36巻 フォクシー・ガール(その2)からの再構成です。
『位置についてーーーー!!』
オリンピックの会場、室内プール場にアナウンスが響き渡る。
館内にいる数万人の、世界各国から訪れた観衆が静まり返り、カメラのフラッシュがたかれる。
200M自由形…。最後の決勝戦、私の胸が張り裂けんばかりに高鳴る。
私が泳ぐわけじゃない。でも、きっとこの会場の誰よりも、私の心臓は激しく鼓動を刻んでいる。
だって、日本代表として今から泳ぐのは、私の大切な、誰よりも大切なあの人だから……。
「横島ガンバレーーーー!!」
アナウンサーという立場を忘れ、私は思わず叫んでしまう。
横島さんが、パーカーを脱ぎ去り、飛び込み台の上で構える。
筋肉ムキムキの他の国の選手と比べたら、横島さんの体は細い感じがする。
だけど、何度も死線を潜り抜けてきたヒーローだって、私を、ううん皆を何度も助けてくれたヒーローだって、私は知っている。
きっと、横島さんは勝つ!!
『ドンッ!!』
青い水を湛えたプールを、横島さんが美しいフォームで泳いでいる。
誰にも負けてない……。綺麗……。思わず、涙がこぼれそうになる。
「横島ガンバレ!!横島ガンバレ!!」
マイクに向かい、私は絶叫してしまう。
ああ、アナウンサー失格だ……。だって、こんなに、横島さんしか目に入らない……。
「日本の横島、すばらしい泳ぎですっ!!」
誰より正直で、優しくって、真っ直ぐなあの人。
辛いことがあったけど、それを乗り越え、今あんなに一生懸命にあの人は泳いでる。
私は、叫ぶことしか出来ない。応援しか出来ない。だから、叫ぶ。
ほんのわずかでも、横島さんを支えられたらって想いながら……。
「横島ガンバレ!!横島ガンバレ!!横島ガンバレーーーーー!!!!」
泳いでる。真剣な顔で、必死な表情で。
体格差をものともせず、どんな時でも諦めない光を眼にやどらせて、横島さんが泳いでる。
胸が熱くなる。涙がとめどなく流れる。叫びすぎた喉がヒリヒリする。でも、声を止めない。
彼が頑張っているから……。大好きな横島さんが、必死で頑張っているから!!
たとえ私の喉がつぶれたって、応援する声は止めないっ!!
ああ、今、横島さんの手が、あの右手が、栄光を掴まんとタッチする……。
涙がボロボロ、ボロボロと溢れて嗚咽がこみ上げてきて、私、何も言えなくなる。
『一位!!タダオ ヨコシマ!!ジャパン!!』
割れんばかりの歓声が、館内を揺らす。
カメラのフラッシュが、いつまでも収まらず、彼の水に濡れた体がそれを反射して、まるで光り輝いているみたい。
誰よりも早く、早く、あの人に…。
アナウンサー席を飛び出し、横島さんの胸に飛び込む。
ギュッって抱きしめる。彼の体は冷え切ってる。でも、そんな事は関係ない。
私が温めてあげたい。抱きしめた両手に力がこもる。あとから、あとから涙が溢れてくる。
「横島さん……、おめでとうっ!!横島さんっ、大好きっ!!、大好きっ!!、大好きっ!!」
「お、おキヌ……ちゃん……」
大歓声の中……、思わず胸の中に秘めた想いが溢れていく。とまらない……。
「私じゃ、私なんかじゃ!!、ルシオラさんみたいに支えられないかもしれないけどっ……、でも、でも、ずっと、ずっと好きだったの」
彼の腕に抱かれて、彼の匂いに包まれて、私の顔は涙でぐちゃぐちゃで、きっとすごく真っ赤になってる。
自分が何を叫んでいるのかも、よくわからない。でも……。
「あ、ありがとう……」
横島さんの腕の中、冷えた彼の体を少しでも温めたくて、離れたくなくて、大歓声が私の背中を押してくれて……。
「ずっと、ずっと、大好き……だったの……」
私は、そっと、キスをする……。
文珠怨 前編
「へーっくし!!あんの…クソ狐めーーっ!!」
「み…みごとに化かされましたねーーーー」
鼻をかみながら、私は答える。は、恥ずかしい。
横島さんの家の中、小さなコタツに、私達はちょっと不自然なくらい離れて座ってる。
恥ずかしくって、横島さんの顔が見れない。お互い、顔が真っ赤なのは、きっと風邪だけのせいじゃない。
みかんを剥いたけど、全然食べる気にならない。
沈黙が、昨夜を思い出させる。
私の告白を横島さんが受け入れてくれて、まだ化かされたままの私達は、金メダルを取った余韻と興奮が残っていて……。
冷えた体を温めてあげたくて……。
ずっと大好きだった横島さんと二人きりで…。キスだけじゃ、全然鼓動が止まらなくて……。
すごく、すっごく痛かったけど……、信じられないくらい幸せで……。
また鼓動が早くなる。
横島さんに聞こえるんじゃないかってくらい、私の胸はドキドキと高鳴ってる。昨夜を思い出し、喉がカラカラになる……。
それを誤魔化したくて、私は口を開く。
「ま、まぁ…、すぐに仲良くなろうたってムリですね…!」
ピンポーンとチャイムが鳴る。
も、もしかして…、美神さん…。昨夜はここに泊まったから、心配して。
ううん、まさか女の勘で……私と横島さんが…。
どうしよう……。胸が痛い。美神さんに、横島さんと私が、あの、その……、シちゃった……って、ばれたら……。
「あれ?」
玄関から戻ってきた横島さんが、葉っぱで包まれた草の束をもっている。
「お、おキヌちゃん……。き、きっと、これキツネからだ……」
微妙に目線を逸らしながら、横島さんがトンとコタツの上にそれを置く。
「そ、そ、そうなんですか…。な、なんでしょうね……」
また、私の対角線上、離れた所に座る横島さん。やっぱり恥ずかしい…。
草の束を手に取り、中身を確認する。
なつかしい……。昔からある薬草ばっかり。
「わ、私、お、お湯沸かして、きますっ!!」
立ち上がり、台所に向かおうとする。
とにかく二人でいると、嬉しいのに恥ずかしくて、幸せなのに胸がドキドキして、気がつまる。
「ちょ、俺がするよっ、おキヌちゃんは、座ってて…」
「きゃっ!!」
急に立ち上がった横島さん。コタツ布団が私の足にからまって、風邪でちょっとフラフラしちゃってた私は……。
「危ないっ!!」
ぎゅうっ!!って気付けば横島さんに力一杯抱きしめられてた。
ドキドキ、ドキドキって心臓が破れそう。唇がお互いあと5センチもないほど近くって、目が離せない。
お互いの体温が、抱きしめた腕越しに伝わる。恥ずかしくて、嬉しすぎて、また抱きしめてしまう。
言葉が、ひとりでに唇からこぼれる。言いたかった言い訳。少しでも一緒にいたくて…。
「え、えと……、横島さん…、お薬……、飲んだら、もう一泊しても……、い、いいでしょうか……、あの薬、眠くなるし……あ、危ないですし……」
「う、うん…。も、もちろん……」
彼の腕に抱かれ、熱に浮かされた頭で、熱いキスをされながら、私は思う。
ああ、今度、タマモちゃんに会ったら、いっぱい、いっぱい油揚げご馳走しちゃおう……。
「おキヌちゃん……、大好きだよ……」
狭い部屋の中、男女の甘い囁き声が、響く……。
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