蝉が鳴いている。
汗による体温調整ができるはずなのであるが、クセなのであろうか。犬塚シロは、口を開け舌をだして呼吸を荒げていた。
「暑いでござる〜」
「うるさいわよ。がなったところで涼しくなるワケないんだから、黙ってなさい」
隣の席に座っていた美神タマモが、机の上に顔をつけていたシロを涼しい顔で見下ろした。
シロの目線がタマモの足へと向く。妙にスカートが盛り上がっていた。手を伸ばしスカートを捲くると、中身が凍った500mlのペットボトル二本でスカートを持ち上げていた。
「下半身の冷えは、女性の天敵でござるよ」
「暑さには勝てないでしょ」
もう一度スカートの中を覗いた。
「新作? また派手でござるな」
「あのさ……いくらあんたとはいえ、そうじっくり見られると恥かしいんだけど」
少し顔を赤らめながら、睨みつけた。
「布が少ないと、涼しさ違うでござるか?」
「あんまり変わらないわよ、脱ぎでもしない限りね」
スカートを捲くっていた手をピシャリと叩いた。
「確かにそうでござるな、脱がない限り……脱ぐ……」
何か閃いたかのように、手を叩いた。あまりいい予感はしなかった。
「脱げばいいでござるよ」
「あんた、露出のケでもあったの? 家ならともかく学校で脱いでたらただの変質者よ」
「大丈夫でござるよ、尻尾を前に回せば大切な所は隠れるでござる」
スカートを捲くり上げパンツに手をかけると、タマモが教科書でシロの頭を思い切り叩いた。
「あんた本物の変態!? アニキの弟子だからって、変態な所は似ないでいいのよ!」
「痛いでござるな!! 拙者の尻尾ならお主のパンツよりは隠れる部分は多いでござるよ!!」
あまりの暑さのためであろうか、二人はここが教室であるということを忘れかけていた。
クラスメートが赤い顔をしながら黄色い声を上げている。あまりの五月蠅さに、二人はようやく現状を思い出し争うことをやめた。
「あ〜……キャーキャー騒ぐな。暑さが増す」
イスに凭れると、タマモは眉を歪めた。
「だいたいさ、なんで八月になっても学校に来なければいけないのよ。日本全国夏休みじゃない」
天井に顔を向け目を瞑っていたが、急に暗くなった。目を開けると、担任の鬼道政樹の顔が見えた。
「それはだな、出席日数が足りないからや。三回目の二年生やってみるか?」
「ア……(まだ)鬼道センセ」
「『まだ』いうなや! 誰のせいや思うとるんや!!」
二人が六道女学院に入学するにあたって、令子から冥子によろしく頼むと念を押された。大切なお友達の令子に頼まれては冥子も責任を感じたようで、二人が卒業するまで鬼道とは結婚しない! と決めていた。
ちなみに二人は、現在二度目の二年生である。
「誰のせいって……」
タマモは首を傾げた。
「西条?」
「で、ござるな」
タマモの言葉にシロは深く頷いた。
「自分のせいやろうがーーー!!!」
数年前に卒業したおキヌと比べると雲泥の差の二人に、鬼道は頭を抱えた。
気温と同時に血圧が上がった鬼道の補習が終ると、思わず二人は項垂れた。
始まる前にからかったせいで、二人は徹底的に絞られてしまったのだ。
「あ〜疲れた……歩いてくるんじゃなかった。あんた、背負って帰って」
「いやでござるよ。背中に温度を感じたくないでござる」
机に伏せると、舌を出した。
「喉渇いたでござる」
「飲む?」
スカートの中から汗をかいたペットボトルを取り出した。
「いらん!!」
歯を剥きだして答えると、周りが黄色い声を上げた。どうやらペットボトルを欲しがっているようである。
「私さ……やっぱり共学にした方がよかったんじゃないかって思うわけ」
「拙者も同じ考えでござるよ」
現役GSでありながら、女子高生。しかもかなりの美女。シロはあいかわらずの侍であるし、タマモはクールさに磨きがかかっている。女子高特有のヅカなノリである。学生になる前は、大きなお友達に追いかけられていた二人はそういうノリにはうんざりしていた。その手のノリを喜ぶのは、事務所で唯一の男だけである。
カバンを手にすると、席を離れた。
「あ、あの、シロおねーさま」
「おねーさまはやめるでござる……クラスメートでござろう」
シロは半分呆れて半分泣いていた。戸籍では年上であることには間違いないのであるから。
「あの……明日、海に行きませんか? おねーさまのバイクで」
クラスメートの一言にシロの目が鋭くなった。
「舐めるな……」
「は、はい?」
「夏のバイクを舐めるでないでござる……」
「え?」
「ただでさえも日差しが強く暑いのに、バイクで海なんて地獄でござるよ! 明日は日曜、海への道はメチャ混みの渋滞間違いないでござる。すり抜けなんておそらくできないくらいに混んで、周りの車の排気とエンジン熱は熱いは、アスファルトの照り返しは熱いは、ただでさえエンジンの上に跨っているバイクなんて熱いのに、拙者に死ねというでござるか!!」
去年の悪夢がシロの頭に蘇えっていた。事務所のメンバー全員で海にいったとき、シロは自分のバイクで行くと言い出したのだ。そして皆が楽しく遊んでいるときに、一人だけ熱中症でダウンしてしまい、バーベキューを食べ損なってしまい彼女の心に深く傷を残す結果となってしまった。
血の涙を噴出しそうな勢いで迫ると、タマモが肩を掴んだ。
「まぁどっちにしても、コイツ今日も仕事だから……」
「今日も仕事って、どっちのでござるか?」
「あんたって犬じゃなくて鳥なんじゃないの……隣から呼び出しくってたでしょ」
じりじりと照りつける日差しの中、アスファルトの上を二人して歩いた。タマモは学校ではズリ下げていた紺のニーソックスはちゃんと太股まで上げており、ローソックスのシロとは対照的である。
「あ〜、なんかそういえばそんなこといっていたでござるな。脳みそウニになってるでござるよ」
ダレた口調でそういうと、タマモが頭を振った。
「あー!もお我慢できない!! ダーリン呼び出す!!」
携帯電話を取り出すと、通話ボタンを押した。相手はすぐにでたようで、タマモの顔が邪な笑みで歪んだ。
「もしもし、ダーリン? ア・タ・シ。今、○丁目のバス停の近くなんだけどぉ〜 迎えにきてくれない? 疲れちゃった♪」
ブチンという音が、隣にいたシロにも聞こえた。
「あ、切りやがった」
携帯電話を睨むと、リダイヤルを押した。呼び出し音が鳴る前に、シロの携帯電話が音を立てた。
「はいはい、こちらシロちゃんです♪」
『隣にアホな狐がいるだろ。殴っとけ』
「了解でござる♪」
リダイヤルをやり直しているタマモの頭を拳でドツいた。
「あいた〜〜……何すんのよ!!」
「愛しの先生からの指示でござる」
シロから携帯電話を取り上げると、文句を言おうとしたがすでに電話は切れていた。
「お、おのれ〜……愛しさ余って憎さ百倍! 待ってろバカアニキーーーー!!」
タマモは事務所に向かい走り出した。
「ずいぶんと都合のいい『愛しさ』でござるな」
タマモの残した砂煙の中、シロはゆっくりと歩いていった。
タマモは事務所まで一気に走りきると、人工幽霊の挨拶も無視してオフィスのドアを蹴り開けた。
「ごるらあああああああ! このバカアニ……キィーーーーーーーーーーーーーーー」
ショッ○ーの戦闘員のような叫び声をあげると、一回転して床に叩き付けられた。
飛び込んだ勢いのままに、令子のカウンターを喰らったのだ。
「あいたたたたたたた、義姉さん痛いじゃない、可愛い義妹になんてことするのよ」
「誰のダーリンだって? あ〜?」
襟首を掴んで立たせると、殺気に満ちた視線を向けた。
「あ、えーと……それはもちろん、お義姉様のですわ」
「そう、ワ・タ・シのダーリンよね。あなたのじゃないわよね」
「と、当然ですわ」
「分かっているようね……分かっているはずなのに、なんでそんなこというのかな? このお口は」
左手一本で吊り上げると、右手でタマモの口の端を引っ張った。
「ひ、ひゃひひひゃひ、ほへーははひひゃい(い、痛い痛い、おねーさま痛い)」
ようやく納得したのか、令子は掴んでいた手を放した。
お腹が少し目立ち初めているくせにこの迫力。やはりこの事務所の首領は彼女である。溜息をつきながら、ソファーに座った。
「教育間違えちゃったかな……」
呟いた言葉に誰もが突っ込みたかった。それをアンタが言うか!!と。だが旦那である横島は胎教の事を考え、そしてタマモは自分の身を考え突っ込むのはやめておいた。
「ただいまでござる〜」
ゆっくりと歩いてきたシロが帰ってきた。
すぐにエアコンの前にいくと、ぱたぱたとスカートを捲くり上げ冷気をスカートの中へと入れた。
「ちょっとシロ、行儀悪いわよ。“一応”宿六いるんだから」
気持ちは分かるのか、あまり強くは言わなかった。
「心配することないわ義姉さん。コイツの色気無いパンツにアニキが欲情なんてするワケないから」
その言葉に令子は納得し、横島は頷き、そしてシロはムっとした。
「拙者だって色気のあるパンツくらい持っているでござるよ」
「滅多に着ることのない勝負パンツね。タンスの肥やしになってるじゃない」
「お主みたいに365日いつでも勝負している色情狂とは違うでござるよ」
「なぁにいってるのよ、見せるだけが勝負じゃないのよ。見てなさい」
ニヤリと笑うと横島の方を向いた。
「お義兄さまぁ〜♪」
普段はアニキとしかいわないタマモが、こういうことをいうときはロクなことがない。横島は警戒を高めつつも、タマモの方を向いた。
タマモはスカートを真っ直ぐに伸ばし、ニーハイとスカートの間の僅かに露出している肌を指差した。
「絶対領域!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
イスから身を乗り出し食い入るように顔を近づけると、妊婦の一撃が宿六の頭に炸裂した。
「私は狼(きーつね)なのよ、かわいいでしょう♪ 年頃になったのよ、ロリペドじゃない♪」
頭に大きなコブをつけた二人は、階段を上りながら歌っていた。
かなり響く声のためか、目的の部屋の人たちの耳にも届いていたようである。歌詞の指定を受けている人物は握り締めていたボールペンがへし折れ、周りにいた職員たちは笑いを堪えていた。
「えせ・しん・し えせ・しん・し♪ 今日も呼んでいるわ 今年、また私、進級ピンチ〜♪」
「誰がエセ紳士だ!!」
ドアが開くと、オカルトGメン日本支部長の西条輝彦が怒鳴り声をあげた。
「体裁の悪い歌を歌わないでくれたまえ!」
二人をオカルトGメン日本支部の中へ招きいれると、自室へと案内した。
「だって事実よね」
「そうでござるよ、あれのおかげで留年したでござるから」
二人が来客用のソファーに座ると、西条はドアを力の限り閉めた。
「帰ってこいという命令を無視して、3ヶ月も不法滞在。しかもムチャクチャしたあげくに国際問題にまでなりかけたんだぞ! あれで何人の首が飛んだと思っているんだ!!」
「覚えてる?」
「うんにゃ、数えてないでござる」
タマモの問いかけに、指折り数えていたシロは首を横に振った。
「首を跳ねた数じゃない、失職した数だ」
二人の向かい側に座ると、煙草を咥えた。
すぐにタマモが指先に狐火を灯した。切先に火がつくと、苛立つように煙を吐き出した。
「とにかく、命令無視はなるべく控えたまえ。僕や先生でもこれ以上は庇いきれんぞ」
タマモは、シガレットケースからメンソールの長い煙草を取り出すと口に咥えた。
「別にいいわよ。私はたんなる助っ人だから」
狐火で切先に火をつけると、悠然と紫煙を吐き出した。
「現場においては臨機応変でござるよ。表にできない事を拙者にさせているのでござろう? まともに事務所にもってきた仕事だったらまともにやるでござるよ」
「“なるべく”といったんだ。穏便に済ませろとは言ってない。派手にやり過ぎるな、上は押さえられてもネットへの流出は完全に防ぐことはできん」
「『好奇心猫を殺す』って言葉、ご存知?」
口元が裂けるように吊り上がり、ルージュを引いていないはずの唇が色づいてみえた。
「物騒なことを言うな。君がいうと洒落にならん」
「事実でしょ。興味本位で“夜”を覗くと、痛いでは済まない。それがこの世界じゃなくて?」
「その始末を君らがつけてくれるというなら別だがね」
「嫌よ。めんどくさい」
呆れたように西条は紫煙を吐き出すと、タマモもそれに合わせた。
「分かっているよ。だから、自重したまえと言っているんだ」
深い溜息に、タマモとシロは顔を見合わせると大きな声で返事をした。
その日の夜、そう難しくない仕事に辟易としたタマモは街にいた。
縄張りを確認するかのようにいきつけの店を徘徊すると、時計を見た。午前2時になろうとしていた。
「そろそろタクシーが来る時間か。もう一軒は無理みたいね」
繁華街から大通りへの方へと向かう。いつもと街の雰囲気が違っている。賑わっているというよりも、雑然としているといった方が正しいであろう。
「まぁ夏休みだからね」
溜息をつきながらシガレットケースから煙草を取り出した。狐火でなくカルティエのライターで火をつけた。
雑然としている理由は、いつもとは毛色の違う人種が多いせいである。夏休みになり、未成年が夜の街に溢れ出しているためであった。
この街の常連ともいえる連中はタマモの姿を見かけても挨拶はするが、会話をしようとは思わない。機嫌が悪いときに話しかければ、どのような仕打ちを受けるのかを知っているからである。だが今夜はかなりの数に話しかけられ、機嫌はかなりよろしくない。スカウトや営業などであったら燃やすところであるが、“慣れてない”ということを全面に押し出している連中ばかりで相手をする気すら起こらなかった。
こんな状況ならば夜遊びは休みが終るまで控えるべきかと、できもしないことを考えると思わず苦笑してしまう。
表通りにでると、客待ちのタクシーが列をなして停まっていた。ちょうど夜の住人が移動を開始する時間である。表通りは送迎の車でちょっとした渋滞になっていた。バカ騒ぎしている声、いざこざの怒声、そしてクラクションの音。その騒音をすべてかき消す乾いた音。
「きたきた、時間通りね。やっぱりくっっっだらない仕事だったようね」
煙草を左手に挟むとその手を上げた。
ギアを落としそのたびにアクセルを呷る音が聞こえる。銀色のスズキRG500ガンマがタマモの前で停まった。膨張管の中で反響しカンカンという2ストロークらしい音が聞こえ、辺りに甘いカストロールの匂いが漂った。
「出迎えご苦労♪」
にっこりと笑うとリアシートを跨がず横乗りになった。
「タクシーではないでござるよ」
パールホワイトのシンプソンバンディッドのスモークシールドを開けると、シロは冷めた目を向けた。
「ついでついで」
「かなり遠回りでござるけどな」
どうやら仕事終わりに寄るように言われたようである。溜息をつくと、シールドを下ろそうとしたがその手が止まった。
「どうしたの?」
シロの視線が止まっていた。
「あれ……G組の千紗殿ではござらぬか?」
「千紗? 千紗って誰だっけ?」
シロが指差した先を見た。
「……覚えてないわ」
「冷たい奴でござるな。拙者の追っかけの一人で、お主がレズごっこといって泣かせた娘でござるよ」
腕を組んでしばらく考えるが、まるで思い出せないようだ。肩を竦めると首を振った。
「やっぱ覚えてない」
溜息をつくと、もう一度千紗と思える女の方を見た。
学校にいるときの雰囲気ではなかった。濃いメイクに露出の高い服。同じような格好の女と、それに合わせたような男たちと屯している。
「休み開けが楽しみってやつ?」
「まぁ、夏でござるから……拙者の知ったことではないでござるが」
「自分がいいだしたんじゃないの」
タマモがヘルメットをコツンと叩くと、笑いながらシールドを閉じた。
クラッチを握り、ギアを一速に入れる。2、3度空ぶかしをすると、クラッチを繋いだ。聞き慣れない音に周りの視線がこちらに向いた。千紗たちもこちらを見ていた。
タマモは右手をシロの腰に回し、左手で煙草を吸うと吸殻を指先で千紗たちの方に飛ばした。紫煙を排気がかき消しながら、ガンマはタクシーの群れを抜けていった。
千紗の足元にルージュのついた燻った煙草が転がっている。奥歯を噛み締めると、千紗はそれを踏みつけた。
翌日、昼頃に起きる。
現役時代の令子そのままの姿である。寝惚け眼のままオフィスに行くと、シロタマには朝食、おキヌには昼食ができていた。挨拶を交わすと自分の席につき、油揚げ入りの味噌汁を啜った。
「あ〜、やっぱり朝はこれに限るわ」
「もうお昼ですよ」
少しだけ呆れたようにそういうが、令子で慣れているせいもあって機嫌が悪いワケではなかった。
「そういえば、今日大学の飲み会があるんですけど……」
「なに? 代打? 相手の職業は? 年収は? まさか学生? だったら家の職業は?」
大学の飲み会=合コンだと判断したタマモは、おキヌの言葉を遮るように捲くし立てた。
「霊能科の定期会よ、女ばっかり」
おキヌの言葉にタマモは興味を失ったかのように、茶碗を手にした。
「そういうワケだから、今夜は食事ありませんから各自でお願いね」
「了解でござる」
すでに一杯目のご飯を平らげると、茶碗を差し出した。
「ってワケでござるけど……なんでまた街なんでござるか?」
「そりゃ〜晩飯代が惜しいからよ。あんた何か作れるっていうの?」
「無理でござるな……」
「でしょ。なら奢ってもらうしかないじゃない」
夜になると、タマモはシロを引き連れて街にでていた。令子譲りのボディコンシャスに麻ジャケット姿のタマモ、ミニではないがスリットがかなり深く入った白いスーツ姿のシロ。どちらもラインを強調しており、道行く男の目を引きつけている。
「またナンパ待ちでござるか? 断るのが大変だから面倒でござるよ」
「あんたさ、私らがナンパしてもらえると思ってるの? この界隈で私ら知らない奴いないわよ」
「まぁ……そうでござるが」
星が見えない空を眺めた。
「仮に知らない奴がいたとしても、酔っ払いのリーマンか夏休み限定小僧よ。金なんて持ってないに決まってるじゃない」
「そこまで分かっているなら、なんで街にでてきたんでござるか?」
視線を空からタマモに向けた。タマモは右手の人差し指を顔の前で振った。
「バカねぇ、知らない奴はほとんどいないのよ。知ってる奴からたかるに決まってるじゃない」
その言葉に納得したかのように左の掌に右手で判をついた。
二人はすぐに獲物を探すような鋭い目になると、知り合いを探した。名前は知らないが顔は覚えているような男を見つけるが、目を合わさないどころか顔さえも向けようとはしなかった。何をされるか予想されてしまっているようである。
「この根性無しどもめ……」
タマモは苛立つように煙草を吹かした。
「タマモ、タマモ! あれあれ」
肩を叩くと、キャバクラから出てきた人物を指差した。
「ナイス、シロ!」
銀髪の美形の男と見慣れた男であった。
「よく烏龍茶だけで、あそこまで騒げますね」
「まぁそういうなよ、酒の臭いさせて帰るとアイツうるせぇんだよ。自分は今飲めないからって」
銀髪の男の肩に手をのせると、顔を顰めて笑った。
「あらぁ〜、身重のオネェ様を家に残して遊んでいらっしゃるの? お義兄様♪」
横島の肩に肘をかけると、咥えていた煙草を口元に運んだ。
「エミさんの誘いは無碍に断り続けているくせに、女遊びでござるか? せ・ん・ぱ・い」
同じようにピートの肩に肘をかけると、耳に息を吹きかけた。
「な、なんで君たちが!!!」
ピートは飛び上がるように驚いたが、横島は覚悟を決めたかのように肩を項垂れた。
「この街教えたの、俺だった……しまった、六本木にしておくべきだった」
「まぁそういう事。義妹が徘徊している街で遊ぼうと思ったのが甘いのよ」
吸い慣れないメンソールの紫煙を吐き出すと、眉を歪めた。
「で、結局何がお望みだ?」
「さすが分かってらっしゃる、お義兄様大好き♪」
首に手を回すと、頬に唇をつけた。もちろんシロが見逃すワケがない。携帯電話のカメラで証拠を収めた。
「ちょ、ちょっとあんた!」
「お、おい!! 今のは俺じゃねぇぞ!!」
二人の慌てように、シロは勝ちを確信したかのように口元を緩めた。
「肉」
「え!? 和懐石じゃないの!? お揚げは?」
「美神殿に送信するでござるよ」
完全な脅迫である。
「う……分かったわよ」
「それから」
顎を振って合図をした。どうやら場所を変われといいたいようである。舌打ちをすると、横島の隣を離れた。代わりにシロが横島の隣に移動する。だが完全に入れ替わる前に右手を差し出した。
「な、なによ、その手は」
「携帯」
タマモはポケットに入れていた手をだした。掌の中には携帯電話のカメラがすでに準備されていた。
一時間後ステーキハウスから満足げな顔の女性二人と、途方に暮れた男二人の姿があった。
そして奇妙な4人組はBARへと吸い込まれ、街に再び姿を見せたのは二時間後であった。横島を除いて皆かなり飲んだらしく、タマモはご機嫌にハンドバックを振り回し、シロは横島にお姫様抱っこされながら、そしてピートは斜めになって歩いていた。一人素面な横島はかなりやりきれない。
「そろそろ12時ね。おキヌちゃんから連絡入る頃か」
時計に目をやると、タマモは煙草を咥えた。
「こら、あんたいいかげん離れなさい。アニキに車取ってきてもらうんだから」
「送迎決定かよ」
「というか、義姉さんにおキヌちゃん送ってきてって頼まれているんでしょ?」
「知ってて、たかるか?」
「だって、義姉さんが日曜の夜にこうも簡単に外出させるワケないじゃん」
義理とはいえ、令子の妹ということに納得がいった。美神姓になって早数年、苗字が美神というだけでこうなってしまうのか? と、義母と嫁の高笑いする姿が脳裏に浮かんだ。
笑い声の代わりに、携帯電話が音を立てた。相手はおキヌであった。短い言葉で話し終えると、電話を切った。
「んじゃちょっといってくる」
名残惜しそうにシロが横島から離れた。
「二十分以上掛かったら、ちょっかい出してると思っておくわね」
「す・ぐ・戻る!!」
タマモの口から煙草を奪うと、駐車場へと走っていった。
「必死だわね」
「そりゃあ、ああ言われれば必死になるでしょう」
ピートが苦笑を浮かべた。
「それじゃあ僕も帰るけど、くれぐれも分かっているね」
言い聞かせることはいくらでもある。一つ一つ上げてしまうとキリがないためその言葉に凝縮したのだが、とてもではないがちゃんと聞いているようには見えなかった。何度も振り返りながら確認すると、ピートはタクシーに乗り込んだ。
「先生が来るまでだから、そうそう問題なんて起きないでござるよ」
「そんなに私らって信用ないのかなぁ〜」
煙草を咥えると、綺麗な顔を歪めた。
「喉渇いたわね」
「そうでござるな」
お互いに拳を突き出す。二度ほど突き合わせると、タマモはパー、シロはグーを出した。
「最初は気合のグーでござろう」
「あんたの頭に合わせたのよ」
口元を緩めながら、掌を振った。シロの舌打ちが聞こえた。
「烏龍茶ね」
辺りを見渡すが近くには見つからず、シロはその場を離れた。
煙草に火をつけると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。近くで聞こえる音とは違い、爪先の向きがこちらに向いている音のため容易に分かった。
「随分とご機嫌のようね、美神さん」
昨夜とは違う服を着ていたが、千紗のようである。
「誰? 気安く名前いって欲しくないんだけど」
気づいてはいるが、あえて気づいていないフリをした。千紗の頬が引きつった。
「覚えていないっていうの? ここは学校じゃないのよ、大物ぶっても誰も止めてくれないわよ」
顔を背け紫煙を吐き出した。
「で?」
短い返事をすると、千紗の顔色が変わった。
「あんた何がいいたいの? 背伸びして穴開けられたからって、何か変わったとでも思ってるの?」
嘲笑するかのように鼻で笑うと、千紗が腕を振り上げた。咥えていた煙草に手を伸ばし、笑った口元を隠すかのように掌で覆った。千紗の腕が空を斬る。前のめりになった足を払われ、バランスを崩した。
「お嬢ちゃん、踊るんだったらクラブでやってくれない? ここでヘタなダンス見せられても誰も喜ばないわよ」
「このぉ!」
タマモの足を掴もうとするが、反対の足で蹴りつけられた。ポケットに手が伸び、紙片が見えた。タマモの目が初めて鋭くなった。
「あんた、ここでそれを抜く気?」
千紗を見下ろすと、右手に狐火を灯した。
「やってみなさい……燃やすわよ」
そう大きくない狐火であるが、赤を通り越し蒼白くなるほどまでに凝縮されていた。一瞬で煙草が燃え尽きるというより蒸発した。だがそれ以上に千紗の動くを封じていたのは、学校では見たことがない冷たい目であった。
「こらこら、頭冷すでござるよ」
冷たい缶が首筋に当てられ、思わず飛び上がった。缶入りの烏龍茶であった。
「あんたね、首はダメだっていってるでしょ!!」
「そうでござったな、お主は首筋が弱いでござるからな」
悪戯っぽく笑いながら、自分用のスポーツドリンクを開けると口をつけた。
「弱いの意味が違うって」
口を尖らせながら、烏龍茶のプルトップを開けた。その間に千紗は立ち上がると、路地の奥に駆け出した。
「あ、逃げた」
「別に逃げずともよいのでござるが」
「憧れのオネーさまの前で恥かきたくないんでしょ」
千紗が駆け出した路地から目を離すと、烏龍茶に口をつけた。
「とにかく通りに出るでござるよ。先生のことだから、物凄い勢いでくるでござるよ」
「そうね。義姉さんにベタ惚れしているクセに、浮気の虫はいつまでたっても治らないんだから」
タマモの言葉にシロは苦笑した。
「何がおかしいのよ」
「いや、別に」
いいながらも、口元は緩んでいる。タマモは顔を赤くするとシロの足を踏もうとしたが、寸前で交わされた。
「体術では拙者には敵わんでござるよ」
「分かってるわよ! んなこと!!」
超ミニのワンピースにも関わらず、タマモは大股で歩きだした。
タクシーをかき分けるように、銀色のスカイラインGTRオーテックバージョンが停まった。助手席のウィンドーが下がると、少しだけ顔の赤いおキヌがこちらに向かって手を振っていた。
タマモはそのままの勢いでGTRに近づき、シロは右手を軽く上げた。後部座席のドアを開けると、ドアに手が掛けられた。
「へい、タクシー。どこまでだい?」
ストリートファッションの大柄の男がタマモを見下ろすが、タマモは溜息をついた。
「残念ながら都内よ。北関東行きじゃないの、お生憎さま」
男に一瞬だけ目をくれると、シロの方を見た。顔は真っ直ぐにこちらを見ているが瞬間的に周りを伺った。一度足が止まり、肩を竦めた。
「おキヌちゃん、ロックしていてね」
一言声を掛けて、横島が車から降りてきた。
「何よ、降りなくてもいいのに」
「お目付けだよ。俺は何もせんぞ、痛いのは嫌いだ」
鬱陶しそうに頭を掻くと、上げていた髪がバラけた。
「なんだぁ? タクシーでもねぇのにこんな所に停めやがって紛らわしいな」
ドアを蹴りつけようとするが、軸足が払われ尻餅をついた。
「先生が美神殿のために無理して買った車でござるぞ。土足厳禁でござる」
「無理して買ったは余計だ!」
男を転ばせたシロに向かい、横島は怒鳴った。
横島の声が合図になったのか、近くから同じような格好をした男が五人ほど姿を見せるとGTRを囲んだ。
「なんか田舎臭いわね、あんたの里といい勝負じゃない?」
「一緒にしてもらっては困るでござるよ。拙者の故郷は自然豊かな里で、この臭いは肥の臭いでござる」
どのような違いであるかよく分からないが、とにかく違うらしい。
「おい、金髪。テメェちょっと来いよ」
さすがに通りに面している場所では人目に付きすぎるのか、野次馬たちが集まってきている。男はタマモに狙いを絞ると、袖を掴もうとした。指が袖に触れた瞬間に激痛が走った。右手の人差し指が、手の甲についていた。男の悲鳴が響く中、タマモは触れられたジャケットの袖に目を向けた。
「ねぇちょっと見てよ、ここのところ汚れちゃった」
右手の袖をシロに見せると、僅かにシミができていた。
「あ〜……これ落ちないでござるな。しかも、くっさー! これは弁償してもらうしかないでござるな」
「このアマ!」
残りの四人が顔色を変えて、間合いを一気に縮めた。
「おだやかじゃねぇなぁ、俺の街で何騒いでやがるんだ」
揃いのジャンバーを着たチームのメンバーが集まってきた。健康的なチームではなく、いかにも不健康で不健全な集まりであった。
「テメェの腐れチームの街だぁ? 俺らの街に決まってるだろうが」
楽器を持っていないパンクスの集団が逆の方向から現れた。
「うわぁ〜うっざ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
タマモは思わず顔を歪めた。
数台の大型スクーターが騒音を立てながら、GTRの側に停まった。
「この車うっぜーよ! どけよ、親父!!」
スクーターから降り横島に駆け寄るが、地響きのような音が聞こえるとそちらの方を振り返った。
十台ほどのアメリカンチョッパーがスクーターを取り囲むと、ドレッドヘヤーのバイカーがスクーターの男の襟首を掴み上げた。
「こら、小僧。テメェ呷りやがったな」
引きずり回そうとするが、横島の顔を見て口を開けたまま固まってしまった。
「なんか……大事になりそうな予感がするでござるよ」
「あ、アタシも今思った」
GTRの周りにガラの悪い集団がかなりの人数集まり小競り合いが始まりだした。最初の五人はすでに戦意喪失しているらしく、あたふたと周りを見回していた。ちなみに助手席のおキヌは、すでに熟睡していた。
「お、お疲れさまっす!!」
集団の中の一人が声を上げた。
顔を歪め、睨むようにこちらを見た男たちの顔色が一気に変わった。
「お疲れ様です、姐さん!!」
「すんません! いつものお姿ではありませんでしたので、挨拶遅れました!」
チームの頭らしい男が頭を下げると、隣にいた男が側にいった。
「いったい誰っすか?」
「バカ野郎、『狼人』知らねぇのかよ」
こっそりと呟いた瞬間、足が地面から離れた。
「その名前で呼ぶなと、何度言ったら分かるでござるか?」
にっこりと微笑んでいるが、自分より一回り以上大きな男の襟首掴み上げ、コメカミには青い筋が浮かんでいる。落第した人間に「ローニン」の名は、かなり堪えるようである。
「狼人のツレの金髪……ナインじゃねぇかよ!!」
今度はタマモに向かって、最敬礼の大合唱が始まった。
「金髪のナインテール『タマモ』……略してキンタ」
「略すなーーーーーーーーーっ!!!!」
横島の顔面にタマモの飛び蹴りが炸裂した。超ミニのワンピースのため、周りにいた連中には僅かに、そして横島には盛大なサービスとなってしまった。
顔面を陥没させた横島は立ち上がると、後頭部を自分で叩いて陥没を治した。少し鼻血がでていたが、もちろん打撃によるものではない。
人類を完全に超越した回復力に、固まっていたドレッドバイカーが震えながら呟いた。
「その化物みてぇな回復力……間違いねぇ……キングオブキングス!!キングだ」
今度は挨拶の大合唱はなかった。何かを恐れるように、横島の周りから人の群れが引いた。
「前から気になっていたんでござるが……先生のキングって、何のキングでござるか?」
吊るしていた手を緩め男の足を地面に下ろした。何度か咳をすると、男が呟いた。
「前のリーダーから聞いた話なんですが、ジュクどころかブクロやシブヤでも名前は通っています。“セクハラ”キングと」
「あんた、いったいなにやったんだーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
二人の声が、星の見えない空に響き渡った。
都内に悪名を轟かしたキングはともかく、ガラの悪い連中がこうも集まってはさすがにこの街でも人目に付きすぎるということで、すぐに解散となった。どさくさに紛れ、最初に絡んできた男たちの姿は消えていた。
「チッ……シャネルのジャケット買い損ねたわ」
「それシャネルじゃないだろ……」
後部座席で呟いたタマモに、運転しながら横島はツッコミを入れた。
「しかしお前ら、随分と派手にやっているようだな。まるで大名行列じゃねぇかよ」
男たちの最敬礼の姿を思い出し、横島は苦笑した。
「セクハラキングよりマシだわ」
「そうでござるな……あれは衝撃的でござった」
助手席のおキヌに目を向けるが、完全に寝ているようであった。
「それはともかく」
「ともかくにしたくないわ」
「したくないでござる」
「仕事の話だ、聞け」
声のトーンが僅かに下がった。
「昨夜のシロの仕事、まだ続きがある。西条の野郎、隠しているみたいだがかなりの大物みたいだ」
「大物? どっちがでござるか?」
「両方だろ……お前が勝手に弾けちまうんで、シメの段階まで隠すつもりみたいだな」
「あいかわらず姑息な御仁でござるな」
「そういってくれるな、あいつはあいつで大変なんだよ。あいつの裁量で止めとかないと、お義母さんでてくるぞ」
後部座席の二人は顔を見合わせた。
「あ〜、それは遠慮願いたいでござるな」
「確かに……義母さんでてくるとロクなことないもの」
この三人にこうまで言われてしまう美智恵は、今頃クシャミでもしているのだろうか。年に似合わない可愛いクシャミを思い出すと、横島は思わず苦笑した。
「とにかく、この件はなるべくシロだけでやれ。タマモはいざという時にどんなフォローでもできるように待機しておけ。事務所の仕事は、俺とおキヌちゃんでやっておくから」
「二人で大丈夫?」
「まぁなんとかなるさ」
「そういう意味じゃない……ご休憩しないでっていってるの」
ヒールを脱ぎ足を伸ばすと、爪先で横島の頭を突いた。
「するかよ……事務所内で昼ドラなんてご免だ」
「事務所外では?」
「考えないこともない……まぁ無理だけどな」
最強の女から最強の母へとジョブチェンジを行う愛妻の姿を想像すると、笑いが込み上げた。
「言葉を濁すような濁さないような……まぁ先生らしいでござるが」
タマモと同じように足を伸ばすが、助手席の後ろから伸ばした足では短くないスカートでも、ミラーにバッチリと中身が映っていた。
「確かに、勝負用は持っていたようだな」
何のことだか分からず首を傾げると、タマモが耳打ちした。瞬間的に顔を赤らめるが、途端に口元が緩んだ。
「ねぇ先生♪」
身を乗り出し、耳元で囁いた。
「なんだよ」
「勝負になりそう?」
シフトレバーに掛かっていた手が離れると、頭をコツンと叩いた。
「とにかく、事務所の仕事が終わり次第俺も待機しておく。今回はそれだけ用心が必要だってことだ」
「はぁ〜い」
少し間延びした返事だが、西条にしたものとは違っていた。
「ところでよ、さっきの最初絡んできた小僧の後ろに控えていたギャルは、かなりヤバそうなのもってやがったな。霊力がかなり漏れてやがったぞ」
「さっすが〜、気づいていたんだ」
「千紗殿でござるか?」
「そそそ、なんか札に封印していたわよ。学校では見たことないヤツだったわ」
「千紗殿の家は、異能の家ではなかったでござろう?」
「あんたのおっかけでしょ、私が知るワケないわよ」
「そういう奴でござったな……お主は」
苦笑しながらタマモの頭を小突いた。
翌日、補習をサボらされたシロは都内の一軒家にいた。
ビルが立ち並ぶ町並みには不似合いの旧家で、かなり広い敷地には森と見間違うほどの庭があった。
「まだでござるか? 退屈でござるよ」
悠然と腕を組みながら、西条の背中に向かった。日本間でありながら、靴を履いたまま上がりこんでいる。
二週間ほど前に殺人事件が起こった家で、血痕があちこちに残っている。長い間空家だったようで、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。
「本来は君に向いているはずなんだけどね、穴掘りなんて」
畳と床板を退け、地面を掘り返している。
「西条殿に熱センサー並の哨戒ができれば拙者がやるでござるよ」
シロがそういうと、西条は一心不乱に穴を掘りだした。
鼻を少しだけ動かした。臭いはしない。だが急に気分が悪くなった。携帯電話を取り出した。モニターにはアンテナの表示はなく、圏外になっていた。
「急ぐでござる。かなりマズいことになっているようでござるよ」
「アンテナでも潰されたか?」
穴を掘る手は緩まなかった。
「当り」
ショルダーホルスターからワルサーP99を抜き、安全装置を解除すると、スライドをショートリコイルさせ弾を確認した。
窓から隠れるようにして外の様子を伺った。正面に外壁工事中のビル。隣にはオフィスビル。確認すると、西条のところに戻った。
「昼間にやった方が良かったような気がするでござるよ」
「民間人を撃ち合いに巻き込むワケにはいくまい」
「人の目を無視するような連中というワケでござるか?」
「まぁな。しくじったとしても死体になるのは、僕と君だけだ。犠牲は少ない方がいいだろ?」
耳をピクリと動かすと、ショルダーホルスターからP99をもう一丁抜くと、安全装置を解除しスライドを咥えて動かした。
「ご免でござるな、凡夫のために散らす命は持ちあわせていないでござる」
庭の方から、草を踏む音と血と硝煙の臭いがした。
「六人か……」
視線を四方に散らすと、一足飛びに駆け出した。
銀髪を鈍い光が掠る。体勢を低くとるが、地面に伏せはしない。スライドを広くとり、両手をつかないままに視線が地面スレスレにまで下がる。右に二人、左に一人、正面に二人。そしてバックアップ一人……すべてを確認すると、正面に飛び込んだ。
サイレンサー付きの独特な音が風切り音と共に耳に入る。左の一人に牽制の一発を放つ。交わされる。正面の一人にタックルというより、体当たりを喰らわせた。
当りが軽い。スピード重視のタイプの編成である。相手の体を縦に転がるように、背後に回る。右手のトリガーを握る。不意を点かれたバックアップが倒れた。同時にもう正面のもう一人に左手のP99で9mmパラを腹部と頭部に2発ずつぶち込んだ。体当たりを喰らわせた男の膝を蹴りつけ、襟を掴む。男を盾にすると、右の二人に9mmパラを三発ずつぶち込んだ。盾にした男の手ごたえが伝わる。盾もろとも撃ってきた。左手の銃を上に放ると、霊波刀で盾にした男を貫いた。盾にした男が倒れた。サイレンサー付きのサブマシンガンの連射音が不気味な音を立てる。盾になった男の体が踊るように揺れながら倒れた。シロの姿はなかった。
「ここでござるよ」
真下から声が聞こえると同時に、光りを帯びた霊波刀が男の体を二分した。
霊波刀を消し左手を広げると、放り投げたP99が掌の上に落ちてきた。
「さてさて、どこのものでござろうかな」
特殊部隊のような服装をしていることから、犯罪組織ではないであろうことは分かっていた。
使用されていた銃器は東西バラバラであった。だが西の者が東の道具を使うことはあっても、東の者が西の道具を使うことは滅多にない。留年の原因となった3ヶ月で、身をもって経験していた。
「あれ?……どういうことでござるか?」
バックアップの男の懐を探ると、シロは首を傾げた。そして霊波刀で斬った男の側に戻った。
「ほとんどが拳銃とサブマシンガン……突撃銃が無い」
赤い光を感じると、力の限りジグザクに走った。切り返すたびに、皮膚を鉛弾が掠めていく。銃を抜くヒマなどはなかった。ましてや霊波刀で打ち落とすなどは、無謀なことこの上ない。構えもしていない今は、ただの標的なのである。
開いている扉からではなく、窓ガラスを体ごと破り家の中に飛び込んだ。革の上下を着込んでいたおかげでガラスによる怪我はなかった。バイクで来たことが幸いした。
「西条殿! 見つかったでござるか?」
「シロ君か……まだだ」
穴の中から顔を覗かせると、ベレッタM93Rを置いた。
「急ぐでござるよ。完全に囲まれているでござる」
「突破は?」
「救援が来ない限り不可能でござる。拳銃弾の射程外から狙っているでござるよ。ご丁寧なことに、斥候の連中には射程の短いモノしか持たせていないでござる」
様子見ということで、お互いに拳銃しか装備していない。証拠品を探すのに、ライフルなど持ってくるワケはなかった。
「助かる道は二つ。援軍がくるか、それとも朝まで粘るか……」
「それ以外の道は無い……ということでござるな」
「あぁ。それ以外は、これが墓穴になるだけだ」
西条は再びスコップで穴を掘り始めた。
―――後半に続く―――
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