「―――――はござらんか?」
昼下がりの厄珍堂。
お使いで訪れたシロが口にした言葉に、いつものように昼ドラ視聴中の厄珍は我が耳を疑った。
彼女と自分の間には破魔札の束が3つと呪縛ロープ―――いつもの美神事務所への納品が並んでいる。
夏バテでダウンした事務所の面々に代わり、それを受け取りに来た人狼少女。
天真爛漫な少女がついでの買い物にと口にした商品は、彼女のキャラクターに明らかに似つかわしく無かった。
厄珍は気分を落ち着かせるために番茶を一口すすると、訝しむような視線をシロへと送る。
「・・・・・・お嬢ちゃん。それが何だか知ってるアルか?」
「勿論でござる! 元気が無いときでもソレを使うと・・・・・・うわっ! 何するでござるかっ!!」
胸を張って質問に答えようとしたシロは、厄珍が吹き出した飲みかけのお茶から慌てて身を逃す。
購入した商品を濡らさないよう、手に持って跳び退ったのは常人離れした反射神経のおかげだった。
「す、すまんね。危うく商品をダメにする所だったアル。お嬢ちゃんのおかげで助かったアルよ!」
雑巾で素早くカウンターの上を拭きながら、厄珍は数メートルの距離を跳び退ったシロに視線を移す。
一千万円分のお札を吹き出したお茶から救った少女は、自信に満ちた笑みを浮かべ厄珍の視線を受け止めていた。
「これから大切な除霊故、追加の装備が無いのは困るでござるからな・・・・・・してご主人。拙者が求める品はあるでござるか?」
「そうか。小僧ね! お嬢ちゃんに変なこと吹き込んだのは。見損なったアル! こんな年端もいかない娘にそんなこと教えて・・・・・・お嬢ちゃん! あんなヤツのいうことなんか聞いちゃ駄目アルよっ!!」
「ちょっ、拙者にそれを教えてくれたのは、先生ではなくタマモでござるよ」
「へ? タマモと言うと、確かお嬢ちゃんと同い年くらいの妖弧あるな? 大昔、朝廷の男たちを手玉にとったと言う伝説の・・・・・」
「今は一日中クーラに当たりながら、ゲームばかりやっているぐーたら狐でござる。そのタマモが、プレイにはそのあいてむが欠かせないと教えてくれたでござる」
「ぷ、プレイ?」
「そう! それを使えばすぐに回復できると・・・・・・違うでござるか?」
「そ、それは年齢にもよりそうな・・・・・・・・・ってナニ言わせるあるかっ!!」
突如怒りだした厄珍に、シロはキョトンとした表情を浮かべた。
「ナニって元気に・・・・・・」
「だーっ! 止めるアルね! 兎に角、そんなモノ買おうとしたことが知れたら、令子ちゃんに叱られるアルよっ!!」
「そんなことないでござるよ! 美神殿も先生が元気になれば嬉しいに決まっているでござる!!」
「れ、令子ちゃんが!?」
「最近、先生も夏バテで元気がない故、美神殿は欲求不満そうでござる。だから拙者は、2人が思いっきり出来るように・・・・・・」
「わかったアル! わかったからもう止めるね!」
シロの言葉を遮った厄珍は、悲しさと慈しみが同居した表情を浮かべていた。
彼は小さな溜息を吐き出すと、何かを吹っ切るようにぎこちない笑顔を浮かべる。
そして、不思議そうに首を傾げるシロにこう語りかけるのだった。
「いつの間にかそんなことになっていたとはね・・・・・・・・・・・・令子ちゃんと小僧の幸せのために、ワタシのとっておきを分けてあげるよ。御代はサービスある」
―――――― 回復役には白魔道師 ――――――
その日、美神令子は不吉な予感に頭を悩ませていた。
連日連夜の猛暑によって、生命力だけは人一倍の丁稚を始め、シロ以外の事務所メンバーがすっかり体調を崩している。
夏バテと口で言うのは簡単だが、一瞬の判断ミスが命に関わる除霊作業に、本調子でないメンバーが加わる危険性を彼女は重く受け止めている。
急遽追加の装備をシロに買いに行かせたものの、不吉な予感は依然として彼女を捉えて離さなかった。
「今日の仕事は延期した方がいいかしら・・・・・・」
「だめッスよ。困ってる人を放っておくなんて」
横島が口にした見え見えの偽善の台詞も明らかにキレがない。
事務所で口にしたポカリと、これから出向く除霊場所がプールであることへの期待が、辛うじて彼の気力を支えていた。
だが、美神は横島の気力が、現地に到着した途端にポッキリ音を立てて折れるのを確信している。
突如起こった怪異により施設は閉鎖。当然、若い女性客は皆無。
したがって彼が期待している大勢の水着のネーちゃんは・・・・・・
美神は頭痛に堪えるようにこめかみを押さえると、その事実を彼に伝えようとする。
サポートに不安を感じ、全力で除霊に打ち込めないここ数日の状況は、決定的な破綻を見せる前に建て直す必要があった。
「あのね・・・・・・横島クン」
「美神さんの言う通りよ。夏バテで体調が万全で無いときは延期も必要だわ」
美神の台詞を遮ったのは、ソファにぐでーっと横たわったタマモだった。
彼女もここ数日元気が無く、部屋に引き籠もった状態が続いている。
「お前は単なる寝不足だろ。シロがこぼしてたぞ・・・・・・毎晩、遅くまで部屋のTVを占領されてるって。んで、クリアしたのかよ」
その問いかけに答えるように、ソファの背もたれ越しに突き出されたのは無言のVサイン。
RPGにどっぷりはまり、体調を崩すほどのめり込んだ彼女の姿に、美神の頭痛は益々その強さを増していた。
助けを求めるようにおキヌに視線を向けるが、定番の夏向けダイエット中の彼女は、ショウウインドウ越しにトランペットを眺めるハーレムの少年の様に、QP3分クッキングを見つめている。
「だーっ! ナニこのグタグタぷり。やっぱり今日は・・・・・・」
「ただいまでござるーッ!」
美神が再び口にしかかった延期の台詞を遮ったのは、元気いっぱいのシロだった。
いつも元気な彼女の登場に、それまで事務所を覆っていた疲れた空気が一変する。
「お、先生。来ていたでござるか! どうでござるか? 夏バテの調子は!!」
「だーっ! 帰ってきて早々じゃれつくなっ!! そんなもん、夏のプールを前にすりゃ一瞬で回復するに決まっておろうが」
「流石先生。しかし、万一の時は遠慮無く拙者を頼ってくだされ!」
「んなこと言って足引っ張るんじゃないの? アンタが自信満々の時って何か不安なのよね」
「なんだと! このグータラ狐」
「なによ! やる気!?」
帰って早々の一触即発の雰囲気。
しかし、それが単なるじゃれ合いであることに、美神だけでなく事務所の全員が気づいている。
いつもならタイミングを見計らい美神かおキヌが割って入るのだが、今日は珍しくシロの方から折れるのだった。
「いや、今回はタマモのゲーム好きのおかげでござるからな・・・・・・それよりもおキヌ殿!」
「え! 私!?」
「早く、お昼ご飯作って欲しいでござるよ! 腹が減っては戦は出来ぬ。おキヌ殿の美味しいご飯を食べて、早く除霊に行こうではごさらんか、ささ、早く早く!!」
「ちょ、ちょっと! もー仕方ないなぁ、シロちゃんは!」
ヒャンヒャンとおキヌの周りをうろちょろする姿に、おキヌの顔にもみるみる生気が戻っていく。
周囲を巻き込む元気いっぱいのシロに口元をほころばせると、美神は除霊の延期を思いとどまるのだった。
「甘かった・・・・・・」
閑散としたプールサイド。
張り切って新調した水着も空しく、ガックリとその場に膝をついた横島に、美神は己の判断の甘さを後悔していた。
南国をイメージして作られた、人工のジャングルを有する屋内レジャー施設は、臨時休業が作り出した静寂の中である種の不気味さを感じさせている。
熱帯特有の闇を払拭する若い女性客の水着姿は当然なく、目当ての光景が存在しない事実にようやく気付いた横島のテンションは、このまま地面に潜り込んでしまうんではと思うほど急落していた。
一瞬、シロと横島の役割を交換することも考えた美神だったが、よく考えればバックアップに役立たずを回すことも危険であることに思い至る。
そして何より、シロではいざという時に盾にする訳にもいかない。
美神はチラリとおキヌたちバックアップ役の3人に視線を向けてから、早々に切り札を使うことを決意した。
「それじゃ、おキヌちゃんたちはいつもの様にバックアップ。私とコイツで怪しい所を捜索するから、何かあったら援護して頂戴。ホラ、アンタもいつまでも落ち込んでないの! 蹴っ飛ばすわよ!!」
「痛っ! もう蹴ってるじゃないッスか。ホントにもう・・・・・・・・・・・・」
有言実行とばかりに美神に尻を蹴飛ばされた横島は、不平たらたらの様子で背後を振り返る。
しかし、口をつこうとした彼の抗議は、視線の先の光景に出口を失っていた。
振り返った先には、まさに衣類を脱ぎ捨てようとしている美神の姿。
彼女は、万が一の保険として、いつもの衣装の下に水着を着込んでいたのだった。
「・・・・・・なによ! モンクある?」
「い、いえ。モンクなんて滅相もない。いやー、やっぱり、プールサイドに水着は必須ッスね!」
「そうよ。プールで水着になるのは必然性からッ! ソレ以外に何の目的もないんだからねっ!」
シャカシャカとにじり寄る横島にプイと背を向けた美神は、禍々しい気が漂う人工ジャングルへと足を踏み入れていく。
裸足で中を散策出来るよう、硬質ゴムのタイルで舗装された遊歩道をズンズンと闊歩する美神。
その顔が若干赤いのは、彼女自身も水着姿となることに無理を感じているからに他ならない。
「みか・・・・・・」
「あー、うるさい、ウルサイ、五月蠅いッ! アンタは黙ってアタシについてくればいいの」
何か言おうとしている横島の言葉を遮り、美神は聞く耳を持たないとばかりに耳を塞ぎながら蔓植物の側をすり抜ける。
そのいつになく迂闊な行動が、ピンチを招くのは彼女の水着姿以上に必然と言えた。
美神が絵に描いたように怪しい蔓植物の下を潜った瞬間、突如周囲の藪がざわめく。
完全に不意を突かれた美神に、触手の様に蠢く植物の蔓が一斉に襲いかかった。
「チッ! 危ないって、言って・・・・・・」
異変にいち早く気付いた横島は、絶叫にも似た叫びをあげつつ美神を突き飛ばそうと走り込む。
走り込んだ横島の気を感じ、驚き振り返った美神は可愛らしい悲鳴とは裏腹な行動を反射的にとってしまっていた。
「キャッ!!」
「グハッ!!」
自分を安全圏に突き飛ばそうとした横島の手をかいくぐり、美神はピーカーブースタイルからデンプシーロールによる一連のコンボを彼に叩き込む。
その行動の間違いに彼女が気付いたのは、一瞬意識が飛んだ横島共々触手に絡め取られた後のことだった。
彼と重なり合うように蔓でぐるぐる巻きにされた美神は、意識を回復させた横島と間近で視線をあわせると、苦笑いを浮かべつついつもの台詞を口にしようとする。
「しまっ・・・・・・」
「しまったじゃないでしょうッ! ヒトが折角助けようとしたのに、ナニ凶悪なコンボで応戦してるんスかッ!!」
「いや、急に邪悪な気が膨らんだからてっきりアンタだと・・・・・・」
「何で邪悪な気だと俺になるんすかッ!?」
「あら、自覚なかったの? それじゃ邪な気って言い換えましょうか?」
明らかなピンチであるのに、美神と横島はいつもの調子で余裕たっぷりに軽口をたたき合う。
どうやらこの2人にとっては、このくらいの状況はピンチの内に入らないらしい。
美神は横島をやりこめつつ、自分たちを絡め取った蔓の特徴を冷静に分析する。
接触した部分から霊力を奪い取るタイプの妖植物。
おそらくこのプールで失神する者が続出したのは、コイツのせいだろう。
そうと分かれば対処法は至極簡単だった。
「さてと・・・・・・それじゃ、先ずはこの場からの脱出ね。横島クン、文珠出して」
脱出後、安全圏からタマモに火をつけさせる。
妖植物に蓄積した霊気が爆ぜ軽い爆発が起こるかも知れないが、今まで起こった被害の規模からしてそんな大きなものではないだろう。
何よりお札代がかからないのが魅力だった。
「ムリデスネー。レイリョクがスわれてチカラがデないー」
「なッ・・・・・・」
ものの見事にふて腐れた横島に、美神は言葉を失っていた。
横島は明らかに脱出を放棄し、美神と密着した状態の維持に努めようとしている。
そんな彼の意図に気付いた美神は、氷の様な冷たい表情を浮かべ横島の耳元でこう囁くのだった。
「ふうん。アンタが、(滑)とかの文珠を出せば簡単だったのに・・・・・・・・・・・・それじゃ、おキヌちゃんたちの助けを待つしかないわね。タマモの火なら蔓を焼き切ることもできるし・・・・・・あ、そうそう。おキヌちゃんが包丁持ってるかもしれないわね」
「う・・・・・・」
もちろん狐火や包丁で切断を試みるのは横島に接した部分の蔓。
切断する際に手違いが起こっても、それは不幸な事故に過ぎない。
そのような含みがしっかりと込められた美神の囁きに、横島の頬に冷や汗がつうと流れる。
延焼による爆発の危険性や、おキヌのキャラからいって実現性の薄い行動だったが、美神はそんなことを全く窺わせず強気の表情を崩さない。
しばし見つめ合う美神と横島。
両者とも自分から折れようという発想は無いらしい。
しかし、しばし続く筈だったせめぎ合いは、全く予想もしなかった救いの手によって中断することとなる。
「HPを吸収されたでござるな!? それなら拙者にまかせるでござる!!」
「シロ、お前ナニ言って・・・・・・」
2人の前に駆けつけたシロは満面の笑みを浮かべていた。
彼女の背後には気まずい表情のおキヌとタマモが、シロが後ろ手に持った何かにチラチラと視線を奔らせながら追従している。
何かを言おうとして言い出せない。不思議なもどかしさが2人の表情からは感じられた。
「ふふふ・・・・・・こんなこともあろうかと、昼間厄珍堂で仕入れたあいてむが早速役立つでござるな。」
そんな背後の様子には全く気付かず、シロは勿体つけた様子で美神と横島に笑いかける。
彼女の脳内では、タマモがハマっていたRPGの音楽が鳴り響いていることだろう。
「アイテム? なんじゃ、そりゃ?」
「先生。ご安心召されよ! コレを使えば、あっという間に体力回復。プレイには欠かせない定番の回復あいてむ。それがこの・・・・・・・・・・・・ポーションでござるっ!!」
「ぶッ!!」
「!!」
シロが自信満々に差し出した回復アイテムを見て、美神と横島は同時に吹き出していた。
おキヌとタマモはリアクションを浮かべまいと、必死によそ見を敢行している。
どうやらこの場にいるシロ以外の全員が、そのアイテムが一文字違いのモノであることを知っているらしい。
それはある意味回復に役立つアイテムと言えた。
「ちょ、シロ、それ・・・・・・・・・」
顔を赤らめた美神が、年長者の義務感からシロに注意を促そうとする。
しかし、それは邪な笑みを浮かべた横島の言葉に機会を失う。
「おお、ソレが噂に聞くポーションか! それとも何か違うモノなんですか。美神さん?」
「く・・・・・・し、知らないわよ!」
「何でも厄珍殿とっておきのポーションとか。美神殿と先生の幸せのために特別に分けてくれたでござるよ!」
「そうか、ポリアクリル酸ナトリウムの純度が高い特別製なんだな! いやー良いポーションだ!!」
「厄珍。後で絶対に殺す・・・・・・」
「殺す? 何ででござるか? こんな良いモノをくれた厄珍殿を・・・・・・」
「うっ! それは、その・・・・・・」
つぶらな瞳で見つめられ、言葉につまった美神は、助けを求める様におキヌとタマモに視線を泳がす。
しかし、頼みの綱の2人は美神の期待に応えようとはせず、全力で彼女の視線をスルーしている。
水着姿で触手に捉えられている所に差し出されたロ・・・・・・ポーション。
ヨゴレ役決定のシチュエーションに、巻き込まれたくないのは当然と言えた。
「さあ、シロ。そのポーションを早く。俺と美神さんにたっぷりと・・・・・・」
「承知!」
「あ、ちょ、シロ待って・・・・・・・・」
「うひゃ、このヌルヌルが・・・・・・」
「あん! コラ。必要以上に動くなバカ横島っ!!」
二人が接した部分から蔓に巻かれた部分まで、横島が動く度にヌルヌルとロ・・・・・・ポーションが行き渡っていく。
その独特な感触から逃れようと美神も激しく身をよじるが、ソレは逆効果でしか無かった。
シロが景気よく振りまいたポーションは、ヌルヌルテラテラと美神と横島の体を覆い尽くしていく。
その特別製の回復アイテムが十分体に行き渡った頃、摩擦が無くなった美神と横島の体はニュルリと蔓の縛めから抜け出したのであった。
「よっしゃ。脱出成功! って、うわっ!!」
「た、立てないっ!!」
着地を決めようとした2人は、ニュルニュルと滑る足下に立つことが出来ない。
そこに再び襲いかかる妖植物の蔓攻撃。
しかし、それは2人の体を上手く捉えられず、不安定な体をただニュルニュルと弄ぶだけだった。
「うはは・・・・・・コレは確かに堪らん」
「ひゃん! どさくさ紛れに触るなッ!」
「えー。フカコウリョクデスヨー」
「殺す。後で絶対に・・・・・・」
ヌラヌラ滑る硬質ゴムの遊歩道の上。
ポーションにまみれ、蠢く2人と触手の姿はどう見ても除霊には見えない。
しかし、この場で唯一、正真正銘の緊迫感をもってこの戦いを眺めていたシロは、更なる救いの手を2人に差し出すのであった。
「さあ、先生に美神殿。これに乗るでござる!!」
「ぶッ!!」
「!!」
2人の前に投げ出されたのは、空気で膨らませた板状のビーチマット。
ごく普通にプールサイドで見かける、この場には大変必然性のあるアイテムだった。
「さあ、2人が乗ったら、拙者がこの紐で引っ張る故。ささ、早く!!」
「あああ・・・・・・まさかここまで・・・・・・・・・」
「うふ、うふふ・・・・・・殺す。あのヨゴレも絶対に・・・・・・・・・」
プールにあって当たり前のビーチマットに何を想像したのか全く分からないが、我に返った横島と、自棄気味に引きつった笑いを浮かべる美神。
それらを遠巻きに眺めていたおキヌとタマモは、この流れに巻き込まれまいと必死にスルーを決め込んでいた。
ヌル付いた地面から離れた所に立ったシロの手には、ビーチマットに繋いだロープが握られている。
彼女はマットをソリのように使い、立てない2人を救い出そうと、どこまでも真剣な視線を投げかけていた。
その視線を真っ向から受け止めた美神は、この一連の流れに終止符を打つ覚悟を完了させる。
彼女は微笑みを顔に張り付けると、自分から進んでビーチマットに仰向けに寝そべるのだった。
「来て、横島・・・・・・・・・」
「え、いいんですか? 美神さん!?」
「だって仕方ないじゃない。落ちない様に、私をしっかりとつかまえていて・・・・・・・・・」
「モチロンですッ! 全力で密着させていただきますッ!!」
思わぬ許可に満面の笑顔で美神に抱きつく横島。
そして美神は、覆い被さってきた横島にしっかり抱き抱えられると、氷の様な声でこう呟くのだった。
「タマモ・・・・・・分かってるわね?」
「了解」
「シロっ! 離れてッ!!」
「へ?」
美神が放ったシロへの指示に、横島は美神を抱き抱えたまま怪訝な表情を浮かべた。
彼女はこのままシロにマットを引かせてこの場を脱出する気では無かったか?
しかし、彼の脳裏に浮かんだ疑問は、背後で起こった妖植物の急激な燃焼による爆風にその意識ごと刈り取られる。
美神の予想通り、横島の煩悩を吸収した妖植物は、タマモの炎によってかなり派手な爆発を起こしていた。
「せ、先生ッ! 美神殿ッ! 無事でござるかッ!!」
美神と横島を乗せたビーチマットは、爆風に煽られただけでツルツルと床を滑りプールへと飛び込んでいた。
爆風から間一髪で逃れたシロは、美神と横島を助けるべく2人が放り込まれたプールにザバンと飛び込む。
「無事よ! 横島も・・・・・・多分ね」
シロの目の前に浮かび上がった美神は、髪についたヌルヌルがとれたか確認しつつ背後を指さす。
そこには意識を失った横島が、美神の盾となり爆風に灼かれた背中を水面からプカリと覗かせていた。
「せ、先生ーッ」
「平気でしょ。コイツが今の爆発くらいで・・・・・・って、シロっ! アンタ何しようとしてるのッ!」
「何って、ポーションを・・・・・・」
「ああああ・・・・・・まだコッチの問題が」
横島をマットの上に引き上げ、体力回復のアイテムを再び使おうとするシロに美神は頭を抱えてしまう。
シロの誤解を解かないことには、今回の騒動は完全に終結したとは言えそうにない。
数秒の躊躇の後、彼女は意を決したようにシロに語り始めるのだった。
「シロ。実はそのロ・・・・・・コホン。そのアイテムはね・・・・・・・・・・・・」
「おや、お嬢ちゃんまた来たアルか」
翌朝
厄珍堂前の通り道。
開店前に店前の掃除をしようと表通りに出た厄珍は、店前で佇んでいたシロに決して爽やかとは言えない笑みを浮かべた。
店主の登場に安堵の笑顔を浮かべたシロは、厄珍の笑顔の意味を理解しないまますぐに用件を切り出す。
「開店前にすまぬがご主人。火傷に良く効く薬はござらんか?」
「火傷? 小僧が火傷でもしたアルか?」
「流石厄珍殿! 先生が火傷したことが良く分かったでござるな!?」
「そりゃ、令子ちゃんと小僧を見れば役どころは一目でわかるよ。でも、昨日はローソクなんか売らなかった筈ね・・・・・・」
噛み合っている様で噛み合わない会話に、厄珍とシロは共に首を捻る。
しかしつい先程、背中の火傷を理由に散歩の誘いを断られたシロは、横島の身を按じ何よりも火傷に効く薬を求めていた。
彼女は招くように店のシャッターを開けた厄珍の脇をすり抜け、まだ薄暗い店内へとそそくさと入り込む。
そして、適当な軟膏を物色し始めた厄珍の姿に、シロは安堵の表情を浮かべるのだった。
「はは、余程、小僧の火傷が心配あるね。しかし、火傷させるまで夢中になるとは・・・・・・余程刺激に飢えていたらしいね令子ちゃんは」
「ん? 良くは分かり申さんが、確かに昨日の美神殿は大胆でござったな」
「くーっ! 小僧が羨ましいアル。ホントなら練りカラシでも渡したい所よ! ほい、火傷にはコレが効くね」
厄珍が棚から出した小瓶に、シロはみるみる顔を輝かす。
その笑顔に釣られそうになった厄珍だが、感謝の言葉に続いた説明に一瞬でその表情を凍らせるのだった。
「助かったでござる! 拙者、先生にすぐに元気になって欲しいでござるよ。美神殿が申すには、昨日貰ったポーションでは火傷には効果が無いらしいし・・・・・・」
「へ? い、今、なんと?」
「ん? 火傷には効果がないと・・・・・・ご推察のとおり、先生は昨日の除霊で火傷を負ってしまったでござる。折角、厄珍殿がくれたポーションで危機を脱したというのに」
「ぽ、ポーション?」
「おお、そうでござった! 厄珍殿のポーションで昨日は危ないところを助かったのに、お礼がまだでござったな。おかげで助かったでござる!!」
厄珍は自分に向かい、深々と頭を垂れたシロを呆然と見つめていた。
ポーションとローションの聞き間違え。
会話が噛み合わない理由にようやく気づいた厄珍は、額に冷や汗を浮かべ始める。
某絵師が書き込んだ「ローテンション」という言葉を、「ローション」と誤読したヨゴレも似たような冷や汗を流していた。
そのヨゴレはそれが切っ掛けで微妙なSSを書く羽目になったらしいが、厄珍にはそれ以上の悲劇が待ちかまえているらしい。
「つ、使ったアルか。アレを除霊で・・・・・・」
「そうでござる! しかし、美神殿に教えて貰うまで、アレが人には絶対教えてはならない秘薬中の秘薬だとは知らなかったでござるよ」
「はは・・・・・・そう。もの凄い秘薬ある」
「そんな凄い秘薬を気前よく・・・・・・拙者、厄珍殿の恩に応えるため、これから先も絶対にあのポーションのことを人には話さないと、美神殿と約束したでござる!」
「そ、そう。絶対に秘密ね! 人に喋ってはダメあるッ!! そ、それで令子ちゃんは何と?」
「事務所を代表して、厄珍殿に改めてお礼に伺うと・・・・・・・・・・・・って、どうしたでござるか厄珍殿っ!」
シロは豹変した厄珍の態度に困惑の表情を浮かべていた。
厄珍は大急ぎでシロの背を押し店の外に出すと、再びシャッターを閉め臨時休業の貼り紙を貼る。
「急に仕入れの旅に出たくなったね! それじゃ、お嬢ちゃんまたいつか」
「拙者、まだ御代を・・・・・・」
「サービスね! 情報料よ!!」
一月も隠れれば美神の怒りは収まるだろう。
キョトンとした表情のシロに軽く手を振ると、厄珍は一目散に走り出した。
願わくば昨日渡したポーションの正体に、彼女が一生気づかない様にと祈りながら。
そんな彼の思いに気付かず、シロはただ戸惑いの表情で走り去る後ろ姿を見送るのだった。
―――――― 回復薬にはシロ惑うし ――――――
終
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