「ちち! しり! ふとももー!!」
皆本がこれ読んでみろと促すと、薫は言われた通り、明るく、鼻息荒く、ついでに指をワキワキと動かしながら朗読した。
「ちち、しり、ふとももー、か……」
復唱する皆本が「わき、うなじ、さこつのほうがよかった?」と聞き返す薫の持つノートを取り上げた。小首を傾げる薫。取り上げたノートを一瞥すると、皆本は一つ頷いた。
そして、
「このバカタレっ!」
ノートで薫の頭を叩いた、固い背で。
「痛っ! 何すんだ!?」
「それはこっちの台詞だっ! どこの世界に、絵日記に甲子園のチアリーダーの高く上げた足と『ちち、しり、ふとももー』なんて書く小学生がいるんだっ!?」
訴える薫と叱る皆本。そのやりとりを見る葵と紫穂は、我関せずと冷ややかである。
「中学生以上でもいないやろうけどなあ」
「薫ちゃん以外いたらまずいわよ」
ただそんな二人の冷淡さは当然皆本には快いものではない。
「君らもちゃんと見ててくれよ?」
「いや、日記付けるかはちゃんと見張ってたで?」
「それに日記はプライベートなものだもの。それを見るだなんて、デリカシー不足じゃない?」
「宿題の絵日記は見せるものだろう」
描き直そうにも、なにせ足がスペース目一杯にしっかりと描かれているのだから構図的にごまかしようがない。
「どうすんだ、これ」
「大丈夫よ。薫ちゃんは、そういう子だって先生も了承済みだから」
「いや、余計まずいやろ、それ」
うなだれる皆本ではあるが、打つ手は既にない。
「……仕方ない、のか」
諦めた。
頭を抱える皆本の肩をドンと薫が叩く。
「そうそう、人間あきらめが肝心だぜ?」
答える気力もほとんどない。代わりに、手に持っていたビニール袋を持ち上げた。袋の中には長方形の紙箱が入っている。
「これ、冷凍庫に入れておいてくれ」
「何?」
「アイスだ」と答えると、次の瞬間、紙箱だけが消えた。ビニール袋から重みが消え、重力の抵抗を失った皆本の腕が持ち上がる。
「それ早く言わんと。溶けたらどうするん?」
犯人は葵。アイスはとうに冷凍庫の中だろう。答える気力はやっぱり浮かばないので、現金さに呆れつつも皆本は夕食の準備にキッチンへと向かうのだった。
お中元の残り物だった牛肉で夕食を終えると、チルドレン待望のアイスタイム。
薫にはストロベリー、葵にはチョコ、紫穂にはラムレーズン、自分にはバニラ。ちょっとずつ交換しあって食べてもみたたが、どの味も賢木の「若い子に人気の店」というお墨付き通り、甘すぎずしつこすぎず、すばらしい味わいだった。
下鼓を打ちながらの会話の話題は宿題のこと。
「他は全部終わったんだよな? 自由研究とか、ドリルとかも」
「終わったわよ」
「こんな日に追い込みだなんて、そんなヘマするわけないじゃん。漫画でもあるまいし」
そうかと皆本は安堵した。
薫は胸を張るが、皆本からは再三注意があった。それに、生真面目な葵がテーブルで宿題をし、その親友を放っておいて遊ぶのは気が引ける。一緒にテーブルに座って、なんの気なしにテーブルに座っている間にボツボツと宿題が片づいていったというのが真相である。
「エアコン消していい?」
紫穂が立ち上がり、薫と葵、そして皆本も鷹揚に頷く。皆本家では、さして低い気温に冷房を設定しているわけではないが、さすがにこの時期にアイスを食べると肌寒くなるのは否めない。
「でも、こういう時一緒に住んでると何か損な気分やね」
「何が?」
「いや、同じ屋根の下に住んどるのに、別々に自由研究せんといかんやん? それに何やってるのか、気にせんでも分かってまうし」
「あー。学年違えば使い回したりもできるのにな」
「いや、バレるだろ」
そう突っ込むと、「そうかなー」と薫が残ったアイスをスプーンでかき混ぜながら唇を尖らす。
「そういや、今日はなんでアイス買ってきたの? それも、こんな、こってりととろけ、それでいてしつこくなく、甘さも控えめで上品な……」
「要は高そうってことやな」
「実際、高いわよ。皆本さん五千円札出してるもの」
「てことは、一人頭一五〇〇円?」
「計算間違ってるわよ、薫ちゃん。それにお釣りは貰ってる」
「薫、後でドリル見直しな」
「……はい」
「それにしても、高いアイスなんやろ? なんで?」
「値段で計るな、値段で!
まあ、特に理由はないけど、強いて言えば夏も終わりだし、明日から学校始まるから、その景気づけ、かな?」
三人がカレンダーを見やる。視線が集まった数字は三一日。
「もう……」
「……終わりやなあ」
「あっという間だったわね……」
八月三一日。夏休み終わりの日。
永遠のようにも感じられた四〇日間も、あとはほんの数時間。
ラジオ体操の皆勤賞も、ちょっぴり冒険して買った水着も、青い海も、浮き輪を浮かべたプールも、夏祭りの雑踏も、花火の夜空も、結局失敗した徹夜も、走り回った午後の陽炎も、始まるときのドキドキも。
いろんな思い出も、過ぎてしまえば一瞬で。
「……楽しかったからかな」
ポツリと薫が呟き、葵と紫穂も僅かに頷く。
カレンダーを眺める顔は、少し寂しそうなでもそれだけ深い笑顔だった。
その後の、僅かな静寂を薫が破る。
「でもさ、冬休みは計画ちゃんと立てような」
「思いつきで一番行動してたのが、よう言う」
「まあ、計画を立てるのも楽しいし、いいんじゃい? どこら辺が限界なのか試してみるのも楽しいし」
皆本は、そう言って自分を見る紫穂の視線に、アイスを食べたせいではない震えを感じる。
「スキーは行きたいかな? 去年の冬はロクに滑れなかったし」
「賛成! ゲレンデで三割り増しのあたし達見て惚れるなよー」
「皆本はんは露出より、そっち派?」
「どっちでもいいよ」
適当な相槌に怒りながらも、そのままワイワイと冬休みについて喋りだす三人を見て皆本は思う。
――どうせ待つのなら楽しい未来がいいだろう。
そして、こうも思う。
――早めに考えておかなきゃな。
どうせこの三人と過ごす日々は、夏休みじゃなくともあっという間に過ぎてしまうんだから。
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