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【夏企画】夏と花火と麦の酒

夏といえば

さんさんと降り注ぐ太陽、みんみんと元気な蝉、それより元気に外で遊ぶ子供たち。

そして


「・・・あ〜、あつぃぃ〜」

事務所のデスクで、公園のベンチでへばるサラリーマンよろしくぐったりしている美神。
「暑いって言うと余計に暑くなるッスよ・・・あ〜、暑い」
横島も熱でとろけた思考をウチワで冷やそうとするが、ぬるい空気をかき混ぜただけだった。

冷夏の予想もなんのその、今日は今年の最高気温をたたき出すらしい。
午前中でこの暑さは、亜熱帯の人間も音をあげるだろう。

「何で・・・何でこんな時にクーラーが故障するのよ・・・」
「連日連夜暑いからってフル稼働させたからじゃないッスか・・・」
恨みのこもった視線をクーラーに向ける美神に、横島はやれやれと肩をすくめる。

「電気屋は夕方には来るって言ってましたから、それまでの辛抱ッス」
なだめる様に横島は言うものの、それで治まるような美神ではない。
「今直んなきゃ意味無いのよ!あーもう、早く修理に・・・・・・」

「・・・どーしたんすか?」
急に言動を止めた美神へ気だるそうに横島は尋ねる。
「アレ、出しなさい」
「修理代なら鼻血も出ないッスよ」
「誰も期待してないわよ。文珠よ、も、ん、じゅ」
ようやく、横島は美神のやりたい事がわかった。
「成程・・・でも大丈夫ッスかねぇ」
「いいのよ!所長命令よ、やりなさい!」
「はいはい、了解っと」

横島は文殊を取り出し文字を込める。その文字は

『修』『復』

「よっ、と」
横島がクーラーに文珠を投げ入れる。
途端、怪しげな機械音がしたかと思うと急に静かになり

   ピピッ   ゴー

クーラーは順調に冷気を送り始めた。

「ほら!やればできるじゃない!!」
「はっはっは!いや何のこれしき」

今日初めてテンションが上がった二人のいる部屋は、どんどん涼しくなっていく。

   ゴバー

「しかし便利ね。電気屋いらないわ」
「それは電気屋が可哀想ッスよ」

   ヒュゴー

「・・・ちょっと、風強くない?」
「・・・えと、何かヤバ気な」

   ビュウウウゥゥゥゥ

     ズバン!


空気を震わす鋭い音が事務所に響いた数分後、悲痛な悲鳴と壮大なため息が木霊した。



     夏と花火と麦の酒



「今日はクーラーの修理だけって事で来たんですけど・・・

あちゃー、配電盤黒コゲ。これ修理とかのレベルじゃないです。
取替え工事が必要ですね。

えっ、今日中に電力回復は無理ですよ。ええ、早くとも明日以降になります。

詳しい話は後日ですが、それにしても・・・」


「何があったんですか!?」
学校の模試から帰ってきて、電気屋と惨状を見たおキヌはデスクで冷や汗を流す美神に詰め寄るが
「さ、さぁ?あんまり暑いからショートしたとか!?」
さっきからこの調子である。

「それより先生、今夜はどーするんでござる?」
「そーよ。クーラー無しなんて耐えられないわよ」
市民プールから戻ってきたシロとタマモも口々に不平を漏らす。

夕方になって暑さのピークが過ぎたとはいえ、まだまだ過ごしやすいとは言えない気温である。
想像しただけでも暑苦しい夜になるのは目に見えている。

「でもしゃーないだろ。電気が止まってるんだから。我慢だ、我慢」
「何よ簡単に。アンタ、文珠とかで何とかなんないの?」
「そーでござる!それでちょちょいっと」
「いや駄目だ。次やったら町中停電しかねん」
シロ達は言っている意味がわからず怪訝そうに首をかしげた。

その時、美神がガバッと立ち上がる。
「わっ! ど、どうしたので」
「おキヌちゃん、ちょっと冷蔵庫見てきて」
「えっ・・・ああっ、もしかして」
おキヌが血相を変えて台所へ向かう。

数分後、どんよりとした表情でおキヌが戻ってきた。
「美神さん・・・あんまり冷たくなってません!」
「やっぱりぃぃぃ!!」
美神は頭を抱え込んで悶絶した。

「そりゃ半日以上も電源止まってたらなぁ」
とりあえず、ショックで動けない美神の代わりにおキヌが状況を報告する。
「冷凍庫は氷とかが溶けてますけど、かろうじて無事です。
生物は・・・食べないで捨てちゃった方がいいですね」
「もったいない話でござるな」
「そりゃあ犬は腐った物食べても平気だけど、私達は駄目なのよ」
「なにおう!」
「なによ!」
「喧嘩すんな!暑くなる!」
横島が獣コンビを諌める。

「・・・そんなことはどーでもいい!」
が、何故か美神はイライラと吐き捨てる。
さっきから美神が気にしている事は一つだ。横島は意を決し、ついにその事実に触れる。


「・・・ちなみに美神さんのビール・・・全部生ぬるくなってます」


その一言で、美神はトドメを刺されデスクに崩れ落ちてしまった。

夏の一日の締めくくりと言えば
カラカラに乾いた体に潤いを与える真夏の相棒。
キンキンに冷えたビールを飲む他に何があるだろう!

特に美神の晩酌に対する情熱は世のお父さんに引けを取らない。
毎日バリバリ仕事をこなせるのも、毎晩欠かす事の無い晩酌で英気を養うからである。
自宅にはワインなど高級酒がストックしてあるが、夏は仕事が終わった瞬間に飲むビールが最高だともっぱら事務所で飲んでいる。

つまり、クーラーがなく猛烈に暑い一日の仕事を耐え抜いてきたのはこの一杯のためなのに・・・

なんという、悲劇。

「ま、まぁ・・・無いわけじゃないんスから、ちょっとくらいぬるくても」

その瞬間の横島を睨んだ美神の目は、憤慨と軽蔑、そして純然な殺意が混ざっていたと当事者は語る。

「駄目に決まってんだろうがいいぃぃ!!!
夏の!ビールは!脳天に突き抜けるほど冷えてる物なの!!
それをイッキしてプハーッってするのが常識なの!
何が悲しゅーて薄ら温かいビール飲まなくちゃいけないのよ!!」

怯える横島にデスクをバシバシ叩きながら一喝する。
しかしそれで力尽きたのか、へなへなと突っ伏して静かになってしまう。

「・・・あの、美神さん?」
「・・・・・・ごめん、一人にして頂戴・・・」

その姿は、最早不憫を通り越して悲壮そのものであった。

とりあえず、一行はうなだれる美神を置いて隣の部屋へ移る。
「・・・あれじゃ美神さんが可哀想です」
口火を切ったのはおキヌだった。
「確かに、あんなに落ち込んでいる美神殿は初めて見たでござるよ」
「そりゃあ美神さんにとって酒が美味く飲めないのは死活問題だからな」
うんうん、と一同は頷く。
「でもどーすんの?冷蔵庫が無いんじゃビールはぬるいままよ」
クールなタマモの一言に横島はうーん、と唸る。

しかし、おキヌは事もなげにこう言った。
「横島さん、電気が無くたっていくらでも冷やせますよ」
「えええっ!?」
驚く横島におキヌは説明しようとしたが、ふとその顔がいい事をひらめいた時のいたずらっぽい表情に変わる。

「あの、いい趣向を思いついたんですけど・・・」


「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

何やら隣の部屋でごにょごにょと内緒話をしているようだが、美神にはそれを訝しがるだけの気力は残っていなかった。

(はあぁ〜、もう家に帰って飲もうかしら・・・
でも、このタイミングで飲むから美味しいのよね・・・一人で飲んでもつまんないし・・・)
いつもなら、おキヌの作る夕飯を皆で食べつつビールをグイグイやる頃合だが、一向に心が浮き立ってこない。

と、その時、横島達が部屋からわらわらと出てきた。
「じゃあ俺は物置を見てくる」
「拙者はキツネと台所でござるな」
「誰がキツネよ犬」
「喧嘩しないで。私も準備しますから、そっちはよろしくお願いしますね」

急に慌ただしくなってきたが、美神は他人事のようにそれを眺める。
すると、おキヌがこちらへ近寄ってきた。

「美神さん、元気出してください。ちょっとやってほしい事があるんですけど」
「・・・・・・え〜、今日はもういい・・・明日にして」
「この夏で一番美味しいビール、飲みたくないですか?」

即座に身を起こした反応スピードと瞬発力は、まるで獲物を捕らえる肉食獣のようであった。
「・・・どういうこと?」
口調はいつもと変わらないが、その目は爛々と輝いている。

「今からキンキンは無理ですけど、冷えたビールを用意します。
でも、それだけじゃないですよ。
今横島さん達がビールを最高に美味しく飲むための準備をしてくれています。
名づけて『究極の一杯大作戦!!』」

そう、おキヌが思いついたのは落ち込んだ美神にサプライズで調子を取り戻してもらおう、という内容である。
が、要するにただビールを飲んでもらうのでは味気ないから、おもしろい事にしてしまえ!というのが本音である。

ちなみに、皆ノリノリでこの企画に賛同した。

「・・・こほん。それでその一杯のために美神さんはまず」
「わかったわ。それで何をすればいいの?どうすればいいの?
何でもするから早く教えて頂戴ッ!」
鼻息も荒くデスクから身を乗り出す美神。
そんな主におキヌは苦笑しつつこう言った。

「まず、お風呂に入ってください」
「・・・・・・へ?」


「お湯加減、どうでした?」
おキヌは湯上りでバスタオル姿の美神に尋ねた。
「どうもこうも、ちょっと熱めだったわよ・・・」
そう言って、美神は桜色に上気した顔を手で仰いで一息つく。
「たっぷり汗を流したみたいですね。
次はコレです」
おキヌは手に持つ布を差し出した。
美神がそれを広げると
「へぇ、コレ浴衣じゃない」
白地に赤青の朝顔をあしらったなんとも涼しげな浴衣であった。
「私の物なんですけど、フリーサイズなので着てみてください」
「わかったわ」


「どう、かしら?」
「はー、すごいです・・・」
そこにはいつもの派手っぽい印象とは違う、清楚でしおらしい夏美人が立っていた。
亜麻色の髪も結い上げ、白磁のようなうなじが強調されている。
美神も普段はしない格好に少し緊張してか、もじもじと体をくねらせるのがなんとも気分をそそられる。
「・・・・・・・・・」
「ど、どうしたの?」

おキヌの視線は真っ直ぐ美神の胸元に吸い込まれていた。

浴衣は元来日本人の体型に合わせてつくられている。
したがって、美神のような外人然とした豊かなプロポーションの女性が着ると・・・

「・・・いいんです。私は希少価値なんです。需要はあります・・・」
「・・・その、ゴメン」
美神はさっきから少しきつい胸をゆさっ、と揺らして謝った。

「さて、ここからが本番ですよ!」
何かふっきれたように話すおキヌに連れられ、美神は外に出る。
すると、そこでは

「せんせー!どうでござる!
拙者の浴衣姿はぷりちーでござろう!」
「おーおー、なかなか似合ってるぞ。祭りみたいで」
「ふん、所詮犬はその程度ね。
ヨコシマ、私の艶姿でも眺めたらどうなの」
「うーむ、艶は艶でもこれは妖艶の方だな」

金魚や風鈴柄の浴衣、濃紺の甚平を着た事務所メンバーが勢ぞろいしていた。

「お、美神さん。びっくりしまし・・・」
横島は美神の方を見て言葉を詰まらせる。
それにつられるように、シロ達もはー、と息をつく。
「な、何よ。そんなに変?」
「いや、すごく綺麗ッスよ・・・」
「んななっ!?」
ストレートな褒め言葉に美神は顔を赤らめ狼狽する。
「くぅぅ、悔しいでござる。拙者にもう少し色気があればっ」
「かなわないわね、あれは」
他の面々も賞賛の声を挙げる。

「そ、そんなに言っても何も出ないわよ!」
美神はいつもの調子を取り繕ってはいるが、内心かなりドキドキしていた。
すると横島が近寄ってきて
「いやぁ、それにしても」
「・・・ん?」

視線が美神の胸元に突き刺さる。

「いつもの開けっ広げな方もさることながら・・・
こっちの方も奥ゆかしくて良いい痛ててててっ!!」
「横島さーん、お料理運んできてくださーい」
「先生、手伝うでござるよっ」
おキヌとシロに両耳を引っ張られ、視線が呆気なく引き離される。
「わかったゴメン反省してあああっ耳取れる!!」

「あのバカ・・・」
事務所に引っ立てられる横島に、美神はため息混じりに呟いたのだった。


「じゃじゃーん!一夜限りの特別宴会フルコースメニューです!」
おキヌが両手を広げて声高らかに宴会の開始を宣言した。
外に大きなテーブルが置かれていて、その上には様々な料理やつまみの数々。
そろそろ日暮れも間近だが、周りにガスランタンやロウソクを置いて明かりは充分である。

「しかし豪勢ね」
タマモが言う通り、テーブルの上は和洋中が所狭しと折衷しており、普段では考えられない量の料理が鎮座している。
「冷蔵庫が使えませんからね、できるだけ今日中に食いつぶして貰おうと・・・」

「コラッ!シロ、そのエビフライは俺んだっ!」
「先生こそ拙者のシューマイ食べたでござろうっ!」

「・・・アイツ等だけで冷蔵庫三つ分は食べるわね」
「ははは・・・」


さて、宴もたけなわ。美神がソワソワしだす。
「ねぇ、おキヌちゃん。そろそろ・・・」
「ふふふ、あせらないでください」
おキヌはわざと焦らすように、ゆっくり金ダライを持ってくる。

その中には氷水とビール瓶が入っていた。

「残っていた氷に塩を混ぜて冷やしておきました。冷蔵庫程じゃないですけど」
ざばっ、と一本取り出して美神に差し出す。
美神はそれをそっと手に取り、慈しむようにゆっくり撫でて、一言

「―ああ、冷たい・・・」

かつてこれほど歓喜と、興奮と、期待に満ちた感想があったのかと思うほど静かで深い一言である。
冗談ではなくうっすら目に涙を浮かべてさえいた。

「じゃ!さ、早速栓抜きを」
最早飲む前から呂律が怪しい美神が急かすも
「まだ駄、目、です」
「え、ええええっ」
おキヌの酷な言葉に、美神はおあずけを食った子犬のような顔になる。
「どうしてよぅ・・・」
「美神さん、もっと我慢して気分と欲求が最大限に高まった時が飲み頃なんです。
そして、まだ宴は始まったばかり。
と言う訳で、まだまだ盛り上げますよ!」

ここで、おキヌは芝居気たっぷりに指を鳴らす。
すると、後ろでご飯を食べていた三人がビシッと整列した。

「まずは拙者でござるな」
シロがずい、と前に出る。

「拙者、この前お小遣いを貯めて肉屋で一番いい肉を買ったのでござる。
しかしもったいなくて食べずに冷凍してござったが・・・
この際だから、ちょ、ちょっとだけ提供するでござるよ!」

そして後ろからミニ七輪を取り出しテーブルに置く。その上には

「国産黒毛和牛のカルビ肉、肉屋秘伝のもみダレ付でござる!」

まさに食べごろの焼肉がじゅうじゅう音を立てていた。
肉汁がつやつやと溢れていて、タレが赤く燃えた炭に落ちる音と香りが食欲を直撃する。

「い、いいの?食べちゃって?」
思わず持ち主に尋ねる美神だが
「武士に二言はござらん!で、でも、拙者の気が変わらぬ内に食べてくだされ!」
有無を言わさぬ迫力に押され、肉をつまむ。
そして、それをゆっくり咀嚼し嚥下する。

「く〜っ!すごく柔らかいし、脂がしつこくないのよ。
それでその脂がもみダレのうまみと混ざって・・・
も〜、ビールに絶対合うってばこれぇ!!」
身をよじって必死に酒欲と戦う美神。
だが、その焦燥が快感に変換されるのを信じて何とか耐え切った。

しかし、攻め手は揺るがない。
「次は私ね」
そう言って、タマモが不敵な笑みを浮かべる。

「いつも油揚げを買っている行きつけの豆腐屋からの貰い物よ。
常連さんのサービスだからって貰ったんだけど、私油揚げにしか興味が無いの。
だからこれをあげる」

そしてスッ、と取り出したのは

「専属農家直送、有機栽培の枝豆よ!塩も天然塩にこだわっているわ」

ついに、ビールのつまみの王道が現れた。
その色つやの濃さからそんじょそこらの枝豆とは違うことがうかがえる。
またその上にかかる塩の結晶が宝石のように輝いていた。

「さっ、食べてちょうだい。これ抜きでビールは語れないんでしょ?」
美神は力強く頷く。
そしてさやを取り、豆を押し出す。
その独特の感覚をも楽しみつつ、贅沢な枝豆を食す。

「うん!豆に自然の甘みってヤツがあるのよ。
それでいて豆自体のコクがすばらしくて、そこに塩のしょっぱさがたまらなくて・・・
あああっ!ビール飲みたいよおぉっ!!」

無意識にビールジョッキを探して美神の手が激しく乱舞する。
ありったけの自制心を動員して頑張ってはいるが、最早頭の中はビールのことしか考えられない。
唇を噛みしめ、体を悶えさせて必死にこらえる美神。

「せっ、拙者はもう我慢ならんでござるよ!」
「わ、私も!」
そんな姿に触発されたのか、同じ麦でも麦茶に飛びつくシロとタマモを脇目に、ついにあの男が動き出した。

「美神さん、もう少しッス」
「はぁはぁ・・・も、もう許して・・・」
「ふっふっふ、それは無理な相談ッスねぇ
ここまで来たら中途半端にはできないっスから、覚悟してもらいましょうか・・・」
息も絶え絶えの美神に、普段のお返しとばかりにサドっ気を露わにした口調の横島が最後の追い討ちを仕掛ける。

「まぁ、始めに言っときますけど食べ物は出せないッス。あっても俺が食べますし。
とゆー訳で、俺は演出で気分を高めるッスよ!」
そう言って、横島は夜空の一角を指差す。
美神は不思議そうにその先の暗闇を見つめる。

「3  2  1ッ!」
横島のカウントダウンがゼロになった刹那


   ピュウウゥゥ     ドーーン


大地を震わす轟音と共に空に大輪の花が咲いた。
その後断続的に花は咲き誇る。

「へぇ!こんな近くで花火大会なんかやってたの」
「知らないのは無理ないッス。
始まったのは去年なんスけど、その日は仕事でしたから」

家でゆったりと、体に振動が響く程の至近距離で花火を観賞する機会は滅多にない。
夜空を明るく彩っては消えてゆく花々に、一行も箸の手を止めて夏の風物詩を堪能する。

「演出ってコレだったのね」
美神が満足そうに頷く。
確かに、この雰囲気ならビールが美味しそうだが

「それもそうなんスけど・・・
美神さん、ビールの美味しさって何でしょうね?」
「え!?・・・さぁ」
突然の深遠な問いに美神は考え込む。
「水の良さとか材料の配合とかいろいろあるでしょうけどね、
それでもビールが愛されているのは陽気な酒だからッス」
「陽気な、酒?」
「そッス。ビールは他の酒みたいに気取ってないんスよ。
だから品格とかカッコよさとか、難しい事を考えずに思いっきり飲めて陽気に酔えるんス」
「うんうん!そうなのよ」

思わず話に聞き入る美神。完全に横島のペースである。
これが横島の演出であった。得意の喋りで気分がどんどん昂ぶっていく。
さらに横島は「口撃」を加える。

「ビールには色々な飲み方があるけど、やっぱりジョッキで飲むのがいいッスよね。
あのキメ細かい泡が立ち上るのを見るのが楽しいんスよ」
「う、うん・・・」
美神の心にビールの誘惑が再燃してきた。
横島はその変化を見逃さない。

「こう、よく冷えたビールをトクトクトクってジョッキに注ぎますよね。
それで今日も一日頑張ったなぁ、おつまみは何にしようか、なんて考えながらグイーッと一気に飲み干すんです」
「あ、あぁあ・・・」
ジェスチャー付の熱弁に美神の乾いたノドが鳴る。
更なる高みに向けて横島はラストスパートをかける。

「独特の苦味が舌を稲妻のように刺激して、鮮烈なキレがビールを飲んだっていう充足感になるんス。
そして、のどごしまで堪能した後こう思うんスよ。
あぁ、生きててよかったー!ってね」


まさにその時、おキヌが絶妙のタイミングでビールの栓を抜いた。
しゅぽっ、という音が耳に届いた途端、美神の中で何かが弾けた。

「お・・・おキヌちゃ・・・わたひ、もう・・・我慢できない・・・
お願い・・・いっぱい、飲ませてぇ・・・」

「限界、みたいですねぇ」
実はこの中で一番ノリノリで追い込んだおキヌがクスクスとほくそ笑む。

「それじゃあ、究極の一杯を味わってもらいましょう」

ついに、ついにやってきた。
数々の試練を乗り切った今、その先の至福の価値は計り知れない。
美神は期待と共に息を呑む。

「実は美味しくビールを注ぐやり方をテレビで見たんです」
黒ベストに蝶ネクタイのバーテンスタイルのおキヌがビールと美神愛用のジョッキを手に取る。
ちなみに、ジョッキも冷えているという用意の良さである。

「まず高い所からビールを注いで、次に低い位置からゆっくりと・・・」
すると上質な泡が出来上がり、それを潰さずにビールを注ぎいれる事ができる。
「ハイ!ビールと泡が7対3の理想的な一杯です」

そして、目の前にビールが置かれる。

その時の美神の心境を何と説明したらいいのだろうか。
何十年も前に生き別れた家族と再会した喜びや感動、と言えば10分の1くらいは伝わるだろう。

ビールが酸化しないようにフタの役割をする泡の下には、古代エジプトからの英知が詰まった黄金に輝く水。
いや、今の美神にとって黄金など問題ではない。
この瞬間の一杯は、どれだけ金を積んでも買えない代物なのだ。

しばらくの間、本当に泣きそうな表情で美神はその雄姿を見ていた。

「ささ、飲んでください。美神さんにはその権利があります」

おキヌが促し、美神はようやく気持ちを固める。
そして皆が固唾を呑む中、美神がジョッキに手を伸ばす。

ノドの奥が焼けるようなこの思い。
でも、あと数センチで極楽に勝る甘露が味わえる。
はやる鼓動を抑え、美神はジョッキに手をかけ



   カタカタカタ


「ん?」

ビールの液面がゆれている。
美神は我慢のしすぎで目眩でもしたのかと目を両手でこする。
が、それは気のせいではなかった。


   ガタガタガタッ!


「じ、地震ですっ!」
「うわわわっ!結構大きい!」

大地の震動で足元がおぼつかず、テーブルの皿が地面に落下する。

「ってちょっと待てぃ!!」

美神の慌てた声が響き渡る。
そう、テーブルの皿が地面に落下し、それはビールジョッキも例外ではなかった。

確実にジョッキはテーブルの縁に向かってすべっていた。

「そんな!こ、ここまできて!」

焦らしに焦らされた今、ビールが飲めないなんて事になったら胃と神経に穴が開くのは必至である。
美神は激しい揺れの中でなんとか手を伸ばす。

が、手が触れた刹那、ジョッキは加速してすべっていく!

「なじぇぇぇっ!!」

皮肉な事に、よく冷えたビールは結露もたっぷりでよくすべる。

「あ、あ、ああああぁぁぁぁっっ!!!」

まともに動けない外野を尻目に、ついにジョッキはテーブルから飛び出し――






止まった。



揺れがおさまり、ジョッキは半分ほどはみ出してはいるが、ギリギリバランスを取ってふんばっている。

「あ、あぁ・・・ふうぅぅ〜」

美神と一同は安堵のため息をつく。

「あ・・・危なかった・・・」
「落ちたかと思いました・・・」

ビールが多少こぼれてはいるが、無事の範疇だろう。
まさに奇跡である。

「美神さん、見えますか?飲めるッスよ!」
「うん・・・ホントに、よかったぁ」
美神は心底嬉しそうに呟く。
この時ばかりは、無神論者の美神も酒の神に感謝した。


「じゃ、じゃあ改めて」
美神はビールの前に立つ。

「それじゃ、いただきま〜!」




ビュウウゥゥゥゥゥ    ドバーーーンッ!!




美神の背後に巨大な花火が打ちあがる。
その大砲と間違えそうなほどの花火は、同時に多大な振動をもたらした。

その地響きを連想させる振動は

「・・・す?」

ジョッキのバランスを崩すのには充分だった。




『はい、こちらは花火大会より中継です。
今大会の名物である世界最大の四尺花火、いかがだったでしょうか。

花火の大きさもさることながらスゴイ音と振動でしたねぇ
まさに日本の夏!といった所です

この後もまだまだ大会は続くそうでーす
それではスタジオにお返し・・・

え? 何か向こうで

きゃあぁぁ! ば、爆発です!何かかばくは

うわあぁぁぁ!ちゅ、中継を終わりま』

画面に少々お待ちください、の文字が踊る。


 後日


「え〜、取替え工事は完了。電力が回復しましたよ。

そう言えば昨日の花火大会、大変な事が起こったらしいですね。
又聞きなんですけど、大会にバズーカ砲を持った女が乱入して危うく大惨事になるトコだったらしいですよ。

まったく、物騒な世の中になった・・・・・・どうしました?黙りこくって・・・

あの・・・何かマズイ事言いました?」


その後ッ!
事務所には自家発電機付き冷蔵庫が鎮座することになったとさ

       〈激終〉
8月〜は暑いから酒が飲めるぞ〜 アッソ〜レ!

まったく飲めないがま口です。
夏といえばビール!というオッサン思考で書きました。キンキンのビールは正義。

目標として、読んでくださった方がビールを買いにコンビニへGO!てなことになったらいいなと思っています。
それを飲む際は、くれぐれも花火に気をつけてください(笑)

枝豆をつまみに麦茶をがぶ飲みするがま口でした。

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