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【夏企画】真木さんの日常

 反社会的組織としてその名を知られるエスパー集団「パンドラ」
 そのトップである、兵部京介は、「エスパーだけの理想の社会を作る」という目的のためには手段を選ばない。裏の世界でも恐れられている存在である。
 そこに所属するエスパー達は、その能力によってなんらかの差別や迫害を受け、心に傷を負ったものが多い。少なからずノーマルと、彼らが形成する社会を憎んでいた。

 そんな反社会的な人間が集まる非合法組織であるが、多くの人間が一つに集まり、コミュニティを形成する以上、規則や掟、またそれを管理する者が必要である。
 彼らは兵部というカリスマに集いやってきた者たちだが、その彼らを庇護下に置くには、やはり実務的な作業が必要となってくる。
 
 真木 司郎
 
 強大なカリスマに振り回される、根っからの苦労人である。

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         真木さんの日常

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 彼は、本拠地たる豪華客船「カタストロフィ号」にいた。
 さんさんと降り注ぐ太陽の下、備え付けの大型プールでは、数名の男女が余暇を楽しんでいた。最近は特に大きな仕事もないので遊べるときに遊ぼうといったところらしい。
 他にも、寝転んで日焼けしている男、ビーチボールで遊ぶ男女、日陰でカキ氷を食べる女の子など、十分に夏を満喫しているようだ。
 そんな仲間達を横目に見ながら、真木はだだっぴろい廊下を歩いていた。
 カタストロフィ号は、あのクイーンエリザベス号に匹敵するほどの巨大客船。すなわちちいさな一つの町くらいの規模を持った船である。そのため、船内の連絡は専用の携帯電話で行うのだが、先ほどからなぜが兵部につながらない。
 予定から1時間ほど経過していた。次の段階へ計画を進めるための大事な打ち合わせを予定していたのだが、その発案者たる、兵部が先ほどから見あたらないので、行きそうなところを捜し歩いているのだ。

 自らの長くてうっとうしい黒髪を後ろで縛り上げ、ハーフパンツに薄手のポロシャツという夏らしいラフな格好をした真木は、涼しい船内の中を、汗をかきながら探していた。
 メインの廊下を通り過ぎ、住居部分にさしかかろうというとき、その影から、女性が姿を現した。見事なロングヘアを揺らし、タイトな服装に身を包んだ彼女は、今まさに部屋へ戻ろうとしていたところだった。

「紅葉、少佐は見なかったか?」
「少佐? たしか・・・・さっき出かけたわよ。」
「出かけた?」
「ええ、なんか、『面白いこと思いついた』みたいな顔して、日本に飛んでったわ。 
 たぶんまた薫がらみじゃないの?」
「あのジジイ・・・・」

 真木は自分の胃がキリキリと痛む音を聞いた気がした。
 兵部の突発的な行動は、これが初めてではない。
 その思いつきでどれだけ苦労させられたことか、思い出すのもイヤになる。
 振り回される側として「うっとおしい」と思う反面、「さすが我々のボス」と思う部分がある。ある意味やっかいな存在だ。
 だが、兵部についていくと決めたのは、他ならぬ自分自身である。
 他人にさんざん裏切られた自分が、自分の意思を裏切ることは、生きる意味を失うことと同義である。だから、兵部についていくことで自分自身を救っているのだ。少なくとも真木は自分自身をそう理解していた。

「・・・しかたない。少佐が戻ったら、いつもの部屋にいると言っておいてくれ。」

 だがそれはそれ。気持ちを切り替えて、通常の雑務をこなしながら冷静に待つことにした。伊達に兵部と何年も付き合っていない。

「ホント、真木ちゃんは苦労性ねぇ。」
「そう思うなら代わってくれ。」
「私に代わりが務まると思う?」
「・・・・・すまん。」



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 真木は紅葉と別れ、自室で通常の雑務をこなすことにした。
これだけの船を維持するのには、燃料の調達や、メンテナンス、継続的に衣食住を保つ方法といった、事務仕事が必要になってくる。
 エスパーといっても、中身は普通の人間。時間が経てば腹は減るし、眠くなる。そういった一切の雑務に関して、兵部は真木に丸投げしていた。そのおかげで、真木にはヒマな時間が全く無い。組織の参謀役というのは、すべからず苦労人が多いのだ。


 兵部がいない間の仕事を頭の中で整理しながら、廊下を歩いていると、突然、「ドンッ!」という音が聞こえてきた。
 思考の海から引き戻された真木は即座に音のあった方に目を向けた。前方の部屋のドアが空いている。どうやらあそこが発生源らしい。
 真木はドアのそばまで近づき、そっと中の様子を伺った。
 部屋は、入ってすぐ左側に小さいクローゼットがあり、反対側には浴室とトイレに続く扉、その奥に小さなキッチンがある。どこの船室も同じつくりなので、部屋の構造は頭の中に入っていた。
 ドアからでは良く見えない、真木は足音をたてずに中へ入り、角から覗き込んだ。

 そこには、顔を真っ赤にして身構えているパティと、粉まみれでおびえているカズラがいた。

「・・・・・なにやってるんだ、おまえたち」

 何事かと思って来てみれば、単純な内輪もめらしい。敵の強襲も考慮していただけに、慎重に行動した自分がばかばかしく感じた真木は、若干肩を落としながら、2人の前に姿を見せた。

「あ、真木さん! パティが、パティがヒドいんですよぅ」
と、涙眼で訴えるカズラ。

「ダメ。これは絶対ダメよ。」
大事な我が子を守るかのように、紙束を胸に抱きながらにらみつけるパティ。

「いったい何があったんだ?」
どうせたいしたことじゃない、とわかってはいても、一応状況を聞くことにした。

「あの、いい天気なのにパティが部屋にこもってるから、一緒に遊ぼうと思って来てみたら、ノックしても返事がないし、ちょっと心配になって部屋に入ったんです。
 そしたら、ヘッドホン付けてて聞こえなかったみたいで、ちょっと安心したんですけど、机に向かって、何か書いてるみたいだから、後ろからちょっと見たんですよ。
 そしたら、マンガみたいで、私、絵とかダメだから、うわーすごいなーと思いながら見てたんです。そしたら急にグルンって振り向いて・・・・」

「ダメ。乙女の秘密を探ることは許さない。夏は追い込みなんだから、邪魔しないで。」

「秘密って・・・絵が描けるなんてすごいじゃない!うらやましいよ。
 私、本当に全然だめだもん。そういう風に少佐とあのメガネの人をうまく描けるのがうらやまし・・・」

「やっぱり見たな! 乙女の秘密を知ったなぁぁぁ!!!!」

「いやああぁぁぁぁ!!!」



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 結局、真木も一緒に粉まみれになった。
 パティは、隠し持っていた小麦粉と、自分の能力を応用して、空間を限定した極小規模な粉塵爆発を起こした。外敵を弾き飛ばす程度の威力しかなく、相手を傷つけることはほとんど無い。ただ単に人を近寄らせないためだけの攻撃だ。

 まったく最近ろくなことが無い。
 げんなりと肩を落として、自室に着いた真木は、そのまま浴室へ行き、体中の粉をシャワーで洗い流していた。

 こんな苦労を兵部はわかっているのだろうか。
 いや、おそらくわかっていても半々くらいだろう。
 感謝はしていても、必要以上に礼を言わない。まるで家族に対するそれと同じように。
 そしてそれが信頼の証だとわかっているから、真木自身も何も言わないし、そのおかげで兵部が自由に動けるのであれば、それは自分の役割として果たそうと思う。
 
 本当に損な性格だ。
 しかし、だからこそ、組織の参謀には自分しかいないのだ。
 そんな、どうにもならないことを自己分析。
 悪いクセだとわかっていながら止められないのは、やはりあのボスのせいだろう。

 シャワーを止め、すぐそばの三角コーナーに手を伸ばし、シャンプーの容器を手にした。
 が、どうやら空っぽのようだ。そういえば昨日使い切っていたのを思い出した。
 まったく間が悪い。必要なときに必要なものが無いなんて、まるでマーフィーの法則だ。最近どうもその傾向が強い。気のせいだろうか。



 シャワーから上がった真木は、シャンプーのついでに、生活雑貨を買いに行くことにした。
 当然、船の中に常備しているものもあるが、個人の嗜好によって異なるもの、たとえば、シャンプー・リンス・歯磨き粉などは、街に行って自分で買ってくることが多い。
 真木の場合、自らの能力によって自分の髪を酷使するので、トリートメントの乗りが良いものを選んで使っている。

 部屋を出た真木は、廊下の突き当たりの、娯楽室のドアを開けた。
 ビリヤード、ダーツ、アーケードゲーム、UFOキャッチャー(誰が中身を補充しているかは不明だが)などがある。また、奥にはカウンターバーもあり、暇なときには誰もがくつろげる溜まり場となっている。
 正面のビリヤード台を見ると、紅葉と葉がまさにゲーム中だった。

「2人とも、ちょっと出かけてくる。たぶん1時間くらいで戻ってくるから。」
「あら?もしかしてお買い物?」
「ああ、いろいろと買いだめしておこうかと思ってな。」
「そしたら、私のシャンプー買っといてくれない? ヴィダルサスーンのやつ」
「それくらい、たまには自分で買ってこい。」
「何よ、ケチィ」 紅葉は唇を尖らした。
「別に何百ケースも買えってわけじゃないんだから。1本でいいのよ。」
「・・・まったく。」
「あ、真木さん。そしたら俺も」 葉が手を挙げた。
「却下だ」
「ひでえな。まだ何も言ってないじゃん。」
「どうせロクなことじゃないだろ。」
「いやいや、俺にとっちゃあ大事なんだって。昨日発売されてるはずなんだけどなあ。ガボールのクロスチェーン。いや、あれさ、今まで見たシルバーアクセの中で、一番イカしてて、3ヶ月前から狙ってたんだけど・・・・・」

 と、葉が言いかけたときには、真木はもうその場にいなかった。



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 外は雲ひとつない快晴だった。さえぎるもののない真夏の日差しが、地面に強く突き刺さり、その反射熱が地面から立ちのぼっている。
 石畳の道に石造りの家並み。それに混じって近代的な高層ビルディングが立ち並んでいる。どうやらヨーロッパのどこかの街らしい。
 汗をかきながら通り過ぎる人々の中を、真木は自らの上半身ほどはあろうかという大きな紙袋を持って歩いていた

「少し買いすぎたか・・・・」

 シャンプー、リンス、歯磨き粉、果物、コーヒー、髭剃りなどなど、とにかくあらゆるものを買ってしまった。今買わなくても良いものも多い。ホームセンターというところは魔境だと思う。消費者の心の隙をつくのがうまいのだ。

 一息ついたところで、人目のつかないところに行ってから飛んで帰ろうとしたとき、紙袋からグレープフルーツがポロっと落ちてしまった。
 それを拾おうと、真木は腰をかがめた。
 その時、
 
 フォンッ!

 と、何か音がした。
 いや、聞こえた気がした。
 身体を起こし、あたりを見回す。
 自分の左側に建っている建物の壁に、直径1cmほどの小さな穴が空いていた。そして、なぜか穴の周囲は水で濡れている。
 真木はその建物の、その穴に近づいた。

 と同時に、

 フォンッ!

 という音とともに、顔の右側を後ろから何かが通過した。
 その何かは視線の先にある建物の壁面に激突した。
 壁が一瞬で削れ、1cmほどの穴があいた。
 真木は、飛んできた方角を振り返った。

 そこには、男が一人立っていた。
 
 中肉中背、細面にブラウンの短髪。夏らしく、ハーフパンツにTシャツというラフな格好。そのままでは取り立てて特徴のない男だ。
 ニコニコと笑っているが、それは本心を隠そうとするポーズのように見える。

「やあ、これはこれは。誰かと思ったら、あのパンドラの大幹部さまじゃありませんか。」

 大げさな身振りで、大仰な挨拶。丁寧なそぶりをしているが、真木はこの男が見た目ほど善良でないことを知っていた。

「おまえ・・・・たしか、2年くらい前にうちに来た」
「桐谷水彦(きりや みずひこ)。覚えていてくれて光栄ですよ、真木司郎さん。」

 2年前。まだパンドラが日本を拠点に活動していた頃、1人の男が自分の能力を売り込みに来た。それが桐谷だ。
 今と同じ、感情のこもらないアルカイックスマイルで、自分の能力をとうとうと語り、パンドラへ入ることを希望していた。
 だが、エスパーの仲間を熱望しているにもかかわらず、兵部は首を縦に振らなかった。

「フン、精神異常者が何のようだ?」
「やだなあ、“サイコパス”って言ってくださいよ。もっとカッコよく。」
「どちらでもいい。まさかこんな地球の裏側で会うとはな。まだ続けてるのか?」
「そりゃあもう。俺の生きがいですから。」
「フン、何も知らない子供を獲物にするやつの気が知れないな」

 兵部が彼を拒否した理由は、その精神性だった。
 彼は一種の精神病であり、『罪悪感』を感じる心が欠落していたのだ。
 そして彼は自分の能力によって他人を蹂躙することに快楽を覚える人種だった。
 中でもとりわけ子供をターゲットにすることに至高の喜びを覚えていた。
 
 兵部にとって子供とは、ノーマルであれエスパーであれ、無限の可能性を秘めている存在である。たとえ今はノーマルでも、エスパーとして能力が発現するかもしれない。
 そして何より、死ぬ覚悟も無い、何も知らない子供を危険にさらすことに、強い嫌悪感を持っていた。

「そうそう、俺、今度新しいところに就職が決まりましてね。あんた達も知ってるところですよ。」
「・・・・・ブラックファントムか」
「ご名答。さすがですね。」
「お前のようなクズを雇うところなんて、他にはないからな。」
「やだなあ、人聞きの悪い。ちょっと手癖が悪いだけですよ・・・・こんなふう、にっ!」

 瞬間、桐谷の右手から何かが飛んだ。
 既に身構えていた真木は、飛んできたのとほぼ同時に身体を左側に倒したが、避けきることができず、それは右頬を掠めていった。
 真木は桐谷の右手を見た。500mlのペットボトルが握られていた。中は透明の液体で満たされている。

「そうか、貴様はたしか水を使うんだったな。」
「そうだよ。水ってのは最強の道具さ。地球上のどこにでもあるから。超高圧をかければ、こんなふうに」

 桐谷が再び、真木めがけて水を発射した。超高圧の水は岩をも分断する威力を持っている。くらったらただでは済まない。真木は地面を転がりながら攻撃を回避した。

「この万能ナイフで子供を切ると快感なんだよ。『何が起こったかわからない』って顔するんだ。それを見るだけで、ああ生きてて良かったなって実感がわいてくるんだよね。この快楽、わかんないかなぁ」
「異常者の言うことなどわかりたくもない」

 言いながら、真木は自身の髪の毛を炭素結晶に変えて鋭い刃とし、桐谷めがけて放った。
 刃は一直線に飛んで行き、そのまま桐谷の身体につきささるはずだった。
しかし、なぜか桐谷の直前で急減速し、ついには止まってしまった。

「だから言ってるだろ?“最強”だって。海底4000mの圧力下でそんなものが通用すると思うかい?」

 そう言う桐谷の目の前には、いつの間にか水のバリアが張られていた。
 真木から見て、透明のアメーバのようなものがゆらゆらと浮遊している。能力で固定された水が、高水圧の壁となって、桐谷を守っているのだ。

「お前の狙いはなんだ。」
「んー? いやあ、別に狙いなんてないよ。ただ懐かしい人を見つけたんでご挨拶をと思って。」
「だったらやめておけ。これ以上は冗談ではすまない。」

 事実、あたりを見回すと、見物人が増えていた。人通りの多い街中で刃を交わしたのだから、注目を集めないわけがない。

「でもさ、もうこっちは体が暖まっちゃってるわけよ。こうなるとさあ」

 桐谷が怪しく微笑んだ。

「誰か殺らないとおさまんないんだよ」

 言うと同時に目つきが変わった。人懐っこい雰囲気は影を潜め、顔に似合わない圧倒的な殺意が真木めがけて襲い掛かってきた。

(ちっ! 仕方ない!)

 真木は今いる大通りから、建物の間を抜け、路地へ飛び込んだ。
 あそこで戦闘に突入してしまえば、周りに甚大な被害が出てしまう。
 なにより、自分はお尋ね者。こんなところで目立ってしまっては、兵部に迷惑がかかってしまう。
 それは組織の参謀たる自分には許されないことだ。

 桐谷は、低空で路地裏まで飛ぶ真木を見ながら、歩いて近づいてきた。
 そしてそのまま、真木めがけて水弾を発射した。

 バシュッ!という音と共に障害物に当たる水弾だが、そんなことはお構いなしに、鉄をも分断する威力で真木に迫ってきた。

「くっ!!」

 真木は転がるようにして路地裏に出た。
 そして後方にぐるっと一回転し、今通ってきた路地にすばやく目を向けた。
 だがそこには誰もいなかった。

「遅いよ」

 後ろから声が聞こえた。
 真木は反射的に、炭素結晶の盾を作り、振り返りながら右後方へ飛んだ。
 水弾は、炭素の盾を半分ほど切断したところで止まった。
 盾を通り過ぎた分は、右肩に当たったが、肉を少しえぐっただけで済んだ。鈍痛がするが戦闘に支障は無い。

「さっすが。それくらいは抵抗してくれなくちゃ面白くない。」

 桐谷は明らかに遊んでいる。
 自分の絶対的優位を信じて、真木をいたぶっているのだ。
 今の攻撃にしてもそうだ。彼が本気で真木を殺そうとしたら、炭素結晶など一瞬で切断されてしまうはずである。
 桐谷は、真木を殺さないギリギリのラインで、翻弄しているのだ。
 だとしたら、勝機はそこにある。

「ブラックファントムも人材不足なんだな。貴様みたいな制御不能の狂犬を雇うとは」
「そうかもね〜。でも暴れる場所を提供してくれるっていうから、あっちについてるだけさ。まあ、おかげで毎日楽しいよ。昨日も男の子3人、女の子2人。気持ち良い声で鳴くんだコレがさぁ」
 桐谷は心底嬉しそうに笑っていた。

「フン、貴様とはやはり相容れないな」 
「そうだと思うよ。パンドラさんは、裏の人達のくせに意外と真面目だから。」
「我々には目的がある。一時の快楽のために見境なく暴れる者など必要ない。」
「ふーん、まあどっちでもいいや。」
 桐谷が右手を銃のようにかまえ、人差し指を真木に向けた。

「どーせ、ここで死んじゃうんだし。」
 その指先に直径3cmほどの丸い水球が浮かび、まさに水弾を発射するところだった。

「おまえがな」

 突如、桐谷の周囲の地面から無数の黒い刃が飛び出し、彼めがけ襲い掛かった。
 刃は炭素結晶、いわゆるダイヤモンドに近い硬度を持ち、研ぎ澄まされた黒い脅威として、桐谷の全身を串刺しにする勢いだった。

「フフッ」

 桐谷は笑みを浮かべた。
 と同時に、彼の眼前で全ての刃がピタリと止まった。
 先ほどと同じように、水のバリアによって、全て防がれてしまった。
 
「学習しないねぇ。不意を付いたと思っただろうけど、ムダムダ。」

 桐谷がため息を吐いたとき、バシュッ と、音がした。
 何かが切り裂かれる音だ。
 桐谷は動きを止め、音のした方を見た。彼の腰の辺りだ。そこにはたしかペットボトル入りの水を吊るしていたはずだ。
 しかし今そこには、吊るしていた金具だけが残っていて、その先のペットボトルは寸断されてしまった。
 時間差で放たれた黒い刃が、桐谷のバリアの隙間をついたのだ。

 桐谷は、自分の腰元を見ながら、肩を震わせていた。
 悔しがっているのだろうと思った。そして、興奮して襲い掛かってくるかもしれないと、真木は迎撃体勢に入った。武器である水は奪ったが、あのタイプは逆上するとどうなるかわからない。

「う・・・く・・く・・・くくくっ・・・・くふ・・・フハッ、あははははは!!」

 だが、真木の考えとは裏腹に、桐谷は突如声を上げて笑い出した。悔しいのではなく、笑いをこらえていたのだ。

「ははははは!! まさか、まさか、この程度で武器を封じたと?動きを抑えたと思ってるのか!? なんて!なんておかしいんだキミは!」

 桐谷は笑った。まるで面白いものを見つけた少年のように笑っていた。

「今の季節はなんだ? 夏だろ? これだけ強い直射日光。みんな暑いだろうな。街中で水分補給している人がどれだけいると思ってる? それに、」

 桐谷は両手を眼前にかまえ、指を広げた。

「この熱気では池も湖も海も蒸発する。大気中にどれだけ水分があると思ってるんだい?」

 両手の五指それぞれに水弾が生まれ、彼の周囲をなぎ払った。
 襲い掛かっていた刃は無残にも切断されてしまった。

「水はどこにでもあるのさ。この地球があるかぎり。」

 桐谷は笑い続けた。真木のその行為全てをあざ笑った。


「だろうな。 ・・・・そう思うよ。」

 なぎ払った黒い刃は、まだ空中に浮いていた。そしてそれはそのまま落下すると思われた。
 が、先端の刃が無い状態で再び桐谷めがけて襲い掛かった。

「な!?」

 水のバリアを大きく迂回する形で、桐谷に突進し、そのまま腰に巻きついた。他の黒い帯も同様に、腕、足、首などに巻きつき、桐谷の体を拘束した。
 最後の黒い帯は、桐谷の顔に巻きつき、彼の視界と口を塞いだ。

「おとなしくしてろ。このまま首をへし折ることもできるんだ。」

 巻きついた黒い帯は桐谷の身体をガッチリと固定している。水弾を作らせないよう、指先はグルグルと何重にも巻いていた。
 これで彼の動きと能力を封じた。

 そう思った。
 だが、

 バツンッ!!

 という音と共に、全ての帯が断ち切られた。
 桐谷に巻きついていた黒い帯は、彼の体の前面から切り開かれ、そのまま力なく足元へボトボトと落ちてしまった。

「ははっ! ちょっとびっくりしたけど、そんなんで拘束できると思ったのか?
 大気中の水蒸気を圧縮して発射すれば、同じことが可能なんだぜ!?」

 桐谷は自分の周りの水蒸気を圧縮し、水弾に十分な量の水を集め、それに圧力をかけて水の刃として発射し、黒い帯を引き裂いたのだ。
 これはすなわち、空気中に水分が存在する限り、彼の能力を封じることはできないことを意味していた。

「ずいぶんとチープな作戦じゃないか。それで出し物は終わりか? それじゃあ・・・」

 真木に止めを刺そうと、桐谷が一歩足を踏み出した。
 打撃は止められた。
 武器を奪ったはずが、それは空気中に充満している。
 拘束しても切り裂かれる。
 もう真木の能力では太刀打ちできない。

「まずはその反抗的な目をえぐってあげるよ。次に鼻を削いであげる。後、指を一本一本切断してから、四肢を切り落として、最後に首だ。
 さぁ、パンドラの大幹部様はいったいどんな声で泣き叫んでくれるのかなぁ?」

 桐谷が狂気の笑みを浮かべた。

 そのとき、


「があああああああああああああ!!!!!!」

 
 突然、桐谷が声を上げた。
 節々が黒く焦げだし、髪の毛が逆立ち、四肢をピンと伸ばしたまま、ビクンビクンと痙攣した。

 突如襲ってきた衝撃に、一瞬意識が飛んだ桐谷だが、必死でつなぎとめ、自分に何が起こったのか、身の回りを観察した。
 
 足元に黒い帯の残骸が残っていた。
 体の前面から切り開いたので、当然、後方には多く残っている。
 それは幾重にも重なり、そのまま道の向こうまで続いていた。
 その行き先を目で追っていくと、その先には、1本の電柱があった。
 その先端を見た桐谷の背中に、ギクリと戦慄が走った。

「き・・・さま、まさか!!」
「たしかに、水は地球上どこにでも存在する。武器として使えれば、そうとう便利だろう。だが、何にでも弱点はある。もう少し気をつけておくべきだったな。」

 黒い帯は、そのまま電柱の先端にある、変圧器に巻きついていた。
 真木は、黒い炭素の帯を導線として、高圧電流を桐谷の身体に流したのだ。

 
 炭素結晶の盾が切り裂かれた瞬間に、真木の手段は決まっていた。
 水は電気を流す。それしかないと思った。
 当然、バカ正直に電気を帯びた導線をそのまま投げつけても避けられるだけだ。
 ではどうするか。
 真木は、その導線を桐谷自身に作らせることにした。

 まず材料となる炭素を刃として襲わせ、はじかれたところを、拘束帯として身体に密着させる。
 人間は、何かに巻きつかれると、自分の視界が向いている方、すなわち体の前面からそれを解こうとする。
 案の定、黒い帯は彼の体の前面から切り裂かれた。
 帯は彼の後方に落ち、折り重なって積まれる。
 その黒い束に、会話の最中に密かに作っていた導線を接続する。
 あとはその先を、水びたしの地面に接触させるだけだった。
 身の回りの全ての水を操るという桐谷の言葉どおり、彼の半径数メートルの水分は彼の道具として扱うことが可能だった。だがそれは同時に、その水分が彼の身体とつながっていることを意味していた。
 
「がはっ! ・・・・ぎ・・・き、さまっ!!」

 桐谷の意識は朦朧としていたが、その激しい怒りで身体をささえ、憎々しい形相で真木をにらみつけた。
 電流は、彼の体の内部に相当なダメージを及ぼしていた。もう立っているのがやっとだ。

「こ・・・・・ころして・・・・や・・る・・・・」

 その強烈な怒りが歩を歩ませ、ふらふらした足取りで一歩、また一歩と、真木に向かって歩いてくる。

 押せば倒れる状態に見えるが、油断禁物なのは真木も同じ。再び戦闘態勢に入ろうとした。
 その時、

 ドスッ!

 と、何かが貫いた音がした。
 真木が音の発生源をみると、桐谷の胸から何かが突き出ていた。
 もっとよく見ると、桐谷の背中側から前方へ、心臓のあたりを日本刀のような長い刃物が突き抜けていた。
 刺さっていたのは数秒だった。刃はすぐに背中側に引き抜かれた。
 それと同時に、ブシャァァ!と、大量の血が噴出した。

「がはぁっ!!!」

 自らの血液でつくった血溜まりの中に、血を吐きながら桐谷は倒れた。
 身体をビクンビクンと痙攣させていたが、血の噴出が治まるとともにその動きもなくなり、ものの数秒で動かなくなった。

 真木は顔を上げ、背中から桐谷を刺した何者かに目を向けた。
 知らない男が立っていた。
 歳は40代くらいだろうか。上下スーツの、とりたてて特徴もない感じだ。
 だが、かもし出す雰囲気が、一般人のそれとは違うのがわかった。

「勝手な行動はするなと言ったはずなんですが・・・・困った人ですね。」

 紳士然とした口調でつぶやくが、その口調は冷静というよりも冷徹な印象を受けた。

「だれだ?」真木はとっさに身構えた。
「おっと、これは失礼。私はただの使いの者です。」男は、まるで執事のようにお辞儀をした。
「ブラックファントム・・・・」
「ええ。このたびはご迷惑をおかけしました。」
「これはいったいどういうことだ?」
「我々は、現段階であなた方と事を構えるつもりはない、ということです。」
「それが、今の『粛清』というわけか。」
「そうです。身内の不始末は我々の責任ですから。」

 男は手に何も持っていなかった。先ほどの剣は、どうやら彼自身の能力で作られたものだったらしい。

「現段階では、と言ったな。」
「はい」
「将来的にはわからないということか。」
「それはボスがお決めになることです。」
「お前達の目的はなんだ」
「それはボスが知っておられることです。」
「私達の邪魔をしないといえるのか。」
「それはボスでないとわかりません。」

 どうやらこの男と話しても、何も進展はなさそうだ。真木は会話を早々に切り上げることにした。

「・・・で、こいつはどうする。」
「後の始末は私が。どうぞあなたさまは、お買い物をお続けください。」

 そう言うと、男は右手を眼前にかざし、パチンッと指を鳴らした。
 と同時に、男の姿が消えた。テレポートしたようだ。
 視線を下に向けると、桐谷の死体も消えていた。血だまりもなく、戦闘の痕跡すら無くなっていた。
 だが、痕がなくても、少なからず目撃者は何人かいる。ここに長居するのは不味い。
 真木は隣町まで飛んでいくことにした。

「ふぅ・・・・また、買いなおしだな。」



****************************************


「で? 僕がいない間に何か変わったことはあったかい?」

 真木が船に戻って、半日ほど経った夜、兵部が戻ってきた。
 よく見ると、服がところどころ傷ついている。また勧誘に失敗したらしい。懲りない人だ。

「いえ、特に何もありません。」

 真木にとって、今日の街中での戦闘は、あくまで組織を守るための行動だった。それはいつも行っている業務となんら変わりない事。組織の運営を邪魔する者は排除する。ただそれだけだ。だから、買い物をしなおして、帰りが遅くなって紅葉にブーブー文句を言われても、真木は何も言わなかった。
 少なくとも、真木にとって兵部の右腕になるとは、そういう瑣末な事象の露払いをすることだと認識していた。

「なんだか、船の中が騒がしいようだったけど?」
「ああ。あれはパティが・・・・」
「・・・・またか」
「夏は大事とか、8月は日本に寄れとか・・・・よくわかりませんが。」
「まあ・・・・好きにさせておいてくれ。」

 パティの不可解な行動は、もう諦めているらしい。
 2人とも「わからないものは放っておく」ということで意見が一致していた。

「ま、いいや。とりあえず、お疲れさま。」

 ポン、と兵部は真木の肩を叩き、部屋を出て行った。真木は1人、部屋取り残された。
 と思ったら、ドアからひょこっと、兵部が顔を出し、

「そうそう。ケガしてるなら、早いとこ治しといてくれよ。」

 そう言って、今度こそ本当に出て行った。
 
 今の言葉はどういう意味だろうか。
 パティにやられたケガか、それともそれ以外のことか。
 
「・・・・まったく、底知れない人だ。」

 おそらく、今日起きた事はある程度は見抜かれているのだろう。
 そして、真木が報告しない理由も、真木の思いを知ったうえで、何も言わず出て行ったのだ。

 改めてこの人にはかなわないと真木は思った。
 兵部に付いていくことが、一生をかけた使命であり、役割なのだ。
 それは誰に言われたのでもない、自分自身で決めたこと。
 兵部に振り回されながらも、傍らに立ち、彼を支えるのが、真木の日常なのである。

「我ながら、大変な道を選んだものだな」

 真木は1人自嘲ぎみにつぶやき、窓の外を見た。
 雲ひとつ無いキレイな夜空だ。星々がよく見える。

 体が少なからず疲労している。今日は良く眠れそうだ。
 騒がしくて、わずらわしいと思いながらも、自分の居場所を感じられる、いつもと変わりない日常が、明日からまた始まるのだった。
こんにちわ。
今回はちょっと、ハードでボイルドな展開にしてみたいと思い、こんな風になりました。

登場回数が多いのに、謎な男、真木さん。
参謀っていうのは、一番大事で一番大変なんですよね。

そんな苦労人、真木さんに幸せはやってくるのか?


・・・・案外、今が一番充実してたりね。

[mente]

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