今日は暑くなると嫌になるくらい繰り返された朝の天気予報は、こんな時に限って見事に的中した。三十度を超える猛暑のきつい日差しは道路を白く輝かせ、地上を歩く二人をなおのことぐったりとさせた。
「あちーなあ……」
「言うな。余計に暑くなる」
学校の登校日帰り、シャッターが目立ちアーケードもない寂れた商店街は、いつも以上に人が少なく、自分たち以上にぐったりした印象を受ける。中天の太陽が作った広い日向の中にわずかながらもはっきりした濃い日陰に沿うようにして、横島達は歩いていた。
「つーかよ、ガネ。このクソ暑い最中に、登校日なんて必要だと思うか?」
「必要かどうかじゃなくて、遊んでんじゃねーぞってシめる為じゃねえの」
「遊ぶ為の夏休みだってーのに。世の中絶対間違ってるぞ」
「あのな横島。普通の高3は受験だっつの」
「……そうだったか」
汗で張り付いたカッターシャツが、深いため息でわずかにずれる。目が悪いのがこれほど疎ましいものだと、この季節いやがおうにも実感させてくれるメガネのつばを、ガネと呼ばれた学生は暑気を払うように仰々しくせり上げた。
「お前は良いよな。GS(ゴーストスイーパー)って進路決まっててよ」
「どうなんだかな、俺はまだ見習いだしよ。GS以外の進路もまあ考えられんけど」
「けど?」
「とりあえず美人の嫁さんもらって退廃的な人生歩みたいとは思ってる」
「まだそんな事言ってんのかおめーは」
夏の陽差しにすっかり乾いたガネから、ひときわ醒めた笑いがこぼれる。学校から商店街までずっと続くゆるやかな登り道、見た目は層でもないが実際歩くと案外息が切れる。横島達も例外ではなかった。
この商店街に人が少ないのは少なからずこの坂道が影響しているのではないかと横島は常々思うのだが、愚痴をこぼしたところで坂道が無くなる訳でもなく新しい道が出来る訳でもなく、結局他の住人達と同じように、いつもこの坂道を上り下りしては学校に向かっているのだった。
「喉渇いたな」
「そろそろ駄菓子屋じゃねーか?」
「だっけか」
商店街の終わり端には、そこだけどこか時空が歪んでしまったような、ガネが子供の頃からずっと変わらず佇んでいる駄菓子屋があった。もしかするとそのずっと前からかもしれない。コーラのロゴも褪せてしまった長いすの側には、古びたガチャガチャが並び、今時珍しい瓶の自販機が置いてある。
「なんか冷たいもの食っていこうぜ。暑くてたまんねーよ」
「おごれよ」
「あのな」
「金はないぞ」
「俺だってねえよ」
ぶちぶち文句を垂れながら、深くひさしをおろした駄菓子屋に入る。入りがけ、店から飛び出した男の子に横島が軽くぶつかり、後を追う妹とおぼしき女の子がごめんなさいと大きな声で謝って走り去る。
「がきんちょどもは元気だねえ」
「スイッチのオンとオフしかねーからな、奴ら」
「全くだ」
答えながら、横島は薄暗い店内を眺める。カラーボール、水あめ、あんず飴 、糸ひきあめ、
カレーあられ、す漬けイカ。東京と大阪でも駄菓子は大して変わらないんだな。横島はつい、ジジババの店と呼んでいたいきつけの駄菓子屋を思い出した。
「どうした横島、珍しーのか?」
「ああ。俺はいつも事務所行くから、こっちの方からはあんまり帰らないしな」
「そういやそうだったな」
ガネは手書きで80円と書かれた、アイスのつまった冷凍庫を見回しどれがいいかと物色している。横島は店裏の奥座敷を −もんじゃを焼く調理コーナーなのだが− 物珍しそうに眺めながらつぶやく。
「いっつもいるバーちゃん、実は妖怪なんだってみんなで噂してたな」
「俺らも似たような噂してたわ」
「バーさんが昼寝してて、猫が店番してたりな」
「フェリックスのガム買って、10円猫の側に置いたりな」
「どこも変わんねーなあ」
「だな」
ガネは鞄に手を入れ、財布を捜す。どうやら、買うアイスが決まったようだ。
「おばちゃーん、これお願い」
ガネは棒アイスを二本かざし、お金を差し出す。はいよ、と奥から出てきた店のおばちゃんはごく事務的に釣り銭を返して、さっさと奥に引っ込んでいった。かすかにTVからは高校野球の音が聞こえてくる。
「おごってくれんのか。持つべきは金を持ってる友人だねえ」
「欲しければ三べん回ってワンと鳴きやがれ」
「全力でお断りじゃっ!」
「ち。じゃ出世払いな」
忘れんなよ、と念を押しながら横島に棒アイスを手渡す。
「ケチくせえな」
「出血大サービスさ」
「へいへい、ありがとな」
軒先のペンキのはげた長いすに二人は座り、棒アイスをなめる。深いひさしから覗く、ビルの形に切り取られた淡い青空には、涼しげな白い雲が泳いでいた。歩いてきた人気のない商店街は奇妙に形をゆがめ、夏の陽差しに身を任せている。
「美神さんだったっけか、お前のところの美人所長」
「あの乳は俺んだ」
「とりゃしねーよ。つーか横島、お前あの人モノに出来てんのかよ」
「……モノに出来てると思うか?」
「思わんな」
ベンチの足下にある横島の影に、棒アイスが溶け落ちる。横島は舐めとろうとして間に合わず、また影に落ちた。ガネはゆっくり足下に蟻が近づくのを横目に見ながら
「俺は大学行って、やりたいこと探して……そっからだな」
「お前が大学に行けるってのがびっくりだ」
「アイス返せ」
「もらったもんは俺のもの、お前のモノは俺のモノじゃ」
「どこのジャイアンだっての」
馬鹿じゃねーの、と笑い合う二人の前を、さっきの兄妹が嬌声を上げながら、また走り抜けていく。男の子が赤いボールを追っかけ、男の子をピンクのシャツを着た妹が追いかける。
「……なんつーかよお。実感わかねーなあ」
「なにが」
「いやさ、あと半年もすれば卒業して、このまま大人になって、社会に出て、働いて……てのがさ。ついこないだまで、あんな風なガキだったのにさ」
「まーなー。なりたくてなるもんでもないし。子供のままでいたいとも思わないけどな」
「……だなあ」
「まあ、あんま難しく考えんでもいいんじゃねーのか? 子供が大きくなったのが大人なんだしよ」
「ははっ。確かにそりゃそーだ」
音のない音楽室、ワックスの臭いのきつい体育館、埃をかぶったグランド脇の用具室、冬の授業でマラソンさせられたこのゆるい坂道、事務所へと続く道にある大きな池のある公園。
子供だった頃からずっと、今の自分までずっと、何千何百の自分がそこかしこに連綿と続いていて、それはこれから先にも辺り構わずつながっていく。明日になったら、また別の自分がどこかに記憶されるだけのことだ。
GSの現場でもまれ、わずかに経験に長じた横島は、鬼が笑うという言葉の意味を、少しばかりでも、確かに知っていた。
「さて、そろそろ行かないとな。愛子にでも見つかったら大変だぜ」
「案外、買い食いは青春よね! とか言ってそうだけどな」
「はは。かもしんねーな」
アイスの包み紙をゴミ箱に放り投げ、立ち上がる。三色のひさしを出れば、またきつい陽差しが二人を襲う。向かう道には陽炎が立ち、行く先をどこか朧にしていた。
人気のない商店街を背に、二人はまた歩き始めた。蝉の声の代わりに、兄妹の声があたりに響いていた。
※2009/09/27 一部改訂
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