私の心に楔を打ち込んだ人。
忘れたくても、忘れられない。
離れていても心に想う。
私の心が温かくなる。
でも、私は光に背を向けた。
反転し、闇に落ちていく心。
愛を感じる心が麻痺する。
悔恨と思慕の狭間で、どちらにもつかず、誰にも寄り添わず。
灰色の領域に立たされている。
果ての見えない時の中を。
薫が家出をし、兵部の元に来てから2日が経過した。
今から薫は、澪と紅葉と一緒に、銀行を襲撃している強盗を襲撃しようとしている。
2人はバベルの敵、パンドラの人間なのだが、なぜか不思議と背中を預けても大丈夫という安心感があった。
意気揚々と進む彼女達。
だが、それとは別に、薫の心の奥底には相変わらずどんよりとした曇り空が広がっていた。
(皆本、心配してるかな・・・・)
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むかしといまとこれからと、私の大事なもの (後編)
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その男は拳銃を両手に構えていた。
右手の銃口はカウンターの銀行員に、左手はロビーの客に向けている。
カウンターの行員は男の言うとおり、大きな、というよりバカでかい巾着袋にセッセと紙幣と
金のインゴットをつめている。
おそらく紙幣の方は、金目のものや、他国の紙幣などを介して、マネーロンダリングで、自らの資金にするのだろう。また
金は、最も古くからある普遍的価値を持つ資源なので、溶かして形を変えれば、そのまま市場に転売できる。
「早くしろ。 あと5分でつめないと、ぶっ殺すぞ。」
「ははは、はいっ!」
犯人の男は、テレポート能力を持っていた。
最初は、気づかれないようにテレポートで銀行内部に侵入しようとしたが、現在はどこの銀行でも超能力対策が完璧に整っているため、テレポートによる金庫への進入は不可能となっている。
トラブルは少ないほうが良い。気づかれないまま犯行を行うのが最も理想だが、それとは正反対の手段を取ったのには、ある種の勝算があったからだ。
だが、外の警察がECMを使用しているらしい今の状況では、その勝算も芳しくない。警察が来る前に全て処理したかったが、今や逃走経路も経たれてしまったようだ。
さて、これからどうしようかと、拳銃を突きつけながら考えていた。
そこへ、
「───っと。 どれどれ、どこにいるかな〜」
「なんか・・・みんな伏せてるんだけど。アレじゃない、アレ。」
「あーあ、思いっきり修羅場じゃない、ココ」
薫・澪・紅葉の3人が銀行のロビーにテレポートしてきた。
まさに強盗中の、なかなか最悪な場面である。
「・・・・・・・・・・・なんだぁ?おまえら」
突然のことに、男も含め、その場の全員がしばしボー然としてしまった。
「・・・・ふっふっふ。
たった一人の暴走に、罪も無い大勢が泣いている。
正義の剣をかざすため、光をまといやってきた。
悪に裁きを! 人には愛を! 残業代はいただきます!
事件あるところ私はいる!
我こそは、ビューティーオブミステリー ウィズ 2レディーズ!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
DNAに刻み込まれた女優の血に従うまま、薫は、いわゆる「お約束」をかました。
が、逆にその場が静まりかえってしまった。
皆、今の口上に対して、どう反応していいかわからなかった。
「(何?謎の美女って?それとオマケの2人って何よ?)」
「(私たちのことみたいよ)」
澪と紅葉が後ろでコソコソと小声で話し合う。
なんというか、見ているこっちが恥ずかしい。
突如、『パンッ』という銃声と、それにつづく悲鳴がその静寂を突き破った。
男がロビーにいる老人の足を打ち抜いたのだ。
その老人はうめき声と共にうずくまった。足元からおびただしい流血が見えた。
「!!」
「ふざけてんなよ。ぶっ殺されてぇか?」
「ふざけてなんかない。あんたをやっつけてあげるから。」
「いや、十分ふざけてるでしょ、薫。」
「っていうか、あいつ日本人よ。言葉が通じてよかったわね。」
彼女らの得体の知れない余裕に若干戸惑いを感じた男は、右手の銃口の狙いを行員から薫たちに切り替えた。
余裕の表情の薫。男はそれが気に食わないのか、躊躇無く引き金を引いた。
狙いは薫の右足。とにかく動きを止めて、痛い目を見れば、目の前の世間知らずを黙らせることができるだろうと思った。
だが、弾丸は、薫の足に当たる寸前、「カンッ」という音と共にはじかれて、銀行カウンターの下側に命中した。
さらに2度、3度と発射する男。だがこれも薫には当たらず、あさっての方向へはねかえされてしまった。
「てめえ、エスパーか。 なんで超能力が使えるんだ?」
「そりゃあ、昔から正義の味方は特別って決まってるから。」
「・・・・・・そうか、ECCMか。」
「そーれ、いくよ!」
薫は、男を壁に叩きつけようと、力を放った。
目に見えない力のカタマリが、男の身体を吹き飛ばした・・・・・・かに思えた。
しかし、手ごたえが全く無かった。
男の姿が消えた。
「あれ?消えた?」
「ううん、あそこよ。」
消えたのではなく、正確には薫の視界の外に男は移動したのだ。紅葉が、ロビーの端に男の姿を捉えた。手には、例のバカでかい巾着袋を持っている。
「一瞬でこの距離を移動って・・・テレポータか。」
「はっ、助かったぜ。あんたらがECCMを持ってきてくれて。おかげでココから逃げられる。」
実際、男は先ほどまで絶体絶命だった。ECMでテレポートは封じられ、外にはたくさんの警察。金を盗んだところで、持って行く手段がなかった。
しかし、薫たちが来て事態が一変。彼女らの持つECCMのおかげで自由に動けるようになった。
薫は男を捕まえようとココに来たが、そのせいで相手に自由を与えてしまったのだ。
「じゃ、そういうことで。」
「まっ、待て!」
男の姿が消えた。建物の外に出たのだろう。
このままでは逃げられる。薫は男を追う体勢を取った。
「澪!」
「オッケー。行くよ!」
薫達も建物の外、直上10mほどの上空へテレポートした。野次馬と警察の目を避けつつ、男を捜すには、このくらいの位置がちょうど良い。
「いた!あそこ!」
前方50mの空中に男はいた。連続テレポートで逃げている最中だった。
「逃がさないよ!」
薫は男に向かって突進した。テレポートといっても、札束と金塊という大きな質量を持って一度に長距離を移動するのは困難である。男は断続的にテレポートを使い、短距離を何度もテレポートしながら逃げていた。
しかし、それでも薫の移動スピードの方が速く、あと少しで男に追いつきそうだ。
「よっし! サイキックぅぅ・・・」
薫が右手に力を込め、男を吹き飛ばそうとした。
そして2人の姿が交差するその瞬間、
「きゃう!」
声を上げたのは薫だった。
薫は澪と紅葉の元まで吹き飛ばされた。
何が起こったか理解できない。
薫は混乱する頭で、男の方を見た。
男が左手をこちらに構え、空中に静止していた。
加勢がいたわけではない。男の能力にやられたのだ。
「サイコキネシスも持ってたのね。ほら、大丈夫?」
「う・・・ん。 ふぅ、びっくりした。ずっるいなあ、2つも持ってるなんて。」
薫は紅葉の手元から離れ、体勢を立て直した。
「でも」
再び男に向けて突進する。
「
レベル7の敵じゃないね」
そして、薫と男の力が衝突した。
すさまじい力同士、その余波が衝撃波となって、周りの空間に放たれる。
2人の中間点で力が拮抗していた。
そう、“拮抗”しているのだ。
薫は銀行に入る前に、リミッターの腕輪を外していた。
つまり、レベル7の力を出し惜しみせずに使える状態なのだ。
その薫と力が拮抗しているということは、少なくともレベル7相当の力を持っているということだ。
「うっそ! 薫と互角!?」
「ありゃ。予想外ね、これは」
「少佐以外に薫と力押しで対抗できるなんて・・・」
「おまけにテレポートも使える・・・か。ちょっと厄介ね、これ。」
澪と紅葉が状況を見守る中でも、力の衝突は続いていた。
しかも、若干、薫の分が悪いらしい。
「ちっ、しょうがないなあ。貸し1つだからね、薫。」
澪は、部分テレポートで、力の放出している手を別方向に持っていき、均衡をやぶろうとした。
男との位置は距離がある。
澪は2人に近づいた。
そして力を発動した・・・・・と思った。
しかし、男の手が澪の首元に部分テレポートしてきた。
そして正面から首をつかんで、そのまま締めてきた。
「ぐっ!! な・・・なんで!?」
驚きの表情を隠せない澪。
自分と同じ能力を使われている。
向こうでは薫が同じように驚いていた。
「アレは澪の! それじゃ、こいつは京介並の力を持ってるってこと!?」
複合的に能力を持ち、しかも高いレベルを維持している人間はそういない。
それだけの複雑な能力を、通常の人間の脳の中では処理できないからだ。
兵部や蕾管理官のような人間は、戦時中という環境が生み出した特別な存在なのだ。
だが現実に、高レベルエスパーの2人が1人の男に圧倒されている。
サイコキノにサイコキネシスで対抗し、テレポーターにテレポートで対抗している。そんな人間は聞いたことがない。あるとすれば・・・・・
「まさか、あなたっ!」
「そっ。たぶんあんたが思ってる通りだよ、おねーちゃん。」
そういう存在がいることは、兵部から聞いたことがあった。だがこんなところで会うとは思ってもいなかった。実際に相手にすると、とても厄介な、ある意味イレギュラーな存在だ。
「聞いて2人とも!こいつは純粋なテレポーターなんかじゃない!
こいつの能力は“アンプリファイア”よ。」
アンプリファイア・・・・それは「増幅器」。
その力はエスパーキラーと呼ばれたグリシャム大佐のそれに近い。
大佐は、基本となるテレパシーで相手の心と繋がり、その能力を借りて使用することができる。
そしてこの場合も、近くにいる薫と澪、それぞれの力を借りているのだ。
だが、大佐と違って厄介な点が1つ。
アンプリファイアは、“増幅”、すなわち力の上乗せができるのだ。
力を使えるだけでなく、上乗せしてはねかえす。
これは、ただ力を使われるだけよりも厄介である。
理論上、1対1の対決で勝つことはまず不可能だろう。
この能力はまるでトランジスタのような働きをする。
トランジスタは身の回りの電気製品には必ず使用されている半導体素子である。
ベースとなる端子にわずかな電流を流すことで、その何倍もの電流を回路内へ流すことができるという、増幅作用を持っている。
この場合も同様に、彼自身はわずかな力しか使っていない。薫達が放った力を増幅してはね返しているだけである。
つまり、能力を使えば使うほど、自分の首を絞めることになるのだ。
「この世に数名、いるかいないかって話だったけど、まさかこんなところでね」
「なかなかお勉強熱心なねーちゃんだ。わかったら、あきらめてどっかに行っちまえよ。」
「・・・・だってさ。どうする、2人とも?」
どうやら自分達ではかなり相性の悪い相手だ。紅葉は早々に両手をあげた。彼の方も、こちらに余計な危害を加えるつもりは無いらしい。であれば、無駄に抵抗する必要も意味もない。
大人の判断としてはおそらくそれは正しいのだろう。だが、
「だめ!」
薫は、力に押されながらもそれを拒否した。
「あんたは、罪も無いおじいさんを撃った!このまま逃がしたら、同じように苦しむ人がまた出てくる! だから・・・・」
再び両手に力を込めて、
「だから! 絶対逃がさない!!!」
男に向かって解き放った。
今の薫は、近くの人々の痛みを自分の痛みのように感じることができる。これは数年前までは無かったことだ。皆本はそんな薫を「やさしい子」と評しているが、それは他でもない、皆本との生活による心の成長であった。
先ほどよりも強い力の本流が男を直撃した。
しかし、それすらも予想していたかのように、薫の力は、彼のかざした右手に収まってしまった。
「おー、すごいねぇ。こんなの初めて見たよ。目で見えるくらい凝縮したPKなんて。」
薫の渾身の力も、男の能力を破ることはできなかった。
「忠告はしたぜ。じゃ、返すから。」
そのまま、男はまるでキャッチボールのように軽く、手にした力を薫に向けて投げつけた。それは薫めがけて真っ直ぐ、猛スピードで飛んでいき、
「うあっ!!」
防ぐ間もなく直撃した。
「薫!」
そのまま、下の森林地帯に落ちていく薫。
澪は薫を助けるために動こうとしたが、男の手が振り解けずに、行動が一瞬遅れた。
ガサガサっという音をたてながら薫の身体は森林の中へ入っていった。
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(・・・・・・痛っ)
(何が・・・・起きたんだっけ・・・・)
(・・・・・ああ、そうか。あいつに負けたんだっけ)
(なんか・・・・いいとこ無しだな、あたし)
(何やってんだろ、一体・・・・・・)
(皆本とケンカして、家出して、こんな日本かどこかもわからない場所で、また傷ついて)
(なんか・・・・もう、どうでもいいや・・・・みんな)
身体的に大きなショックを受けたことで、先ほどまでの激情は影を潜め、心の奥に沈めていた暗い感情、想いが、薫の心に沸き出てきた。
考えれば考えるほど、今いるこの場所に現実感が無く、周りの全てがばかばかしく思えてならない。自分を含め、もうどうでもいいと思えてきた。
そんな、何も考えられない彼女が、今思うのは、ただ一つのことだけ。
(・・・皆本・・・・・・会いたいな・・・・・)
・
・
・
・
・
「・・・・・はっ!・・・え? ここは?」
薫が覚醒した。
どうやら夢を見ていたらしい。
だが全てが全て夢というわけではないようだ。現に今の薫は戦意を喪失していた。
ここで意地を張ることの意味を無くしかけていた。
薫が落ちた森林は静寂に包まれていた。風で揺れる木々の葉以外に動くものは見当たらなかった。薫は視線を自分の足元に下ろした。小さなアリが隊列を作って、自分の巣穴へせっせと動いているのが見える。
(こんな小さいアリでも一生懸命生きてるのに・・・あたしは・・・)
そんな、動くもののない場所で、薫の視界の端に何かが引っかかった。
薫が右を向くと、5mほど前方に、赤いモノが落ちていた。そしてその端が緑色にチカチカと点滅している。
薫の携帯電話だ。
ランプが点滅しているということは、メールか着信が入ったということだ。
どうでもいいと思いつつも、薫はいつものクセで携帯電話を拾って、ディスプレイを見た。
そこには、今もっとも会いたい人物の名前があった。
「み・・・・なもと・・・」
履歴を見ると、皆本から何度も着信とメールが入っている。
そして10分ほど前の着信では、留守番電話が記録されていた。
薫は、震える指でコールボタンを押し、スピーカーに耳をあてた。
「(・・・・薫・・・・・聞いてるか?)」
薫の心臓はドクンッと脈打った。今の今まで焦がれた声だ。
「(薫、・・・・ごめんな。本当にすまない。)」
なぜ? なんであやまるの? 悪いのはあたしなのに。
傷つけたのは、あたしなのに・・・・
「(怒ってるかな・・・・キミの気持ちも考えず大人の理屈で行動した。これは僕の落ち度だ。本当はなんとでも調整できたはずなのに)」
違う・・・皆本は悪くない。
あたしがワガママを言ったせいだ。
優しい皆本を困らせて、
それでいて甘えていただけだ。
「(局長は、国のためにとか言ってるが・・・・・僕は、僕自身は、その・・・・キミがいないと、なんというか、落ち着かないんだ。)」
『落ち着かない』って・・・・それって、どういうこと?
はっきり言って欲しい
あたしは皆本にとって、どういう存在?
「(僕はまだ・・・キミと一緒にいたいんだ。だから・・・・)」
皆本・・・・あたしも、一緒にいたい。
これからもずっと、あなたと歩いて行きたい。
「(戻って来い、薫)」
うん!
ありがとう、皆本
帰ったら、いっぱいあやまらせて。
そしていっぱい甘えさせて。
あたしの大好きな、皆本
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澪は薫の救出に向かっていた。森林地帯の近くまでテレポートして大体の位置を確保してから、目測で薫の姿を探していた。
(こんなんで死んだら、許さないんだから!)
薫がやられたあの瞬間、澪は真っ先に薫の身を案じた。本人は認めないだろうが、彼女にとって薫はもはやかけがえのない仲間同然の存在になっていた。
澪が、それらしい位置がわからないかと、森林上空を彷徨っていたその時、
(澪・・・・さがってて)
「!」
薫の声がした。いや、そんな気がした。
なぜかよくわからないが、テレパシストでもない薫の声が頭に響いた感じがした。
澪はある種の直感にもとづき、その声にしたがって、その場から離れた。
直後、森の中から、赤いカタマリが飛び出した。
そのカタマリは上空にいる男へぐんぐんと迫って行き、ついに男と激突した。
「ぐっ・・・・てめえ!」
「言ったでしょ。逃がさないってさ。」
赤い弾丸となって飛び出した薫は、至近距離から直接叩く手段に出た。
距離が離れれば、能力も弱まる。
逆に近ければ、大きな力を有効に使用できる。
であれば、体が密着するほどの至近距離で、レベル7のPKを使えば、男の能力を破れるのではないか。
薫は、親から授かり、皆本に育ててもらった、自分の力を信じることにした。
先ほどとは全く別物のパワーに、男は圧倒された。
「ちっ、厄介なガキだ! こうなりゃ、ホントに死んでも知らねえからな!!」
男が再び薫の力をはね返そうとした、その時
「うぐっ!・・・・・がっ、はっ・・・・・・・があぁぁぁぁぁ!!!!!」
男が頭を抱えて苦しみだした。
突然のことに何が起きたかわからず、戸惑う薫。
それは見ている澪も紅葉も同じだった。
苦しみもがく男を黙って見る3人。
と、そこへ
「─────ふぅ。 やあ、遅くなってすまない。」
兵部が薫のそばへテレポートしてきた。
ビーチではカジュアルな格好だったのに、いつもの学生服に身を包んでいるところを見ると、どうやらこれは彼にとっての戦闘服のようだ。
「紅葉から連絡を受けてね。来るのが遅れてしまったよ。大丈夫かい?薫。」
「え!? あ、あたしは平気。大丈夫。」
そして下の方を向いて、
「澪もよくがんばったな。お疲れさん。」
「あ・・・は、はい!少佐!」
澪は突然声をかけられ、短い返事しかできなかった。
だが、兵部に気にかけられて、ほめてもらえる。それだけで彼女には十分だった。
これまでの苦労が全て報われた気がした。
「さて、と」
男に向き合う兵部。苦しみながらも、上目遣いで兵部を見上げていた。
「どうだい?レベル7の本当の力ってやつは。 君のそのちっぽけな脳じゃ、処理しきれないだろう? 人間の限界点、レベル7を超えるんだ。相当の負荷だろうね。」
アンプリファイアという能力は、一度受け止めた力を、てこのように増幅して相手に返す。そのために、相手の力を受け止める「受け皿」としての容量を持っているかどうかがこの能力のキモである。
これは、強い超能力の因子を持っているにもかかわらず、弱い能力しか発生せず、その大部分が不活性という、ある意味、矛盾する事象を持った人間に、初めて実行可能な能力である。おそらく世界に10人もいないだろう。それほど稀有な能力である。
薫は、その受け皿の容量を超える力をたたきつけた。
コップに水を際限なく流し込めば、やがて口からこぼれるように、男のキャパシティを超える力を与え、増幅する間もなく自滅させたのだ。
だがそれは口で言うほど簡単ではない。男のもつキャパシティもレベル7相当はあったのだろう。
通常のレベル7という枠組みを超える力を放つ、薫にしかできない倒し方だ。
「じゃあこれで・・・・おつかれさん。」
兵部は懐から手錠を取り出して、男の手にかけた。
とたんに、男の体から力が抜ける。超能力が発生しなくなった。
「ECM機能付きのサイコロックさ。これでジ・エンドだ。」
「はぁ・・・はぁ・・・・ま・・・さか、こんなお嬢ちゃんにやられるなんてな・・・」
男はガックリとうなだれた。
いくらなんでも超能力を封じられたら、普通の人間と変わりはしない。
ついに男は観念し、手にした巾着袋を放した。
巾着袋は、そのまま自由落下し、森林地帯へ消えていった。
ただの銀行強盗退治がかなり大事になってしまったが、なんとか収集がついた。
薫の肩からドッと力が抜けた。
と同時に、忘れていた痛みがぶり返してきた。
ある程度はガードしたはずだが、先ほど森林地帯に落ちたときに、あちこちぶつけたみたいだ。
「薫、大丈夫?」
「ん、平気だよ。ありがと。」
澪が心配そうに薫を見る。それはまるで大切な友達を心配する、普通の女の子の顔だった。
「それよりも・・・・・京介」
「なんだい、薫?」
「そいつのことだけど・・・」
薫は何かを言いかけた。
が、「それはわかっている」とばかりに兵部は笑みを浮かべ、
「ああ、悪いようにはしないさ。説得はしてみるけど、言うこと聞かなそうなら地元の警察に引き渡すさ。」
「そっか・・・・。ありがとう、京介。」
いくら悪事を働いていたとしても、彼も同じエスパーであり、人間である。
自分を殺そうとした相手でも、できるだけ傷つけたくない、生きていて欲しい、と願う薫の心を、兵部は汲み取った。
薫は心優しい少女。
それは以前からわかっていた。
だがここにきて、その慈愛の心が強くなってきている。人の上に立つ女王としての資質が目覚め始めている。
それは兵部の願うところである。だから兵部がそれを妨げる行動をするはずも無かった。
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「いいんですか? また、あっさり帰してしまって。」
「別にいいよ。あの転送部屋はもう潰しちゃったし、僕らの足取りを追えるとも思えないしね。」
薫は、その日の夕方に日本へ帰った。
兵部は、記憶もいじらず、口止めもせず、まるで友達を送るように、薫をそのまま日本へ帰した。
もう一日くらい居てもらっても良かったのだが、薫自身が帰る意思を見せたのだ。
あの時に何か良いことでも起きたのかもしれない。
それは兵部のあずかり知らぬところ。
おそらくそれは、忌々しいあの男が絡んでいるのだろう。
あまり面白くはないが、薫が元気になったのなら、それでいいと思った。
「で?あの男はどうしたんです?」
「ああ、警察の前においてきたよ。行動原理が金しかないんじゃ、手元に置いててもすぐにどっか行っちまうからね。」
「しかし・・・・こんな面倒くさい思いをして、なにをしたかったんですか、あなたは?」
「・・・・・・絆さ。」
「?」
「薫には、あちら側だけじゃなく、こちら側にも絆を作って欲しかったんだ。それには、一つの目的のために一緒に行動するのが一番だ。学校教育がその良い例だろう?」
「そのために、バベルに2度もウイルスを流して、彼女を待ち伏せして、おまけに敵まで用意してあげて・・・・手が込みすぎですよ。」
「だが、その甲斐はあっただろう? 澪と薫の間にはかなり強いつながりができたと思うけどな。薫が帰るときの、澪の渋り方はすごかったぞ。」
「・・・・・まあ、済んでしまったからもういいですがね。」
「そうそう。そういう潔いところが真木の良いところさ。」
「そうさせたのは誰のせいだと思ってるんですか。」
「まあ、僕の人徳かな。」
「もういいです。 次はもっと効率の良い方法でお願いします。」
「覚えておくよ。できるだけね。」
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日本に戻った薫は、真っ先に皆本の家に向かった。
いつもなら窓から直接入るのだが、家出した手前、そんな気にはならなかったので、ちゃんと玄関から入ることにした。
そして、玄関前に立ち、そのままガチャリとドアを開ければ良いはずだった。
「玄関を開ければ良い」。そのはずなのに、なぜか体が動かない。
足が一歩も前へ出なかった。
皆本は「戻って来い」と言った。
だがあれは皆本の言葉だろうか?
誰かに言わされているのでは?
本当はまだ怒ってるんじゃないか?
自分は要らない子ではないか?
あれだけ意気揚々と帰ってきたのに、この期に及んでいろいろな考えが頭を駆け巡り、体が硬直してしまっている。
躊躇すること10分。
意を決して、玄関の鍵を開け、ドアを手前に引いた。
「たっ・・・・・ただいま!」
家の中まで聞こえる大きな声。
それを受けて、だれかが奥からやってきた。
皆本だ。
薫は顔を上げられなかった。
申し訳ない気持ちで一杯だった。
心臓がバクバクと音を立てている。
こんなに緊張するのは生まれて初めてかもしれない。
「薫・・・」
皆本が自分に声をかけている。
久しぶりに聞いた、彼の声。
もうだめだ、どうにでもなれ!
と、おもいきって、薫は皆本の顔を見た。
「おかえり、薫。待ってたぞ。」
彼は優しい笑顔で薫を迎えてくれた。
それだけで薫の心の鎖は解き放たれた。
それは薫が一番好きなものだった。
今まで近すぎて、よくわかっていなかったもの。
それが今、本当に大事なものだとわかった。
そして、これからもずっと大切にしていきたいと思う。
目の前にある“それ”を守るためなら、彼女はどんな犠牲もいとわないだろう。
だから、彼に笑顔でこう答えるのだ。
「ただいま!」
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