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【遅刻夏企画】ろすと・ひず・うぇい

 山の夏は短い。
 盆過ぎの粘りつくような陽射しは未だ強いが、スギ、クマザサ、ブナ……様々雑多な鬱蒼とした木立ちを吹きぬけた風は僅かな、そして確かな涼感をもたらすことによって、近づく秋の気配を漂わせている。
「うん。これで……終わりかな」
 誰とはなしに呟き、掃き清めた拝殿周りの社庭を眺めると、彼女―― 氷室キヌは手にした竹箒を片付けるべく社務所の裏手にある物置へと向かう。
「あのー……ちょっと、いいですか?」
 その遠慮がちな声に、振り返る。
「ここ……どこなんでしょう?」
 気弱そうな青年が、そこに立っていた。
 それはいい。
 問題は、その姿がやけに透けて見えているということ。

 絶句は数秒。
 僅かな時を置いて、今度は驚きの声が上がった。


 【ろすと ひず うぇい】

「おキヌちゃん、何かあっただかッ!?」
 おキヌの困惑と驚きが入り混じった高い声に、神社の敷地に入ってすぐの手水舎から宙を駆けて来たかのような勢いでやって来た、おキヌと同じく艶やかな黒髪ではあるが、おキヌの長い髪とは対照的に短く刈り揃えた黒髪を持つ快活そうな娘―― おキヌの養姉である氷室早苗―― の目に飛び込んだのは、
「さ、早苗お姉ちゃあん」困惑気味に早苗に視線を投げかけ、助け舟を求めるおキヌと、
「あああああ。そんなに驚かないで、兎に角話を―― 」何とか自分の話を聞いて欲しいとおキヌに訴えかける青年の霊。
 その光景に、早苗は考えるまでもなく行動していた。
「おキヌちゃんに何してるだッ!?」
 一切の容赦のない鉄拳が飛んだ。

「い、いきなり何をするん…だるふぁッ?!」
 涙目で起き上がろうとするところを追い討つかのように緋袴の蹴りが飛び、青年の霊は再び珍妙な悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
「幽霊になってからぶたれたことないのにッ?!」
「やかまし!つべこべ言うでねッ!」
 なんだか古典的なボケの域に達した泣き言を言う青年の霊にさらに拳を振り上げる早苗。だが、
「あ、あの……お姉ちゃん?とりあえず、話くらいは聞いてやってもいいんじゃ……」
 如何に霊感が強いとはいえ、青年の霊を一方的に殴打する早苗に退いたのか、はたまた如何に早苗が強い霊感を備えているとはいえ、生身の人間にいいようにボコられる青年の霊が取り敢えずは無害であるという結論を出したのであろうか、おキヌが取り成そうとしたことで早苗はひとまず拳を下ろす。
「そっただこと言って……こう言った悪霊ってのは、こっちが隙見せたら襲い掛かってくるのが相場ってモンだべ」
「初対面から悪霊扱い……つか野生動物の対処法ッ!?」
 どうやら、振り上げた拳を下ろしてもらったとはいえ、未だ殺意のこもった視線をぶつけられていることが不満なようである。
 まぁ、そんなものは普通いらない。
「まーまー、早苗お姉ちゃんも落ち着いて……それはそうと、話ってなんなんですか?」
 取り成すように早苗と青年の霊の間に入るおキヌに、青年の霊はとりあえず生命の危機が去ったことを察したのだろう、安堵の溜息を一つ漏らすと咳払いをして居住いを正す。
「いえ……実を言うと、なんだか凄い迫力の女の神様に『この辺りの幽霊は、まずこの辺りの霊をシメてる方に挨拶をしに行かないといけない』って言われたんでそこに行こうとしてたんですが……どうやら道に迷ったみたいなんですよ」
 だから道を尋ねようとしたのだ―― そう続ける、緑川と名乗った青年の霊におキヌはやや驚きを交えた口調で返す。
「そ、そんなことがあるんですね、霊の世界って」
「……ていうかちょっと聞きたいんだが……アンタどこの人だ?」
「あ、東京です」
「東京ッ?!何で東京の幽霊がこんな離れたトコにまで来るだ?」
「いやぁ、それが目的地を探している最中にお盆になったらしくて、帰省ラッシュの波に飲まれてしまったんですよ。で、流されて何時の間にかこんなところに来ちゃってた、ということなんです」
「き……帰省ラッシュって」
 緑川の言葉に、恐らくはこの夏休み期間中に報道で見た映像を思い浮かべたのだろう、苦笑、と呼ぶより他にない表情と口調でおキヌは返す。
「しかし、それでもおかしいだ。ここは曲がりなりにも神域だべ?」
「それを言わないで下さいよ。僕だって生前から何時の間にか入っちゃいけない場所に入って散々怒られて来たけど、まさか死んでもこの方向音痴は治ってくれないなんて思いもよらなかったんですから」
「……まさに『バカは死んでも直らない』を地で行ってるだな」
 早苗の容赦ない言葉に、緑川は泣き崩れる。
 情けないというより他のない青年の幽霊のその姿に、
「えっと……お姉ちゃん。どうにかして助けてやれないかな?話を聞いてる限りじゃ悪い人じゃなさそうだし」おキヌは早苗に尋ねる。
「まったく……仕方ないだな」その真っ直ぐな眼差しに、早苗は抗することは出来なかった。「兎に角、わたす達だけじゃどうしようもないことだし、父っちゃにも相談してみるべ」


 * * *


「なるほど……それは恐らく、オロチ山から東京に連なる霊脈に乗ってしまったんだろう。この氷室神社に施されていた結界も元々はオロチ山から延びる霊脈から霊力を借りて創られていた、という話だから、何かの拍子でここに流されてきた、と考えるのが自然なのだろう」
 卓を挟んで緑川と向かい合う氷室―― 早苗とおキヌの父は、緑川の話に耳を傾けると、そう結論付ける。
「お養父さん……この人、どうにか東京に帰してやることは出来ないの?」
「うむ……それなんだが、出来なくはない」
 脛の半ばから下がない両足を器用に正座の形に折り畳んでいた緑川は、氷室のその言葉に表情を明るくしつつ、卓に身を乗り出す。
「ただ……時間がない。彼が死んでからは既に四十日以上は経っている以上、今から吸引符で彼を吸引した上で東京にいる知り合いのGSに託したところで、時間切れになってしまう公算は極めて高いのだ」
「時間切れ、と言うと?」
「……四十九日だよ。死者は四十九日かけて冥府に到着する、とされているが、彼のように『迷って』しまって冥府に辿り着くことが出来なければ、悪霊となってしまう可能性は極めて高くなってしまうのだよ」
 氷室の言葉に、おキヌたちは言葉を詰まらせる。
「だからこそ、リスクを背負って送り還してやるよりは、どうにか成仏させて冥府に旅立たせてやる方が彼のためにもいいことなのだが……」
「……そう」
 続いた言葉にしゅん、と沈み込むおキヌ。
 その落胆の源にある『何とか力になってやりたい』という思いを感じたのだろう―― 氷室はさらに続けて言った。
「とはいえ、この世に未練が残ってしまっては、結局は成仏できずに力づくで除霊をしなければならなくなってしまう可能性もありえるからな……その未練をどうにか解消してやる方法を考えなくてはいけないな」
 眼鏡の向こうから微笑みながら言う養父の言葉に、薄く涙を浮かべていたおキヌはその表情に輝きを宿して―― 頷いた。

「でも……成仏って、どうやるんでしたっけ?」
「すいません。何しろ僕も初めてなもので、判らないんですよ」
 そもそも世界広しと言えども、二度死ぬ者自体そうそういない。いたとしてもどこかのスパイぐらいのものである。
「『未練を解消すればいい』って言われても、正直判らないべ」
 腕組みをして考え込む早苗。だが、その早苗の言葉にふと気付いたかのようにおキヌが声を漏らす。
「でも、早苗お姉ちゃんだったら、山田先輩とキスできなかったらきっと未練が残るでしょ?難しく考えずに、そういった単純なものでもいいんじゃないのかな?」
「ええッ!?そんなことで成仏できるんですかッ?!」
 驚く緑川に、幣と鉄拳が飛ぶ。
「出来る訳あるかーッ!!」
「アンタやっぱり悪霊だっただな!おキヌちゃんが優しいからって、その優しさに乗じておキヌちゃんの唇を奪おうだなんて」
「いや、そんなことは一言も言ってませんからーっ!!」
「お養父さんもお姉ちゃんも落ち着いてーっ!?」
 予想外の角度からスイッチを入れた『肉親』二人を懸命になだめるおキヌ。
 その説得が二人に通じるには、五分の時が必要だった。

「はー、はー……違うんだったら最初からそう言えばいいんだべ」
「いや……だから最初から違う……と、すいません」
 鋭い眼光で緑川の反論を封じる早苗だが、「それはそうと早苗……山田くん、といったカナ?」横合いからかけられた父の言葉をスルーし損ねて冷汗を垂らす。
 親子漫才の横でおキヌは緑川に尋ねる。
「未練といえば……生きていたときから方向音痴だったって言ってましたよね?」
「あ、はい」その問いかけに対して怪訝そうな表情で頷く緑川に、おキヌは続けて言った。
「でも、それってある意味とっても幸せなことなんじゃないんでしょうか?
 いろいろ歩いて目的地に辿り着いた、ということは色々な出会いがあったってことなんだし、今もこうしてここに辿り着いて……わたしやお姉ちゃん、お養父さんに逢うことが出来たっていう『縁』が出来たんだから」
「出会いという……『縁』」
「わたしバカだからあんまりうまいことは言えないけど……沢山の出会いがあったのは、それだけで幸せなんじゃないんでしょうか?
 良かったら、その『幸せ』をわたし達に聞かせてくれませんか?」
 おキヌの言葉―― そして、言葉とともに向けられた澄んだ笑みに、青年の幽霊は頷いた。


 * * *


「ありがとうございます。話をずっと聞いてもらっていたお陰で、どうにか成仏出来そうです」
「お礼を言うのはこっちの方ですよ。楽しい話を聞かせてもらってありがとうございます」
 互いに深々と頭を下げ―― 笑顔と笑顔が交錯する。
 
 その二つの笑顔をやや離れた位置で眺めながら、早苗は父に尋ねる。
「父っちゃ……本当におキヌちゃんに任せてよかっただか?」
 二つの笑顔はいつしか一つになる。
「幽霊だった頃の記憶が戻るかも、か……それは判らん。だが、おキヌがああやって彼を成仏させてやったことは確かだ。それに対しては任せてよかったといえるだろうな」
 どことなく釈然としない早苗の表情を受け、氷室は再びおキヌを見やる。

 群れからはぐれたのだろうか、一匹の赤とんぼが夕陽の中、おキヌの前を舞い、飛び去る。
 山にはもう、秋が近づいていた。
間に合いませんでした|||orz|||
やはり久々で実質一日では無理ですね。
来年こそは。

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