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【夏企画】楽園の夢


 のんびりとした時間が流れる南国の島。
 観光地化された騒がしいビーチとは違い、どこまでも白く続く砂浜に自分以外は誰一人として存在しない。
 大きな椰子の木が投げかける木陰に、一文字魔理はゆったりと寝そべっていた。
 身を包むのはトロピカルな赤い花柄模様のビキニタイプの水着だけ。
 さらさらとした砂は熱すぎることもなく、気持ちの良い肌触りで魔理を受け止めている。
 海面をきらきらと光らせている強い日差しから遮れ、椰子の葉を揺らすさわやかな風に心地よく身をゆだねることの素晴らしさ。
 すっと魔理の手に、花とフルーツ、それに小さな傘を模したストローの刺さったカクテルが差し出される。
「ああ、ありがと」
 それに合わせてわずかな喉の渇きを覚えた魔理は、当然のようにそれを受け取るとストローを咥えて一口そのカクテルを啜った。
 その味は――


「……よくわかんねーな。こういうの飲んだことないし。なんか安っぽいジュースみたいなもんしか思い浮かばないや。そっちでちゃんと決めてくれない?」
 わずかに現実に引き戻された魔理がそう文句をいうが、神野は「私だってリゾートでのんびりカクテル飲んだ経験なんかないわよ! 海外旅行三昧のブルジョアなんか大っ嫌いだーっ!」と、クラス対抗戦の時のように叫びだしてしまった。
 するりと幻想の世界がほどけていく。
「ま、まあ、ワッシも海外旅行なんかしたことないですし、神野さんなら、きっとこれからそういうところへも……」
 こちらも能力行使をやめて、そうおろおろとフォローを試みるタイガーに、魔理が少しからかいを含んだ声をかける。
「なあ、タイガー。ところで、なんであたしはビキニ姿だったんだ?」
「え゛っ。そ、それはやっぱり、か、海外の海辺らしい服装を考えた結果ですジャー。決してやましい気持ちがあったわけでは、その……」
 今度は魔理に向けてあせあせと説明を始めるタイガーだが、「でも、ずっとそのビキニ姿の私を見つめてたわけだろ?」とさらに追い詰められていく。
 これはこの場に神野――未だに自分の世界に入り込んで「日本人は日本の狭っくるしい芋洗い海岸でバチャバチャ遊んでればいいのよ」などと呟き続けてはいるけれど――がいるから口に出せたことである。
 魔理はさっぱりした性格の割りに男女のことに関しては初心なので、仮にタイガーと二人きりだったならば気恥ずかしさが前に出てしまうに違いない。こんな大胆な発言など、とても出来はしなかっただろう。
 現に今も、ようやく頭がこっちに戻ってきた神野に「彼氏といちゃいちゃしたいんなら、私は席を外すけど」と呆れた声をかけられると、たちまち真っ赤になってしまった。
「大体、なんでリゾート体験してるのが一文字さんだけなのよ――言っとくけど、タイガーさんと二人で楽しめってことでもないわよ」
 榊でつんつんと突つかれながら、「二人で相手のいない私に見せつけようなんて考えてたら、許さないんだから」といわれて、今度はタイガーも魔理と一緒に顔を赤らめる。
「し、しかし、ワシと神野さんで幻覚を支えてる以上、魔理さんにかけることになってしまうのは仕方ないことですケンノー」
 タイガーが話題を自分たちのことから逸らすかのようにいったが、神野がそんなことはないと首を振る。
「私の能力は単純な心理攻撃に特化気味だけど、タイガーさんの力は応用範囲の広い精神感応でしょ。たぶん私たちの意識を繋げて複合ネットワーク化することも出来ると思うわ」
 それを聞いて、「へー、そんなこともできんのか」と感心したように魔理が声を上げる。
「あなた、ちゃんと授業受けてるの?」と、神野には六女の生徒なのに無知過ぎるわと苦笑いされてしまったが。
「うっ……。実技なら、けっこう自信あるんだけどなあ」
「……はぁ。ま、一文字さんらしいわね」
 魔理を上から下まであらためてじっくりと眺めやった神野がそう肩をすくめる。
 今の魔理の格好はいわゆる特攻服。いかにも戦う気を前面に押し出したものなのだから。
 中でも上半身に至っては、さらしをきつく巻いた上に黒いコートを羽織るといった体で、これはこれでタイガーは目のやり場に困っていた。
 それを笑った神野は神道系の巫女服姿であるが、タイガーの方は、「(霊能力を使うことになるから)ちゃんとした格好で来いよ」という魔理の台詞をどう捉えたのか、スーツにワイシャツ、蝶ネクタイというこの場にはずいぶんとおかしな格好である。
 初めて魔理の家に上がるということもあって――これも神野が一緒なおかげだろう――舞い上がっていただけに仕方なくもあるのだろうが。
 最初、この姿であまり部屋の中をきょろきょろ見回したりしないようにと萎縮して縮こまっていたタイガーと、それを見て緊張が移ってしまった様子の魔理に、神野は笑いを堪えるのに必死だったものである。
 もっとも、今ではそんな微妙なやり取りを続ける二人に結局は自分が当てられているのではないかと、積極的にからかってやることにしたようであるが。


「それじゃ、今度はみんなでやってみるか」
 素麺とスイカを食べて小休憩を取った後、今度は三人全員で幻想のリゾートへと向かうことになる。
 もちろん、それは一朝一夕で上手くいくようなものではない。
 この日は最後まで全く上手くいかなかったのも当然である。
 けれど、彼らには暇とやる気があった。
 最初は不慣れな共同での霊力の使い方に苦労したものの――タイガーの欲望が暴走して幻覚の中で襲いかけたり、その相手が神野だったものだから尚更に魔理が切れたり――、日を重ねて慣れてくると、この共有幻覚は実に見事に機能し始めた。
 そもそも催眠術や幻覚といったものは、暗示を受ける側に受け入れる体勢があればあるほどしっかりとはまる。今回の彼らに関しては、全員が積極的に幻覚を本物と信じ込もうとしているのだから、その適応は早い。
 おまけに力を込めて相手の霊的抵抗を打ち破る必要もないので、徐々に最低限の霊力だけでそれを維持できるようにもなっていったのである。
 首尾よく全員で共通の幻覚に入ることが出来るようになれば、次は幻覚の存在感を上げることが目標となる。
 以前に弓にあっさりと陳腐なニセモノだと見破られたように、自分たちが経験したこともない世界を作るというのは自由な想像の中でも意外と難しい。
 そこでテレパシーで繋がった彼らは、誰かが知らない知識も誰かが補うことで幻覚をより強固なものへと変えていったのである――中には全員が知らなければ漠然と理想的なものに置き換えてしまえばいいというアバウトさもあったが。
 また、それぞれの個人が思い浮かべる理想的な場所や過ごし方には当然にバラつきがある。各々が好き勝手な空想をしたならば、まとまった幻覚など生まれず、意味の通らぬ狂ったイメージの羅列になってしまっただろう。
 しかし彼らは偶然にも、まず海辺のリゾートという限定的設定から始めて、それぞれの希望を最初にわいわいと述べておくことでそれを回避することが出来た。
 それでもまだ各自の希望する理想的リゾートには多くの差異があったのであるが、繰り返して何度も試すうちにテレパシーによるお互いの繋がりがしっかりと安定したものになっていったことが幸いする。
 それぞれの欲求を我がことのように感じとれるようになったのである。
 他人と自分の境が薄くなり、意識が交じり合っている状態でしか起こらない共有感。
 ひどく矛盾するもの――南の島と氷山など――でない限り、全員の欲望を全員が素直に自分のものとして感じられるようになったのである。
 そうして今、彼らは最高のリゾート生活を楽しんでいる。
 都会の真ん中、小さな家の六畳部屋にいながら、彼らはどこの誰よりも夏のバカンスを満喫しているのである。


「昨日、登校日で久しぶりに会ったんだけどさ、弓の奴が自分の旅行のこと自慢げに話してくるんだよ。よく聞いたらおキヌちゃんと同じで、GSやってるあいつの実家の寺の仕事で海に行ったってだけみたいだけど、それでも去年までの私ならすげー羨ましく思っただろうな」
 そういう魔理はちっとも悔しがってはいない。鼻にかけたような弓の態度さえ悠然と受け流せたのである。
 神野も「当たり前ね」とそれに賛同する。
「六女はけっこうお嬢様学校だし、私もクラスで海外に遊びに行った人たちのお土産話聞かされたりしたわよ。でも、ちっとも前みたいに妬ましく思ったりはしないわ。だって、仮にハワイに行ったとして、それが何? 混雑した交通機関で長時間かけてくたくたになってたどり着いても、そこはまた日本人だらけってオチでしょう」
 一見、単なる負け惜しみにも聞こえるけれど、本人には全くそんなつもりはない。心からそう思って、クラスメートたちを哀れんでさえいるのだ。
「私たちには本当に私的なプライベート・ビーチがあるし、それが寂しいと思ったら、そこに大勢の人を配置も出来る。どんな場所でもシチュエーションでも、本当に望みのところに行けるのなんて私たちくらいだわ」
「そうですジャー。ワッシはこんなに楽しい夏休みを過ごしたのは初めてで……」
 それは魔理と神野という二人の美少女が一緒だからでもあるが、口下手なタイガーは変に誤解されてからかわれるだけだろうと口には出さない。ここ最近の付き合いで、タイガーも学習しているのである。
 しかしずっと精神感応で繋がってきているだけに、神野は視線や表情から敏感にそれを察したようで、「タイガーさんは私たち二人をはべらせてるわけですしね」と、あっさりツボを突いてくる。
「い、いや、その……まあ、そうですジャー」
 慌てて強く否定してしまえば魔理の機嫌が悪くなることも分かっているだけに、タイガーは恥ずかしげに頷くことしかできなかった。
「……はぁ。これはとても横島さんには話せんことですノー」
 思わずそう零したタイガーに、以前デート中に会ったことのある魔理も「あいつは嫉妬魔だからな」と、その時の横島の様子を思い出して笑う。
「横島さん?」
「ああ、神野さんは知らんかったですかいノー。同じクラスの学生で、GS助手をやっとる人ですジャー」
 「夏休みじゃいうても、相変わらず忙しくバイトしとるみたいです」というタイガーの言葉に、「あたしたち、こんなに毎日毎日遊んでていいのかな」と、ちょっとだけ魔理が真面目な顔になる。
 昨日聞いた話では、友人二人はこの夏休み中もしっかりとGSの下で仕事をこなしたり、自己研鑽に励んだりしているのである。
 魔理にも向上心はあるし、弓とキヌはよき友人でありライバルでもあるのだから、置いて行かれたり足手まといになりたくはない。
 しかしそんな魔理に、「あら、私たちのやってることも修行になってるじゃない」と、神野が何を今更といった調子で軽くいう。
「そりゃ、精神感応や幻覚攻撃が武器のお前たちはいいけど、私はさ……」
 魔理はそう不満げな様子を見せるが、そんなことはないとタイガーや神野が首を振る。
「いや、魔理さんもちゃんと霊力が上がっとりますジャー。夏休みに入った頃と比べてもはっきり違いは分かります」
 なにせ三人は、素晴らしい夢の世界に一秒でも長く居たいがために、来る日も来る日も限界まで霊力を振り絞っていたのである。
 自然と魂から鍛えられて霊力量が増していったのも不思議はない。
 おまけに、以前より確実にお粗末な幻覚への対抗力もついているだろう。
 もちろんタイガーや神野は技術面でも磨きがかかっているが、魔理とて決して無為に過ごしていたというわけではないのである。


「――じゃあ、また明日な」
 名残を惜しみながら彼らの世界に別れを告げてから十数分。魔理が気だるそうに手を振り、タイガーと神野が重い足取りで自分の家へと帰っていく。
 誰もが倦怠感と無気力に襲われているところ。
 彼らはみな、それを霊力の枯渇のせいと考えていた。
 修行の一環でもあり、これは良いことなのだと。
 もちろんそれも理由の一つに違いないのであるが、彼らの気付いていない問題もそこにはある。
 彼らが常に遊ぶのは理想の世界。それも現実感を追求せんがために、いつでも五感全てにしっかりと鮮烈な印象を伝えてくる世界である。
 一方の現実はといえば、揺るぎないしっかりとしたものではあるけれど、代わり映えはせず、慣れと飽きのためにその存在感を感じはしない。
 リアルさを比べてみれば、軍配が上がるのがどちらかは言わずもがななのである。


 今日も彼らは、自分たちの頭の中、意識の中だけに存在する夢のリゾートに向かう。
 珊瑚礁で色とりどりの熱帯魚やウミガメと泳いでもいい。
 波打ち際ではしゃぎまわってもいい。
 ただのんびりと、浜辺に寄せては返す波を眺めているのもいい。
 銀の光に満ちた月夜に、一緒にそぞろ歩きをするのもいい。
 夢の中で彼らが選んだことこそが、彼らの一番幸せな過ごし方になるのだから。
 彼らは毎日、楽園を訪れる。
 そこは歓喜と平穏、狂騒と涅槃が同居する場所。
 夏休みが終わる頃には、彼らは楽園に暮らし、現実を夢見るようになっているかもしれない。




 夏企画に参加させていただきます。

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