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【夏企画】遠い夏の日

 蕾見不二子は、夢を見ていた。
 遠い昔、自分と弟を取り巻く世界が穏やかで優しかった事に、未だ何の疑問も抱かずいられた時代。男爵家の屋敷と、学校と、超能力研究所と。自分の知らないところに世界が存在するなどと、この水と蒼とがどこまでもずっと続いているなどと、想像すら出来なかった頃の夢を。


「不二子さん」


 可愛らしいおかっぱをした弟 −兵部京介− の弾んだ声を聞き、不二子は気づく。ああ、やっぱりこれはいつかの記憶、夢でしかないのだと、思い出の舞台にいながら深く実感した。

 そう、これは舞台だ。

 繰り返し繰り返し上演される、筋の決まりきった舞台だ。役者は自分と弟とイルカの伊号だけ。観客はもうとっくに、皆他界してしまったわね、と不二子は朧に昔の仲間を思い浮かべた。
 夢の中で、どこか遠く小さな自分を見つめる。自分も京介も、そしてイルカの伊号もまだまだ華奢で無邪気な幼い子供達にすぎなかった。忙しい父にせがんで連れてきてもらった海、あたりを超能力で飛び回り、笑い声を上げ、小さな傲慢さで世界のすべてを堪能していると思っていたあの頃。すべてが過剰なまでに輝いていた、あの夏。
 壊れたテープレコーダーのように、ただひたすら一方的な生真面目さで繰り返される演目。もう何回目かわからないそれを、不二子は頭を空っぽにして受け入れた。そうすれば、後はオートメーションに舞台は展開してくれる。


「不二子さん」


 弟が訝しげに顔をのぞき込んでいた。


「なに、京介?」

「どうしたの、ぼーっとして。ほら、伊号がもっと遊ぼうって跳ねてるよ」


 伊豆の海とはまた違った、透明度が高くまばゆい沖縄の海を誰より楽しんでいたのは海の住人である伊号だったかもしれない。いつになく上機嫌で鳴く伊号を眼下に、不二子はいきなり京介の腕をつかんだ。

「ふふん。姉にそんなこと言うなんて、あなた、おろしたてのセーラーを着込んで調子に乗ってるんじゃなくって?

「え、いや不二子さんが空を見上げてたから、遊ぼうよって言おうと思っただけで……」


 抗弁しようとし、京介は口をつぐむ。爛々と目をときめかせる不二子にこれ以上何を言っても無駄だと、蕾見男爵家に迎えられてからの経験が、幼い京介をしてそう判断させた。


「そおんな小生意気な弟には、こうしてやるのよっ!!」

「わっわっわ、あれは止めて不二子さーん!!」

「瞬間移動奥義! 強制寸止め自由落下ー!!」

「不二子さんのは寸止めになってないんだよー?!」


 世の姉弟がそうであるように、常日頃、弟は姉の所有物だと公言してはばからない不二子。曰く所有物であるところの京介は天空から海への落下を何度も何度も繰り返させられ、海中の伊号と浜辺の大人達を大いに慌てさせた。
 不二子さんの馬鹿お転婆男女、と泣きわめき所有物なりの抵抗を示した後、しまいにはお漏らししたズボンごと海中に放り出されたのは、もしかすると姉のせめてもの思いやりだったのかもしれない。





☆☆☆☆☆





 「不二子さん?」


 京介が訝しげに顔をのぞき込んでいた。


「……なに」

「どうしたの、ぼーっとして。ほら、着艦までもうすぐだよ」


 飛行服に身を包み、ゴーグル越しに視線を寄越す京介を、不二子はじっと見つめた。ああ、そうか。自分は陸軍特務超能部隊として初めて、海軍との合同訓練に臨んでいたのだ。
 念動力で飛行する二人を誘導する新型艦載機の翼を確認し、不二子は飛行速度をわずかに落とした。


「航空母艦……だったかしら。お父様は随分あれに入れ込んでいるようだけど」

「凄いよね、大きくて飛行機がたくさん搭載されててさ! コメリカにだってあんなのないよ、きっと!!」


 巨大な空母に乗艦できたと訓練開始から意気をあげている弟に辟易し、不二子は深いため息をついて飛行姿勢を反転させ、空を見上げた。艦載機に乗り合わせている訓練指導官に見つかれば大目玉だが、気にするような不二子でもない。
 

「空は空ね」


 雲海すら間近にある高度においても、あの時の夏と同じように変わらぬ、透き通るように果てしない蒼がそこにあった。さすような強い日差しに、自然ゴーグルに手を当てる。
 この蒼さも白さもやはり過剰なくらいに輝かしてく、まったくひどい夏だと不二子は思った。
 

「かっこいいよねー!」

「何を言ってるの! 人殺しの道具なのよ?!」


 特別な力を持っているのだから、世の役に立てるのだと。一丁前にも、国を守るだなどと言い出した弟の言葉を窘める。
 男はどうしてこう戦いが好きなのか。女である不二子には、もう父親の考えも理解出来なくなりかかっていた。蕾見男爵は娘も、弟である京介ですらも、兵器として、道具としてしか見ていないようであった。
 超能力を兵器としてしか考えていない。つまりところ、超能力を持つ自分たちに、人を殺す道具になれということだ。
 時代を覆い始めた薄暗い影を感じながらも、自分たちの力が世界から、周囲からどう考えられているのか。利発な不二子はそれを理解することが出来たが、それだけでもあった。
 幼いの頃のように無垢でも物知らずでも無い、少なくとも呑気に隣を飛行する弟よりは世の中の裏の部分、ほの暗い部分をわかってもいた。だが、その冷たさを飲み下すにはまだまだ子供だった。兵器としての自分に、納得などしたくなかったのだ。


「いや、飛行機じゃなくて。操縦士が不二子さん好みの美形だったよ、と」

「どれ?! まってー!」


 おどけたつもりなのだろう弟の言葉に乗っかって、艦載機を追いかけた。いつまでこうやって馬鹿やってられるのかしらね、と苦笑いをしながら。





☆☆☆☆☆





「不二子さーん!」

「なに伊号に振り落とされそうになってるの、がんばんなさいよー!」

「きゅるるるるるー♪」

「わっわ、だからちょっと待てって伊号!」


 沖縄に停泊した母艦を抜け出し、きつい訓練の息抜きだと三人 −正確には二人と一匹だが− は近くの島で海水浴を楽しんでいた。
 

「この島に来るのも久しぶりね! 上手いこと抜け出せて良かったわ」

「水着用意してたくせに。来る気満々だったんじゃないの、不二子さん」

「なあに、あんたみたいに軍服のまま入れっていうの? いやよ、あたし。あ、それともオトウト君はおねーちゃんの裸が見たかったのかなーこの助平!」

「ななななななな、なに言ってるんだよ不二子さんっ?!」

「くきゅるるるるるるるるー」

「あ、こら伊号止めろっ!!」


 跳ねた伊号の背中からばしゃんと大きな音を立て京介が海の中に落ち、不二子はそれ以上に大きな声で笑いあげた。笑い声の溶けた昔と変わらない晴れ空、きつい日差し、そして潮の香り。浜辺と熱帯の植物、海のコントラストはなお美しかった。


「あはははは、少しはいい男になったじゃない!」

「不二子さ〜ん……」


 波間から恨めしげに見つめる京介に、いつかみたいに自由落下させてあげようかと不二子が迫り、伊号が爽快に海から跳ね上がる。
 コメリカとの外交が行き詰まりを見せはじめ戦いの足音が急速に早まり、人々がどんどんとこれからの国の行く先を見失っていく中、まだ不二子や京介には余裕があった。
 いや、精度の高い情報に近いだけむしろ今を楽しもうとしていたのかもしれないが、それでも二人は自分たちの能力にある種の自信と誇りを持っていた。
 この力が、幸せな未来を作るのだと。生まれ持ったせっかくの特別な力で、皆を幸せにしてみせるのだと。





☆☆☆☆☆





「不二子さん?!」

「ごっめ〜ん。当たっちゃった……」


 戦争が始まってからもついぞ見たことのない、京介の焦った顔がそこにあった。


 (人を殺す事に慣れても仲間を殺される事には慣れない、か)


 不二子は心密かに思う。
 世のため、国のため、そして信じる仲間達のため。生まれ持った力を活かすのだとあんなに勇ましく、普通も特別もないと気勢を上げていたくせに、なんて情けない顔をするのかと。
 だからあの時も確認したのだ、このまま兵器になっていいのかと。軍部の命令に逆らいようもなかったが、弟と一緒に兵器になった不二子の作った渋面が、どう映ったのだろう、京介は不二子に向かって初めて怒鳴り声を上げた。


「なにやってんだよ?! すぐ母艦に戻って!!」

「瞬間移動が出来ないし、念動力ももう……」


 思いもかけぬ弟の大きな声に、つい不二子は弱音を漏らす。
 物量で押してくるコメリカ航空部隊に、実のところ限界が迫っていたし、遅かれ早かれ、撤退を余儀なくされたことだろう。疲弊した状態で直撃すれば体が粉砕される6mm弾が腕をかすった程度で済んだのは僥倖(ぎょうこう)だったと不二子にはよくわかっていた。


「じゃあ、僕が連れてく! 止血は自分で出来るね?!」

「……ええ」


 さっきの慌て様はなんだっのかしら、しゃんとした男みたいな事言えるじゃない。うずく腕の痛み以上に成長した弟への喜びを覚えて、京介が差し出した肩を、不二子は自分でも意外なほど素直に借りた。母艦に戻れば、治療が出来、伊号とも合流をして体勢を整えられる。京介も不二子も、その一心で海上を疾走し、水平線の果て、ついにはそれを見た。


「母艦が……!」


 炎上する飛行甲板、傾いた船体。この美しい南太平洋に不釣り合いな黒煙を巻き上げながら、空母が迷走している様を。
 あの火の中には今朝おどけた話した古株の整備士が、仲の良かった下端伝令の二等兵が、出撃待機していたパイロット達が、嫌みではあるが陸軍の自分たちにも個室を割り当ててくれたひげの艦長らが−−−いるのだ。
 そこにいては駄目だ、そんなすべてを漆黒に塗り替えてしまう様な炎の中にいてはこちらに戻れなくなる。
 手を伸ばせばつかめそうな距離、だが人を寄せ付けぬ、人を燃やし尽くす炎の壁が超能力兵士の行く手を阻む。
作戦行動の末不二子を連れ戻り、肩で息をする京介に消火を行う力は残っておらず──
 
 仲間達が次々と炎で焼かれ逝く中で、わかったのは、
 二人がわかってしまったのは。
 世の中の流れを変えるべくも無い、
 世界のすべてどころか、目の前の現実一つ変えることの出来ない、
 自分たちが持った力の限界──
 無邪気な子供でいられた時と変わらない夏空の下、
 この過剰なまでに輝かしい水と蒼の世界で、
 敵味方無く、 ノーマルもエスパーも無く、
 残酷なまでに人が平等に死んでいく事実だった。

 ──ああ、やっぱりこれは夢なのだ。

 蕾見不二子は改めて思う。すっかり変わってしまった弟が、ノーマルのために涙を流すなどもう決して見られないのだから。負傷している自分を心配して −もしかして甘えていたのかもしれないが− 弟が強く抱き留めるなど、あれきりだったのだから。
 戦争が終わって、もう60年経った。今もまだ手の届かない未来ばかり見ている兵部京介は、もう自分の弟ではないのだから。
 厳重なセキュリティで守られたバベル研究施設の最深部、袂を分かった京介と相対するための長い眠りの中。不二子はたとえ筋がわかりきっていようとも、何回でもこの夢を見、演じるつもりだった。
 今更舞台を降りるつもりは、さらさら無かった。


「どう、超能力があると楽しいでしょう?!」

「不二子さんだけがねっ!!」

「もっかいちびらせて欲しいのかな京介−?」

「くきゅるるる?!」

「あはは、伊号は心配しなくていーのよ。不二子ねーさんが、みんな上手くやってあげるんだから!!」

「不二子さんー?!」

 飛び回り、笑い声を上げ、水と蒼の世界を心ゆくまで楽しんだあの夏はもう彼方のこと。だけど季節はまた巡り、夏はまたやってくる。もう一度、すべてが動き出す夏に向けて、蕾見不二子はまた眠る。
 深く、眠り続ける。
 
 











※2010/01/17 一部改訂
こんにちは、とーりです。
今回はトキコさんとミサさんの合作イラストとコラボさせていただきました。
ご了解はいただいているのですが、夏の日の楽しいイラストにこんなSSつけてごめんなさいm(_ _)m

皆様はどう感じられたでしょうか?
普段とは調子が違いますが、最後まで読んでいただけたのなら幸いです。
では、また。

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