっ!!ど、どういう事か、きっちり説明して貰いますよ!!」

 俺の言葉に、おキヌちゃんも驚いた顔で美神さんを見つめる。

「し、知らないわよっ!!お、お酒のツマミにと思って、偶々買っただけなんだからっ!!」

 頬を赤く染め、美神さんが横を向く。
くっ、あくまでシラを切るつもりか……。

「美神さん……、この御札って……。えっと、御免なさい。勝手に持ち出して……」

 おキヌちゃんがしょんぼりとした様子で項垂れている。
その様子に、美神さんは優しくおキヌちゃんの頭を撫で、観念したかのように口を開く。

「もう……、さ、さ、寂しかったのっ!!」

 真っ赤になりながら、やけくそ気味に言葉を続ける。

「そそ、そりゃあさ。横島クンとおキヌちゃんが、えっと、その、男女の、その関係になったのは……、それは……ごにょごにょ……」

 ブツブツと何かを呟いている。が、覚悟を決めたように大きく言葉を続ける。

「でも、それでもっ、水臭いでしょ!!ずっと、ずっと三人でやってきたんじゃないっ!!お祝い……させてよ……、気付かない訳ないじゃない。今まで、今まで、いつでも一緒にいたんだから。なのに私だけのけ者にされてさ……、寂しかったんだから……。秘密にしなくてもいいじゃない……。二人とも、大切な仲間なんだから……」

 その言葉を最後に、美神さんはおキヌちゃんと二人、静かに抱き合っている。
言葉が出ない。なんというか、胸が熱くて、うまく表現できない。でも……。

「ありがとうございます……、美神さん。そして黙っていて、すいませんでした」

 ゆっくりと頭を下げる。感謝する。本当に、俺はこの人に、敵わない。でも、それでもいい。
これからも、三人でドタバタと頑張っていく。

「もう……。私も悪かったわよ。ホント恥ずかしいわ、我ながら……」

 しかし、美神さんだったとは……。昨夜の自分を思うと、恥ずかしさと可笑しさが込み上げてくる。

「いやぁ、ま、皆でこの部屋片付けましょうか。しかし、美神さん……。ビデオ屋で俺、大声出しちゃいましたよ。次行くのが恥ずかしいっす」

 クスクスと笑いながら、三人で手近なビンを集め始める。うおっ、なんだ高そうなビンだな、これ。

「ビデオ屋ぁ?なによソレ、私がバーガー食べた時は、あんたもう部屋にいたわよ。うー、あたま痛い……。おキヌちゃんコーヒーお願いしていい?」

 その言葉に、俺の手が止まる。えっ、どういうこと……。
 ハッと、台所に向かう彼女に視線を向ける。

 にこり、とおキヌちゃんは花のように微笑んだ……。  
 
ううう。駄文で申し訳ありません。
精一杯です。自分には、まだまだ無理な題材でした。
しくしく。
次は気を取り直して、美×横の砂糖です。
年内には……。いけるかなぁ
いつも読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。

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